2013/02/18

昨日の新聞記事


 ~公営住宅の遺品~

 引き取り先なく廃棄の自治体も多くなっている。
 独身生活者の親しい友人と話をする。当方が孫たちの話題に触れると「羨ましいよ」と前置きして、高齢者となった身の寂しさが言葉について出る。若い頃は兄弟姉妹の家族とも親交はあったが、高齢者になると甥も姪もそれぞれの道の人生を歩み始めて「可愛がった日々」は幻になってしまっている、との愚痴で話が止まる。

 我が子がいても新聞記事のように「遺品の引き取りを拒む」状態になるとすれば結末は大同小異の状態になってしまう。人間関係が血縁者間では以前は異なもので在った筈であるが、現代では、血縁の有無には無関係な人間関係になってしまっているようだ。友人の寂しさにも同意できる。遺品の管理が自治体の負担になっているとの関連記事を読んでいると背筋まで寒くなってしまった。

嫁の実父は僧侶である。多くの檀家を抱える寺院を営んでおられる。縁あって我が両親のお墓も寺院の霊園に作ることが出来た。ある時期に霊園の中に「慰霊塔」を建立された。遺骨をお寺に預けたまま引き取り手が現れない遺族が多くあるとの話を耳にして唖然としたことがある。僧侶的着想からなのだろうか、「納骨して慰霊をする」との意志で慰霊塔ができたのだそうだ。墓参の折りには時々、慰霊塔に手を合わせてから帰ることにしている。

 遺骨の引き取り手と遺品の引き取り先との正確な関連性はできない。

 いずれにしても「人間関係の薄弱さ」に思考が辿り着く。故郷を遠く離れている小生も、母親の17回忌で帰郷の墓参で感じたことがある。『先祖代々の墓』という意識が自らにも薄らいでいる事だった。結婚するとそれぞれの世帯を作る民法に法るとは言え一抹の寂しさを禁じ得なかったのは何故だろうか。

 朝刊のトップ記事を読みながら、ページをめくって関連記事まで読み終えた。何故だかわからないが「ふ~」っと息を吐いてしまった。

2013/02/17

お知らせ

写真版『歩禅記』を新ブログ『寸心紀行』に登載しました。右欄枠内をクリックして覗いてみてください。筑波山を望む長閑な田園風景の写真がご覧になれます。

第10回「博報教育フォーラム」に参加して

~興味の的は『サブタイトル』に~
2月16日(土)10:00~


 強風のために常磐線が途中駅で臨時停車。発車の見込みが立たないという車内アナウンスにドキッとさせられつつも東京駅での待ち合わせ時刻には何とか間に合ってホッとする。入場許可証の葉書に、9時45分前の入場制限が記されてあったので丸の内北口のエントランスで暫く立ち話をして時間を待った。
 =日本の教育、海外の教育。違いから本質へ=
 これが興味を引いた本フォーラムjのサブタイトルである。国際的学力テスト(興味が無いので正確な名称も意識していない)の2種類の結果で、「日本は学力が落ちた!!」と研究者(?)が言葉を発すると矢面に立たされるのが教育界の現場(学校)である。いい迷惑だ!!そんな思いは募るばかりではあるが、教育風土はその国によって大きく違うことを考えれば思考文化が左右する「テスト(=筆記試験)」では、結果に相違が生じて仕方あるまいと反応している小生であった。その点で、このサブタイトルへの興味は高かった。=違いから本質へ=の部分である。
 事例紹介をしていただいた3人の研究者には詳しい情報提供に感謝する内容だった。
 取り分け名古屋大学大学院教授・渡邉雅子氏の「ことばと思考の教育比較」には魅かれる表現が数多くあり、もう少し聞いてみたい気分で制限時間となった。他の二者の事例が拙かったことは無い。lこの事例発表だけをを聞いたら他の箇所に移動するために退席を予定していたが昼食休みを利用してその要務を済ませて、午後の部の『問題提起』まで参加することに計画を変更したほどだった。
 総合評価をしても、このフォーラム(現職時代にも参加している)の質の高さは回数を経るごとに上がっていくのは喜ばしい。会の設定も(今回は周年行事)変化があり、盛りだくさんの提案を受け止めることが出来るような設営の配慮に感心した。
遠路からの参加者も多いようだが、自らの学びのために経費を掛けても参加するに値するフォーラムであったことは今回も同じだった。『集い・語り・気づきあう』スローガンを噛みしめつつ昨日の学びを思い出している朝である。
 
 
 
 

2013/02/16

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載⑤≫

旅日記 2月 8日~10日(広島県広島市)

こんな強行日程になってしまった!!
 

