2013/05/31

「思い込み」は思考回路を塞いでしまうらしい(笑)

  転居しての3年目を進行中。

 神奈川県茅ケ崎市に住んでいた頃は、「自家用車で移動する」のは特例を除いて走り慣れた通勤路か周辺の「時間が読める」範囲でしかなかった。多くは公共交通機関を利用しての移動だった。

 当地(茨城県土浦市)に転居して周囲にも親しく会話できる人も出来た。ホンの少しずつではあるが元職との関わりで学校訪問も増えてきている。今までの学校関係者からの訪問要請には、『不案内な地域』にも関わらず自家用車での移動手段を取らざるを得ないと洗脳(笑)されてしまっていた。

 6月下旬に県西地区の生涯学習センターを会場にして開催される研修会に出講を依頼されていた。長距離の運転をするのが嫌いな小生は、「自家用車で出向する」ことが、僅かな期間の生活の中ででもすっかり刷り込まれ「思い込み」の世界を彷徨っていたようだ。

 月末になって主催者との最終打ち合わせをメールで交信が始まった。

 実は、『講演をする』という業務は表面上の派手さ(?)とは裏腹に60~90分間の独壇場で、会場と一体になるための企業努力は難儀なコトなのである。往路の脳裏には「展開の手法」で思考回路が麻痺状態に追い込まれ運転どころではない。復路は自己嫌悪に苛まれ思考回路が酸欠状態になってしまう。運転は実に苦痛な業務となってしまう。「独り企業」の退職者にとって公共交通機関が利用できない(という思い込み)現状の打破策は全く無かったのが「思い込み」であった。

 苦し紛れに、最寄の駅名と目的先の駅名(上・写真)を入れてパソコンで検索してみる。

 そして、仰天!!15:07発の電車は途中駅で乗換えて目的地駅に16:30着が判明したではないか。我が目を疑ってしまう。思い込みの老脳は、にわかに信じることが出来なかった。今回の出講先は当然ながら処女地である。県内マップを広げても自家用車で行っても1時間半は掛かりそうな見当になっていた。
 同様にして終了予定時刻から逆算して検索すると1時間半で帰着できることが確認できたのである。ばんざ~い!!心の叫びは「思い込み」の思考回路の血栓を溶かして流れが良くなった快感を実感できた。

 これで安心して講演の準備作業にも拍車をかける事が出来そうだ!
 さぁ、いよいよ楽しみの多い学校訪問が待っている6月がやって来ます!!

2013/05/30

「返信」の「返信」が、コミュニケーション能力育成の震源地!

 

 講師稼業(と言えるほどの活動もしていないが)には切っても切れない発端がある。それは講師依頼というキッカケである。初発は電話での依頼が多いが、懇意になっている関係があればメールでの依頼も最近は多くなっている。どの手段でも構わない。依頼の内容と目的が明確であり、且つ小生が対応できそうな業務であればお断りする理由も無い。

 6月は年間の中で(学校の2学期制になってから)最も忙しい時期になる。今年も14日間も県外に出講することになっている。こんな老輩に未だに訪問要請があることを慶ぶべきであろうか?自問してみるが結局答えは出てこないまま出講する(笑)。

 最近、頓に感じることがある。

 依頼(発信)に対して受諾の回答する(返信)。この返信への返信が届くことが実に珍しい。つまり、依頼した講師が請けてくれたことで任務の一つは完了したと勘違いするのであろう。返信に返信をして関係を断たないのはラブレターしかないらしい。つまり人情として断ち切ることが不安な場合としてのみ「返信の返信」が繰り返されるらしい。

 当方(請負業)はそうではない。

 今回の出講に関しての「担当者交替」のメールが届いた。交替した担当者にしては初めての発信である。問い合わせの事項も添付されていた。講師の小生は、検討して、電車の時刻を調べてその回答を返信した。回答に納得がいけば任務は解放される。最近の交信は発信に返信して終止符が打たれてしまう。しかし、今回は違った。数行の返信文ではあるが、「返信への返信」が届いたのである。老輩の衰え始めている脳にも喝が入った。

 忘れてはいけない交信マナーは「挨拶をする」ことではないか!

 返信に返信をする深意は心からの「感謝と歓迎」意を伝える挨拶事である。受け取ったサイドだけが分かれば、相手にはそれを伝える必要性を感じないのが現代であるようだ。コミュニケーションの震源地に異変が起きていないか!?便利なコミュニケーションツールとしての機器が、やっぱり機器で終わってしまうのは使用者の人間関係調整能力の欠如としか言えまい!!

 以下に稀有な交信状況を添付する。コミュニケーション能力の育成に関わる親や指導者(震源地)には小生の真意を汲み取っていただきたい。震源地からの揺さぶりが多方面にその波動が及ぶのである。省かれそうなこの指導論・育成論の基礎・基本を蘇らせたいモノである。
 

  ≪発信(依頼)≫
   角田明先生  (前略)・・・・昨年度に引き続いてのご来訪誠にありがとうございます。今回先生とのご連絡・送迎等を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。一点 お知らせください。6/12ご到着の日ですがご利用の新幹線が決まりましたら名古屋駅到着時刻をご連絡ください。前回教頭が迎えに行った際の待合へ参ります。以下に大まかな日程をお示します。ご不明な点等ありましたらご連絡いただけますと助かります。(後略)・・・・・・5/29(水)10:17  

  ≪返信(回答)≫ 5/29 10:49 (名古屋駅到着予定時刻の回答) 

  ≪返信(挨拶)≫
 角田明先生  早速のご返事ありがとうございました。新幹線到着時刻承知いたしました。612日にお会いできるのを楽しみにしております。

(●●中学校 ▽▽▲▲) 5/29 13:22 

2013/05/29

久し振りの「残業」(無報酬)を課せられました!


