2010/11/30

もう、師走のモード?

 ~喉元過ぎれば熱さを忘れる~
 今朝は宅配便の事務所経由でJR茅ヶ崎駅まで行ってきました。
 発送する荷物があるので「歩く」ことは無理です。自転車にしました。風の冷たさを全身に受けながらペダルを踏むのも結構厳しいモノを感じる年齢になってしまったようです。しかし、用務は果たせました。早い時間に宅配便の事務所に着くと通常の窓口と風景が異なります。「当日便」という便利な取り扱いがあり、首都圏への早便で今日の夜までには届くという信じられないようなシステムを活用される方々の姿が多くなるからです。息子も娘達も首都圏に住んでいるので、時としては我が家もその恩恵を十分に享受させて貰っています。これから年の瀬を迎えると大混雑することも想像できます。
 JRの「みどりの窓口」でも異様な光景。
 整理券を持った人たちの列。今日は12月30日乗車のチケット販売日だそうです。喉元過ぎれば熱さを忘れる、という古諺を思い出しました。大昔(笑)、それはまだ結婚して数年が経った頃。赤ん坊を九州の親に見せるために帰省列車に乗るのです。所謂、帰省ラッシュに飲み込まれるわけです。子ども連れには「往くも帰るも」地獄の沙汰でした。突如として泣き出すわが子を睨みつけたい衝動を抑えるだけでも至難の業。整理券の番号順でチケットを購入される方々の様子を見ながらふと、「もう、師走のモード」と自分に言い聞かせながら帰ってきました。
 小生の目的は、2日からの広島への出講旅行のチケットの購入。通常は券売機で購入するのですが、今回は往復に複雑な動きが生じているので券売機が対応してくれません。そこで、師走モードの中での窓口対応を選ぶしかなかったのです。
 帰宅して、妻にその話題をすると全く同様の感傷に浸っていました。
 苦労して帰省したわが子達もすっかりご成長なされ(笑)、帰省という言葉も忘却していることでしょう。首都圏で産まれ、育って、首都圏に居住していると「故郷・田舎」という言葉も死語になってしまいます。親の代で「九州のふるさと」は消滅してしまうのでしょうか。ちと、寂しい気分にもなってしまいました。
 

2010/11/29

「紅葉の見頃」っていつまで?

 ~明日で11月も終わるよ!・・~
 今日は床屋さんに行って来ました。
 明日から「仕事の再開」だからです。今週は土曜日までに「5回」の講義・講演がぎっしりとスケジューリングされています。頭髪も地肌が丸見え(笑)状態まで出世してはいますが、一見すると無精ものの頭髪になってしまいます。妻は「いっそのこと丸刈りにしたら?」と面倒くさがり屋の夫の配慮して言ってくれます。髪の毛に特段の未練があるわけではないのですが、やっぱり「スポーツ刈りをお願いします」と言って床屋の椅子に座ってしまいました(笑)。
 床屋通いという本日の日課を済ませて帰宅してから歩禅に出向きました。
 今日も穏やかな小春日和です。1時間も歩けば帰宅したら下着を替えるほどに汗ばんでしまいます。この時期は汗をかいたら体温を下げないうちに着替えが必要なのだそうです。医者通いから縁を切っている老夫婦にとっては、健康面での自己管理には全神経を遣います。手洗いとうがいの励行は当然のことながら、日課の一つである「入浴の時間」管理も十分に気をつけることにしています。全身を温める役目の一つとして神経を遣います。
 今朝のラジオで「細菌とウイルスの違い」を医学博士から聞きました。ミリ単位の千分の一等々の言葉を聞き取りながら、風邪の予防には日常的な「ケア」が重要であることを再確認しました。
 ところで、皆さんのお住まいの近くでも、まだ「紅葉の見頃」でしょうか?
 明後日から12月です。北海道では雪が舞っていると朝の情報で知りました。写真は、自宅から5分と掛からない所にある銀杏の紅葉です。道祖神を祀ってある場所の銀杏の樹です。先般登載した神社の境内にある銀杏とは違う樹で、ここにはギンナンはありませんが、今年も鮮やかな黄色の絨毯が出来るほどの落ち葉にもなります。
 桜の花は「咲いた春」だけではないようですね。この桜の紅葉はもう最盛期を過ぎて明日には落ち葉になるのでしょうが、銀杏の黄色と桜の赤は、並んで紅葉したらキレイですよね。
 12月は14日までが講演スケジュールです。16日からは「忘年会」とやらで締めくくり(?)の宴会が続きます。小生にとりまして、2010年も充実した年でした。その年も後1ヶ月となりました。
 どちらさまもお風邪など召さないで最後のお仕事に精を出してくださいませ。

2010/11/28

あなたの「思い出の花」って?

 ~タイトルが凄すぎますね(笑)~                     

 
 小生はこんなにロマンチストだったのでしょうか?
いいえ、違います(笑)。未だに花の名前すら覚えようとしないほどのノン・ロマンチストで・・すみません。
 早速、ブログの問いかけにお答えをいただきました。
 皆さん、凄いですね。外来種の「皇帝ダリア」というそうです。教えていただいた方々に御礼を申し上げます。名前を聞いて、その格調の高さにびっくりしました。それでも何日間記憶に留め、誰かに聞かれた時に咄嗟に応えられるかは全く自信がございません(笑)。
 小生の思い出の花? (苦笑しないで読んで下さいませ・・)
 文字表現の「思い出」とは少々ニュアンスが異なるでしょうが、思い出の花がこの3つです。記憶を遡らせること、55年前の小学校の教室の授業風景。担任の先生は図工の時間になると「季節の花」というテーマで静物画を課せられました。当然、果物や置物(「小便小僧」像など)もその対象になっていましたが、特に苦手だったのがこの「花のスケッチ」でした。幸代さんというクラスメートがいました。実物にそっくりな作品を仕上げる天才的(劣等生は常にこんな評価をする)な豆画家でした。中でもアマリリスの花の出来栄えは今でも鮮明に覚えているほどです。現在はその才能を活かしているのかも情報は得ておりません。「どうしたら、そんなに上手に描けるの?」と聞いてしまって後悔しました。「見た通りに描けば良いの」とサラリと答えてくれました。つまり、小生にコンプレックスを十分に与えていただいた「思い出の花」なのです。
 カンナの花。
 我が家に唯一咲いていた花らしき花でした。図工の時間に持参しました。級友から「こんな汚い花は描けない」と一蹴されました。先生は黙って、他の友達が持ってきた花(名前も覚えていません)を題材にされました。花の生活とは無縁な百姓の倅としては唯一、学校に持って行った花でした。無惨な敗北感をいただいた「思い出の花」となってしまいました。
 図工の時間に描いた「季節の花」で、たった一枚だけ教室に貼られたのが「ダリア」でした。それ以来、小生の心に「好きな花は?」と問われれば躊躇うことなくダリアと応える習慣がついてしまいました(笑)。「きれいな花」とは無縁な人生を送る宿命を小学生時代から育んでいることが証明されていますね。でもね、他の領域で「花・華」のある瞬間や日々を戴いていますので帳消しですね(苦笑)
 花と人生。そのねじれ現象(照れ性)なのか、未だに「花束贈呈」という儀式が苦手です。
 素敵な女性から花束など戴いたこともないモテない人生を過ごしてきたことも要因になる?それは無関係ですよ!!講演を終えて壇上で花束を頂戴することも多いのですが、60歳過ぎた今でも照れ臭くて、受け取った後の所作に悩んでしまうと言う情けない人生を「花と一緒に」歩み続けています。
 ところで、皆さんの「思い出の花」って何ですか?
 メールで「そ~っと教えて下さい」。個人情報として十分に保護いたします(笑)。




















2010/11/27

この花の名前は?

