2013/04/30

こんな番組も編成されることがあるんですね!



 
 小生は時間があれば、午睡(ソファ椅子=1545分間)を心がけています。

 「早朝起床をしているから」、という訳ではないのです。ゆっくり横になるだけの休養タイムとして設定しています。7分の45は実施できています(週あたり)。その時にはリクライニングした椅子の枕元には、『携帯ラジオ』を置いてFMラジオを試聴します。殆どの場合、ラジオはリスナー・ゼロの状態に放置されます(笑)。

 寝覚めが良いのです。目が覚めてラジオの中の対話や音楽が「孤独」を癒してくれます。(孤立なんかしてませんぞ!)

 日・日常の昨日(429日)。

 「猫の額」(=我が菜園)での仕事を終え、11時過ぎには昼食(朝食は5時半)を終えて午睡にしました。目が覚めたのが正午過ぎだったでしょうか。日・日常的に耳にするNHKの番組は『ひるの憩い』です。そのつもりで耳を傾けるとちょっと様子が違いました。

 司会進行役のアナウンサーが、『今日は一日 “美空ひばり”三昧』と数回叫びました(と、聞こえました)。幼いころは、祖母や姉たちの影響でしょうか、殆どの彼女の歌は聴き慣れていて違和感がありませんでした。思春期から青年期には興味関心の範疇から消えました。そして、30代の頃には「鼻持ちならない」ようなキライな歌手になっていました。若い逝去の悲報を受け止めた辺りから、人情論的な好感度と言うより、「日本人の心」を上手く表現する歌手として、聞きたくなるまでになっていました。

 長女の結婚式。

「川の流れのように」というメロディーが披露宴会場で新郎新婦の入場の際流された瞬間から「新婦の父」としては感極まってしまったのです。前触れも予告も無く、当時、小生が「良い歌だね」と口ずさんでいたのが恥ずかしくもなりました。不本意にも(笑)涙が頬を伝ったのは隠せませんでした。(不覚の一滴!)

そして、昨日も午睡の微睡を突き破ってしまったのもこの曲でした。

目を覚ましてから夕食まで、ラジオから耳が離れずに聴き入っていました。ゲストの多彩さには驚嘆でした。ゲストの方の豊富な話題にも惹き付けられました。この種の番組は今回が初めてでは無いこともわかりました。またまた、ラジオが好きになったようです。
 
 
 ご参考までに・・・・。小生の愛聴番組は(プログラム・下段)「ラジオ深夜便」です!

2013/04/29

手袋を忘れた歩禅では、ポケットに両手を突っ込んで「歩き」ました!



 
 「もう要らないな」との思い込みで出発して途中で後悔する事がある。今朝も例外ではなかった。30分間歩いても全身の温もりが感じられない。手の指の感覚など意識したことも無い。栄養失調の時代に育ちながらも、皹(ひび)・皸(あかぎれ)や霜焼になることも一切なかった。痒みや痛みで友達が泣くのを見たことも多かったが、自覚症状など全くなかった。

 今朝は歩きながら指先の鈍痛さえ感じるほどの低温だったようだ。「高齢者の転居は無謀とも言える」と言われた鍼診療師の言葉が明確になった。体調の維持管理のために生活環境の急変は要注意という事なのだろう。だからと言って帰宅して冷たい空気と遮断すると何とも無いのだから、特段の心配は無用である。

 そんな歩禅の視界に「湖面に小舟を出して釣りをする」光景が飛び込んできた。2年間歩き続けているが、初めて視る光景だった。老妻が「寒くないのでしょうかね」と話し掛けるほどの冷え込んだ朝だった。 【04:55~05:45 6400歩】

2013/04/28

教員としての「最初の卒業生」が、今日、我が家に訪問します!

 

 27歳の「ひねた(=当時は)」新採用教員が、29歳で15歳の「卒業生」を初めて送り出した出来事は、教師人生の始発駅となりました。今となっては大事件です。怖いもの知らずの無茶苦茶な指導者だったのですから、無事に卒業生を出せたこと自体が「人生の一里塚」だったと回顧しています。己れの力量なんて幾らも無かった筈なのに、「学年を背負って立っている」気風でいたことを自認すればするほどに周囲の先輩諸兄の眼に見えないご支援があったことを恥ずかしくも思い出しては自責の念に苛まれます。

幾つになっても年齢の差は縮まりません(笑)。溢れるほどの数が存在する、「14歳しか違わない社会人」ですが、小生にとっては貴重な44名の卒業生です。同窓会で再会した卒業生は異口同音に、「えっ、それしか(年齢差)無かったの?」とか、「老けて見えたよねぇ」とか、「新採用教員なんて考えたことも無かった」等々、どの発言を受け止めてみても、「生意気な若手教員だった」ことに反省しきりです。

なぜ、今日のブログにこんな自虐的な思考を公開している?

転居先に来客があります。55歳になる卒業生から来訪の一報が入りました。思い出の卒業生の一人です。毎年、暮れになると「ミニ同窓会」でも会っている人物ですので再会の緊張感など双方に存在しないでしょう。同世代の卒業生の中には、「お祖父ちゃん仲間」がいます。お祖母ちゃんは数名います。

気が付いてみれば、もうそんな年齢域に達しております。しかしながら、卒業生と会うとタイムマシーンで一気に「あの日」に戻ってしまいます。そんな時間が数時間後には展開されます。楽しみにして待っています。老妻に言われるまでも無く「少しは部屋を片付けようかな?」と心に決めました(笑)。

早朝歩禅(05:00~05:50 6300歩)の途中で、いつもとは違う今日のコースで見えた朝陽の昇る風景を撮りました。

2013/04/27

久しぶりの『独り歩禅』も、時には良いモンです!