1月30日から2月2日まで滞在した広島市に、再び8日から10日まで戻って来ると言う無理な設定になりました。1週間も経たない内に新幹線で再度の往復をしてしまうところに無理があるような気がします。旅人が古稀一歩手前の年齢である事を考えるからでしょう。一般常識から考えても異常な日程の編成です。しかし、こうなってしまいました(笑)。

 わが師(=鍼診療師)曰く、「やる前から限界だと臆病風を吹かせるようでは何も達成できない。無理だと思われることに挑んでみる気力が何よりの超越心になる」と。この師との会話は去る12日の鍼診療日の時点での再話です。

開口一番「やったみたら出来たでしょ?」と。「やり遂げなければ自信は着かない。無理のない程度で抑えれば成就感はない。成就感を得たくて頑張る姿にしか自信の神様は宿りませんぞ!」と立て続けの師の哲学(言葉)に頷く小生には「為し終えた」充足感に満足していました。出発前の我が老体への不安感から脱皮して、大きな自信が芽吹いていたのは事実でした。

 広島市小学校教頭会の自主研修会は、昨年の6月22日に予定してあったものです。当日、広島地方の集中豪雨で中止になりました。その再現としての要望がありこの日程の中に組み込むことになりました。それに連動して、恒例の広島『響の会』立春セミナー(既に当ブログにて報告済み)の開催が決定されたので日程の上積みになり強行日程になったわけです。

 会場は広島市教育センター。

 ここを会場としての講演は過去にも経験があり、違和感もなく講演そのものには特記するほどのこともありません。しかし、小生の「教員の人財育成」哲学に関して少々述べることがあるので論述することにしましょう。

 学校教育界の正規の管理職は校長と教頭だけである。たった二人の管理職とは言え、教頭職の決裁能力は校長の裁量範囲とは比べ物にならないほど小さいので、ややもすると、教頭職の存在感すら弱いモノになっているのです。しかし、教員の人材育成面では「見えないパワー」としての存在感が教頭職にはある、と言及し続けているのが小生なのです。『教頭の職員室運営』と題して多角的な切り込みで原稿も執筆した程です。これは、あくまでも体験から生み出した哲学です。

 職員室を立派に牛耳る教頭を持つ校長は安泰です。

 校長の理念を具現化出来る裁量は教頭にしかないのです。校長の「欲しがる人材を育てておく」技量が教頭職には求められていると原稿にも認(したた)めました。多くの同意を表する手紙やメールを頂戴しています。教頭職にある期間に人財育成技量を発揮していれば、校長職を拝しても教頭職の存在感も理解できて、学校経営に厚みと深みが生まれると確信しているのです。

 そんな思いを熱く語り、哲学を押し付けて(笑)講演は終了しました。

夜の懇親会もその延長線で盛り上がりました。資料を提供すべく教頭先生たちのアドレスを知りたい旨の発言をして帰りました。教頭会長よりそのアドレスが一覧にして届きましたので、資料提供第一便は、現職校長として最後に執筆した原稿を添付ファイルにて送信できました。即刻の返信メールを読んで、「広島市の教育」の将来への足音を聞こえてきたような嬉しさが湧き起りました。

 教頭職には先があります。
だから健康管理はとても重要です。心身ともに健康で広島市の教育界の発展に寄与できる活躍を期待するばかりです。

 翌日の9日は教育実践・広島『響の会』立春セミナーに出講しました。退職された先輩校長先生方も懇親会にご参加いただきました。お元気で次のステージでご活躍の様子を聴きながら広島『響の会』の歴史を痛感し感無量となりました。

10日は午前8時・広島駅始発ののぞみ号で東京まで直帰して、上野駅で常磐線に乗り換えたら特急電車の揺れに、「無事に仕事を終えた充実感」が募って45分間が睡魔と共に過ごすことになりました。

