2010/03/31

研修会に「参加」して・・・


  ~何事も「視点」を明確にして~
 久し振りの「アットホーム的」校内研修会。
 お仕着せでない校内研修会の証は「3月30日に実施する」という点に尽きる。暦では明日で学校教育の年度が終了するという日。つまり学校現場における「師走」である。そんな時期に校内研修会が出来るのか?常識的な判断を待たずとも答えは「ノー」に決まっているではないか。
 学校長からの訪問要請も無いのになぜ小生がこの研修会に参加できたのは奇遇?
 写真は講師の菅原眞弓先生(東京都立川市立第七小学校・教諭)。
 講師もバリバリの現職教員であるから不思議に思える。講師も多忙な時期に間違いない。それでも立川市から、会場校・茅ヶ崎市立香川小学校まで電車で出講しているではないか。こうして表面だけを観ていけば、研修会は「無謀な設定」になってしまうのではないだろうか。
 「視点や観点を変える」。
 これは、訪問した学校で小生が「研究会で指摘する」発想の転換に関する重要なポイントである。旧態依然として実施されている「校内(授業)研究会」に招かれることが多い。それは「やらされている」という義務感が前面に出ている場合が多い。どんな事業も「日進月歩」しなければ向上はない。「昨年度に準じて」行う事業は、実施する前から既に「死に体」ではないか。どんな素晴らしい高額の講師が招かれても「死に金」を払っているに過ぎない。「現場が生きる」ための研修会はどうすれば出来るのか?視点・観点を変えることしか方法知はない。この方法知は経営者の工夫からしか生まれない。経営者しか「現状力」は知り得ないからである。現有勢力に自信のない経営者は工夫という企業努力を果たしていない。つまり現場にある素晴らしい「長所」を観ずして「短所」だけを追いかけ勝手に悩んでしまうのである。
 現役教員を講師として「同僚から学ぶ」(=学者は「同僚性の構築」と称す)工夫を施した今回の研修会に「参加」して、遅まきながら(退職した人間には不似合い!?)「視点・観点を変えた」研修会を目の当たりに見ることが出来たのは幸せなことであった。
 研修会設定に「視点・観点を変える」視点があったことの賞賛はこの程度にしておこう。
 講義の内容がタイムリーだった。、受講者の思考回路に「目から鱗」状態を呼び込んだことだろう。小生は会場の最前列に座ったので後部の先生達の「表情」を見ることは出来なかった。しかし、講師の声に「う~・・・ん」「あぁ~・・・」という「言葉にならない言葉」が音として背中から十分に聞き取れたからである。
 圧巻は「これからの時代に求められる授業」(写真上段)である。「特別支援教育の視点」から、通常級における「教科指導の専門性」と「学級経営」への言及であった。配布された「教科と特別支援教育を融合」という新聞記事(日本教育新聞3月8日号)は教員の事後学習にも大いに役立つ資料として価値があると思われる。
 授業づくりを「特別支援教育の視点」から考え直すという発想は急務を要する。この機会で得た大きな視点・観点で授業作りに一歩踏み出せば大きな成果が得られること請け合いである。
 時は、小学校にも「英語」という指導領域が開始されることとなっている。指導者たる小学校教員が自身の「英語学習の苦渋」をふり返りながら「視点・観点」を変えて授業づくりに精進されることを期待したい。そんな熱い思いと、手作りの素敵な校内研修会に参加できた数時間は「至福の時間」であった。好機に遭遇したことを心から関係者にお礼を申し上げたい。
 このブログは教員の読者ばかりではないので敢えてお断りしなければならない。「授業」というフレーズは、一般社会では「製造・制作工程」あるいは営業」と置き換えられる部分は置き換えて判読していただきたい。
 

2010/03/30

新・歩禅記(18)



  ~冬空の中の「富士山」~
 すれ違う散歩人も少ないのですが、目を合わせる度に「いつまでも寒いね~」との声を発し合うほどの冷え込み。空は確かな冬空。中央高速に繋がる茅ヶ崎西久保インターチェンジの工事現場から見える富士山(下段)。茅ヶ崎民話の「かっぱどっくり」の主人公の名に因んだ「ごろべえ橋」の上を吹き抜ける風は今朝は格段の冷たさでした。
 読者の皆さんに見届けていただきたいのが写真の上の2枚。
 中段の山々は大山・丹沢山塊の今朝の風景です。積雪の風景はここ湘南からはそんなに見えるモノではありません。上段の写真では富士山の左側の山々にご注目下さい。箱根の連山です。この景色は今まで殆ど見たことがありません。昨日は静岡県東部には大雪注意報が出ていたのですから箱根方面の大雪も納得が出来そうです。
 「寒いね、どうしますか?」の妻の声掛けが発憤材料となって歩禅に出発したのがこの景色と出会うことになりました。飛び出して出会したのが右の写真です。つまり「霜柱」に歓迎されました。妻も小生も南国育ちですから、上京した折「霜柱」との遭遇には同じようなカルチャーショックがありました。地上何㌢も高く伸びている物体を最初は霜柱とは分からなかったほどです。今朝の歩禅でもこの話題で盛り上がってしまうほど何度観ても興奮してしまうのです。
 今日は10時には市内の小学校を訪問する予定になっていました。 歩禅から元気を貰って帰宅して、準備を済ませて出掛けることが出来ました。















2010/03/29

「10日も前」のお話し・・・。


  ~「成長し続ける若者たち」と会えて~
 我が子の成長時期ほど 親の心の葛藤はメジャーなどでは測れない。
 価値観のズレは「育った時代」の差以上に感じる。こんな筈じゃなかったと親としての不甲斐なさに押し潰されそうである。何もかも投げ出したくなってしまう。誰かの所為にしたくなる。こんな世の中に誰がしたのかと厭世観で塗りつぶしてもらいたくもなる。
 10日ほど前に出会った二人の青年(写真)。
 この4月から立派な社会人を目指して、自ら決めた進路に従って専門学校生活を始めると言う。小生が主任講師として担当した年間6回・連続講座「親学講座」(中学校保護者会主催)の最終回の基調提案者として登壇してくれたのが初めての出会いである。一人は警察官、一人は(障害者)福祉士を目指すまでの経緯を語ってくれた。そこには保護者からの「だめ・いけません」の禁止用語は無かったと言うではないか。好意的にアドバイスをしながら遠くから見守ってくれた両親に感謝しているとまとめてくれた。参加者の席から羨望とも思えるような大きな溜息混じりの「音」が聞こえた。
 数年後には彼らはそれぞれの道を確かな足取りで進んでいることだろう。
 禁止をすることは意外と簡単なことである。「こうあるべきだ・こうしなければならない」というお仕着せの 注文をぶつけることは容易なことである。そして「あるべき」行為をしなければ非難すれば良い。大人社会が、常にこの線上で子育てを満喫して来たとすれば「成長し続ける青年」は存在しないかも知れない。「規則だから守れ」のごり押しでは反発心や反抗心は生じても「規則の存在価値」は全く理解されないままに成長期を過ごして行ってしまいそうで怖い。
 10日ぶりに親学講座・担当責任者の自宅訪問を受けた。講師の小生への「寄せ書き」と「スナップ写真」をお届けいただいたのである。面映ゆい思いで寄せ書きを読ませていただいた。アルバム式に綴られた写真からはその一枚一枚にその日の講座風景がハッキリと浮かんできた。取り分け「二人の高校生」の基調提案は一人の親としても「過ぎ去った子育て時代」を反省の思いで聴くことができた。まさに講師にとっても至福の時間となった。関係各位にこの書面を以て感謝の意をお伝えしておきたい。有難うございました。



2010/03/28

新・歩禅記(17)



