2011/06/06

孫とキャッチボールに興じる

 ~「明日の筋肉痛が心配だ」・・~
 そう呟きながら夕食のお声がかりで庭先から部屋に入って来た。
 その声に老妻が反応した。「明日は大丈夫ですよ」と自信たっぷりの答えが聞こえた。「そうかなぁ」と反論すると苦笑いをしながら更に二の手の回答は論理的であった。若い人ほど筋肉痛の反応は速いんですよ、と。と言うことは明日ではなく、数日後に筋肉痛の症状がお出ましになることを心して素直に認知することにしましょう。
 今年小学校に入学した次男孫が3時ごろ帰宅した。
 今日は4年生も一斉下校らしい。帰宅したのはほぼ同一時刻であったが、すでに遊びの約束をして帰って来たらしい兄ちゃんは、祖母ちゃんが用意したおやつを頬張りながら出て行った。残された次男坊がつまらなさそうにしているらしく老妻から遊んであげたら、との助言があった。
 野球ごっこができる広さのある庭なので、日曜日など父親と孫息子たちがキャッチボールをして遊んでいる。昔取った杵柄?父親が小学生のころまでは、時間があれば良くキャッチボールの相手をしたものだった。王政復古?ビニール製のバットと柔らかいボールを道具に日差しの強い午後の時間を珍しく孫守りとして戯れた。「お祖父ちゃん、上手だね」と、中々お世辞も上手だ。乗せられながら興じるうちに坐骨神経痛らしい症状を感じとり5時には動きも止まった。
 丁度、どこかで遊んでいた長男孫も帰宅して来た。
 祖父ちゃんはそろそろ夕食の時間である。さわやかな疲労感を背負って今日の臨時的任用のキャッチボールから解放された。何年ぶりのグローブの感触だろうか。鈍くなってしまった動きに加齢を感じつつも孫たちの成長が著しいことを確認した。
 
 

2011/06/05

久しぶりの(学校の)「記念式典」

~世界で一枚の・・・~
 こんな可愛い絵柄付きの封筒に「1枚のお煎餅」が入っていました。
 記念式典の資料が入っている大きな封筒の中に発見してほのぼのとした気分になりました。最後に勤務した学校が「新設開校」の小学校でしたので、数多くの「記念式典」が必要となり、事前にも事後にも関係者の協力を得て何とか任を果たせた記憶が蘇りました。それは、「学校の・・・」式典では、やはり主役は児童・生徒であることを再確認する時間ともなりました。
 予定時刻より約30分ばかり延びていましたが、花形の主人公軍団が、会場の体育館を所狭しとばかりの声と動きで盛り上げると参会者はすっかり時の経つのも忘れる程に変貌しました。驚きというより当たり前の感動と表現したほうが妥当かも知れません。
 創立70周年。戦前の「国民学校」からの歴史が紐解かれると十歳に満たない子供たちの席からもため息とも驚きともつかない音が聞こえました。学校の歴史を共有する時間が貴重であることを今更ながら痛感しました。
 教員対象の「授業研究会」スーパーバイザーとして、昨年からこの小学校とは関わっています。
 教科指導風景とは違った子どもたちの「実力」を垣間見ることができたことは今後の指針にも影響が出そうな充実感を抱いて、ご招待に感謝して学校を出ました。
 学校教育の原点は授業にあり。そんな豪語を発することができるのも、今日のような素晴らしい『実践発表』を直に見届けることができたからでしょう。これからが楽しみになりました。

2011/06/03

老脳の「勝手な思い」?