 

 無理強いでの散歩は好まない。

 誰かが何かをやっているからと、意地になって「自分もやらないと負けてしまう」なんて考えたことは一度も無い。自分との勝負に負けることには時として、情けない自らをキライになることはあっても、他者に負けて哀しくなったことはない。子どもの頃は「負けず嫌い」を助長された。そして、相手に勝つことの奨励が教育手法だった。いつ頃からは定かではないが、「自らに負ける」ことを嫌悪して、他者に負ける事には諦めを増幅させて未練も抱かなくなった。

 祖母が、「お前は三日坊主だけん(=だから)」と事ある毎に窘めてくれたことを最近は頓に思い出す。77歳で死んだ祖母である。まだ、もう少し先の事ではあるが同じぐらいの年齢になるからだろうか。孫のガキを窘めていた元気な頃の祖母が今の小生と同じぐらいの歳ではなかったかと、考えている。

 『独り歩禅』で、祖母に語りかけてみた。

 心の中での問いかけにも祖母からの返事はない。男勝りで、「末期の水」は焼酎にしてくれ、と孫の小生に遺言していた女性である。祖母はピンピンコロリの逝去だった。居合わせた嫁(母)と娘(叔母)が容体の急変を察知して大声を発した。5年生だった小生は土間の台所まで行った。祖母のご所望の「末期の水=焼酎」を湯呑み茶碗(コップは当時は無い)に注ぐためだった。こぼさないように横たわっている祖母の枕元に運んだ。

 母と叔母が口に運んだ。

 意識はしっかりしていた祖母は、ハッキリした声で5年生の孫に向かって言った。「ありがとう、良く覚えていたね」と。のど元を「ごくん」と音を立てて茶碗酒を呑みほした。そして、数分もしない内に息を引き取ったそうだ。見事な最期だったとの語り草である。

 そんな祖母に以下の哲学を教わった。

 一日休んだだけで「三日坊主」になってしまったら、また次の「三日坊主」に挑めば良い。そんな「三日坊主の繰り返し」を続ければ、結果的には「三日坊主」が連続して、良い結果が出せるんじゃないかい?

 この哲学が、10年間も継続している『歩禅』に繋がっている。

休むこともあるが、また次の連続への意志を大切にできる。「三日坊主の連続性」は祖母に学んだ。そんな人生の師である祖母との『独り歩禅』を愉しむことが出来た。一言も祖母は応えてはくれなかった。もう、諦められたのかな?(笑)  ≪05:05~05:55 6500歩≫

2013/04/26

光る朝露に大麦の穂が元気に伸びていました。

 早朝の歩禅は60分間を予定したコースを歩きます。

 目的地は鶴沼(周囲1.3キロ)です。その途中には鬱蒼とした竹林や雑木林もありますので、早朝も曇天の場合は暗がりになってしまいます。孫たちの通学路でもありますが、往路だけになっているようです。一人で下校するのは危険かも知れません。復路は大通りになっているとの事で納得です。

 畑も多くあります。
 ふと足が止まりました。畑には大麦の穂が大きく成長していました。夜露が朝露に変わると光ります。数多い水滴が光り出していたので足が止まりました。農家の息子として育った小生は「大麦の穂」も「小麦の穂」も遠目からでも判別できます。横浜のデパートで「大麦の穂」(らしい)が生け花として飾られていた時は目を疑いました。大麦と言う食用の穂が芸術品になっていたからでした(笑)。

 田圃もあります。

 近日中には水を張った田圃の風景が目に飛び込んでくるはずです。故郷からは田植えのニュースを得ています。北関東はもう少し先になるのだろうと思われますが、田園地帯の新緑の中を歩くのは季節の中を歩ける醍醐味です。

 今朝は、妙に雉の鳴き声が多く聞こえました。やっと雉の鳴き声がわかったという証でもあるのです。

 鳴き声と鳥の名前が一致しないのが当地では気になります。様々な鳥たちの囀る声が爽やかに耳に飛び込んで来るからです。

2013/04/25

雨の日の我が家のベランダの物干し竿に、長閑な「すずめの雨宿り」が。



 外は、朝から春の名残雨(?)。

 間もなく前半のGWがやって来る。「別れ霜」があったり冷たい北風に見舞われたりと季節が中々夏の予感すら運んで来ない。予報より早い雨が降り始めた。気温はさほどの低さでもなく夏が近い感じはする午後となっていた。

 昼食を済ませてソファに腰かけて珍しくTV画面に見入っていた。

 小さな『離れ』のミニ老人ホーム(自称しては笑う)。狭い居間のベランダを指さしながら老妻が声を抑えて近づいて来た。「すずめがベランダの物干し竿に停まっていますよ」と言うではないか。どうせ、近づけば直ぐに逃げるに決まっている。決め込んだ老夫はビクともしないでTV画面のサスペンス劇場を見詰め続けていた。30分は経っただろうか?再び老妻が近付いてきて、「もう7羽に増えちゃっています・・・」と再度の報告があり、腰を上げた。

 手元にあったデジカメを持って近づいた。

 光線を遮るだけの白い薄い生地のカーテンの向こうに、確かに数羽のすずめの動きがはっきり見えた。カーテンを開けると鮮明に撮れるだろうが、開ければ飛び去ると、こちらも警戒して暫くダイニングテーブルの椅子に腰を掛けて息を殺して観察となった。

 なかなか飛び出しそうにない。

 痺れを切らせてカメラを向けてシャッターを押した。フラッシュが閃いた。しかし、楽しそうなすずめ軍団は人間を無視したままである。二度目のシャッターを切った。ホンのちょっとした内部の動きに敏感に気づいたようだ。一斉に飛び去った。見送りながら、「そっとしておけば良かったね」と、まるでデジカメのシャッターを押した老夫が悪者のような対話になってしまったが、カメラに収まったカーテン越しの「すずめの雨宿り」の光景を確認できた時には既に険悪な雰囲気は消滅していた(笑)。

 孫が帰宅したので、おやつを食べ終えたところでパソコン画面に映して見せてあげた。すると、「え~、このすずめ達は、お祖父ちゃんお祖母ちゃんに随分、慣れているんだねぇ~」と独り言を呟いた。嬉しくなった。

 夏を運んでくれそうな温かい雨の降る長閑な午後の一コマでした。

2013/04/24

「負んぶに抱っこ」と「負んぶと抱っこ」の違いを考えました。


 数日前に面白いネット記事を拾いましたのでご紹介しましょう。

 「赤ん坊を運ぶ」という表現でさえも古希を迎える老輩には異物を呑みこむ様な日本語になってしまいます。「運ぶ」のはモノ扱いであると思い込んでいる老脳の所為でしょうね。

 昔は「乳母車」という日本語でした。今は?