  道端にも春の花爛漫
 近所の人に声をかけられて立ち止まった妻との距離が空いたので待つことにした。
 追いついた妻が「大事に育ててらっしゃるから今年もきれいね」と言う。その視線を追うとこの写真である。歩禅コースを数種類決定する中で、この花の咲き誇る場所は幾つかのコースの共通通過点である。ビニールハウスでトマトを栽培しておられる農家の敷地内の通路側である。
 どうやら小生には春の景色は「上を向いて歩こう」視線で「桜」しかないようだ(笑)。
 道端の手の届くところにも手入れの行き届いた春の花がきれいに咲いているではないか。この歌壇作りについての妻の説明を聞きながら、ビニールハウス栽培をなさっている農家の主の話に展開した。そこに我が長男が登場した。小学校低学年の頃、雨が上がって用がなくなった傘で遊びながら帰宅した悪童連中(長男もその一人)。ビニールハウスを突いて穴を開けて愉しんだらしい。かんかんに怒った主が、我が長男に注意をされたようだ。やっていなかった(と長男は訴えた?)長男は涙を流しながら「ごめんなさい」と言ったのでその場は解放されたそうだ。数日後、またその悪童連中は同じ悪戯を続けたらしい。運良く(笑)、長男はその日は帯同していなかったらしく、捕まった(?)友人達が「やったのは僕たちだけで角田くんはやっていなかった」と話したそうだ。夕刻、農家のご主人が「間違って叱ってしまった」とお詫びに来られたと言う。もう30年近く前のお話しだ。妻の記憶力に感心しながら聞いた。母親の記憶は「子育て」の苦労話に連動するのかも知れない。昨日の出来事のように話す妻(母親)の母親たる所以を感じながら父親の関わりの薄さを痛感した。

 そんなはなしも、あ~ったねと・・・・。「時代」の変遷を感じる。妻はこのビニールハウスの側を通るとふと子育て時代の思い出が走馬燈に浮かんでくるそうだ。殆ど「家庭教育」に加担しなかった小生には、道端の春爛漫も気づかない。この通りはマイカー通勤路でしかなかったのである。
 めぐる めぐるよ 時代はめぐる・・・ 何十年前の話も、また今日めぐって来た。(7000歩) 
 写真上段の記事は尊敬する白川好光氏の論稿である。夫婦の絆?厳しい指摘ではあるが、確かに大切な「人生哲学」なのかも知れない。氏の生い立ちから紡ぎ出される言葉の一つ一つに頭が下がる。ご参考にご一読願いたい。クリックすると大きな文字に変わります。

 

2010/03/27

新・歩禅記(16)



  ~やっと「会えました」枝垂れ桜さん~
 拙宅から徒歩15分弱。
 JR相模線「香川駅」から徒歩3分ぐらいの地。「民家の庭」に咲いている枝垂れ桜です。車を運転しながらこの桜の下を通過する度に「中に入って観楼を」と思いつつ、もう何年が過ぎたのでしょうか。地主・所有者のご好意でライトアップもされているようです。タイミング?しっかり噛み合わず今日まで「お会いできない桜」の一つでした。
 今日はウィークデーですので観楼客はご年配(小生も!)の方が多かったようですが、ベンチもあり休憩も出来ました。所有者のお心遣いが何とも言い様のない嬉しい気分にさせていただきました。
 今日の歩禅の主たる目的地はここです。
 至近距離ですので観楼の感動を勢いにして7000歩を数えて遠回りしてスーパーでの買い物を済ませて元気に帰宅しました。


2010/03/26

新・歩禅記(15)


  ~我が家の庭にも「政権交代」?~
 久し振りにお天道様を拝みながら妻と二人でJR茅ヶ崎駅ビルまで向かって歩くことにした。
 天気予報の温かくなる?ことを信じ込んでいざ出発。数分前にゴミを片付けるために玄関先に出た妻が「風が冷たいから薄手のジャンパーぐらい着た方が良いかも」とのアドバイス。日常的には妻の言葉は馬耳東風状態で過ごしている夫であるが、真剣度を強く感じて(妻はいつも真面目に真剣に助言?)羽織って出掛けて正解!風は冷たく体感温度が低かった。しかし、雨で閉じ込められた全身が喜んで歩き出したのは健康であることか。健康に感謝して歩きだした。
 駅周辺で雑務は殆どが片付く。今日もその例外ではなく目的の用件を終えて帰ろうとビルを出た瞬間、何と「雨が降っている」ことに気付く。予報は全くハズレだった。こんなこともあるさ!!能天気な夫の無責任な呟きを拒むことも出来ずに小降りを期待しながら妻も黙って帰路に着いた。
 老夫婦のみの生活所帯。
 「ただ今」と言っても誰も応えることはない。玄関先の足下に健気に数輪のフリージアの花(写真・上段)から「お帰りなさい」と言わんばかりに黄色の声が聞こえた。肥料もやらないで放置状態にしてあるにも拘わらず、毎年この時期には花を魅せてくれる。樹木の花では木瓜の花。草花ではフリージアの花。双方が大好きなこの家の主にとってこの上ない歓びの時間である。咲き誇った(笑)木瓜の花(写真・下段)に替わって我が家の「猫額政府」(=猫の額ほどの狭い庭の意)にもご時世に負けじとささやかな政権交代劇が起きていたのに気づいた。
 木瓜の花さんありがとう。来年も待っているよ。何とも勝手な別れ方である(笑)。フリージアの花さん、ホンの短い命だろうけどよろしくね。これまた勝手なお願いかな?
 時は春。ひっそりとした老夫婦の所帯にも孫軍団襲来の予告が届きました!!



2010/03/25

甲子園は今日も雨!

  ~「別れ」もあれば「出会い」も・・~
 ビックリするような手紙が届いた。
 老母の介護のために定年までまだ年数を多く残しながらこの3月で退職するという文面である。「お礼まで」との結句に胸が熱くなった。文中には「志半ばで・・」との言葉が差出人の複雑な心境を表現しているように思えて辛くなる。教頭職時代の職員室仲間である。明るい性格が教頭の「叱られ役」を一手に引き受けてくれた。後輩から「**先輩、また教頭先生に怒られたんですか?」とからかわれながらも、「お前ら、こんな先輩になるんじゃないぞ」と、さらりと言い放ってくれたことが何十回あったっだろうか?そこで育った後輩達の多くが立派な教師道を身に付けて育って行ったことは、当時の管理職だった小生には良くわかっている。
 母親思いの優しい性格は、老衰していく母親を最短距離で介護しようと決心したようである。レポート用紙2枚にぎっしり詰め込まれた文字が「人生の決断」を伝えてくれる。介護する側の健康管理も重要なことであることを添えて返事を書こう。今後の奮闘を期待したい。
 午後になってパソコンメールで他県の教員から朗報が届いた。
 この4月から市教委の指導主事に昇任するとのお知らせである。一昨年、昨年と2年間の指定研究校である勤務校に招請された。研究主任としての資質も高く、所属校校長の評価も高いのが外部の人間にも直ぐにわかった。指導主事という職務は激務である。国~県~市と流れてくる文書を「学校へ流す」ことが表面上の業務であるが、「学校という職場」の特徴を踏まえながらソフトランディングさせる人間性も備えていなければならない。十分に素質を備えた指導主事さんになること請け合いである。「健康であること」は、また、このポジションでも必要である。特に「心身共に」健康であるためにも、その管理には十分気をつけて過ごして欲しいのである。そんな内容を添えて返信しておいた。
 現場から去る者があれば、新たな現場を迎える者もいる。3月はそんな時期なのか!!

2010/03/24

良い『休養日』(?)