 昨年大好評だった「きゅうり」の苗が届いたからです。

 同居する長男は障碍者施設に勤務しています。そこで「苗を栽培して」いるのだそうです。昨年は長男が持って帰って来た苗として受け止めただけで植えました。わが身は農業を主とした家で育ったにも関わらず、命令や指図が出れば「仕方なく」言われたとおりの農作業をイヤイヤながら(手抜きをして)任を果たしていた三男坊です。キュウリも茄子も、そしてトマトも西瓜も庭先の畑ではイヤというほど収穫があったようです。野菜自体は嫌いではないのですが農作業は何故か敬遠していました。

 去年、長男が運び込んだキュウリが、アンビリーバボーの大豊作でした。食べ切れずに、嫁いでいる娘にまで送ったという逸話つきのキュウリの苗が届きましたので自主的な残業となりました。残業は「命令簿」がないと報酬は出ません(笑)。

 晩酌が済んだばかりの時間に長男が勤務先から帰宅しました。今年は苗の発育が(霜の影響で)遅いとは長男から聴いていましたが、「届けられた」となれば、全身を心地よく襲っている晩酌の後遺症も何のその!!

 無報酬の「残業」でキュウリの苗を5本植えました。

 大した労働もしない奴に限って「成果を夢見る」!!作業が終わるころは、もう真っ暗闇の庭先でした。野菜や花を植栽(とまではいきませんが)していると、「人育て」に専従したわが身の来し方に少々の反省点も見え隠れして来ました。

 定刻の出発での早朝歩禅でしたが、小雨が降ってきたのでUターンして早めの帰宅になりました。西の方では梅雨入りだそうです。そろそろ、ですね!こちらも。

2013/05/28

電車内だけでなく、歩道でのマナーもこんな状態になってんの?


 スマートフォン、とやらの「生活文化」の流行は我が家にまでは、未だ到達していないようだ。母屋の長男夫婦も通常の携帯電話を使用しているとのこと。小学生の孫たちが運動会の代休で終日を祖父母と過ごしたので話題にスマホ(が略称?)を出してみると驚くほどの情報が飛び込んできた。

 両親はスマホを使用していないが、友人の中には既に買い与えてある者がいるらしく機能もかなり詳しく知っている。「お祖父ちゃんはスマホを買わないの?」と訊いて来た。解答の理由は簡単である。今の携帯で十分用が足りているからである。運動会の私的テントの中でも若い世代の親たちが使用している光景を多く見かけた。時代の急変は老輩人種には、いつの世も「ついていけない」程の速度に感じるのだろうか。

 中学生の頃、テレビのある豪農の縁側には黒山の人だかりが出来ていた。金曜日の午後8時は「プロレス中継」であった。力道山と力士出身のレスラーの人気は異常なモノだった。中継を見終えて帰宅した我が兄弟に向かって祖母が言った言葉が時代の急変に驚いている老輩人種を証明していた。「家で映画を観る時代になったんだね」と。

 こんなネット記事を読むと、現代文明の利器も「我が身を滅ぼす」危機(器)に変身しそうで心配になった。

JR四ツ谷駅で携帯操作中の小5男児が線路に転落

テレビ朝日系(ANN 527()1811分配信
 携帯電話を操作していた小学5年の男の子が、駅のホームから線路に転落しました。
 27日午後420分ごろ、東京・新宿区のJR四ツ谷駅で、小学5年の男の子が中央線の線路に転落しました。男の子は下校中で、携帯電話を操作しながらホームを歩いていたところ、誤って転落したとみられています。警視庁によりますと、男の子が転落した直後に中央線の上り電車が駅に入ってきましたが、男の子は電車とホームの下にある隙間にいて軽傷だということです。このため、中央線は約30分間、運転を見合わせました

2013/05/27

「東神奈川駅」から「有楽町駅」まで、じっと我慢するのは辛い!!



 笑い話にもなりません。

 「仕事帰り」、というほどの仕事をしたわけではありません。たまたま昨日は休日ですので勤め人風の乗客は見えませんでした。桜木町駅発15:18の京浜東北線に乗りました。降車駅の上野駅まで(各駅停車なので)約50分かかります。大した仕事をしていなくても帰路に着いた電車で座れると「どっと疲れが」出るモノです。

 二つ目の駅を電車が出た瞬間にイヤな光景と出くわしました。

 女性の年齢は想像がつきません。少なくも若くはありません(笑)。最近は、しばしば驚くべき態度をとる人物と遭遇します。披露した老脳には、「独り言」を愉しんでいる女性だと思い込んでうとうととしてしまいました。目が覚めても「独り言」は止んでいませんでした。ユニフォーム姿の中学生の集団も、異様な雰囲気に呑みこまれていました。その女性は「携帯を耳にして両手口先を覆って」遠慮がちに通話をしていたのです。

 引率者らしい中年の男性が、何か言いたそうな視線でその女性を後ろ姿で見ていました。中学生が、次の駅で大移動してドアを2つほどの距離に離れました。きっと関わることを避けたのか、その光景にウンザリしたのでしょう。オトナへの不信感が高まったのではないかと案じました。

 睡魔も負けました。

 聴くとは無しに聞こえる内容は、「先生に言いましょうよ。遠慮しないで言いに行きません?」が何度も繰り返されていました。電車が止まる度に「もう、止めるんじゃないか」と期待しつつ、延々と愉しい語らいは続きました。一旦切れた会話が復活です。相手を替えて、また同じフレーズの呼びかけが始まりました。

 全く悪びれた態度が見えないところに唖然としました。その態度が30分間は続いたでしょうか。耳に付く声のお陰で疲れも吹っ飛んでしまいました。威風堂々!!

