~「7時間」の中身は・・・~
艶のあるデートではないが貴重なデートを紹介しましょう。
これは、老夫婦の健気なばかりの(笑)「二人だけ」の時間である。中身は鍼診療のための行程である。2000年9月2日にスタートした時点では神奈川県茅ケ崎市在住であったのでJR相模線一本で診療所へ行くことが出来たし、天候が悪い時は自家用車で行くことも容易な距離にあった。しかし、今となればかなりの遠隔地になってしまった。あの日以来11年間も診療が続いている。晩年の我が「健康人生」を大きく左右する「とき」であることは家人は全員知っている事実である。
その鍼診療日がデートなのだ。
掠れてしまうような人生を歩んでいる小生夫婦としては、せめて、潤いのある表現で命名しないと人生そのものが名実ともに萎んでしまうような気がしていたたまれないからでもある。
そこで、老夫妻の鍼診療日を「デート」と命名したのである。どうしても艶っぽくならないのが時間配分である。総時間7時間のこのデートの中身は、片道2時間半(往復5時間)と鍼診療時間が一人1時間(計2時間)である。
毎回のデート以下の通りで「判を押した」ような時程でもある。
9:52分の常磐線で上野駅に到着するのが10:59。京浜東北線に乗り換えて東神奈川駅で下車(11:35)。そして横浜線に乗り換えて相原駅に到着するのが12:22である。駅から診療所までは徒歩で15分ではあるが全て往路はかなり厳しい上り坂。診療予約時刻は午後1時である。
午後3時に診療を終えて、相原駅発15:25の横浜線で八王子駅へ。中央特快に乗り換えて神田駅まで来て、またまた乗り換えて上野駅に向かうと通常午後5時直前の上野駅到着である。それから常磐線に乗車してから約1時間20分はかかる。
昨日はデートに彩が着いた。
アメリカに住んでいる従姉に(遅くなってしまったが)、ひな祭りの贈り物を買いたいとの老妻の申し出であった。快諾して中央特快で終点・東京駅まで行った。初めて「えきなか」とやらのショッピングエリアに足を入れて驚いた。「ここは駅構内?」と思わず口に出るほどの豪華なモールである。年金生活になっても女性にはショッピングの時間は娯楽として必要不可欠であると実感した(笑)。
購入したモノは可愛い「昔風のひな祭り」をデザインした和風品だった。嬉しそうな老妻と一緒に特急「スーパー・フレッシュひたち号」に乗車して土浦まで戻って、最終回の乗り換えを済ませて、総時間の7割が「車中」となるの今回の「老夫婦のデート」も無事完了した。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
2012/02/29
2012/02/28
今日で2月も終わる??
~モンスター・グランドチルドレンの問いに窮する~
いいえ、2月は明日まであります。
「お祖父ちゃん、2月29日に生まれた人はどうなるの?」
藪から棒の質問を受けて、ハタと考える。そんな生徒がいたような記憶が戻った。誕生日と届出戸籍がズレていても堂々としていた親の時代も同時に浮かんできた。4年に1回しかやって来ないカレンダーの上の「誕生日」だとすると当事者は複雑な心境になるモノだろう。
孫の自らの応えは面白かった。俺たちが20歳になってもその子は5歳だと言うのである。そして、子どもらしく「誕生日のお祝いを貰えることとケーキを食べる」ことも5回しかないのはかわいそうではないか、と言及した。他愛のない原理である。しかし、現実問題としては戸籍上の誕生日はその前後で登録してあるのだろう。
小生の時代には、友人の中には「本当の誕生日は〇月□日なんだけど、祖母ちゃんが死んだりしたのでお父さんが役場に行くのを忘れて▽月◇日になったんだって」とあっけらかんと公開していた友人がいたことを思い出した。
地球は360度の球体。暦は365日。そこに何らかのズレがあるのかな?今の孫の年齢と同じくらいの頃、不思議に思ったことがあったが究明もできず「この歳」になっている。そんな思考回路も今となれば、「そんなことどうでも良いじゃん」と片づけてしまいそうな祖父ちゃんには結構鋭い質問として差し込まれてしまった(笑)。
