2012/12/08

一枚の(喪中)葉書

 ~新米校長の日々を思い出しながら~

 年の暮れの風物詩、というには無神経でしょうか?

 今年も喪中の葉書が届き始めました。一枚一枚丁寧に目を通します。そして関わりの深かった方のご逝去を知ると、その当時を映す走馬灯が回転します。知人友人のご両親だったりご兄弟だったりと対象の違いはありますが、同様に寂しくなられた関係者の心境が伝わって来ます。

 帰宅すると机上に置いてある郵便物を整理します。ホンの数日間だけでも家を空けると、この時期は各種の情報がたくさん届いています。今回は、高知から帰って、いつものように届いている葉書や封書を手にして確認をしました。数枚の喪中を知らせる葉書の中に一枚に目が釘付けになってしまいました。

 妻 ●●が2月17日に55歳で永眠しました。

 差出人は当然ながら旧知の仲です。むしろこの奥様を通じて知人となった差出人ですのでお名前と享年の文字に16年前の「出会い」が走馬灯に浮かんできました。新米の校長として着任した茅ヶ崎市内の小学校でした。当時のPTA役員をしておられたのが奥様でした。ご長女が5年生でした。校長在職は2年間だけでしたのでご長女の卒業と同時に小生も現職を去って市教委に異動しました。

 市教委の卓上の電話がなりました。差出人からの講師依頼の電話でした。日本公文教育研究会(=通称「くもん」)の役職としての講師招請の内容を電話で請けました。差出人とは校長在職中には会っていません。

 中学生になっているご長女の推薦があったらしく、この前夜、小生の自宅に電話を掛けられたのが奥様でした。公文研究会で公立学校の校長先生を講師としてお招きして「学校教育の現状について(仮題)」として、指導要領の大幅な改定についての『学習会』設定しているという現況を聴きました。「日程さえ合えば」、とお請けして、実現しました。

 業界関係の難しい事はここでは省きましょう。

 単身赴任している父親が、赴任先から、PTA役員をしていたご自分の奥様の尽力を求めた電話がきっかけだったようです。ご長女が「角田校長先生なら大丈夫!」と太鼓判を押して電話の向こうの父親に推奨したと言う前夜の動きがあったようでした。そして、その伝道者(仲介人)が奥様だったという訳です。

 こうして老脳でも記憶を明確に弄ることが出来る程、強い絆のあるご家庭でした。お請けした講師が縁となって2006年から5年間日本公文教育研究会でお仕事をご主人と一緒にさせていただきました。教員とは異質な公文指導者との関わりも出来ました。5年間の実働の中で、素晴らしい指導者の方々と多くの人間関係を結ぶことが出来たのです。

 ふと、「ちょっとした出会い」の大きさに思いを馳せてしまいました。

900人もいた小学生の中の一人の女児が差し出した縁の紐を、母親から父親に伝えられて、そして、きっちりと結んでもらったご家族です。

 老妻も記憶していました。
 お若い人生の終わりを二人で惜しみました。そして、あの女児も大学を卒業して社会人として活躍していることは、父親から「その後の情報」として得ていました。何歳になっても親との生別は辛いモノだろうと推察しているところです。心よりご冥福をお祈りします。

2012/12/07

筋書きのない人生ドラマ

 ~思った通りにいかないのが醍醐味~

12月6日の内容に 【続き】
 どれほどの学校で、この「研究会」と称する(学校により名称は不定)時間を共にしただろうか。退職してこの業務(?)に就いた小生にとっては、現職時代への「恩返しの真似事」の自意識で務めて始めたような気がする。もう9年間が、しかも惰性のままに過ぎようとしている。

 生温かった!