 ~背丈の高い花ですね~
 団地の中を散策しながら、ふと「見上げる」ような高い位置にこんなきれいな花を見つけた。
 写真の花の後の窓は団地の2階にある窓です。カメラアングルの関係もあるでしょうが、背丈の高い花であることはお分かりになりますよね。「芙蓉の花の一種かね?」と、隣を歩く妻に問いかけるがハッキリした返答は戻ってこなかったが、「外来種かしら?」との反応に夫の頭の中で思考回路が違う領域への誘いに揺れた。
 スーパーの野菜売り場。
 見たこともないような新種の野菜に出会すことがある。こんな表現をすると食品の買い出しで頻繁にスーパーを訪れているように聞こえるかも知れないが、そうではない。妻の買い物に付き合わされる(?)だけの回数である。驚いたキッカケはピーマンのカラーバージョン(笑)。パプリカとか言うらしい。黄色や赤の色鮮やかな「ピーマンのお化け」の陳列には度肝を抜かれた。外来種だそうだ。
 ペッとして飼っている外来魚(亀なども)が、飼い主に捨てられて沼で繁殖した結果、在来種が絶滅の危機に瀕しているニュースなどもテレビや新聞で知っている。これは外来魚?
 ホームセンターの園芸売り場。
 現職時代には殆ど興味もなかったスポット。最近は時々、意図的に訪問する(笑)。そこにも珍種が所狭しと並んでいる。ポインセチアもシクラメンも「戴いた鉢植え」の状態では見事な姿であるが、その最盛期を過ごして楽しませてくれた容姿も、事後処理の術を知らない小生にかかっては「枯れる」しかない植物の生命となってしまう。忍びない!心苦しいがどうにもならない。
 最近、歩禅の途中で立ち止まることが多くなった。
 それは、旧来の日本の「花」の姿の復活に気付くからである。ダリヤの花。小学校の図工の時間でモデルになった花である。懐かしさに郷愁をそそられてしまう。幼い頃の思い出は日本の原風景が背景に浮かんでくる。外来種の存在を拒むわけではない。しかし、本来、日本の原野に咲いていた草花や野菜の魅力も決して忘れてはいけないのでは?とつらつら思う爺の独り言であります。

2010/11/26

落ち葉の「効用」

 ~この袋の中身は?~
 どなたかが熊手で集めてこのビニール袋に入れて置かれているのでしょうね。
 確かに中身は「落ち葉」でした。持ち主(?)さんとは出会わなかったのですが、後で車ででも収集に来られるのかと思うほど、あちこちにこの風景がありました。
 都会の舗道を北風に吹かれて宛てもない方向へ飛んで行く落ち葉を見かけると寂しい心になるのは小生だけでしょうか。まして、乾燥した枯れ葉と舗道との摩擦音には乾燥しきったカサカサの感じがして居たたまれなくなってしまうのは加齢症候群の為せる業なのでしょうか。そんな季節になりました。そんな折りに歩禅の視覚にこんな光景が飛び込んできました。思わずデジカメを出してしまいました。
 自然に還る!
 樹木となって葉を茂らせながら木陰を作り人々を憩わせてくれる。そして紅葉して落葉となる。落ちた葉は自然に戻って行く。これって自然の摂理?アスファルトで敷き詰められた道路では「還る場所」にはなれそうにありません。水溜まりの出来るでこぼこ道なら、落ち葉を受け入れる容量もあるのでしょうが・・・。
 そんな落ち葉をこうして集めておられる人には何か使途があるようです。
 植物栽培の肥料にでもなさるのでしょうか。良いことですよね。まさしく自然の恵みに感謝して、そしてその力を利して更に有効活用することは素晴らしいことだと思います。落ち葉も還る先が見つかって、先ずは目出度し・目出度し。安堵する爺の日記で御座いました。

2010/11/25

新・歩禅記(41)

 ~近所の団地内で紅葉を愛でながら~
 今日のコースは妻が大型ドラッグスーパーへの買い物があるというので決定。
 そこまでは、近所の大型団地を抜けて行くのが最短距離である。歩くのが目的が歩禅であるので少々遠回りを意図的に考える時もあるが、今日は最短距離を選択した。写真は、通り抜ける団地内の紅葉である。
 歩きながら考えた。
 日本列島に「団地」なる集合住宅がお目見えしたのはいつ頃?正確には把握していない。東京オリンピック前後ではないだろうか。概算でも、もう50年ぐらいの「住居歴史」を歩んでいることになるかも知れない。ご多分に漏れず、この団地内の居住者にも高齢の波が押し寄せているのだろう。見上げると殆どが5階建ての高層建築物である。エレベーターの無い時代の建造物であれば、高齢の方々が5階まで上り下りするのは至難の業であろう。階段を考えるだけでも玄関のドアは重く感じるだろう。
 そんな余計な思案を夫婦で語りながら団地内のキレイな紅葉スポットを歩いてきた。
 50年もの年月は嘘をつかない。大空に伸びた欅の大木は見事なモノ。その落ち葉も大量である。コンクリート道路ではない場所には落ち葉の絨毯が出来ていた。幼児が転がりながら遊んでいる光景はやっぱりホッとする。叙情詩が書けそうだ。
 妻の購入した「安売り」(笑)の品物を両手に提げて帰ってきた。樹木が醸し出す自然の香りは疲れた神経もいやしてくれる。それを体感しながらホッとした気分になった。夕方になった。冷え込んできそうだ。どちら様もお風邪など引かれませんようにお気をつけください。



2010/11/24

新・歩禅記(40)

