~鳥の鳴き声で目を覚ます幸せ~
昨年から請け負っている「教員採用試験受験者」対象の講座も、26日に最終回の講義となった。ということは本番が直近であること。受験者の形相も変わって来ていたのを思い出しながら、スペシャルサービス(今年度から)の期限付き『添削指導』も最終受信の原稿を以って完了した。上半期が終わったという実感である。
多方面にわたり「教育課題」が提示され、それに対して論究するという「小論文」の添削をしながらふと「若かりし自分」を思い出すことがある。立派な論文を提出する「教師の卵」の皆さんの論述力に感心しながら我を振り返るのである。「何も知らないまま・・・」に採用され、先輩に足蹴にされたり蔑視されたり、そして最悪の事態は校長に「辞めますか」と言い寄られた光景が浮かんでは消えるのである。
良くぞ教員道を全うできたなぁ~、と思えば思うほど「人との出会い」の妙を感じぜざるを得ない。優しく慰められたり、労わってもらった記憶は蘇って来ないが、叩きのめされた先輩教師の「厳しい一言」が何故か鮮明に浮かび上がってくるのが今更のごとく不思議で仕方がない。
あの厳しさの風景の中には「無限の愛」が潜んでいた!?
昨年からのこの講座との出会いは、「報恩の儀」として、諸先輩が企まれた『罠』ではないか。恩返しの足りない愚鈍な小生への「厳しくも優しい」試練の場が準備されたのであろう。そんな充実感をいただいて今回の「一次試験」対策の任務を終えることができた。7月3日が受験日である。「恩送り」の心情で当日の奮闘を祈るだけである。
爽やかな朝の空気の中で、鳥たちの囀る声が耳に入る。
その声で目をさまし、雨戸のシャッターを上げるとひんやりとした風が舞い込んできて心地よい。さあ、これから今日の出立の準備に取り掛かろう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
2011/06/30
2011/06/29
気が付けば「栗の実」が枝に・・・。
転居先にもどんどん慣れてしまうと道不案内の不安心も溶けて移動範囲を広くなるのでしょうか。一日が飛ぶように過ぎていくようなリズムになってしまった(笑)ようです。「梅雨明け」のような高い青空から注ぐ真夏のような陽射しを受け止めながら、明日からの旅の支度に取り掛かったところです。
陽射しを見上げながら、妻が叫んだのがこの写真の一角です。
栗の実が見えますか?気が付けば、独特な栗の花の匂いもいつしか消えていました。そして見上げた青空をバックに緑色の実が目に入ったようです。久しぶりにデジカメを持ち出して「栗の実」を居間から撮ってみました。初年度なので何もかも珍しく映るものでしょう。
地面を見れば、これもすっかり忘れかけていたミニバラが見事に咲き誇っているのです。
地面を見れば、これもすっかり忘れかけていたミニバラが見事に咲き誇っているのです。
老妻が「母の日」にいただいた鉢植えの花でした。引っ越しの荷物の移動でいつの間にか枯れかかっているのを発見して慌てて庭の片隅に「謝罪の意」で植え替えたのです。そのことも忘れていたのですが、足元にも命の復活で存在感をアピールしていてくれました。栗の実に気が付いて、やっと足元の花にも気づけたということは、少しずつ足が地についた新居の生活が本格的に発進し始めたことになるのでしょうね。
暑中見舞いの葉書が飛び込んできました。
そんな時期になりました。今年も厳しい夏になるらしいですよ。どちらさまも熱中症等にお気を付けいただいてお過ごしください。
明日から3日間鳥取市まで行ってまいります。また、このブログは休刊します。お許しください。
2011/06/25
江戸時代に学ぶ・・・
~ここは「水戸藩」のお膝下?~徳川御三家の一つである「水戸の徳川家」のお膝下に住居を移したんだ!