 それは、ある種のジレンマにも似た未成就感であった。数年来同一校の訪問を続けて指導助言を与えながらも、自らの学校実践とは程遠い路線を歩いている状況を再発見して愕然とする。この業務を始めて来年は10年目を迎える。最近の脳裏には「成果が表出しない」責任は自らの指導力の限界、と自認する言動も浮上し始めている。

 節目を理由に、稼業に見切りをつけて「足を洗う」心境にまで達している。

 今回の高知訪問の前にはそんな思いがひとしきり強かった。それは、今回の訪問小学校の研究部主任からの情報が前回訪問のお礼メールを着信して以来全く届いていなかったからであった。学校の現状を知らずして数か月ぶりに訪問する「継続訪問指導」は拷問の中に突っ込んでいく心情だったのである。「主任にも苦労をお掛けしている」のでは?校内現状を推察すると、身体は空を飛んで高知入りするのに心内には不整脈の鼓動が音高く響いて足取りも鈍くさせてしまっていた。

 ホテルに荷物を預けて、訪問校までの行程を『歩禅』に充てることに決めた。路面電車の通過を横目にしながら一心不乱に歩いた(5000歩)。全身がポカポカして来ると老脳にも血液が巡るようになる。歩きながら考える。これが我が歩禅人生である。くよくよしても打破は出来ない!!歩数を重ねている間に、生来の能天気精神が蘇り玄関に立った時は「受けて立つ」心境にまで達していた。

 研究会は前回の指導を忠実に護るべくデザインされて始められた。

 付箋紙に記入した観察記録が模造紙に貼られ、司会者の進行で最初の記録者の観察状況の報告となった。3人の教員が観察者の代表だった。2人目の発表を講師席で聞きながら、いつの間にか立ち上がっている自らがあった。想定以上の取り組み方に感動したからである。「このままでは全国の二の舞に・・」と危機感に脅かされて立ち上がったとしか言い様がない。筋書きのないドラマが始まった(笑)。

 そして、助言指導を始めた。

 当ブログでは研究会の詳細に触れることはできないが、教員集団の「喰い付くような」視線と、指導助言に対する「確認を兼ねた発言」も飛び出して講師冥利の昂ぶりも頂点に達した。「とっくに説明すべきだったのでは?」、との後悔も無きにしも非ずではあった「今回で良かった」と結論を出した。『機が熟していた』ことを自らに言い聞かせて、満足感を飛行機に載せて帰宅した。

 そして、今朝。

届いた主任教諭からのメールで研究会終了後の情報を得ることが出来た。次回の訪問が楽しみになった。より質の高い指導助言の準備をしなければならない、と意気込む爺本人が苦笑している朝である。

達者でいる内は、愛しい全国の後輩教員諸兄に『元気の出るエール』が贈れるように自己研鑽を深めることにするか!!との結論が出て爽快な気分になれた。高知の先生たち、ありがとう。

2012/12/06

『使命感』に潰されそうな学校訪問

 ~タイミングが難しい「指導と助言」~

 勤務校であれば言えるセリフも訪問先の学校では、そう簡単に言えるモノではない。ややもすると、小生の考えを押し付けていると受け止められては不本意なので躊躇してしまうのである。

 今回の訪問校(昨日)の高知市の小学校でも同じだった。

 通常は一人の教師が授業を公開して、その授業を校内の教員が全員で観察して感想を述べ合ったり意見の交換をしたりして授業を検討する会が開かられる。それを「校内研究会」と業界では呼んでいる。小生も10年前までは「渦中の人」であり、公開された授業を中心にして現職の教員の資質向上に活かすべく真剣に取り組んだのがこの研究会であった。最高責任者としての任を果たすべく工夫も凝らしたものだった。自校の教員への指導は軽く(厳しい)言葉をかける事は容易だった。

 10年を経た今、小生の稼業は「訪問・指導」として外部から出席して責任あるポジショニングを得ている。指導助言や講話・講義・講演と役回りが広がっている。全国の小中高校の授業参観(=小生は参観とは思っていない)を毎日のように繰り返しながら稼業としている。1回だけの訪問で終わった学校も少なくは無い。しかし、多くは3~5回は連続して招請がある。責任重大な「使命感」を忘れてはいない。