~小春日和の下を歩いて~
 早い昼食にして12時半頃に自宅を出発した。
 宅急便の事務所に立ち寄って容器の品定めをして購入。背負っているリュックに詰め込んでJR茅ヶ崎駅方面に向かう。国道1号線・十間坂の交差点を渡って懐かしい旧・茅ヶ崎駅前銀座通り(お恥ずかし乍ら、現代名称は関知無し)を通過してみた。街並みの変貌ぶりに流石に妻も驚いた様子だったが、小生の方がもっと驚いた。昔の繁華街の面影が消えかけている「全国の駅前商店街」とは色合いこそ違うのだろうが、傾向としては大同小異に思えたからである。
 茅ヶ崎駅ビルで購入希望の本を買って、中央公園経由で帰って来た。
 中央公園を覗いた(写真下2枚)。キャンバスに向かう人もあれば、縄跳びに興じる集団もあり、お孫さんらしい幼児と一緒の老女もあり、小春日和の穏やかな公園には「平和な日本の風景」が満ち溢れていた。突如として砲弾が空から降って来て恐怖のどん底に落ち込むような国ではない、こんな幸福を、今だからこそ真剣に考えねばなるまい。
 そんな、ちょっと硬い話題をしながら老夫婦の歩禅は終わりに近づいた。
 写真上段は、自宅に近い神社の境内に聳える銀杏の木。選挙の投票所にもなるほどに近い場所にあり、夏祭りも我が幼子を連れて夜店を楽しんだ境内がある。ギンナンの実を拾える時期はまた違った光景も見ることが出来る神社である。
 一気(休憩無し)に1時間少々の歩禅は、やっぱり厳しい。と、最近、感じるようになっている。買い物があると時間だけが確かにオーバーするので単に「歩く」だけとは少々疲労感も違うようだ。
 


2010/11/23

今日は「何の日」?

 ~「秋の便り」が届きました~
 紅葉狩りの絶好の季節到来ですね。今年の紅葉は例年に比べると少し遅いのでしょうか?こんな写真が届き始めました。携帯電話のカメラ機能での撮影のようですが、凄い能力を登載しているんですね。初めて携帯電話を所有した日のことを思い出しました。娘から「これで写真が撮れるからね」と言われた瞬間の記憶です。我が耳を疑いつつ、講演の旅先で沢山の写真を撮ったモノです。しかし、こんなにキレイには撮れていなかったような気もします。
 携帯電話は、まさに文明の利器として今後の世代には「三種の神器」になるのでしょうね。新幹線や飛行機のチケットを携帯電話で購入しているという時代ですから、今後の使用可能範囲の拡充が恐ろしい展開になるような気がして心落ち着かない気分になってしまいます。やっぱり爺さんですかね(笑)。読者の皆さんにとっては「超・ご期待」の境地なのでしょうか。
 ところで、今日は何の日?
 勤労感謝の日、という祭日は「第◇・月曜日」という措置にはならなかったのですね。どうして?連休法案に組み込んで、国民全体で「ゆっくり休養して日頃の勤労に感謝する」意識を鼓舞しても良いんじゃないのかな?日本独自の伝統的な文化の匂いのする祝・祭日が連休化されてしまったのは少々寂しい気分がするのですが、皆さんはどう考えます?
 敢えて「今日は何の日」と自問しても見たくなるのが、老人性拘り症候群の兆候でしょうか?毎日が日曜日(=『毎日サンデー』と命名)の爺には、毎日が勤労感謝の日でございます!!
追伸:
何通もの「お見舞い」のメールやお手紙を頂戴しました。少々、反省しております。軽率なペンタッチの所為でご心配をお掛けしてしまいました。もう、すっかり完治です。皆さんの温かいお気持ちに触れることが出来ましたことに感激しております。風邪の季節になりました。どうぞ、皆さんもお気をつけてお過ごし下さい。有難うございました。








2010/11/22

すっかり元気になってしまいました(笑)

 ~元気に孫守りも終えました~
 先だってのブログに痰に血が混じっていて・・・なんて気軽に書きましたことお許し願います。
 中には緊急に人間ドックをお勧めいただくメールまで届いて、書いた張本人が焦ってしまいました。職業病との闘い(声帯トラブル)から暫く遠ざかっていたので油断してしまったようです。すっかり元気になってしまいました(笑)ので他事ながらご安心願います。
 写真の上2枚。
 長男宅の東側一帯が「栗林」です。朝陽が昇ってくる瞬間が「お気に入りスポット」ですので今回も掲載してしました。11月も下旬になると気温も下がってくるのでしょうか。朝霧がかかっていてこれも幻想的で好きな光景です。ご覧下さい。写真を撮りながら何回かクシャミをしてしまいました(笑)。
 下段は「やすらぎ観音」(住職に名前も確認していませんが・・・)像です。
 建立したばかりの観音様のようです。ここの墓地に義父母が眠っています。ご住職は長男嫁のお父様です。義母の遺骨を墓が出来るまでの間、本堂にお預かりいただきました。その折りに、沢山の骨壺がありましたのでお尋ねしましたら、引き取りに来てくれない「お骨」をお寺で御護りしているとのご説明を受けたことを思い出しました。無縁仏にするのが心痛です。ご住職のこの言葉を反芻した時点で、この墓地に納骨堂として「やすらぎ観音」を建立されたのではないかと想像することも容易でした。まだ、お線香の火も点いていませんでした。見詰めているだけで心の底から温かくなりました。ご住職の温かみが分かっているからです。
 妻と一緒に両親にも届くように「良い場所に眠って居るんだよ」と話しかけて帰って来ました。
 孫守りも上手になりました。どんどん成長していく孫達の行動範囲に、若い両親(息子夫婦)も多忙極まりない様子です。親なら誰でもが通る道。そんな厳しい視線も浴びせつつ、孫守りを要請してくれた優しい嫁に感謝した3日間でした。
 2週続いた孫軍団と爺婆との奮闘も一段落。
 来週辺りから、広島や鳥取へと出講が再開です。体調も万全に復旧(笑)しましたので、元気な声でまた、頑張ることに致しましょう。


2010/11/19

新・歩禅記(39)

 ~いつの間にこんなに雪が~
 今日は午後から長男宅(茨城県)に行くことになっているので、早朝歩禅には妻は参加しません。
 独り歩禅は久し振りでしたが、澄んだ空気に富士の霊峰がくっきりと見える好天の中での歩禅は身も心も洗われるようでした。この写真撮影場所は茅ヶ崎市ではありません。正確には高座郡寒川町の田園地帯です。とは言え、ここまでの所要時間が自宅から10分と掛からない距離です。以前にもこの歩禅記で触れているので長い愛読者の皆さんには町名もお馴染みかも知れません。大学生時代から14年間も住んでいた大好きな町です。わが子を連れて良く散歩した思い出も歩いていると自然に蘇ってくる場所です。
 先週は講演も兼ねての長女宅訪問でした。
 先週末の体調絶不調も1週間でほぼ完治の域に達したような自覚症状です。この間も、一粒の薬も服用していません。声帯の異常を処方するのは「首を温めること」だと鍼診療師のアドバイスです。今回は咳も出て血の混じった痰も確認しましたが、生姜をじっくり漬け込んだ黒酢。これが小生の「喉の特効薬」として今回も大活躍(笑)でした。もう、殆ど喉の痛みもなく鼻歌も飛び出すほどの快復です。もう一つ気をつけたのは、夜の入浴と朝の『腰湯』の時間を意図的に長めにして体温の上がりを促しただけです。爽やかな喉から鼻歌も飛び出し、独り歩禅の単独歩調で快適な朝の時間が過ごせました。
 そろそろ準備をしながら、午後からの北関東行きに備えることにしましょう。
※「この写真は何でしょう」の問いかけに数通の反応がありましたが、「わかりません」が全てでした。あれは、「ぼっち」と地元では呼ばれているそうです。中身は落花生です。長女夫婦が落花生の商売を始めましたので、生産地を通過する途中で紹介され撮影したものです。あの行程で美味しい落花生になるのだそうです。

2010/11/18

もう、こんな時期?

