2012/11/18

愛読する月刊誌(4)

 ~「教育展望」(教育調査研究所・発行)~

小生を「教員の育成」に関与するキッカケを与えてくれたのがこの月刊誌であった。主宰する『響の会』創設する心を擽って、誘った「教育展望セミナー」を紹介してくれたのがこの月刊誌であった。小生の記憶から消え去ることはない。平成5(1993)年の夏、参加希望をした指導主事と二人で出向いたのがこのセミナーであった。井の中の蛙が「大海」に漕ぎ出してビックリした。参加者の多さと会場の熱気に圧倒され興奮状態で帰還したことも記憶の中に燦然と光っている。当時、随行した指導主事も2年前に校長を退職していることを考えただけでも「時間の流れ」(=ちいさな歴史)を痛感する。

小生がお世話になった茅ヶ崎市は地方都市とは言え、人口20万前後を推移しながらも微増を続けている都市であった。東京駅まで電車で60分で到着できる利便性に恵まれている。

中学校の教員から市教委への出向を命じられて数年を経て「学校訪問」という主要業務に慣れて来た一介の指導主事の目に、ある現象が炙りだされた。それは、東京まで1時間で行ける便利な環境に居ながら、自らの足を使って中央部で実施されている各種研修会に出席して「自己研鑽」を図る教員が殆どいないことがわかったのである。

無理強いが通じないのであれば、勤務地の茅ヶ崎市を会場にして研修会を創設すれば教員も参加しやすいのではないかと考えた。そんな安易な考えが熱意となって周囲の関係者を担ぐことになった。この紙面では創設までの経緯について詳細は述べられないが、地元実施の手作りの「教員研修の場」を創設したのが平成8(1996)年の夏である。新人校長として着任した夏であった。若気の至り?無謀と思える52歳の冒険であった。

創設した茅ヶ崎セミナーに、登壇して欲しい講師の先生方もこの月刊誌に名を連ねておられる当代一流の先生方にお願いした。それについては出版元から派遣される一人の営業マンの尽力は侮れなかった。主宰する教育実践『響の会』(発足当時とは改称している)のスタートへの尽力で忘れることが出来ない人物が多田二朗氏(当時・神奈川県湘南地区を中心に営業活動)である。今、考えればかなり無理難題を吹っかけてしまったようだが、殆ど満願であった。氏のご尽力無くしては現在の『響の会』(通称)の存続は無い。氏の会社内での活躍ぶりは表現するまでも無い。小生も現役を退いて間もなく10年が経つ。業界の情報の疎くなってしまった、しかし、氏の会社の要人としてご活躍の様子を若い世代の営業担当者から情報を得て知っている。嬉しい限りである。

主宰する『響の会』も昨年15周年を迎えることが出来た。会の冒頭の挨拶で区切りの良い所で終回宣言をするつもりで登壇した。熱心に聴講する教員の眼差しに向かってその言葉を発することが出来なかった。結果的にはズルズルと延長しそうで怖い気がしないでもない。ただ、幸か不幸か、未だ高知市から広島市へと「移動日」を設けて4泊5日の出講の旅を果たすことが出来るエネルギーはあるようだ。

後輩教員に「学ぶ」機会を与え続けることが、恩人である多田二朗氏への恩返しの真似事になるのであれば、自らに気力と意欲があり体力も耐えうるようであれば続けることを宣言すべきかもしれない。

一冊の愛読月刊誌にも、こんな歴史があることをお伝えしておこう。 

2012/11/17

『ファン気質』の基準

 ~俳優さんが、また逝った~

 テレビや映画の画面でしかお会いできない人種。それが俳優さん言う。うっとりと容姿を見詰めるタイプから、容姿そのものより話術に引き込まれどんな役柄を演じても見たくなるタイプ、更に特殊な魅力を感じることは無いのに何故か魅かれるタイプ等々に分かれるのが俳優さんだろうか。

 先日、女優・森光子さんが92歳で他界された。小生は若い頃、「時間ですよ」というTV番組に惹き付けられたことを思い出した。ユーモアのセンスが美貌とアンバランスだったことが印象強かった。

