2009/11/01

「疲労感」と「充実感」の勝負?

11月1日(日)      広島・晴~茅ヶ崎・くもり
 29日からの「広島遠征(?)」から正午前に自宅に帰り着く。
 読者の皆さん、驚きませんか?広島県から神奈川県までの(いくつもの府県を横切って?)距離を考えて、正午前の到着時刻に驚いてくださいよ!!迎えた妻が、「広島って近いんですね」と。最大の驚き表現だと夫は苦笑で受け止めました。
 6:46 広島駅始発「のぞみ112号」に乗車。
 9:09 名古屋駅着(乗り換え)
 9:22 「ひかり462号」(小田原駅停車の「ひかり」)
10:35 小田原駅着(乗り換え時間はたったの5分間)
10:40 東海道本線「小田原発東京行」
11:09 茅ヶ崎駅着  【自転車で自宅まで帰宅】
“年賀状発売”開始の文字が駅周辺で目に留まり、「今日からもう11月」、と老脳に言い聞かせながら自転車のペダルを踏むのです。今回も、すこぶる充実した時間を広島市の小学校で過ごすことが出来たので「疲労感」はあるのでしょうが、葛藤する『力関係』で、充実感が疲労感に勝っているような「今(現時刻)」です。今後の時間帯での変動は分かりません(笑)。
 しかし、明後日(3日)は三人目の孫の七五三のお祝い。長男から招待を受けているからには行かねばなりませぬ。故に、今日は張り切って早朝一番の新幹線で帰路に着いたのでありますから・・・。明日の東京での会議が夕方には終わるので妻と待ち合わせて上野駅から常磐線で孫達の待つ茨城県土浦市まで行くことに予定が挿入されてしまいました。「慶び」事でもあります。孫の成長を見守る爺婆として馳せ参じようと心を躍らせています。

2009/10/28

「生活習慣病」との闘い

10月28日(水)   晴(6:00)
 昨日は久し振りの「万歩」。
 意識をしないと直ぐに緩むのは人間の本性でしょうね。いや、失言!それは小生だけのことでした。歩数計を装着した生活を意識したのは「体重を減らす」という、いわゆる生活習慣病への対応策の一つだったのです。高血圧症対策の基本は肥満である、と人間ドックの担当医の直言だった。それは、今を遡ること15年前の話。これなら「自意識」の維持力があれば出来る、とばかりに踏み切ったのです。しかし、一日に一万歩を歩き続けることは至難の業でした。現役時代のことですから、目の前の「しごと」を優先する余りにかえって負担となり、それが「出来ない自分」を責めるストレスに繋がっていってしまいました。効果らしきモノが見え始めたのは、やっぱり現職を辞してからだったようです。
 生活習慣。これを大転換させることは現職時代にはかなり厳しいことでしたね、小生にとりましては。そこで、自由裁量できる「朝の時間」に目を付けました。早朝起床に切り替えて20年間が過ぎました。夏の早朝散歩は快適です。茅ヶ崎は自転車が氾濫するほどの平坦地ですから歩くのも楽です。さらに、北には大山・丹沢の嶺々、西には箱根の連山が見え、秀麗・富士山が聳える「コース」は絶景です。
 習慣は「独りで」完成できるモノではないことをこの散歩一つとって考えても実証できました。三人の子供達も巣立って行った時点での老夫妻にとっては格好のリズム変更機となりました。家の中では途切れ途切れの夫婦の対話も、郊外に出て四季の変化に触れると話題が彷彿としてくること請け合い(笑)です。
 参考までに、昨日の万歩は大都会「ヨコハマ」のビル街でした。