そんな四字熟語が浮かんできました(笑)。

 ある男性のサラリーマンが車内で携帯電話を掛けている女性に注意をして反対に「人の話を盗み聞きした」と絡まれて、挙句の果てにセクハラと訴えられ、鉄道警察まで連行されたというニュースを聞いたことを思い出しました。その男性が人生の転落まで追い込まれたという後日談は衝撃でした。

 その乗客が降りてホッとしました(笑)。

自問自答して自責の念に駆られた電車の旅でした。乗換駅の上野駅で在来線に乗り換えました。あと1時間半が「無事でありますように」と祈る小市民の老人であることに気付いて苦笑しました。笑い話にもならない「笑い話」でした!!

2013/05/26


聴講生の意識をプラスに揺るがす講義をいたします!(誓)

 

 4年目を迎えた請負事業(=教員採用試験受験者・対象講座)であり、事業の流れには慣れが生まれて異常な緊張感は消えている。しかし、成果はイマイチと自己評価を下すほどである。

 責任者である小生の自己責任意識が軽薄では無かったか!?

 これが今年度の開講式で己に貼りつけたレッテルである。言い訳は止そう。そう思いながら振り返ると、舌の先が乾かない内に言い訳が先走っているのに気付いて苦笑してしまう。

 昨日は、終日(全日程)の運動会の観戦だった。

 我が子の運動会をじっくり観たことのない失格父親には観点が育っていない。見詰めているのはテントの中の本部席の動静だった(笑)。孫たちの必死な形相を目の当たりに見ていると脳裏を掠める反省が山積みになっていた。「後悔は先に立たないんだって」、と友人が真顔で言ったことを思い出して、この歳になってやっと気づいている。

 後悔はしたくない

 今日から請負事業が本格的な始動である。自らの意識を高めると準備にも気合が入る。担当講座は「論文作成」に関する指導である。「作文も書けない受講生」との思い込みは、そのまま指導者である自らに向けてみた。「だから聴講料を払って入講しているんだ!」と、天の声が聞こえて来た。老輩講師の無駄な3年間の中でも、受講生個々の努力で勝ち取った『合格』証が存在することを思い出す。

 懺悔は先にできない

 笑っちゃいそうな2つのオリジナルスローガンを胸に秘めて、本格的な始動に懸かることにしましょう!!昨日見た校舎に提げられていたスローガン(6年生の作品)に刺激を受けた祖父ちゃんの可愛い作品です。

2013/05/25

孫たちの「通学路」が歩禅の定番コースと重複します



 新参者(他県からの転入者)の、我々老夫婦の「散歩コース」が定着するまで2年近くかかってしまいました。方角もズレてしまう感覚では固定するまでに2廻りの季節が必要だったようです。

 気が付いてみれば、小学校に通う孫たちの通学路でした。

 意識した訳でもないのに昨年の6月から「定番」と言えるまでに定着したコースとなりました。往復約50分間・歩数6500歩が固定できました。今日は小学校の運動会ですので、歩禅コースを「歩く」予定にして早朝の実動はありません。

 一昨日の話です。

 老夫婦の勝手なネーミングは「ポピーロード」となっています。写真でご紹介しますが、農家の方が蒔かれているのでしょうか?色とりどりのポピーの花が今や満開です。数えきれないほどの他種の花弁が、眼を癒すだけでなく心も和ませてくれます。思わず夫婦で佇んでいると、自転車で来られた老人が、「この部分が道路拡張になるんですよ。この花は今年が見納めになりますよ」と声を掛けて戴きました。老妻が「えっ、勿体ない!」といつものセリフを吐きました。

 市街地にある病院が、更に大規模な病院となってこの道路の南方先に出来るのだそうです。狭い道路を拡張してJRの駅前からのバス輸送手段に変わるそうです。長閑な田園地帯も、少しずつ変化していくのでしょう。

 よそ者が未練がましいことを発するのも可笑しいですよね。

 少々の衝撃を受けながらも、工事に着手されると交通事情も変わるでしょう。定番コースの変更も考えなくてはならないでしょう。「直ぐに・・」という訳ではないのですが、ちょっと寂しくなります。そんな心境で「我がポピーロード」を紹介します。

2013/05/24

「ぼく達の先生が学校を辞めちゃったよ」の言葉に啞然としてしまった。

 

 孫の言葉に仰天した老妻が「どうして?折角、就職できたのにねぇ~」と、昔流の「勿体ない」意識の質問が老夫に浴びせられた。投げ掛けられた質問に麻痺してしまっているのが老夫である。老夫は10年前に教職を定年退職した身である。その頃から前兆があったことを思い出しながらも、まだ全国の学校訪問で教職とは絶縁はしていない。従って、新採用教員が短期間の勤務で離職している現状は、どこにでも発生していることを承知していたのである。

 余りにも身近過ぎるところで話題が勃発すると、同種であっても動揺する心は異なるようである。孫の学校の、しかも孫の担任の「初任・教員」が2か月足らずの生活にもならない短期間で辞めてしまったという報告を聴けば穏やかではない。当事者の苦悩や哀しさは知る由もないが現状を考えれば居たたまれない。

 我が子(孫の父親)が小学校1年生の学級でも担任が3~4名交替したことがあった。発端は担任女教師の産休だった。代替者が事故に遭った。更に交替した教員が病気になって・・・・、と朧気な記憶を息子も懐かしく語ることがある。今回とは異質の発端である。

 一般社会(企業や会社)でも起きている現象ではないだろうか。

決して1つの業種だけに起きる珍現象ではないと確信している。社会現象として考えれば、『職に就く』というオトナ(=社会人)を証明する意識が欠乏しているのではないだろうか。「働かざる者 喰うべからず」は子ども心にも染み付いている程までに耳に付いていて「働きに出る」意識を自然に創り上げられていた。現代社会の病理現象の幾つかが老脳を掠める。

 せめて、教育業界でのこの現象は避けたい。

なぜならば、「人としての心を育む」職業であるからだ。明後日は運動会の様である。子ども達の弾けるばかりの生命力の躍動に接すれば気持ちの揺り戻しだって起きただろうに・・・。決して順風満帆にして教員界の海原を渡って来た先輩教員ばかりではないことも、勤めていなければ気付かない。周囲の同僚にも衝撃は大きい。子ども達は分かっていないようでも小さな傷を負っている。

老輩教員の心は痛むばかりである。

2013/05/23

「不特定多数の聴講者」を相手に授業をするための重圧は凄い!!

