2012/12/15

かなり早い『仕事納め』

 ~充実感で終了できましたが・・・~

 後輩教員が校長を務める小学校への出講が「本年最後の仕事」でした。

 勇んで出発した意気込みの「鼻をへし折られ」ての到着となりました。開演時刻の5分前に学校に到着するという滅多にない訪問日でした。常磐線が途中の駅で臨時停車して上野駅で乗り換えようとした京浜東北線が満員で『積み残され』てしまいました。到着した山手線もぎゅうぎゅう詰めで背負って乗ってしまったリュックが他の乗客に迷惑をかけてしまったようです。身動きの取れないまま乗客との間に挟まったコートを引き動かしたりして立つ位置の確保に苦労しました。その際でしょうが、コートのポケットに入れていた買ったばかりの革製の手袋(片手)を車内に落としてしまったようです。帰路で気づいたのです。二つ目の駅・秋葉原で山手線も停車したまま動かない。有楽町駅で事故が起きたらしい。弱り目に祟り目!泣きっ面に蜂!!お先真っ暗!!!

 予定した東京駅始発の東海道線が30分遅れの電車になってしまいました。

 こんなことは良くある事ですよ。開き直りの天才(自画自賛)には影響はありません。しかし、講演の終了時刻は定刻だったのは何故でしょうか(笑)。

 講演の様子は主催者代表から届いたメール(以下)のご紹介で代替えしましょう。 

角田 明先生
 電車の事故にも関わらず、「定刻」を目指される角田先生の後ろ姿をあわてて追いかけるしかなかった私でした。本日は誠にありがとうございました。 PTAから持たされている会長専用携帯が、今までになく活躍した一日でした。すぐ対応できず申し訳ございません。混雑する電車の中、随分長い時間やきもきされたことと思います。今回の講演では、電車遅延のおかげで特に時間についての考え方が印象に残りました。「時間にゆとりがあると見るものが見える」「時間を上手に使うと人間が変わる」「定刻に来た人を大事に」この言葉を思い出し、普段の生活やPTAの会議に臨みたいと思います。子育てに関しては「子育ては失敗だらけ」で心が幾分軽くなり「怒ると叱るは同じ」「子どもが親になった時に親の教育を評価する」で激しく同感、「その子に合わせていける力量を親が蓄えておく」「気にはしながら咀嚼していく」にはそうなのか、と考えさせられました。片時もボーっとすることなく、この様に先生の言葉をメモ出来た自分にも驚きましたが、伏線を張られる話術には舌を巻きました。全神経を傾けて聞くとはこのことかと実感した次第です。【後略】・・・・ 

ともあれ、今年の請負事業は全部完了しました。

高齢者になってきたので、体調の不良等の突発性事情は予測できる。主宰者にご迷惑をお掛けする事だけが気がかりであることは本音である。お陰様で今年も「一度のドタキャン」もなく任を果たすことが出来たことだけでも満足しています。内容やレベルの問題は、「今日の時点」では触れないままでご勘弁願います。

来年の「出講依頼」が3通も今朝のメールチェックで判明しました。やっと終わって安堵したのは昨夜で終わりました(笑)。

2012/12/14

また、訃報が届いた

 ~「1つの時代」が消えて逝く~

 18歳になった春。

 高校を卒業して故郷を離れる青年の両手を持って「達者で頑張らんといかんぞ」と声を掛けてくれた叔父。その訃報が届いた。父の顔も写真でしか知らない甥っ子の旅立ちに、誰にもわからないようにポケットに「餞別」と書かれた封筒を突っ込んでくれた叔父が逝ってしまった。

 中学生になっても本当の叔父だと信じ切っていた。高校を卒業したら上京するという小生に、ある時、母が事実を教えてくれた。実家の直近に叔父の家はあった。従弟妹が二人いて幼友達だった。「いとこ」ではないことも衝撃として知った。

 祖母の妹さんが妊娠したが結婚が出来ない事情で産んだ、のだと聞いた。つまり、父親と従兄弟関係になることを知った。祖母が引き取って末息子として戸籍に入れたのだと「オトナの情報」も受け止めてから上京した。小生も兄姉も「叔父ちゃん」として慕って成長したことは確かな事実である。

 戦死した父の事をアニキと言って明るく楽しくアニキとの思い出話をしてくれた。歌も上手で、当時の青年団の舞踊でも活躍していた姿が浮かんできた。得意は「田端義男」という歌手の歌とその踊りだった。大利根月夜唄(?)の、「♪♪あれをごらんと指さす方に・・・・・♪♪」の節回しの歌いぶりが浮かんできた。