カート(荷物を運ぶ手押し車=cart)類に集約されているのでしょうか。赤ん坊を荷物のようにして(顔を視ることも無く)電車にも運び込もうとして事故になることもニュースにもならなくなっているようです。とても気になっている事象でした。埃が一番強く舞い上がる高さに赤ん坊を入れて「運んでいる」母親を視るにつけ、老輩の心を痛みっぱなしでした。

何もかも依存してしまう悪い状態を「負んぶに抱っこ」と評していました。赤ん坊を抱っこばかりして家事も疎かにしたり、歩けるようになっても負んぶして移動して甘やかしていることと加算して「依存症」として蔑まされた表現です。負んぶも抱っこも「悪例」として引用されたようですね。

「負んぶと抱っこ」で育児と家事の両立を考えても良い時代になったようです。料理をしている時に赤ん坊を負んぶしても甘やかしではないでしょう。背中の温もりが赤ん坊にとっては心の安らぎになるような気がします。抱っこして顔を見て声を掛けながらゆっくり歩いてみたら??安心して眠りませんかね?

科学的な検証が為されないと実践できないものでしょうか!?以下に記事を添付します。 

<赤ちゃん>抱っこして歩くと泣きやむ理由、科学的に検証

 親が赤ちゃんを抱っこして歩くと、赤ちゃんが泣きやんでリラックスする仕組みを科学的に検証したと、理化学研究所の黒田公美(くみ)ユニットリーダー(神経科学)の研究チームが発表した。18日付の米科学誌カレントバイオロジー(電子版)に掲載された。
 子が親に運ばれるとき、おとなしく丸くなる反応は、ライオンやリスなどヒト以外の哺乳類にも共通しているが、その仕組みは分かっていなかった。
 チームは、生後6カ月の赤ちゃんを腕に抱いた母親12人に、約30秒ごとに座ったり歩いたりという動作を繰り返してもらい、赤ちゃんの心拍数や泣く時間を調べた。
 その結果、母親が歩き始めた約3秒後に心拍数が低下してリラックスした状態になり、座っているときに比べて泣く時間が約10分の1になった。赤ちゃんのおなかを親の体につけるように抱いた方がより効果的だった。
 さらに、マウスが首の後ろをくわえて赤ちゃんを運ぶことに着目。マウスの赤ちゃんの首の後ろの皮膚をつまんで持ち上げると、心拍数が低下しておとなしくなることも分かった。ヒトもマウスも、皮膚感覚と運ばれる感覚の両方が赤ちゃんのリラックスに関係しているようだ。      
毎日新聞 420()945分配信 【斎藤有香】

2013/04/23

自家製の「うど」を農家の人から届きまして、感激!!




 午後6時前に帰宅しました。

 昨日は千葉県に住む長女の家まで行きました。偶然でしょうが、長女の子ども達が通う小学校と、同居している長男の子ども達が通っている小学校が先週の土曜日に「授業参観+PTA総会」の日程だったようです。従って、昨日は双方の孫たちが代休日となっていました。

 長男夫婦は勤務です。

 そうなると、お祖父ちゃんの出番でした。つまり運転手としてこちらの孫たちを千葉まで搬送(笑)する業務が成立するのです。片道90分も、爺婆のみの移動と比べるとBGMがあって、あっという間に到着でした。

 「佐倉チューリップフェスタ」の観賞旅行は恒例のものです。3年間連続して行っていますが、今年はもうチューリップの花は散ってしまっていました。自然界との勝負ですから仕方ありません。

 遊びに夢中になっている孫たちを引き離して(笑)、明るいうちに帰宅する予定で千葉を出ました。予定通りに到着できました。

 玄関先に迎えに出てきた嫁が、「うど」を頂戴したので、こちらも戴いちゃいましたよ、と。部屋に戻って流し台のところに置いてある瑞々しい「うど」を見つけて感激しました。以前に立ち話をしました。籾殻を掛けておられた農家の方がうどを栽培しているとの説明がありました。好物だ、と言ってしまいました(笑)。そこで、お届け戴いたのでしょうか。長男宅では夕食で戴いたとの事ですが、我が家は今夜の夕食でいただけそうで至福の思いです。

 
早朝歩禅は5:05~5:55 6500歩の定番でした。朝陽に向かって飛び立つカモの群れに迎えられました。霜で真っ白な畑を見ながらの歩禅でした。霜予報があったので植え付けたミニトマトの苗にビニールをかけておいてホッとしました。

2013/04/22

『車窓』に癒されるミニ・ミニ・ミニトリップは片道・45分間でした!


 冷たい雨が降る正午前の常磐線に乗って水戸へ向かった。

 自宅から駅までは10分間も掛からないが傘は必要だった。一旦開いた傘は車中では厄介者になる。電車が目の前に泊まってドアが開く直前に閉じた傘を前後に大きく降っておくと車中で折りたたむのが楽になる。折りたたんでリュックの脇袋に差し込んで座り直す。いつもより乗客が多いかな?服装に一定の共通項があるようだった。瞬間、「そうだ、今日は土浦マラソンの日だ」と記憶の閃光が走った。お疲れの様子も共通項の一つであったが服装が何よりの決め手であった。雨中を走られた後の疲労感は?簡単に想像を巡らしながらリュックから単行本を出した。

 出たばかりの隣駅では特急電車の通過待ちで6分間も止まってくれた(笑)。

 取り出した本は『 「知」の挑戦 本と新聞の大学【Ⅱ】 』(集英社新書)である。既に【Ⅰ】は読み終えていたので、惰性力の読書となった。編集が「講義録」なので8人の講師が2冊に亘って重複しないので内容はどの章も新鮮そのものであった。

 「車中での読書」は小生の趣味の部分に登録しても良い。

 この趣味に彩りを付けてくれるのは車窓の景色である。常磐線の車窓は未だ珍しいので、読書より車窓の風景が目の保養にもなる。今の時期は、取り分け、新緑が眩いほどに目に飛び込んできて、活字を暫し忘れる程である。昨日の車窓は、その新緑が雨に洗われて、雨が止んだ直後の「葉の滴」がキラキラ輝くところが、癒しを超えて悩殺される程の美景となっていた。

