2011/05/07

あっという間に今日も一日が終わり・・・

 ~大型連休も明日で「完」~
 ずっと以前の、このブログでも触れました。
 毎日が日曜日の生活リズムになると、「今日は何曜日だっけ?」と妻に聞くのが異常にならないのが異常なリズムの渦中にいる証なんでしょうか、と。世論は「大型連休」と称していました。小生は、それ以上のスケールで大型連休を熟しているのですからびくともしません(笑)。しかし、街中に出て行ったりちょっと遠出をしようと幹線道路を運転すると「異常」さをすぐに実感してしまいます。人混みや道路混雑状況が通常とは雲泥の差があるからです。
 小生のような大型連休三昧の生活者にとっては「曜日への配慮」が不要です。
 明日までの大型連休を満喫された通常生活者にとっては、「今日の帰路設定」が今後の生活への配慮事項なのでしょうね。明日は休養して、9日からまた職場で情熱的な勤務生活に戻れるためでしょうか。遠距離地にいらっしゃる老両親のお見舞いや介護にお出かけの皆さんにはそんなゆとりはないのでしょうか?10年ばかり前の自身の生活ぶりを思い出しています。
 今日もたくさんの葉書が届きました。
 茅ヶ崎の自宅に一旦配送された郵便物が転送されるので時差が生じています。ご返事は極力迅速に投函するよう心がけていますが、極親しい後輩諸兄には「電子メール」にて代用させていただきます。ご容赦願います。
 明日から、小生は今年度の「仕事」が始まります。懐かしい(?)横浜市で仕事開きです。準備万端整いました。本務を忠実に執行できるよう心新たにしている夕べです。

2011/05/06

菖蒲の香りと『腰湯』

 ~「菖蒲湯」に癒される早朝~
 夕食前に、母屋から「菖蒲」が届いた。
 嫁が「お父さんやお母さんは菖蒲湯は嫌いではないですか?」と声を掛けてくれた。毎年欠かしたことのないことを思い出した。今年は転居騒動でその雰囲気もなかったことを告げながら、老妻は喜んで湯船に漬けていた。
 小生の日課は早朝湯禅(=半身浴)から始まる。
 愛読者の皆さんには耳なじみの表現であるが、半身浴のことを健康管理のアドバイザーでもある鍼診療師のネーミングでは『腰湯』となっている。それは「ぎっくり腰」常習犯であった小生への意識改革を鼓舞する命名なのである。意識し過ぎるほど意識している名称でもある。現役教員時代の同伴者とで言っても過言ではないほどに、腰痛は持病であった。この腰湯日課で嘘のように腰痛から解放されている。
 そこに、今朝の『腰湯』には嫁からもらった「菖蒲」が浮いている。
 何という至福の時間だろうか。新居の浴室にはラジオも常備できた。NHK「ラジオ深夜」という番組を聴きながら「考えさせられる」時間として20分間だけの「心の禅」を組むことにしている。今朝は、table for two という表現を耳にして考えさせられた。アフリカ大陸の「子供たちを支援する」NPOの話題に聞き入ってしまった。東日本大震災の「震災孤児」のことに思いを馳せながら、世界中には大人社会のエゴから生み出される「子ども難民」が減らない現状に心が痛む。そして朝食を終えた。
 母屋から孫たちの元気な声が聞こえ始め、今日も一日が始まった。

2011/05/05

『こどもの日』に考える


 ~「被災地孤児」に対して出来ることは?~

 東日本大震災で親を亡くした多くの子供たちがいると言う。

 これまでにも、多くの自然災害で不運にも親を亡くした人たちがいることは承知している。少年時代に大型台風の襲来で大洪水となりクラスメートのお父さんが亡くなられたこともを思い出した。故郷の九州では「台風と共に生きる」生活様式が主流であり、被災家族への村落共同体の思い遣りも尋常ではなかった。友人も逞しく人生を送ってくれたと信じている。それは、安易な同情だけでは無かったようなおぼろげな記憶も残っている。