 ラジオ深夜便の午前3時からの1時間は「歌番組」である。

 叔父(と今でも心底から慕っている)の訃報を昨日受けたばかりの今朝、3時台に流れる「日本の歌」が、何と田端義男特集の放送ではないか。この時間は、目は覚めているが未だ布団の中に居て暖房が出来るまで寝ながら聞いているのが毎日である。そこに叔父を彷彿とさせるようなメロディーが次から次へと流される。涙が枕を濡らす。一緒に冥福を祈ろう、と言わんばかりの放送であり、有難い。叔父がそっと持たせてくれた「御餞別」を思い出すと涙までが温かい。こぼれる涙を止めることが出来ないので布団の上に座り込んでしまった。

 あ~、また「一つの時代」が消えてしまった。

 数年前に帰郷した折には、もう叔父は自宅には居なかった。老人ホームに入所していると聞いて面会もせずに戻って来たことを悔いる。そんな朝である。所詮、『別れ』とはこんなモンか!叔父の冥福を祈りつつ今日の行動開始である。

今日は、今年の「仕事納め」の出講である。そろそろ準備でもしましょうか。

2012/12/13

ネットショッピングの後始末

 ~利器のミス処理は、利器で~

 通信機器の威力には「着いていけない」と諦めていましたが、やってみると「案外に大丈夫だぞ」との思いに辿り着けたような気分になりました。ところが「やっぱり、厳しいなぁ」の心境に不時着状況になった事実を笑顔で報告します。

 ネットショップに指定されたとおりに「銀行からの払い込み」に行きました。

ここにもATMという利器が何台も取り付けてあります。順番を待つ行列を見て躊躇する心境が「高齢者の証」なのだそうですが小生は挑むことに意を決しました。順番が来たので気を取り直して「振り込み」の文字をタッチしました。キーボードの画面から振込先銀行名を入力します。順調に進んでいた筈の処理状況が「ハタと」止まります。間違いに気付いたからです。「戻る」というタッチパネルを拒んでしまうのです。「遅くなって、待っている人に迷惑を掛けてしまう」との罪悪感を感じる優しさが(?)が妨害するのです。しかし、それは前回までのことです。今回は数回「戻る」パネルを押しつつ最後の段階まで来ました。

 「依頼者名」を入力します。プリントアウトした先方の業者(担当者氏名)が目について「支払いを依頼している人物と勘違いしました。払い込みの依頼者は「わたし」でした。勘違いで先方の名前を打ち込みました。「戻る」をせずに上書きしてしまいました。しかし、通帳から引き落としの一連の作業も終わり通帳には確かに「引き落とし」された金額が印刷されていたのでホッとして帰宅しました。いや、「やったぁ~」の充足感で家に帰りました。夕方になってパソコンで振込完了のメールを期待して画面を見てガックリとしてしまいました。振り込まれていないとの返信だったからでした。

 埒が明かないので、昭和の利器(電話)の出番です。

先方に電話をして事情を話をしました。依頼者の勘違いを伝えると「良くあることですよ」との優しい対応で先方でコンピュータ処理をしていただくとの応答でした。程なくメール画面に「入金の確認が出来まし」、との文字を読んで全身から力が抜け落ちました(笑)。

 平成の利器の不始末は、昭和の利器がやってくれました(笑)。

 一苦労をしましたので「次回は大丈夫!」と挑む心を持つ怖いもの知らず、が小生の特徴、いや特長なのでしょうか?能天気な性格の裏付け証拠をここに提出いたしまして今朝の報告といたします(笑)。

2012/12/12

投函した『年賀状』の回想

 ~♪♪あわてん坊のサンタさん??~

 老脳にも「そろそろ年賀状を書かなければ・・」との焦りも湧き起って来ているところでした。下記の受信メールを読んで懐かしい「ある光景」が蘇りました。
 
2012-12-11-22:52発信

年賀状の作成の時期になり早々と友人から作成が終わったという情報が入ってきていました。「我も早速取り掛からなければ」と思い先週から取組んで月曜日に完了しました。間違いがないことを確かめ投函するため郵便局に向かいました。今年はポストに年賀状専用の張り紙がしてないなあと思い、枚数もまあまああるので窓口に行き「お願いします」というと、局員が「どうされるんです?」と聞きました。「出すんです。」(なに阿呆なことを言うんや!出すに決まってるだろ!との思いで)というと、「受け付けは、15日からです。」と言われてしまいました。阿呆なのは自分だったことが恥ずかしくなりました。たまに早くやると、このようなおっちょこちょいなことですね。 

他人事では御座いません!(苦笑)

それは、ずっとずっと昔のお話です。何がどこで間違ったのか、年賀状が早く仕上がった時がありました。そのことをごく親しい友人に誇らしく電話をしました。先方は、ただ「凄いなぁ!」と感嘆の返事をくれました。時間にゆとりがあったので、県別に仕分けして輪ゴムで束ねました。それを1つにまとめて、バカ丁寧に差出人まで明記しました。事務処理満点とばかりに意気揚々と近くのポストまで行きました。