 今回の訪問校も4回目だと教頭先生が確認してくれた。4回も訪問している学校でも「言えるタイミング」を掴むのは非常に難しい。授業を参観する意識しか持っていない教員の視線は研究には程遠い。授業を観察する意識で児童生徒を見詰めると授業への評価も浮かんでくると確信しているが、その浸透は至難である。しかも、教員同士の「馴れ合い」から生じる軽言は「傷を舐めあう」発言で終始してしまう。そこには期待される教師間の切磋琢磨は無い。歯が浮くような授業者への謝辞を淡々と述べる教員も多い。外部からの依頼された参加者には焦燥感が漂う。

 どこで、何から切り込んで研究会を活性化するか?

 結局は生命線に触れることも無く何回かが過ぎてしまうことが多い。しかし、今回の訪問校では4回目までの経緯として「教員集団の意欲」が息づいているのがわかった。数回の僅かな小生の助言を、ものの見事に「自分たちの手で」作り上げようとする姿勢が伝わって来たのである。

 公開授業(=小生は「提案授業」と言う)は1年生「算数」であった。まさに「提案授業」となったのも好機を編み出すことに繋がった。訪問校では「事後研究会」と称して着実な足取りを残して小生(=指導助言者)を待ち受けていたことになる。つまり、前回までの助言を忠実に実践することに全校職員の意向が動き始めたように映ったのである。

事後研究会(=本校では「事後研」と言う)が始まった瞬間、「このまま進めてしまったら彼らの素直な取り組みがトンネルから脱出できなくなってしまう」と、脳裏に潰されそうな使命感が蘇った。そして、研究部が編み出した「事後研のデザイン」を遮ってしまって無謀なばかりの「指導助言」に踏み切ってしまった(笑)。

 熱心に聞き入る教員集団の視線が、授業者を見詰めていた本校の子ども達の視線と一致した。たちまち講師としての情熱が熱弁に乗り移ってしまったのである。【続く】 

2012/12/05

歩禅の記(6)=12月4日=

 ~雨上がりの青空を歩く~

 久しぶりの歩禅に出向く。

 午前中からの冷たい雨があがって午後2時ごろから西の空が明るくなった。陽が射しこんで来ると障子も開けたくなってしまう。茅ヶ崎に住んでいる時にはそんな意向があっても容易に障子の全開はできなかった。しかし、当地では東側も南側も畑と栗林、更に西側のお住まいのご一家は夕方にならないと帰宅されないので今日は西側もフリーとなる。北側には窓は一か所しか無いが、窓はいつも全開である。他人の視線を気にして過ごした茅ヶ崎が時として懐かしくなるのも変である。

 老妻は直ぐに洗濯物を陽射しに向かって干し始める。「久しぶりに散歩に行くかい?」と声を掛けるとOKサインであった。母屋の戸締りを済ませてからの出発時刻は丁度3時であった。

 歩き慣れた田園地帯をのんびりと歩きながら西の空を眺めて、思わず歓声をあげてしまった。雨上がりの澄んだ初冬の濃い青空に、筑波山がくっきりと、しかも稜線まではっきりと見えたからである。茅ヶ崎から眺めた富士山との比較は可能であるが佇まいが異次元である。しかし、不思議なことに同じ方角に坐していることが何とも言えない。形や高さは違うが「故郷の山」の持つ郷愁にも通じる風景である。話題には何回も取り上げる筑波山には未だ登っていない。

 田圃道はまだ水たまりがあるので舗装道路を遠回りしながら約50分間の歩禅を終えて帰って来た。6000の数字を歩数計に見つけながら「歩いたぞ~」との気分になり満足の夕暮れを過ごした。  【記録 15:00~15:50 6000歩】
 
