2013/04/07

私だけの『常識』

           ~「天気予報」って外れるモノ?~

 少年時代に庭先で下駄を飛ばしていた兄が「やったぁ~、明日は晴れだ!」と言いながら家に入って来た。祖母が、「雲仙岳(=今は「普賢岳」)が傘を被っとるけん、明日は雨降りバイ」と言い返していたことを思い出した。「天気予報」なんて洒落た手段は周知されていない時代であった。その後、TVという広報手段で時報の前5分間で担当者が天気図を前にして明日の天気を占ってくれる(笑)時代になった。

 しかし、信用はしていなかった。
 ラジオやテレビの「天気予防」は当たることが少ないと言う「私だけの常識」がいつの間にか成立してしまった。兄の下駄投げで「表が晴天」だと思い込む方法より、祖母の「雲の傘」を視る自然現象で判断する予報の方が素晴らしいとは子供心にも合点はしていた。

 先週の半ばごろから週末は「春の大嵐」の予報が繰り返されていた。つくば市に竜巻が起きて被害が出た時も事前の気象情報では予報が出ていて、的中した。最近は大きなズレもなく「的中と言える」状況下にある。「私だけの常識」は、天気予報に関しては見事に崩壊状態である(笑)と言えそうだ。

 昨日も関東地方への気象警報を耳や目にしながら、「大きくは外れない」天気予報通りに大雨と強風の一夜となった。孫たちの遊び道具も飛ばないように片づけて正解だったようだ。

 打ち上げられた気象衛星とやらの機能が発揮されているのだろう。
 科学が万能とは言わないが、このような発達は大歓迎である。しかしながら、科学では究明できない自然現象も多い。3・11震災から、地震や津波への国民的意識を「今までの常識」を覆すような工夫を気象庁も広報に懸命である。基本的には「獲得した常識」の加除修正をする力が求められているのかも知れない。

 陽射しが強くなって晴れ間が見えてきたが、風は「予報通りに」強い朝である。  皆さんのお住まいのお天気状況は如何だったでしょうか?

2013/04/06

散歩人と語る

 ~これって、「花」?「草」?~

 二人の老婦人がビニール袋に何やら入れながら道端でしゃがんで話し込んでいる。妻が声を掛ける。「何を摘んでいるんですか?」と。すると一人がビニール袋から緑の葉取り出しながら、「これって花ですよね」と反対に問い質されてしまった。妻は「わかりませんが・・」と答えるしかなかったようだ。わからないから聞いた妻に、もう一人の婦人が「草だと思うんだけど、姉が花だと言い張るモンで摘んでいるんですよ」と畳み掛けてきた。

 「雑草でもきれいな花を点けるのもありますからね」と、小生が知ったかぶりで反応すると、二人の老姉妹は笑顔で「綺麗な花が咲くと良いねぇ~」と言い合いながらその場を去って行った。

 当地に転居して、我々夫婦も間もなく2年間を過ごすことになる。

 当地では見ず知らずの人でも気軽に挨拶を交わすことが出来るのが嬉しい。そして、今朝の散歩人のように身近な対話を、まるで旧交を温めるかのように抵抗なく交わせるのは当地の人たちの育ちなんだろう。

 湖面を見ながら歩き続けていると、秋田犬(と飼い主が紹介してくれた)を連れた老紳士と立ち話になった。あまりにも毛の長い大柄な犬だったので、小生が思わず、「立派な犬ですね」と声を掛けたからである。飼い主が別れ際に、「オレの食事代の何倍も金が掛かっているんだよ」と苦笑して去って行った。

 60分間6500歩の歩禅(散歩)コース。

今日のように散歩人と楽しい会話になって立ち止まると1時間を超えてしまう。歩数は殆ど変らないが、時間を掛けて分だけ「当地に受け入れてもらった」気分になり、爽やかな時間を過ごしたことで至福の時間となり満足である。

2013/04/05

コンビニは便利

 
 ~近隣に本屋さんがない~

 茅ヶ崎に住んでいた頃は駅まで歩いて行けば殆どの用が足せたが、当地ではそうはいかない。徒歩で行けるのは1件あるだけのコンビニである。

近所のコンビニに入る度に思い出す。それは、広島の小学校で「飛び入りの英語の授業」を要請され、至近距離にあったコンビニを教材として授業を行ったことである。担任の先生の特質(=独身で頑張り屋さんで早朝出勤者)も活かして授業を構成した。

