2010/03/14

新・歩禅記(11)




  ~歩禅路の風景にも「春」~
 定番コース。茅ヶ崎市内北部を流れる小出川沿いは好きなルートです。何気なく目に留まった江戸時代の遺跡。近づいてみると難しい歴史の説明文がありました。今までに気づかなかった川辺の風景でした。小出川のカモの泳ぎぶりにも「春の訪れ」を感じました。心なしかスピードが増したような気がしたのです。でも、まだ水は冷たそう(笑)。
 ハクモクレンは空の青とのコントラストが何とも言えない「春の連弾」ですね。隣で妻が「きれいね~」と叫んでくれました。レンギョウの花はコースの道路沿いに見つけました。街路樹の佇まいを演出していただいているのでしょうか、鉢植えのレンギョウの花。
 このブログの調子がイマイチ?今後の展望を心配しつつ・・・。朝の歩禅は6000歩でした。

2010/03/13

新・歩禅記(10)


  ~他人様の「お庭の花」を愛でながら~
 何ヶ月ぶりかの「早朝歩禅」です。
 着慣れていた防寒着を脱ぎ捨てる勇気を気温が誘ってくれました。そんな誘惑に負けて防寒着無しの外出でしたが、適切な判断となり結果的には「快適」のマークが付きました。
 今日は土曜日。
 多くのご家庭が未だ目覚めていない時間です。だから、他人様の庭先に咲いている水仙の花を愛でることも写真に収めることも結構大胆に出来るモノです(笑)。この家の水仙は「群生」しています。野放しの群生ではありません。手入れも追肥も十分施していらっしゃるのを通行する度に関知しています。毎年、このような状態で庭一杯の水仙の花が見事に咲きます。この垣根の脇を歩いていると「春の香り」が十分に愉しめるのです。いつだったか手入れをされていた若奥様に「いつもきれいに咲かせられますね」と、堪能している状態を伝えお礼を言ったことがありました。他界されたお母様が丹精なさっていたとの説明が蘇ってきました。放置・放棄・放任・・・では、何事も「育たない」という証を今朝もこの水仙の花から学びました。
 ほどなく歩くと、ここも毎年「密やかに咲くスズラン」があるのです。お気に入りのスポットでもあります。ここは畑地です。周囲には春野菜が植えてあります。農家の方が時折、作業されているので畑の片隅にそっと植えられたのでしょう。よく見ると年毎に株が増えていっているような気がします。数年前はもう少し小規模だったような記憶があるからです。丹精すると立派に増えるモノですね。
 春の花を愛でながら45分間の早朝歩禅から帰宅しました。風は少し強く感じましたが、天気予報通りに今日の昼間の温度は高くなるのでしょう。皆さんも、良い週末と休日をお過ごし下さい。



2010/03/12

新・歩禅記(9)

