2013/11/10

『少年期の伸長度』に驚きつつ「老化現象」との逆転現象に!!

 

 気付かざるを得ません!(笑)

 8歳と12歳の「外孫」と初めて3日間も一緒に過ごして昨夜、帰宅しました。「内孫」との同居生活を始めて3年目に入りました。お互いの生活のリズムに不調も感じなくなりました。長男夫婦の共働きリズムにも老体が熟れたことが大きいと老夫婦は実感しています。取り分け、学校が長期休業に入る寸前の憂鬱さは言外でした。事故にでも遭って親に心配かけないようにと過度に神経を尖らせる老妻の言動に、ついつい当方までも巻き込まれる私生活が続きました。親たちは意外と呑気に考えているようですが、「託児」担当者としては肩腰に力が入ってしまっていました。

千葉に住む長女一家にも「行ってあげなきゃぁ・・・」と思いつつも御神輿が上がることなく、数日間の「滞在して」までの決断が鈍ってしまっていたようです。

 昨晩、帰宅した声を掛けに母屋に行った老妻に、小6の孫息子が「今夜まで泊まって来るのかと思っていたよ」とさらりと応えたそうです。内外に住んでいる5人の孫たちの甚だしいほどの成長に驚嘆したこの数日間でした。子細についての記述はできませんが、「伸長度」の著しさについては帰路の2時間の自家用車の中の話題はそれに尽きました。ダメ押しをしてくれたのが「もう、帰って来たの?」らしい心情を吐いてくれた言葉だったようです。

 次々世代の伸長は、先々代の縮小に繋がることを痛感しました。

 車中での老夫婦の会話には寂しさが伴っていたと述べているのではありません。寧ろ、嬉しさを言及し合っているとご理解いただきましょうかね。

 老い衰えて無気力な人生観は当方にゼロです。

両親の下で健やかに成長を遂げていることを確認すればするほど、寄る年波に課される「講演稼業」という難題に向かっても、過去の実績と経験値を十分に発揮してお役にたてる人生を送るべきだと心新たにすることが出来た「外泊旅行」であったようです。どうぞご安心くださいませ!(笑)

ビシビシと叱咤激励することを改めて宣言しておきましょう!!!!
 

ご案内
 ①ちがさき『響の会』の冬季特別セミナーの案内版が届きました。新ブログ・寸心紀行にアップしました。右欄の寸心紀行をクリックして覗いてください。今回もユニークな企画(=元・プロ野球「選手寮」長の講演)ができたようです。とても楽しみにしています。お時間がありましたらどうぞ、会場へお越しください。JR東海道線・茅ヶ崎駅(北口)から徒歩2分です。
 ②1月15日(土)(=午後日程)に、東京・浅草で予定している第12回 新春教育講演会のご案内は近日中に登載いたします。
 
 
 
 

2013/11/08

初めて外から書き込みます。

携帯のミニバツドとやらを持参しています。好奇心旺盛な爺は、長女婿の指導を受けて書き込みに挑戦しています。ブログを書き始めてから、初体験です。帰宅して、見直してみると書き直したくなるのでしょうね(笑)。

2013/11/07

おばあちゃんは、「昔の人」みたいだね!!



 老妻が老眼鏡をかけて「針仕事」をしていました。

 6歳の孫息子がその光景をじっと見ていて、「お祖父ちゃん!おばあちゃんって昔の人みたいだね」と声を掛けました。と言うことは「おじいちゃんも昔の人になるんだ」と小生は考えました。ところが、お祖父ちゃんは自らの両親と同じようにパソコンを使っている光景が目に留まっているらしく「昔の人」ではないのだそうです。老夫婦は苦笑してしまいました。

 世代を飛び越えるから、祖父母と孫の関係が成立します。

 我々の祖父母は明治時代の産まれでした。孫世代から見れば、話題から遠い昔の風景を空想してそこから匂いも勝手に感じてしまうのです。「いのちのまつり」という絵本では、今、生きていることはお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、曾祖父母のどちらが一つ欠けても「きみの今」は成立しないというストーリーになっています。

 意識の有無にかかわらず、小生も「お祖父ちゃん」になってしまっています。孫との対話一つからも「いのちのつながり」を痛感させられます。日本語には「内孫」と「外孫」があるようです。孫には変わりませんが生活の温度差は存在します。つまり、日常的な接点の回数の差だと考えても良い感覚の温度差です。

 嫁がせた娘にはその時点で言い聞かせて送り出しました。実家の両親より嫁ぎ先の両親を大切にしなさい、と。かなりきつく言い放ったことを懐かしく思い出すことが多くなりました。それは外孫たちも成長して、苗字の違う家庭での生活文化が孫世代にも脈々と連なっていることを体感することが多くなったからでしょう。とても嬉しい事です。双方の孫たちが素直に成長してくれていることを心底から祈っているからです。