この記事は、神奈川県の地方版では読むことのできない内容ではないか。実は正直なところ、まだ、瞬間的な着想は「神奈川方式」であることが多い。新聞を開き読みをしながら「地方版」に登場する地名に全く馴染みがないからであろう。しかし、全国を回っている小生にとって、講演当日の朝刊を「前置き」の語りに引用することも多いので地方の情報収集能力は長けていると思い込んでいた。しかし、それはあくまでも「旅の人」の旅情的な思いであり地元意識ではない。
母屋から届けられる朝刊に目を通している部屋はホテルの一室ではない。「我が住まい」である。この情報は、転居して初めて地元意識を掻き立てる新聞記事に遭遇したことになる。JRを利用すると1時間もかからない近距離の「江戸時代の水戸藩」があることに意識が高まった。
日本公文教育研究会に所属して、「子育て支援センター・顧問」という大役を仰せつかって本腰を入れて『子育て』について研究した。無責任な親業を反省しつつ、恥じつつも全国での「子育て支援・講演会」に数多く登壇した。その研究材料の中で「江戸の子育てに学ぶ」というジャンルに到達した。そこからは「寺子屋」制度なる教育の組織体制の威力も、歴史上の字句とは異なる深い学びを得た。そんな思いも、この記事と一緒に彷彿としてきた。
その後、後輩教員から「大江戸、耳寄りばなし」という田中優子教授のオピニオンも紹介され、改めて「江戸に学ぶ」という角田明式・ジャンルが出来上がりつつある。教授の著書をさっそく取り寄せて読んでみた。読みながら立ち止まってしまうことの多かったこと。江戸時代の人々の生活の営みの多様性を驚いてしまったからである。
「江戸から学ぶ」意識で水戸市を訪れてみたくなっている朝である。
今日は千葉県に住む孫たちに会いに行きます。車で、とも考えたのですが明日が横浜市での出講となるので今夜は泊って、明日はそこから横浜へ直行することにしました、車での訪問は次回に回しましょう。明日の帰宅は夜遅くなります。従って明日は、当ブログは休刊になる可能性が大となります。ご了承ください。
2011/06/24
再放送の画面に喰らいつく
~貴重な情報を授受して~
世はまさに超高速情報化時代と実感。
当方のブログでのぼやきに数通のメールや電話が届きました。そして、その情報に基づいて今朝、8時半から老妻と一緒に画面に釘付けになってしまいました。前回の場合は、リモコンの悪戯的操作の先にあの番組がありました。今回は、初めに「見たい番組」ありきの状態での対応となりました。前回は見過ごしてしまった未練心から「録画撮り」というつぶやきを発してしまいましたが今朝は違いました。メモするノートも準備して待機する対応です。こんな場合は録画撮りの甘えはありません。
★今、美しいだけでなく1000年先の美しさを追求して作り上げる ★解体することができるには、解体しながら当時の技術や文化を知り再現できる能力があるという資格が必要である。★1本たりとも同じ木は存在しない。★どんな木でも、時間が経てば曲がるものである。★切れる刃物は嘘をつかない。だから研ぐのである。★どんな仕事も一人前になるには最低でも10年は掛かる。その最低条件がその仕事が「好きである」ことではないか。
実はここに列挙した事柄以上に、胸をえぐるような表現がありました。ドキッとするような言葉ですが小川三夫氏の言葉はさらりとしていました。それについては、どっかの会場で「披露する気分」になりましたら公開(講演)することをお約束します。いつ・どこで・誰に・・・・は、現状では全く未定でございます。ご了承いただきたい。
ビデオをお撮りになった方は、当方の胸が締め付けられた場面を再度ご覧戴くことをお願いします。収録ビデオテープをこちらへ送付等のお気遣いは無用です。直に、ペンを持って記録しましたので十分に資料化することができます。情報のご提供、本当に有難うございました。
研いで、研いで、研いで、その行為に明け暮れることで初めて精神が研ぎ澄まされる、のだそうです。研ぎ澄まされた感性の世界で授業をやってみたくなりましたが、研いで、研いで、研いでいる内にわが人生も終わってしまいそうです(笑)。