 小生はファンになった。代表作品となった舞台劇も、「一度は観てみたい」の願望だけで現実化出来なかった。舞台劇をテレビで観るだけで満足した。数々の受賞の知らせにも「ファンになった基準」を誇らしくも思った。森光子という女優さんのファン気質の最大の基準は、「第一線での活躍が40歳を超えていた」という唯1点だった。その時点から40年間以上を『人生のひのき舞台』にして大活躍されたことが、小生には堪えられぬほどの「励み」になったことは第二基準である。

 若くして陽の目を見てスターダムとやらを闊歩する芸能人やスポーツ選手にはファン気質に「ふあん(=不安)」が付加されて危なっかしくて見ておれない。夢のような世界に誘われたい気分になれないからである。その人の一生の後半に、他よりかなり遅れて開花した人生には過去の苦労と忍耐が自然の流れとして「演技やプレー」に表出するのだろうと考える。鑑賞や観戦に安心感が伴う。

 森光子・追悼番組を鑑賞しながら、人生後半の華やかな活躍の裏側に「一人の女性としての人生」には他言することを憚るような哀しい生き様があったことも知った。個人情報を細かに知ることは好みとしない。しかし俳優業にはこんな付帯状況も報道されるらしい。有名であればある程に他界後も「今だから言える」報道が後を絶たない。そろそろいい加減にして欲しいとの思いが立ち上がる。これも『ファン気質』そのものなんだろうなぁ。ご冥福を祈るばかりである。

2012/11/16

授業で学校を創る(3)

 ~高校生なら「授業の値段」を付けられる?~

 高等学校の「授業」が学校教育における授業の最終段階だと実感した。

 小中学校の授業を観察することが多いこの稼業を9年も続けている。自らの高校教員としての反省をする機会も無く過ごして来てしまった。僅かな教壇生活(3年間)とは言え、今回の横須賀市立横須賀総合高等学校の授業を観察しながら、自らの授業については猛省させられる機会を得てしまった(笑)。同時に、義務教育期間での「授業の価値観」が全く違うことも体感した。それは、受けている授業の「価値」を高校生なら判断できると確信したからである。「高校生が付ける授業価格(=値段)」について考えてみたくなった。

 需要曲線と供給曲線との合致点が「価格」を決定する。

 この命題を「高校生が受ける授業」の場面で考えるとすればどうなるだろう。小生は次のように考えてみた。

需要は高校生が受けたい授業内容であり、供給は高校生に教えたい指導内容である。市場価格決定の道順で授業価格を計算する。需要曲線が低迷する生徒にとっては供給曲線が高いと価格決定が出来ない。価格が決定されないとなればその市場(=授業)は成立しないことなる。つまり、この高校生には全く意義の無い授業であるとなってしまう。需要曲線がかなり高い生徒にとって、供給曲線が低いと「価格」は暴落である。つまり、この高校生にとっては受ける価値の無い授業となり無意味な授業時間となる。市場は成立していても、倦怠と怠惰で過ごさざるを得ない授業となってしまう。それどころか供給者(ここでは教員)に対する不信感が募る付加価値まで生まれることになる。

当ブログではこの程度しか論述できないが、「授業の経済学」(仮題)での論及も考えている。この論究対象は「高校での授業」しか該当させることは出来ない。「需要曲線」が確立できるのは小中学校での基礎学力の構築が確認できるのが高校生であると確信するからである。

今回の授業観察で、強烈な印象は「聞き合う」力を醸成している高校生の姿勢であった。批判的な考えを培いながら自らの考えを他者に対して述べる光景を見ることが出来なければ「授業の経済学」等の観点について模索することもなかっただろう。小中学校の授業でも、それなりの「授業の経済学」は成立することは考えられるが、需要曲線の不鮮明さが気にならない訳でもない。

経済学の不勉強で、例示に迫ることが出来ないことが致命傷ではあるが、読者諸兄のアドバイスをいただけることを期待したい。

2012/11/15

授業で学校を創る(2)

 ~高等学校だから「できる」授業~

 こんな風景を高校の授業で見ることが出来るのか!?