正しい解答の出来ない祖父を尻目にしながら孫たちは成長していく。その内に思い出したかのように学習したことを祖父に教えてくれるのだろうか。答えに窮する難題を押し付けてくる人種をクレーマーと言うらしい。孫はクレーマーではない。学校教育界ではモンスターペアレンツと呼ぶようだ。聞くところによると、病院にも市役所にも同種の難癖を付けにやって来る人種も居ると言う。つまり、理不尽な要求を突き付ける人種と言えるのだろうが、なぜ、こういう人種が誕生したのだろうか。
3月末日を締切にして原稿の執筆依頼が届いている。
「学校教育」に関するモンスターペアレンツに関する内容である。提供して頂いた資料を原材料にして私見をまとめてみたいと考えている。時期が来ましたら当ブログでもご紹介するつもりである。
いいえ、2月は明日まであります。
「お祖父ちゃん、2月29日に生まれた人はどうなるの?」
藪から棒の質問を受けて、ハタと考える。そんな生徒がいたような記憶が戻った。誕生日と届出戸籍がズレていても堂々としていた親の時代も同時に浮かんできた。4年に1回しかやって来ないカレンダーの上の「誕生日」だとすると当事者は複雑な心境になるモノだろう。
孫の自らの応えは面白かった。俺たちが20歳になってもその子は5歳だと言うのである。そして、子どもらしく「誕生日のお祝いを貰えることとケーキを食べる」ことも5回しかないのはかわいそうではないか、と言及した。他愛のない原理である。しかし、現実問題としては戸籍上の誕生日はその前後で登録してあるのだろう。
小生の時代には、友人の中には「本当の誕生日は〇月□日なんだけど、祖母ちゃんが死んだりしたのでお父さんが役場に行くのを忘れて▽月◇日になったんだって」とあっけらかんと公開していた友人がいたことを思い出した。
地球は360度の球体。暦は365日。そこに何らかのズレがあるのかな?今の孫の年齢と同じくらいの頃、不思議に思ったことがあったが究明もできず「この歳」になっている。そんな思考回路も今となれば、「そんなことどうでも良いじゃん」と片づけてしまいそうな祖父ちゃんには結構鋭い質問として差し込まれてしまった(笑)。
正しい解答の出来ない祖父を尻目にしながら孫たちは成長していく。その内に思い出したかのように学習したことを祖父に教えてくれるのだろうか。答えに窮する難題を押し付けてくる人種をクレーマーと言うらしい。孫はクレーマーではない。学校教育界ではモンスターペアレンツと呼ぶようだ。聞くところによると、病院にも市役所にも同種の難癖を付けにやって来る人種も居ると言う。つまり、理不尽な要求を突き付ける人種と言えるのだろうが、なぜ、こういう人種が誕生したのだろうか。
3月末日を締切にして原稿の執筆依頼が届いている。
「学校教育」に関するモンスターペアレンツに関する内容である。提供して頂いた資料を原材料にして私見をまとめてみたいと考えている。時期が来ましたら当ブログでもご紹介するつもりである。
2012/02/27
「学び過ぎた」(笑)翌朝の目覚め
~目が覚めたら6時だった~
老脳に刺激があると睡魔のパワーも倍増するらしい?
通常の起床時刻から2時間も遅い目覚めだった。既に起床している老妻が枕もとを歩いた足音で目が覚めたようだ。「ごめんなさい」と謝る老妻に時刻を確認して飛び起きた。美酒の影響も多分にあったとは言え、刺激の重量が大きく影響していることは確かである。
早起き鳥の「遅く起きた朝」の一日の出足は最悪である。
通常は「自分だけの生業」は全て7時までには終了しているので、(夫婦共通の)公的業務も8時には完了する。8時からは全てフリーなのである。遅く起きた朝は前日の妻や同居人たちからの依頼事項も、このように遅く起きた朝は、ほぼ午前中をその時間に費やす「不始末」となってしまう。
午後からは、孫たちの「お祖母ちゃんの書道教室」が予定されていたらしい。その前に老妻は済ませておきたいことがあったのだ。遅起きした請負人にはどっと皺寄せが押し寄せてしまう。正に「そんな日」になってしまった。夕食の準備をする時間も無く老妻は小学生2人の孫に書道を伝授していた。ほぼ完成した作品を手にして母屋に戻って行く孫たちを見送りながらお祖父ちゃんの反省は「遅寝遅起き」の罪業に尽きることとなってしまった。老夫妻だけの夕食で談笑しながら妻は言った。慌ただしかった午後の日程消化ぶりに「こんな状態だったですね、私たちの子育ての頃も・・・」と。成長して40歳前後の3人の子ども達の顔を思い出しながら苦笑の味付けで夕食を終えた。
老脳に刺激があると睡魔のパワーも倍増するらしい?