 

 それでも、その刺激を求めて準備をする喜びは、また堪えられない。

 退職して10年目を迎えて過ごしている。自ら考えた退職後のステージの有限年度に入ってしまった。幸いにも、体力と気力はまだ衰えてはいないが、老脳の衰えは認めざるを得ない。

 老脳の退化が加速しないためには自己流の阻止手法がある。それは自らの努力では出来得ない。他者からの無理難題を受け止める事である。有難いことに、この点でも容赦ない(笑)要求が、昨日も2つのメールで飛び込んできた。今秋の出向先からである。日程は既に先方と約束が済んでいるが、内容についての相談(主催者の意図・デザイン)が以下の通りだった。(1つは市立公民館、もう1つは市立小学校からである。)
 

(1)内容:(※角田先生とご相談の上、決定)

内容についてですが。 子どもたちが高校選択、大学選択、末は人生の選択においてどうしたらよいか保護者に尋ねるだけでなく頼りにしてくる、そんな話を聞き、自分の頭で考える、判断する、自立・自律する、そして自分の考えを書ける(言える)、そういう子どもにするための教えを賜りたく存じました。子どもたちが力強く生きていく力を育てるためには、家庭での細やかな教育が必要なのではないか、と思っております。保護者だけでなく、私たち大人がしていかなくてはいけないこと、そのようなことを 主テーマに掲げてお願いいたします。

副題としては、親からみえない学校を中心とした子どもの世界、年齢ごとに変わってゆく心の変化、環境の変化はどのようなものであるか、今彼らに起こっていること、近い未来に迎えることについても保護者に向けてお話しいただけたら大変参考になると思います。ぜひとも生きた教育を受け、子どもと共に生きてゆけたらと思います。多岐にわたる依頼内容となり大変恐縮ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

(2)講演の件ですが、授業参観は5校時(道徳14:0514:50)です。

 その後、講演会会場に移動していただき、体育館で保護者、地域の方、5・6年児童(5年79名、6年86名)への講演をお願いしたいと考えています。時間は、15:0015:30講演会(授業形式?)の後、感想や意見交流をする時間を10分程度持てればと思います。終了は、15:40を予定しています。保護者は、PTA講演会を兼ねています。(例年、60名程度の保護者が参加されています。)地域の方は、数名になると思います。

 以上のように考えていますが、テーマは「命の大切さ、思いやり」の心をはぐくむということで実施したいと思います。
 

 我が老脳が、このご要望にどのような対応を考え得るのか?

 我ながら(他人事のように)わくわく・どきどきする時間である。古希を前にする元・教員が不特定多数を相手と言えども、『授業をする』のである。みっともないことは出来まい(笑)。このプレッシャーが、老脳鍛錬の為に自らが課しているモノである。いつかは衰え、朽ちて行く老体であることは自意識も過剰である。しかし、現職の教員時代に、多くの卒業生達に偉そうに語った人生哲学が案外嘘ではなかったことを証明したいモノである。いつか、当ブログでご報告したいと考えている。乞・ご期待!!
 

 今日も5時から早朝歩禅に出掛けます。

2013/05/22

私の継続力は、「三日坊主」の繰り返しから生まれた!?



 小学校5年生の時、祖母が亡くなった。

 女系家族(祖父なし・父なし)の男役を演じきって逝った祖母の存在価値を祖母の享年に近くなって(=正式には後9年)、しみじみと謝恩の心境になることがある。1つの記憶が蘇る。

 ある日、担任の先生に「明くんは、頭が良いけど三日坊主だから・・・」と指導された。帰宅してから庭先の畑作業をしていた祖母に話した。何気なく返してくれた言葉が、その後の明少年に大きな着想力を与えてくれたことになった。

 「三日坊主ば(を)、何回でん(でも)、続くるたい(続ければ)?!」
  (=熊本地方・放言 三日坊主を何回でも続けてみれば?!)

 『三日坊主』という言語が占める精神的窮屈度は、どんな人でもイヤな思いに追い込まれる程高いモノではないだろうか。祖母は、何気ない表現で孫息子に、自らの言葉で通訳したのである。

 担任の先生の指導は、「漢字・100字練習帳」を毎日課されていた。傲慢且つ不条理な課題ではないか!しかし、幼心には「続けられない自らの不甲斐なさ」への反省だけで落ち込んでいたのである。祖母の着想を聴いた5年生の少年の心は晴れたのである。その後も、3~5日は続けるが、一旦途切れてしまう。しかし、少年は落ち込むどころか、「次は6日続けられるかな?」との発想で自らを鼓舞したのである。

 結局、祖母の深意のように「三日坊主」で途切れながらでも、継続する魂だけはこの歳になっても変わっていない。三日坊主の自らを責めることも全く無い。同じことを一生かけて「継続する」ことなど不可能ではないか。途切れても、途切れても、落ち込むことも無くまた「次の継続へ」と心を入れ替える。

 この歩禅記も、初期のHP管理人に勧められて以来、途切れながらもそろそろ10年間書き続けていることになる。肝腎な『歩禅(=健康管理のための散歩)』が土台にある。その肝腎な歩禅が継続できない日も多い(笑)。それでも歩禅記を書き続けることに負担も抵抗も無い。途切れたら「ごめんなさい!」で済ませる。

 4日間サボった(笑)、早朝歩禅。今日はこれから出発!!
 