  ~一歩も外出せずに~
 冷たい雨が終日降り続いた。
 夕刻6時半から以前の同僚と夕食を共にすることになっている。それまでは全く何もない。お彼岸にはすべきことも出来ずに予定は全く不発に終わってしまった。消化不良の精神状態だった。ところが過ぎ去ってしまうと「さらりと過去」にしてしまうのが能天気証明書は顕在である。
 朝からずっと降り続く冷たそうな(笑)雨を窓越しに見詰めながらゆっくりと、のんびりと過ごしてしまった。新聞記事もブログに使用することを躊躇うようになったので少々焦点ボケの記述になってしまう。
 そろそろ小中学校は修了式なのだろうか?
 最近は都道府県別の「勝手な制定」(笑)で休業期間まで全くバラバラである。孫達が通っている茨城・千葉の小学校はどうなんだろう。「春休みは茅ヶ崎に泊まりに行くからね」と叫んでいた孫達の要望実現の日が近づいていそうだ。こんな雨では困るが、楽しみの一つでもある。

2010/03/23

ふるさとは遠きにありて・・・

  ~九州まで「新幹線」が~
 47年前の話。
 随分古い話になりますが、18歳で単身上京した日のことを思い出したのでふと話題にしてみたくなったのです。ボストンバッグ(今は死語?)一つを提げて次兄が待ってくれていたJR小田原駅に降りたのが3月末でした。寝台列車急行「きりしま」号の車窓から見えた関ヶ原付近の「雪景色」には、「思えば遠くへ来たもんだ」(どこかで聞いた歌詞)と寂しさで哀しくなってしまったほろ苦い思い出が今でも通過する度に思い出すほどに鮮明に残っています。25時間もかかった「長い旅」でした。
 写真は九州新幹線「さくら」号だそうです。
 新大阪駅から終点・鹿児島中央駅までの所要時間が4時間だそうです。昨日、報道陣に後悔された「2011年春開業」の九州新幹線の情報を受け取りながら47年前のことを思い出したという訳です。小生の生まれ故郷は九州新幹線の途中下車駅ですから3時間余りで新大阪から到着できるという計算になります。今流の表現すれば「はやっ!!」ですかね。
 当時は、丸一日(24時間)ばかりをかけて上京するのですから、見送る親にしては自分の「死に目」に会えないわが子の旅立ちとなるのです。そんな重い雰囲気だったことも懐かしく思い出されて時代の成長(変化)を実感しています。
 ふるさとも遠きに思う時代ではなくなりました。
 こちらから遠くなくなったと言うことは、ふるさとからも東京は遠くないのです。これで、益々地方からの東京周辺への「人口流出」に歯止めが掛からなくなってしまうのでしょうか。過疎と過密のアンバランスは「利便性」追究の副産物となってしまうのですね。
 遠い故郷を偲んで枕を濡らした時代に生きた世代も還暦を遠く超えてしまいました(笑)。 
 

2010/03/22

「ぼたもち」と「おはぎ」

  ~お彼岸の墓参~
 九州に生まれ九州でほぼ晩年を過ごした義父母です。
 当然ながら九州の生家に近い菩提寺に葬ってあげることが最良だと思っていました。妻は一人っ子で兄弟姉妹がいません。そして現在、妻は茅ヶ崎市に住んでいます。義父母にとって孫に当たる次世代人(3人しかいませんが)も、当然のように首都圏で新所帯を持っています。お墓の護りをできる人もいない場所にお墓を建てても寂しい思いをさせるだけですが、義理の息子としては踏ん切りを付けることは至難の課題でした。なぜならば、古いしきたりの中で生き存えた義父母の親戚縁者はほぼ全員が生誕地の周囲で生活をしているからなのです。
 ところが血縁の濃さが強いモノがあることを体験することになりました。
 長男(義父母にとっては「孫」)の一言で決まりました。「僕が祖父母のお墓を護りたい」の言葉は古い親戚縁者の心を動かしました。偶然と言えるのか「ご縁」と言えるのか、長男嫁の実父は僧侶です。宗派の問題もありましたが、長男の固い決意でその壁を越え、長男の住む地に墓所を整え義父没後の四十九日の法要には立派なお墓も完成しました。墓守を長男一家が務めてくれています。
 今春のお彼岸。
 妻の具合が本調子ではないことと数日間の「春の大嵐」という天候の関係で、「春のお彼岸」墓参は断念しました。長女・次女の家族が長男宅に集まって大勢で義父母の墓参りをしてくれたようです。妻は電話で「ありがとう。ゴメンね」の言葉を繰り返していました。電話の向こうでは孫達が「いとこ同士」の再会に興奮している弾んだ声が聞こえたようです。
 妻は、自宅にある小さな仏壇に「ぼたもち」を作って備えていました。春は「牡丹の花」にちなんで「ぼたもち」と言い、秋は「萩の花」にちなんで「おはぎ」と言うんだそうですね。恥ずかしながら知りませんでした。孫たちに訊かれたら「知ったかぶり祖父ちゃん」として、この説明でもしましょうかね(笑)。
 「元気になったら桜の花でも見る傍ら、お墓参りに来れば良いさ」との長男の優しい一声で妻も安堵したようです。

2010/03/21

年間・連続講座が終わりました。


  ~誰のためにやったの?~
 隔月に計画された「親学講座」6回目の最終回が昨日、無事(?)終了しました。
 ホッとしています。それは講師として一回も欠かすことなく登壇できたという単純な理由からなのです。講座終了後、学校側のご配意で「茶話会」を設けていただきました。参加者の自己紹介で「6回連続の受講」というフレーズが多く聞こえました。講師のサイドより、主催者側の事務局担当スタッフ(運営委員)の皆さんのご苦労が「厳しい」状況下にあったことでしょう。
 色紙の依頼がありました。
 7名のスタッフの方々への色紙ですが、先ほど書き上げました。稚拙な書ではありますが、真心を込めて書きました。そして、真意から「ご苦労様でした。有難うございました。」と申し上げたい。
 ただ一つ。誰のためにやったのではなく、「やったことは全て自分のためになった」と明言できることを確認していただきたいのです。やらされて・・・仕方なく・・・、で始発したことであっても「やり遂げた」ことが事実であれば「自分の糧」に繋がること請け合いです。
 辛いことでも「続けて挑む」ことの重要性を、「母親として」わが子達に見せてあげて欲しいのです。最終回には、開催校の卒業生も登壇してくれました。18歳の爽やかな人生哲学に胸がじーんときました。そんな諸々の光景を思い浮かべながら、計画に積極的だった校長先生方の熱意に感謝します。当然ながら運営委員のお母さん方の頑張りに大きなエールを贈りましょう。そして、謝意も添えさせてください。写真の色紙は後日お手元に届くように手配を致します。1年間、有難うございました。

2010/03/20

新・歩禅記(14)

  ~灯台下暗し・・・~
 ラジオの天気予報を聞きながら今朝も4時から、いつものように時間を過ごす。
 どうやら今日の午後辺りから天気は下り坂らしい。既に九州は雨になっているとのこと。予報より意外と早い気象変化があるような気もする。今日の午後は今年度最後の「講演」である。つまり仕事納めである。関東地方の天気の崩れは夜になるらしいのでご参加される皆さんは降雨に遭いそうにないようだ。
 そんな思いで早朝歩禅を段取りをしたのだが、体調がイマイチの妻が心配。案の定、本人の希望を活かすには遅い出発となってしまった。「歩けること」の基本は「歩きたい」ことである。歩きたいという妻を放って「独り歩禅」というわけにはいくまい。1時間ずらして7時半に出発。
 直線にして500㍍?歩いて1~2分の所に上段2枚の写真のスポットがあるではないか。早咲きの桜が満開であった。団地と桜並木(樹齢10年ぐらい)の間をJR相模線が走っている。写真から線路は見えないが感覚的にはお分かり頂けるであろう。「さくら」と言う樹木は10年もすると立派に人の目を楽しませてくれるらしい。最終勤務校(新設開校)も昨日は第10回目の卒業式だったのではないか。記念樹の桜も10年経っているから、この位になっているのだろう。卒業式に「花を添えて」くれたに違いない。余りにも身近すぎて通過してしまいそうな桜のスポットである。
 観賞していつものコースに移動。小出川を川上の方から歩いた。桜の散った堤防には「菜の花」の群生が迎えてくれた(下段写真)。菜の花の匂いを嗅ぎながら快適な散歩の時間であった。体調は好調とは言えない妻も同伴したが「花の歓迎」で、暫しその気分を払拭できたようだ。


2010/03/19

新・歩禅記(13)


  ~ホントに冷たい北風~
 予定より10分も遅れて6時40分の出発。
 早朝歩禅のコースは「中央公園」からJR相模線「北茅ヶ崎駅」経由して鶴が台団地を抜けて帰ってくる50分間の設定。出遅れたのは昨日辺りから風邪気味の症状を呈している妻が「行く」と言い張ったからである。結局、説得できず(笑)に出発した分だけの遅延。
 夏場の中央公園は7時前だったら、散歩人も含めて結構多くの人が集っているが、今朝は父親と息子らしい二人連れだけ。元気に走り回っている姿は微笑ましかった。水仙とスズラン、そしてヒヤシンスの花々が「冷たい風」に負けじと咲いている(写真・下)のが季節感を漂わせてくれたが、寒かった!
 相模線沿いを北に向かうと団地がある。その団地の前を抜けるには小さな「踏切」を渡らねばならない。頻繁に走る路線ではないから遮断機の作動とは「時々」の遭遇である。今朝はその「時々」になってしまったが、通過する電車を待ちながらふと足下の踏切の脇で通過電車のスピードが吐き出す強風に健気に咲き誇っている水仙の花が目に留まった。それは、妻が「こんな所でも逞しく生きているのね」と指さしたからである。カメラを向けて「がんばれよ」と声を掛けて一年後の再会を約束して帰宅である。(6500歩) 

