2014/01/10


   2014年1月10日 お知らせとお願い

このブログ『歩禅記』画面から改装して起ち上げた(改装)『歩禅記』への移行をお願いします。

まだ、多くの方が当画面をご覧いただいているようで心より感謝していますが、遅くとも今月(1月)中には、この画面を次のアドレスに全面移行する予定です。

          http://hozenki2014.blog.fc2.com/

この新アドレスを覗いてください。
新画面の右側にも、ここにリンクしている他のブログアドレスもアップしてあります。新『歩禅記』を中心にして他の「窓口」への訪問も、この画面と同様に可能になりました。早めの本格移動をお願いいたします。







2013/12/31

「今年のビッグニュース」を挙げてみることにしました(後編)!

                     下段の「事務連絡」をご一読ください。 1/1記

 俺っていう人間は、どうしてこんな風に「ど偉い」人物と出会えてしまうんだろうか!?それも、人生の岐路の「ど真ん中」で。世間一般ではそれを『出会いの妙』と言うらしい。節目節目で「重要な人物」を遭遇する(?)稀有な人生の旅人が俺なんだ!!自惚れでも何でもない。俺がこの歳になっても未熟極まりない証拠であることを叩きつけてもらえる「ど偉い」人物との出会いが、今年もあったと実感している大晦日である。

 今年のビッグニュースは、やっぱり「出会い」である。

 茨城県県西地区ニューモラル教員研修会(6月19日)の講師として出向いた。控室で名刺交換をしながら通り一遍の挨拶を済ませ、会場に移動して任を果たした(つもり)。90分間の当方の講演は、知る人ぞ知る「掴みどころのない」話題の濫発で任を果たすしか能は無い。

 名刺交換の際、肩書は記憶に残っていた。同時に御年がご高齢であったことも片隅に残っていた御本人が、前列に陣取ってメモを執っておられる姿に気付いてしまった。その瞬間から「何を?」「どこの部分を?」メモを執られているのか、と妙に気になり始めてからは、講師という立場が頓挫してしまった。

 懇親会が始まった。気になったご長老は隣席である。

 6月の課業中(水曜日)の昼食会である。長老からお声が掛かった。講演の内容についてであった。顔から火が出る思いで箸が止まった。91歳になられたとの前置きをされてから、「教員の人材育成について確認したい・・・」と、核心に迫られてくると陸に上がったカッパになってしまった。全身が乾ききってしまい、潤いのある表現など川下に流されてしまったような状態になったと言っても過言では無い。

 食事が咽喉を通らない当方の状況でも、熱い人材育成論は時間のある限り続いた。正真正銘のゼロ回答に近いままに要請業務を終えて帰路に着いた。常磐線の旅は僅か30分であるが放心状態の当方には降車駅を乗り過ごしてしまうほどの疲労度で帰宅した。

 帰宅した当日の夕暮れ時。

 全身の火照りも消えて、興奮状態も治まりだした頃に電話のベルが鳴った。母屋の方から「お祖父ちゃんに電話です」と、孫が駆け込んで教えてくれた。取り上げた受話器(=子機)には、数時間前に隣に坐した「御仁」の声が響いた。ご自身が主宰されている教員の研修会へのお誘いであった。日付と会場のメモを確認しながら、出席することを回答して受話器を離した。途端に胸の熱気が再燃した。認知された!!その思いが再燃の原因であった。

 研修会に参加した(8月25日)。当方が主宰する『響の会』と創設時期が同じ頃であることが分かった。研修会場での配付物に3桁の開催回数が書き込まれていた。会場の雰囲気も主宰者が違うとこんなにも違うモノか!後頭部を一撃された。

 第167回・特別研修会(12月8日)にも参加できた。文科省の現職の担当者(生徒指導)を講師として招請してされていた。懇親会にも出席して親交を深めることが出来た。

 91歳の老人。お会いして会話を交わしていると「老人」の概念が吹っ飛んでしまう。記憶力も確かである。近場の用務はバイクで済ませると言う日課を聴いて驚いた。栃木県宇都宮市の主治医への定期検診の受診にはご自分の運転で出向かれるとのこと。生活ぶりを聞きながら若輩の自らが、その軟弱さに潰されて溶けて消え去るような思いになってしまう。

 『ど偉い人物』であることの証明は「人材育成論」にあった。肩書(経歴)もさることながら実績(業績と功績)の上に、91歳でもリーダーとして厳しい指導を垂れる御仁の言葉を聴くにつけ、その姿勢を見れば見る程、怪物としか思えない。この世に生存するモンスターである。当方は勝手にネーミングしてしまった。70歳を過ぎてからパソコンの技術を学ばれたとのことには開いた口が塞がらなかった。

 傘下にあって研修を積まれている茨城県下の管理職の方々の研鑽ぶりには、へなちょこ侍の、ちっちゃな実践など風前の灯に似ていると痛感している。

今年のビッグニュースとして取り上げるのにふさわしい人材との出会いである。


               【事務連絡】
長い間、ご愛読いただいた当ブログです。
下記のアドレスで 改装『歩禅記』としてアップいたしました。
                            http://hozenki2014.blog.fc2.com/

目下、自己トレーニングに必死です。逸る心をあざ笑うかのように、幾つもバリアがあり思うように進捗が捗っていません。ただ、「切り替え」は必至です。きちんと独立できる状況になるまでに少々時間が掛かりそうですが、お付き合いください。既に、この時点でも、上記のアドレスから入室できます。覗いてみてください。
      Ctrキーを推しながらクリックしてください。
月末の奮闘ぶりのページしか見えない場合は、画面上部のカレンダー(横書き)の2014/1/1をクリックしてください。アップするまでに少々時間が掛かりそうですので、ご理解願います。
      
 
 
 
 
 
 
 
 

2013/12/30

『お正月の準備』風景も日本文化を伝える風物詩??(2)


 寒くなさそうなので出かけようか!?

 「この日」の決定は、雲の合間から射し込む冬の陽射しが判断の基準となります。北関東の冬は、過去67年間を過ごした地とは比べ物にならない程の気温の低さです。北風の冷たさは、老妻の手に皹(ひび)が切れて皸(あかぎれ)になってしまいそうな威力です。水道水の温度もそれに拍車をかけるのかも知れません。幸いにも障子の張り替えはまだ必要としないので大量の水を使って洗う必要もありません。

ところがもう1か所の『お正月の準備』のためには、寒風と水温の低さとの対戦を避けることが出来ません。6年前に建てた『お墓』の掃除です。

 去る28日(土)の昼間に「今でしょ!?」と思えるほどの空気の温かさを感じ取れる時間をありました。掃除道具セット(自家用車に常備)と共に菩提寺の霊園に向かいました。避ける建物も無い墓地を吹き渡る風はやっぱり冷たい。

 5~6往復の「水汲み」は夫の担当で、拭き掃除は妻の担当となっている。自前の桶もあるが、一つではどうにも間に合わない。菩提寺の桶をお借りして2つの桶で水を運ぶのである。手先が切れる程の冷水である。ビニール製の手袋を填めての作業ではあるが堪らないほどの辛さとの勝負なのです。

 1時間までは掛からなかったが、きれいになった墓所を見届けて車に入り込んだ。「寒かったねぇ~!」と思わず本音を言葉にして発した老夫婦は思わず苦笑いをしてしまいました。しかし、気分の爽やかさが寒さと冷たさに勝ちました。車内での手の温もりの復活であったかくさえ感じたのは、やっぱり「文化の伝承業務」をし終えた充実感であったのでしょうね。

 記念写真を撮影するゆとりもなく帰宅しました。お正月の里帰りをする二人の娘たち一家の墓参の準備が済んでホッとしています。





2013/12/29

『お正月の準備』風景も日本文化を伝える風物詩??


 子どもの頃は、家族みんなでそれぞれに分担が宛がわれて1年の垢を落とすことに懸命に励んだモノだった。祖母と一緒に「障子張り」をしたことを思い出している。この日だけは古くなった障子を思いっきり破いて良い、となると何だか腕に力が入らなかったことが幼心にも不思議な感覚だった。
 障子の骨組みを洗うのが難儀だった。去年の糊付けの跡が剥げなくて大変だった。近所の川に浸けて容易に作業をしていた兄たちの工夫も学んだ。川の水が冷たくて大掃除の分担が障子張りになることを敬遠したくなったことも今となれば懐かしい。

 暮れの大掃除。

これも文化の伝承にもなるのだろうか。「障子の張り替え」も、日本の家屋に常備されている「障子」という生活様式に不可欠な家具を大事に使うことへの配慮と言える。今の家屋に「障子」はあるのだろうか。無ければ「張り替え」の文化の伝承も無い。利便性の追求の裏側で消滅して行く日本文化が愛おしくも思える。

 2011(平成23)年に当地に引っ越して来た。

 建物の設計の段階で和室を固執した。たった一間の6畳の和室ではあるが「障子のある部屋」への愛着があったからである。現代の和室に取り付けられた障子に貼られている紙も大昔のモノとは段違い。数年は破れないほど立派な紙を使用しているとの事。幸いにも障子の張り替えと言う「歳末の風物詩」に手を付けることは今年も無い。

 家事の手伝いをしない現代の子ども達。

手伝いをしない??手伝いをしなくて済む様な生活文化が確立されて来たからである。日常的な「お手伝い」も、文明の利器が日進月歩に開発が進んでいる状況下では手伝いも不要になってしまったのだろう。

 子どもは大人文化の下で成長する。

 我が家の孫たちも、我が家の子ども達の時代に比べたら「家事への参入」度合いは驚くほど減少している。年の暮れも大詰めである。ラジオでも「今年もあと3日で・・・」との言葉を朝から聴き始めている朝である。皆さんの「歳末の風物詩」は如何であろうか!?
 
 
 
 
 
 

2013/12/28

「今年のビッグニュース」を挙げてみることにしました(前篇)!


 実は、『老脳鍛錬記』という日記を書いているんです!!

 打ち明ける程の内容でもありません(笑)ね。昔の記憶は正確でも最近の記憶が飛んでしまうのが老人性認知症の特徴だと学びました。「明日は我が身」の意識は恐怖心も煽ります。そこで、わが身を生体実験の被検体として「挑んでいる」のがこのオリジナル日記手法です。

 定時に起床すると、日記帳を開きます。

 この日記帳はパソコンの中に保存されています。全くのオリジナル(エクセル版)です。形式は簡単です。昨日の出来事を時刻順に書き込むだけです。箇条書きに似ています。一見簡単に見えますが、がっかりするような事態に直面して加齢の実感に打ちのめされる様な朝を過ごすこともあります。昨日の出来事が、本当に数時間の記憶が飛んで行ってしまっているのです。読者諸兄も「この年齢=古希」に近づいて来たら挑戦してみてください。小生のこの心境が実感としてわかることでしょう!

 そこで、今朝、2013年の1月からの『老脳鍛錬記』を開きました。

 苦笑の連続です。それは、事件や事故(少々大袈裟ですが)への記憶自体は残っていても順番が違うのに唖然としてしまいました。懲りずに立ち止まり読みをしました。気付いた事件が今年一番のビッグニュースであると認識しました。

 妻の実父母の七回忌(8月)と実家の売却。
古民家を求めている妻の生家の近所の独身男性が購入してくれました。空き家の状態の家屋が多くなっているのが地方の現状です。妻も知っているという買主と条件を合わせて土地付き家屋として売却することが出来ました(1月)。買い手が付かずに廃屋になってしまうことを恐れていたモノの、いざ他人の手に渡るとなると妻の心情も複雑だったことでしょう。故郷は存在しても、生活した家屋にはもう戻れないのですから。【写真は2004/4月撮影】

 我が老夫婦にとっては、本年最大の出来事だったような気がします。上半期最大のニュースとしてご紹介しました。続編は明朝に。
 
 
 
 
 
 

2013/12/27

『今年の漢字』(12月14日初登載)の再考を促される


 広島の小学校長よりメールが届いた。詳細は「新ブログ・寸心紀行」(昨日付の登載)ご一読いただきたい。

 この小学校の『今年の漢字』(=一文字)は、“変”だそうだ。

 校長経験者だからその嬉しい「変」が分かり過ぎる程わかる。勤務開始時点との変わり様がこの言葉として表現されたのだろう。あくまでも表面上しか知らない「旅人」的な推測である。きっと、良い意味での「変化している」ことへの歓喜の表現であることは間違っていないだろう。

登校してくる児童生徒はどこの学校でも大同小異である。地域性や立地条件で他校とは明らかに差異が生じる(学校間格差)ことが無い訳ではない。しかし、そこに集う協働する教員集団の意識の変容によっては児童生徒の「学びの姿勢」(意欲)の変貌ぶりも想定外の域に達する。教頭職を経験した僅か1年間での実体験からも証明できる。

たった二度しか訪問していない小学校なので根拠の詳細は不明であるが、1月末の研究発表会に出講を要請されているので楽しみにしている。“変”の本質を見極めることが出来ると確信している。

そこで、当方の2013年を振り返って漢字一文字を充当してみよう。

尊敬する鍼診療師に、「60歳過ぎてからの転居は無謀としか表現できない」と言われた3年前を思い出す。自然環境に同化するパワーが無い、という意味らしい。温暖な地で60年間以上を過ごした身体を、当地の朝夕の温度差に馴染ませるのが酷なように思えたのは、転居した2011年の暮れのことだった。その時点から「二つ目の冬」を過ごしている。無駄な抵抗をしないで老身をこの地の自然環境に「馴らす」ことに意を注ぐことが肝心だと明確に気付いた1年であると言えようか。

小生の「今年の漢字」は『馴(らす)』となる。

史記の一文(=馬先馴而後求良)を広辞苑で発見した。馬は先ず馴らしてからでないと良い展開を求めてはいけない(?)と勝手な解釈をしている自己満足の朝である。
 
 
 
 
 
 
 

2013/12/26

『モノ』だけでなく「心(=ことば)」でも、感謝の意は通じます!!


① かわいいクリスマスツリーが届きました!

 高知市立大津小学校の「舟入学級」(=特別支援)の子ども達からゆうパックに入ったプレゼントが届きました。

 開けて見て老夫婦は感動しました。

 束の間の授業観察しか出来ない学級です。指導者(=オトナ)の心情が学級の子どもに確かに移乗していることを証明していることを実感します。贈り物自体について論及しているのではありません。純粋に、モノではなく心の持ちようだと述べていることをご理解ください。

 この「モノ」を作り上げるのにどの位の時間を要したのだろうか。

 一人一人の個性で生きている学級の子どもたちを「ひとつの目標」に集中させるための指導法を紡いでいる指導者集団の姿勢に頭が下がります。この学級に在籍する一人の児童から「角田先生は、東京の方から飛行機に乗って高知に来るんだよね」と、声を掛けられて感激しました。なぜならば、まだ二回目の学級訪問だったからです。たった1回の訪問の際に自己紹介した内容をきちんと記憶できる個性の持ち主であることも頷けました。

 「個の指導」の原点は、訪問する学校で支援学級に足を入れ瞬間に感じる事です。一括説明や指導が効かない「個の集団」を個別に指導することの重要性を痛感するのです。舟入学級のみなさん、クリスマスツリーの作品、ありがとう!!来年また会えることを楽しみにしています。
 

② 『感謝メール』が、二弾に分かれて届きました。 

 このメールは「教員向けブログ」(=寸心紀行→右欄の枠内の当該事項をクリックして入室)に登載しました。ご面倒ですが、場所を変えてご一読下さい。
 
 
 
 
 

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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