 そして、担任教師と「掛け合いの」漫才をやった。

 私  「先生、今朝は急に雨が降り出して濡れなかったですか?」

 担任 「いや、コンビニを見つけて傘を買いましたので濡れませんでした」

 私  「先生は出勤も早いそうですが、朝食はどうしてるんですか?」

 担任 「家の近くのコンビニで、おにぎりとカップスープを買って車に乗ります」

 こんなやり取りをしながら convenience という難しい単語を導入した。何の抵抗も無くほぼ全員がコンビニエンスという単語をおぼえることが出来た。そして、「コンビニって便利だね」、と言い合いながら意味も理解してくれた。6年生でも convenience という長い綴も書けるようになった。嬉しい誤算だった。担任教師の驚きは表現し難い。

 あの子たちはもう高校生だな~、と懐古しているのは「コンビニは便利」を実践しているからである。本屋さんではないのと、年齢を考えると「コンビニでの立ち読み」には聊か抵抗感があるのだ。

 振込や航空券も購入できるので、コンビニの最近の使用頻度は高い。

 今日は、ふと目に着いた月刊誌を紹介しよう。コンビニの棚には教育に関する専門書がある訳がない。当然のことなので立ち止まる事にも躊躇いがある。パラパラとページをめくりながら、読みだしている自分に気付いてハッとした。その雑誌を購入して帰宅した。

 読み返しながら、「こんな雑誌もあるんだ!」と感嘆の呟きが飛び出す。現役の後輩諸兄には一読に値する雑誌である。

 職種に限らずに、一読されても面白いのではないかと考えてここに登場させたが、コンビニを覗いて視られたらいかがでしょうか?!この種の雑誌は直ぐに入れ替えがあると思われます(老婆心ながら・・・)。

2013/04/04

歩禅の記(18)

 ~朝陽に向かって歩くと~
 
 
  歩調にもピッチが上がりますね。

 田圃の向こうから今日の「お日さま」が凄い存在感でオーラを放ちながら昇って来ました。早朝の5時半頃です。ここ数日、関東は強風と降雨に見舞われて外出もままになりませんでした。それに低温も支障になりました。

 庭の水溜まりが暫くは掃けない程になっています。サッカー遊びで掘られた格好の水溜まり場が出来あがったようです。

 久しぶりの太陽光の恵みを胸一杯に吸って6500歩の歩禅を終える頃は、当地ご自慢の雲雀の囀りが異常な程に聞こえて来ます。見事な雲雀の囀りに比べて、鶯の「けいこ不足」の鳴き声には連れの老妻も苦笑いです。奇妙な鳴き声の連続には「ガンバレ」と応援したくなりました。目の前の雉が歩いて横切ります。そして独特の鳴き声を発します。「雉も鳴かずば・・・・」の言葉を思い出してしまいます。

 長閑かな田園風景の中に差し昇る朝日と鶴沼に映る「太陽とカモの群れ」の写真を提供します。

2013/04/03

小さな『希望(=のぞみ)』

 ~せめて「仏壇の花」ぐらいは・・~

 両親をほぼ同時(3か月を経ずして)に亡くした妻が憔悴してしまった時期があった。あれからもう6年が過ぎている。茅ヶ崎の自宅の思い出での一つでもある。

 茅ヶ崎の狭い家屋では、改めて「仏間」を拵えるゆとり(面積も財政)もなかったが、その前年に当地(現在住んでいる場所)に長男が新居を設けた。設計の段階で仏間の特設を要求したので実現した。

 (九州の)妻の実家に行って両親が大事にしていた仏壇を修理の依頼をして新居に送り届けてもらった。3回忌の法要も仏間に両親の親戚縁者(関東近県に住んでいる)をお招きすることが出来た。来客をお礼を述べて見送りながら妻が、7回忌までには「せめて仏壇の花ぐらいは自家製(庭先に咲いた花)を供えたい」と、従姉妹に言っていたのを記憶している。

 今年は現時点で沢山の水仙の花が咲いた。

ご近所のおばあちゃんから戴いて昨年植えたモノであるがほぼ全部芽を出して咲いてくれた。「花は咲くもの」ではあるだろうが、実際に切り取って仏壇に供えて拝んだ。
「春の香り」の香しさは店先の花とはちょっと違うぞ!嬉しさで、妻は亡き両親を思い出してしまうようだ。庭先には四季を彩る多くの花が咲き誇っていた両親と過ごした故郷の庭先を思い出しているのだろう。

妻の小さな「希望(=のぞみ)」が万分の一でも叶えられたようで小生も嬉しい。庭先を利用して花を咲かせて、「せめて仏壇の花ぐらいは」の細やかな妻ののぞみを現実化するか!