通常の起床時刻から2時間も遅い目覚めだった。既に起床している老妻が枕もとを歩いた足音で目が覚めたようだ。「ごめんなさい」と謝る老妻に時刻を確認して飛び起きた。美酒の影響も多分にあったとは言え、刺激の重量が大きく影響していることは確かである。
早起き鳥の「遅く起きた朝」の一日の出足は最悪である。
通常は「自分だけの生業」は全て7時までには終了しているので、(夫婦共通の)公的業務も8時には完了する。8時からは全てフリーなのである。遅く起きた朝は前日の妻や同居人たちからの依頼事項も、このように遅く起きた朝は、ほぼ午前中をその時間に費やす「不始末」となってしまう。
午後からは、孫たちの「お祖母ちゃんの書道教室」が予定されていたらしい。その前に老妻は済ませておきたいことがあったのだ。遅起きした請負人にはどっと皺寄せが押し寄せてしまう。正に「そんな日」になってしまった。夕食の準備をする時間も無く老妻は小学生2人の孫に書道を伝授していた。ほぼ完成した作品を手にして母屋に戻って行く孫たちを見送りながらお祖父ちゃんの反省は「遅寝遅起き」の罪業に尽きることとなってしまった。老夫妻だけの夕食で談笑しながら妻は言った。慌ただしかった午後の日程消化ぶりに「こんな状態だったですね、私たちの子育ての頃も・・・」と。成長して40歳前後の3人の子ども達の顔を思い出しながら苦笑の味付けで夕食を終えた。
2012/02/26
老化を和らげるには「刺激」に限る?
~フォーラムでの発言に学ぶ~
学びは、やっぱり刺激によるモノが大きいらしい。
刺激は老脳にとって最良薬だと確信して帰宅した。至福の時間として受け止めることが出来たことが参加の最大の収穫だった。哀しいかな、同業者の発表には同業者ゆえの性があり、時として嫌味にも聞こえ老脳が拒否反応をしてしまう。なぜ?それは自らの過去に同種の悪足掻きをしていたことの証明なのかもしれない。 「元・校長」と言う過去の遺産で喰っている人種と会うと反吐が出るほど不快な気分になる。このことを昨日のフォーラムの会場で思い知らされた。
常磐線の車中で飛ぶように流れる夜景を見詰めながら自己嫌悪の自らと闘いつつ酔いも覚めての帰路となった。と、ここまで記すと落ち込んでいる小生をご想像なさる読者が多いと思われる。しかし、小生を知る人ぞ知る本性は「一夜明けると只の人」となり、暗い影を引き摺りたくても引き摺れない朝を迎えてしまうのだから始末が悪い老輩である。
ともあれ、刺激的な学びを得ました。
この歳になっても学ぶ??そうです、学んだのです。ブログでは表現出来ませんが、どこかの研究会でこの学びを『角田明流』にアレンジしてご披露申し上げましょう。その作業を今日はゆっくり、これから始めることにいたします。夜来の雨も上がりました。一雨ごとに春も近づいているのでしょうか。
フォーラムの会場でいただいて帰って来た『ミサンガ』(=被災地の皆さんの手作り)に思いを馳せながら、一日も早い震災地の復活を祈る朝です。
学びは、やっぱり刺激によるモノが大きいらしい。
刺激は老脳にとって最良薬だと確信して帰宅した。至福の時間として受け止めることが出来たことが参加の最大の収穫だった。哀しいかな、同業者の発表には同業者ゆえの性があり、時として嫌味にも聞こえ老脳が拒否反応をしてしまう。なぜ?それは自らの過去に同種の悪足掻きをしていたことの証明なのかもしれない。 「元・校長」と言う過去の遺産で喰っている人種と会うと反吐が出るほど不快な気分になる。このことを昨日のフォーラムの会場で思い知らされた。
常磐線の車中で飛ぶように流れる夜景を見詰めながら自己嫌悪の自らと闘いつつ酔いも覚めての帰路となった。と、ここまで記すと落ち込んでいる小生をご想像なさる読者が多いと思われる。しかし、小生を知る人ぞ知る本性は「一夜明けると只の人」となり、暗い影を引き摺りたくても引き摺れない朝を迎えてしまうのだから始末が悪い老輩である。