2010/03/18

新聞記事を読んで考える(1)

  ~「今」が幕を下ろす時期~
 今日のちっちゃな新聞記事。
 拡大してスキャナしているので見づらいかも知れない。文字を大きくして提示したかったのでご勘弁いただきたい。短い記事なのでインターネットで「関連記事」を詳しく読んだ。二葉百合子さんの熱烈なファンではない(決してイヤな歌手でもない)。ただ、歌手としての「年齢と声量」、つまり声量の維持とそのための訓練手法に日頃から大きな興味があった。掲載記事に表現されていない内容は以下の通り。

 夫である木村忠氏談: 「ちょっと二葉の歌、おかしいんじゃないか」と言われてからの引退は嫌だ」と言ってしまして、私も共感したのです。
 二葉百合子さんご本人の談:「自分としては、半分決心したものの、まだ半分はみなさんに後2~3年は聴いてくだされればという気持ちもありますが、自分で決めたので」とキッパリ。

 『潮時』という、小生の好きな古い日本語表現がある。
 第一線から退く時に用いる一つの表現法だと認知している。「もうお辞めになったっらいかがでしょうか」と囁かれてから潔く退くことも『潮時』を理解した事になるのだろう。しかし、二葉さんのように「自分で決めました」と語られる引き際の表現に何となく心引かれてしまうのは小生だけだろうか。現役としての活動ぶりに触れて異変を周囲が感じるようになってから「自らに言い聞かせる」事への自己嫌悪感に妙に共感をするのである。
 小生は公務員だったので「定年退職」という際限があり、関わった学校教育を辞する『潮時』など考えることもなかった。知人に言われたことがある。「いいなサラリーマンは。定年退職があるからな」と。定年退職のない仕事に従事していると、その『潮時』を自分で決めるのが難しいと知人は付け加えた。一理ある。しかし、サラリーマンにも言い分はある。「まだ十分に働けるのに定年ですから」と職場から放り出されてしまう。辞めるという『潮時』を実感しないままに業務停止となるのは不本意である。これも一理ある。
 とっくに辞めてしまって、『潮時』にも言及することもなかった能天気な小生。後輩諸兄はこの所見を如何お受け止めいただくのだろうか?




 


 






2010/03/17

新・歩禅記(12)


  ~気温の急変に驚きつつ~
 早朝起床者(=旧姓「早起き鳥」)にはラジオは欠かせません。
 ラジオから「天気概況」という情報を得ます。北海道の日本海側では「暴風雪警報」とやら。南国出身者には聞き慣れない気象関係用語が今朝は耳に飛び込んできました。関東地方も昨日の温度と10度以上の低温になるとの予報も届きました。
 去年の「マイ・日記」を紐解いたら、春のお彼岸前から「早朝歩禅」へのバイオリズム変更が記されていました。数日前の「5月半ばの陽気」に遭遇すると汗ばんで歩いているのが気になりました。妻との相談で、そろそろ早朝歩禅に切り替えようとの結論に達したのです。
 本格的に始動したのは本朝。
 6時半に家を出てお気に入りの「小出川」沿いのコースを選択。今朝の小出川の風景(写真・下)をその明るさから判断していただいてもおわかりのように「肌寒さ」さえ感じる陽気でした。この土手を老夫婦は「ある物」を探しながら歩いたのです。欠片も見当たりませんでした。2日前に歩いた「千の川」の土手には群生した物ですが、ここには「顔を出して」いなかったのです。同じ市内なのにこんなに違うのかねぇ~、と老夫婦は呟きながら探しましたが収穫(笑)はゼロ。
 上段の写真は、背景に浜之郷小学校が映っています。
 良く通る狭い農道の延長線にある市道です。周囲の家庭菜園には季節の野菜ときれいな四季の花々が咲いていて「好きな散策路」の一つでもあります。小出川の堤防には見つからなかった物がこんなに沢山見つかりました。そうです!『つくしんぼ』を探していたのです。他愛のない?そう、そこが加齢者の加齢者にしか味わえない醍醐味なんです((笑)・負け惜しみ)。
 確かに「春」になっている、実感。学校でも「卒業式」の時期。まさに「春真っ只中」という気分になりながら、6000歩の早朝歩禅から帰宅しました。さぁ、今日の午前中は何しよう?届いたばかりの本を読むことにしましょう。

2010/03/16

今日は「仕事」でした!

  ~同業者に話すときは力んでしまう?~
 今日の会場は市内の中学校でした。
 校内研修会の講師としての招請です。会場を見渡しました。(当然のことながら)知り合いだらけの会場です。新採用教員として赴任してきた者、教頭時代に共に働いた同僚、部活動の指導者として雌雄を決して闘った仲間、英語教員仲間として長期に渡って苦労を共にした教員、それに教え子で教員になっている者等々。関係の無かった人が少ないほどの「密接な関係」を有する人たちを相手に講義をすることは気恥ずかしいことです。
 招請の「開き直り」哲学は今日も生きていました。
 過去の関係の有無と深浅を考慮して講義など出来る器量ではない、との「開き直り」精神は120分という長時間を耐えることの出来るモノでした。中身についての評価は聴講者の自己判断ですから案じることもいたしません(笑)。
 ともあれ、後輩校長(会場校)の依頼に応えられたかどうかは別にしても「力んで」講義をしている自身に気が付いたことは事実です。可愛い後輩諸兄の真剣な眼差しに、ついつい・・・力んだのでしょう。許されたし!!

2010/03/15

数日間でこんなに開いて!

  ~写真で見ると立派な「お庭」・・・~
 ですこと。猫の額の我が家の「1本しかない樹木」にも、本格的な春がやって来ました。
 数日前にこのブログで「つぼみ」をご披露いたしました。ホンの僅かな時間でこんなにまで開いてしまうんですね。これでもう直ぐ「終わり」を告げてしまうのか!「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と嘯きながら一つの代を終えるのでしょうか?そう思えば、平均寿命の延びた日本人は数え切れない「花」を咲かせることが出来ると言うことになりますね。(そうかな??)
 今日の午前中は、「思い立ったが吉日」流儀の人生論で9時から銀行・役場・郵便局と駆け巡りました。やっと年金加入期間確認通知書の補填を完了させることが出来ました。読者の皆さんも、いずれは「年金生活者」になりますよね。もう既にその生活に浸っていらっしゃる諸兄もお有りかと思いますが、厚生省(当時の)の杜撰な年金処理問題も他人事?の小生でしたが、いざ「65歳」という節目がやって来て、他人事とは思えない現実と遭遇してしまい慌ててしまいました。
 実は、小生の「退職共済年金」を産み出す「年金」の歴史が大変複雑になっていたことを思い知らされたのです。教員生活一筋に生きては来たもののその中には細かな変動が生じていたのを思い知ることになりました。「年金」査定の基本資料が抜けていたことを既に期限切れになった時点で厚生労働省・年金機構より通告があったのです。「教員の身分」ででも、勤務先によって年金の種類が違うことを知りました(知っていたつもり・・・)。
 私立学校からスタートした(①私学共済)のですが、公立学校に転勤したので②厚生年金となりました。更に途中から市教委に勤務になりましたので③地方公務員共済、と変わったようです。ご丁寧にも(笑)、小生は②と③を10年間に6回も異動している事実がありました。その都度、担当事務本部が書類を書き換えているわけですから推して知るべしです。今回指摘の最終便は、定年退職(60歳)時前に退職しているので、ホンの6ヶ月間は「国民年金」の算出となる期間が有ったことでした。
 いや~・・まいりました。
 電話や書類の送受信では事務処理が滞ってしまうので東京・湯島にある私学共済本部まで直に行って指導を受けました。大変でしたが、能天気な人間への「試練と忍耐」は十分な効能があったと自負しているところです。本日の午前中はその最終事務処理であっと言う間に過ぎてしまいました。
 これから、スーパーでの買い物があるらしい老妻に付き合って「午後の歩禅」と洒落ましょう!