 6年生になっている外孫娘から演奏会への招待が届きました。

 年に数回しか会わないので情報過多にはなっていません。金管楽器を演奏するのだそうです。中学校でも楽器の演奏は続けたいらしいのです。今年のお正月にその話題になって、お祖父ちゃんとしては約束をしてしまいました。「上手な演奏が出来たら中学校の入学祝に好きな楽器を買ってあげるぞ」と。

 その評定を付けるために今日から娘の嫁ぎ先に泊まり込みで出かけます。

 当事者は「お祖父ちゃんの判定」を受けるとばかりに緊張しているようですがお祖父ちゃんにはその意気込みなど全くありません。「いくら(=楽器の価格)するんだ?」と、もう購入の心準備しているのですから、世代を飛び越えた人間関係の緩やかさと温もりを実感してしまいます。親子の直接世代での人間関係ではぎくしゃくすることは常識的な情景ですが、『祖父母と孫』とのぬるま湯の関係です。中々良いモノです。

今夜は、上の孫娘とお祖母ちゃん、下の孫息子と一緒の部屋にお祖父ちゃん。それぞれの部屋で寝ます。孫息子には先だって絵本を送っておいたので読んであげたいと考えています。

 『鬼』というニックネームの現職時代の小生ですが、もう、その欠片も存続していません。外孫や内孫と言う言語表現をしているお祖父ちゃんも、やっぱり「昔の人」の部類に仕舞い込んでおきましょうかね!

行ってまいります。ホンのちょっとの間、当ブログは休刊です。
 
 
 
 
 

2013/11/06

職業には貴賤は無いと思うけど、生き方にはありますね!

 

 


  このフレーズの他にも沢山記憶に残っていた言葉が、届いたばかりの月刊誌の巻頭言で蘇りました。巻頭言に引用された出典は、『職人』(永六輔 著 岩波新書)です。今月の巻頭言は松下幸之助氏を『経営の師』と仰いで、現役の会社経営者の牛尾治朗氏です。ご自身も大経営者として著名な経済人です。牛尾氏のご著書も、以前のHPで月例に登載した≪イチオシBOOKS≫で数冊をご紹介していました。牛尾氏が永六輔氏の著書から引用された箇所を巻頭言のページで追いながら背筋がゾクッとしました。

「いっぱし」の職人になった、と自慢しているが、いっぱしとは「一番端っこ」という意味であって、威張って言う職人がいたので窘めた、とか、「仕事は金脈ではない、人脈だぞ。人脈の中から金脈を探せ。・・・」という行を紹介されていました。牛尾氏に印象深かった「職人だからこその言葉」がほぼ、小生と同様な個所であったのです。更に、究極の感動は、次の言葉でした。

褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります

この言葉を添えて巻頭言が締め括ってありました。素晴らしい会社経営者として尊敬して止まない牛尾氏の指摘に凡庸な小生は感激してしまったのです。

校長と言う学校経営者として、自校の会場で月例の授業研究会(=教育界では慣用語句)でこの言葉を使いました。相手は、将来の学校経営を担って欲しい人材(=教員)と勝手に評定していた教員でした。この言葉の深意を噛み砕いて投げ掛けました。その教員は、校長としての現職にて現在も奮闘していることだと確信しています。当然ながら『職人』という書物から引用したモノでした。

昨日、手元に届いた愛読月刊誌・『致知』12月号を、今朝、開いてこんな感動が湧き起りました。この感動を読者諸兄にも「お裾分け」いたしましょう。








 

2013/11/05

こんな時期に、空で囀る雲雀の声と北風が不似合い?



 自慢ではないが、小生の「常識観」ほど当てにならないものはない。 

 「雲雀の囀り」は春と麦畑を連想させるので、今の、この時期に雲雀が活発に活動することに違和感を抱くのである。2年前からこの地に転居しているので2回目のこの季節を生きていることになる。このブログにも再三登場している歩禅コースに「田園地帯コース」がある。見渡す限りの水田の時期には季節感が「初夏~夏~秋」と田んぼの色の変化と伴に移り変わるのが確かな風情になっている。

 昨日も曇り空に吹き始めた北関東の冷たい北風を、「冬の季語」として受け止めて歩禅を楽しむことができた。そんな中で空に舞う雲雀の姿を何羽も観たのである。ふと、最近、配達された県の広報紙の『題字』を思い出して探した。そしてビックリした【写真】。

 茨城県の鳥が「雲雀」であることが題字の『ひばり』の文字で判明した。以前住んでいた神奈川県の鳥が「ゆりかもめ」だったので、その土地柄から一種に選定されることを考えれば、地域的にも沢山の「ひばり」が生息している地であることに頷かざるを得ない。