  ~振り向くどころか「そっぽ」向いて~
 ずっと昔(30年位かな?)、通いつけていた整形外科医から「座骨神経痛」という診断を貰った。臀部から脚に向かって、何とも言えない全体的な痺れには(当時は若かったので)イライラしたものだった。部活動のやり過ぎ?と管理職からも手厳しい言葉も頂戴した。それでも薬と注射で放課後の青春?を謳歌したモノだった(選手にとっては「時には休め!」の叫びがあったらしい)。
 最近、その頃の痛みに似た痺れ感があるので歩禅も一気の10000歩の挑戦は敢えて避けている。今日は午前(4500)、午後(6000)と分割して歩いたら苦痛との闘いは感じなかった。歩禅そのものは快適ではあったが、写真版の記事をふっと思い出すような「子どもの動き」と出会ってしまった。
 「あらMちゃん、お帰りなさい」と、同伴した妻がランドセルを背負って学校から帰って来た1年生の女児に声を掛けた。その女児は確かに妻の顔は見た。それは夫にもわかった。「知り合いのお子さんなのかな?」と感じたほどであった。通りすがりの瞬間の「地域との交流」の時間である。ところが、振り向くどころか「そっぽを向いて」過ぎ去って行ってしまった。
 「今の女の子、どこの子どもさん?」と夫が問う。妻は「**さんのRちゃんの娘さんよ」と答えた。**さん家のRちゃん、ってあの娘さんか!と我が子と同世代のお嬢さんの顔が浮かんできた。そう言えば顔が似ていたなぁ、と後の言葉を繋いだ。「知らないんじゃないの?あなたのことは」と言いかけると言葉は遮られてしまった。「毎日会っているわよ」と語調が強くなった。そして妻が付け足した。「恥ずかしいんだろうけどご挨拶だけは出来る子どもであって欲しいわね」と。話題の女児の「お祖父ちゃん・お祖母ちゃん」とは我々の世代で大変親しい地域人仲間である。立ち話も夫婦同志ででも出来る関係である。Rちゃんのお兄ちゃんは我が家の次女と同級生。つまり女児の伯父に当たる。礼儀正しくて感じの良い少年だった。Rちゃんは・・・・・。暫くの間の夫婦の沈黙には、「あの頃の」子どもの言動が走馬燈に浮かんでは消えていたのである。
 時代は確かに変わった。記事のように「助け合う」必要性も無いほど平和な生活が続いている。関係を持ちたがらない日本人が大量生産されている。「挨拶はどうして必要なの?」と問われたら、現代の父母達はきちんと答えられるのだろうか?
 「お帰りなさい」と声を掛けられたら、「ただ今!」と子どもらしく答えることは学校で教える内容ではない。学校ばかりが強調すると「先生にはご挨拶できても地域の方には(関係ないから)挨拶を避ける」子どもの数を増幅させてしまうのである。家庭教育の範疇である!!
 歩禅で全身が心地よくなったこととは、別の世界(老脳)では我が子育てへの反省をしている。孫達が地域の方々に可愛がっていただけるように育って欲しいと願うばかりの「爺」である。

我が家の庭にも「ささやかな春」の訪れ

  ~猫の額の庭にも自然の生命力~
 このブログではないのですが、以前の「歩禅記」に書いたことを記憶していることがあります。
 近くの知人夫妻のお母様(70歳半ば?)が、ご自宅の玄関先に咲いていた木の花を見ながら仰いました。「この花を見て、孫達がね、おばあちゃんの花だね」って言うんですよ。数年前の暮れのご挨拶に伺った時でした。とてもユーモアのあるおばあちゃんです。妻も大好きな「人生の先輩」のお一人です。
 小生が「どうしてですか?」と問い直すと明るい笑顔で「ボケの花」のその音から語義を外しているお孫さん達のネーミングだと説明されました。思わず吹き出して笑ってしまいました。「孫達は、私が呆けたと言う意味で、そう言うんですのよ」とお応えいただいたのですが、大笑いになったのは次の句がありました。「木瓜の花って春告げ花ですよね。暮れのこの時期に咲いているんだからボケの狂い咲きだって、私に当てて笑うんですよ」と。嫁姑の仲が良いことは周囲でも有名です。深い人間関係が醸し出す家族の会話シーンを屈託無く明るく語られたのでこちらも開襟の思いで大声で笑ってしまったのです。この内容はすでにご存じの方も多いかと思いますが、我が家の庭先に「木瓜の花」が咲く度に思い出すほのぼのシーンです(再掲)。
 その場では真意を告げませんでしたが、小生の最高にお気に入りの花が、実はこの「木瓜の花」なのです。これは以前の勤務先の同僚からいただいたモノです。枯れずに今なお、こうして春の訪れを教えてくれています。お隣の庭先にはもう数週間前から真っ赤な大輪の木瓜の花が咲いています。お隣の庭からも観賞できるのは正に至福です(=これって「覗き」の犯罪じゃありませんよね)。
 この蕾が数日後には満開になることでしょう。そうると春本番です。
 今日は温かくなるとの天気予報です。そろそろ階下の老妻の動きも活発になってきたようです。のんびりと春の外の空気でも吸いに歩禅に出掛けてまいりましょう。

2010/03/11

立川に行ってきました!

