2012/10/30

年末の佇まい

 ~年賀状購入の案内パンフレット~

 先日、久しぶりに郵便局に立ち寄った。荷物発送の用務を終えて、葉書と切手を購入して帰ろうとすると局員から声が掛かった。「お客さま、年賀状のサンプルがわかるパンフレットはいかがでしょうか?」と。拒む理由も無いので手にして局を出た。

 家に持ち帰ってじっくりと見詰めながら「年賀状」という季語に触れた瞬間、「もう、今年も「年の瀬」か!?そんな呟きが飛び出した。考えてみれば、当地から2回目の年賀状投函になるのか、と神妙な気持ちになってしまった。地元の色合いがあるデザインの年賀状を何枚買おうかと思案も後に続いた。

 今日から長期の出講になる。

 高知市から広島市へと移動日を入れた行程となる。以前、佐賀市の講演を終えて福岡空港に移動してプロペラ機で豊後水道の上空から高知空港に着いたことを思い出した。今回は、高知から広島への空路が無いので、高知駅から岡山駅まで移動して新幹線を利用して広島駅に向かうしか手段が無い。

 そこで、善通寺市で校長を退職した友人に声を掛けてみた。高知からの途中下車を考えたのである。運よくお昼ごろには会えることになったので中途休憩をして旧交を温めつつ広島に向かうことが出来ることになった(謝)。岡山県新見市にも友人がいるので、時として再会の時間を取ることもあるが一度に2回の途中下車は時間的に厳しいので今回は岡山の友人には一報をしてはいない。

 高知から愛媛への「移動の旅」がすんなり出来れば、憧れの詩人・坂村真民の記念館(松山市)経由で広島に移動したかったが少々無理なようである。改めて未だ踏み入れたことが一度も無い愛媛県への旅は考えることにしよう。

 ところで、読者諸兄に質問。

 小生は都道府県のなかで「2つの県」だけで「仕事」をしていません。どことどこでしょうか?(観光目的では行っています)

 今朝は冷え込んでいます。皆さんの地方でも冬の到来が近いことを感じられる朝だろうと思います。そんな時期に本年最大の長期出講に出向きます。元気で動ける身体に感謝しながら「待っていただいている」方々の地に向かいます。行ってまいります。

 ブログは暫くの休刊です。ご容赦願います。

2012/10/29

「お礼状」という日本文化

 ~誰に何を感謝するのか?~

 加齢に伴って何かに関われば「お礼状」が届くことが多くなった。礼状をいただくのは決して気分は悪くないが、この歳になるとお礼状自体についても考えることも多くなった。

 誰が?誰に?どんな事で?

 屁理屈を述べるようになると人生も黄昏期なのか。いや、幼児期への戻り現象なのかも知れない。どうして?何故?と繰り返し問いかけながらも正答を追究するわけでもないからである。

 退職して(要請に従って各地の)様々な人たちが集う場所で講演や講義をするために出向いている。明日からも高知市~広島市と長距離の移動でその類に対応することになっている。初対面の場合が多いが、常連客(笑)もあるので再会の感激も味わうことが出来る。乙な仕事であり、止めることが出来ないのも神経が鈍ってしまっている証しかも知れない。

 神経が鈍ると感情表現が疎くなる。

 最たるものが「感謝の気持ち」が焦点ボケしてしまうようだ。当事者意識がビタミン不足状況に陥るのかも知れない。誰かの熱意と力量で拵えてもらった土俵に載せられて勝利を味わうかのような誤解に気付かずに酔いしれて台風一過の秋空に、「感謝の気持ち」が吹っ飛んでしまうのだろう。

 お礼とは、形式ではなく、内容である。表現ではなく、気持ちである。

 『御礼』という日本文化の本質を論究するほど学びは深くないので敢えて論じることは出来ないが、感謝の気持ちを表するには屁理屈は要らない。美辞麗句を並べた礼状を読んだ瞬間に、「二度と行かない」と意を決する天邪鬼が小生である。

 本気で本音で要望も含めた「お礼」が欲しい。上下関係から成立するのが「お礼」と考えるのは間違っている。偉い地位、とはどこまでを言うのかはわからないが、偉くなった人は、「お礼」は述べなくて良いのだろうか?