 しかし、今回のように「未曾有」という形容詞が頭につくような想定外の大震災で、一瞬の間に多くの親と逸れそして孤児となってしまった多くの「子供たち」の存在は、これまでとは大きな違いがあるのでは、と思えてならない。それは、孤児となった近隣の子供たちを救える共同体(=村落)すら破壊されてしまっているからである。救えるのはただ一つ。国家体制でしか救いようがないということである。各種報道で「災害ボランティア」の皆さんが被災地で奮闘されていることを知るにつけ、善意と奉仕には限界があることを痛感するのは小生だけではあるまい。心温まる光景やニュースに小生の瞼が何度も熱くなり涙すらこぼれるほどである。しかし、村ごと、町ぐるみが被災して「どうにもならない」現状を考えるとお先真っ暗ではないか。無力で先見予知性も乏しい孤児たちには、村も町も無力で非力過ぎるのではないだろうか。「がんばろう日本」というキャッチフレーズは大所高所から「100年後の日本」を想定して、国家意識として国政を担うリーダー集団からの心底からの語り掛けであってほしい。と、小生は祈りたい気持である。

 今日は『こどもの日』。

 転居したばかりの新県民としては、同一県内にも大きな被災地があるという知識しかないがどこでも今日は『こどもの日』である。小生は、庭先の小さなこいのぼりの横に国旗を掲げることにした(写真)。我が家の孫たちに向ける祖父母の愛情というより、全国の「子供たち」に向けてエールを送るつもりからである。

 自分一人ではどうにもならないことにも遭遇するだろう。そんな時は、周囲の大人に相談をしてアドバイスを受けながら生き抜いて欲しい。一人だけでは生きていけないと言われる人生ならば、友人や仲間と助け合い励ましあって切磋琢磨して生きて行って欲しい。人を蹴落として自分だけが幸せを享受するような人生だけは避けてほしい。そして、立派な日本人として世界に羽ばたいてほしい。

 こんな思いを綴れば綴るほどに「大人力」の乏しさを感じてしまう。子供たちに尊敬され慕われる大人集団が壊滅状態になってしまったのではないかと悔しささえ浮かび上がってくる。当然ながら小生自身への非難も含め、自戒ていることをご理解願いたい。

 『こどもの日』。それは、子供たちに誇れる国づくりをしなければならない「おとなの日」である。と、小生は肝に銘じたい。大人の意識改革の日である、と敢えて最後に申し添えておきたい。

2011/05/04

今日は、筍掘りに行きます!

 ~雨後の竹の子・・~
 昨夜、土浦は雨でした。
 「お父さん、明日は筍掘りに行きませんか」と、昨日の嫁の言葉に「いいねぇ」と快諾した。嫁の実家の裏山は竹林で、この時期になると孫たちが掘ってくれた筍を届けてくれていたことを寝ながら思い出していた。数年前、ちょうどこの時期に、ここ土浦を訪問したことがあり、誘われるまま帰り支度をして竹林に出向いたことも思い出した。革靴で林に入り込んだので泥が着いて電車の中で少々恥ずかしかったことも懐かしく浮かんできた。
 今朝は通常通りに4時には起床。定番の『腰湯』(=半身浴)も済ませ、5時には朝食も終えている。外が明るいので「灯り」不要の日課が始まったばかりである。今日は好天の兆しである。夕べの雨で地面も柔らかいことだろう。筍ものびのびと頭を出して「竹になる」準備を始める格好の朝だろう。これから母屋軍団の目覚めと朝食の完了を待って出かけることにしよう。
 祖父ちゃんにとっては、まさに「満を持して」の筍掘りになる。雨後の竹の子との勝負じぁ~!!


写真は収穫して、知人友人に送った後の「我が家」に残った筍です】

2011/05/03

筑波山に登るぞ、と!!

 ~母屋から元気な声が・・~
 肌寒さを感じる土浦の朝。
 一昨日から来ている横浜に住む次女夫妻が、土浦の孫たちを連れて「筑波山登山」に行くらしい。今朝は母屋から活気が伝わってくる。ダイニングでは老妻がおにぎりを沢山作っているが、副食には豪勢さは無い。カラフルな遠足モードの準備ではないようだ。連れて行こうという次女(孫たちから見れば伯母)の発案だそうだ。「塩おむすび」で十分。「お腹が空いたら贅沢は言わないわよ」と、孫に甘い祖母さんを窘めたようである。「お祖父ちゃんも行こうよ」と誘ってくれないのでホッとしている。引っ越し疲れの延長線上にある老夫婦には、もう少しゆっくりしてからケーブルカーでも利用して登ることにしよう、と今日は控えめにしている(笑)。
 昨日もたくさんの郵便物が届いた。
 異動のお知らせに交じって、こちらから送った転居通知の葉書への返信もあった。受け取られた相手には「青天の霹靂」との文言が何通もあり自意識と他者意識のズレを痛感した。決して、第二の故郷を「捨てた」訳ではないことだけは、更に返事を書くことが義務付けられているようだ。
 また、連休の谷間の昨日は広島市、高知市や鳥取市の小学校から立て続けの出講要請の電話やメールがあった。現職の皆さんには遅れてはいるが、新年度が始まったとの自意識も高めざるを得ない状況になった。有難いことだと自らに言い聞かせつつ本日も始まった。
  

2011/05/02

昨夜のサプライズ!