※そして、50分後(05:50)にはほんのりと汗をかいて帰宅です。ポピーの群生が成長していました。数多い色とりどりの美しさも満喫できました。


2013/05/21

『1日40分 動けば お達者に』なれる、ってホント??

 

 我々、老夫婦は「50分間・6500歩」の日課を組んでいます。
 
 
   時期によって時間帯は変動しますが、この時期になると「早朝(5時)」をその時間として考えています。3~4年ぐらい前までは、「何としても1日1万歩」を意識の中に入れて、歩数計を身に付けて、時としては1万歩の数字だけに固執したモノでした。転居して地理的な不案内も消え立地条件を活かすべく固定したコースとその時間との関連で模索した結果、定番コースがほぼ完成しました。

 一昨日の朝刊でこんな記事を読みながら苦笑してしまいました。

 固まりそうな「定番コース」は50分間の歩禅になります。何とタイムリーな激励でしょうか!(笑)ただ「歩く」のも、継続には多くの条件が伴うようです。我々は、原則として(=正式な話し合いなどはありません)夫婦で歩くことにしています。老妻の健康状態に因っては「独り歩禅」になってしまいますが、通常は二人で他愛のない世間話しで実行しています。

散歩人と挨拶を交わしながら3年にもなると常連の人たちとも立ち話まで出来るようになるものです。ともあれ、このコースを「歩く」ことで、『お達者』に成れるのであれば願ったり叶ったりですよね。

 最近は歩数計の増減に一喜一憂(笑)することも無くなっていましたので、実にこの新聞記事には勇気づけられました(?)。

2013/05/20

どんなふうにして「自転車乗り」を覚えたんでしょうか、ね?

 数日前から5歳の末孫が「自転車に乗れるようになりたい」の自己願望に挑戦が始まったようです。補助車輪を父親に外して貰って、目の前で懸命の自転車乗りの稽古に励んでいるのです。お父さんとお母さんが懸命に教えていますが、なかなか上手に乗れない様を祖父ちゃんの眼が追っていました。

 そして、こんな本との偶然の出会いです。18日の浜松出向の折りに購入しました。ホンの一部分を以下に紹介します。 


忘却は内助の功

●失敗の経験

 学校が教えてくれないことで覚えることは少なくないが、もっとも目立つのは自転車に乗れるようになることだろう。

 はじめはだれだってまったく乗れない。どうして乗れるようになるのか、教えるものもわかってはいない。ただ、転んだり、倒れたりしているうちに、いつとはなしに乗りこなせるようになる。そういう経験のある大人が“先生”になってこどもに教える。

 こどもにとって、親はやっぱりえらいのだと思うのは、こういう技を教えてもらうときである。そして言われるようにしていれば、かならずうまくいくようになるというのは、学習の原理にふれる啓示のようなものである。たかが自転車乗り、とは言っていられない。文化の伝承なのである。

 水泳なども、親に教わる方がよい。専門家のような指導はできないが、そこがかえって親子の絆を強めるよすがになる。はじめて泳げるようになったときのこどもの顔は美しい。教え、教えられるというのはもっとも親密なコミュニケーションである。親はそれを他人に譲ってはいけない。

 そうは言っても、はじめてこどもに自転車の乗り方を教えるのはりっぱな教育であるから、当然、ノウハウが必要である。自分が乗れるようになったときを思い出しても、役に立たない。役に立たないわけである。肝心なところは、スッポリ忘れていて、いつの問にか乗れるようになっていたからである。

 このスッポリ忘れる、というところに、忘却の出番がある。

 ペダルに足をのせて、体重をかけると、たいてい横転する。もう一度繰り返す。

やはりひっくりかえるけれども、はじめてのときより転び方、がすこしばかりうまくなっている。

 三度目を試みると、さらに転び方が小さく、おだやかになる。子どもの器用さにもよるが、十遍くらい試みていると、ペダルに足を乗せ、それに体重をかけても、すぐ倒れることはなくなる。

 どうして、進歩するのか。頭はうまくいったところだけ記憶して、失敗やうまくいかなかったことは忘れてしまう。     『忘却の整理学』(外山滋比古 著)

2013/05/19

31回もの「浜松・通勤」が終幕しました。



 
有難うございました。

代表の鶴見敏明氏、世話役の幸村志保子氏の「陰に日向に」地味な努力を戴いて、13年間・31回も浜松市に出講することが出来ました。単なる小学校の校長職経験者の小生に長期に渡って登壇する気力を燃えさせていただいた関係者各位に心から感謝しています。

詳細については13年間の経緯を、錆びついた老脳で整理して、

新ブログ(教員対象)『寸心紀行』(http://sunshinki.exblog.jp/にてアップいたします。覗いてみて下さい。予告としては「土・日曜日の登載」をお知らせをしておきましょうかね。

今回は、『最終回』の文字を案内版に刻みましたので、数通のメールで「その日に出席できない」等のメールも届きました。これからも何十回となく、浜松駅を通過することは間違いありません。鶴見氏や幸村氏のご挨拶にもありましたが、「途中下車をしていただきます」とのご意向は決して軽視するモノではありません。遠慮なくお声掛け戴くことを心待ちしています。

2013/05/17

「餅は餅屋」という表現を痛感する日々です。



 我が家の周りは、北も東も、そして西も「栗畑」です。

 新緑のとてもきれいな景色を肴にして晩酌をしているという至福者です。昨年の今頃、孫の結婚式に参列するために上京した従兄夫婦が足を延ばして当地まで来てくれました。両親(従兄から見れば「叔父夫妻」)の墓参に立ち寄ったのです。そして、夕食を伴にしました。日没時刻が遅くなったので明かりを点けずにテーブルに着きました。1メートル先は新緑の栗林です。幻想的な風景です。