*****今日はこれから高知市へ出向します。楽しみな学校の訪問です。帰宅したらご報告します。ご期待願います。それでは行って来まぁ~す!!*****
 

2012/12/04

笹子トンネル上り線、復旧のメド立たず

 ~「メンテナンスの重要性」を考える
123()2229分配信  トンネル崩落事故から一夜明けた3日、トンネル内で天井板などの下敷きとなった車両3台は搬出され、救助活動は終了した。今後は、がれき撤去作業を本格化させる
このネット記事に視線をやりながら考える老脳はいつもの通りワンパターンの思考の世界に没してしまう。教育界一筋(=しか知らない)の小生には、一般社会での事件や事故の情報に出くわしても常に希求するのは、「学校教育で考えれば・・・」の視点からである。

今回の中央高速道路のトンネル崩落事故の報道に接して、建設工事の「やりっ放し」のツケが9人の尊い人命を奪ってしまったと考えてしまったのは性急な結論だろうか。情報に因れば30年以上もの間、「長距離のトンネル」へのメンテナンスは考慮されていないと推察される。異業種なのでこれ以上の追究することは小生には不可能であるので、自らが携わった業界に置き換えて考えてみることにしよう。

当然ながら異業種の話題を無理に転換するのでそぐわないことも多いと考えられる。このことは十分にご理解願いたい。

どこかの誰かの実践に目を奪われて新しい試みで教育実践に挑むことがある。つまり「隣の庭に咲く花はきれいに見える」心情に駆り立てられる実践である。垣間見た指導技術と高い評価を受けている授業実践が、その指導者のきめ細かなデザインに基づくモノであることを知ることもない「偽装実践」者が陥るのがメンテナンスの欠如ではないだろうか?

やりっ放し!やらせっ放し!!

日記(=毎日欠かさず記す)を書くことで「書く力」がつくことを、偽装実践者であっても十分承知しての指導である。ところが思うように成果が出ないとわかる(=本質がわかっていない)と中断してしまう。成果や結果は、偽装実践教室から卒業しても「日記を書く」作業が続いて初めて本人がじんわりと気が付いた時にじっかんするのであることもわかっていない。「書かせっ放し」では学習者も持続力は増さない。一流の授業実践者は「課題へのメンテナンス」を施しているのである。課した作業の本質とその目的に根ざしたメンテナンスは学習者への指導者の愛情ではないだろうか。毎日課している作業であれば、課した指導者も毎日何がしかのメンテナンスは必要であると確信しているのである。

設計図通りに建設工事が完了して、30年以上もの間、事故も無ければメンテナンスへの配慮も忘れるだろう。「忘れた頃にやって来る」のは何だろうか。自然界の変化は専門家でも読み切れない昨今の異常気象である。異常気象現象は学校教育界にも、30年前にはなかった「理不尽な言動で学校に不満をぶつけて来る親」の現象として表出しているではないか。この親集団は30年前の学習者ではないか。メンテナンスを忘れた学校教育のツケは確実に「負の成長」を遂げている(苦笑)。

今回のトンネル崩壊事故はたんなるメンテナンス不足とだけでは説明できない。自然界の異常がトンネルの上にある山や丘の上にも及んでいることへの配慮が無さすぎるとしか言い様が無い。

自然界の異常は人間界の生活にも異常を来たす。学校教育界も、人間としての「根の養い」が本質であることに気付かないと今の学習者の30年後を救うことができない。「やりっ放しの教育」と暴言されることの無い授業実践に目を向けて欲しいのである。

2012/12/03

子どもの視線に映る大人の姿

 ~「手本」には成れなくても「良い見本」には成れる~

 早朝のTV番組に「テレビ寺子屋」というのがある。老妻が決まって視聴しているプログラムではあるが、小生には「耳を傾ける」ほどの興味関心をなかった。昨日までの疲れが、早起き鳥の老体の起床状態を鈍くさせていた。そこに、耳に飛び込んできたのは「父を語る」子息の言葉だった。何回となく繰り返される「父は・・・・」のフレーズに身体の疲れは大脳には無関係だろうか。言葉がビンビンと大脳を刺激して来た。語り手が発する父親とはあいだみつを(=詩人・書家)氏の事であった。