 ~孫の手作りケーキに・・~
 遥か彼方の時空に確かな現実として存在した日。
 連休の合間を利用して設定した結婚式。高校の教員になって3年。確かに給料がいただけることがわかって踏み切った第二の人生だった。その日が5月2日である。
 昨年はわが子たちの演出で「沖縄旅行」に行かせられた(笑)。戦死で散った実父の最後の地(=伊江島)を踏ませてもらった。頑なまでに拒んだ沖縄への旅行も、いざ現地が舳先の向こうに島が見えた時は感涙で霞んで見えなくなった。拒んだ無神経さを恥じつつも感動の旅であった。
 あれから1年が過ぎてしまったようだ。今年は、震災と引っ越し騒ぎですっかり頓挫してしまっていた。長男宅の「離れ」の隠居小屋(?)は、娘や孫たちでにぎやかな夕べになってしまった。引っ越し後の初めての来客であるので計らい等、意に関せずに母屋のダイニングに移動して、びっくり!
 孫たちの手作りのケーキ(写真)に迎えられ、「今日は何の日?」の謎が解けた。少々照れくさい。幾つになってもやっぱり照れくさい。長男が、徐に口を開いた。「明日の当日は、勤務で帰宅が遅くなるので一日早い設定となりました」と。そうか、そうだったのか!!長女一家は嫁ぎ先の業務の関係で当日の参加はできないとのメールが長男には届いていたのだろうか。後半の連休には駆けつけるらしい。
 甘味を好まない小生に配慮して当分控えめだと説明もあったが、昨夜は食する気になれず焼酎だけで満足して眠った。
 今朝の食卓には、夕べの手作りケーキが届けられた。少しだけ口に運んで、思わず「美味い!」と発した自らが驚いてしまった。老妻の「孫たちの愛情ですからね」との、冷ややかな言葉が引き金となって残っている部分も食している自分に再び驚いてしまった。
 そんな幸せな一日が今朝もやって来てくれました。エンジン再開に弾みがかかることでしょう。

2011/05/01

遅まきながら新年度始発のエンジンが・・・。

 ~偶然とは言え「驚き」ました!~
 茨城県は全くの不案内者です
 水戸市とかつくば市ぐらいは以前の訪問もあり都市名だけは「知っている」程度です。余震があるとラジオで都市名や地方名で震度が報道されますが、その地が土浦から見て東西南北のどの位置にあるのか見当もつかない状況です。
 そんな小生に、地名と学校名を名乗って講師の小生電話がまた掛かってきました。
 最初が古河市でした。今回は筑西市と仰いましたがどこにあるのか分からないままに先方のご意向を正確に受け止めるだけで精一杯でした。電話が切れてから、交通手段のご説明を記録したノートを参考にして地図を広げました。JR取手駅で私鉄に乗り換えて到着できることがぼんやりと掴めました。
 決して迷惑がっているのではありません。
 茨城県民になったこととの「偶然とは言え」驚きを隠せません。その証拠に依頼があったのは茨城県内からだけなのです。びっくりしていることがお分かりになりますよね。能天気な小生は、茨城県民になって「招かざる客人」でも無さそうだ!と、自らを鼓舞しているところが滑稽でしょ??
 そんな小生も、5月になった今日から遅まきながら新年度のエンジンを掛けることにします。
 8日の横浜市で初講が待っています。その週末には愛知・静岡と強行スケジュールが待ち受けているのですから心身ともに「新年度バージョン」にギアチェンジする必要があるからです。えっ??今はオートマでギアチェンジは不要、ですって?いいえ、育ちには急には変えることのできない身についた言語文化ってモンがあるんですよ!!(笑)
 今日は雨の予報です。新居の片づけも遅々として進んでいませんが、焦らないことにします!

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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