  ~時短スキルがあったら・・・~
 立川『響の会』春季研修会に招請され、行って来ました。
 全国には『響の会』同志会が、発祥地である神奈川県茅ヶ崎市の他に3都市(浜松市・広島市・立川市)にて活動を継続しています。今年度最終回の『響の会』は東京都立川市の春季研修会でした。『響の会』には設置規定も運営要綱も何もありません。全く自由裁量で運営しています。共通点はただ1点。不肖未熟の身・小生の参加・出席であります。従って、会の設定には小生との「日程調整」だけはお願いしています。今回は諸般の事情と重複して延期になっていました。しかも、課業日の設定です。つまり、午後6時半開始の時程になっていました。しかも、学校では年度末の最盛期(笑)でもありますので参加態勢も大変だろうと余計な心配をしていました(=取り越し苦労と無縁な小生には珍事)。
 定刻に開始(準・全国共通①)された短時間にしては盛りだくさんの発表です。
 経験5~6年の教員の実践発表。じっくりと地に足が着いた発表内容には驚くというより感動でした。副校長という要職に就いて11ヶ月の実践発表には度肝を抜かれてしまいました。感動や感激という言葉での表現では発表者の「前向きな」姿勢に失礼に当たるのではないかと思うほどの「歓び」を感じました(校長経験者が言える「副校長・教頭」論)。
 最後のプログラムに「会長からの指導・助言」という設定(準・全国共通②)がありますので、大役を仰せつかっている立場では一言一句聞き逃せません(とは申せ、内容によっては耳が休憩することもありましたが・・・)。大事に聴き取ってメモをして、3本の発表にそれぞれ2点の「指導・助言」の言葉を添えてお返ししました。
 3名の実践発表に関しては、「数年後の成長ぶり」を早く見たくなってしまうほどでした。美辞麗句やお世辞は無縁の小生。しかし「時短スキル」があって、彼らの数年後を見ることが出来たらなぁ~と真剣に考えてしまいました(お世辞はゼロ)。
 ①「失敗から学ぶ」ことの本質を熟考しよう。②主体性と自主性の主役は誰なのかを明確にすれば自ずから先が見える。③「職員室の机に張り付いている教頭(東京では副校長)が学校を駄目にする」という小生の学校経営哲学をじっくり考えていただきたい。これは発表者の順番に載せたコメントですが 読者の皆さんは、それぞれのお立場で、それぞれの言語表現に置き換えてお考え下さい。参考までに指導助言が終了した時刻は定刻(準・全国共通③)でした。
 やる気があるのかないのかわからない若い教員?教頭になってしまったら積極的に仕事をしない?そんな愚痴を多くの後輩現職校長さん達から聞くので、すっかり麻痺してしまっていた小生でしたが、立川『響の会』は違いました。嬉しくなってしまいました。早々に退散する予定だった懇親会(準・全国共通④)もほぼ最後まで務めてしまう始末(笑)。帰宅は時刻が今日に変わる数分前となりました。発表者の皆さん、本当に有難う!大きな期待をしていますよ。良いですね!!
 ここまで立川『響の会』を引っ張って来られた松野登代表の「主体性と自主性」の力量に敬意を表します。当会の新年度における飛躍を期待したい気分になっています。また、立川でお会いしましょう。

2010/03/10

新・歩禅記(8)・・理論編?

<どの程度運動をすれば、筋肉や骨の衰えを防ぐ事ができるのか?>
東京都老人総合研究所によれば、65歳以上の高齢者が筋力を低下させず、健康的な生活をするために必要な歩数は、1日8000歩。しかし、家庭の主婦が掃除や洗濯などで動き回っていても、その歩数は約4000歩程度。距離にして約2.5㎞分も足りていないのが現実です。