水仙の花の香りが「花粉症」の小生に、『匂いの世界』を呼び戻してくれている朝である。

2013/04/02

『新芽』の息吹

 ~「未練」と「決意」を徒に引き裂かない~

 未練はあるほど実りも大きい。

 日本社会における『4月』は、錯綜する精神文化の百花繚乱であるとの考えに落ち着き始めている。3月31日までの足跡を振りかえっては「未練」という精神文化を涙で味付けをして浸っているようだ。女々しいとか未練がましいとか、マイナス思考として軽蔑されて来た。

 未練の無い過去はない。

 未練の水量が溢れた分だけ「涙」となって溢れ出たとすれば、まだ沈殿している未練の塊は存在するわけである。その未練の塊は他者には見えないから、過去を諦めて、紛議って「4月からの新しい世界」に一歩を踏み出したのだとその決断を褒めてもらえるだろう。

 未練の塊からしか新しい生命力は芽生えない。未練の中に素晴しい栄養素がある。それは温もりだ。教員ならば、思い出に残る学級や児童・生徒たちの表情である。その貴重な財産に未練心を抱き続けながら「新しい世界」に挑むことをお勧めしたい。更に次の機会の「4月」には、より大きな未練の塊がまた沈殿できるからである。

 こんな素敵なメールを頂戴した。

送信者は教員経験20年には達していない。新しい世界(=学級担任から外れ学校全体の分掌を担う)のためのギアチェンジ宣言を送ってくれました。爽やかな四月の『新芽』の息吹と受け止めた。再会が楽しみである。

13/04/01/17:33受信
角田 明 様

 突然のメールで失礼します。 御無沙汰しております。K小学校のNです。 2月の●●小学校の研究会には,参加できなくて大変残念でした。 前回の再会の折りにいただいた数々のヒントをもとに行った,『実践の結果』を報告したかったのですが・・・

 さて,4月に入り新しい体制がスタートしました。私は,今年度もK小学校でお世話になります。ただ,今回は担任を離れ生徒指導主事という大役をいただきました。正直なところ大変複雑な心境ではありますが,これを大きなチャンスと捉えて前進していきたいと考えています。 これからもご指導をよろしくお願いいたします。

2013/04/01

暦は、いつもの『一日』なれど

 ~「昨日」と「今日」では大違い~

 気温が低いので今朝の早朝歩禅は止めました。

 桜も「綺麗に咲いて見せて」、惜しまれて散りたいだろうなぁ~!と老夫の呟きに老妻が応えました。「わかるような気がしますよ」と。数日前に耳にした『健康寿命』の言葉への反応の延長戦の老夫婦の朝の会話です。

 今日から4月。

 新年度が始まりましたが、「毎日サンデー」の主人公夫妻には実務的な影響は御座いません。「過る」光景は、新年度の不安を積み込んで業務を開始したあの頃です。結局は「何とかなるさ」の能天気な人生哲学で終わってしまうのが常でした。井の痛みも頭痛もあったのに周囲には理解されず(笑)、経営者としての時間を「つつがなく」過ごしてしまったようです。

 昨日と今日とでは大違い。

 違いに振り回されていると、次の濁流の襲来に気付きません。そうすると知らず知らず「二次災害の上積み」に押し切られてしまうのです。昨日は昨日、今日は今日、そして、明日や明後日に希望をつなぐ人生観を持ち続けないと潰されてしまいます。

 思うようにいかないのが人生です。

 思うように生きているように見える人は、「見せる」技術にも磨きをかけている生き方なのですから誤解をして、自らとの違いに愕然としてはいけません。それも一つの人生ですよね。

 本質はみんな同じです。みんな苦悩な生活におぼれそうなのです。だからこそ理解しあえる仲間や同僚や家人が必要となる訳です。新年度には「新しい出会い」という夢のような世界が広がります。素敵な出会いを期待して自らを鼓舞して頑張りましょう。期待しています。 

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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