 ~喪中の葉書が数通届いて~
 確かに新しい年賀状は、注文していたので発売日には郵便局から配達していただいている。
 ここ数日間、毎日1~2通の「喪中の葉書」が届き始めている。差出人を確認して、裏面を読んでハッとする内容もあり、「知らなかった!」と、今年も例年通りに不義理を感じる時期になったようだ。「もう、そんな時期になっているのか」と届いた葉書を見詰めてしまう能天気な爺は、今日はストーブを友としている時間が多かった。
 午後のメールチェックで注目した内容があった。メールの一部分を紹介しよう。
 ・・・(略)ところで、機会があれば、また先生のお話しを伺いたいと考えています。それは、「日本を再生するための人づくり」、つまり「保護者の自覚について」なのです。日本はこのままでは決して再生しないと思っている市民が増えているように思えるからです。今こそ、21世紀後半から22世紀にかけての日本再生に向けて「米百俵」の精神を復元するべき時を迎えたような感じがしてなりません。・・・(略)
 この送信者は、教育産業界で活躍している方で、先だって長時間の取材を受けた人物である。その取材が冊子にまとまったのでお送りしたというメールが主文であった。その後段のメッセージがこれであった。教員とは名ばかりの老輩で、「米百俵」に纏わる歴史的事実も上辺しか知らない小生にとっては「教育100年」という壮大な理念には「ものを言う」資格など無い。
 しかし、このメッセージにはわが国の教育界の現状を追究する迫力を感じてしまった。受けて「対話をしたい」と言う野次馬根性が頭を持ち上げている。読者には滑稽に見えるだろうなぁ~。送信者が編集した冊子の中の小生に関する掲載ページは、この冊子が発行された後に、このブログでも詳細に触れてみようと考えている。少々お時間をいただきたい。
 夕食前。ストーブの前に座って国会中継を見た。こんな光景を国民が見て良いのかい?と思わず自問してしまった。空席の多い大相撲中継の方がまだ心にゆとりを感じてしまったのは何故だろうか。「天下国家論」を交わすべき国会(国内最高の議場)が焦点の噛み合わない論議に終始しているのを見届けると、議論の結末を観る気分にならずにスイッチ・オフであった。哀しすぎると思いませんか?
 日本の行く末はどうなるのかい?孫達の時代は大丈夫かい?小市民的ではあるが身近な問題を考えるだけでも心細くなってしまう。届いたメールの送信者とお会いしたくもなるモノだ。

2010/11/17

やっぱり「気負う」凡人!

 ~「徒歩10分」の会場~
 退職する前からのことですから、どれほどの「講演」をお請けしてきたのでしょうか?回数は正確には記憶していないほどです。行き先を問われれば答えに窮するどころか、溢れるほどの地名も出てくるほどに全国の各地を訪問させていただいてきました。
 従って、宿泊ホテルでの送迎にも慣れています。新幹線の改札口でお迎えいただいた関係者の車で移動したり、到着駅で指定されたタクシーに乗って講演会場まで行ったことは山ほどあります。「緊張を知らない」と評されたほどに講演することを苦にしないで、昨日まで生きてきました(笑)。
 昨日は、そんな気遣いや気忙しい「送迎」も無く、自宅から徒歩10分で到着できる講演会場でした。  今までの「講演人生」の中で最短距離にある会場ですからベストな講演が出来て当然?ところが、玄関先を出て数歩しか無いお家からの「聴講者」が会場にいることを見届けてしまったら、いかなる老脳でも刺激が大きすぎると思いませんか。この地に住んで30年以上が過ぎています。その間は、正真正銘の「子育て」期間でした。そんな未熟な親業を熟知している方の姿が講演会場で目に入れば動顛するでしょう?冷静に子育て論を発することは尋常の沙汰では無い状態でした。
 そんな動揺も、運良く(笑)、声帯異常で声が上手く出なかったことがカムフラージュになってくれました。そんな不幸も幸運にしてしまう天性は今日も生きていました。
 ともあれ、そんな立地条件に恵まれている講演会場と、同時に「わが子3人」が学んだ小学校であることを併せて考えると、精神的条件は決してベストではなかったと言っても過言ではありませんでした。昨日のブログでは「講師の語り」の部分まで内部告発するような気分で自信満々に思える表現でしたが、現実的には重圧に潰されたことで「楽しいご報告」など御座いません。ゴメンなさい。
 会場から沢山の感想を頂戴しました。
 受け止めていただいた聴講者に感謝です。次回の講演に活かしたいを心している24時間後の夕べです。
 

2010/11/16

『心ぽかぽか』ニュース(10)

 ~同一新聞に同一記事が~
 こんなことってあるんだ!新聞を読みながら不思議に思えた。
 主人公は同一の犬。書いた記者が違うと視点がこんなにズレて書けるのか。観点も大きく違うのは主観がそこにはあるからだろうか。主観はどこから生まれてくるのだろうか。起因には職業観も否めないが、その人の「生き方」に付随するモノではないか、とこの2つの記事を読みながら考えた。
 暗い事件や事故の話題ばかりを目が追ってしまう。
 そして、いつの間にか事件に対しての是非善悪の程度判断が麻痺しているような生活に気付く。同じような事件に思えるモノでも根底には全く異質の条件が流れているのだろうが、「また?」と片付けてしまう日常生活が恐ろしくもなる。
 そんな折り、11月12日の朝刊紙のページは全く別の紙面ではあるが、こんな『心ぽかぽか』するニュース記事に触れて、イヤな事件も暫し吹っ飛んだ。経験値の異なる記者の目が、それぞれの視点と観点から動物を語りながら、わが人生の「今」にふれているようでホッとする。主人公の犬への感動より、小生は記者たちの「心の温もり感」に安堵している。やっぱり、我が輩は変わりモン爺様かな(笑)。
 今日は、我が3人の子供達が卒業した小学校での講演である。
 その冒頭の「講師の語り」でこの新聞記事を使う予定である。先週末の講演は、義理の息子(長女・婿)の出身小学校での講演だった。何となく子育て時代の「足下を見透かされる」思いも無い訳でも無い。しかし、お請けしたからには主催者の本意に添えるよう今日も頑張ってまいります。自宅から徒歩で「出勤」です。今日の仕事日記(=失敗談)は後日のお楽しみに!

