2013/01/07

新年の初失態!

 ~従姉の電話に気付かされる~

 千葉の長女宅に行くのに(いつものように)妻は不携帯のままに放置していた携帯電話。帰宅すると定位置で点滅して待っていた。苦笑しながら妻が取り上げると神奈川県綾瀬市に住む妻の従姉からだとわかったようだ。姉と慕う従姉は「御年始のご挨拶だった」とのことだった。

 何気なく、聞くとは無しに耳についた話題。

 内緒話ではないので聞こえてくる。従姉のご主人が、ご自分の叔母の喪中だったにも関わらず「年賀状を投函しちゃって・・」と苦笑交じりの内容が聞き取れた。全くの他人ごとにして聞き流した。「確認しなかったのかな?」「喪中の葉書が届いていただろうに」と、まるで他人の失態を蔑視するかのような横着な態度の小生だった。

 一頻り女性同士の「長いお話」が終わった。

 説明の必要性はないのに妻が従姉夫婦の失態を感情移入をして話し出した。妙に避けたい話題になって、意図的に遮った。留守中に配達された年賀状の確認をしながら未投函の年賀状返信に取り組んでいた。200枚購入した年賀状が、実に見事に全てを使い切った瞬間だった。

 無駄の無い使い方をして安堵しながら「余計な年賀状を投函していないだろうな」と脳裏を過らせながら、ふと妻の友人の顔が(何故か??)浮かんだ。理由は不明であるが浮かんだのが不思議であった。暮れにその友人から九州のミカンと野菜が沢山送られてきた。訪問した長女宅の食卓に、その友人の送ってくれた手作りの「漬物」があったのを思い出したことが引導であった。

 「おい、●●さんの義母が他界されたのはいつだったっけ?」と尋ねた瞬間、妻の表情が一変した。「去年のお正月直後だった??」と自問した。自答が速かった。「年賀状を出してしまっているよ!」と老夫婦は凍りついた。

 改めて寒中見舞いを出して謝罪することにしよう。

 妻の従姉夫婦が自らの失態として明るく語ってくれたことを詰るような思いで聞き流していた自らを恥じ入ってしまった。新年早々に「失態第1号」を早くも仕出かしてしまった。「やっちまったぁ~!!」と叫んでいる能天気ぶりは新年も健在であるようだ(苦笑)

2013/01/06

利根川の風は冷たかった!

 ~片道90分間のドライバーも疲れます~

 千葉に住む長女の家まで行くことになりまして、昨日のこのブログを登載し終えて準備を済ませて老妻と一緒に家を出ました。ここ数日の冷え込みで早朝の出立には流石に老体を身に染みて感じました(笑)。

 お正月の里帰りで会ったばかりの孫たちと「お祖母ちゃん」との約束を果たすための訪問です。7日から学校が始業するそうです。冬休みの宿題はご多分に漏れず「書初め」があるようです。小学生二人の孫たちが老妻の支援を依頼して帰って行ったとのことで出かけることになりました。

 書道教室を20年間も開いていた老妻にとっては「昔取った杵柄」の再現です。去年までは小学生1人だったのが、今年は1名増加しました。1年生の孫にも書初めの宿題があるとのことで母親が支援を切望したのでしょう。

 「お正月」という文字をフェルトペンで3枚書いて行かなければならない1年生は(隔世遺伝で)レフティなのです。縦文字を左手で書くのは大変厳しいモノがあります。左利きは、今でも小集団です。マイナー軍団への指導は行き届きません。多くは放置されます。そんな苦労は小生が良くわかっているので理解しています。お祖母ちゃん先生の指導で何とか目鼻がついたようでした。

 「明けの空」は5年生の課題だそうです。きょうだいですが、こちらは左利きではありません。さらに「お習字は大好き」な女の子です。しかし、それはそれなりに指導者の要求も高いようでなかなかお稽古は終了せず、泊まり込みで今日の午前中まで特訓に堪えて5年生の孫は頑張ったようです。