 それにしても、春先に空高く囀るきれいな鳴き声と「季語」が一致していた浅学がもろくも崩れ去った訳である。祖母が大好きだった歌手「美空ひばり」さんの名付けの由来を自慢げに話してくれたことも思い出してしまった。美しい春の空に囀る「ひばり」、つまりきれいな声で上手に囀る(=歌う)ことにあると聞いてはいた。つまり、「ひばり」は歌が美味い、という事らしい。妙に懐かしくなるのも不思議な「県の鳥」のご縁である。

 年が明けて、冬が去ると春がやって来る。

 小生の老脳の中では「ひばり」は春の季語であるが、「わが世の春」として空高く何十羽のひばり軍団の囀るきれいな鳴き声が聞くのが楽しみである。駄弁を労するが、生まれ故郷の熊本県の「鳥」も、実は、「ひばり」であった。僅か2つの県だけが県の鳥として指定していることにまで妙縁を感じる。
 
 
 
 
 

2013/11/04

曇り空に「雨降り」を心配しながらの独り歩禅


 10時半に出発。

 膝痛を心配している老妻を同伴させずに独り歩禅に出掛けることにした。老妻から買い物を依頼されたので「買い物リュック」を背負って出発した。田園地帯コースを選んで、その先にあるかすみがうら市農協直営販売店を目指した。

 田んぼ道を横切ると北風も冷たく感じるが、歩くことで生まれるエネルギーには堪えられない冷たさではなく心地よい涼味になってくれた。9時半に開店する直売所には、もう客の往来が田んぼ道からも見えた。依頼された2種類の買い物は、1つが置いて無かった。好物の柿が眼に入った。誘惑には勝てなかったので言い訳を考えた(笑)。「ご褒美」と考え付いて苦笑しながら帰って来た。

 農家の庭先には菊の花が咲いていた。桜の木に「花が咲いて」いるのに気が付いた。列記とした桜の木であるが、「狂い咲き」なのかも知れない。我が家の『猫の額』(=俗称・小さな我が家の庭)に目を出している水仙の姿と重複させながら自然界の微妙な気温の変化に敏感な植物の生命力に感心してしまう。

 生垣の山茶花の蕾が沢山目に付いた。暫くすると山茶花の季節になる。あれだけの酷暑にも耐えて、「我が季節」を待っている風景には感動である。

 11時半に帰宅。5000歩ぐらいだろうか。
 

※事務連絡=去る10月24日に訪問した豊橋市立多米小学校の記録を「教員と研修」(10)として、新ブログ【寸心紀行】(右欄外の該当部をクリックして)に登載しました。
 
 
 
 

2013/11/03

「昭和の時代」を生き抜いた先人の強力な生命力


 享年を注目する。

敬愛する偉人のそれが90歳代を連ねる。大正時代に生を受けた方々の90年間の人生には大戦争という(戦争を知らない世代には理解が出来ないが)難行が課されていたようだ。「腹いっぱいメシを喰いたい!」が当時の祈りだったと、叔父から聴いたことがある。

 少年の日の思い出を良く書くので、親しい読者からは「加齢の証」と苦言を呈されているが、懲りもせずに食事の思い出を、今日は述べる。「好き嫌い」が許されず、「キライと言ったがために」食事抜きとなった苦いシーンがはっきりと浮かんでくるのである。今の時代には、「親に因る体罰」と記されるのか!?(笑)

 老妻がこんな本(写真版)を求めた。

 何気なくページをめくってみると注目する活字が飛び込んできた。高齢時代も後20年は続くまい。理由は粗食の時代が過ぎ去った頃に生きて来た年代が高齢化して来るからである。平均寿命の伸び悩みも到来するだろう。長寿への意識の無い時代に生きて来られた人たちに比べる。「医学や薬剤」の恩恵を借りながら長寿を目指すのでは比較基準が違い過ぎないだろうか。

 長寿も、「健康長寿」でありたい。

他界された方々が、その前日までお元気であったと言う報道を確認する度に「粗食」の重要性を実感している朝である。

 以下に著者と、対話に登場されている方のコメントを以下に紹介しましょう。 

食事作りを「面倒」「難しい」と思わせてしまったのは、栄養教育の影響が大きいです。「バランスのとれた食生活をしましょう」と言うのは簡単です。しかし、それを実践しようとしたら、「朝からごはんに味噌汁、野菜、肉か魚、大豆製品、できればそこに牛乳か乳製品をつけましょう」、ということになる。僕は初女さんが実践されているような食事が、本当の意味でのバランスのとれた食生活だと思いますね。本物の食生活は決して難しくないんです。   
                                                                                                ―幕内秀夫(対談者) 

日本人に一番合うのは、ごはんを中心にして、季節の野菜や魚などをいただく食事。この国はもともと、「瑞穂の国」と呼ばれていたのよ。最近、「これを食べれば病気にならない」「健康になるにはあれを食べよう」などという極論なことが流行ったりするけど、そういった食事は、病気への恐怖や生へのこだわりが強くなりすぎて、かえって体に良くないと思う。                                                                         -佐藤初女(著者)
 
 
 

 

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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