 関係者に厚くお礼を申し上げて、今回の旅日記を閉じることにします。熱心に読んでいただいた皆さんに感謝します。
 
 ここ数日間に来年度のカレンダーに「書き込み」が多くなっています。次回の旅日記は??老体に似合わない日程に挑む姿を、次回の旅日記で一緒に楽しんでください。

2013/02/15

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載④≫

旅日記 2月 7日 (東京都東大和市)

「師弟の絆」を映し出す学校経営

 こんな表現は小生には似合いません(笑)が、敢えて添えたい表現が似合う時間を満喫できました。急な日程が翌日(8日)に広島市に入ったために落ち着かない行程になってしまい主催者の小学校には申し訳ない気持ちでの訪問でした。

 学校長とは前任の勤務先(=教頭職)での出会いでした。そこは立川市立新生小学校という「統合・新設開校の小学校」でした。この小学校を立川市教委が立ち上げる前、小生は茅ヶ崎市の現職校長でした。「新設開校小学校」の方向性を指導して欲しいとの招請で数回ほど研修会に出講していました。従って既に初代校長として内示を受けていた校長との出会いは開校以前にあったことになります。

 開校1年目より一般公開の研究発表に挑む小学校でした。その発表直前に教頭として(中途で)着任したのが、今日の訪問校の校長でした。新人教頭が、しかも新設した小学校の研究発表会の直前に着任となれば学校長の負担は計り知れません。一般教員を「授業研究を通して」人材育成されていたのが功を奏して、教頭を助けながら全教員の総意で発表を成功させた立派な校長が、本校校長の「御師匠さん」だったのです。

 そんな過程の中で鍛え上げられた教頭先生は、以後転勤を重ねながら、小生が主宰する教育実践『響の会』の立川市会場を切り盛りする事務局も担当してくれました。当然ながらこの会の代表はこの小学校の校長先生の「御師匠さん」です。お二人の校長先生と小生との関係も長くなりました。

 他市での校長昇任に師匠である退職校長は苦慮される案件があったようです。『授業づくりは学校づくり』。このフレーズは小生がある教育月刊誌の連載のために執筆した原稿のタイトルです。小生は、教師を育成するのも「授業づくり」を支柱にすることで出来ると言う理念を持っています。教員から「授業をする」時間を取り除けば「ただの人」(笑)となってしまうと冗談を飛ばします。その授業づくりで弟子の学校づくりを援助したいと考えられたようです。

 学級閉鎖や担任の発熱で修羅場の研究発表日だったようです。

 しかし、目を丸くするような授業展開を視ました。「コラムを書く」単元での授業づくりにはもう少し入り込んで観察したいと思うほどでした。またインフルエンザで授業が出来なかった同僚に替わって当日授業をした教員の「声質」の良さに朗読の鍛錬を勧めたくなりました。教員にとって授業の良さを左右する「声」は侮れないからです。その教員には再会までの課題を提示して帰りました。再会が楽しみです。

 「教育の日やまと」という行政の指導姿勢にも注目をしました。

教育委員長のご挨拶で「秋田県」の情報が提供されました。その視点に感心しました。授業づくりの観点への興味付けになりました。小生も講演でその観点を解釈させるべく、参考実践例を聴講者にプレゼントして講演を終えました。

 大先輩の校長先生が、走り出した新米の校長先生の「学校経営に加担して」寄り添う姿は正に「師弟の絆」そのものだと感じました。心仄々とする思いで懇親会に足を運ぶことが出来ました。御師匠さんの思いを受けて来年はどんな研究発表になるのかがとても楽しみになっています。頑張って欲しい!!
 

追記:
『授業づくりは学校づくり』という小生のオリジナルフレーズの中間に、この「御師匠さん」が『学級づくり』という言葉を挟んで教員の指導をされたようなので、講演で「まとめ」を述べました。会場にお越しになった市議会議員さんが、メモが出来なかったのでブログに登載して欲しいとのご要望でした。お約束ですから以下に附記します。