 また、本に戻る。

 姜尚中氏と一色清氏がモデレーターとしてそれぞれ4名の講師が言及する「知」の挑戦ぶりが実に面白い。一流らしい専門分野での論述には少々付いていけない表現は多くあった。新聞・政治学・経済・中国・科学とオールラウンドを読み切るのは厳しいモノがあった。中でも、モデレーター同士の「日本のこれからを考える」という主題による紙上対談録には釘付けになった単行本でもあった。

 往復90分間のミニミニミニ・トリップは、新緑で目と心を潤しながら心と脳には新鮮な刺激を受け止めることの出来た電車の旅であった。

 帰路の電車のテーブルには缶チューハイが1缶置いたままで、到着直前に慌てて飲み干した程の充実感が嬉しかった。

2013/04/21

業界を去って10年の老輩が、業界に入るための『必死な形相』と出会う

 

 こんな老輩にも、まだ「やるべき事」を与えて下さる奇特な業者がある。

 これは至福と言うべきだろうなぁ~!そんな思いをハンドルに託して、昨日は新年度の初仕事場に向かいました。当地に転居して3年目を10日間しか過ごしていないのに10分間で到着できる仕事場を提供して戴いたことは幸運そのものです。

 担当業務は、3年前に横浜市で始まっています。

 「これから教員になる」人たちへの指導業務なのです。毎日サンデーの退職者の能天気者は、「昔取った杵柄」とばかりに安易な気持ちで請け負ってしまいました。教員に採用されていく若者たちを見詰めながら多くのことを学ばされる立場に変わっていることに気付いたのです。

 教員の常識は社会の非常識。この言葉を初めて耳にしたのは茅ヶ崎市教委の勤務が始まった極く初期の頃だったと記憶しています。発信者は当時の教育長さんでした。「目から鱗が落ちる」とは、あの瞬間の事だったと今でも鮮明に記憶しています。生意気だった小生でも一発でダウンを喰らうアッパーパンチにも似て、その衝撃は退職するまで忘れることは出来ませんでした。

 そして、こうして民間業者に委託されて業務を請け負って携わってみると当時の教育長のお言葉が現実味として迫って来ます。意識はしていた筈の業界にいる時代でも全く見えなかった「社会・世相」まで解るようになってしまいました(笑)。来し方に思いを馳せる度に背筋が寒くなってしまいます。

 昨日も会場の講義室に集った「未来の教員」達を前にすると、怒涛のように「伝えておきたいこと」が襲ってくるのです。90分間の持ち時間に、「これでもか・これでもか」と多くを語りかけてしまいました。こんな講師は受講者にとっては目障りだろうと考えつつも留まるところを知らないのです。

 「なってからでは遅い」。ちっちゃな小生の人生哲学を伝えたいのです。「教員になってからでは遅いんだぞ」と心底から叫ぶ老輩に、「未来の教員」たちはウンザリしてしまったかも知れませんな!(苦笑)。たった一度の、一回きりの出会いの90分間が、講師と聴講生間のお互いの意志を交わすことなく一方的な講義では、軽い言葉として、冷たい北関東の風に吹かれて今頃はどっかへ飛んで行ってしまったでしょうね。

 それでも、育てて戴いた業界への恩返しの真似事にでもなれば・・・・・。

 そんな思いを奮い立たせて、今日は少々距離のある水戸市まで行きます。今日も「未来の教員」を目指す集団の待つ会場で性懲りもなく口角泡を飛ばして熱弁を振るう小生の愚行をご想像くださいませ!行ってまいります。

2013/04/20

新年度の『業務開始日』がやって来ました!


 寒さを感じる朝です。

 早朝歩禅(5:00~6:00 6500歩)を終えて帰宅しました。昨日は出発直前からの小雨に歩禅を断念しましたが、末孫の保育園への見送りを済ませてから雨上がりの街並みを歩きました(4000歩)。街中を歩く時は、ちょっとした買い物を兼ねたり郵便局での用務を済ませます。

 今朝は天気予報通りに「冷え込んだ朝」となりましたが、雨が降っていないので思い切っての出発となりました。ラジオを聴きながら出発準備をします。「明日へのことば」(4:00~)という番組です。

 今日の言葉には思わず耳を傾けてしまいました。

 「傾聴を考える」と言う内容だったのですからシャレになりましたね。『“聴く”という生き方』と題してのお話に聞き入ってしまい、歩禅の道中でも老妻との話題になりました。

「耳」+(プラス)目と心」との発語に、耳で聞くだけでなく、それに加えて目と心で聞くことによって相手の心も開きます、と学びました。

 『聴く』と言う言葉(漢字の成り立ち)を、今更ながら考えてしまいました。聴いてあげることの重要性は、承知はしているものの聞き流してしまう日常の態度を反省する事しきりの老夫婦の会話となりました。

 今日は太陽光もなく、終日寒そうです。

 市内の市民プラザ会議室での講義が「新年度の仕事始め」です。身の引き締まるような心境で一日が明けましたが、ラジオの講演で素晴らしいエールを戴き幸先良い嬉しさです。

 庭先の栗林に、雉がやって来ました。

小生のデジカメはアップが利かないので写真でのご紹介ができませ。鬼退治には出かけませんが「雉に後押しされて」の出陣になりそうです(笑)。

2013/04/19

『ピンピンコロリ』はいい死に方?と問われて考えています。

 


 意気込んで早朝歩禅の準備を済ませて玄関を開けてガックリ。雨が降っていました。そう言えば、窓の明かりが暗かったなぁ、と反省する始末です。こんな朝もあります。そして、こんな日は「朝の読書」の時間に早変わり(午前5時)します。60分間の散歩時間を読書に切り替えです。何気なく取り上げた月刊誌に釘付けになりました。

小生の死に方の『あこがれ』はピンピンコロリでした。

しかし、東北大学名誉教授(内科医)の吉永馨氏(84歳)の記事を読みながら、早朝の老脳に衝撃が走りました。その一部を紹介します。 

・・・・・・・・・(前略)・・・

死を学ぶと生き方が変わってくるということですか。

吉永 死を学んで初めて、生きていることがどんなに貴重でありがたいかがわかるのです。死の実態を学び、人間いつかは死ぬものだと自覚すれば怖くない。大事なこの生を、もっと大切に生きるようになります。自分の生が大切ならば、あなたの生も、あなたの隣の人の生も大切だと。だから命を尊重し合わなければならないというふうに、世の中全体が違って見えてきます。死を学ぶことは、死ぬための備えではなくて、よく生きるための学びなんですよ。 

★『ピンピンコロリ』はいい死に方?

