2013/06/09

サボリ始めるとサボることも気にならないのは人情ですかね?

 

 4日から早朝歩禅を休んでいます。

 とうとう6日間、ほぼ1週間のサボタージュです。理由はあるにしても「怠惰な心」がチョッピリ潜在していることは否めません。四国・高知市に出講した3日間は無理だとしても、帰宅後は、早朝は避けても「歩禅」への意欲は復元できた筈です。

 ところが、老体が動こうとしないのです(笑)。

 拍車を掛けるのは老妻です。「疲れているんだから無理はしない方が・・」の優しい(笑)言葉に絆されて、「そうだね、また直ぐ、県外に出講するんだし・・」と自らが正当化して語りかけてしまいました。

 今日は、横浜市に出講します。片道2時間半の電車移動も軽視できない年齢になりました。疲れの蓄積は確かに感じるようになったことに衝撃を受け始めているのも事実です。高齢化すると「無理をしないで」の言葉が自らの怠惰心を煽動します。

 尊敬する鍼診療師は、「無理をしてみないと現実の体力が分からないでしょう」と言われます。当方の県外への出講予定も師は、「やってみなさい」の一言で、いつも片づけられてしまいます。「頑張れた!」と自らが認めることが老化を遅らせるんだよ、と指導を受けているのです。

 今頃、いつもは早朝の空気を吸いながら元気に歩を進めている時間です。

 横浜までの往復5時間の電車移動への負担を老体が感じ始めたのでしょうか?ちょっとだけ避けたようです。意欲と気力、そして体力がある限りは、『求められている幸せ』を自ら棄てることは師の教えに背くことになります。

 決して思い込んでいる訳ではありません。

沸々として意欲が復元されつつある朝であることも事実です。歩禅の歩数分は横浜往復で十分に足ります。今日も「待っていてくれる」状態に飛び込むのですから、頑張らねばなりません。まだ、苦痛の世界には入り込んでいません(笑)。

2013/06/08

高知で拾った「ニュース」でも、所詮は全国版コラムなり



  ホテルの部屋に配達されるのが日本経済新聞だった。

選択はできないようなので2日間の滞在中の部屋のお伴は日経新聞になった。こんな機会でないと日経をじっくり読むことも無い。じっくり読んでみると一般新聞とは構成が違うことに気付いた。思考回路の整備点検にもなった。

 全国を歩き回ると「所変われば品変わる」風の空気に触れることがありほのぼのとした気分に浸ることができる。これこそ講演行脚の醍醐味なのである。そんな心情になるのは多くは『その土地の言葉』(=方言)絡みである。

 高知では、「そうなんだ」と相槌を打つ表現が「そうなが~・そうながや」とわかった。高知市では英語の示範授業を請け負うが、そんな授業中に子どもがぽつりと「そうなが~」と呟いた。独特な高知弁も多く、意味不明なものも多いがどこの方言も耳触りが良く心までホッとする。子どもの発語の環境条件からしても、「知り得た情報を自分のモノにするため」の脳に訴える深い意味の呟きであるをわかって嬉しくなった。懇親会で再現して発声してもらってイントネーションまで理解できた。

 日経新聞のコラムの内容は目に着いた、

当然ながら全国でも同様なのである。他の地方を訪問しても、若手の育成に閉塞感すら抱いている方が多いことがわかる。育った時代の「日本の社会環境」の影響である事は事実である。一般社会と教育界の相違は、40歳代の教員の育成法に少々行き詰まり感があるところだろうか。仕方が無い!その年代の教員は「採用が少ない」時代的背景があったからだ。

いずれにしても、「後輩がなかなか育たたない」現実は、笑っては過ごせない。何故ならば、教育界で働く人種は更に次世代の人材を育成する大きな責任を負っているからである。自らの成長が保障されない人材に他者の育成を委託することは不安なのである。

今、こんな世相の中で「日本丸」は進んでいる。行く先はわかっているのだろうか。少々心もとない気分になるのは、小生も「高齢者症候群」に確かに在るようだ。

2013/06/07

いつでも、どこにでも、「起きて不思議ではない」現象


 久しぶり(昨年度は訪問していない)に訪れた小学校の子どもたちの動きが違和感を与えてくれた。7年前から継続訪問している小学校なので、その間に学級の治安を壊すような数名の子どもたちが存在したことも記憶している。