 九州山地の麓に住んでいる従姉夫婦が異口同音に「緑がきれいだ」と発するのです。3・11震災の1か月後に転居した私たちには未だ緑を愛でるゆとりも無かったようでした。空気の美味しさに命が洗われる日々です。

 周囲には農家が点在しています。

 一輪車で白菜が届きます。まだ、ご挨拶も交わしたことも無い農家の方が「食べてくれ」と置いて行かれるのです。新鮮な野菜の美味なことを実感する日々が続いています、今も。

 トマトの苗を「猫の額」(我が家の庭のニックネーム)に5本植えました。栗畑の向こうで農業を営む(=退職後「農園」を開業)ご主人が歩を進めて来られました。①爺婆だけで食べるのに5本の苗は多過ぎる、②苗と苗の間隔が狭すぎる、③苗は1本買って(貰って)、新芽を摘んで水栽培をして移し替えれば金は掛からない、等々ご忠告が矢継ぎ早に襲い掛かって来ました。

 感謝です。

そこで、ご指導の下で写真のような「トマトの苗」を栽培することに挑戦しました。収穫できても読者の皆さんへのお裾分けはできませんので、悪しからず…(笑)。

2013/05/16

『母親はもったいないがだましよい』と江戸川柳が詠んでいる

 

 物書きが本職ではないので、何かを主題にして書いて話題提供は無理です。

 それでも、「お母さん」「おふくろ」という単語を並べて書くと、全国からの反応が「判で押した」ように手元に届きます。「お父さん」「おやじ」を題材にした時の反響は比になりません。

 そりゃぁ、そうですよ。10月(とつき)10日(とうか)の長時間を一心同体の生活をしている仲ですモンね。親父なんて、そんな母体の苦痛や苦難を(知ったフリだけで)何もわかってないんですからね。

 こんな独り言は、「おふくろ」には決して勝てない「おやじ」の立場の弁明です。下記のような記事が目に留まりました。先日のブログ(新聞記事)に登載した詐欺の名称の件に関する新聞のコラムです。上手く書かれるモノですね。
 

天 声 人 語  2013514 

交通事故に遭って顔中を包帯で巻いた「息子」を、母親は5ヵ月も看病した。それが、包帯を取ると赤の他人だった。「お前息子じゃなかったの」という記事が40年前の本紙に載っている

▼ニセ者は音信不通だった息子の免許証を持っていて、病室で「母ちゃん」と呼んで甘えたそうだ。母親は「やっと会えたという気持ちでいっぱいで、まさか他人とは思わなかった」と警察に話した、と記事は伝えている

▼〈母親はもったいないがだましよい〉と江戸川柳にある。お金の無心、放蕩の言い訳-。もっともこれは本当の息子の不心得で、ひとさまの母堂をペテンにかけるのとは違う。昨今の「振り込め詐欺」は、どこかしんみりさせられる40年前の奇談よりずっと悪質で、救いがない

▼そんな犯罪を「母さん助けて詐欺」とは優しすぎる気もするが、関心を高める効果に期待したい。多様化するばかりの手口に「振り込め」では追いつかないと、警視庁が公募して選び、母の日に発表した

▼被害額は全国で1日あたり4千万円を超える。詐欺集団は手を替え品を替え、何枚もある舌の先を研いで、もったいない親心を食い物にする。だます手合いにも、母親はあろうものを

▼〈母という字を書いてごらんなさい やさしいように見えて むづかしい字です 恰好のとれない字です やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり 泣きくづれたり……〉サトウハチロー。詐欺師たちよ、まっさらな紙に、母という字を書いてみるがいい。

2013/05/15

北関東の朝と昼間の気温差に老体の自律神経がピリピリです!



 今朝も5時に家を出て50分間6500歩の早朝歩禅から帰って来ました。散歩人仲間も増えました。お名前などわかりませんが、すれ違いながらお互いに挨拶を交わします。「今朝は、また冷えましたね」が今朝の挨拶代わりになりました。

 昨日は、下着を夏物に替えました。

 すっぽり全身の保温を助けてくれた冬用のシャツを半そでに替えました。外は夏の陽射しでしたので、身も心も軽くなって夏対応の準備が整いました。そして、今朝、いつものように家を出た瞬間、「寒くないですか?」と老妻に声を掛けられて、「うん、ちょっと肌寒いね」と応えたほどでした。

 いつものコースをいつものように周回して帰宅します。

 道路わきに群生でもしたかのようにきれいな花が咲き始めました。農家の方が種を蒔かれたのでしょう。花の名称もわからないのですが、ご存知の方は教えてください。とても心が和むような道端の花たちに感謝しながら帰って来ました。

2013/05/14

『歌は世につれ、世は歌につれ』って言うんでしたね?