『ピンピンコロリ』が理想の死に方」と言う人は多いですが、吉永さんのお考えは違うようですね。

吉永 『ピンピンコロリ』は、いちばん悪い死に方ではないですか。考えてもみてください。今この瞬間までピンピンしていた人が急に死ぬということは、心筋梗塞か脳卒中、あるいは交通事故などです。果たしてこれが、いい死に方だと言えますか?

「いやいや、何も心筋梗塞で死にたいと言っているのじゃない。百まで元気に生きて、ある日コロツと逝きたいのだ」と、皆さんおっしゃる。それならそうと初めから言ってくれないと、「この人は死にたいのだ」と神さまが勘違いして、心筋梗塞をプレゼントしてくださるかもしれないですよ(笑)。

 それは冗談ですけれども、急に死なれてしまうと家族も困るし、会社の人も困ります。本人だって、言い残しておきたかったことがあったでしょう。ですから私は、『ピンピンコロリ』はいちばん悪い死に方だと思います。

 きんさん、ぎんさんのように、百まで生きてコロリという例は、ないわけではありませんが、極めて少数です。日本には今、百歳を超える方が五万人以上いますが、多くの場合寝たきりで、『ピンピン』ではありません。

「百まで生きて『ピンピンコロリ』は、非常に珍しいことなんですよ。それを目標として健康維持に励むのはいいことですが、容易に叶わぬ夢であることを忘れてはなりません。

 それとは逆に、『ピンピンコロリ』と死ねないガンなどは、自分が死んだあとのことに備えておけますね。例えば、財産をどうするかきちんと言い残しておくとか、しかるべき人に仕事を引き継いでおくとか。何よりも、周りの皆さんに「お世話になったね」「さようなら」と告げる余裕があるわけです。
         ・・・(後略)・・・・月刊誌「ラジオ深夜便 5月号」・・

2013/04/18

記録は記憶を確かに蘇生させます!

 早朝歩禅(4:50~5:50 6600歩)を満喫しながら老妻と対話をします。丁度、今日の一日の始まりである日の出と遭遇しました。
 昨年の暮れから新ブログの制作(『寸心紀行』 http://sunshinki.exblog.jp/に挑んでいます。既に覗いていただいた諸兄があるかも知れません。制作する気持ちになった発端は、広島市の先生たちとの懇親会の折りに耳にした次の質問でした。

「実践の数々を、機会ある毎に先生からお聞きしながらも、1冊の本となって目の前に登場すると読む気にならないし、かと言って、講演のメモだけでは自分の力にならないので焦ってしまいますよ。どうしたら先生の教育実践が自分の力になるでしょうか?」

毎日、区切り良く少しずつ小出しにして「実践記録」を紐解く方法はないものか?と思案しました。10年も前に浜松市の鶴見先生に創って戴いた小生のホームページの中に、後半になって『ブログ』なるモノを取り込んでもらいました。その発想を活かしたいと考えました。沢山のブログサイトを覗きました。定着したら有料サイトに移行できる「無料サイト」でご要望にお応えしたいと挑むことを決心して挑んでみることにしました。そして3か月の悪戦苦闘を繰り返しました。

昨日までの数日間に、念願のホンの一部を果たすことが出来ました。

この新ブログ『寸心紀行』は教育関係者を読者として創るブログです。拙い教育実践の記録(=1つの事業実践)を細切れにして公開することに専念することで創作目的を果たしたいと考えています。一歩を踏み出したばかりのブログですので自己満足度は50%未満です。

まだまだ、制作スキルのレベルの低さが妨害しています。

しかしながら、物凄い勉強をしています。制作しながら、しみじみと「記憶の朧げ状態」に翻弄されることに気が付いたのです。記憶の蘇生には、手元に残る「資料や記録」が最大の力を発揮することがわかりました。

昨日まで制作した実践録も、「資料や記録」が不備なために不甲斐ない出来栄えになってしまっています。そこで、後進の諸兄に、また、偉そうな伝承が出来る事となってしまいました。以下を伝承文をお贈りします(笑)。

こまめな記録と添付資料のファイリングがあれば後年になって、その実践録が必要になった場合に大きな手助けになる。

2013/04/17

放りっぱなしの球根が芽を出しました。


 昨年は初めての植栽でした。

 県立フラワーセンターに足を運んだ折に大きな株(根)を2個買って来たのです。1個1000円の高価なモノでしたが、老妻の希望でしたので仕方なく(笑)買って帰りました。指導員からいただいた栞に従って「植え付けの時期」にも神経を払ったモノです(何せ、貧困な発想しか出来ない植栽への投資でしたので)。

 芽が出るまでの期間の長さに、途中で諦めの心境に至ったことを思い出します。芽が出てからは順調に成長してくれたカサブランカが大輪の花を沢山見せてくれました。驚きと感動で終末を迎えました。球根の片付け方や保存法など次期への準備を植栽に詳しい友人がメールで指示してくれました。連作はダメだよ!等々のアドバイスを貰いながら、(実は)渋々と球根を植え付けました。期待をしていない心情をそのままに放りっぱなしで今日まで来てしまいました。

 「わぁ~、芽が出て来ましたよ」の老妻の大声に、愛情の無い植え付け者の足取りは軽いものではありませんでした。覗いた植木鉢の中に確かに芽が数本もありました。チョッピリの嬉しさは照れくさくも感じつつ陳謝の思いも交錯しています。

 早速、アドバイザーの友人に撮った写真を送信しました。

 どんなアドバイスが届くかわかりませんが、自然界の偉大さを痛感しながら無愛想なわが身を恥じ入る午後です。無事に2年目も開花しましたら、当ブログで公開したいと(勝手なモンで)考えています。

2013/04/16

ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな


 老妻が興奮状態で画面を見入っていた。
 「また、始まったか」と呟きながらも、画面に映る山並みが妙に目に飛び込んでくる。主人公が視聴者から届いた手紙文を読み上げていた。「高田山(=こうだやま)」という行が耳に届いた時に、画面に映ったのが海抜500メートルばかりの丘が目に飛び込んできた。メジロを獲りに入り込んだ山腹の光景が50年以上も前のままで映し出されていて釘付けになってしまった。後に禁漁区となった思い出の山である。火野正平氏が読み上げる手紙文を聴きながら何故か目頭が熱くなってしまった。

 テレビは嫌いじゃなかったんですか、角田さん?