 こんな自問は9月25日の当ブログでも触れているが、『高校生』という対象集団気質への固定概念が今回の授業でも見事に崩されてしまった。二度目の訪問であったので正しく「ダメ押し」であった。

 全日制の授業は①「福祉科・基礎介護4」(2~3年次履修選択者)と②「数学科・数学1データの分析」(1年次3~4組27人)であった。定時制の授業は「英語」であった。高校生への固定概念(=無気力極まらない授業姿勢)で教場に向かう役職にとっては足取りが鈍るのは人情か?3つの授業観察に共通した感想は、一歩踏み込んで『現代高校生気質』への思い込みが誤解であることが判明したことである。以下に3つの授業観察と所感を記述する。

【福祉科】 「立ち上がりのメカニズムを理解した立位・移動の援助」が本時の目標であったが、小グループで真剣に工夫する全ての生徒の姿勢に感心することを恥ずかしく思うほどの熱気だった。教員の指導力も申し分ない。その教師の指導力を更にアップさせる高校生集団の積極的な学習態度には、前回にも増す「驚き」でしかなかった。私事ではあるが、60歳近くになって必要に迫られて(=義母の介護体験)、この単元の必要性を思い出した。従ってすこぶる私的な視線で見入ったのは事実である。「振り返りカード」も読ませてもらった。「これって、高校生?」と訝しがるほどの丁寧な書き込みを見て驚嘆度も頂点に昇ってしまった。

【数学科】 「批判的精神を働かせ、仲間の意見を参考にしながらよりよい判断方法を創り上げる」を本時の目標に掲げている指導案に目を通しただけで「こりゃぁ、ムリ」との先決を下しかねないのが、現代高校生気質を熟知(?)している者の常識的な尺度ではないだろうか。指導者の発問や指名手法に、高校生が対応しない場面も幾つかはあった。しかし、小グループになって学習する生徒たちは他のグループの発表を真剣に聞き取りながら、話し合いを展開する。居眠りや身勝手な言動等の授業離脱風景は全くない。圧巻は終わりのチャイムが鳴る寸前の男子生徒の自主的な発言(つぶやき)だった。危惧したのは指導者の感性が欠落しているような対応だった。数学的思考力を養成するために教員に替わって話題提供するような内容であった。それに指導者が食いついてくれた。照れる発表者をついにホワイトボードまで引きずり出して男子生徒の持つ「数学的な視点」からの考え方を述べさせることが出来たのである。指導者の人柄を生徒たちが活かして授業を創っている光景は、今まで参観したことが無かった。高校生だからできる「授業づくり」への期待が膨らんだ嬉しい誤算でもあった。

【定時制】 小生の専門分野でもある「英語」の公開授業であった。教員として最後に定時制高校に進学させた卒業生を思い出した。本時の目標が「日本文化を英語でプレゼンテーションをする」ことで、興味関心・表現能力・知識理解にせまる設定である。指導案を一瞥して「2~3人がプレゼンできれば十分」と勝手な判断をして教場に足を運んだ。チャイムはまだ鳴っていない。指導者らしい男性教諭に質問している茶髪の女子生徒を発見して、始業前で、想定が外れてしまった。廊下にいる自校の教員らしい人物にも「これ、どう読むの?」と食い下がっていた男子生徒が、一番に指名されプレゼンのために黒板前に向かう。聞いてくれる相手は外国人講師であった。「2~3人いれば」、との想定をした自らの「定時制で学習する生徒」への固定概念が見事に崩されてしまった。結局、全員が時間内にプレゼンを完了した。しかも、級友が発表している時の聞く態度も非の打ちどころがないのが悔しいではないか(笑)。指導者は自信喪失の傾向があると観察した。しかし、「先生、これで良いの?」「先生、この単語が読めない!」と指導者と頻繁にコンタクトをとる生徒たちの態度に、もしかして定時制高校入学者は「中学校教育における人間関係崩壊」の犠牲者であった」のではないかと胸が痛くなる程だった。指導者の人間性の温もりを感じ取れるのも「高校生だからこそ」できる授業だと感服した。