 ~「懐かしさ」なんて存在感無し?~
 当然のことですよね。
 僅か2ヶ月足らずの時間(転居して)では、40年の歳月(茅ヶ崎に住んだ)に叶うわけがありません。東京駅で乗り換えて東海道線に乗って目的地・茅ヶ崎市に向かいました。車窓の変化も車内の様子も全く変動はありません。当然のことですよね、数日前もこの電車で横浜市に向かっているんですからね。ただ、車窓から見える風景がちょっとだけ変貌していたのは辻堂駅(東京駅から見れば茅ヶ崎駅の一つ手前の駅)北側の開発地であった。建設工事の進捗状況が顕著であり大きなビルが幾つか目立つようになっていた。茅ヶ崎駅着の午前10時はほぼ予定通りであったので、頗る自然体で「通いなれた」コースを傘をさして講演会場である市役所へ向かった。
 歩きながらも考えた。何かが変わっているのを期待していたのだろうか?自問自答しながら歩いた。そうではない?この「懐かしさ」の存在感を希求しているような心情はどこから発生しているのだろう。
 公務の2時間。
 どこの会場とも変わることなく「つのだ劇場」(某氏の表現)は幕が開き、幕が降りた。小生の講演にはカーテンコールやアンコールは無い(笑)。任を果たして(?)主催者の皆さんと昼食会場に移動した。会食希望で同席戴いた方々もあり、「アンコール」状態に話題に花が咲いてしまった。お礼を述べて、JR茅ヶ崎駅から帰路に着く。お土産まで戴いた。大きな荷物を片手に電車に乗り込みながら、また、考える。茅ヶ崎駅は発着の場所ではあるが「土産品」を持参して茅ヶ崎駅を離れることはなかった。「行って来ます」は言っても「有難うございました」と言い残して茅ヶ崎駅を出るのは初めてである。
 やっぱり違う。交わす「挨拶の言葉」が違ったことに気が付いた。会場で「ようこそ。お帰りなさい」とご挨拶をいただいたこともその裏付けになった。そんな述懐を伴にして「少しずつ」この言葉が現実を証明してくれるのだろうと考える。その内に眠ってしまったらしい。「間もなく品川です」の車内アナウンスで目が覚めた。
 無理矢理に「郷愁」を期待することそのものが老化現象なのかもしれない。
 帰路の常磐線に乗って「ホッとする」感情は、可愛い孫たちが待っている「新世界」が創ってくれているようだ。雨に霞んで完成間近のスカイツリーも今日は見えない。東京タワーを見ながら移動した前世紀からスカイツリーを見ながら移動する新世紀になったのか、と妙に納得した一日でもあった。

2011/06/02

今にも降り出しそうな・・・

 ~「茅ヶ崎」へ出向です~
 転居して1か月半が過ぎました。
 「茅ヶ崎」という地名をブログに書き込むだけでも、ずっと昔に過ごしていたような錯覚が過りました。生まれ故郷で18年、上京して高座郡寒川町で8年、そして茅ヶ崎市で40年間を過ごした計算書が歴史上に刻まれています。そんな歴史を彩らせてもらった第二の故郷(と言っても過言ではない)の茅ヶ崎市にこれから向かいます。
 生まれ故郷(熊本県八代市)に帰る気分とは違います。
 生まれ故郷には郷愁という心情がうごめいて胸が熱くなるモノです。竹馬の友との幼い思い出や思春期時代の青臭さも感じるからでしょうか。しかし、第二の故郷は趣が違います。成人式もここで迎えました。就職をして所帯を持って、子育てに振り回されながら教師道を追究すべく悪戦苦闘の続く日々でした。大人としての厳しい仕打ちも受けました。教師としての厳しい評価もいただきました。還暦を過ぎて6年間を最後に、この「大人の修羅場」の地から離れました。今日はどんな思いで(離れて以来初めて)懐かしの駅頭に立つのだろうか。全く想定ができていません。
 そんなにセンチメンタリストだったのかい?
 親友たちに厳しく問われそうです。Yes とも No とも言えそうなそんな心境の朝です。ともあれ、今日は「第二の故郷への恩返し」業の初日です。襟を正して、しっかり任を果たしてまいりましょう。 

2011/06/01

「県つくば美術館」に行って来ました

 ~初めて「つくば市」を訪れる機会が~

 2年前に他界された方の絵画展が開かれているとの情報を長男から届いた。その方は長男が勤務する障害者施設とかかわりがあったという。施設の絵画教室に通って来られた方だったそうだ。情報はその程度でしかなかったが、会場(美術館)に到着して作品を鑑賞して一周する内に、美術作品の評価に関しては全く無知な小生であるが、展示してある数多くのスケッチブックをめくりながらご両親の愛情をしっかり受け止めることができたことは内心としては充足感で満たされた。

 新聞記事は帰宅してから気が付いた。

 本日の朝刊にその記事が出ていたことは知らずに会場に行った小生であるが、後追い読みをしながら会場の雰囲気が蘇ってきた。記事の最終段階の表現を読みながら、子育ての苦労が偲ばれた。お父様と長男が挨拶を交わしていた。帰りの車の中で、関わり合いを長男から聞きながら、転居してバタバタした生活に慣れてしまった身体に、血液の流れを感じる午前中のひと時であった。

 老妻も鑑賞する予定であったが、長男孫が学校で発熱だとの電話があり、父親が(本日は休日)迎えに行って連れて帰ってきたので「看護」の急務ができたために行けなかった。帰宅して伏せている孫と老妻に報告してあげると「行きたかったね」と老妻が残念がった。