2010/03/14

新・歩禅記(11)




  ~歩禅路の風景にも「春」~
 定番コース。茅ヶ崎市内北部を流れる小出川沿いは好きなルートです。何気なく目に留まった江戸時代の遺跡。近づいてみると難しい歴史の説明文がありました。今までに気づかなかった川辺の風景でした。小出川のカモの泳ぎぶりにも「春の訪れ」を感じました。心なしかスピードが増したような気がしたのです。でも、まだ水は冷たそう(笑)。
 ハクモクレンは空の青とのコントラストが何とも言えない「春の連弾」ですね。隣で妻が「きれいね~」と叫んでくれました。レンギョウの花はコースの道路沿いに見つけました。街路樹の佇まいを演出していただいているのでしょうか、鉢植えのレンギョウの花。
 このブログの調子がイマイチ?今後の展望を心配しつつ・・・。朝の歩禅は6000歩でした。

2010/03/13

新・歩禅記(10)


  ~他人様の「お庭の花」を愛でながら~
 何ヶ月ぶりかの「早朝歩禅」です。
 着慣れていた防寒着を脱ぎ捨てる勇気を気温が誘ってくれました。そんな誘惑に負けて防寒着無しの外出でしたが、適切な判断となり結果的には「快適」のマークが付きました。
 今日は土曜日。
 多くのご家庭が未だ目覚めていない時間です。だから、他人様の庭先に咲いている水仙の花を愛でることも写真に収めることも結構大胆に出来るモノです(笑)。この家の水仙は「群生」しています。野放しの群生ではありません。手入れも追肥も十分施していらっしゃるのを通行する度に関知しています。毎年、このような状態で庭一杯の水仙の花が見事に咲きます。この垣根の脇を歩いていると「春の香り」が十分に愉しめるのです。いつだったか手入れをされていた若奥様に「いつもきれいに咲かせられますね」と、堪能している状態を伝えお礼を言ったことがありました。他界されたお母様が丹精なさっていたとの説明が蘇ってきました。放置・放棄・放任・・・では、何事も「育たない」という証を今朝もこの水仙の花から学びました。
 ほどなく歩くと、ここも毎年「密やかに咲くスズラン」があるのです。お気に入りのスポットでもあります。ここは畑地です。周囲には春野菜が植えてあります。農家の方が時折、作業されているので畑の片隅にそっと植えられたのでしょう。よく見ると年毎に株が増えていっているような気がします。数年前はもう少し小規模だったような記憶があるからです。丹精すると立派に増えるモノですね。
 春の花を愛でながら45分間の早朝歩禅から帰宅しました。風は少し強く感じましたが、天気予報通りに今日の昼間の温度は高くなるのでしょう。皆さんも、良い週末と休日をお過ごし下さい。



2010/03/12

新・歩禅記(9)

  ~振り向くどころか「そっぽ」向いて~
 ずっと昔(30年位かな?)、通いつけていた整形外科医から「座骨神経痛」という診断を貰った。臀部から脚に向かって、何とも言えない全体的な痺れには(当時は若かったので)イライラしたものだった。部活動のやり過ぎ?と管理職からも手厳しい言葉も頂戴した。それでも薬と注射で放課後の青春?を謳歌したモノだった(選手にとっては「時には休め!」の叫びがあったらしい)。
 最近、その頃の痛みに似た痺れ感があるので歩禅も一気の10000歩の挑戦は敢えて避けている。今日は午前(4500)、午後(6000)と分割して歩いたら苦痛との闘いは感じなかった。歩禅そのものは快適ではあったが、写真版の記事をふっと思い出すような「子どもの動き」と出会ってしまった。
 「あらMちゃん、お帰りなさい」と、同伴した妻がランドセルを背負って学校から帰って来た1年生の女児に声を掛けた。その女児は確かに妻の顔は見た。それは夫にもわかった。「知り合いのお子さんなのかな?」と感じたほどであった。通りすがりの瞬間の「地域との交流」の時間である。ところが、振り向くどころか「そっぽを向いて」過ぎ去って行ってしまった。
 「今の女の子、どこの子どもさん?」と夫が問う。妻は「**さんのRちゃんの娘さんよ」と答えた。**さん家のRちゃん、ってあの娘さんか!と我が子と同世代のお嬢さんの顔が浮かんできた。そう言えば顔が似ていたなぁ、と後の言葉を繋いだ。「知らないんじゃないの?あなたのことは」と言いかけると言葉は遮られてしまった。「毎日会っているわよ」と語調が強くなった。そして妻が付け足した。「恥ずかしいんだろうけどご挨拶だけは出来る子どもであって欲しいわね」と。話題の女児の「お祖父ちゃん・お祖母ちゃん」とは我々の世代で大変親しい地域人仲間である。立ち話も夫婦同志ででも出来る関係である。Rちゃんのお兄ちゃんは我が家の次女と同級生。つまり女児の伯父に当たる。礼儀正しくて感じの良い少年だった。Rちゃんは・・・・・。暫くの間の夫婦の沈黙には、「あの頃の」子どもの言動が走馬燈に浮かんでは消えていたのである。
 時代は確かに変わった。記事のように「助け合う」必要性も無いほど平和な生活が続いている。関係を持ちたがらない日本人が大量生産されている。「挨拶はどうして必要なの?」と問われたら、現代の父母達はきちんと答えられるのだろうか?
 「お帰りなさい」と声を掛けられたら、「ただ今!」と子どもらしく答えることは学校で教える内容ではない。学校ばかりが強調すると「先生にはご挨拶できても地域の方には(関係ないから)挨拶を避ける」子どもの数を増幅させてしまうのである。家庭教育の範疇である!!
 歩禅で全身が心地よくなったこととは、別の世界(老脳)では我が子育てへの反省をしている。孫達が地域の方々に可愛がっていただけるように育って欲しいと願うばかりの「爺」である。

我が家の庭にも「ささやかな春」の訪れ

  ~猫の額の庭にも自然の生命力~
 このブログではないのですが、以前の「歩禅記」に書いたことを記憶していることがあります。
 近くの知人夫妻のお母様(70歳半ば?)が、ご自宅の玄関先に咲いていた木の花を見ながら仰いました。「この花を見て、孫達がね、おばあちゃんの花だね」って言うんですよ。数年前の暮れのご挨拶に伺った時でした。とてもユーモアのあるおばあちゃんです。妻も大好きな「人生の先輩」のお一人です。
 小生が「どうしてですか?」と問い直すと明るい笑顔で「ボケの花」のその音から語義を外しているお孫さん達のネーミングだと説明されました。思わず吹き出して笑ってしまいました。「孫達は、私が呆けたと言う意味で、そう言うんですのよ」とお応えいただいたのですが、大笑いになったのは次の句がありました。「木瓜の花って春告げ花ですよね。暮れのこの時期に咲いているんだからボケの狂い咲きだって、私に当てて笑うんですよ」と。嫁姑の仲が良いことは周囲でも有名です。深い人間関係が醸し出す家族の会話シーンを屈託無く明るく語られたのでこちらも開襟の思いで大声で笑ってしまったのです。この内容はすでにご存じの方も多いかと思いますが、我が家の庭先に「木瓜の花」が咲く度に思い出すほのぼのシーンです(再掲)。
 その場では真意を告げませんでしたが、小生の最高にお気に入りの花が、実はこの「木瓜の花」なのです。これは以前の勤務先の同僚からいただいたモノです。枯れずに今なお、こうして春の訪れを教えてくれています。お隣の庭先にはもう数週間前から真っ赤な大輪の木瓜の花が咲いています。お隣の庭からも観賞できるのは正に至福です(=これって「覗き」の犯罪じゃありませんよね)。
 この蕾が数日後には満開になることでしょう。そうると春本番です。
 今日は温かくなるとの天気予報です。そろそろ階下の老妻の動きも活発になってきたようです。のんびりと春の外の空気でも吸いに歩禅に出掛けてまいりましょう。

2010/03/11

立川に行ってきました!