 昼食は途中で食べることにして早めの帰路に着きました。正月休みの帰省混雑を想定しての出発でしたが、殆ど混雑の影響もなく帰宅できました。途中で休憩した利根川沿いのコンビニ駐車場は混んでいました。車のナンバーも珍しいモノがありました。利根川を渡る風の冷たさに身震いをしました。

 孫の支援を終えた老妻は助手席で疲れ切った表情でしたが、満足した様子にも見えました。そんな二日間から解放されて冬休みの終わりを実感しています。

2013/01/05

恒例の年中行事

 ~卒業生・OB会を欠席して~

 「どうしたんだろう?」「今年は中止にしたのかな?」との自問を繰り返しながら前夜まで動きを待つ身は複雑な心境になっていた。『正月の4日』は、恒例の私的・年中行事である。その主人公たちは30年以上も前に中学校を卒業した野球部員OB達である。偶然ではあるが、卒業生の一人が焼き肉店を開業したことからそこが会場となって開催して、もう何年になるのだろうか。旧宅からは歩いても10分は掛からない場所でもあったので、電話一本で駆けつけたこともある。

 電話一本が掛かってもここから駆け付けたのでは終宴時刻になる。

 ここ数年は、葉書での案内かメールでの丁寧な案内が届いていたので「心待ち」していたのであるが、今回は未着であった。「確認の電話でもすれば?」、と老妻は小生の気持ちを案じて提案したが、「OB会を開け」とばかりの催促するのは気性に合わない。連絡が来ないのは何らかの理由が生じているのだろう。これを結論として打診は断念した。

 1本のメールが着信した。「4日の再会を楽しみにしています」との内容である。しかし、もう5日の家族での予定を許諾したので今更、変更が出来ない。仕方なく、メール送信者のOBに「欠席の連絡を依頼する」しかなかった。申し訳ないと言う心情が募って心苦しかった。

 成立するための地理的条件。

 しみじみと「遠距離」への転居を実感した。成長し続ける卒業生たちとの再会は教員経験者にとっては筆舌し難い冥利である。楽しいお酒を酌み交わし、近況を聞きながら過ごす数時間は、聴いているサイドにも貴重な栄養素にもなる。

 寒波の襲来が報道されている。そんな日に片道3時間弱の遠距離を往復するのは古希に近い老体には少々厳しい。卒業生の成長とは反比例している小生の老化対策は自らの維持管理に委ねるしかない。自らに言い聞かせている朝である。

次回の再会を期して今年も頑張る!!心に誓って今日の予定行動に移ることにしよう。

2013/01/04

思いがけない「年賀状」

 ~ひとりの「歴史」を紐解く~

 たった1枚の葉書の筈が、内面まで波紋が及ぶのが年賀状である。小さな「自分史」を紐解く思いになるのも年賀状である。高齢者になると届いた年賀状には歴史が詰まっているようなモノも少なくない。

 一言コメントを読みながら年賀状の発信人を回想する。小生には36年間の教員生活がある。そこで接した大勢の卒業生からの年賀状は怖い程哀しくて楽しい光景を蘇らせてくれる。卒業生の筆頭は還暦を迎えた年齢である。間もなく40歳になる卒業生がシンガリ。情報満載の年賀状に時間の経つのを忘れる時間となるのはいつしか「恒例」となっている。

 結婚を機に苗字が変わった卒業生(=殆どが女子)を、「名前」だけで判断できることが結構多い。つまり、呼び名や愛称に繋がるので記憶に残っているのかも知れない。また、写真入りで届く年賀状でも、30年も経ていると全く初対面の人物に映るのは性差が無い(笑)。