 『奪い合えば足りぬ 分け合えば余る』の詩の一節をご子息が、東日本大震災直後に、このフレーズの印刷を数多くの関係者から注文が殺到したことを説明されていた。この現象は阪神淡路大震災直後に被災地から起きたモノとそっくりだったとの言及だった。老体は床に起き上がり老妻の視る画面を一緒に見詰めていた。

 大震災直後の外国で起きる略奪・暴動事件を良く目にしたり耳にしたりするが、我が国では起きない(と、評価され外国人には奇異に見える光景らしい)。しかし、外国からは見えなくても、国内での市場の荒れ方には「大人社会の現実」を確実に次世代に映して見せている。買占めや売り惜しみの体たらくは、外国人には透視できないにしても国民感情の中には見苦しい様である事は常識としても受け止められている、と確信している。

 子どもの目に映る大人の姿。あいだみつを氏親子のような関係はそう簡単にできることではないだろうが、理想として追求する事には値すると考えたい。ご子息は父親の作品を管理する美術館の館長としてご活躍であるが、「手本になる」親の後ろ姿を見詰めながら「父が生きていたら」の視点で経営に励んでおられるようだ。人が育つには「手本」は欠かすことは出来ない。一方では「見本」も在って良いような気がしないでもない。

 『奪い合えば足りぬ 分け合えば余る』の詩の一節を、ご希望の被災者支援団体のために無料でダウンロードできる準備をされたという、ご子息の語り口にも子どもの視線は無視できないと実感した。

 小生は教員稼業しか知らないので軽税原理上での議論は闘わせることは出来ない。しかし、「利益や効率」主義だけが罷り通れば人道主義は風の前の塵に等しくなる。哀しくなるのは小生だけではあるまい。教育の世界は「人を育てる」ことを第一義に考えるべきであると信じて疑わない。学問への誘ないは教師の指導力として重要な任務である。しかし、人間性を喪失させてまでも「成績」だけを追求することを学校教育に求められれば100年後の日本には、あいだみつを氏の「詩の世界・禅の世界」に希求された人間の生き様は垣間見る事すら不可能になってしまうのではないだろうか。

 つい先日の広島市の小学校で授業観察をした感想を当ブログでも述べたが、一人だけの教師が一人だけの理念と指導法で授業をやっても、どの学級でもあんな風にはならない。そこに集う全教職員が「一丸となって」取り組むところにしか成果は生まれない。当校は「図書館研究大会」に運悪く遭遇したこと(笑)が、実に時機を得た効果に至ったのだと小生は気が付いたのである。

図書室という「学校文化の殿堂」には、教員ではない職員が臨時的任用者として配置されている。勿論、有資格者(=司書及び司書教諭)ではあるが、黒板を背に奮闘することの無い職員である。現代っ子にとっては「ホンモノの先生ではない」職員であれば、怖いもの知らずの状態で無法地帯になる場所にもなってしまう。書物への悪戯や落書きは後を絶たないらしい。これは全国の多くの小中学校の現状ではないだろうか。当校の図書室は自然体で、尚且つ温もりのある歓迎ムードである。ここにも当校に勤務する教員集団の子どもへの指導(愛情)を感じる。

一人のオトナが全ての面で「手本」になることは難しい。しかし、出会った全てのオトナが一丸となって「良い見本」になることぐらいは目標にしても子どもには笑われるまい!!

2012/12/02

「教師と子ども」の関係

 ~育てなければ育たない!?~

 今回の広島遠征(笑)では奇妙な心理状態に追い込まれてしまった。

 小学校で2つの授業観察をした。2つの授業を観れば比較も出来るので批評もし易い。トレードマーク(と評価されているらしい)の辛口指導もし易くなるモノである。4時間目に4年生の「道徳」の授業を観察して動顚していた小生に、5時間目の5年生の「算数」の授業では後頭部を鈍器で殴られたような気分に追い込まれてしまった。そして、全校児童を帰して特別設定の「講座(=講義」の席が用意されていた。