  ~時短スキルがあったら・・・~
 立川『響の会』春季研修会に招請され、行って来ました。
 全国には『響の会』同志会が、発祥地である神奈川県茅ヶ崎市の他に3都市(浜松市・広島市・立川市)にて活動を継続しています。今年度最終回の『響の会』は東京都立川市の春季研修会でした。『響の会』には設置規定も運営要綱も何もありません。全く自由裁量で運営しています。共通点はただ1点。不肖未熟の身・小生の参加・出席であります。従って、会の設定には小生との「日程調整」だけはお願いしています。今回は諸般の事情と重複して延期になっていました。しかも、課業日の設定です。つまり、午後6時半開始の時程になっていました。しかも、学校では年度末の最盛期(笑)でもありますので参加態勢も大変だろうと余計な心配をしていました(=取り越し苦労と無縁な小生には珍事)。
 定刻に開始(準・全国共通①)された短時間にしては盛りだくさんの発表です。
 経験5~6年の教員の実践発表。じっくりと地に足が着いた発表内容には驚くというより感動でした。副校長という要職に就いて11ヶ月の実践発表には度肝を抜かれてしまいました。感動や感激という言葉での表現では発表者の「前向きな」姿勢に失礼に当たるのではないかと思うほどの「歓び」を感じました(校長経験者が言える「副校長・教頭」論)。
 最後のプログラムに「会長からの指導・助言」という設定(準・全国共通②)がありますので、大役を仰せつかっている立場では一言一句聞き逃せません(とは申せ、内容によっては耳が休憩することもありましたが・・・)。大事に聴き取ってメモをして、3本の発表にそれぞれ2点の「指導・助言」の言葉を添えてお返ししました。
 3名の実践発表に関しては、「数年後の成長ぶり」を早く見たくなってしまうほどでした。美辞麗句やお世辞は無縁の小生。しかし「時短スキル」があって、彼らの数年後を見ることが出来たらなぁ~と真剣に考えてしまいました(お世辞はゼロ)。
 ①「失敗から学ぶ」ことの本質を熟考しよう。②主体性と自主性の主役は誰なのかを明確にすれば自ずから先が見える。③「職員室の机に張り付いている教頭(東京では副校長)が学校を駄目にする」という小生の学校経営哲学をじっくり考えていただきたい。これは発表者の順番に載せたコメントですが 読者の皆さんは、それぞれのお立場で、それぞれの言語表現に置き換えてお考え下さい。参考までに指導助言が終了した時刻は定刻(準・全国共通③)でした。
 やる気があるのかないのかわからない若い教員?教頭になってしまったら積極的に仕事をしない?そんな愚痴を多くの後輩現職校長さん達から聞くので、すっかり麻痺してしまっていた小生でしたが、立川『響の会』は違いました。嬉しくなってしまいました。早々に退散する予定だった懇親会(準・全国共通④)もほぼ最後まで務めてしまう始末(笑)。帰宅は時刻が今日に変わる数分前となりました。発表者の皆さん、本当に有難う!大きな期待をしていますよ。良いですね!!
 ここまで立川『響の会』を引っ張って来られた松野登代表の「主体性と自主性」の力量に敬意を表します。当会の新年度における飛躍を期待したい気分になっています。また、立川でお会いしましょう。

2010/03/10

新・歩禅記(8)・・理論編?

<どの程度運動をすれば、筋肉や骨の衰えを防ぐ事ができるのか?>
東京都老人総合研究所によれば、65歳以上の高齢者が筋力を低下させず、健康的な生活をするために必要な歩数は、1日8000歩。しかし、家庭の主婦が掃除や洗濯などで動き回っていても、その歩数は約4000歩程度。距離にして約2.5㎞分も足りていないのが現実です。


  この文章は昨夜のテレビ番組でのナレーションの一部です。
 老妻が熱心に誘うので珍しく画面を注視したところでした。「歩くこと」を意識の中に定住(?)させてからそろそろ10年になるでしょうか。現役時代に人間ドックの検問にひっかかって藻掻いていた頃に着眼したのが「万歩計」という玩具でありました。装着すると妙に歩きたくなると言う心理状態を擽る代物でした。しかし、一日10000歩を継続して達成することは現役の勤務人には出来ることではありませんでした。「せめて休日なら」との意気込みも、続いても数ヶ月。ある経験者が「記録すること」の効果を語っているのを耳にして採り入れました。自分なりのアイディアと取り組み方の個性を採り入れて工夫をしながら現在の形式(現存・継続=記録進行中)に辿り着くまで多くの紆余曲折を経ました。
 その後のテレビ画面では、効率の良い「歩き方」の実践風景と医師の指導助言も見ることが出来ました。維持するだけのポイントが上掲の文章です。筋力を更にアップするための指導も覗きました。興味関心度の高いこの爺は、その中の「インターバル速歩」を採り入れたスタイルをやってみたくなっています。
 今日は出講の予定がありますし、生憎の雨模様です。
 晴天の好機が訪れたらチャレンジしてみようと、インターネットで昨日の番組を探し出してきちんと資料として保存しました。内実をそ~っと告げます・・・(笑)。番組のモデルに登場された方が同年齢(66歳)であったことが大きな刺激になってしまったのですよ。このことは老妻には告げません。読者の皆さんも好意的にご声援ください。意欲満々の小生であることだけを認めてあげくださいね(笑)。
 雨があがることを期待して、「歩き」でJR茅ヶ崎駅まで移動しま~す!!雨ならバスです。

 

2010/03/09

新聞記事にドッキリ!

  ~いつかはやって来る・・・~
 古い話になってしまいます。
 未だ、市教委の担当参事(=現在は「指導担当部長」?)として市議会の本会議場に臨んでいた頃に耳にした話題です。小生はJR相模線(茅ヶ崎駅~橋本駅)沿線に住んでいます。当時、相模線に新駅が出来る方向で議会でも話題に上っていました。実は、その新駅が出来る予定地は、自宅から徒歩2分の所なのです。通常の運行本数は3~5本ですので、東海道本線に比べれば利便性には格差はあります。しかし、道路事情を考慮しない「定刻」での運行には魅力があります。ほぼ出来るだろうとの思い込みが議会での市長のご答弁でもろくも崩れ去りました。新設駅予定地に隣接する公団住宅(団地)の高齢化が主因だったのです。つまり、利用者数の問題です。その時点での平均年齢を算出したJR東日本には「採算が取れない」乗降客数との決断が働いたようです。
 独りでお住まいのご老人の数が多いらしいのです。団塊の世代ジュニアーが通っていた団地内の小学校にはプレハブ校舎の乱立だったのです。我が家の子供達もその学校に通いました。いつしか巣立った子供達は(我が家もゼロ)この団地では生活をしていないようです。現在では「高齢者住宅団地」と化しているという訳です。電車での通勤者数の減少は致命的だったのでしょう。
 そして、今朝の記事(写真)を読んでドッキリ。
 団地のみならず、高齢者の多くが「孤独な生活」を余儀なくされているのでしょう。エレベーターもない高層(ここの団地は5階建)の部屋から地上との上り下りだけでも苦痛に感じられる老人が多くなっているのでしょう。自然と「孤立化」してしまうのもわかるような人情話です。
 最近、小生夫婦も「二階への上り下り」が苦になるね、との会話をするようになっています。いつかはやって来るこんな状態です。夫婦で助け合って生活できる内は、「まだまだ・・」と息子や娘達の「援助の申し入れ」も突っぱねて生きて来ました。しかし、独りになってしまったら?と不安にもなるモノです。
 長男一家から「一緒に住もうよ」との催促の声が最近、頓に高くなりました。娘達も「若い内に移動した方が良い」と、長男宅に「引っ越す両親」への後押しも強くなりました。親としては有難いことです。
 いつかはやって来る!そんな老後の事を考えさせられる記事です。他人事ではありませんね。重い腰を上げて、孫達が首を長くして待っている長男宅に移動することを真剣に考える時期が到来したようです。新聞を読みながら夫婦でそんな話題をしている、幸せな老夫婦の「寒い弥生の朝」のひと時です。

2010/03/08

新・歩禅記(8)