  この文章は昨夜のテレビ番組でのナレーションの一部です。
 老妻が熱心に誘うので珍しく画面を注視したところでした。「歩くこと」を意識の中に定住(?)させてからそろそろ10年になるでしょうか。現役時代に人間ドックの検問にひっかかって藻掻いていた頃に着眼したのが「万歩計」という玩具でありました。装着すると妙に歩きたくなると言う心理状態を擽る代物でした。しかし、一日10000歩を継続して達成することは現役の勤務人には出来ることではありませんでした。「せめて休日なら」との意気込みも、続いても数ヶ月。ある経験者が「記録すること」の効果を語っているのを耳にして採り入れました。自分なりのアイディアと取り組み方の個性を採り入れて工夫をしながら現在の形式(現存・継続=記録進行中)に辿り着くまで多くの紆余曲折を経ました。
 その後のテレビ画面では、効率の良い「歩き方」の実践風景と医師の指導助言も見ることが出来ました。維持するだけのポイントが上掲の文章です。筋力を更にアップするための指導も覗きました。興味関心度の高いこの爺は、その中の「インターバル速歩」を採り入れたスタイルをやってみたくなっています。
 今日は出講の予定がありますし、生憎の雨模様です。
 晴天の好機が訪れたらチャレンジしてみようと、インターネットで昨日の番組を探し出してきちんと資料として保存しました。内実をそ~っと告げます・・・(笑)。番組のモデルに登場された方が同年齢(66歳)であったことが大きな刺激になってしまったのですよ。このことは老妻には告げません。読者の皆さんも好意的にご声援ください。意欲満々の小生であることだけを認めてあげくださいね(笑)。
 雨があがることを期待して、「歩き」でJR茅ヶ崎駅まで移動しま~す!!雨ならバスです。

 

2010/03/09

新聞記事にドッキリ!

  ~いつかはやって来る・・・~
 古い話になってしまいます。
 未だ、市教委の担当参事(=現在は「指導担当部長」?)として市議会の本会議場に臨んでいた頃に耳にした話題です。小生はJR相模線(茅ヶ崎駅~橋本駅)沿線に住んでいます。当時、相模線に新駅が出来る方向で議会でも話題に上っていました。実は、その新駅が出来る予定地は、自宅から徒歩2分の所なのです。通常の運行本数は3~5本ですので、東海道本線に比べれば利便性には格差はあります。しかし、道路事情を考慮しない「定刻」での運行には魅力があります。ほぼ出来るだろうとの思い込みが議会での市長のご答弁でもろくも崩れ去りました。新設駅予定地に隣接する公団住宅(団地)の高齢化が主因だったのです。つまり、利用者数の問題です。その時点での平均年齢を算出したJR東日本には「採算が取れない」乗降客数との決断が働いたようです。
 独りでお住まいのご老人の数が多いらしいのです。団塊の世代ジュニアーが通っていた団地内の小学校にはプレハブ校舎の乱立だったのです。我が家の子供達もその学校に通いました。いつしか巣立った子供達は(我が家もゼロ)この団地では生活をしていないようです。現在では「高齢者住宅団地」と化しているという訳です。電車での通勤者数の減少は致命的だったのでしょう。
 そして、今朝の記事(写真)を読んでドッキリ。
 団地のみならず、高齢者の多くが「孤独な生活」を余儀なくされているのでしょう。エレベーターもない高層(ここの団地は5階建)の部屋から地上との上り下りだけでも苦痛に感じられる老人が多くなっているのでしょう。自然と「孤立化」してしまうのもわかるような人情話です。
 最近、小生夫婦も「二階への上り下り」が苦になるね、との会話をするようになっています。いつかはやって来るこんな状態です。夫婦で助け合って生活できる内は、「まだまだ・・」と息子や娘達の「援助の申し入れ」も突っぱねて生きて来ました。しかし、独りになってしまったら?と不安にもなるモノです。
 長男一家から「一緒に住もうよ」との催促の声が最近、頓に高くなりました。娘達も「若い内に移動した方が良い」と、長男宅に「引っ越す両親」への後押しも強くなりました。親としては有難いことです。
 いつかはやって来る!そんな老後の事を考えさせられる記事です。他人事ではありませんね。重い腰を上げて、孫達が首を長くして待っている長男宅に移動することを真剣に考える時期が到来したようです。新聞を読みながら夫婦でそんな話題をしている、幸せな老夫婦の「寒い弥生の朝」のひと時です。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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