ともあれ、刺激的な学びを得ました。
この歳になっても学ぶ??そうです、学んだのです。ブログでは表現出来ませんが、どこかの研究会でこの学びを『角田明流』にアレンジしてご披露申し上げましょう。その作業を今日はゆっくり、これから始めることにいたします。夜来の雨も上がりました。一雨ごとに春も近づいているのでしょうか。
フォーラムの会場でいただいて帰って来た『ミサンガ』(=被災地の皆さんの手作り)に思いを馳せながら、一日も早い震災地の復活を祈る朝です。
2012/02/25
「鬼」も「仏」になりました(笑)
~お祖父ちゃんの「授業参観」~
前夜は帰りが遅かったので当日の朝、孫から案内を受けた。
「お祖父ちゃん、今日は居るの?」と切り出した小学4年生の孫。「五時間目は1時45分に始まるけど、僕の発表は2時過ぎだと思う。授業を見に来てください」との招待の弁であった。同居して10か月が経ったが、その間には数回の授業参観や保育参観の機会が得た。当初は何もかもチグハグで同伴者の老妻がどぎまぎしたとの声を耳にしても聴解力も鈍っていたようだった。
やっと「鬼」から「仏」の眼力に替わった。
教員稼業一筋の人生では「授業を観る」(=授業を観察する)ことは自らの糧に直結する重要な時間である。批判や疑問や閃きが錯綜する貴重な時間でもあったので「鬼の形相」と言われても仕方が無い程真剣な眼差しで授業者と向かい合ったモノだった。
晩年は授業を観察して「授業者を指導する」役回りが回って来たので、只ならぬ『鬼の目線』になってしまったようだった(笑)。酷評で何人、いや何十人の教員を奈落の底に突き落としたのだろうか。小生自身は、事実に即して評価して、改善点を追求したばかりだった。「歯に衣を着せぬ」という切り口だとも評価された。決して授業者を扱き下ろして容赦なく叩きのめした等と考えたことも無かった。その辺りのズレが見たことも無い架空の動物(=鬼)が代名詞として使われたらしい。
「二分の一・成人式」という学級活動が本日の授業参観の内容だった。
10歳の子ども達が20歳(はたち)になった自分に語りかけるスピーチの発表が授業として保護者に公開されたのである。鬼ではない「お祖父ちゃん」の眼には、孫や良く家に遊びにやって来る数名の子ども達だけがアップされ、決して比較したり評価したりしない耳で気持ち良く最後まで聴くことが出来た。
そして、転居したばかりの夜、父親とお祖父ちゃんが酌み交わすビールを見詰めながら孫が発した言葉を、また思い出した。「僕が20歳になるまで生きていてね」と言いながら「そうしたら、お祖父ちゃんと一緒にビールが呑めるからね」と言葉を繋いだ。感激したあの夜のシーンを思い出しながら孫のスピーチに耳を傾けるお祖父ちゃんには「仏の目」線であったことは誰も疑うまい。
「今日は随分落ち着いて参観出来てましたね」。帰り道の妻のこの一言が、鬼から仏への「化身の証し」ではないだろうか。信じていただけますかな?(笑)
前夜は帰りが遅かったので当日の朝、孫から案内を受けた。
「お祖父ちゃん、今日は居るの?」と切り出した小学4年生の孫。「五時間目は1時45分に始まるけど、僕の発表は2時過ぎだと思う。授業を見に来てください」との招待の弁であった。同居して10か月が経ったが、その間には数回の授業参観や保育参観の機会が得た。当初は何もかもチグハグで同伴者の老妻がどぎまぎしたとの声を耳にしても聴解力も鈍っていたようだった。
やっと「鬼」から「仏」の眼力に替わった。
教員稼業一筋の人生では「授業を観る」(=授業を観察する)ことは自らの糧に直結する重要な時間である。批判や疑問や閃きが錯綜する貴重な時間でもあったので「鬼の形相」と言われても仕方が無い程真剣な眼差しで授業者と向かい合ったモノだった。