 しかし、コメントが決め手になることが多い。

 今回の1枚はどうしても「決め手」に事欠いていた。「どこの(学校の)卒業生だろうか?」と勤務校を振り返り見当はついた。しかし、「お祖母ちゃんになった」のコメントを辿りながらも人物の特定まで到達できなかった。礼儀上の返信用年賀状を作成し終えても決着がつかない。タイミングよく電話のベルが鳴った。妻が出たが、受話器は即、小生に回された。電話の向こうでは赤ん坊の泣き声が聞こえる。「もしもし、○○です。」と当時の愛称が飛び出した。「○○ちゃん?あの○○ちゃんなのかい?」と意味不明な対話で静かに進んでいた。確証を得る「思い出事件」が言葉となって飛び出した。歴史の1ページが実に鮮明に開いた。

 もう、お祖母ちゃんになる年齢になっているのか!卒業して42年も経っている。新進気鋭(?)の担任教師だった小生には、この事件は忘れたくても忘れられない。その事件以来、一人の教師と一人の生徒とは人間関係に亀裂を生じ、断絶状態のままで数回の同窓会でも再会することはなかった。

 何かあったのか?住所変更の知らせも出していない転居先に年賀状が届いた。

 電話の向こうには成長した大人の言葉が弾けた。目頭が熱くなった。言葉が途切れがちになりながらも「思い出事件」に触れた。青年教師と高校2年生の女生徒の間には思い込みと言う誤解が大きなバリアになっていたようだった。孫の鳴き声を愛子ながら淡々と思い出を語る声に、「時が人を育てる」と実感した。

 届いた年賀状の中に、当時の○○ちゃんの仲良し友達(二人)からも年賀状が届いていることに気が付いた。電話の声で、中学2年生のままに止まっていた蟠りをきれいに溶かしてくれていた。偉大なるものは「時」なり!!

2013/01/03

お正月の風物詩

 ~初詣・里帰りと「お年玉」~

 東京・明治神宮と浅草寺の初詣風景をTV画面で見るとお正月を感じる。

 転居前の初詣は決まっていた。相模国一宮・寒川神社には半世紀にわたって参拝した。我が子のお宮参りから七五三のお祝いまでの全てに詣でた社(やしろ)であった。当地からは一足飛びで参拝に出向くことは出来ない。しかし、機会があったら詣でてみたいと老妻とも話している。

 神仏混交の文化で生きて来た老輩には、お正月の風物詩の1つはやっぱり神社への参拝であった。大晦日のTV番組に「ゆく年 くる年」(定かではない)があるが、何とも言えない響きを伝える福井県・永平寺の鐘の音は大好きである。「ゆく年」への謝意を伝える音色に聞こえるからである。そして0時を時計の針が回ると何万人もの参拝者で賑わう神社への初詣風景が映し出される。メディアの恩恵を受けて眺め続けてこの歳まで生きて来た。「行く年が仏閣で、来る年が神社で」とのキャッチコピーは当方のオリジナルであって文化論的な根拠などは無い。

 神様と仏様という「信仰の祖」の違いはわかりながらも混交して生きて来てしまった(笑)。親しい外国人には解せないらしいが、小生には「日本人文化」として十分に根付いてしまっている。是非論を戦わす気は無い。19日に東京で初仕事があるので、浅草寺にて初詣をしようかとも考えている。

 正月2日は、嫁いでいる二人の娘たちの「里帰り」がいつの間にか定着しているのが我が家である。茅ヶ崎市から土浦市に転居したので、千葉県佐倉市に嫁いだ長女は里帰りが楽になったようだ。東京・大田区に住む次女も正月の東京は嘘みたいに道路が空いていると喜んで里帰りして来る。

 年年歳歳、孫たちの成長も伴う。

里帰りの主目的は「孫たちの意図」が前面に表出する。『お年玉』も日本人文化の遺産であるらしく顕在している。子育ての日々にも存在感が強く、良くても悪くても「金銭の授受」は人間性まで歪ませる仕草になってしまう。お祖父ちゃんの立場からも「迷惑千万」の文化である。これもお正月の風物詩としてカウントするものらしい(笑)。こんな風物詩と一緒に今年も始発してもう三日目を迎えている。