   ~満を持して・・・~
 ここ数日間はお天道様のご尊顔を拝することも無く候。
 やっと陽ざしが差し込んで来たので、どちらからともなく「歩こう」バージョンになり妻と一緒に8時半に家を出る。先に出た妻が玄関先で「風が冷たい!」と呟く。鍵を閉めて通路に出ると本当に風が冷たく感じる。身体が冷えたら困るな、とも考えたが何日も歩数計の着装もないので思い切って歩き出した。  この時期になると写真(上)の光景を満喫する。この樹木は「ミモザ」でしょうか?確かではないがそんな情報を以前に得たことがあり記憶として残っている。見事な色合いである。去年は観賞したままでカメラに収めることもなく季節が去って行ったので「今年こそ」の思いでカメラ持参の歩禅であった。当然(笑)ながら、この観賞の樹木は他人のお庭にあるモノ。
我が家の庭?これは日本語らしく表現すれば「猫の額」の程度で樹木も殆ど無い。ささやかな楽しみは木瓜の花の蕾が目に付くようになっていること。後日、ご紹介しましょう(と言う程の代物ではないが)。大好きな花なので狭い庭に植えたのである。この季節の楽しみでもある。 
 季節の香りと言えば、先日高知の先生から「土佐文旦」(左・写真)が届いた。書斎の隣の部屋に置いてあるが柑橘独特の香りが良い。孫にも送ってあげようと思いつつも今日になってしまっている。朝食代わりに今朝、食したら美味である。南国土佐は「龍馬ブーム」だ。龍馬の時代にも文旦はあったのだろうか、と思いを馳せている。
 久しぶりに歩いて帰宅すると、やっぱり快適である。風がもう少し冷たくなければもう少し歩けたのだが、仕方ない。次回を期待しよう。



2010/03/07

『心ぽかぽか』ニュース(5)

   ~無理しないでノンビリ楽しく・・~
 わかってはいてもこの哲学を実行するのは難しい。
 しかし、無理しないでノンビリできる人には他の分野の哲学実践が難しいのかも知れない。現職時代にこの哲学実践には何度か挑戦したことがある。周囲の知人や友人には小生の性分はどのように映っていたかは定かではないが、自問自答しながら窮してしまったことが何百回とあるのだ。しかし、「そんな風には見えない」と片付けられたことが多かった。どうしてなんだろうか?
 「ま、いいか!」「何とかなるよ!」と自らに言い聞かせてその気になってしまうのは確かに小生の得意芸であることは事実。一晩眠ったら(=眠れない夜は65年間の人生で記憶無し)、昨日の出来事への不安と心配は確実にどっかへ消えている。人呼んで「能天気な人」となる顛末。しかし、誤解無きように添えておこう。小生だって、人並みに悩みもし苦しみもする。自暴自棄にもなる。ホンと!!
 今日の『ぽかぽかニュース』は、障害のある方のお話し。
 外見や造作は人並み以下の小生(笑)ではあるが、人生そのものではこの記事の主人公とは月とスッポンの違いがある。ご苦労は推察は出来るが深意への言及は出来ない。また、薄っぺらい同情などご迷惑なことだろう。しかし、身体にハンディをお持ちの方々が懸命に自らを鼓舞なさっている現状を知るにつけ、観るにつけ、健常である我が身の甘え(甘さ)を痛感せざるを得ない。反省!
 つい2週間も前のこと。他県で活躍していた校長仲間(正確には「後輩」)が、突然の衝撃メールを送信してきた。我が目を疑いつつメールの内容を追った。いつも意欲的な奮闘ぶりをメールで受信していた後輩なので、今までに見たこともない使用言語が羅列されているメールに愕然としてしまった。どうしたの?この急変ぶりはどうして?今まで、ついぞ聴くこともなかった表現に狼狽が先行した。
 その後、毎日のように受信する文面から、校長職としての苦悩が伝わって来る。経験者として十分に理解できる世界での出来事である。専門医へ受診し、指導助言を受けているとのこと。職場から気持ちの解放が一番の良薬だと忠告を受けていると記してある。その通りにしたいのだろうが出来ないので苦しいのかも知れない。多分そのジレンマで自らとの葛藤が続いているのだろう。
 能天気な性格には最適なアドバイスが出来ない。苛立つだけの小生。せめて、「無理しないでノンビリ楽しく生活をして欲しい」と願うばかりである。
 この記事の『心ぽかぽか』温度を届けてあげたいモノである。

2010/03/06

やった~、完了!!

  ~無謀な挑戦をする老人?~
 昨日は雑務にてパソコンが占拠されてしまいました。
 突然の「思い込み」による、謂わば不法占拠となりました。早速、「ご病気でも・・」との携帯電話の着信メールがあり、ハッと我に返りました。 What happen? 実は、憂鬱な確定申告について先日ブログに書き込みましたよね。その終わりの部分で「この作業って死ぬまで続くんだよ・・・」ってな意味合いを文章化してブログの書き込みを終えた瞬間!!この爺さん、何を思いついたと想像しますか?
 e-Tax なる文字が「確定申告書」送付の封筒から目に飛び込んできたんですよ!
 ここ数回、「性分」という表現をしていましたが、この「生来の興味関心度」の高い性分が頭をもたげてきてしまった、と言う訳です。目を覚ますと、もうその実現に老体が勝手に動き出したんです。8時半にパソコンの「平成21年度分 所得税の確定申告書作成コーナー」をホームページで調べました。前夜はそのお陰で珍しく夜10時までパソコンと向かい合ってしまいました。「電子申告を行う際の確認事項(準備編)」を熟読してしまいました(笑)。その後遺症の第一弾が「電子証明書」を取得することだったのです。8時半になるのを確認して自転車を飛ばして茅ヶ崎市役所まで行きました。市役所は空いていましたので、意外と短い待ち時間で取得できました(有料)。次は家電量販店で「ICカードリライタ」(価格は色々)で購入して帰宅したのです。
 老妻も驚くほどの集中心。夕刻には、ちがさき『響の会』役員会が予定にありましたので、お迎えの車が到着する寸前までパソコンと格闘(笑)しました。
 出来ました!!
 昨日の午後からの集中工事(笑)も、夜の帰宅後はアルコール注入の影響で「一時停止」でしたので今朝も早くから、継続して画面と睨めっこでした。全ての記入が完了して、「保存してください」のコメントを画面で見ながらホッと一段落しました。
 電子申告の最後の詰めは、市役所に勤務している税務担当者に最終確認をお願いすべくプリントアウトして届けて、検閲をお願いすることにしました。その時点で、改めて電子申告をする段取りになりました。出来ちゃいましたよ!
 外は雨。鬱陶しい朝の風景ですが、「心は快晴」の爺さんです。

2010/03/04

いや~、今年もまた・・・!

  ~「事務処理能力の無さ」には、・・~
 現役時代は「年末調整」が来る度に、「生命保険の控除資料は?」に始まりましたなぁ~。悠長に思い出している余裕などないのがこの時期であります。確定申告用封筒が届いた時点では、「今年こそ早めに取り掛からなくっちゃ!」と殊勝な面持ちでいるのですが、毎年のように今頃から本格的に「焦る」のであります。これも、お得意の「性格・仕分け」で分類すると「無精な性分」となるのでありましょう。
 昨日はほぼ終日。今日も午前中の鍼診療を終えて帰宅すると目一杯に「この作業」に掛かりっきり。峠は越えたかな?この能天気な性格は良いこと?それとも悪いことかな?
 この時期のこの事務処理は「死ぬまで}続くんだってさ。年金生活者は自らの手で作成した資料で申告しなければならないって言うんだから「避けて通れません」ってこと!!さあ、後一頑張りしますか~。