読者の皆さんには、ご自身の将来のためにも、今の時間を「研いで」過ごされる事をお勧めします。要らねお世話とわかりつつ述べることが研ぎ澄まされていない精神状態の証でございましょうかね。
世はまさに超高速情報化時代と実感。
当方のブログでのぼやきに数通のメールや電話が届きました。そして、その情報に基づいて今朝、8時半から老妻と一緒に画面に釘付けになってしまいました。前回の場合は、リモコンの悪戯的操作の先にあの番組がありました。今回は、初めに「見たい番組」ありきの状態での対応となりました。前回は見過ごしてしまった未練心から「録画撮り」というつぶやきを発してしまいましたが今朝は違いました。メモするノートも準備して待機する対応です。こんな場合は録画撮りの甘えはありません。
★今、美しいだけでなく1000年先の美しさを追求して作り上げる ★解体することができるには、解体しながら当時の技術や文化を知り再現できる能力があるという資格が必要である。★1本たりとも同じ木は存在しない。★どんな木でも、時間が経てば曲がるものである。★切れる刃物は嘘をつかない。だから研ぐのである。★どんな仕事も一人前になるには最低でも10年は掛かる。その最低条件がその仕事が「好きである」ことではないか。
実はここに列挙した事柄以上に、胸をえぐるような表現がありました。ドキッとするような言葉ですが小川三夫氏の言葉はさらりとしていました。それについては、どっかの会場で「披露する気分」になりましたら公開(講演)することをお約束します。いつ・どこで・誰に・・・・は、現状では全く未定でございます。ご了承いただきたい。
ビデオをお撮りになった方は、当方の胸が締め付けられた場面を再度ご覧戴くことをお願いします。収録ビデオテープをこちらへ送付等のお気遣いは無用です。直に、ペンを持って記録しましたので十分に資料化することができます。情報のご提供、本当に有難うございました。
研いで、研いで、研いで、その行為に明け暮れることで初めて精神が研ぎ澄まされる、のだそうです。研ぎ澄まされた感性の世界で授業をやってみたくなりましたが、研いで、研いで、研いでいる内にわが人生も終わってしまいそうです(笑)。
読者の皆さんには、ご自身の将来のためにも、今の時間を「研いで」過ごされる事をお勧めします。要らねお世話とわかりつつ述べることが研ぎ澄まされていない精神状態の証でございましょうかね。
2011/06/23
どなたか、昨晩のTV番組を・・・
~感動を再現したばかりに~
録画できなかったことが悔やまれる朝。
こんな頭出しで書き始めたら読者の皆さんの中には「えっ、角田先生ってTVは観ないんじゃなかったですか?」と詰問されそうですね。そうなんです、殆ど観ないのですが時々素晴らしい画面に遭遇することもありまして・・、と今朝の後悔の気持ちを公開します。
NHK-BSプレミアムの番組「たけし アート☆ビート」が、リモコンの悪戯の成果で視聴できてしまいました(笑)。実はビートたけし氏と宮大工の小川三夫氏の対談が見応えがあったのです。小川氏は法隆寺の塔を30歳前に師匠からの直接の指示で建立に携わられた実績はすでに何冊もの書物と沢山の記事を読んで知っていました。たけし氏との肩の凝らない対話には、表面上の軽い口調とは正反対に「重さ」を感じながらすっかり時間を忘れて見入ってしまいました。
録画が撮れていたら!!と器械音痴の老脳と、事前観察をしていないいい加減な性格をちょっとだけ恨んでいる朝です。再放送でもあるようだったら今度こそ、録画をして「二人の対談」の部分だけは資料化したいと心に期しているところです。
どなたか、そんな情報が入手されましたらご一報いただければ幸甚に存じます(笑)。
録画できなかったことが悔やまれる朝。
こんな頭出しで書き始めたら読者の皆さんの中には「えっ、角田先生ってTVは観ないんじゃなかったですか?」と詰問されそうですね。そうなんです、殆ど観ないのですが時々素晴らしい画面に遭遇することもありまして・・、と今朝の後悔の気持ちを公開します。