最後に、本校への2回だけの授業観察ではあったが「得をした」のが小生本人であることだけはお伝えしたい。素晴らしい高校生と出会う機会を与えて戴いた関係者に厚く感謝の意を述べたい。

2012/11/14

授業が学校を創る(1)

 ~「定時制高校に入学した生徒」を思い出して~

 自らの偏見に恥じ入る。現職教員生活37年間は何だったのか?

 『定時制高校の現場』に触れた回数は片手の指でも数えられるほど無縁だった。自らが認知しつつ、根拠のない無気力な授業風景しか空想しなかった今日までの生き様を完全に断ち切られてしまった。このブログでは生の画像や映像などお見せすることはできないが、「観て貰いたい」と切望する授業と出会った。

 上野駅発の終電には間に合ったが、帰宅は午前0時を回っていた。

 学校関係者や市教委関係者の配意で京急久里浜駅を21:08発の特快電車に乗ることができた。今回の研究会は二部構成で「定時制課程」部門があり夜の9時近くまでの日程だった。この時刻の電車に乗れたことから関係者の気遣いがお分かり頂けるだろう。品川駅で乗り換えて上野駅で更に乗り換える行程で上野駅に着いた。常磐線の発着ホームから特急電車が出る姿を見送る羽目になり深夜の帰宅になってしまった。このようなスケジュールには筆舌し難い疲労感が残る筈である。

 しかし、疲労度ゼロ。

1分遅れで発ち去る特急電車を見送る設定条件で考えても愕然とした思いでは疲労感は倍増するに決まっている。しかし、疲労感は皆無。妙に老体が軽い。小生の脳裏には、信じ難い光景の残像があまりに鮮明に生きていたからである。

学習者が授業を創る。
学習者の姿勢が教員に自信と勇気を与える。
高校生という成長した学習集団ならそれが出来る。
授業が学校を創る!!
そんな仮説めいた発想が老脳を刺激していたからである。上野駅の中央改札を通った正面の空間は、都内の駅とは思えないほどの高い天井と広いスペースである。精神状態が悪いと空虚感すら与える。そんな空間で立ち竦んでは疲労度が高くなるだろうに、昨夜はとっくに眠っている時刻にも関わらず凛とした気丈さだった。明らかな興奮状態であった。

ポケットにはカメラを入れておいた筈なのに、授業観察に夢中になってしまったようだ。学校案内のパンフレットを登載して学校の環境だけをお届けしよう。

今朝は第一報として「老脳の珍現象」(笑)だけを紹介して、午後から始まった研究会の授業観察等の詳細は次回にしましょう。





 
【歩禅の記録】
11月14日 9:30~11:00 8700歩
義父の5回目の命日です。早朝歩禅を断ってから暫く不規則な歩禅になり、時を同じくして仕事の連続で歩禅リズムに狂いが生じました。「義父の命日」で立ち直りそうな気配です。お墓参りの道端(畑)に菊の花が「わが世の春」と咲き誇っていました。これから、午睡の時間をとります。
12:05

2012/11/13

名刺の『肩書』

 ~名刺に表出しない人生の経緯~

 講演会場で司会者が紹介する小生の横顔に毎回苦笑してしまう。

 「講演活動でご活躍中です」の表現には毎回の赤面で、耳にもタコが出来てしまったようだ(笑)。控室では主催者の方に挨拶代りに名刺を交換させてもらうことも多い。名刺にある文字(=現在の職位等)をじっくりと読み取ることは無いが、当方の興味は、現職までの人生の経緯を知りたいことに集中する。雑談の中で少々は満足できるが、多くはその程度でその後の追及機会も無い。しかし、退職後の自らには良い刺激を貰える素晴らしい時間であることには間違いない。