 

歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響されることをこんな風に表現するのだそうです。

「オレオレ詐欺」で馴染んでしまった(?)名称が、手口の変化で「振り込め詐欺」に改称された経緯を新聞記事を読んで改めて知りました。自身が被害を受けて居ないのでこんな能天気な着想なのでしょうか?被害を受けたくて受けている方はないでしょう。切羽詰まった親心の為せる行為を逆手にとって繰り返し、すっかり耳馴染になってしまうような詐欺行為に走るサイドの心理が読めません。

2003年に急増したという事はそれ以前にも発生していたことがわかります。

急増現象も、「世につれ・・・」となれば世の中の流れにそんな行為が罷り通れる隙が出来ていたことになりますね。我が子の声も、暫く聞かないと耳慣れなくなっても疑うことをしないのが親心と言うものでしょう。世の中がどんなに変わっても「親が子を思う」心情には変化は無い筈です。「世につれて」親心が変わるとは考えられないからです。

時代の変遷は流行する歌に現れると言われるので、「流行歌」と称されたことに合点がいきます。もっと驚いているのは「流行についていけなくなる」気分が、この新聞記事を読んで感じたことでした。

詐欺行為のネーミングまでが『警視庁の公募』で決まるという手法に至っていることも「世につれ・・・」だと実感するばかりです。

2013/05/13

請負業務の1つの本務がこの坂を登ってから始まりました。

 


 この風景は往く時には立ち止まって振り返らないと見えません。

業務を終えてJR桜木町駅に向かう時には「ご苦労様」と言ってくれるかのようにランドマークタワーが大きく目に入ります。爽やかな疲労感だけで受け止められる日ばかりではありません。

昨日は4年目の開講式でした。

今年も教員採用試験に挑む受講生が集いました。今年は46名もの参加者でいつもの講義室がはち切れんばかりになりました。事前に申込者一覧を名簿で受け取った時は29名でしたが、当日の会場に赴いて驚きました。

いずれにしても、厳しい採用試験を突破して目標の「正規教員」として教壇に立てる人材が1名でも多く送り出せるように担当講師としての責任重大です。

指導講座を終えて、この景色に向かった時、一回でも多く全力投球の応えが出来るようにしたいモノです。今年も素晴らしい講師陣が加入してくれ、力強い協力者になって貰えそうです。自らの研鑽を怠らないように意識して、いざ出陣です。

2013/05/12

生きていれば96歳の『母を思い』懺悔をする朝を迎えました!


 

 小生は、昭和19(1944)年10月20日に第六子として誕生。母はまだ28歳だった。

 生きていれば100歳直前に至る。77歳でこの世を去った。日没の遅い九州の夕暮れ、自転車で買い物に行った帰りに目の前に飛び出した犬を避けるために転倒したそうだ。頭部を強打したらしく、運び込まれた病院から義姉(長兄の嫁)が電話をくれた。こん睡状態である事を聴き、横浜に住んでいる実姉と連絡し合って、それぞれのリズムで翌朝羽田空港へと急いだ。

 自宅に運ばれていた遺体はまだ温もりがあった。

 同じ位置に長兄(52歳で他界)の遺体があったことを思い出した。兄の亡骸に向かって「母親らしい」言葉を投げ掛けた。我が息子が親より早く逝くことへの悔しさの表れだった。

 「親不孝ってな、一番酷いモノが親より先に死ぬことバイ。この親不孝モンが!」と声を絞った母の言葉は今でも鮮明に心に刻んでいる。

 18歳で嫁いできた母は10歳の長兄を頭に6人の子どもを産んだ。昭和20(1945)年4月21日に、出征していた夫(小生の実父)が沖縄で戦死したと言う公報が届いたそうだ。遺骨も無いままに墓標に名を刻んだ、と聴いた。父親のいない我が家の「怖い存在」として君臨していた祖母(父親の母)は小生が5年生の時他界した。その祖母が、良く口にした言葉がある。「あんたらの父ちゃんは、赤紙一枚で呼び出され、白紙一枚で帰って来たと」と。高校を卒業して上京する頃、祖母のその言葉の真意まで理解できた。祖母も息子に先立たれたのである。戦争とは惨いことをするものだと胸が痛み続けた青春時代だった。

 28歳で未亡人になってしまい、6人の子どもを独りで育ててくれた母親の苦労がこんな歳にならないとわからない。親孝行したい時には親は無し、とは巧く表現したモノである。中学から高校、そして大学進学まで母親への抵抗と反抗的言動は、いまとなれば懺悔してもし足りない。可愛くない三男坊として、母親には子どもの中で最も苦労をさせてしまったことは事実である。

 母の日。

それは小生にとっては、親不孝の懺悔をする日である。



2013/05/11

『口座振替』の申請をしながら、今、気付いて苦笑する老人


 
 

 5月3日の当ブログに話題にした「納税」の事務処理について恥ずかしい思いをしてしまいました。郵便局が近いので殆どの雑務が完了します。徒歩10分の距離にある事は有難いことです。

 昨日の事でした。

 当方は茅ヶ崎市在住の折りに購入した軽自動車を当地でも使用しています。軽自動車税の通知書を見た老妻が、「口座振替」にしておいた方が便利ではないかと、郵便局に支払いに出掛ける老夫に声を掛けました。面倒なことは一切ありません。適度な運動のためにもなるので億劫でもありません。しかし、どうしたことか!?「そうだね」と合点して郵便局へ向かってしまいました(笑)。

 窓口「振込先が県外ですので、申請書を取り寄せて下さい」

 当方「もう2年前から、ここに住んでいて払い込みもここで済ませていますが」

 窓口「自動車税の請求先の市役所に電話で要求してください」

  当方の老脳がパニックになりました。現金での納税はどこの郵便局から出来ても口座振替に切り替えると、手続きが必要だと納得しました。そして、窓口では来年度からの手続きを済ませることを勧められました。確かに、茅ヶ崎市より自動車税納税の通知書は発行されていました。今年度の支払いを終えましたが、古稀近い人生を歩きながら納税に関する基本的事項に無関心だった己を恥ずかしくもあり照れ臭くもなりました。

 帰宅して老妻に事情を話しました。

「誰かに責められた訳でもないのに」と、苦笑する能天気な老夫婦です(笑)。

2013/05/10

『モノとコト』と『カネ』の関連性、そのヒートアップに苦慮している


 
 