2010/03/03

今日は「桃の節句」

  ~おじいちゃん、「節句」ってなぁに?~
 小生には5人の孫がいます。その内女の子は一人だけなんですよ。老妻は「一人娘」で育ったので父親である義父は結婚して息子(婿)となった小生を受け入れた、という証に、床の間に立派な「兜」を飾っていただいたんです。生家では三男坊で育った小生には、目映いばかりの置物に見えましたね。何よりも「大切にされている」という意識が先行して感激した瞬間が今でも蘇って来ますね。つまり、我々夫婦に「男児誕生」は、世継ぎの確定を意味したのだろうと「頼りない」婿養子としてはふり返っても気恥ずかしいくらいだったんですよ。
 そんな義父母にも二人の孫娘と一人の孫息子が誕生しました。
 我が家に長男が誕生したニュースを聞いた義父母は二人で上京して来たほどでした。92歳で大往生して今は天国住まいの義父母ですが、今日は曾孫娘の「桃の節句」を二人で祝ってくれていることでしょう。孫娘のために購入した雛壇飾りは、九州の実家の物置に眠ったままです。写真は千葉県に住む長女宅に飾ってあるもので、この祖父ちゃんが買ってあげたモノです。このような団地サイズ(=小生の造語)ではない、ホンモノの雛壇も「陽の目を見ない」ではいけませんな~。来年の「桃の節句」にはお目見えできるよう運んでくることにしましょう。
 小生も同居していれば孫達に訊かれるでしょうね。 「おじいちゃん、節句って何?」と。
 若輩でも呼び名が「お祖父ちゃん」ともなると、古い暦に繋がるような「お話し」をしてあげないといけないんでしょうね。だから、今朝は調べてみましたよ、「節句」という代物を!!5つの節句があることを確認しながら、その起源を遡りました。そして「大和文化の匂い」を嗅ぎつけることができましたよ。
 今日はその中の一つ「桃の節句」か!!端午の節句重陽の節句と五分の三しか知らずに「お祖父ちゃん」になっている貧相な老人であることを認知する朝になりました。七草の節句・七夕の節句も並列して存在していたんですよ。恥ずかしながら「気付きの桃の節句」の朝です。
 文化の伝承?偉そうに宣う高齢者の一人として意識の高揚を誓うばかりです。皆さんはいかがですか?
 追記:太字の赤文字。知ったらすぐ「知ったかぶり」をしたがる性分の筆者。笑いながら一瞥してくださいね。幾つになっても性格っていう奴は治らんモンですなぁ~(笑)

2010/03/02

今日のヨコハマは超・寒!!

   ~「人材育成」を考える~
 今日は午後2時の約束で、福岡から横浜まで小生に用務の依頼で来られる方と会うことになっていた。西口のベイシェラトンホテルのロビーが指定場所であったので出向いた。
 福岡との温度差が10度ある、との開口一番にビジネス(実業家)の移動時間と距離の規模の大きさに先ず圧倒されてしまった。「教員採用試験情報」というパンフをいただいて、世の中の趨勢を実感した。「世の中の要請があれば企業は成立する」という理念からしても、「教育の新しい未来を提案する」というスローガンを掲げて企業を起ち上げられた熱意にに惹かれつつ打ち合わせをすることになった。
 人材育成はいつ頃から?教員になる人材を育成するにはその着手はいつ頃が最適なんだろうか?帰路の湘南電車は30分間の乗車時間。この命題を考えている内に「次は ち・が・さ・き・・・・・」の車内アナウンスで我に返り、結論らしきモノも出せず帰宅した。
 しかし、「やってみたい業務内容」である。
 教師を志す「これからの教育に携わる」次世代人に、経験値を伝えてみたい。どうやら、新年度から横浜を拠点にして展開できそうな予感がしてきた。読者の皆さんからも大きなヒントが戴けると有難い。乞・ご協力!
 帰宅して写真版の案内が届いていることにタイミングの良さを感じた。事務局を担当する教頭先生のコメントが、な、な、なんと・・・「今回の研修会の主題は、人材育成と考えています。角田会長の指導助言をよろしくお願いします」・・・と添えているではないか!以心伝心?
 そんな熱い思いも、今日の寒さに縮んでしまいそう(笑)。皆さんもお風邪など引かれませんよう!

あっと言う間の「弥生」到来


2月27日~3月1日 長女宅

   ~「禊ぎを受ける」って?~

 言葉に表現すると心地よいモノとそうでないモノとがあるようだ。
 どんな気分でブログにその言葉を使用したのか、当のご本人が曖昧であるから始末悪い(笑)。事の発端をふり返ってみるに、今回の出講は今までの何百回かの講演とは事前体制から少々趣が違っていたようである。更に内面を細かに追求すると、勝手な内面活動の流れ方が異なっていたのである。硬い表現になったので読者の皆さんによっては全く理解の範疇にないかも知れないので、講演前日からの行動を再現することによって証明いたしましょう。(そんな大袈裟なことでは無い!!)

 お請けした講演日時はは2月28日(日) 9:30~10:50。

 茅ヶ崎の自宅を出発して当地に向かったのは前日(27日)。つまり前日入りの前泊日程である。ここまでは従来の講演対応行動と同じリズムである。しかし、講演前泊の場所が通常とは異なる。通常の前泊は講演会場の至近距離にあるホテルであるが、今回は講演会場の隣市に住む長女の自宅である。この館には「目に入れても痛くない」(?)孫達が棲息している。しかも、何度訪れても大興奮・大歓迎の手荒い歓待が待っている。今回も思いも寄らない行動が待っていた。
 右の写真はその物的証拠。「おばあちゃん たんじょうび おめでとう」というチョコレート板に書かれた文字が目に飛び込んだ瞬間から、「想定内」の動きに完璧なまでに引きづり込まれてしまった。1週間遅れではあるが、確かに老妻の××歳の誕生日は存在した。誕生日の当日は、偶然にも長男宅に行っていた老妻は、そこの孫軍団によって手作りケーキで祝って貰ったようだ。そして、この夜。思いがけないという表情の老妻の感極まった表情に、凡庸な老夫は「講演前夜」であることをすっかり忘れてしまった。正真正銘のプライベートな時間に浸ってしまったのである。老妻が感涙に噎ぶほどの感動への具体的な仕掛けはここでは省略することにしても、こんな講演前夜を過ごしたことは、ついぞ無かった。
 ホテルの自室での「講演前夜」は、予め主催者に送信したレジュメを原案にして作成している「手持ち資料」を持参のパソコンで確認し、字句の修正から項目別の「所要時間」まで丁寧に思案する時間を確保するのが常套手段である。そして、確認(納得の無いままに寝る事も多いが)して就寝である。
 いかが?この温度差の大きいこと。
 そして、講演会当日。通常は主催者から差し向けられた「公用車」がホテル玄関に付けられ会場へと誘導される。今回は長女婿が運転手で向かう先は、長女婿の母校である。通い慣れた懐かしい通学路を走る。通常は主催者の方とは初対面で車中で挨拶代わりに簡単な打ち合わせすら済ませることもある。緊張感のなかで車は移動する。今回は、昨夜の老妻(姑)の興奮した光景が主な話題になる。講演の「こ」の文字すら無い。当然至極のように婿と団欒しながらの会場到着。婿の幼友達も主催者の役員として出迎えを受ける。バッグに偲ばせたレジュメや手持ち資料に一瞥する間もなく会場の講師席に誘導される。こんなことは初めてである。あったとすれば、小生自らの「母校での講演」を請けた時ぐらいだろう。
 更に大事件(笑)は、会場の最前列に孫二人と婿が陣取っていることであった。会場には老妻も長女も駆けつけていることは承知していたが、流石にこの二人の姿は最後尾付近にあるらしく演壇からもかなり遠い。掲載した上の写真2枚は最前列に座った孫娘が撮った写真である。
 講演で禊ぎを受ける?
 当方流の考えは、公私のけじめが見えないままの講演をすることへの内的心情を問題とする自責の念なのである。そんな状況下で「公的な時空」を過ごしてしまうのは非礼極まることではないのか、との葛藤だったのである。確かに「禊ぎを受けた」実感が脳裏を刺激し、反省だらけの講演であったことは否めない。参加者の中には終始「私語を楽しむ」光景があったことが今も脳裏から離れることはない。公私混在した自己紹介でアットホーム的な雰囲気でスタートしてしまった「講師の甘え」を反省する。これも確かなる「禊ぎを受けた」証だと自認している朝である。
 ただ、他の会場では得られなかった「歓びと感謝」の思いが大きかったことは文末に添えておきたい。娘一家が、このご当地で可愛がっていただいている感謝の気持ちだけは多くの聴講者の、一人でも多くの方にお伝えしておきたい。
 今後ともよろしくご指導いただけるようお願いいたします。有難うございました。最後になってしまいましたが、主催者関係ご一同様に心より御礼申し上げます。
 

 





自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー