2013/09/30

「家族サービス」とは? いやぁ~「疲れるモノ」ですねぇ~!!


 『子育て論』を、偉そうにぶっている張本人が本音をばら撒きましょうか!?

 下の二人の孫たちを連れて、上野動物園に向かいました。6歳の孫の「憧れ」は二階建ての電車に乗ることだとは知っていました。各駅停車の電車のグリーン車の事と理解していたので今朝は東京に向かう電車に各駅停車を選んで乗せました。「いつもの電車と違う!」と興奮気味の言動に祖父ちゃんは「してやったり」とほくそ笑みながら上野駅まで到着です。憧れのグリーン車でも所要時間は短縮できないので疲れたような様子で上野動物園に入園しました。

 祖父と父親の違いを、入園と同時に発見しました。

 寝ていて動かないパンダを見ながら歩を進める6歳児が言いました。「つまんねぇ~!」と。その理由を祖母が訊きます。「パンダが見てもらっていることが分かってない!」との応えを耳にしながら、「動物園に連れて来た」ことを反省しました。来年は小学校に入学する年齢では、「動物園は不適格!」と考えてしまったのです。 それでも広い園内の随所で視る動物・爬虫類等々には歓声も絶叫にも似た声も聞こえたので、「満足はしていたんだろうなぁ」、と感じつつの道中でした。昼食は祖母ちゃんが選んでいた所に行くことになりました。

 知る人ぞ知る「方向音痴」の祖父ちゃんが船頭さんです。

 結局、目的地に届けずに歩き続ける内に「疲れた!」「お腹が空いた!」と連呼する孫たちの声が悲鳴が船頭さんの耳に届きました(笑)。孫たちと妻に詫びながら視野に入ったレストランに案内することしか能がありませんでした。

可愛い孫たちは注文した食事を美味しそうに頬張りながら、「東京のレストランは美味しいね」と舌鼓を打ってくれました。納得いかないのは妻です。内心を理解できるがゆえに「船頭さん」としての毎度ながらの無能にを感じてしまいました(泣)。

 帰路は約束通りの「特急電車」に乗り込んで、二人の孫はご機嫌です。

 時間の関係で飛び乗り状態ではありましたが、未だ乗客が少なかった時間帯なので無賃乗車の末孫(6歳)の席も確保できてボックスシートは「疲れを知らない」幼少年のエネルギーを満載したままに帰宅できました。

帰宅して大好きな大相撲のTV観戦のままに転寝をしてしまいました。







 

2013/09/29

いや~、まいった!!と言うより焦るばかりの午後でした。

 

 再来週に訪問する高知への空路のチケットをネット(個人のページ)で確認する。

 ネットで購入したので、フライト時刻を再確認して接続する在来線の乗車時刻をチェックするための作業だった。パソコンを開けてビックリ!~キャンセル確認のメール~という文字面を何気なく読みながら通過してドキッとして画面をバックさせる。今度は愕然としてしまった。予約番号はその時点で確認していた。確認番号が知らされる日付にそれをチェックすべきことを承知はしていた。しかし、「予約済み」となりカードで購入手続きを済ませて『領収書』も印刷したので心のどっかで安心してしまったのである。ネット購入不慣れの高齢者の不手際であると気付いた時点で「お先真っ暗」の状態に陥ってしまった。

 愕然としているばかりでは先へは進まない。

 気を取り直して再度の新規予約のためのパソコン操作に挑んだ。運よく空席が幾つかあることが判明した瞬間から気分に落ち着きが戻った。チケットは自動的にキャンセルされた訳だし、カード決済であるので既に払い戻しも完了しているとのメッセージも発見した。座席予約にも進むことが出来て無事に「タッチ&ゴー」の手続きまで完了してホッとした。これで要請業務に応じられる!!と。

しかし、「まいりました!!」の一言で纏められる午後となった。高齢者にとっては「熟れないパソコン操作」には振り回されるばかりである。

 自宅で、パソコンと手持ちのカードで「居ながらにして購入できる」という利便性に着いていくのには神経の消耗なしでは果たせない。「カードで買い物」文化に馴染めない高齢者にとって、長生きするためにはこのカード決済の生活文化に慣れ親しむ必要性を痛感した午後でもあった。

 旅行業者に依頼してチケットを購入していた時代とは全く勝手が違う。しかし、今回のように切羽詰まった日程でのハプニングなどは無かった。時間がゆっくり流れていたからであろうか。パソコン1つの操作で数分間で落着することの便利さも、流石に、年金生活者には異文化と映ったことも否定できない。

新幹線のチケットもネット購入してみようか、と考え始めた時期のハプニングであったので二の足を踏みそうな心情に苦笑である。
 
 
※お約束していました、「実践記録」の公開がほぼ原稿が出来上がりましたので新ブログ【寸心紀行】(右枠欄内をクリックしてください)にアップできました。ご協力いただいた広島市内の4つの小学校の校長先生方には感謝しています。有難うございました。読み返してみればブログ登載のスキルが未熟な点だけが浮き彫りです。何せ、全て自分勝手な手探り作業ですので技術の向上も見通しがありません(笑)。
臨場感を後輩教員に伝えたい一心だけで取り組んでいることを温かくご理解いただいてお読みください。スキル上達の術を伝授いただけると有難いですが・・・・・。
 








2013/09/28

世代交代は「世の常」、を強く実感する日々を生きている



 生まれ育った環境は老いても顕在しているようだ。

 読者諸兄なら当方が「大相撲ファン」であることはご存知であろう。また、一方では教員時代に業務上(?)の関わりで未だにつき合いが続くプロ野球選手がいるので「プロ野球・通」であると誤解しておられる諸兄もあるようだ。

 年間6場所(=1つの場所は15日間の開業)もあるので集客も大変だろう。故郷の九州での本場所が終わると年の瀬になることは生活文化の一つになっていた。巡業にやって来るお相撲さん達を見るために「先生の引率」で出かけたこともあった。今でも記憶しているのだから「育ち」は怖いのである。テレビ放送が始まってからは長生き人生の「伴」として観戦しているおじいちゃん達の生活も定番だった。栃錦と若乃花という両横綱の顔を名前は決して忘れることはない。観戦が終わると晩酌に移る光景は生活様式として定着していた。

 あれから60年近く年が流れた。日本大相撲協会には大小の問題が山積したらしくマスコミも食い物にした歴史的な騒動もあった。その都度落胆するファンが「相撲離れ」の症状を呈して、『満員御礼』という言葉離れも定着して常識となった。国技スポーツ論争も廃れる程に「外国籍」の力士が増加したのも歴史上の事実である。

 今場所は大きな異変が起きている。入門(=相撲取りになって)ホンの数場所ではちょんまげも結えない力士(=四股名・遠藤)が、外国人力士を圧倒する強さの快進撃である。大相撲は日曜日に始まって日曜日に終わる15日制であるのは集客のための戦略なのだろうが、主役が不在では集客などあり得ない。平日に『満員御礼』などの垂れ幕が館内に下がることなど稀有である。しかし、たった一人の若いざんばら髪の力士が国技館を満員にしていると言っても過言では無いかも知れない。この現象は『若貴時代』(=若乃花・貴乃花=兄弟関取)以来だそうだ。明らかな世代交代である。

 一昨日の夜は、どうしても気になるプロ野球の試合があって妻と一緒に10時過ぎまで起きてTV観戦をしてしまった。東北楽天イーグルスのリーグ制覇を見届けるため??だった。贔屓のチームでもない。熱狂的なファンでもない。最後の試合(=リーグ優勝決定には田中投手が登板するという情報)をNHKBS放送で中継しているのでスイッチを入れたのが運の付き!

 9時には就寝する生活者が瞼を閉じる兆候もなく最後まで見たくなる。

 最後の二人の打者には150キロ以上のスピードで直球勝負をする投手を見届けた。外連味の無い投球姿勢には脱帽である。技術も無ければ年間22連勝(無敗)など出来る投手にはなれない。前年度からの連勝も続ける投手をリリーフ投手として登板させて異常な緊張感で負けてしまったら、監督への非難も浴びるだろう。しかし星野監督は宣告したのである。これぞプロ魂である。集客力がここにも存在している。翌日の朝刊で田中投手の手記を読んで涙した。日本プロ野球界でも王・長嶋時代の繁盛期から何年経っているのだろうか。プロ野球界も明らかな世代交代の時期を迎えているようだ。

 こんな思考が浮かんでくるのも、わが身に世代交代を意識させる手立ての一つなのかも知れない。足元も、いつしか「冷え」を感じるような朝である。







2013/09/27

『故郷の駅』の変容ぶりに・・時代の流れを感じつつ



終着駅直前に車内放送が聞き取れました!

 運転再開のお知らせでした。丁度午前8時でした。終点の上野駅で乗り換えるのが山手線です。運転が再開されたと言うのでホッとして1つ手前の駅(=日暮里駅)構内の滞っている人の波を目の当たりして心臓が早や鳴りし始めました。日暮里駅の常磐線ホームは確かに狭いのは事実ですが、降車した乗客の足の踏み場が無いと言うのは大変危険な状態でした。徐行しながら上野駅まで到着したのですが、山手線と京浜東北線のホームには入場制限の状態になっていて思わず困惑のスタートとなりました。

 運転手を請けていただいた出版社の方から「JR辻堂駅」の出口案内もメールで届いていました。駅に降車して指定された出口を探して移動しながら、当時の駅構内がどうなっていたかを思い出せない程の変貌ぶりに、またまた困惑でした。

 お迎えを戴いた出口で無事の出会いを済ませて駐車場まで移動です。歩きながら振り返ってみた「故郷の駅舎」が、すっかり大都会の佇まいに変容しているのにびっくりした程でした。2001年に開校した小学校に訪問される全国からのお客様にご案内した「故郷の駅」は面影が残っていません。『10年ひと昔』の理念では算出できない変化の速度を痛感した一日でした。帰路でも構内に迷子になりそうでした(笑)。主催者の期待に添えたかどうかは不明ですが、遅延も無く開始できたことだけで許してもらおうと勝手に考えてしまいました。

 卒業して30年も経てば「卒業生も成長して」いるので、変容ぶりにはどぎまぎした対応になっちゃいますよね。最後の勤務校に我が子をかよわせているという母親になった卒業生も、聴講者として再会しました。帰宅したら以下のメールが届いていました。ご紹介しましょう。

0926-15:56受信
本日はやっとやっと角田先生に再会出来ました!講演会ありがとうございました。先生が講義室に入って生きた瞬間、中学校の教室の風景が目に浮かび、50分間ほんとに集中した授業を思い出して緊張してしまいました。(中学の英語は人生で一番集中し、緊張した授業です)

あれから278年が経過し、二人の子供が初代校長を務められた小学校に通っています。学校に行くと、各教室に掲げてある「遊・学・選」(=角田校長先生の直筆)の字を見てはすごい先生に習っていたんだなと実感していました。実家でもお世話になったり、こうして再会があったり人との縁はすごいですね・・・

昨年末は中学校のメンバーにも再会しました。Y君、S君、Aさん、N君、K君、I君などなど会いました。子供が、中学に通ってたり…でもみんなみんな中学のまんまでした。

我が家も先生のお話通り、毎日「早くしろ」だの、「宿題先にしなさい」だの、姉妹喧嘩したり、毎日騒がしく、子供が大きくなったらなったでいろいろ大変ですネ・・・。子供が学校行っている間は、好きなお花の仕事しつつ、PGT参加もそこそこに頑張ってます。

また講演会などの機会があれば出席させていただきたいです。今日はほんとにありがとうございましたご多忙とのことですが、お体ご自愛ください。メールにて失礼しました。



早朝歩禅から帰って朝食も美味しく食べました。
半袖では寒さを感じる朝です。朝陽が東の空から昇って来ました。およそ1時間の『歩く』幸せを満喫して、帰って来ました。昨日の「講座での全力投球」の爽やかな疲労感を噛みしめている朝です。主催者や関係者の方々の温かい対応に心から感謝し、「故郷の良さ」をしみじみと感じている幸せな朝です。有難うございました。また、呼んでください!!喜んで里帰りいたしましょう。

 









 
 
 
 
 
 
 

2013/09/26

『早朝歩禅』を楽しみたい気分になりました!!



 9月1日の早朝歩禅の時間を意識して起床しようとして違和感に気付きました。

 「目が回る!」と自覚症状を妻に伝えて、「今朝の散歩は無理だな!」とグルグル回る天井を恐怖心から目を閉じた朝から20日余りが過ぎています。体調が不完全な期間でも『請け負っている仕事』はキャンセルなど出来ません。全ての照準を「出向できる」態勢に合わせると、肝心な生活のリズムも狂うモノですね。

 この期間に広島市4日間、高知市2日間の請負業務に「穴を開ける」ことも無く何とか責任の上っ面だけは果たせたので安堵はしたものです。イマイチ自らの万全ではない体調にいら立つことも多く不安感が先行していました。

 23日に、午後からの40分間を設定して田園地帯を「ゆっくり歩きながら」復活の再現を企みました。「独りで歩ける」という意志を妻が遮りました。一緒に隣を歩きながら一カ月ばかりの「歩禅」が出来なかった空洞が嘘のように快調に歩けることに自らが確認できたことが何とも言えない快感でした。

 そして24日から「朝の空気の中を」歩きたくなって挑んでみました。幸いにも雨も降らずに50分間のコースを60分掛けて歩くことが出来ました。小さな成就感が何とも言えない力強い一歩に繋がるという事を今更ながら体感できました。

 隣を歩きながら妻が真実を一撃しました。

 「70年間も生きて来たら、どっかは不具合が見つかりますよね」と。言われハッとしました。わかってはいるけど、「今までできたことがなぜ出来ん!?」とばかりに無茶をしてしまうことの繰り返し。これが人生なんだ!!と妻の一撃に対して、素直な心で『現実』を受け止めることが出来た分だけ加齢を認知しました(笑)。

 昨朝は今にも降り出しそうな空模様でしたが、傘を持って出発しました。途中で傘を開くほどの降雨に歓迎されましたが元気で帰宅できました。濡れた身体を拭いて着替えを済ませてから朝食を摂りました。1か月ぶりの朝食の美味に舌鼓を打つことが出来ました。

 今日は、第二の故郷「茅ヶ崎市」での講演のために6時半には電車に乗ります。目覚まし時計をセットして就寝しましたが不要でした。尊敬する鍼診療師の人生哲学のその本質を自らに言い聞かせながら「無理と無茶」を混同させずに、自らの全身に顕在する「現有勢力」を適格に判断して、年齢相応の「壮快さ」を求めて歩もうと心新たにしている朝になりました。

 今日の「歩禅」は神奈川県までの『健やかな移動』を充当しましょう。
 既に卒業生からも会場にて再会を楽しみにしているというメールが何通も届いています。請け負った90分ばかりの時間の責務を果たすことで「再会の妙」を満喫してまいりましょう。

セットした目覚まし時計よりも早く起きた朝です。行ってまいります!!
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/25

『届いたお葉書』を両手で持ち上げて最敬礼する受け取り人の真情


 「恐縮至極から感激」への心の移乗がさせる仕草?? 

当ブログに登載した(23日)内容と今朝も重複することをお許しいただきたい。登載したこの葉書をご覧ください。

達筆すぎて読めません。文字の読み書きが出来なかった母の伝承言葉が、こんな時に蘇ります。「前後に読める文字が合ったら判読すれば良いよ」と、言いながら自らも学校に行きたかったと結句は決まっていましたので、「またか!」と母の貴重な教えを蔑にしていたことをこの歳になって反省するばかりです。

高知市にも7年も前から訪問指導に通っている小学校があります。

今回の訪問で、この葉書に差出人さんが10月に学校訪問され「国語の授業」を師範されるとの情報を得て驚きました。野口芳宏氏と言う『憧れ』の枠に入る先輩教師です。あるセミナーで講義を聴いて首が痛くなりました。なぜ??頷く回数が多過ぎたからでしょうか(笑)。

校長室で野口氏の学校訪問の情報を得た瞬間、奇縁すら感じました。

そして、全教職員に向かって「至福の時間」になると断言しました。自らが国語の授業を公開されることも知りました。更に研修を積んで欲しいと願う一心からの発言でした。
 奇縁もそうですが、「手書きの葉書」の温もりを、その高温にやけどをしそうになりました。小生が器械文字で作って送信した葉書への返信でした。恥じ入る思いです。






 

2013/09/24

過ぎ去った年を数えてみても『驚き』、『感動と感激』に感謝するばかり!!

 

 29歳の青年教師が苦悩した日々。

 当時の校長先生との出遭いを思い出しては複雑な心境に陥る。非礼でもあり不謹慎だった言動を今でもハッキリ思いし、羞恥心が募る。今は故人となられた大先輩であった当時の校長先生を「恨んだりもした」若き日々の無礼を心底より詫びる機会をいただいた。40年間の歳月を超えてそんな心情に達したことを怪奇にさえ思える4日間の時間であった。去る9月11日より14日までの4日間の訪広(=広島への訪問)は、今までの授業示範とは異質なモノとなったことは嘘ではない。

 新ブログ【寸心紀行】への登載を予定していた中身の3分の2は完了しただろうか。何と言っても「40年ぶりの授業」への挑戦であったことがキッカケである。古希を迎える年齢になった老いを実感する頃になった今、「昔取った杵柄」を復刻させるような挑みを要請に恵まれたのは奇遇としか言い様がない。

 古びた手法と笑われそうでお断りした方が良いのではないかと躊躇したことも嘘ではない。しかし、何故か「孫たちに伝えたい」というお祖父ちゃんの立場から授業をするのも良いのではないか、と自らを奮い立たせたのも、また嘘ではない。

 授業のデザインを創り上げて、学校関係者と打ち合わせをしながら気付いたことが多い。その最たるモノは、「やったことがない」のと「失敗だらけでもやったことがある」のでは大きな違いが生じていると実感したことである。前述した校長先生の厳しい指導に辟易とした若き日々を過ごした己の失態でも、「やらされた」苦境の中で「やったことがある」実態として確かに残存していたことには驚愕の思いであった。流石に加齢による謝意の心情が感情を昂ぶらせられていたこと、これも紛れもなく事実であった。

 決して授業者の範に足りるものではない。しかし、この「授業の要請」が無ければ40年前の非礼ぶりは、そのまま何の回顧もなく朽ちて行ってしまっただろう。3つの小学校の子どもたちが真剣に授業者のG先生(=祖父ちゃん先生)に迎え撃ってくれた。お世辞として75パーセントのほめ言葉を計上したとしても、25パーセントの中身は(依頼された校長先生方には悪いが)自己満足で独占されていることは間違いない。

そんな折りに授業を要請された校長先生のお一人からメールが届いたのでご紹介しましょう。その学校の写真が届き次第、新ブログ【寸心紀行】にアップして今回のシリーズを完成させる予定である。 

 130923受信

角田 明先生へ 

こんにちは。
先日は,角田先生の「心の授業」と「教育講演会」に感激し,本校は大変幸せな時間を過ごさせていただきました。

一昨日も,学校協力者会議の方が,先生の講演会をお聞きになられ,「いのちのまつり」の本を3冊買って,兄弟に持って行きましたと言われました。

また,角田先生は,ズバズバ言われるけれど,決して嫌な感じがしないのと,あれぐらい言われないと心に届かないのですよ,私たちは。とも言われました。第1回目として,成功裏に終えることができたのも,角田先生のお陰だと思っております。本当にありがとうございました。

ところで,ご依頼のありました写真の件ですが,その職員の御尊父様が15日に他界されまして,先週いっぱい休暇をとっておりました。明日から,出勤してくると思いますので,写真を探してお送りしたいと思います。







2013/09/23

久しく『宛名書き』をして葉書を書いていない・・・・。

 

 偶然にも最近訪問した広島市の小学校の校長先生方から宛名も「手書き」によるお葉書が『お礼状』として2通続いて届いたばかりである。また、「はがき道」で自己精神修養しているという香川県の元・中学校の校長先生は、近況報告も含めて全てが手書きによる手紙を送ってくれる。

 手書きの手紙には温もりを感じる。

しかし、小生は「宛名書きのソフト」を利して返信を投函してしまう。相手の郵便番号も住所の番地までソフトが記憶してくれているので苦労はない。変な言い方になるだろうが「間違いも無い」と決めてかかっている小生が顕在している。

一方では、事務用便としてコンピュータを活かしてメールという飛び道具を多く使うことに明け暮れている。出講する相手の意向や日程の調整などに活用している。朝の依頼が夕方には現実となってスケジューリングされる。パソコンの中にはカレンダーが組み込まれているので発信日も着信時刻も明記されているので長期間の留守でも画面から直ぐに判明するので重宝している。

通信機能と「手書きによる通信」とのギャップは時短に尽きる。

身の回りから責任の伴う用務が削除されたら、時間がゆったり流れるのだろうか。そうなれば、手書きにしてポストに投函して、1週間後の返信を首を長くして待つようになるんだろうか?自問しながら今朝も解答は出せない。

昨日の新聞記事に目を投じながら、はがきの宛名書きに関する出題が「全国学力調査・中学3年生国語」にあったという情報を得て、その結果まで知って唖然としてしまった。手書きの時代を経てこの年齢になっているので「知らない・できない」ことはない。しかし、平成の世に誕生した世代には、やっぱりこの流儀は伝承すべきなんでしょうかね!?
 

手紙を書くのに季節は無関係なはずだが、秋は人を、用もないのにその気にさせる。古くから、秋空に飛来する雁は懐かしい人の消息をもたらす使いとさ        れてきた。

 九月(ながつき)のその初雁(はつかり)の使ひにも思ふ心は聞こえ来ぬかも 

と万葉集にもある▼「雁の使い」とは手紙のこと。中国の漢代、匈奴に囚われた武将の蘇部武が雁の足に手紙を結ん7国に知らせた故事にちなむ。それから長い時が流れ、メールが瞬時に地球を巡る時代である▼必然というべきか、手紙を書いたことのない若年者が増えているそうだ。郵便番号欄に電話番号を書くなど、基本を知らない小中学生が結構いる。去年の全国学力調査で、中3にはがきの宛名を書く問題が出され、正答率が74%だったと聞けば心配になってくる▼危機感を募らせる日本郵便は近年、教材を作って小中学校へのサポートを始めた。昨年度は全国約7900校で、165万人が授業を受けた。昨今は、先生も手紙を書いた経験が少ないのが実情らしい。親御さんもしかりだろう▼メールでは心がこもらないなどと言う気はない。ただ、古来、手紙は人間のあらゆる喜怒哀楽を媒介してきた。肉筆でつづる手紙には、電子時代にも失せない存在感と役割があると思う▼そういえば石川啄木に、いかにも啄木らしい一首があったのを思い出す。

  誰が見ても われをなつかしくなるごとき 長き手紙を書きたき(ゆうべ) 

やはり季一節は秋だろうか。メールの一斉送信では、懐かしさの情も中ぐらいになる。                        
                    
                     9月22日 「天声人語」
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/22

『眠れぬ夜』は、読書に限る!!(笑)


 

 
 秋の夜長は「読書を楽しむ」と豪語された先輩を思い出しました。

 通常の夜9時には熟睡モードの小生にとって、夜10時の時報に気付くと不機嫌になってしまいます。世間一般ではこの不機嫌は通じません。滅多にないので夜10時の時報への対応が下手になっています。現職の頃は、「明日の市議会の対応はどうすればスンナリ解決策に導けるか」等、教職では考えない領域の問題で寝そびれることもありました。現時点ではそんな難題課題は全くありません。

 昨夜の「寝つきの悪さ」(笑)の原因は分かっていました。

 昼間の時間が短くなっているこの時期に2時間も昼寝すれば??ですよ。そこで開き直りました。枕元に積んである本の中から1冊取り出して枕元だけを照らす灯りをつけて月刊誌(=「ラジオ深夜便 9月号」)を開きました。

 こんな状態では専門書は不似合いです。気楽に読める月刊誌あたりが最適です。この月刊誌は4種類の購読誌の中で最もポピュラーです。高齢者向きに編集されているからです。寝そべって読むのにも良い程度の内容で愛読しています。

 失敗しました!(笑)

 読みふけってしまいました。月刊誌ですので1つの内容が10ページ未満です。数種の目次を選べば眠気に襲われるはずですが、想定外の脳味噌の反応でした。そのページを皆さんにもご紹介しましょう。「素敵な話題」のお裾分けです。この記事は、以前にラジオ放送で聴いていたものです。しかし、活字になった内容を再読すると受け止める脳味噌のポジションが違うのでしょうね。

 若干の興奮が貧相になった脳味噌に温風を吹き込んでくれたようです。気持ちのいい眠りに誘われたようです。夜中に起きるトイレへの足労もなく朝5時(1時間の寝坊)まで熟睡できました。

 そこで、ブログを認めながら昨夜のちっちゃな興奮を紐解きました。読みづらいようでしたら、お近くの書店で立ち読みでも5分は掛かりません。お店にご迷惑もかけない時間です。(お勧めは非常識でした!!)


※添付した月刊誌記事が読み辛いと思われます。記事だけを、【寸心紀行】(右枠欄内にありますのでクリックしてください)コメントなしで登載しました。そちらの方が読みやすいと思われます。
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/21

滅多に行かないドコモショップへ行ってしまった!!


 知らない!!

 こんな恐ろしいことはない。笑い話にもならない出来事に遭遇してしまった。携帯電話の「充電」する部分のカバーしている箇所が外れてしまったまま使用していたが、連続する要請業務がひと段落したので相談を兼ねてドコモショップへ行くことにした。異様な雰囲気に息を呑まれてしまった。

 30台は収容できる駐車場が「満車」状態だったことと、さらに周囲には人の行列が出来ていたからである。折角来たのだから、「受付だけは」とばかりに店内に入り込んだのが10時6分。立錐の余地も無い来客軍団。受付嬢の説明を聴いてみると、「かなり長い時間の待機」が予想されると言うので受付番号票を破棄してもらって帰宅した。

アイフォンの発売日、とか??。
異文化言語を耳にした気分で帰宅すると妻が朝刊の見開きのページを開いて見せてくれたので新機種の発売日であることだけはわかった。妻は知っていたようではあるが、「ここまで」の状況は想定していなかったようだった。現在保有している携帯電話で十分すぎる程満足している小生には、部品の修理・交換だけの目的で行ったのだから、文化の温度差を痛感せざるを得ない一日の始まりだった。
 

 920日、NTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクモバイルの3社から新型iPhone2機種「iPhone 5s」「iPhone 5c」が発売された。iPhoneをめぐるシェア争いにNTTドコモが参入したことで、さらに激しい三つ巴の競争が展開されると予想される。(マイナビニュース)

 ネットニュースを読んで、テレビのニュースにもなるほどの「記念日」だったと気付かされ、『時代遅れ』という歌を口ずさんで自らは慰めてしまった(笑)。
 

添付の新聞記事をご参照願いたい。この記事は先般の広島市への出講した折りの最終日、ホテルの部屋に配達された地元紙(=中国新聞)に掲載されていた記事である。熟読頂きたい。
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/20

『はりまや橋』にタッチして帰って来た、とんぼ返りの旅!!


 18歳で九州から上京して兄と初めて東京・銀座に出た時を思い出しました。兄貴と二人で必死に探したのが『数寄屋橋』でした。と、言えば同年代以上の年齢層でないとご理解がいただけますまい(笑)。

 おふくろや叔母たち、そして姉たちの喧騒な日常で、15分ばかりは、「足音がうるさい」と叱られたほどに静寂を保ったモノでした。それは、ラジオドラマ「君の名は」の放送時間でした。ドラマの中に登場していた『橋』を兄と一緒に探したのですが見当たりませんでした。東京オリンピック開催のために道路拡張や地下鉄の建設で撤去されて跡形もなくなっていたのでした。

 今回の旅先で、ふと、そんな光景を思い出した瞬間でした。

 訪問先の校長先生が車で迎えに来られる時間まで時間があったので、宿泊ホテルの通用口から一歩踏み出してみました。朱塗りのちっちゃな橋が目の前にありました。歩数30の距離ですから、「南国土佐を後にして」という思い出の曲に登場する「はりまや橋」との整合性はありませんでした。友人を待っているという女子高生に、「はりまや橋ってこれですか?」と訊いてみました。「はい、そうです」と応えてはくれたモノの、ホンモノはどっかにあって、観光用にミニ版として造られたのではないかと、勝手に空想までするほどに可愛いモノでした。

 7年も前から高知訪問はしているものの、こんなにじっくり1か所を見つめる時間はなかったということになりましょうか。高知城が見える位置まで散策しました。まだここも観覧していません。観光目的の土佐路ではないので仕方ありません。

今回も、18日羽田空港発16:55で往って、19日竜馬空港発19:05で帰って来ました。19日は終日の指導業務を終えると、学校から空港まで送り届けていただいて戻って来たのですから、昼間の観光は不可能ですよね。

 通常の夜のフライトには楽しみはありませんが、昨夜は機内の窓から見える『お月様』で暫し、心が癒される思いでした。水平線上と言うのか、目線の高さでとても大きくきれいに見えました。機内でも耳に入る感嘆の声が多かったのが「十五夜」の名月だったからでしょう。

 疲れて帰宅した庭先では身体が引き締まるような秋の風に迎えられました。「地上から見える満月」の写真を撮りながら、忙しい旅も充足感をお土産に出来たことをこの上ない至福に受け止めたことでした。
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/18

カレンダーを見る訳でもないだろうに・・・!!


 若干のズレはあったとしても、この時機を外すことも無く必ず雄姿を見せてくれる花がある。好き嫌いの違いは名称と所以にも因るのだろうが、「野に咲く」可憐な姿は目を潤してくれることに関しては否定する人は少ないだろう。

 茅ヶ崎の友人の中に自宅の庭に球根を植えた者がいる。
 今頃、この花が友人宅の庭の隅で咲きだしているのだろうか。その主はもうこの世にはいない。同郷の誼で家族ぐるみでの交際が20年以上も続いている。遺族との付き合いは、二人の息子さん達との夕食会などで今でも続いている。この花に関するエピソードも「酒の肴」になることも珍しくない。
 去る13日の午後。

 訪問先からホテルに帰るのにタクシーに乗った。広島山地(島根県寄りらしい)にある小学校から広島市街に出るには山越えが必要であるらしい。20分ぐらい走った所までは運転手と客の会話はなかった。
 後部シートに坐している小生が、「あっ、彼岸花が咲いている!」と若干大きめの呟きを吐いた。運転手さんが、もう少し行けば群生地があるとの言葉を返してくれた。程なくその地点に到達したようだ。速度を落として観賞できるように配慮してくれた。「地上の状態も見えないのに、ピッタリとこの時期の開花することに感心しますね」と後部シートから声を掛けると、興味関心が無いことを前置きしながらも「こんな異常な暑さの今夏だったのに・・」と言葉を返してくれた。

 友人の話までは言及しなかったが、「秋の彼岸に咲いてくれる」花の律義さに話題は転移して、人間関係の薄っぺらさにまで運転手の話が飛躍した。聞き流すわけにはいかないので話を合わせながら車は山間部を抜けた。

 お子さんが小学生だと、いつの間にか話が変わっていた。小生は小学校の玄関先からの乗客である。悪気ではなく正体を知りたくなったのかも知れない。隠すことも無いので身分を明らかにした。父親としての「子どもの教育の難しさ」を真顔で話してくれた。アドバイスらしき言葉を発することも無くホテルに到着した。

 運転手さんとの対話のきっかけは『彼岸花』であった。季節の移ろいを日常会話に取り入れるのは日本文化の特徴らしい。

 今年も忘れずに咲いてくれた彼岸花のお蔭で、退屈もせずに40分間の帰路をタクシーと言う密室で和やかに過ごすことが出来た。

今日は夕刻から明日の学校訪問の為に空路で高知入りの予定である。明日は十五夜である。高知からの帰路は夜の空路である。機内から見える十五夜が楽しみである。カレンダーを見て確認しないと時機の到来がわからない小生は、彼岸花やススキの穂に「この時機」を教えられながらこれからの人生を楽しむことにしよう!!
 
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/17

『敬老の日に思う』メールが届きました!


 

 以下にメールの一部分を紹介します。反論なんてございません!!

 友人(小生と同年代)から届いたメールで、予定していたブログ内容を変更しました。友人にはお子さんがありません。「だから、この着想だよ」とは思えません。小生も、事ある毎に全く同感の怒りに似た反応を呈したほどです。だから、反論など無し!
 

今日は、敬老の日でした。休みの日に頼んでいる弁当はお赤飯でした。テレビは台風の情報で埋め尽くされ(当然のことですが)、9時のニュースではキャスターが今日は敬老の日であるが年配者の災害の経験を十分尊重し、活かすようにと言葉を述べたに過ぎませんでした。人口の4分の1まで老人が増えれば、敬老の日と言って老人を敬うような時代ではなくなったのかもしれませんね。
 
いとも簡単に振れ込み詐欺に遭うような老人が増えている現状から、いい加減に子離れしなさいと言いたいよ。もう大の大人になった子供でしょ。子供の問題はまずは子供で解決させるという気持ちを持っていればこんな問題はそうは多く生じないと思いますが如何ですか。子供のいないものの身勝手な言い分でしょうか。敬老の日に話がおかしな方向になりましたが、反論をお待ちします!!
 

 「敬老の日」という祭日は何故設定されたのでしょうね。

 「お年寄りを敬う」意識を醸成するための国家意識の表出だとは殆どの国民が理解しています。しかし、メディア、取り分けTV画面で活躍するキャスター(と言うのでしょうか?)が発する日本語の退廃ぶりには愕然としているのは小生だけでは無いでしょう。このメール読んで胸がス~ッとします。思いやりの無い言葉が罷り通る業界には呆れて言葉も継げないからです。

 詐欺事件の多発には驚くばかりです。

被害者には同情は寄せても、「自己責任」力が養成されていない大人社会の弱点を痛感します。30年前に、アダルトチルドレンという言語を外国語として受け止めました。子供のままに年齢だけで成人になってしまったことを表現する外国語として習得しました。所詮、外国の「現代の問題・課題」としてだけの理解で終えたのが小生の学びの貧しさでした。

 未成年者への配慮は法律でも整備されている。列記としたオトナには法律的な処罰が準備されて倫理観や道徳心で抑制することで体を為している。そこにはオトナとしての「自己責任」の熟成が成立条件となっている。自己責任を放棄して「保障問題」で責任回避ができるような生活社会に育った未成年者です。成人しても成熟したオトナに成れる訳がないでしょう。誰の責任??

 誰かの所為にして、誰かの同情を求める。

 そんな「教育過程」から『オトナに成れない大人』が増殖しても仕方がないでしょう。小学校に入学してからでは間に合わないのです。三つ子の魂百まで!!ですよ。幼児期の家庭教育を根本から見直すべきだと痛感しています。安っぽい休日を特設しなければ道徳心が育たない時代ではあるまい!!
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/16

台風18号は東北へ去りました!!