(1)授業づくりが目指すモノ =興味関心の高揚

  学びの意味を知る ②努力の尊さを知る ③他者との違いを知る

(2)学級づくりが目指すモノ =信頼関係の構築

   ①生き方のルールに気付く ②周囲の温もりと思いやりに気付く ③協力の大きさに気付く

(3)学校づくりが目指すモノ =有用な人間の育成

   ①実践力の養成 ②継続力の養成 ③選択力の養成

2013/02/14

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載③≫

 お早うございます。早朝起床してメールチェックをすると偶然にも下記の訪問校のHPに小生の講演録が公開されていました。校長先生からも「PTAの部屋}担当の保護者からもメールを受信していました。この原稿は昨夜仕上げていますので、今更訂正できませんのでご了解ください。こんな交信ができると高齢者でも早朝から「興奮状態」になっちゃいます!!(笑) 小牧市立小牧中学校のHPを開いてご覧ください。
 
 
旅日記 2月 4日~ 5日(愛知県小牧市)

 講演旅行日程の谷間だった「この日々」に、白羽の矢を射ったのは小牧市立小牧中学校長(玉置崇氏)でした。空いているんだから断る訳はあるまい!と心を詠まれての打診でした(笑)。加齢の身には少々難行であることには不安も無かったこともないのですが、氏の熱い学校経営は「一度は覗いてみたい」思いがあり承諾して前泊にての学校訪問となりました。

 校種間の温度差は教員にあり。

 小学校と中学校の温度差はあらゆる角度から分析しても「あって当然」です。その要因が教員にある事を小生は、小中学校勤務の経験を通して確かに判決していたのです。是々非々の結論であるので小学校教育と中学校教育の善悪の比較では無いことをお断りしておきましょう。

 名古屋駅頭に迎えに来ていただいた学校教育・外相の顔(=「教頭」)の言動で我が判決があっさりと肯定されました。高速道路を利して30分弱で訪問校に到着しました。車内の雰囲気作りの主流は外相の人間性です。敵が味方に早変わりすることが多い貴重な前哨戦とでも言えます。話題が豊富であることだけが「歓迎の意」を創るのではありません。事と次第では「敵と味方」が入れ替わる程の貴重な送迎の時間です。

訪問校の校長とは数年来の付き合いもありますが、教頭職との出会いは初めてです。「本校の校長・玉置崇の教育理念には脱帽している教頭です」との自己紹介の初発の言葉で、もう「合格印」を押してしまいました。自校の上司をフルネームでしかも呼び捨てに出来る教頭とは久しぶりの出会いで嬉しくなってしまいました。その証拠に、到着までの束の間でも饒舌になってしまったほどです(笑)。初体験の前哨戦で、打ちのめされた学校訪問が始まりました。

 勤務校以外の訪問校で「朝の職員打ち合わせ」に立ち会うことが請われたことも初めてでした。多少の事では動揺することは無いのですが、この要請には数日前から準備する時間が必要となりました(笑)。しかも、3分間の制限時間が軋轢になったことは事実です。内容は既にブログでご紹介してあるのでここでは省きます。

 授業参観??いや、小生は教員自身が公開された授業に臨むときは「参観」であってはならないと、訪問する学校(校種を問わず)で忠告しているのです。そこで、今日の公開された3つの授業を観察しました。

 理科と国語。専門外であれば教科的なスキルへの観察は出来ない。いや、門外漢の立場上の指摘は失礼であると考えています。しかし、『授業づくり』という観点からであれば老輩には苦言を呈するだけの経験値はあります。授業後の「個人指導」の時間(=と言っても特別設定時間がないので「給食時間」)には、人生経験を語りながら「中学校における授業」への期待観を述べました。 教科的な専門用語を使った指導は、全国のどこでも「教委の指導主事」に一任しています。

 ところが「英語」の授業となると、授業観察後の専門家の舌が疼きました。しかし、 公開された中1対象の英語授業は第5校時でしたので、「指導する時間」が小生の我儘な帰路の設定で時間設定が出来ませんでした。申し訳ない思いで帰路に着きました。

 中学生の「学び」の眼は、小学生の「キラキラ」から「ギラギラ」に変わらせる授業を展開するべきだと考えているのです。ギラギラした視線で教員(専門教科)の授業に喰らい付く中学生としての「学び」をデザインして欲しいのです。

 小牧中学校の「学習者の眼」がキラキラしているようでは学習の充足はありません。あの素直な眼は思春期の学習者には似合いません。貪欲なまでに「自らの学び」を追究する中学生こそが、有望な高校生になると確信しています。

 素直な眼のままで高校に送り込んで欲しくないと願いつつ、訪問したかった中学校を離れました。再訪を期待したい中学校である事は事実です。

 機会を得て、4月から入学する生徒の保護者と過ごした時間の、小牧中学校教育に寄せる「期待感」に応えてくれる「授業」が展開されることを信じています。

2013/02/13

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載②≫

旅日記 2月 1~ 2日(広島市)

 「講師の角田先生には7年連続してこの本校の研究会で講演をしていただいています」との教頭先生の講師紹介で研究発表会の「講演会」が始まりました。年数の公表に我が耳を疑っていました。ここは広島市佐伯区の石内小学校です。映画監督・新藤兼人氏(故人)の母校なのです。「花は散れども」という映画のロケ地になっている「蛍の飛ぶ」水のきれいな所です。

 学級閉鎖が生じる状況での研究発表会でした。3つの部会での授業研究協議と講演の二部制にして実施されたのですが、参会者の顔ぶれに顔なじみがある程に通っている学校であることを実感しました。しかし、もう「7年間」も訪問し続けている証しとも自覚した講演会でした。事前に「石内小でお目にかかることを楽しみにしています」のメールを数通受け取っていることも思い出しながら登壇しました。

教育界でも「人材の育成」に躍起になる程に人員構成がいびつになっているのです。つまり、50代と20代に構成員が偏り。40代の教員が少な過ぎることに将来への経営不安が集中しているのでしょう。訪問校も例外ではないようです。

 そこで、こんな「教員育て」の方法もありますぞ!と講演での実演を公開しました。こんな手法で接すると「人は変わります」という奥義を披露することにしました。つまり、講師にとっての「講演会」での授業をすることに決めたのです。会場に居合わせた外部からの聴講者には理解できなかったかも知れませんが、会場校の関係者には「何かが違う」手法ぐらいは感じ取ってもらえたと思っています。

残念ながらブログでは解説することは不可能ですのでご容赦願います。分かっているのは「当事者だけ」だとは確信しています。何せ、7年間も通っている小学校です。多くの教員が転勤してきた時点で、この講師が先着している訳です。人財育成の標的人材ぐらいは選択できる能力は持ち合わせている老輩です(笑)。

「講演・授業」の標的になった人材(=訪問校教員)は、多くの聴講者の面前で酷評されたり、朗読を強いられたりと散々だったことでしょう。教員としてのプライドを傷つけられた講師の言動に面喰った思いだったでしょう。

人が変わるには、『正』であろうが『負』であろうが大きな衝撃が必要であることを改めて思い知らなければなりません。ぬるま湯の衝撃では「変動」は期待できません。馴れ合いと傷の舐めあいで授業を研究していても授業は変わりません。そんな理念の下で、荒療治を施しました。その後の、この教員の成長を見守っていきたいと考えています。

 講演の内容より「人財育成」を主眼にした手法での講演となり、小生の講演を目当てに参加してくれた外部からの先生方には少々お詫びを申し上げなければなりません。

詳細は田中校長先生か國政教頭先生に直接問い合わせてください。(広島市立石内小学校 082-941-0217) 写真は授業観察中の教室風景です

 翌日の講演は、中学校区(石内小学校も入る)ふれあい活動で一昨年に続き2回目の登壇でした。明らかに前回より多くの参加者と、その視線に講演内容への期待感を強く感じました。中学1~2年生の吹奏楽部の演奏を聴きながら前回の光景を浮かべていました。確かに中学校が変わっている!!生徒指導にご苦労されている中学校である、と前回の控室で聞いたことが蘇ってきたからです。中学校教育に携わった一人としては「学校の荒れ」は他人事ではないからです。演奏を聴きながら中学生の表情から判断しましたが、間違っていないと確信しています。
  それは、地域の方々の聴講態度にも表出していたからです。温かさが増しています。学校は、大人社会の現象を映す鏡と考えれば容易なことです。教育は学校に委託するモノではなく、大人個々の「地域や子供を愛する」姿勢が子育ての支柱であると核心ています。地域の責任ある方向性が求められていることを実感できた会場でした。学校は、地域に感謝して全ての教員が授業づくりに全力を傾けたいものです。
充足感を胸いっぱいに戴いて、とんぼ返りで帰路に着きました。有難うございました。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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