2011/05/31

不案内のドライバーが郊外のモールへ向かう

 ~3年が過ぎても・・・~
 次女夫が転居先まで運んで来てくれた愛車(湘南ナンバーの軽自動車)は、その時点で給油をして貰ったまま、まだ一度もガソリンスタンドにも立ち寄っていない。行きつけのポイントは宅配便の営業所である。最寄駅まで5分も掛からない場所に家があるので、ちょっとした買い物の「歩き」か「自転車」で殆どが済んでしまう。周辺の駅前商店街にはどこにどんな店があるのかを掌握できている。
 妻が、郊外の大きなショッピングセンターに行きたいと言い出した。
 請われれば応えなければなるまい。
 以前に長男から行先の道案内は受けていたので、その記憶を頼りに久しぶりの運転である。妻の記憶も頼りにしながらバイパス沿いのモールを目指して向かう。田んぼの風景が目の前に現れた。道案内を受けた時点では田んぼなど無かった。風景が一変したかのような錯覚も症状が起きた。
 しかし、ほぼ間違いなく目的地に向かっていることは確かである。
 しかし、やっぱり不案内である。途中から老夫婦の楽しいショッピングの会話も消えた。大体の方向性を頼りに運転するが、『方向音痴』という特性も誇る小生には自信など無い。妻の記憶に驚いた。ホントに奇跡とも思える記憶が蘇ったのだから大笑いになった。行く先を見失った夫に妻から貴重な記憶が届けられた。本気で驚いた。
 「その信号の右手が父の火葬をした斎場でしょ?」
 小生には義父とその火葬場との関連など皆無だったので、わが耳を疑いながら直進した。長男の道案内の時も、「ここがお祖父ちゃんの火葬をした所」という説明のくだりがあったことは確かだった。娘である妻にとって父親との最期の別れをした場所をその風景からも記憶していたのだ。
 あの日から3年の歳月が流れているのに。
 九州で生まれ育った父親を茅ヶ崎で介護して最期を看取って、深夜の霊柩車でこの地まで運んだ夜のことも浮かんできた。嫁の実家が寺院であることで葬儀はそのお寺で行うことにさせてもらったのである。そんな思い出のシーンを彷彿とさせた妻の記憶力には脱帽だった。
 その場所を通過したら目の前にご当地最大のショッピングモールが目の前に現れた。思わず、「着いたぞ」と偉そうに言葉は発したものの運転手とは運転しただけの技能吏員であった。
 買い物を済ませて帰路の愛車の中では「妻の記憶力への絶賛」で終始した。
 さて、妻の買い物の目的は何だったでしょうか?不案内のドライバーは依頼を達成できた満足感だけで、今日は良いとしよう。

2011/05/30

あれから、3か月が過ぎていた!


 ~大震災の1か月前~

 いけませんねぇ~、すっかり忘れてしまっていました。

 昨日、転送のメール便で新居に資料が届いた。発行先がわかるので記憶は自然にその時点に戻っていきます。しかし、今年の2月に参加したフォーラムの事業レポートを読み返しながらも、まさに忘却の彼方に消え去ったような自らの症状に啞然としています。

 未曾有の大震災が、このフォーラムの1か月後に起きています。この衝撃で心身ともに「何かが狂ってしまう」状態に陥ったことをこのレポートでも気づかされてしまいました。遠隔地に住む後輩教員を呼びつけて強制参加させるほど力んで参加した筈なのに、昨日の時点まで一度も思い出すことすらなかったのです。

 ところで、「記憶を弄る」きっかけとなったレポートの受領で、本格的な記憶が蘇ってきたのが不思議な心情です。基調講演の講師とは行政勤務時代からの交際があり、当時は助教授という肩書の時代からですから、相応の月日の接触もあります。大いに期待している教授でもあるのでその後の実践と研究を見極めたく参加したのです。講演も十分な満足を得るモノでありましたが、実践発表をされた学校・団体の内容が素晴らしく久しぶりに「感動と賞讃」を禁じ得ない貴重な時間となったことがはっきり脳裏に回復してきました。

 老脳が為せる禍。

 それは、容易に忘れてしまう業である。それを実感するから哀しいではないか。それが度重なると落ち込んでしまうから始末悪い。しかし、昨日は違った。すっかり忘れてしまったと嘆いた直後に、このレポートの実践記録が記憶を回復させてくれたのである。嬉しいではないか。

 やっぱり「記録する」ことは、それが些細なことでも「メモとして」でも殴り書きをしておくことの重要性を日常生活の中で実感すべきであると実感いたしました(笑)。

 ひょっとしたら、まだ老け込んではいないんじゃないの?!と歯を磨きながら鏡の自分に問いかけてみると、「そうだよ!」と応えが戻ってきました(笑)。

 こんな勝手な思い込みで今日の任務のために出向の準備に拍車がかかる能天気な小生の一日が始まりました。行って来ます!



  













自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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