 他人事では済まない。己の猛省を述べよう。

感激のあの日から、もう1週間以上が過ぎた。50歳も過ぎた卒業生との再会の機会を戴いた。そして、たまたま当日が小生の誕生日だと言うことでケーキまで準備して待っていてくれた。中身の無い恩師との再会だっただろうが、8年ぶりの再会には老脳にもかなりの刺激は走った。感激と感涙を礼状として一人一人に宛てたかった。うっかりして参加者名簿を貰って来るのを忘れてしまった。幹事役の卒業生にお願いして郵送してもらった。感激も感謝の気持ちも10日も経って届けるようでは、「気の抜けたお酒」のようなものではないか。

親しい著名な学者が葉書を持ち歩いていることを知った。彼は、帰路に着く駅や空港の待合室で「礼状」を書いて投函するのだそうだ。彼に学んだ哲学は、「礼状は感情が失せない時間に届くが一番。内容より速さだよ」であった。主宰者だった当方にも講演の翌日には彼からの礼状が届いた。大きな文字で字数は100文字を超えていなかった。しかし、感激した。

 今回の卒業生には、謝罪と感謝の意を込めた礼状が「昨日」届いただろう。再会の感激から8日目である。学んだ筈の人生哲学が実践されない自身への戒めを葉書にした礼状でもあった。卒業生よ、許されたし!!

2012/10/27

歩禅の記(5)

~小学校の「秋祭り」~

 孫がお世話になっている小学校でも「秋祭り=学校によってネーミングは異なる」があると言うので老妻と一緒に「歩いて=「歩禅」」出かけた。「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも来れる?」と、未だ意向を質す年齢なので、行事を参観しても良さそうだと判断した。

 早朝歩禅コースにある小学校なので時間的には15分では到着する距離にある。嫁と末っ子の保育園児は8時半には車で出かけたが、我々夫婦はプログラムを見て9時半開始の「金管演奏」に合わせて出発した。全校児童が200名に満たない全学年単学級規模なので演奏発表を聞きに集まった児童の集団が体育館の広さに比べると極小の面積に座っていた。

 楽器(金管)演奏を聴くたびに感心することがある。

 「練習という訓練」によって、ここまで演奏が出来るのだ、という劣等感が唸らせるのである。自慢ではないが楽器と言う楽器で演奏できるものは何一つない小生である。小学生時代に友達のお姉さんがバイオリン(=当時は名称も知らず)の演奏を小学校の講堂で聞いた。高い音の細い音色のきれいなことに感動した。遊びに行くたびに弾いてもらった。幼心にも優雅さが伝わり、心が澄んでいくような気分にもなったものだった。

 孫の叩く大太鼓の音色を聴きながら、「いつ、こんな技能を体得したのかな」と呟くと、隣席の老妻が、指揮をしておられる先生を見ながら「教育の賜ですよね」と返答した。分かっているが呟いてしまうのである。

 教育現場から遠ざかっておよそ10年になる。日常的な「指導と訓練」風景を飽きる程見続けてきた小生であるが、今日の鑑賞視線は違った。「孫の演奏」を聴くために祖父母の姿が多かった勤務校の多目的ホールを思い出した。そして、今、己がその立場にいることに気づいて苦笑した。

 30分間の『学校現場』に滞在して満足して小学校を出た。早朝歩禅のコースを通常通りに回って帰宅した。学校では、演奏会の後に学年ごとのプログラムがあることは知っていたが、歩禅の一環として立ち寄ることで孫への配慮も果たし事になるので残りのプログラムは母親に任せて帰って来た。    【5600歩】

2012/10/26

「時機の早晩」を考える

これは広島の小学校でご案内戴いた場で偶然出会った坂村真民氏の直筆書です。2009/07/02 撮影(本人)
 