2010/11/15

この写真は何だと思いますか?

 ~会場に向かう途中~
 10年ばかり前のことを思い出しました。
 それはこの光景(写真・上)です。道路から見渡す限りにこの農作業の処理風景が目に留まりました。運転していた娘婿に訊いて、その答えに驚きました。それは全く想像が付かなかったからです。百姓の倅だった小生には「脱穀が済んだ稲の束」を積み重ねている光景にしか見えなかったのですが、この処理方法の目的を知ってから考えると更に土ツボにはまってしまいました。農作業の行程を説明してもらって、半信半疑ながら頷いた日を思い出したのです。この光景はこの季節のホンの一時だと言うことです。
 全国の読者の皆さんには、この写真が何の光景であるかわかりますか?
 さて、こんな光景を腹一杯(笑)見詰めながら、講演会場である小学校に向かいました。今回は第2回目のフォーラムです。初回に引き続いての出講ですので会場の雰囲気もある程度の理解は出来ていました。
 しかし、講演というのは常に聴講者が変動します。
 昨年から連続して聴講している方もあれば、今回が初めてだという方も大勢いらっしゃいます。無駄な重複があると連続聴講者にとっては「時間の無駄」さえ感じてしまわれるようです。さりとて、話題が貧乏な講師にとっては「目玉トピックス」がそう簡単に出せる能力もありません。そんな憂鬱な気分で壇上に上がれば聴講者には直ぐに伝わるモノらしいですね。
 皮肉にもご自慢の声(笑)に変調が起きていました。
 起床後の掠れた声に落胆したのは当の本人でした。拙い!!と思ったときはもう後の祭り。そんな状況下での講演は最低そのものだったと自己評価をせざるを得ません。聴講者の皆さんに申し訳ない気持ちで会場を後にしました。昼食の会場でも悪声での対応に主催者の皆さんにも多大なご心配を掛けてしまいました。
 長女が嫁いでいる町。娘婿の出身小学校がフォーラムの会場です。義理の父親としては文字通りに「大役」でした。そして、そこで「家庭教育を話題にする」というプレッシャー。更に、声が出ないというこんなハプニングまで緊張感を後押ししてくれました。小生自身そのものは、そんなに神経の細い人生を歩いてきた記憶は無いのですが現状にはどうにもなりませんでした。
 育てたようにしか育っていない長女が嫁いでいる地。この「現実」を加味して、お得意の開き直り精神でぶつかったのですが、その割にはだらしない『結果』になってしまったとしか言い様がないのです。
 しかし、孫達は大喜び。
 講演の翌日まで泊まって、たっぷり戯れに興じて帰ってきました。声のでない祖父ちゃん等全く無縁なまでのはしゃぎぶりには、前日の体たらくすらすっかり忘れる程の楽しい時間にさせてくれました。
 講演とその設置条件。
 初対面の方々を相手にした方が楽かな?なんて、相変わらずの無責任極まりない思考が飛び出すほどに今朝は快復に向かっているようです(笑)。体調管理の重要さを、今更ながら感じた今回の講演の旅でした。レジュメを参考に小さく掲載しておきました。

2010/11/14

ただ今、帰宅。

 ~講演する場所が違えば・・・~
 全国の各地を巡業(笑)している流しの「講師」として、何が最も気になるかと言えば聴講される方々との関係である。今回は千葉県八街市。長女が嫁いで10年以上。その実家のご両親に勿体ないほど大事にされている。その地域で開催されるの福祉フォーラムへの出講であった。温かい人間関係を育んでいただいている土地柄である。講師と聴講者との直接の接点は無いとは言え、講師の素性はどこからでも判明することは容易いことでは無いだろうか。気にならない、と言ったら嘘になる!
 余計なことを言ったり、格好良いことを述べたりすれば「嫁を見れば・・・」との反応に屈しなければならない。これは「火を見るよりも明らか」である。従って余計な緊張もする。ご理解いただきたい。
 そんな大役(笑)を果たして(?)帰宅した。
 どっと疲れを感じている、そんな時間帯である。旅日記は後日にして、取り敢えず「空白のブログ」の穴埋めのためにパソコンに向かったところである。
 

2010/11/11

新・歩禅記(38)

 ~午後3時頃からの散歩~
 木曜日は定例の鍼診療日。
 7時半に車で出発して、帰宅するのが午後1時半頃。頭から爪先までの全身に何十本の鍼が射されるのだろうか。数えたことは無いが相当数に上るだろう。受診した午後は帰宅直後にだるさを感じることが多く、2時間ばかりは休養するのが定番リズムである。
 3時半頃から歩禅に出発。
 この時間を選ぶのは、小学校の子供達が下校する時間であるからだ。歩禅区域には幾つもの小学校がある。今日は東側を選んだので「3つの小学校区」を歩くことになった。直ぐに目に付くのは、学校指定(?)のジャンパーのような上着を羽織ったお祖父ちゃんらしい人物である。JR相模線の踏切の向こうから下校してくる数名の児童に向かって、踏切の手前に立っていらっしゃる人物から「お帰り!」と声が掛かった。全員が「ただ今」と言葉を返しながら小走りで自宅の方に向かっている姿は何とも言えない。「平穏な」空気が感じられて嬉しくもなる。「ご苦労様です」と声を掛けると、驚いたような表情ながら笑顔で「ありがとうございます」と言葉が戻ってきた。
 生活共同体の「関わり方が薄らいでいる」という現状を熟知している住民としては、このような光景と出会うに付け安堵するのは我々夫婦ばかりではあるまい。願わくば、自宅の玄関先ででも「お帰りなさい」と言ってあげられる人間関係を創出したいモノである。
 千葉と茨城に住んでいる我が孫達も、このような「共同体」のお力を戴いて成長させていただいているのだろう。何の役にも立たない爺婆としては少々気が引けながら2校目、3校目と学区を巡視(笑)して帰ってきた。こんな散歩もお勧めである。

2010/11/10

TV番組 : 先生たちへ 繰り返されるいじめにどんな対策を?