 今日は9月に事前訪問した横須賀市立横須賀総合高校への本番・出講である。現代高校生気質への「先入観」の間違いを指摘された授業風景を思い出している。二度目の訪問には「高校教員対象の指導講話」が課せられている。依頼の原点が面白い。「名刺には表出していない経歴」、つまり、以前に「高校の教員だった」という小生の人生の僅かな経験が今日を演出しているのだから「人生の経緯」も侮れないと言うのだろうか。

 23歳で教壇に立った。そこが高等学校だった。しかも、僅かに3年間だけ。指導・講話』をする講師人材としては間違った人選である。つまり小生は不適格者と言うべきであろう。

 講師をお引き受けした張本人が、当日になって今更何を言うのか。自問すると先述したところに答えが隠れている。決して泣き言を言っているのではないことだけは読者諸兄にはご理解いただきたい。今日も、今日の会場に一歩足を踏み入れた瞬間の直感で話題を展開しようとは考えている。「私には3年間しか高校教員の経験しかないので皆さんにお話できるようなこともありませんが・・・」という類の切り出しだけは決してしない。なぜならば、「だったら、こんな所に来るなよ。」と言われても返し様がないからである。きっと、小生の方が沢山の学びを得て帰って来るに違いないからである。

 そんなことを考えている内に当日になってしまった!!行ってまいります(笑)。

2012/11/12

ラジオを聴きながら

 ~眠気を覚ます番組~

 女子プロゴルファーの樋口久子さん。

 前々日からの混んだスケジュールで疲れて、珍しく布団に入ったままでラジオを聴く状態の朝。こんな朝は、決して無理はしない。今朝がそんな状態であった。眠い目をこすりつつ起床しなければならなかった現役労働者時代とはこんなところが大きな違い。

 「改革をすることに躊躇は禁物。しかし、実績と実力が無いと改革は出来ない」と言い切る口調を、微睡む老脳は、「偉そうに言いやがって・・・」と濃霧の中で聞き取っているような言葉でしかなかった。その後、改革の申し子としての若い女子プロゴルファーが誕生したことの説明だった。従来のプロテストを回避してプロ選手を創ったことの経緯を聞き取った瞬間、老体に「起床ラッパ」(=決して実体験があるわけではない)が鳴り響いた。眠ってなんかおれん!!とばかりに布団を蹴とばした。

 樋口女史の言葉は、布団を片づける疲労体に追い打ちを掛けた。

独断と偏見が新しい世界を産む。彼女の経営理念に唸ってしまった。プロ選手を多く産出することによってファン層も厚くなる。従来のプロテスト方式に固執すれば従来と変わらない。ファンが多くなればスポンサーも見逃さない。TV画面に魅力ある「若いプロゴルファー」が映し出されれば視聴率も確保できる。ゴルフ場のギャラリーも増加する。理念を具現化するためにも、女子プロゴルフ協会の会長としての英断を自らに迫ったのだと対談は続いた。現状までの苦労話は一つも無かった。

 プロテストを受けずにプロに成れる。未踏の「理念の実現」に挑んだ彼女の識見に驚きながら妙に納得している自分に気が付いた。宮里藍・女子プロゴルファー誕生の秘話が決め手であった。この選手を皮切りに多くの若い女子選手がプロとして活躍し始めたことはゴルフを知らない小生でも「名前と顔」が一致するほどまでになっている。ゴルフ関係紙だけに拘らず、週刊誌や月刊誌、あらゆるマスコミを虜にするような取り組み姿勢を淡々と語る口調には説得力があった。

 トップリーダーのあり方を考えさせられた。
 つい先日届いた月刊誌の誌上対談で五木寛之氏の言葉と重複した。80歳の齢を超えた氏が、「ただ長く生きるだけでは意味が無い」と、自覚の養生論は、まさにトップリーダーとしての自己研鑽の必要性と自ら選ぶ生き甲斐に言及している。樋口女史のリーダー論も同質であると感じるに長時間は要しなかった。朝の僅か数十分間の思考である。目覚めを促してくれたラジオ番組に感謝である。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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