 読者諸兄の「正月の風物詩」をお聞きしたいモノである。 

2013/01/02

年頭の挨拶いろいろ

 ~電話の声で判断できず~

 「もしもし、●●です」と、聴き慣れない声にお名前が聞き取れずに聞き返す小生に、「先生ですか?」と畳み掛けられて、再び「えっ?そうですが・・」と返すと、電話の向こうでも「●●です」と繰り替えされた。

 声の主はその後判明したが、その変貌ぶりに愕然とした。老妻が茅ヶ崎市の自宅で20年ばかり書道教室を開業していた頃のお弟子さんである。お弟子さんとは言え、年齢的には老妻より5歳ぐらい若い女性である。ご夫婦の問題やお子さんの結婚問題に振り回される度に、書道のお稽古より「愚痴」話を聴いてあげる時間で過ぎてしまった、と老妻の「愚痴」を聞いたことがあった。

 ご主人は旨い寿司を握る職人さんで職場の同僚と何度も食べに行った仲である。カウンターの向こうで夫が寿司を握り、接客は妻がてきぱきとこなす店内は時として同行者が同席できない程に繁盛していた。能天気な小生には「理想的な夫婦」としてしか映っていなかった。

 どうして?解せない展開は「坂を転げ落ちる」速度になり、離婚と家族離散まで到達してしまったようだ。「お習字を習って店内の寿司メニューを手書きする」との熱い意志で老妻の書道教室の門を潜られたのがきっかけだった。

 電話の内容は、老妻が投函した年賀状のお礼と年始の挨拶だったそうだ。

 寿司店の廃業から苦難の人生となった彼女の運命は、老妻にとっても例のない非業になった。不幸にも癌が発見され入院された。夫も子ども達も面会にも来てもらえない状況に老妻も心痛していた。お付き合いが今でも続いていたことを再認識した。

 幸いにも「病魔からも遠ざかった」との情報だったらしい。商売繁盛で華やかだった頃の、美貌と元気ぶりの彼女しか記憶にない小生には同一人物として電話の対応が出来なかった。電話が終わっても老妻との話題は彼女のことだった。語り続けながら「人一人の運命」なるものを感じ入ってしまった。快復の暁には、当地・土浦まで訪問するとの約束が出来たようだ。その日の実現を小生も待ってあげたい心境になった。

2013/01/01

年頭のご挨拶

 ~今年もよろしくお願いします~

明けましておめでとうございます。

「お正月が来ると歳をとる」(=加齢する)と言われたのが妙にオトナに近づくようで嬉しかった幼い頃が懐かしい(笑)。だから「おめでたい」と言うんだよ、と祖母が冗談ともつかない言い方をしたのも妙にハッキリと覚えている。

 ところで元旦草々にご協力をお願いします。全国の読者の皆さんにも一緒に、次の質問を考えていただきたい。

 Q:加齢を実感して「おめでたい」と嬉しく思ったのは何歳ころまででしょうか?

小生の答えは二十歳(はたち)までだったような気がします。「オトナになったら」出来る(らしい)ことへの憧れがさせた感情だったと思っています。

 連なる時間の経過でしかないのに、どうして12月31日と1月1日の2日間だけをここまで固執して仰々しく振る舞いを要求されるんだろう。思春期頃になると堅苦しい「元日の朝」のしきたりにウンザリしつつも「オトナへの階段」は加齢のエスカレートで意思とは無関係に上って来たようだ。

 しかし、昨今、謝意を前面に立てて考えるようになった。

70歳に限りなく近くになると、このような加齢のエレベーターであれ、エスカレーターであれ無意識に中の諸々の「体験」や「思考」を悶々としつつ成長させていただいている、と。自らの「過去の歴史」が、現在の自らを創り上げているのだと認知せざるを得ない。そんなことを痛感することが多くなったからである。

今年もまた、高齢者は高齢者なりに「世間にお世話になり」ながら、他者の目には見えないだろうが「成長する」自分でありたいと期している元旦の朝である。

読者諸兄の健康で充実した1年を祈念して年頭のご挨拶と致します。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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