 ~「二度とない人生」と言うが・・・~

 大物政治家の現職辞職のニュースが飛び込んできた。夕暮れのTV番組でちょっと覗きたい番組があってスイッチを入れた瞬間だった。思考回路(老脳)を過ったのは「時機の早晩」というキーワードであった。

 実は、お目当ての娯楽番組とは日本プロ野球のドラフト会議の中継であった。昨年のこの日に下された球団の交渉権を拒んで1年間を過ごした選手への、主体である12球団の次の手立てを確認したかったからである。その瞬間をライブで見たいと言う単なる野次馬根性だった。少々恥ずかしい思いもしながらも結果を確認することが出来た。結果自体への批判中傷は全くない。

 そこで二人の「人物」についてふと、愛読書の内容を思い出した。

 『人生二度なし…』と論じる森信三氏と、『念ずれば花開く』と述べる坂村真民氏である。80歳の大物政治家には『人生二度なし…』を、そして23歳のプロ野球選手になる青年には『念ずれば花開く』という書物を当てはめて思いを巡らせた。

年齢差では単純に『時機の早晩』等の比較は出来ない。ましてや、活躍分野も全く違うからでもある。しかし、小生にとっては十分に比較できる領域が存在する。それは「二度とない人生だから」という理念の土俵である。

年齢も「考え方」によってどうにでも曲解できる。

80歳。人生の残りの日々を単純計算しても、「今さら・・・」と矛先を収めてしまうだろう。そして周囲の多くの人は納得する。しかし、「二度とない人生だから」の理念で追及すれば、残された人生を悔いの無いモノにするために「できること」にチャレンジすることは、また多くの人の関心を集めても押し止めることはするまい。

23歳の青年にとって、1年間の待機時間は人生の何年分に相当したと考えるのだろうか。システムだから仕方が無い。「勝手に待ったんだから」との発言は厳し過ぎないだろうか。機構やその組織についての是非論はこの場には似合わない。この青年には『念ずれば花開く』という信念で、これからのプロ野球人生で「花が咲いて」くれることを祈るばかりである。

早朝歩禅で出会った老紳士が後輩の我々夫婦に、「どんなに生きても、あと10年の保障は無い。無理のない生活を楽しく過ごすんですよ」とアドバイスを戴いた。その後も歩きながら夫婦の会話も、「あと10年の命の保障は無いかぁ~」で一致した(笑)。二度とない人生を、人それぞれが人それぞれの道を歩んでいる。

森信三氏は著書で読者である教師に向かって言い続けられた。
・・・・・教育とは流れる水に文字を書くようなはかない仕事なのです。しかし、それをあたかも岸壁にのみで刻み付けるほどの真剣さで取り組まなければなりません。教師がおのれ自身、あかあかと生命の火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです・・・・・

 80歳にして新たな挑戦を志す政治家、これから日本のプロ野球で大輪の花を咲かせ国民に夢と勇気を与え得るスポーツマンにも、この本文の「教師・教育」という言葉をその世界の言葉と入れ替えても不自然ではない。ここが森信三氏を尊敬する所以である。

 「二度とない人生だから」、と詠う詩人・坂村真民氏の詩行にも、同様に二人に贈る温かい励ましの言葉が多く詠われている。茨の道を切り開かれんことを祈る!
 
歩禅の記録 【08:25~09:35 7100歩】
初めてのコースを歩いたので道に迷ってしまいました。(笑)

2012/10/25

歩禅の記(4)

 
歩禅の記録【08:25~09:35 7100歩】

 ~視界が変われば視点も変わる~

 以前にも触れた話題ですが、この歩禅のコースも歩く方向を変えるだけで別世界のようになるんですよ。夏の間は朝陽が射すと熱くなるので真っ暗な時間帯に家を出ます。足元も馴れた道であれば窪みも水溜まりの位置でも身体は覚えています。だから、決まった時間に決まったコースを歩けます。つまり、明暗の具合はその日によって程度も違いますが、視野に入る景色は全く同じものなのです。従って、視点にも影響はありません。つまり「見えない」部分も結構多くあるということです。