晩年は授業を観察して「授業者を指導する」役回りが回って来たので、只ならぬ『鬼の目線』になってしまったようだった(笑)。酷評で何人、いや何十人の教員を奈落の底に突き落としたのだろうか。小生自身は、事実に即して評価して、改善点を追求したばかりだった。「歯に衣を着せぬ」という切り口だとも評価された。決して授業者を扱き下ろして容赦なく叩きのめした等と考えたことも無かった。その辺りのズレが見たことも無い架空の動物(=鬼)が代名詞として使われたらしい。
「二分の一・成人式」という学級活動が本日の授業参観の内容だった。
10歳の子ども達が20歳(はたち)になった自分に語りかけるスピーチの発表が授業として保護者に公開されたのである。鬼ではない「お祖父ちゃん」の眼には、孫や良く家に遊びにやって来る数名の子ども達だけがアップされ、決して比較したり評価したりしない耳で気持ち良く最後まで聴くことが出来た。
そして、転居したばかりの夜、父親とお祖父ちゃんが酌み交わすビールを見詰めながら孫が発した言葉を、また思い出した。「僕が20歳になるまで生きていてね」と言いながら「そうしたら、お祖父ちゃんと一緒にビールが呑めるからね」と言葉を繋いだ。感激したあの夜のシーンを思い出しながら孫のスピーチに耳を傾けるお祖父ちゃんには「仏の目」線であったことは誰も疑うまい。
「今日は随分落ち着いて参観出来てましたね」。帰り道の妻のこの一言が、鬼から仏への「化身の証し」ではないだろうか。信じていただけますかな?(笑)
2012/02/24
雨も上がった横浜で再会
今回は、当方の最後の勤務校である茅ヶ崎市立緑が浜小学校への訪問を中継した関係から少々お節介な役回りを負うことになってしまった。更に、この小学校を母体にして分離独立・新設開校した茅ヶ崎市立汐見台小学校も同日に訪問できるようにご厚意をいただいた日程になっているのは先方のご配慮のようである。
両校とも校長さんたちを良く知っている関係者としては、今回はちょっと勝手も違う。数日前まで悩んだ。新進気鋭の校長先生の熱意と意欲を来客に自然に出せるための配慮のためである。両校長先生とも、10年以上ではあるが当時の(彼らの)上司として仕事に関係をした間柄である。
そんな老輩がしゃしゃり出ると?躊躇は続いたが現実面での展開を考えて解決した。当日の学校訪問は校長さん達に一任することにした。そして、前夜の歓迎の宴(笑)を担当する宴会部長に徹しようと考えた。
宴会部長なんて「やり慣れていない」業務なので、これまた難儀であった。
訪問者が宿泊されるホテルの最上階にあるレストランを予約しておいた。落ち着かない宴会部長は15分ばかり前に到着してしまった。落ち着かない!!仕方なく(笑)、生ビールを頼んで独りで呑む。こんな宴会部長っていたのだろうか?自問しながら開き直る。「心から歓迎しているんだから・・・」、と。新幹線で新横浜下車。横浜線で桜木町まで移動されたお客様は定刻に到着。
コース料理が運ばれるままにひたすら「食べて」時間が流れた。帰路の時刻も気になりだして(=約2時間半の電車)、バタバタと「中締め」の挨拶をして、勝手に宴会武将を無罪放免とした。レストランの職員にお願いして記念撮影(=写真)をして京浜東北線の車中の人となった。
帰宅して入浴を済ませたら「日付」が替わっていた。
無神経と言うか無頓着と言うのか、「宴会部長」には最も相応しくない人物との歓迎の宴を満足していただいた自信は全くゼロ!今日の学校訪問で充実した研修を行っていただくことを期待して大役から降りた。慣れないことをやると翌朝まで疲れるモノです!!(爆笑)
2012/02/23
「ラジオ体操」の思い出
~あの厳しい指導に感謝?~
夏休み中の朝6時。
実家からは数分で行ける分校の運動場。眠気が妨害して遠く感じた少年の日。3年生から本校に通い始めて大運動会(と、呼称されていた)の練習が始まると「定番」はメロディに合わせての(ラジオ)体操の指導に耐える事だった。屈伸や跳躍や回転等々の厳しい練習が「これでもか!」と延々と続いたことが浮かんでくる。
なぜ、今日のブログの話題が「ラジオ体操」なのか?