例年になく年賀状が投函できた優越感(?)、いや充足感で満ち足りた生活をしていた所に、投函した翌日、郵便物の配達に来た局員が、どこかで見たような白い用紙で束ねた物体を持って玄関先に立っていました。

「まだ、受付をしていませんので、失礼とは思いましたがお持ちしました」と、丁寧な言葉で「投函した年賀状」がそっくり手元に戻されてしまいました。商売用語とは言え、丁寧な言葉だっただけに勇んでいた矛先をへし折られたような気持になってしまいました。その時、「慌ててやるもんじゃないよぉ~!」と肝に銘じました。そして、普段は「余計なひと言」の多い自らが悔やんだのでした。友人に「これから投函するんだぞ」と余計なひと言でも自慢していたら、一人ぐらいは「まだ、受付は始まってねぇよ!」とアドバイスして(笑)くれただろうに、と。

友人からのメールを読んで、早朝の静かな書斎で、独りで苦笑いになりました。そして友人への親近感が益々深くなってしまいました。ちなみに、今年もまだ、全く手つかずの年賀状が目の前に鎮座していらっしゃいます。全国の読者諸兄の「年賀状作成」の進捗状況はいかがでしょうか?

2012/12/11

第11回 新春教育講演会

 ~会場が「東京・浅草」に変更になりました~

 本年(平成24・2012年)より、従来の静岡県熱海市で実施していた「お正月の集い」が会場変更になりました。創設当時の会場設定は、小生が神奈川県茅ヶ崎市に住んでいた事と発起人(5人)の一人が静岡県浜松市に住んでいたことから、合流できる地点として選択されました。

 行政職の長かった小生が、退職までの勤務校が最後になるであろうとの予測から2001年の正月に有志の指導主事が立ち上げた会がこの新春教育講演会です。とうとう11回(途中1回だけ中止)になりました。昨年の4月(3・11東日本大震災より1か月後)に現地に転居した関係から、小生の加齢を加味して会場変更の様です。

 本音を言いますと、「これでお終いにしよう」と昨年は請けました(笑)。

ところが、そんな思いで登壇した会場には高知県や鳥取県、愛知県、茨城県それに東京都からの参加者で会場も満席になる程の盛況になってしまいました。また、出版会社や教育産業界、更に一般市民の方の参加者もありました。「想定外」の展開になり「止める」とは言いだせずに今回を迎えます。

当ブログでは詳細の案内は出来ませんが、今年は『響の会』繋がりの立川『響の会』の代表である松野登氏に、第Ⅰ部の講師としてご登壇いただいて二部制にして貰いました。小生は第2部の時間で、“「機能しない組織」の下では、元気は出ない”の演題で講演をすることにしました。

「校内研究会(研修会)」という軽視されがちな小さな組織も、「教育現場」を活性化するために頗る重要な組織でありながら、形骸化されてしまう現状に「組織」の壊死状況を感じてしまいます。現場の教師が多忙になればなるほど「校内での学び合い」の場を重要視しなければなりますまい!!「組織の活性化」に挑んでいる現場をその実例として示しながら言及したいと考えています。

後輩諸兄の計らいのお蔭で、今年の初詣が浅草寺でできました。好発進の出来た1年も間もなく終わります。新年の誓いと祈願を開始時刻より早めに到着して『初詣』もご計画されることをお勧めしておきましょう。

当日の概要は以下の通りです。詳しい案内版をご希望の方はメールにてお申し出ください。添付ファイルにて送信致します。

日時 平成25年1月19日(土)14:00~17:00
会場 TKPスター会議室・浅草 東京都台東区浅草1-3-2井門浅草ビル5F
★詳細についての問い合わせは、
茅ヶ崎『響の会』事務局高田実(090-4522-8754)まで。 但し17:0以降にお願いします。

2012/12/10

時流の「通信販売」

 ~「求める製品」を探して店内を歩き回って~

 足が棒になる。

 そんな日本語を思い出して苦笑したのは帰宅してからの事である。時代の流れが急速に変化している、ことぐらいは十分意識している筈であった。しかし、現実として認知する事件に遭遇しないと分からないものである。

 「箪笥を動かして位置を換えたい」と、老妻が夏の終わり頃に言いだした。多忙な日程に振り回されている小生は対応に遅れてしまった。そして昨日の事。市内にある大きなホームセンターに行きたいと言うので5歳の孫も連れて出かけた。広い店内は行く度に驚くのだが、「求めたい製品」を探し出すのが大変である。先ず、店員さんを探す。そして、求めている製品について説明をする。店員さんは仕分けしてある「通路番号」で応えてくれる。横軸と縦軸の交差する場所にその類の製品が置いてある。その手順には老夫婦も馴れてはきているが、昨日は店員さんの説明も覚束なかった。そして、当店には「在庫が無い」という結論に至った。