教師の顔と名前が繋がる程にこの学校には通い続けているこの学校からは講義内容への「要望・意向」は伝わって来ない。学校現場を熟知している管理職から「今、こんなお話を・・・」というヒントも届いたこともない。

 この学校では11月初頭に県レベルの研究発表会を担当したばかりである。ホッとしたのも束の間に、校長から指名された(らしい)二人の教員は指導案の作成に掻き立てられたことだろう。同情に値する(笑)。大きな研究大会までの苦労も察知しているので授業者が気の毒にさえ思えるのも同業者の欠点かも知れない。

 授業観察後には、温情も緩慢な評価も、その気遣いなどどっかへ吹っ飛んだ。

 それは、以前に垣間見た「子どもの視線」を比較できたからである。教師の誘う発問に喰らいついている眼光の鋭さに度肝を抜かれてしまった。2つの教室とも始業チャイムが鳴る前に教室に入ったが「異物を呑む」体は無かった。つまり、「見せる・観られる」というぎこちなさは子ども達の表情には無かった。教科授業が始まる前の「休み時間」に読書をしている児童がいた。チャイムが鳴ると直ぐに片づけて授業への臨戦態勢に就くのも早かったのにも感動した。自然体として育っていた。

 授業が始まる。

 「授業の成否は教師の初発の言葉にある」とは、小生の低レベルの授業哲学である。両教師とも初発の言葉を支える「準備資料」が片手にあった。聴覚だけでの初発の言葉は、児童の学習意欲を啓発させるには心もとない。教師の手にある「モノ」は視覚に有効な刺激を擽る代物であるから「子どもの目」を輝かせるのである。

 たかが45分間、されど45分間。短くも長くも感じる時間であるが、恐らく多くの子どもにとって「長くは感じなかった」授業であったと確信している。道徳的価値観を指導することは「押しつけに」終始しがちである。しかし、それを自身の作文力で書き込んでおくことが出来る4年生の『書く力』の指導が浸透していた。育てた教師力を実感して脱帽であった。4年生でここまで書ける!?と。

 平行四辺形の面積の出し方を、自作の学習プリント(=現代ではワークシートと表現しているようだ)を配布して切ったり貼ったりして「自らの」考えを発表する授業形態に、「教師と子ども」の協働を思い知らされた。5年生の算数、ともなれば一定の学習拒否団が存在しても不思議ではあるまい。現存するのだろうが授業風景の中には映っていない。

前述したが、大きな研究発表大会を終えて1か月も経たない、謂わば「空洞的な時空」に、小生を招請しての授業研究会に「提案授業」をやらされる(笑)のは悲劇としか言い様が無い。その授業者が、資料を手作りにしてオリジナルな授業づくりに取り組んだ涙ぐましい努力には敬意以外表し様がなかった。教師の素晴らしい人間性を見た。その姿が「子どもが育つ」原動力になっているのだろう。

小生には稚拙な教育哲学も幾つかある。その一つが『育てなければ育たたない』である。こんな話を紹介しよう。

 授業参観の後で、保護者に向かって「素晴らしい子ども達と出会って幸せです。そんな子ども達から毎日たくさん学んでいます」と慇懃な挨拶をした若い教師がいた。その教師に向かってある母親が「給料を子どもに返してくださいよ?」と対応した。

この話題は双方(教員と保護者)の当事者からの報告で知った校長は苦笑から失笑に変わった。他愛のない会話から小さな教育哲学が生まれたのである。「育てる意識の土壌にしか育つという芽は出ない」と確信したのである。「育てる」のは大人である教師であり、その活動が及んで「育つ」の子どもである。

今回の2つの授業では、「成長した教師」が自らを成長させる努力ぶりが「及んで」45分間を頑張り抜ける「成長した子ども」を創っているのだと断言しても過言ではあるまい。

この小学校の教師集団の成長の水源地はどこにあるのだろうか?推察するまでも無い。小生には十分すぎる程納得している結論が浮かんでいる朝である。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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