 しかし、今回は以前との差異が明確だった。

 つまり、この学校だけでなく「どこでも・いつからでも」気が付いた時には火の手が上がって消火が後手に回ると言う教育現象が起きているようだった。全国各地でこんな現象への対応策等の指導助言を要請される。しかし、小生にはそんな処方箋は持ち合わせていないのでお応えが十分に出来ない。力量不足は否めない。

 生徒指導を特枠として設営して管理するのではなく教科等の日常の授業で積極的に取り上げられれば「荒廃・崩壊」などの現象は起きないだろう。これが小生の「授業こそが積極的な生徒指導」という持論なのである。

 教育(指導)手法には「特効薬」は似合わない。

薬や注射のような即効性を期待するような手立ては、その場しのぎであって永続的な効果には決してならない。授業こそが積極的な生徒指導と力説する小生は、だからこそ「授業研究」に教師はエネルギーを費やすべきだと考えるのである。

 数日前から咽喉の痛みもあり、咳き込んでしまう状況下にあった老体ではあったが、懐かしい顔ぶれの教員集団の前に立った小生は、力んだにも関わらず咳が出て中断することも無く近くまで歩み寄りながら力んでエールを送ることができた。

 示範授業(=小学校英語)も公開したが、体調不良も「きらきら輝く」6年生の子どもたちの視線は感知した。負けまいと(笑)、G先生(=じいちゃんせんせいの英語版?)は奮闘してしまった。参観者の中から一人の固有名詞を出して「あの子があんなに集中して授業を受けたのが信じられない」との意見を述べた。これは、G先生への最高のほめ言葉などではない。そっくり教員集団にお返しする言葉になった。こんなにも輝く(きらきら)視線を持っている子どもたちは、授業への期待があるのだと言う証ではないか。「教員が頑張らずに表面上の打開策だけに依存してはいけませんぞ!」と。

 学級崩壊と言う珍現象(時・所構わずに発生するから)に振り回されずに授業づくりの研究には精力を傾けて欲しいのである。なぜならば、数名の珍現象発起人のために、「授業への関心」すら放棄してしまった児童がその学級には多く居るからである。

 9月に再訪することになった。学校を上げての意識の高揚を期待しながら快適な空路で帰ってきた。

2013/06/04

こんなにきれいな花が咲いてくれました!



 夏菊も順調に生育しているようです。

 老妻の細やかな望みは、「自家栽培の花を仏壇に」だそうです。転居して巡り合えた『猫の額』ほどのスペースに野菜や花を植えています。通りがかった農家の人に間隔が狭すぎる、と言われた老妻は途方に暮れました(笑)。折角育ったトマトの苗を植え替えたら枯れてしまいそうだとの悩みでした。

 アドバイスを無視するわけにもいかず、植え替えて狭いスペースにこんなに間を作ったら他には何も植えられない!老妻だけでなくともそんな思いでした。しかし、枯れるどころか立派に成長して黄色い花が着きました。

 キュウリも長男が持って来てくれた苗を植えつけ、これも採り入れが楽しみに思えるほどの成長ぶりです。早朝歩禅から帰宅して(5:30ごろ)から『猫の額』は人口密度が高くなります。老夫婦が入り込むからです。

 見事に咲いた花を切って、仏壇に供える老妻の足取りも軽いようです。嫁が植えたマーガレットの花も貰って飾っていましたが、もう盛りは過ぎたようです。知人の勧めで植えた夏菊がお盆のころには咲いてくれそうな気配を感じています。

 植栽と教育とは似ても似つかぬモノだと考えていました。

 しかし、何かが似ています。それは「手を掛ける」ことを怠ったらその分だけの生育や成果は期待できないという事です。偉そうなことを言う気持ちは毛頭ありません。肥料もその種類によって異なることを隣人に教わりました。1袋だけ買って来ていた肥料と名の付くモノを全種類に施していると言うと農家人に笑われました。

 肥料の種類が違うことも水やりの時間帯も教わりました。聞くコト全てが未知の世界でしたが納得する事ばかりです。昨年立派に栄えてくれた「琉球朝顔」が、6~7本の芽を出して来ました。霜害とやらで今年は諦めていましたが、芽が出たのに気付いて良く視ると次の芽も出ていて、日に日に大きくなってくれます。

 朝の労働(笑)の後、朝食を摂ります。ダイニングの窓の下には蔓インゲンが、隣人から貰った竹竿にしがみついてもう届かない所まで伸びているのが見えます。教員生活では感じることの無かった「緩やかな成長」「きめ細かな作業」「適した肥料」「最適な水やり」等々に、何か新鮮な教育をされているような気分です。野菜や花の成長への感動を副食にすると朝食が美味しくなります。

 そんな時期に、当方の繁忙期がやって来ました。

 今日は繁忙期開始を証明する県外への初めての遠隔地への出講日です。もうすぐ10年にもなる高知通いに本日出発です。高知の先生方が待ってくれているので喜んで出かけることにしましょう。

 猫の額の農作業(笑)は老妻に一任しての出発です。

2013/06/03

「オレの人生、半分は物探しだよ」、友人の一言が懐かしい


 昨日は横浜への出講日だった。

 長男が孫二人を連れて隣接するつくば市まで行くと言う。老妻を誘っている。夫が出講日なので同行できないと言っているのが聞こえた。「そんな馬鹿な!」と対話の中に入り込んで老妻が同行できるように予定を変えた。同乗して土浦駅まで送って貰って早めの横浜行きにしたのである。

 魂胆があった。

 東京の大型書店で「本の探し物」があったのでその時間が欲しかったのである。お陰様で約1時間早く上野駅に到着できた。2冊の著書名もメモしていたので広い書店内を楽しく遊歩した。勝手の違う本屋さんでは本を探すのも一苦労する。単行本なのでサイズが小さい分大量の本が並べられているので探しづらいのである。

 本の中に埋まるようにわが身を置いているのは堪らない程気分が良い。

 家人には、「本屋に置いておけば泣かずに遊んでいる」と評価されているのは、それまでの実績があるからだろう(笑)。趣味とも理解されているようだ。時間に制約のある今回の「本探し」は、いつものように悠長さはない。少々焦りながら店内をうろつく老人は、店員さん達にはどんな風に映っているのだろうか?

 都会の店員業務には顧客の様子を観察する時間は無い。いや、そこが堪らなく嬉しい。1冊目を発見するまで30分も掛かってしまった。諦めかけてレジに進むと2冊目が見つかった。

 時計を見ながら会計を済ませて、ラーメン屋に立ち寄って昼食を済ませて横浜へ向かって京浜東北線に飛び乗った。所要時間45分間の快速電車の「旅の伴」は購入した2冊の本であった。若干の期待外れを感じると飛ばし読みになる。読み終えた頃、目的地の桜木町駅に着いた。

『本探し』の時間は、やっぱり我が人生の快楽のひと時である。

2013/06/02

高齢者とは、「明日は我が身」と思ったのも束の間だった!!


 昨日の朝刊のトップ記事(写真版)の数字が目に飛び込んだ、

 高齢者群は65歳からであると認識はしているが実感は伴っていない(?)。いや実感と認知したくないのかな(笑)。認知症と言うと、まだまだと言い放つが、痴呆症と言うと、なぜかドキッとするのは謎である。

 親世代の病名が痴呆症だったからだろうか。病名も美称化が確実に進んでいることも認知はしているが、内面的な心情はそんなに容易に拭い去れないようであることもわかるような気がする。

 ともあれ、現状の『事実』(推計もあるが)として新聞記事に目を通すと最近の老化現象の症状がこの数字の中に己も入籍(?)したのではないか、と不安になるのも事実である。

 当地に引っ越す際に、『離れ』の家を設計することになった。老脳の意識は「ミニ・老人ホーム」づくりで充血していた。バリアフリーと、水廻り(トイレ・洗面所・浴室)の一体化と、老妻が立つ炊事場への気遣いには気持ちを込めた。良かれ、と作ったミニ・老人ホームも実際の使い勝手の悪さには苦笑である。

 50分間・6500歩は我々老夫婦の「歩禅日課」である。

 今朝も4時半から50分間を、定番コースとして歩いて来た。努力はしても、いつまでも歩ける保障はどこにもない。いずれは閉じこもりになってしまうのかも知れない。我が子たちに迷惑だけは掛けたくないが、掛けてしまうのだろう。

幸か不幸か、小生は未だ山ほどの仕事を請けている。示範授業も請け負っている「身の程知らず」の高齢者ではある。予備軍の年齢集団に居るわが身としては「なるようにしかならない」将来のことを案ずることは止めた。今日も、一日を元気で全身を動かせる幸せとお付き合いすることにしている。

 このブログを書くのも「昨日のことを思い出す」ための脳鍛錬の時間である。それに寄り添って読んでいただく全国の読者諸兄には感謝である。

2013/06/01

買ったままで一回しか使っていないエアコンが壊れたら?



 梅雨入り宣言の出た関東地方に、もう夏日の陽射しが襲って来ました。

 我が「離れ」の住まいは、南に面して建っている母屋の東側に小さな渡り廊下で繋いで南北に建築されています。敷地の関係ですから、それ自体には不満はございません。早起き鳥の小生は4時過ぎには東に面しているシャッターを揚げてカーテンを開けます。昇ったばかりの朝陽が射し込んでくれます。この時期は栗林の新緑を通り抜けてくる清々しい空気を胸一杯に吸うことができる至福の時間です。

 午後は西日が大きな窓からたっぷり差し込んで来て、夏場は難儀です。

 シャッターを半分ほどまで下げて日よけを作りますが、真夏日が続くと堪りません(笑)。長男に急かされて昨夏、やっとエアコンを取り付けました。老齢者(両親)の熱中症を心配していたようです。しかし、昨夏は取り付けたままで一回だけ試運転で点けただけで冬場も全く利用していません。

 昨日、孫が帰宅して「暑い!」の連呼です。「お祖父ちゃんの部屋のエアコンはいつから使えるの?」と請求するほどの熱さの様でした。「買っただけで一回しか使ってないからなぁ~」と言うと、「使わないで壊れたら損するジャン」と返答しましたので、老妻手作りのカバーを被せられているエアコンを見詰めた老夫婦は顔を見合わせて苦笑してしまいました。

 電化製品の故障。

 修理・修繕の文化が我が国から消えていることに思いを巡らせました。『繕う』という動詞がこの世の中からも消えたことも同時に頭を過ったのです。祖母や母が靴下に出来た穴を繕って履かせてくれたあの頃は、「棄てて、新品の靴下を買ってほしい」と駄々をこねたモノでした。願いは無視されままで、時は流れてしまいました。

 修理・修繕は、部品の取り換え時代から、「ボード(部品のセット)の取り換え」になり、ボードが製造されていないという理由で「本体の買い替え」となりました。「下取りのサービス」が強調される時代になっています。素人には、どう見ても「買い替える」気になれなくても、よりパワーアップした新型製品を勧められ下取り価格に現金を足して、否応なしに流行の製品が運び込まれるのです。そして、必ず「省エネ」という文字が貼りつけられているのです。素人には業者の真意は理解できていません。企業が「売らんが為の」努力目標なのでしょうか。表現は悪いでしょうが、詐欺行為とまで思うほどの激しい販売合戦なのです。

 発端は「使い捨て時代」の到来だったような記憶です。

未来に明るさを齎すような時代がありました。しかし、捨てた物は溶けて消える物ばかりではありません。大量の「ゴミ」として次代に残して、華やかな時代は進んで来たようです。暗澹とした行方を案じるようになりました。老化現象もホンモノになった証しだそうです(笑)。

今夏も全家庭でエアコンを使用して電気を消費します。電力を生産する過程への社会問題も先行き不透明のままで時代はどんどん進んでいます。使えばエアコンも消耗します。そして、また新型製品に買い替えを勧められるのでしょうか。修理屋さんは経営が成り立たないのでしょうね??「保証書」をじっと睨みつけています。

 衣替えの日。余計な取り越し苦労をするような老身になったモンです!
 
※カバーを外してエアコンが機能した日に撮影して本体をご披露します。いつのことやら・・(笑)

衣替えの日の朝は、当地も快晴です。4時半に家を出てみました。もう隣家の間から朝陽が昇ってくる時刻でした。15分で到着する「鶴沼」の湖面にはこんなに太陽が大きく存在していました。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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