~たかがTV番組
  されど・・・・~
 昨日の夕刊記事(左)がとても気になっていたところに、タイトルに示した番組が放映されることが合致した。小生は殆ど昼間のテレビ視聴は無い生活者である。だから、午後の言動に妻が驚きながら付き合って画面を見てくれた。
 番組構成とかコメンテーター(?)の顔ぶれ等は番組選択基準には無い。タイトルが「先生たちへ」との呼びかけ表現と、「繰り返されるいじめ」というフレーズに「覗いてみよう」という心境になった。
 やはり、所詮は「元・先生」である。
 担任教員時代のあの頃も「いじめ」は存在していた。いじめという表現も「理解の歴史」は長い。小生が小学生時代にもいじめは存在していた。拙著にも自身の苦しかったいじめられた体験談を記述した。あの頃は「いじめられる側」に全ての非難が集中していた。「いじめられたらいじめ返せ」、と家人は大声を上げて叱咤激励したモノだった。弱虫というレッテルを貼られた哀しい時代であった。「男らしい」という伝家の宝刀は、時としてそれらしい振る舞いが出来ない「男の子」にとっては人生の落人であったような思いであったが、今は、違うぞ。それは、育んでいただいた「先生たち」や立派な大人の皆さんのお陰なのである。
 時代はあれから50年(半世紀)以上も経っている。
 それでも「繰り返される」いじめが顕在しているようだ。現実問題として、小学校6年生の女児が一つの命を自らが絶ってしまったではないか。要因を「いじめではない」との方向性を出す・出さない、と言うことが問題ではない。一つの命が何らかの状況下でこの世から消えてしまったことを、他人事にして欲しくないのである。それが世論の中心になるべきだ。
 そんな思いで見ていた画面に「尖閣諸島のビデオ流出事件の該当人物が・・・」とテロップで流れた。大人社会の違った側面をまた見せつけられる。切ない瞬間でもある。
 いじめであろうが、このような「あってはならない事件」であろうが、「何でもあり」の社会事象が多すぎる。「社会生活での是非善悪の判断力」を麻痺させてしまいそうな世相が怖くなってしまう。
 長閑な爺と婆二人だけの昼下がり。
 午前中の強い風もいつしか止んで、窓から差し込む西からの陽ざしに熱いと感じるほどの時間。しかし、心の中を吹き抜ける「多すぎるほど」の事件や事故に心が底から冷え込んでしまう思いになった。同時に、「孫世代」が生きるこれからのわが国に不安を感じてしまい暗い気持ちになってしまった。
 「学校の先生たちへ・・・」 
 先輩として、心からお願いしたい。弱いからこそ「先生たち」の助けを求めている子ども達がいることを決して軽視しないで欲しい。先生も辛いことだろう。しかし、「せんせい」と呼ばれる職業の意識を、改めて自己認識に置き換えて欲しいのである。大人に期待している子供達に、安心と安全を確保してあげて下さい。お願いします。
 教育者のみならず、この世代を生きる「全ての大人」が真剣に考えないととんでも無い時代を残してしまうことになるのではないか。「大人の責任」を考えてしまった午後である。
 

2010/11/09

意識改革は「自意識の感度」次第

 ~そうだったのか!?~
 教え子の話題(プロ野球)に固執する爺さんで申し訳ない。
 現職時代は、溢れるほどの「ナマの話題」が多かったので「悩むことに事欠かない」状況であったが、本職から遠ざかると「僅かな情報」を生き甲斐としてしまう傾向になってしまうようだ。これが加齢症候群の特徴の一つかも知れない(笑)。許されたし!
 読者の皆さんにはご迷惑だろうなぁ~、と反省はしている。そこはご理解願いたい。
 そこで、昨日の新聞記事に注目してみた。大活躍した選手が、ややもすると次年度には、期待を大きく裏切ることが多い。この記事の主人公も例外ではなかったようだ。先輩諸兄の厳しい指摘やアドバイスを「頂戴した」経緯が思い出として記されている。持つべきは素晴らしい上司と厳しい同僚・仲間(先輩も含めて)であることをこの記事からもはっきり伺える。
 しかし、爺は想う。
 どんなに素晴らしい上司と遭遇しても、厳しい助言をしてくれる同僚や仲間に巡り会えてもこの主人公のように誰でもが成長できるという保障はない、と言うこと。つまり、自意識という「心臓部」への、自らの危機感を伝える能力が潜在していなければならないと思うからである。一流の一流たる所以は、「自らを良く知り」「自らに厳しい」言動が出来る人材でなくてはならないのかも知れない。
 二~三流人生を送って来たこの爺には、無縁の話のように「遠い花火」にしか見えない。
 昨日の電子ニュースで45歳のプロ野球選手である教え子が、「来季も現役続行の決断を下した」との情報を受け取った瞬間、一流の更に上級の一流を目指す自意識の高さに大いなる刺激を受けることになった。自らの意識が確立してこその一流人だと仮定すれば、この記事の主人公の来季は更なる大きな飛躍が期待できること請け合いである。教え子同様に大いに期待したいモノである。
 今日は爺の「妙なぼやき」で失礼仕り候!
  

2010/11/08

新・歩禅記(37)



 
~鳩たちも「秋」を満喫?~
 田んぼの中に数え切れない程の鳩の群れ。刈り取って、干されていた稲の束が脱穀されたのだろうか。その後には栄養源が沢山落ちていたのだろう。直ぐ側でカメラを向けても一羽たりとも飛び立たない。秋の収穫の「おこぼれ」に食らいついている光景を見ながら田園風景を満喫(隣町:寒川町)。
 茅ヶ崎中央公園(上段)の木々の紅葉も今が一番の見頃かな。
 これは数日前、出講の際、JR茅ヶ崎駅まで歩いて行った折、足を止めて撮影したもの。反対側の市民文化会館の木々も色合いが「秋の深まり」をそそる頃になっていた(写真掲載なし)。
 ところで、恥ずかしいお話しであるが、「ざる菊」(写真:下段)という花の名前は初めて知った。小出川沿いに植えられているのは地域住民の方々の郷土愛の表現と受け止めている。春は、この脇に地域の愛好家が長年掛けて植え続けておられる河津桜が立派に生育して素晴らしい「並木」になって、散歩人の目と心を癒してくれる。
 数日間の連続した仕事から解放され、初冬の温かい陽ざしを浴びながら午後の散歩は格別。
 「ちょっと遅いわよね」と、秋の訪れが例年より少々遅れているのでは、との思いを妻が発した。先般頂いた大好物の次郎柿も、生産者のお声では「いつもより熟するのが遅い」とのことだった。季節全体が、今夏の酷暑が示すとおりに変動が起きているようだ。そんな他愛のない対話をしながら小出川土手を歩いた。
 1時間半の穏やかな太陽光の中での「歩き」は、心身共に爽やかにしてくれる。ちょっと遅い「秋」を見届けながら、同時に「冬近し」を心に語りかけつつ帰宅した。9000歩





2010/11/07

日帰りは、やっぱり厳しい!