NHK-BSプレミアムの番組「たけし アート☆ビート」が、リモコンの悪戯の成果で視聴できてしまいました(笑)。実はビートたけし氏と宮大工の小川三夫氏の対談が見応えがあったのです。小川氏は法隆寺の塔を30歳前に師匠からの直接の指示で建立に携わられた実績はすでに何冊もの書物と沢山の記事を読んで知っていました。たけし氏との肩の凝らない対話には、表面上の軽い口調とは正反対に「重さ」を感じながらすっかり時間を忘れて見入ってしまいました。
録画が撮れていたら!!と器械音痴の老脳と、事前観察をしていないいい加減な性格をちょっとだけ恨んでいる朝です。再放送でもあるようだったら今度こそ、録画をして「二人の対談」の部分だけは資料化したいと心に期しているところです。
どなたか、そんな情報が入手されましたらご一報いただければ幸甚に存じます(笑)。
2011/06/22
ラジオを聴きながら・・・。
~『恩送り』という言葉に惹かれて~
「地域の絆をつなぎ直す」という演題での話を聴きながら、今朝も早朝の『湯禅』。湯禅なる言語は当方の造語です。歩きながら「禅」の新境地に、とばかりに禅の心得がゼロの身でありながら、憧れを込めて『歩禅』という造語と出会ってからもう10年ばかり過ぎてしまいました。創作は千葉県に在住の方だったような記憶をとどめている程度で邪気は無い。そして、今度は怖いもの知らずの造語として使用し始めたのがこの、『湯禅』です。
鍼診療師から持病の慢性腰痛に「腰湯(=半身浴)」を勧められて以来、旅先では腰痛への恐怖心もあり欠かすことなく続けている頗る私的な「禅」でございます(笑)。腰から下を湯船に浸けて20~30分間を過ごすのです。ラジオはその時の伴侶です。NHKラジオ番組の「ラジオ深夜便」はその時間の退屈しのぎに活用させていただいている貴重な番組です。
今日のラジオに登壇された中野しずよ氏の言葉に『恩送り』が飛び出して驚きました。以前、このブログでも触れた新聞記事から獲得して、貧相な当方の知識に計上した言葉だったからです。お世話になった方々に恩返しをしなければいけないことはわかっていても、現実には直接の恩返しが叶わない場合が多いのです。恩を返せなければ、次代の人へその恩を「送る」ことが重要です、と氏も言葉の重さを噛みしめながらお話しされているのを聴きながら「感動の余震」を感じました。湯禅の時間を満喫できたそんな朝です。
今日は夏至ですって?
昼間の時間が一番長い日ですよね。日中の予想温度は30度を超すところが関東地方でも多いとのことです。いつの間にか「熱中症」注意報が耳に届き始めました。電力消費量も気になりだした朝でもあります。どちら様も暑さに対応できるコンディション作りに気遣いながら元気でお過ごしください。
昨日、郵便局で新発売の「かもめーる」の葉書を購入して来ました。夏本番近し!!
「地域の絆をつなぎ直す」という演題での話を聴きながら、今朝も早朝の『湯禅』。湯禅なる言語は当方の造語です。歩きながら「禅」の新境地に、とばかりに禅の心得がゼロの身でありながら、憧れを込めて『歩禅』という造語と出会ってからもう10年ばかり過ぎてしまいました。創作は千葉県に在住の方だったような記憶をとどめている程度で邪気は無い。そして、今度は怖いもの知らずの造語として使用し始めたのがこの、『湯禅』です。
鍼診療師から持病の慢性腰痛に「腰湯(=半身浴)」を勧められて以来、旅先では腰痛への恐怖心もあり欠かすことなく続けている頗る私的な「禅」でございます(笑)。腰から下を湯船に浸けて20~30分間を過ごすのです。ラジオはその時の伴侶です。NHKラジオ番組の「ラジオ深夜便」はその時間の退屈しのぎに活用させていただいている貴重な番組です。
今日のラジオに登壇された中野しずよ氏の言葉に『恩送り』が飛び出して驚きました。以前、このブログでも触れた新聞記事から獲得して、貧相な当方の知識に計上した言葉だったからです。お世話になった方々に恩返しをしなければいけないことはわかっていても、現実には直接の恩返しが叶わない場合が多いのです。恩を返せなければ、次代の人へその恩を「送る」ことが重要です、と氏も言葉の重さを噛みしめながらお話しされているのを聴きながら「感動の余震」を感じました。湯禅の時間を満喫できたそんな朝です。
今日は夏至ですって?