 衣替えも済んだ10月からは、8時半を出発時刻にしました。

 明るくなっているので見たくないものまで見えてしまいます(笑)。いつもの景色に慣れてくると視野の持つ癖も手伝っているのか倦怠ムードでの歩行になってしまうんですよ。そんな頃になったら、同じコースを全く逆方向から歩き始めます。

 今日はそのファーストチャレンジでした。

 全く逆方向とは言っても少々の道の変更もあります。しかし、90%は同じ道程です。だから、振り向いてみるといつものコースであることが確認できます。刈り取られた田んぼには切り株から芽が出て低い丈に米粒がなっています。全く同一風景で変化は何もありません。ところが方向を逆にして歩くとその背景が違うので、視点は定まりません。その所為でしょうか?まるで初めて見るような風景に生まれ変わった視野が展開されるのです。読者諸兄も一度試みてください。

 農作業する人たちも見慣れた「散歩人」が方向を違えて歩いていることに気付いてくれません。茶目っ気たっぷりの遊び心が展開されて、性分にマッチしているのかとても歩くのが楽しくなります。

 校長の現職時代に、「校長が替われば学校が変わる」というフレーズが氾濫しました。そんなことを思い出しながら今日の歩禅から帰って来ました。視点や観点が変われば、印象が変わることには納得です。空気まで変わったような気分です。人物の交替をしなくても、同一人物が視野と視点を工夫して摂り込んだら人間味の味覚変革に繋がると言うことになりませんかね?

 調子に乗って歩いたら65分も歩いてしまいました(笑)。

しかし、こんな単純な方法では明日の保障はございませんよね。そんな自省を含めて「人生は工夫次第でどうにでも楽しく有意義に生きられる」と、自らに言い聞かせつつペンを執りました。

2012/10/24

歩禅の記(3)

歩禅の記録【08:35~09:30 5600歩】

 ~風の冷たさはやっぱり「北関東」~

 若干遅れの出発ではあったが、「秋晴れ」と言うより小生には「初冬の」の澄みきった青空と表現したくなるような陽気の中の散歩である。

昨日はいつもながら(隔週予定)の鍼診療日であった。前回もそうであった(笑)が、帰路の中央快速線の人身事故で三鷹まで到着せず途中駅で止まってしまった。復旧の目途が立たないと言う車内アナウンスに応えて、まだ動いていた下り線(立川方面)に乗り換えて、立川駅から南武線に乗って川崎駅経由で上野駅に辿り着いた。約2時間のロスタイムを生じてしまい老夫婦のエネルギーも限界だった。

 そんな疲れも今朝の好天に救われて勇んで歩くことが出来た。

 田園地帯の西に聳える筑波山が今朝はとてもきれいに見えた。早朝歩禅コースの鶴沼を回りたいと言う老妻の要望に添って方向を転換して歩いた。明るくなる頃には既に帰宅していたので陽射しを受けている湖面を眺めたことはなかった。また趣が違って良いモノだった。

 帰路にある林の中から、独特な匂いがした。

 熟して落ちた銀杏の実の匂いだった。好物だと言った夫のために銀杏の実を拾った妻が全身蕁麻疹に罹った思い出の話になるのが、「この匂い」がきっかけである。その度に苦笑する。まだ、小学生だった我が子どもたちも小生も一緒に拾ったが犠牲者は妻だけだった。その後、かなり長い期間、「銀杏料理」は食卓には載らなかった。今は、何事も無かったように振る舞ってくれるので若き夫婦時代の小さな思い出として、この時期になって口に上るのである。

 ほぼ1時間を歩いて帰宅すると、庭先に干していた(昨日の雨に濡れた)傘が風で飛んでいた。洗濯物も風に吹かれて気持ち良さそうだった。

 南向きで陽射しを遮る建物も大木も無いので母屋のベランダに干してある洗濯物も、平屋の離れの軒先に干している洗濯物も日光時間が少なくなる冬場でも一日で洗濯物が十分に乾くらしい。老妻にとっては何よりも嬉しい事らしい。