 ~疲労感を支える充足感~
 半年ぶりの浜松の空気。
 浜松市の先生達と出会ったのは2001年の1月であるからもう9年間通い詰めていることになる。写真は、恒例の懇親会場のエントランス。「昨年もそうだった」と会員の先生方が口々に発していたので老脳にも微かな記憶が蘇った。クリスマスシーズン到来の「点灯式」の当日の夕刻であった。1時間半ばかりの懇親会は毎度の事ながら楽しい一時でもある。
 午前10時に開講したのは日本公文教育研究会の蜆塚教室での第5回目の講座ある。
 事務局主管の講座には全国の会場に出向するが、単独の教室での講座はそんなに多くはない。しかし、この教室の指導者は、公立学校の先生達が勉強する浜松『響の会』の出席者としても常連であり、事務局も支援するのでお声が掛かればお断りすることもなく出向しているので5回目となったのである。今回も、真剣に聴講していただいた教室の保護者の皆さんの表情はいつもと変わらず、ついつい(笑)年甲斐もなく力んでしまっている自分に気付いたが、もう、後の祭り?
 昼食を挟んで、午後は第27回の浜松『響の会』秋季セミナー。
 2年間の共通テーマである「小学校英語教育」に関しての最終回の講義となった。そこで、小学校の先生達の明日の指導に直結するべく「音読の方法」をワークショップとして時間を共有した。いよいよ、全国の小学校の5~6年生が「英語を学ぶ」時間が来年からスタートである。危惧するほどの課題も山積している。「小学校の・・」ではなく、受け入れ側の「中学校英語教育」に携わる英語科教員の意識改革に焦点を当てたいのが本音の課題である。そんな思いを載せて、この時間も少々オーバーするほどヒートアップしてしまった(本日二度目の反省!)。
 ビア-レストランは恒例の懇親会場(写真)。疲れた喉を通りすぎるビールの味を満喫し、話しに花が咲くとあっと言う間の時間。爺の我が儘にお付き合いいただいた会員はさぞかしお疲れであっただろう。駅ビルで「ちょっとだけ、あったかい焼酎を呑んで・・」の我が儘が通ってしまうから申し訳ない。
 帰路の新幹線は横浜まで移動する公文の社員さんと快適な旅情を満喫。帰宅は10時過ぎていただろうか。迎えに出た玄関先での妻の「ナゴヤドームは延長戦ですよ」の一声に「我に返って」(笑)しまった。その後はテレビ画面に目が釘付けになってしまった。就床時間が深夜になってしまったのも仕方ないこと(本日三回目の反省)。
 しかし、やっぱり日帰りはきつい!
 そんな疲労感を噛み締めている朝であるが、充足感は血流に乗って心地よく全身を駆け巡っているようだ。関係各位に心から感謝している。有難うございました。

2010/11/06

日帰りの「浜松・出講」

 ~新幹線という飛び道具~
 2001年から通い始めた浜松市。
 現職時代からであるから、もう9年間も「年に数回」の訪問を続けていることになるのか。当時は、「遠い」場所に思えて、前日から泊まりがけの仰々しい「旅モード」であったと述懐している。その後、広島市や鳥取市、それに高知市と「更に遠い」場所への出講が増えてくると、旅モードの感覚まで麻痺して来たのだろうか。遠いと感じていた浜松市が俄然、隣接感で捉えるようになっている。今日は、これから、茅ヶ崎駅まで自転車で行って、東海道線で小田原駅まで。そこで「飛び道具」紛いの東海道新幹線「こだま号(7:32)」に乗ると、目的地の浜松駅着が8:52である。10時に開講する講座には十分間に合うことになる。
 感覚麻痺。その源は「比較」だろうか。
 浜松より「ちょっとだけ遠い」名古屋に向かうことも多くなった。小田原駅に停車する「ひかり号」に乗車すると名古屋までの所要時間が、浜松駅到着より10分間も速い。今日の講演先は浜松。浜松より10分間短縮される飛び道具を使用すれば、名古屋へも「日帰り出講」となってしまうことになる。
 便利な時代になったことは喜ばしいが、「旅感覚」が麻痺してしまいそうで寂しい気もする。ともあれ、半年ぶりの浜松には10年来の親しい大勢の仲間が待っていてくれる。彼らと楽しく夕食を一緒に済ませても今日中には帰って来ることが可能である。日帰り出講と、旧交を温める再会が出来ることを楽しんでまいりましょう。行ってまいります!!

2010/11/05

これから始まる「小学校英語」教育

~「テスト」は単なる指標~
 他人の加齢状況は直ぐわかる?
 今よりずっと若かった時代の講師を良く知っている。セミナーのご案内を受けて興味関心は講演者の「その後」にあった。若かりし頃の弁舌爽やかさに、研究者の風格が漂う大きな成長を目の当たりに確認できた喜びは言葉では表現できない。当代を代表する英語教育学者氏に向かって、老輩がもの申すことは不謹慎であろうが、敢えて「成長する学者」の片鱗を見た歓喜の余りの表現であることをご容赦願いたい。同時に、初々しさと熱気が失せていない語気に大きな元気も戴けた二重の喜びであることも添えておきたい。願わくば、後輩の英語科教員にじっくり聴いて貰いたかったことも重ねて触れておく。
 海外留学に必要とされる語学に関する試験(英検も含めて) が幾つかある。海外留学志望者にとっては高得点への挑戦は今でも続いていることは確かである。氏の言葉の中に「テストは単なる指標」ではあって、点数で個人の「生きた実力」は計りきれない、と言う表現があった。研究者の人間味を感じながら聴き入った。「されど、テストである」と言う研究者の追究も伝わってきた。各種のテストでの国別平均点を画面で見詰めながら日本の現状を改めて認識も出来た。問題点は何だろう?と。
 質疑応答の時間になって訊きたいことがあったので質問をした。
 質問の主旨は「小学校英語教育と小中学校の連携」である。氏も、講演の冒頭で明言した内容であったので、具体的な先進例や現状を紹介して貰いたかったからである。氏ほどの実践研究者でも先進地域や先進的研究を進めている小中学校の実名は得ることはできなかった。それほど、この問題は難題であることが証明されたような気がする。
 来年度から、小学校で「英語を学ぶ」という歴史が日本の学校教育制度で始まる。
 氏のデータでは4分の3の子供達が「小学校の英語は楽しい」と応えていると言う。中学校1年生の後半には「英語は嫌い」の生徒が、また4分の3は現存するとなると手をこまねいている場合ではあるまい。中学校英語教員は「他人事ではない」意識が無ければなるまい。「小学校で余計な事をしてきて・・」等と嘯いているようでは、生徒達に申し訳が立つまい。
 20数年前の「中学校英語教員」としては、その現状と未来を考えれば考えるほど「小中学校の教育連携」の重要性を痛感するばかりである。
 研修レポートの筈が、老輩の愚痴になってしまったかな(笑)?
 しかし、久し振りに「専門教科領域」に関する研究者の、切れ味鮮やかな「言語」を聴くことが出来たことは至福の時間であった。これも本音。ご招待いただいた関係各位に心から感謝申し上げたい。
 小生は、この講義の内容と同調できる講師の考え方を出来るだけ多くの後輩英語教員に伝えることが主催者と講師への恩返しと考えている。今日も明日も、そんな土俵が作られている。情報提供できる環境での「役目を果たすこと」を約束しておこう。