 もうすぐ「母の日」がやって来るらしい。

 この日だけ「母への感謝」を示せば義理が果たせる??そんな行為がいつの間にか慣例化して常識化してしまう勢いである。滅多に目を通さない新聞の折り込み広告の直訴状態に異常性を感じてしまう。

 全ての「●●の日」の起源にも興味は無い。

「母の日」なる特定の日を活用しているのは経済市場原理を有効活用すべき関係者(業者)だけであることを、もうそろそろ真剣に考えた方が良いのではないか。

 感謝の気持ちを「モノ」に託して伝える?愛情の表現を「コト(=旅行やイベント参加)」に託して意識させる?「子どもの日」に、何もしない親が愛情の無い親として子どもに評価されるとは哀し過ぎる世の中ではないか。

 母の日にはカーネーションが売れるそうだ。

 起源が常識となりカーネーションを添えないと感謝の気持ちが通じない関係にはホンモノの謝意など無いと判断しても差し支えない。モノにもカネが掛かり、コトを達成するにもカネが必要となる。厳しい社会で生きている親や大人は「虚礼廃止」という時代を生きて来ているのではないか。

 親子でモノ・コト・カネの柵に振り回されるのは止めたい。

 歩きながら老妻との対話が、「肩たたき券」を発行した娘たちの幼い頃の行為が話題になった。その子たちも親になった。我が子にカーネーションの花を要求しているのだろうか(笑)。

 こんな本が書棚にある。

著名な人たちだけに「母がいる」訳ではない。また、母親が立派だったから素晴らしい子供が生まれたわけでもなければ育ったわけでもない。しかし、「おかあさん、ありがとう」の謝意は男性には想像すらつかない『お産』と言う命がけの行為がわかる年齢になれば、親の事を思い出して語ることぐらいは出来るだろう。そんな日が、いつも「母の日」となるのだと念じたい。

2013/05/09

「田んぼ」の周囲の様変わりに季節の移ろいを感じた朝です!



 今朝も「冷え込み」を感じながら定番コースを歩いて来ました。写真は、3時間遅れで出発した昨朝の風景です。太陽の位置が通常とは比較にならない程高くなっていました。田んぼには、農家の人たちの姿もちらほら見えました。3時間の時間差で、「見える」風景がこんなにも違って来るんですね。
 田植えの準備が整った田んぼの周囲が、「田植え歓迎」を伝えるかのように幅の広い畦道と路肩の余地に育てられた花ショウブが鮮やかな色で顕在しています。シラサギも餌を探しているようですが、整地された田んぼには期待を満足させてもらえ無さそうでした。
 隣の田んぼでは数羽の鴨の群れも泳いでいました。

 確かに季節は動いているようです。

2013/05/08

「見てはならないもの」「見たくないもの」を見てしまったら?


 

 昨日はほぼ終日の日程で「恒例の鍼診療日」でした。

 「孫守り」との日程調整で思うような日程が組めない場合もありますが、診療師のお気遣いに甘えつつ1と月2回の診療を確保しています。孫たちが通う小学校の「家庭訪問週間」と重複してしまい頓挫してしまいましたので、久しぶりの老夫婦の診療の旅でした。

 車社会の現状でも、更に若者たちの車離れ(=公共交通機関の利用)の情報を得たこともあり社会は常に「変動制」であることを強く意識したばかりです。

 JR八王子駅で、中央線の『特快』電車に乗りました。

 日によって車内の混雑状況は異なりますが、老夫婦の診療後の時刻では未だ混雑と言う表現が不似合いの状況です。しかし、少し離れた位置に老夫婦の席となりました。ヒンヤリとする車内温度でした。老妻のバッグに入れある上着を受け取りたく未だ動かないのを利用して立ち上がって移動しました。老妻の隣の席に座っておられた若い女性が、スーッと立ち上がり「ここにお掛けください」と、小生のリュックの置いてある席に移動してくれました。

 中央線ではこんな厚意に接することが多いのを老夫婦は知っています。席を譲られて、思わずわが身の加齢に烙印を押されたかのようなダメージを受けた体験も数年前ぐらいから違和感として受け止めることも無くなりました(笑)。

 立川駅で下車する若い女性に、小生は帽子を取ってお辞儀をしました。笑顔で降車する、わが娘よりお若い女性の行為に昨日も感激しました。

 ところが、上野駅発の常磐線が発車した車中で、中央線で戴いた厚意が帳消しになってしまうような光景を目の当たりにして見てしまいました。主役たちは男子高校生でした。最近では珍しくなった愚行です。

 常磐線では珍しく車内が混んで来ました。

松戸駅辺りから始まった高校生の愚行は、取手駅までの30分近くの車中での携帯電話での音声交信でした。連れの高校生たちは途中駅・我孫子駅で下車しましたが当人は下車しませんでした。都内の高校生であることは分かっていました。現状の車内では「無言での交信(メールでの送受信)」が主流であり、他人に迷惑を掛けなければ不愉快な感情などには追い込まれなくなっています。

 混んでいるので一部始終が手に取るようにわかる行為ではありませんが、不愉快な形相に変わる乗客も多くなったことは確かでした。

 突如、男声の一括する言葉が耳に届きました。恐らく隣席から注意があったのでしょうか。正しいモノが正しいとして通用しない世の中の縮図を見た思いでした。大声(とも思えない)のどう喝の瞬間、車内がシ~ンとしまい息を殺すような光景に『現代社会』を垣間見た気持ちでした。注意したオトナを殴り返して大事件になった情報を知らない人はいません。張りつめた車内も乗降客の激しさで次の駅でまた乗客の新陳代謝です。何事も無かったかのように降車して行った高校生を動き出した車窓から確認する乗客のひそひそ話声が耳に届きました。
 世代の違いの問題ではありません。「育っていない」格差が証明されました。老輩としての細やかな期待は「負の再生産」が無いことを祈るばかりです。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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