10月28日(水) 晴(6:00)
昨日は久し振りの「万歩」。
意識をしないと直ぐに緩むのは人間の本性でしょうね。いや、失言!それは小生だけのことでした。歩数計を装着した生活を意識したのは「体重を減らす」という、いわゆる生活習慣病への対応策の一つだったのです。高血圧症対策の基本は肥満である、と人間ドックの担当医の直言だった。それは、今を遡ること15年前の話。これなら「自意識」の維持力があれば出来る、とばかりに踏み切ったのです。しかし、一日に一万歩を歩き続けることは至難の業でした。現役時代のことですから、目の前の「しごと」を優先する余りにかえって負担となり、それが「出来ない自分」を責めるストレスに繋がっていってしまいました。効果らしきモノが見え始めたのは、やっぱり現職を辞してからだったようです。
生活習慣。これを大転換させることは現職時代にはかなり厳しいことでしたね、小生にとりましては。そこで、自由裁量できる「朝の時間」に目を付けました。早朝起床に切り替えて20年間が過ぎました。夏の早朝散歩は快適です。茅ヶ崎は自転車が氾濫するほどの平坦地ですから歩くのも楽です。さらに、北には大山・丹沢の嶺々、西には箱根の連山が見え、秀麗・富士山が聳える「コース」は絶景です。
習慣は「独りで」完成できるモノではないことをこの散歩一つとって考えても実証できました。三人の子供達も巣立って行った時点での老夫妻にとっては格好のリズム変更機となりました。家の中では途切れ途切れの夫婦の対話も、郊外に出て四季の変化に触れると話題が彷彿としてくること請け合い(笑)です。
参考までに、昨日の万歩は大都会「ヨコハマ」のビル街でした。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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