 



 被災地の皆さんにお見舞い申し上げます。
 
 京都・嵐山の渡月橋をTV画面で見ながら、わが目を疑いました。こんな「流れ(=濁流)」と思い出の風景が噛み合いません。現実の写真は登載できませんが、大好きな渡月橋のこんな風景が今日の現実と比べると自然災害の空しささえ感じてしまいました。

   京都の知人宅は被害はなかったようです。
  愛知県や浜松市内の先生方とも連絡を取りました。ご無事を確認しつつ、我が家の上空を去っていく台風を凌いでいました。
 今後の台風が通過する各地に被害の少ないことを祈っています。
 わが家が隣接する栗林にある栗の木が数本が折れていました。農家の人も大変です。秋の栗ひろい作業が始まったばかりです。

 台風が去った後の我が家の庭。
 たっぷりの水たまりが出来ていました。排水溝を作ろうと頑張る3人の孫軍団も諦めて家に入ってしまいました。その後の光景をご覧ください。夕焼けが紅くてきれいな夕方は「明日は良い天気」だと、少年時代に聞いたことを思いだしました。離れの和室から窓を開けて撮ってみました。
               「あした、てんきにな~れ!」と呟きながら・・・・・。








 
 
 
 
 

台風18号が北上して来る早朝のラジオに心が固まる!

 

 午前5時。

気象庁は「大雨特別警報」を、滋賀県・京都府および福井県の一部に発令した、とラジオから情報を得ました。この警報は8月に運営を開始されたもので、「今までに経験したことの無い降雨量が予測できる」状態での発令だそうです。数十年に一度しかない雨量になっているとの警報であることが何度も放送されました。

 「過去に経験の無い気象状況」下にあることを、今夏は色々と経験しました。40度を超す気温の高さが記録された情報を知って「体温より高い」世界で生きる人間(=動物)になったことを実感して仰天するばかりでした。70年も生きていると「こんな天気もあるんだよ」と、能天気な発言をしそうな小生ですらも軽率な言葉を発することが出来ない気象状況になっていることは事実です。

 体調不良を感じてから2週間が過ぎました。柔らかに快方に向かっていることを実感している朝です。「ラジオを聴きながら」実感できました。

 4時からの番組で『高齢者を社会の担い手に』との話題提供を受けました。発信者は、国際長寿センター日本事務局長・志藤洋子氏です。高齢者(=65歳以上)に仲間入りして数年を過ごしています。「そろそろ後輩に道を譲って・・」とばかり考え続けながら歩んで来ました。性分から「悠々自適な老後人生」を描くことはありません。孫たちに囲まれて穏やかな人生の終幕を待ち望む様な生き方も考える事はありません。しかし、幾多の諸先輩からいただいた「後は頼むぞ!」とバトンタッチをされた光景が蘇る度に、自らも言い渡す責任があると感じ始めていました。頓に、来年が古希を迎える年齢になることを最大好機と捉えていた事は事実です。

 志藤洋子氏の理路整然とした分析を基にした「高齢者の存在価値」観を聴きながら、布団から身を起こしてメモ用紙を手にしている自らに気付きました。小生の年齢集団が「生かされた時代=生きて来た時代背景」を、今更の如く振り返りました。志藤氏の直訴にも似た発言に耳がダンボになってしまったのです。

 体調不良から立ち直ろうとする朝に、タイミングの好い番組を聴くことになり「今後の生き方を考え直す」時間となりました。数日前に、体育館で小学生を相手にしてG先生(=ジー先生・祖父ちゃん先生)」と名乗って授業をしたあの光景が浮かんで来ました。自らの身体コンディションはベストではなかったにしても、子どもたちや保護者を相手にすると全力投球できる自らの特長(?)を再確認しました。NHKラジオ深夜便・4時からの「明日へのことば」という番組に、また、大きく背中を押されたことになりました。

大型台風18号も間もなく当地に襲来するようです。窓から見える栗林の枝が多く揺れています。相当量の毬栗が既に落ちています。そんな自然現象の厳しい時間帯に、『高齢者を社会の担い手に』(=番組のタイトル)を聴いて発奮している能天気な高齢者がここに生きています(笑)。業界の後輩諸兄にご迷惑を掛けない程度の頑張りを続けてみようと心しています。
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/15

「無理は、してみなければ」自信は産まれない!!



 もう2週間前になってしまいました。

 めまいと食欲不振と吐き気に動した1週間ばかりは悪夢でした。タイミングよく鍼診療予約日(3日)とぶつかり、気力を振り絞って片道3時間の電車を乗り継いで診療を受けに行きました。

 診療師曰く、

「無理だと思うことは誰にもある。しかし、その無理を逃避することからは自信は生まれない。出来るところまで無理を押して挑んでみれば意外と出来るもの。やり遂げた時点には自信と言う底知れないパワーが再生する。たかが、目まい!しかし、その辛さと不安感を知っただけでも大きな成果」と。師の説法は「鍼診療」という術の恩恵と共に精神的な方向性に一歩踏み出す勇気すら抱くことが多い。

珍しく弱気になりかけた小生ではあったが、待ち受ける広島市の小学校4校の校長さん達の顔が浮かぶと「無理をしてでも行かなければ・・」と自らに言い聞かせる。目まいがしたら四足の動物になって四つん這いで移動すれば立てるようになる。44本の足で動く動物にはめまい等は無いと考えれば開き直れる、との指示を丸呑みにして実践してみて感動した。

細やかな努力と意識変革は1週間の猶予に助けられ、11日から4日間、請け負った内容を全てやり遂げて昨夜帰宅できました。それぞれのプログラム個々の満足度は主催者とは温度差はあるだろうが、「無理をしてでもやり遂げた」充足感は疲労感を圧縮している朝である。完璧な体調は今後も保障されない。しかし、「待っていてくれる」存在感の大きさに感謝した4日間でもあった。決してベストな対応ではなかったが許していただこう。