2010/11/04

寒さと感激で震えました。



 ~「ありがとう」と言いましょう~
 昨夜は千葉マリンスタジアムまで行ってまいりました。
 東京湾から吹き付ける風がとても冷たく、周囲の観客も完璧なまでの「防寒」スタイルでした。こちらも大きめのリュックに防寒用の衣類を詰めて行きましたので完全防備でした。それでも震えました。
 震えは決して寒さだけの所為ではありませんでした。45歳になる教え子の「最後の晴れ舞台」であるとの意識が強かったからだと思います。これまでには随分多くのゲームに招待してもらいました。オールスターゲームでオリックス在籍時のイチロー選手と対決した感動のシーンや、200勝達成ゲームのナゴヤドームでの感動の場面を思い出すだけでも胸が熱くなります。こんな凡庸な教員の足下から「こんな立派な選手が巣立ったのか」と、考えるだけでも感慨無量となります。
 ロッテファンには恐縮ですが、何とか「名古屋に戻れる目処」を付けられる投球をしてくれることだけを念じつつ、全身を奮わせながら応援してまいりました。帰る電車の関係から勝利の瞬間は見届けることは出来なかったのですが、「ご苦労様。良かったね、名古屋でゲームが出来るようになって・・・」と夫婦で心の中で「お祝い」を言いながら帰宅しました。帰路の車中では両耳に聞こえる「携帯ラジオの情報」が頼りだったのですから滑稽な光景だったでしょうね(笑)。
 翌朝の今の時点でも、起床時刻が未だ後だと思われるので本人とは連絡を取っていません。長い選手生活の活躍で、「先生を喜ばせてくれてありがとう」と、後ほど伝えたいと考えています。未だシーズンも終わっていませんし、来シーズンへの本人の意向も不明ですが、「お疲れ様でした」と言ってあげたい心境の朝です。
写真は上段から「試合開始前の外野でのキャッチボール」、中段は「試合開始第1球目の投球」、下段は「当日のチケット」です。

2010/11/03

「雪だるま」式に・・・・

 ~規制して、また規制して・・・~
 昨日のこと。
 交差点で信号待ちをしていたら、「ごめん、そこは止めて・・」と大きな女性の声。年齢的には明らかに40歳は越えていただろう。ビックリして振り向いた妻が、「私じゃないのね」と呟いた。その直後、妻が「注意なんかしちゃ駄目よ」と夫に向かって語気が強かった。もし、指摘して注意するものなら「あんたに迷惑かけてないでしょ」と形相を変えて食ってかかる勢いになったのだろうか。夫の日常行動を熟知している妻の愛情あるアドバイスであった(笑)。
 電車内のアナウンスも「周囲のご迷惑になりますので通話はご遠慮下さい」である。
 迷惑にならない、より「迷惑を掛けない」倫理観を優先させなくてはならないのでは?いつもイライラしてしまうのは小生だけだろうか。数年前までは車内でも幾度となく注意(指摘)をしたモノだった。新聞等で「注意したためのトラブル」が原因で殺傷事件にまで発展したと報じられれば家人も心配するのは当然となってしまうようだ。
 「規制をする」ことには異存はない。
 しかし、規制が効かないレベルと認識されれば、さらにレベルアップの規制が生まれる。アップしてもアップしても規制が効かないとなる頃には人間生活も動物並みの体たらくになるのだろうか。賢いペット諸君に軽蔑されてしまうのかい?しかし、相変わらず拙宅の玄関先にも犬の糞尿の後が絶たない。どんな規制を必要とするのか。規制が無ければ生活が出来なくなると思うと哀しくなってしまう。
 自転車事故の多さは凄まじいようだ。自転車を愛用する爺としては恐ろしくなる。全国より遅いらしい神奈川県でも自転車への様々な規制が誕生するらしい。へそ曲がりの爺にとっては、「そんなことで」危険から護られるのか信じられないのである。どうしてこんな社会になってしまったのか、と嘆くばかりである。
 秋晴れの爽やかな茅ヶ崎の空。こんな朝に「つまらん」話題で失礼いたしました。

2010/11/01

今年も「あと、2ヶ月」ですよ!

~ブログのタイトルに苦笑~
 毎度の事ながら、ブログのタイトルを書いた瞬間の苦笑は否めない。
 加齢症候群(小生の勝手なネーミング)の為せる業なんだろうな。今年が後2ヶ月?それがどうしたの?何かが待っているのかい?と畳み込まれそうな問いを妄想するからである。数年前から書き続けている「日記」の名称を「老脳鍛錬・昨日の記録」として、「昨日の記録」を翌日の起床後一番に記録している。昨日の事じゃないか!と後輩諸兄は失笑されるかも知れないが、実は、「たかが昨日の事」なのに、中々鮮明な記憶が蘇らない朝があるのだから哀しくなる。
 確かな「加齢のエスカレーター」は順調に進んでいる(笑)。
 話題に出したい人物の氏名がすっきり出て来ない。しかし、その辛さにも随分慣れてきて落ち込まないほどに成長(?)している。だれだってそうなんだ!との能天気な老脳が後ろ押ししてくれているからであろう。
 今日から11月。
 このように表現することで意識が、どこかの時点の「11月」に辿り着く。そして、記憶を明らかにする糸口が見つかるのである。老化は閑かに全身に入り込んでいるのでストップは出来ない。少なくとも、その速度が緩やかになるような意識で務めることは重要なのだと気づき始めた。それが「歩禅」である。「歩くこと」への強い意識は未だに衰えていないのは嬉しい限りである。ズボンに足を通したらベルトに「歩数計」を着装することを忘れないことにしている。忘れたら?笑って誤魔化す!!(笑)
 新聞記事が、「最後は人間性に救われた」と記述している。
 乙武氏の教員経験からの謹言ではあるが、教育界だけではないと考えても十分ではないか。最後は人間性の問題になると確信することは同感である。その人間性は、どうにもならない先祖からのDNAが邪魔したり、援護したりするものなのかも知れない。今年の4月に、「未だ見ぬ父」が戦死したという小さな沖縄の島を訪れた。死に場所はわからないので、慰霊塔に額づいて冥福を祈りながらそう思った。命の繋がりを認めざるを得ないのは、「死んだ親父さんに笑顔がそっくりになって来たな~」「おふくろさんは世話好きで姐御肌で・・・」と言う親戚や生家の周囲に済む長老の証言的発言があったからである。
 親父の人間性?おふくろの人間性?努力することの尊さ以前に人間性も遺伝しているのかも知れない。乙武氏がご両親から繋いで貰っている人間性が、「人間性に救われた」という結論に達したのかも知れませんね。
 皆さんは、ご自分の人間性をどのように分析していますか?
 さぁ、あと2ヶ月で2011年がやって来るぞ。先祖から頂戴したこの「人間性」を益々若返らせて頑張らなくっちゃ!!(苦笑)

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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