 歩禅で温まった身体は、温かい陽射しと爽やかな風(ちょっと冷たいかな)で身も心もリフレッシュできたようで、昨日の疲れも消え去った。

2012/10/23

原因と結果

 ~「結果」に驚いてばかりでは進歩はない?~

 ●10月17日=144件 ●10月18日=168件。

 この件数は、当方のブログを覗いてもらった回数なのです。このデータを確認した当事者は仰天してしまいました。「何かの間違いかな?」と、決して間違うことの無い有能なパソコン機能を疑ったりするほどの結果でした。

 『ブログ』なるコンピュータ機能に触れ始めて、信じられない事象に遭遇して動顚したり、恐る恐る新しい使途に挑んだりしながら今日に至っています。誘導はホームページ管理人の同僚でした。しかし、今では全くの独力で(失敗にメゲながらも)ブログ編集に取り組んでいます。あっという間に打ち込んだ文章やデータが消えてしまうことも数えきれません(笑)。しかしながら、現職が無い立場に追い込まれると「おたく」紛いになってパソコンに向き合う時間も退屈しのぎには役立つものです。

 現状のブログも自らが開発(?)した形式です。更新している内に、「ブログの訪問者数」とやらが数値として日毎に提示されることを知りました。人情ですよね、その数が気になるのは!!

 これまでの最高値は98件でした。平均すると40~50件でしょうかね。それでも毎日のことですから、「爺さんの作業」にしては驚くべき数値なのです。時に70件の訪問者数を目にすると「力んで」編集するんですよね。これも、また、人情??(笑)

 ところが今月になって二日間連続して我がブログ史上最高の数値が表示され、余りの高値にビックリ仰天でした。なぜ?どうしたんだろう??自問しても解明策等が見つかる訳がありません。

 何気なく覗いた、10月17日の玉置崇氏のブログ(=『三楽の仕事日記』 *下記参照)に目が止まった。当方のブログを紹介してもらっているではないか!氏のブログは正真正銘の全国版である。そこに集う熱心な関係者は敬愛する氏に紹介されれば読まざるを得なくなるのは当然のことでしょうね。異常な高数値の謎が解けました。

 結果には原因が必ず付いて回ります。時として原因が結果に繋がるまでに相当の年数が掛かる場合もあるようです。また、原因が誘因となって異なる原因に連なっていることも理解しないと正式な結果にはならないとも考えます。いずれにしても、何事も「原因と結果」のローテーションですよね。良い結果ばかりが先行する人生なんて、あり得ない、ってことです。良い「学び」をさせていただいています!

 19時に名古屋到着。角田明先生にお会いするためだ。実は8月末に、自分にとっては偶然が重なっての今年度最高の感動!と思うほどのある出来事が発生している。
 それというのは、ある職員と話していて、その外国語活動の考えは角田明先生からお聞きしたことがあるよ、と言ったことがきっかけ。なんと角田先生の授業を見て、大学の先生らと共同研究を始めたというのだ。角田先生の授業を企画したのは、僕が義務教育課にいたとき。いろいろとあったが(笑)、県事業として「外国語活動プロフェッショナル派遣事業」が実現し、角田先生らに授業をやっていただくことになった。
 角田先生には県内あちこちで授業をやっていただいたが、角田先生が仮説とされたことが、本校職員によって教材として具現化し、昨日は豊橋でその教材を使っての授業が実現。名古屋に来られた機会の久々の再会となった。
 8月末からの経緯については、すでに角田先生のブログに何度か書かれている。まずは角田先生のブログをご覧いただきたい。
 この歳になっても嬉しい話
 そして、「先生が蒔かれた種が発芽しました」とメールで表現していただいた小牧中学校長(=平成21年度は愛知県教委勤務)の言葉は、小生にとっては退職者人生最高の『金メダル』である。と書いていただいたブログがこれ。
 まず実践あるのみ!
 このような思いをもっていただいた角田先生とお会いしたのだから、話が弾まないわけはない。先生との出会いから振り返った2時間余。角田先生との出会いも、僕の人生にとってはとても幸運なこと。先生に深謝した2時間余。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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