今朝は台風が広島地方にも影響を与えている情報を得ながら案じている。

この4日間の詳細は、近日中に、●新ブログ【寸心紀行】にて報告する予定である。13日朝、ホテルの窓の向こうに朝陽が顔を出した。「がんばれや!!」と背中を押された気分になった瞬間をお届けしましょう。

取り敢えず、ご心配をお掛けした全国の皆さんへの近況報告とさせていただきます。台風一過の18日から四国・高知市の学校訪問を予定しています。
 
 
 
 
 
 
 

2013/09/10

ラジオから流れる声に耳を傾けながら・・・・・

 

 夏場は「起きて」聴く番組であるが、今朝はまだ布団で横になって聴いていた。 「南相馬農民への新たな支援」として、支援隊リーダーの大留隆雄氏がインタビューに応えておられる状況が放送された。

小生が珍しく体調不良の状態に陥ったのが1週間前である。「取り柄は健康だけ」と、健康だから豪語できた自身が陥ったのだから始末悪い。妻は苦笑の連続の様だ。大したことの無い「めまい」に怯える夫の現実を見て可笑しくもなったのであろう。体調が復活しているのは、目覚める時刻が体内時計に因って自然の起床を促していることが自覚できたことが証しである。明日からの「仕事再開」に燃え始めた喜びと一緒に気楽な気分で日課であるラジオへ傾聴をした。

大留氏の語りが始まった。

自身の住居も、避難勧告地域の境界線ぎりぎりに位置しているとの説明を何気なく聞き流していながら、「危険との背中合わせ」の自らに奮い立たせて支援隊リーダーとして陣頭指揮を振るっておられることに気付いた。

 全国に支援を求めて講演にも出向されているようだ。出向先が沖縄県であろうが北海道であろうが好機として受け止めて出かけられるそうだ。そこで、被災地と出向先の温度差を感じて愕然とされるのは、「どこまで復興は進んでいますか?」と異口同音の質問に遭遇する時だと話が続いた。「足元が震えてしまう」との言葉に、ついに身を起こしてしまった。

 氏は最後に次のように語った。

 世の中がいつの間にか「善悪を基準にして動くべき事態でも、損得で判断してしまう風潮」に入れ替わってしまったことを気付かせてもらいました。

 極基本的な規準も、ここまで明言されると誰でも背筋が伸びるだろう。オリンピックの誘致が、国益という損得だけを基準にしたモノであってはならないと願うばかりである。大留隆雄・支援リーダーの頑張りを、「心からの支援」で支えていることを自らに言い聞かせながら今日の一日のスタートである。
 
 
 
 
 
 

2013/09/09

たかが『髭剃り』・・・気にするようになった「生活リズム」の存在感!


 

 体調不良に気づいたのが1週間前(9月2日)の早朝だった。

 「生活のリズム」の一つとして早朝の散歩を10年以上も続けている。省みると無理もあるリズムである。しかし、その無理も難なく通過した年代力がそこにはあったようだ。同行する妻の体調も軽視した無謀な実践もあったと数多くの反省事項が浮かんでくる。

 生来の「末っ子」根性の我儘が通じるところを持ち合わせたままに古希を迎える年齢になってしまった。たかが「熱中症」!決して無視していた訳ではないが、自らとは無縁の世界と考えていたことは事実である。

症状を訴えて翌日(3日)、鍼診療師の診療を受けに行った(=行けるかどうかも案じる程の状態)。師の口からは最後まで病名(=熱中症)は出なかった。脳に水が届いていないね!と、だけ。医療分野では血液の巡りと言うが、師は「水が届いていない」と表現された。汗と便通で水分は体内から大量に放出されるのに、水分の補給に疎い人が引き起こす症状だ、と注意された。

 一日に水2リットルは飲んだ方が良い!!

 単なる水を2リットル、しかも毎日となると「生活のリズム」の一つに組み入れないと容易に飲み続けることは不可能である。しかし、体温以上の気温の中で生活していると、熱帯夜(=通称)の「睡眠中には更に大量の汗は出る」ことに納得である。汗には体内の塩分も一緒に放出されるらしい。塩分の補給を忘れたら致命傷になる、言われれば妙に納得する。

 自称・健康体。

 当ブログの休刊連続の原因が判明して友人知人から、「まさか、・・」と通常の健康マンの豪語を信じ切っていたことへの自らの仰天ぶりを添えたお見舞いメールが多く届いた。『反省することしきり』の1週間が明けた。

 病人の素顔。

 ひげ面の「お祖父ちゃん」の傍には孫も寄り付かない。当の本人には鏡を見ない限り髭面など見えない。小生の人生観の中に「休み期間中ぐらい髭剃りのない」リズムを欲しがる願望がある。現役時代、運転しながら髭を剃ったこともあり仕事場には無精髭面での登場は勿論なかった。

 今回は1週間以上の「髭面」放置状態だった。めまいも少しずつ治まり歯磨きをしながら鏡の中の無精面を見詰めると気分不爽快になった()。髭剃りを始めた。いや、髭剃りでもしたくなった!髭面から逃亡したくなったのである。

 髭剃りをしながら面白い話を思い出した。二人の兄たちが成人式を迎えた(年齢)頃、「お前、髭は生えてないのか?」と覗きながら、「羨ましいなぁ!」と交互に話しかけた。髭も生えない末弟は、髭の濃い兄たちを「羨ましいなぁ!」と不思議な劣等感を抱いたモノだった。成長したら()、出勤前の髭剃りは日課になっていた。

 こうして通常の生活リズムとは少々ズレた生活をしていると、「出勤前の髭剃り」は貴重な「生活リズム」のキーワードだったと気付いたのである。病み上がりの老顔の見詰めながら無精ひげをきれいに落とした。

 すると、スッキリする。すると、シャキッとなる。すると、言動もテキパキとなる。

何だか不思議な気分であるが、これが「生活リズム」の源泉だったと気付かせてもらったような気分になっている。たかが髭剃りであるが、されど髭剃りである。

明後日からの広島訪問に向けて準備開始の朝である。
 
 
 
 
 
 

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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