「ラジオ体操」を意識して体操を開始してから10日間が過ぎた。6時半になるとNHKラジオのチューナーを第1から第2に回す。♪♪新しい朝が来た 希望の朝だ・・・♪♪ の昔と同じに溌剌とした歌声が耳に入る。ラ・ジ・オ・た・い・そ・~だ・い・い・ち・・ との掛け声を合図に狭い我が家の「私設・老人ホーム」入居者2名はぶつからないような距離を保って体操を始める。50年以上も前の「動き」が何の抵抗もなく手足に伝わっている。身体が覚えている!不思議だ!!ホントに不思議に思いつつ頑張っている。
そして、その違いに老体が気づく。そして少々落胆もする。
哀しくもなるが現実として認めながら体操に挑戦である。妻の膝痛が原因でこのラジオ体操への挑戦となった。歩くことを続けてきた夫婦であるが膝や腰が痛むと歩くどころではないようだ。寒冷地の低温は身体の弱い部分を教えてくれた。膝に痛みを発したようである。しかし、気温が上がると「歩ける」気にもなるらしい。先日の東京・亀戸天神の境内は春陽だったので気持ちよく歩いていた妻の姿も確認できた。もう少しの辛抱である。
ラジオ体操に取り組みながら、「こんなにまで老化が」と痛感する日々である。現状に無理をせずに「続ける」ことを心に銘じて続けてみよう、と妻を励ましながらも早や10日間が過ぎた。二人の会話は「あの頃の先生の指導は厳しかったね」と盛り上がる。そして「感謝する」気持ちでいつも会話が終わる。先生方の指導に応じようと懸命に足腰を動かして褒められるまで頑張ることが出来た日々はもう戻らないが、その教えを50年経っても全身が覚えている。教育の偉大さを噛み締めながらこれからも無理なく続けてみよう。「鉄は熱いうちに打て」の魂を学校教育でも大事に育てて欲しいモノである。
温かい春の訪れを待ちながら今朝も「ラジオ体操」に挑戦する。
全国の校長先生方へ依頼した「調査・考察」が届き始めたので、そろそろ原稿の執筆を始めなくてはならない。確定申告も本気に取り組まなければなるまい。東京で開催されるフォーラムにも出向したい。結構忙しい。ラジオ体操で血液の循環に勢いを付けて今日も頑張ることにしましょうか!!
読者の皆さんも、いかがですか、ラジオ体操仲間に入りませんか??
夏休み中の朝6時。
実家からは数分で行ける分校の運動場。眠気が妨害して遠く感じた少年の日。3年生から本校に通い始めて大運動会(と、呼称されていた)の練習が始まると「定番」はメロディに合わせての(ラジオ)体操の指導に耐える事だった。屈伸や跳躍や回転等々の厳しい練習が「これでもか!」と延々と続いたことが浮かんでくる。
なぜ、今日のブログの話題が「ラジオ体操」なのか?
「ラジオ体操」を意識して体操を開始してから10日間が過ぎた。6時半になるとNHKラジオのチューナーを第1から第2に回す。♪♪新しい朝が来た 希望の朝だ・・・♪♪ の昔と同じに溌剌とした歌声が耳に入る。ラ・ジ・オ・た・い・そ・~だ・い・い・ち・・ との掛け声を合図に狭い我が家の「私設・老人ホーム」入居者2名はぶつからないような距離を保って体操を始める。50年以上も前の「動き」が何の抵抗もなく手足に伝わっている。身体が覚えている!不思議だ!!ホントに不思議に思いつつ頑張っている。
そして、その違いに老体が気づく。そして少々落胆もする。
哀しくもなるが現実として認めながら体操に挑戦である。妻の膝痛が原因でこのラジオ体操への挑戦となった。歩くことを続けてきた夫婦であるが膝や腰が痛むと歩くどころではないようだ。寒冷地の低温は身体の弱い部分を教えてくれた。膝に痛みを発したようである。しかし、気温が上がると「歩ける」気にもなるらしい。先日の東京・亀戸天神の境内は春陽だったので気持ちよく歩いていた妻の姿も確認できた。もう少しの辛抱である。
ラジオ体操に取り組みながら、「こんなにまで老化が」と痛感する日々である。現状に無理をせずに「続ける」ことを心に銘じて続けてみよう、と妻を励ましながらも早や10日間が過ぎた。二人の会話は「あの頃の先生の指導は厳しかったね」と盛り上がる。そして「感謝する」気持ちでいつも会話が終わる。先生方の指導に応じようと懸命に足腰を動かして褒められるまで頑張ることが出来た日々はもう戻らないが、その教えを50年経っても全身が覚えている。教育の偉大さを噛み締めながらこれからも無理なく続けてみよう。「鉄は熱いうちに打て」の魂を学校教育でも大事に育てて欲しいモノである。
温かい春の訪れを待ちながら今朝も「ラジオ体操」に挑戦する。
全国の校長先生方へ依頼した「調査・考察」が届き始めたので、そろそろ原稿の執筆を始めなくてはならない。確定申告も本気に取り組まなければなるまい。東京で開催されるフォーラムにも出向したい。結構忙しい。ラジオ体操で血液の循環に勢いを付けて今日も頑張ることにしましょうか!!
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自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。