昼間の時間が一番長い日ですよね。日中の予想温度は30度を超すところが関東地方でも多いとのことです。いつの間にか「熱中症」注意報が耳に届き始めました。電力消費量も気になりだした朝でもあります。どちら様も暑さに対応できるコンディション作りに気遣いながら元気でお過ごしください。
昨日、郵便局で新発売の「かもめーる」の葉書を購入して来ました。夏本番近し!!
2011/06/21
雉と一緒の昼食
~こんなことって・・・・あり?
~
昼食はざるうどん。
この地に来て住み始めて2か月が過ぎました。老妻が時々、鳥の鳴き声を耳にして鳥の名前を訊いたことがありました。聞いたことのない鳥の鳴き声だったので、わからないままに時間は流れていたようです。今日は陽射しは強いのですが、ここは風が湿気を含んでいないのでさっぱりとした空気に中で午前中を過ごしていました。
今日はずいぶん近くで、以前に話題になった鳥の鳴き声が聞こえます。新居の1メートル先が栗畑です。東も南も北も栗畑で、下草刈が済んでもまたすぐ雑草が伸びているのが現状です。
鳴き声が近くなり、リビングの窓の外までやってきました。うどんをすすりこむ音に気遣いながら老夫婦は神経質なばかりに音を殺しての昼食です。すぐそばまでやってきた鳥は?
実は、見たことのない鳥です。名前など知りません。鳴き声も特徴はありますが初めて聞いたものでした。暫くは鳴き声を発しながら、飛び去ることもなく歩を進めて背丈が伸びた雑草の中に消えていきました。鳴き声が遠くなったらホッとした老夫婦のうどんをすする音が部屋に戻りました(笑)。
昼食後、すぐに、『調べ学習』(=学校教育の授業手法の一つです)に取り掛かり、この写真に辿りつきました。雉(きじ)の雄と判明したのです。綺麗な鶏冠に特徴がありすぐにわかりました。
不思議な心情です。
雉と一緒の昼食、なんて童話の世界のようですが、今度はいつ雄姿を見せてくれるのかが楽しくなるような午後のひと時です。
~ 昼食はざるうどん。
この地に来て住み始めて2か月が過ぎました。老妻が時々、鳥の鳴き声を耳にして鳥の名前を訊いたことがありました。聞いたことのない鳥の鳴き声だったので、わからないままに時間は流れていたようです。今日は陽射しは強いのですが、ここは風が湿気を含んでいないのでさっぱりとした空気に中で午前中を過ごしていました。
今日はずいぶん近くで、以前に話題になった鳥の鳴き声が聞こえます。新居の1メートル先が栗畑です。東も南も北も栗畑で、下草刈が済んでもまたすぐ雑草が伸びているのが現状です。
鳴き声が近くなり、リビングの窓の外までやってきました。うどんをすすりこむ音に気遣いながら老夫婦は神経質なばかりに音を殺しての昼食です。すぐそばまでやってきた鳥は?
実は、見たことのない鳥です。名前など知りません。鳴き声も特徴はありますが初めて聞いたものでした。暫くは鳴き声を発しながら、飛び去ることもなく歩を進めて背丈が伸びた雑草の中に消えていきました。鳴き声が遠くなったらホッとした老夫婦のうどんをすする音が部屋に戻りました(笑)。
昼食後、すぐに、『調べ学習』(=学校教育の授業手法の一つです)に取り掛かり、この写真に辿りつきました。雉(きじ)の雄と判明したのです。綺麗な鶏冠に特徴がありすぐにわかりました。
不思議な心情です。
雉と一緒の昼食、なんて童話の世界のようですが、今度はいつ雄姿を見せてくれるのかが楽しくなるような午後のひと時です。
登録:
投稿 (Atom)
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。