 小生を知る人ならこんな冷やかし文句が投げ掛けられそうだ。問答無用(笑)!僅か15分間の放映に、老妻の勧めも無く見入ってしまったのは、『生まれ故郷』への帰趨本能だったのかも知れない。視聴者の依頼に応えての「自転車の旅」だそうだ。上京のために飛び乗ったJR八代駅が画面に映り、そこから高田山への道のりを主人公の自転車が走って行くコースの軒先も道端の風景も(変わってはいても)、なぜか昔の儘に浮かんできた。

 小高い丘(視聴者は『山』と言う)から移された八代海と遥か彼方に聳える雲仙岳(今は普賢岳)が、これも思い出と共に昔の儘の「光る海」として放映された。なんで涙が止まらない??ちょっと恥ずかしい思いだったが、老妻も同郷である事は時として理解されている。

 故郷の山。故郷の海。
 上京して50年が過ぎた今、僅か18年間しか住んでいなかった「故郷」の重さを痛感してしまった。故郷から逃げ去るようにして汽車に飛び乗った18歳の男児は涙一つこぼさなかった。見送りに来てくれた友人に笑顔で「さようなら!」を言って、一刻も早く都会に出たかったからである。そんな男児が50年間で高齢者になった。息子を見詰め続け、上京に反対した母もこの世から消えてしまった。走馬灯には、亡母と同じように18年間見詰め続けてくれた「ふるさとの山」も、なぜか主人公になっている。有難いモノである。画面に映し出された山に向かいて、やっぱり、ふるさとは遠きにありて思うもの、か、と涙ぐんでしまった!!

2013/04/15

生活リズムの崩壊  ~その要因を探る~

 またしても今朝は寝坊して(5:15)しまいました。

 朝の散歩が快適な陽気になったので老妻は「早朝歩禅」をたのしみしているようです。遅くとも5時半には出発しないと本業に支障をきたすのです。本業は、言わずもがな、「孫を看る」ことなのです。

 視て、診て、看る。

 この3語は、我が祖父母力が評価されるための重要なキーワードなのです。つまり、孫の言動(様子)を良く視て、それがどんな条件や要因があるのかを診て、その後どのように看てあげれば良いのかを考えるのですから、小さな本業を蔑に出来ないのです。(言うほどの真剣さはございません!)

 7時15分ごろには近所の入学児童を連れて小学生二人が登校します。

 この行動を「視る」ためには6時半までには早朝歩禅(60分間)から帰着しなければなりません。今朝のように寝坊すると本業に影響します(笑)。誰にも頼まれない用務を態々創って務めるとは何と馬鹿げているのでしょうね。

 真面目とも不真面目とも取れる表現ですが、たかがこの位の要因が生活リズムの崩壊に繋がるようです。ホントの事を言及すれば、・・・・。就床時刻にズレがあるからなのです。つまり、1時間ほど遅い時間まで「起きていた」ことに起因しています。

 そうなると、朝の歩禅に変わります。

 下の孫(保育園児)が8時10分に母親の出勤と同時に登園します。その時刻が全ての解禁です(笑)。今日は8時半から9時15分まで、全く違ったコースを考えての老夫妻の散歩となりました。当市には、「日立」という大企業があります。周囲には関連企業や子会社が乱立しています。

 出勤時間帯にはとても優雅に散歩など出来ませんが、この時間帯であればOKです。そんな想定でコースを創案して歩いて来ました。いつものコースとは全く違いました。老妻も驚きながら歩いたようです。

 寝坊でのリズム崩壊もまた、良いモンです!!

2013/04/14

歩禅の記(21)=早朝の歩禅=6:00~7:00 6500歩

                 ~♪春は名のみの風の寒さや・・・・♪~

 口ずさめる気温ではありません(笑)。それもそうです。「名のみ」ではありません。もう直ぐ「初夏」という朝ですからね。

 1時間寝坊しました。フィギュアスケートの観戦で遅く寝た夜です。読者諸兄には午後10時であれば「まだ宵の口」の時間でしょうが、小生には、「もう深夜」です。どんなに遅くまで起きていたとしても体内時計は確立しているんですよ。小生の起床体内時計は3:40です。誤差は前後10分ですから、我ながら身体のメカニズムには神秘性を感じます。

 遅く寝た朝でも3時45分ごろには目を覚ますのです。しかし、通常と異なるのは一旦の目覚めで、次の眠りの波に飲み込まれるようです。ハッとして見た時計の針は5時前になっていました。現職時代の朝と違います。ゆとりのある朝は慌てること等ございません。先に起きている老妻に、時間遅れの出発を予告して通常通りの雑務を済ませて60分間の散歩に出向きました。

 休日であることは直ぐに分かります。

 いつもより散歩人が多いからです。1周3.1キロの小さな沼が散歩のコースです。周回して帰路の方向に向いた時点からが散歩人が増えるのです。挨拶を交わし合いながらの散歩は爽快です。

 老夫婦の歩禅対話の中心は、今朝も昨日の孫守りでの事故でした。孫とは言え我が子ではないと、「厳しさと優しさ」の質が異なります。ましてや就学前の同年代の子どもが庭で遊んでいると老妻の気遣いは大変なモノです。その愚痴を聞きながらの散歩もまた歩禅の目的の一つでもあり有益な時間なのです。

 今朝も老夫婦の「ぼやき対話」は大変有益な時間となりました(笑)。

2013/04/13

歩禅の記(20)  鯉のぼり

昨日は、筑波山に行って頂上まで登って来ました。
その記録は6枚の写真つきですので当ブログには登載できません。
右枠欄の中の「寸心紀行 sunshinki  」をクリックして覗いてみてください。

 
 
4月13日(9:00~10:00 6000歩)
~季節は「鯉のぼり」に代わっていました~
 
山登りはやっぱり疲れました(笑)。
軽い気持ちで妻を誘って登山に行きましたが、軽率であったと反省しています。
同時に「体力の降下現象」を実感してもいます。 
 爽やかな空と風が弱いのを確認して9時に家を出て歩いて来ました。
 のどかな春空に雲雀の囀る声に歓迎され、久しぶりの「田園地帯」を歩いていると農家の庭先に立派な鯉のぼりが泳いでいました。鯉のぼりには、今朝の風は弱すぎました。それでも、何時の間にが鯉のぼりが代替わりをする季節になったのだと会話をしながら帰って来ました。
 途中の栗林で働いている知人(当地に来て初めて親しくなった)に声を掛けると、「腐った栗の木を根っこから掘り起こしている」とのこと。妻と二人で林の中まで入りこんで現場を見て来ました。実のなる木の栽培の厳しさを聴きながら、感心して帰って来ました。

2013/04/12

伝言板 浜松『響の会』初夏セミナーの開催案内

 新学期のスタートは順調でしょうか?
 毎日サンデーの小生には、新年度の「解禁」が待ち遠しくなる時期です。当方の年度仕事始めは4月20日の地元での講座となりました。翌日は水戸市の会場での講義と連続の業務を請け負っています。本日、浜松『響の会』代表の鶴見敏明教諭より以下の内容でのセミナー案内(決定版)が送信されました。関係者のお手元に届く原版とはレイアウトが異なりますが内容には相違はございません。
 主催者からの意向に従って、講師としての心境を以下(=案内版)に述べさせていただきましたのでご一読ください。今回が浜松市でのセミナーが最終回となります。関係者およびご参加いただいた方々には心よりお礼申し上げます。
 主催者への感謝の意をそえて、最終回セミナーの案内版を当ブログで登載いたしました。
 


教育実践・浜松『響の会』

     第31回 浜松・初夏セミナーご案内

              ≪講演会≫

日時  平成218日(土) 100~16:30 (受付13:0)

会場  クリエイト浜松 21講座室 TEL 053-453-5311

         会場を確認してご来場ください。

会費  (当日の受付で徴収いたします) 

昨年度(第30回)のこの会で最終回にするつもりで参じました。
ところが、参加者の熱い視線に絆されて宣言できずに次回も約束してしまいました。自宅が当地よりかなり遠距離になったことが加齢の負担に拍車を掛けてしまいました。浜松『響の会』世話人の鶴見敏明氏および幸村志保子氏との連絡調整を計りながら当方から辞意を表明することにしました。今回を最終回とします
   親しくなった浜松市および近郊の先生方との思い出は一生忘れません。お付き合いを断つ訳ではありません。交信は十分に果たせる余力はありますのでご心配等のお心遣いは無用です。親しい御友人等をお誘いあわせで会場まで足をお運びいただければ再会を堪能できると思います。(講師 角田明)

  ≪演  題≫  

教師にとっての『学び』とは?

~教師の「生きる力」を支えるのは自らの「学ぶ」意識である~ 

講師 教育実践『響の会』会長 角田明先生
 

(1) 「学び」の始発点は「驚き」と「感動」である

(2) 「教師の学び」は、新たな発見を継続できることで保たれる

(3) 「学び」の障害は、薄っぺらい自己満足と愚かな優越感である

 

連絡先・申し込み先 

鶴見 敏明  

携帯電話 090-3932-3746 TEL&FAX  053-522-2864(自宅)

幸村 志保子

携帯電話 090-8181-3582 TEL&FAX  053-438-3297(自宅)

締め切りを5月11日(土)までします。

  

行き届いた「情報」提供

                                        ~「欠ける」ことの怖さ~

 「情報過多のひとつだろうなぁ~」、と祖父ちゃんは呟きました。

 事前情報として、事細かに学校から情報が届けられるのが学校文化の現状です。その一つに、月別の予定表(表題は学校独自)があります。長男嫁も、孫たちの学校の月間予定表を、母屋と離れを繋ぐ短い通路の壁に貼ってくれています。祖母ちゃんは毎日それを見ながらおやつの準備をしています。

 昨日も同じように準備して待っていました。予定表の終了時刻より逆算が出来るようになりました。同居して2年間の祖母ちゃんなりの学習成果でしょ(笑)。ところが帰宅時間が大幅に遅れていたようです。折しも大粒の雨が降って来ました。そこで、祖母ちゃんは祖父ちゃんに言いました。「直ぐに車で迎えに行って!」と。

 ちょっと遅すぎるので祖父ちゃんも、「何かあったのかな」ぐらいの思いはありましたが祖母ちゃんの声に押し出されて学校に車で向かいました。ところが、児童の影すら見えません。全学年単学級の統廃合の話題に上る小学校です。児童数が少ないとはいえ月間予定表の下校時刻はとっくに過ぎているのに児童の姿が見えなかったので流石の鈍な祖父ちゃんも路肩に車を止めて自宅に電話をしました。

 知らぬのは祖父母だけ。予定表の誤記は前夜の内に連絡網で知らされた母親は承知していて、出勤の時間に留守番の祖父ちゃん祖母ちゃんに伝言するを忘れたんだろう。祖父ちゃんの勝手な想定でした。

 爺ちゃんが帰宅して様子が分かったので、祖母ちゃんが嫁にメールを入れました。即刻の返信が無いので「知っているんだ」と思いながら待っていました。予定より1時間以上の遅れで孫たちが帰宅してきました。楽しそうに新学期の様子を話しながらおやつを頬張っていました。予定表のミスを「先生がゴメンなさい」と言ってから6時間目の授業を受けたんだよ、と説明をしてくれました。お母さんも知らないよ、と付け加えました。

 祖父ちゃん昔の経験値は活きませんでした(笑)。

 たった1行のミスプリントで、こんな状況下に陥るんだと少々衝撃を受けてしまいました。そして、至れり尽くせりの「情報提供」に馴らされた学校文化の進化に、大きな弱点を発見しました。

 現場の主役である子どもたちの能力育成を軽視して、「保護者あて」の情報提供を優先させていることです。親は、学校の事はわが子に問い質すべきです。子どもは親に説明できないようでは親が叱って当然です。国語や算数等の教科学習の結果だけに一喜一憂している学校教育では、ホンモノの人間性は育ちません。明日の事が不明だったら、当事者である子どもが友達に確認すれば済むことです。

 母親同士が連絡をし合って明日の学校の行事を確認しているのは「学校教育への背信行為」に似た「子ども主体」の教育が侵されていることの証しです。せめて、小学校3年生からは「子どもが伝書鳩」になれるような力量にすべきです。そのために学校と家庭が協力し合うことが必要です。

 小学3年生の孫の、1時間遅れの帰宅時間の「謎を解く」ほどの平穏な時間を過ごしている祖父ちゃんだと苦笑してしまいました。教育は学校の姿勢(体制)に懸かることを再確認している朝です。

2013/04/11

今日は『何の日』?

        ~転居後の「3年目」が始まりました~

 平成23年4月11日に当地に引っ越して来ました。2年前の出来事です。

 48年間住み慣れた神奈川県茅ヶ崎市を離れること自体には抵抗感はありませんでした。寧ろ、新天地での新生活(長男一家との同居)への期待感が勝っていたと表現した方が妥当になるでしょう。

丁度1か月前の『3月11日』は、東日本大震災が起きた日でした。

引っ越し当日(2年前の今日)も、震災1か月後最大の余震に見舞われました。途中の千葉県柏市は停電で真っ暗闇になっていました。常磐高速道が走行停止となり立ち往生となりました。携帯電話は通じました。走行中の次女の車には心配して待っている長男から何度となく連絡が入りました。 

予定していた到着時刻よりかなり遅れて午後9時を過ぎて到着しました。

3歳の末孫を除いて長男親子は起きて待っていました。到着の安心でその直後の子細な行動は記憶に残っていません。次女夫妻は、宿泊しないで横浜に向かってUターンして行きました。夜中になって無事に帰着したとの一報が入ってからは熟睡しました。数日後、仕事の合間を縫って次女夫婦が茅ヶ崎の自宅に置いて来た小生の軽自動車に乗って再びやって来てくれました。車が無いとどうにもならない都市であることを2~3日で実感していました。娘夫婦の援助に心から感謝しました。

この4月には、転居当時4年生になった長男孫が、6年生になりました。

昨日の朝。近隣に住む「ピカピカの1年生2人」が、親と一緒に庭先までやって来ました。入学時期の集団登校が始まったようです。最上級生の孫が責任者として命じられているようです。書斎から見える遠い道路を10人ばかりの子どもたちが並んで歩いて行く姿が見えました。庭先にはお母さんたちが見えなくなるまで見送っている姿がありました。時は春 日は朝 ・・・・ そんな詩を思い出しました。

読者の皆さんにとっても、「今日はどんな日?」と問われて思い出が浮かんでくる日が多くあることでしょう。

2013/04/10

嬉しい『誤算』

             ~こんなに「早い」情報~
 ブログ愛読の諸兄には馴染の話題で恐縮ですが、お許し願いたい。

 「教え子」という表現を好まない小生ですが、何となく使用してみたくなる業界にいる「教え子」がいます。『プロ野球選手』という世界で活躍する教え子をお持ちの関係者は多くおられるでしょうが、小生のような素人教員が「育てた」と言われること自体が「夢の世界」にもなってしまいます。

 47歳7か月の現役プロ野球選手=山本昌広・中日ドラゴンズ投手。

 小生が36歳で教員として勤務した中学校の野球部員の一人です。この選手の周りに大勢の素晴らしい仲間が育っていました。その仲間への感謝を忘れないで、さらに大飛躍をして欲しいと願うのも「教師バカ」なんでしょうね。

 以下のネット記事を読みながら教師冥利に尽きる至福の朝を過ごしています。 

どえりゃ-、ベテランだぎゃ!!マウンドに立つだけでもセ・リーグ先発最年長記録更新、さらに勝っちゃうのだから気分爽快だ。47歳7カ月の山本昌が、今季初登板。6回1安打無失点の満点ピッチで、自身の持つプロ野球最年長先発勝利記録を更新した。
 「試合にしてくれりゃいいと思ったけど、あそこまで投げるとは思っていなかった」と高木監督も苦笑いだ。指揮官の予想をはるかに上回る投球をみせた左腕の次回登板は、17日のヤクルト戦(神宮)が濃厚だ。
 「休むと体が動かなくなるんでね」と言うように、若手も舌を巻く練習の虫だ。3月にはインフルエンザに感染し、開幕ローテを外れた。安静を言い渡されていたが、3日目に“内緒”で始動。自宅近くの公園でカベに向かっての投球とランニングをしていた。そこで少年野球の子供に見つかり、囲まれると「近寄るとうつるぞ!!」と脅して、練習に専念したという。

2013/04/09

『理想』・・・仏花の自給自足

                                  ~程遠い現状です・・・『現実』~

 庭先に咲いた水仙とチューリップの花を仏壇に飾ることができたことを、先日の当ブログで触れました。「夏菊」「百日草」なら今から間に合いますよ、とのアドバイスが届きました。何も知らない我々夫婦は早速反応しました(笑)。ホームセンターに直行して、色とりどりの苗や種を見ながら「迷いつつ」夏菊の苗と百日草の種を購入して週末の嵐を考えて金曜日に作業を終えました。

 ふと、昨年立派に咲いてくれて感動を超えて驚いてしまったカサブランカの球根を植え替えていたことを思い出しました。大きな瓶の鉢を覗いてみました。恐る恐る覗きこんだ老妻が、「芽が出ていますよ!」と大声を出しました。直ぐに瓶を覗きこんでみると、何と立派な芽が出ているではありませんか!放置したままだったことを反省してはみたものの「自然界の威力」の凄さを感じるだけでした。

 当地では、まだ降霜の注意報が頻繁に発令されています。霜害の怖さも何も知らない人間に栽培される草花たちも可哀そうですよね。

 それでも、仏壇に供える花ぐらいは自家栽培したいモノです。夏菊が確かに根付いたようで「咲かせるための」作業があるようです。お盆の仏壇には夏菊が供えられるように頑張ってみまぁ~す。咲きましたら、また当ブログでご紹介しますが、期待は不要です(笑)。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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