2009/10/27

しぶ~い「柿」の思い出


10月27日(火)   晴(6:00)
 うっかりすることが多い。
 「台風が日本列島に向かっていたのか」、とまたしてもうっかり。先般の台風は襲来前からの報道も大規模だったので「国民的意識」も高揚していたのではないかと、自らの軽率さを慰めている。昨日は終日の強雨。予定していたスケジュールも全てが為せなかった。
前回の台風と言えば、妻の従姉が住んでいる知多半島に上陸して北東に進路を向けたので愛知県豊橋市周辺は相当な打撃を受けたとの情報を得た。直後に新城市から設楽町への出向した折り、関係者からの説明があったからだ。収穫前の農産物には台風は「招かざる客」である。少年時代過ごした九州の故郷では、台風ごとに悲惨な爪痕を見せつけられたモノだった。
そんなご苦労の農家の「作品」(写真)が、昨日茅ヶ崎の自宅に届いた。予告は頂戴していたが、立派に実った「次郎柿」が鮮やかな柿色で眼に入った瞬間複雑な心境になってしまった。実は、殆どの果物が好きな小生も、大好物が柿なのである。以前、豊橋市の学校を訪問した際、給食の後に特別デザートとして振る舞われた柿の美味しかったこと。豊橋地方の特産品であることも知らずに本音を語ってしまった。失言が、今回このような状況下で届けさせることになってしまったからである。
柿には子ども時代の思い出もある。悪戯とは無縁の少年が初めて他所様の庭先から美味しそうに見えた柿を一つ盗んだ(柿どろぼう)。運良く見つからずに藁小屋の陰で食べた。その渋さは夕食の味までわからないほど長時間口内に佇んでくれた。あの苦い思い出(笑)は忘れない。誰にも語っていないしぶ~いお話し(時効)!!

2009/10/26

新たな決意

10月26日(月)   雨
 浴室の窓はまだ真っ暗(5:00)。
 それもその筈。今朝はかなり強い雨脚が耳に届くほどの天候のようである。ラジオを聴きながら湯舟で『腰湯』(=半身浴)を満喫する朝の日課が始まった。
農業従事者というリスナーからのメールが紹介される。「やっと雨が降りました。野菜達も元気になりました。これで美味しい野菜を消費者の皆さんにお届けできそうでホッとしている朝です」、と。心が和む放送である。
 昨夜、就寝時に「寒気がする」状態だったので目覚めの瞬間が心配だった。週の後半は広島市の小学校での仕事をお請けしている。先週も鳥取から浜松と忙しく出向して帰ったばかりでもある。健康であることは絶対条件と考えている。大勢の人と接触しないことが(新型)インフルエンザ感染予防の得策とは知りつつも、そんな状況下に敢えて飛び込まなければ私の業務は遂行できない。感染自体は仕方がないとは言え、依頼者に多大なご迷惑をお掛けすることになるのが忍びないのである。
 健康管理の重要性をかなり意識するようになったことは「加齢の証」としても事実である。体温計の35.9度(つまり、朝の平温)を示す水銀柱の先端を見るとなぜか、昨夜の心配はどっかへ吹っ飛んで行ったようだ。急に元気になっているのだから現金なモノ。今日も元気に一日の出立である。
 もう一つの「元気印」が、このブログへの挑戦である。管理人さんから特設・準備をしてもらって、「65歳・新たな人生の船出」のデザインが今朝、パソコンに送信されていたのである。『高齢者』の仲間入り記念として、HP管理人さんからのプレゼントである。歩禅記を直に書き込めるようにしていただいた配慮に感謝である。
 「生きる意欲」が萎えない限り挑み続けようと心に誓いました。

2009/10/25

10月25日(日)

10月25日(日)   小雨のち曇(14:00)
 参議院補欠選挙の投票所まで。
 歩禅記が途切れがち?メールでは私が病気でもしているのでは、とのご心配の内容である。いたって元気な爺であるからこそ、「不在者」なので歩禅も楽しめない現状をご理解いただきたい。
 気乗りのしない妻を誘って投票に出向いた。投票が済んだら直帰するつもりで手ぶらで出掛けた。妻から「少し足を延ばして歩きましょう」との誘いは意外だった。「歩くこと」には異存はないので農家が密集する家並みを歩く帰路を選択した。こんな日に限って!とハッキリ聞き取れる妻の呟き。農家の軒先に野菜の直売があり、ネギ・トマト・里芋・大根が「新鮮さを売り物に」顔を並べていたからである。急ぎ足にして帰宅した夫は、自転車に乗り換えて直売所へ取って返した。野菜は老夫妻には欠かせない。夫も欲しいのは同感だったので自転車のお使いも拒否など無い。
 しかし、今日の気温はどうしたの?一気に冬に突入の感。数日の休業日を満喫だ。 

10月20日(火)挑戦

 私のホームページで皆さんにお読みいただいている「歩禅記」をブログで書き始めることにしました。本日65歳の誕生日を迎えた前期高齢者?としての新たなる挑戦です。
 ホームページ http://tsunoda.web.infoseek.co.jp/index2.htm も合わせてご覧ください。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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