 孫は広い店内を満喫して走り回っていた。「おばあちゃんの探している品物が無いんだって」と、孫を説得するおじいちゃんは、既に「足が棒」の状態だった。未練が残る孫を連れて帰宅した。

 やおら・・・・、おじいさんはパソコンに向かった。

 娘たちが事ある毎に「ネットで見てみれば?」の答えぶりを思い出したからである。老脳にはパソコンに打ち込む時点で「製品の名称も不明」がバリアになってしまう。当然ながら会社名もわからないのでパソコンの前で立ち往生するのが、これまでの現状である。利器が利器にならないまま生きて来た。

 そこで、八方破れ(笑)の心情で「箪笥の移動」と打ち込んでみた。

 驚き!驚き!驚き!呼応する回答商品が山ほどの数で、しかも実物写真付きで画面上に示されているではないか。「お~い、ちょっと来てくれ!」とおじいさんはおばあさんを呼んだ。画面を覗きこんだおばあさんは、「これ、これ、これですよ」と興奮状態である。

 そこで、今度は『かごに入れる』という作業である。「会員になりますか?」の文字に立ち往生をしつつ、無事に「注文が完了しました」の文字面に到達した。数日後には配達されるようである。「足を棒」にした大型ホームセンターの足労は何だったんだよ~!叫びたい気持ちを抑えられたのは「利便性」を実感したからである。

 読者諸兄はこのブログを読んで失笑していることだろう?

歩かなくても求めるモノが運ばれてくる時代に生きる。更に利便性の追究は進む事だろう。良いようで、良くないと考えてしまう「昭和時代の思考回路」で迷子になりそうだ(笑)。

2012/12/09

遠距離とは言え3件の掛け持ち

 ~歯科医・研究会・同窓会~

 片道2時間半の旅程を必要とする神奈川県茅ケ崎市への移動時間。

それぞれの日程がバラバラに設定されると3日間も続けて通うことになる。行って帰って、行って帰っての3回はいかなる健康体にも厳しいモノがある。

 そこで、昨日は10時に茅ヶ崎市の歯科医を予約して、午後2時から主宰する『響の会』の特別講座(その後の懇親会もある)に出向して、午後7時には隣市の藤沢へ移動。54歳になる卒業生との懇親会(=定例ミニ同窓会)に出席する日程を創り上げてしまった(笑)。トリプルの案件を成就して茨城県土浦市の自宅への帰着が午後11時過ぎとなった。

 老体は嘘をつかない(涙)。

 布団から出たのが6時過ぎになってしまったのが実態を証明してくれた。早朝起床には義務感は伴わないが、体内時計が目覚まし不要な程に機能しているから起床が「早朝」になるだけの事である。従って、遅く起きても罪悪感等皆無である。

 幸か不幸か土日のメール受信は少ない。1通の着信メールに目を通しながら後程ゆっくり返信しようと考え、ブログ創作に向かっている。 

 目が覚めて老妻からの報告に、また愕然とした。

 同居する嫁の弟さんは昨年結婚されたばかりである。その奥様の実母が他界されたとの一報であった。またしても50代の死去である。昨日の当ブログでも取り上げたが、身近な方の「早い人生の終幕」の知らせに接すると恐怖心も募る。更に、昨夜の同窓会の主人公たちと同年代であることを考えると戦慄すら走る。元気な顔で出席してくれる卒業生たちも、「息子や娘の結婚式」の話題をしていた。孫の話をする卒業生もいる。余りの早い別れには言葉を継げない。

 『響の会』冬季特別講座では、地元茅ヶ崎の酒蔵・湘南ビールの製造元の社長の経営談義を聴講できた。140年の伝統を継承する若き社長は42歳だとの自己紹介だった。学校経営の視点とは、当然ながら違うに決まってはいるが『学ぶべきこと』は山ほどある。主宰する『響の会』では、年に1回は「民間人の経営者」を招請して学ぶことにして10年が経っている。今回も充実感を抱かせる素敵な講話であった。 

 開業時刻の10時に予約をとった歯科医院は、長年住み慣れた茅ヶ崎市の住居から徒歩5分の距離にあり、「歯の清掃」だけでの通院である。「虫歯はありません」と言われ管理面の指導を受けて完了した。蛇足にはなるが、この13年間で小生の国民健康保険証は半年に1回のこの歯科医にて使用するだけである。

 温暖な湘南から2時間半かけて移動して、降車駅に降り立つと「気温の低さ」に驚かされる。身の引き締まる思いがする。我が老体への健康管理意識が深まると考えると至福の瞬間でもある。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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