2013/02/28

恒例は、やっぱり恒例です!

 ~「確定申告」作成にまた、難題!?~

 退職してほぼ10年が過ぎました。

 この時期になると憂鬱になる事務処理があります。それはそれは難儀です(笑)。この地に転居して昨年から、初めて e-Tax という処理法に挑戦しました。向こう見ずの性分はこの選択にも表出しているんだと、親しい友人(=同級生)は笑い飛ばしています。彼は早めに下準備(資料を整理整頓したモノ)を済ませて解禁日の午前中で事前指導を受けてその場で記入を済ませて提出して帰るという手法を変えていないそうです。12月になると、1月からの資料を整理してお正月を迎えるという律儀な対応を続行していると言いながら心底から勧めてくれています。

 人生の様々な「格差」はこんな所から発生するのでしょうね。「生まれつき」の思考回路の修正は、そう安易に出来るモノでは無いことを痛感しています。友人の勧めを頑なまでの拒否ではありません。友人関係は崩壊することなく続いているのがその証です。

 e-Tax なる文字に「何とかなるのでは?」という安易に誘惑に乗るのも性分なのでしょうが、「やっちゃいました!」と去年はブログにも書いたような気がします。去年の経験値が今年は基礎にあり、楽に進められるとタカをくくっていたんです。

 ところが、茅ヶ崎市で住んでいた自宅を改装して、6月より「賃貸住宅」として他者に利用してもらうことになっているのです。つまり「家賃収入」が昨年の後半から発生しています。公的年金等の収入と講演活動に発生する収入での申告形式から、新しい分野からの収入が発生したので申告の形式が従来と違うようなのです。 

e-Taxという文明の利器を使う以前の「法的常識」が面前に立ちはだかってしまいました。知人友人がいないこの地では、自らの力で突破するしか方法は無いわけです。

新たな難題に今日から挑みます。

目標だった2月中に終える目算が見事に外れましたが、数日間で終えることが出来るように頑張ることをここにお誓い申し上げます(笑)。 

2013/02/27

対語の魅力

 ~どっちが『表』?『裏』?~

 コインを使って「表裏」で勝敗を決めて順番や陣地を決定する。

 ガキ大将が持っている5円玉の表裏に一喜一憂した少年の日の遊びの風景が懐かしく浮かんでくる。我が家の5歳の孫と戯れていた時、「お祖父ちゃん、どっちが表?」と訊かれて、「こっちじゃないかな?」と応えると半信半疑な顔をしながら「誰が決めたの?」と畳み掛けられた。「表」と思う反対側が「裏」となる訳だよ、と無責任な応えをする祖父ちゃん。

 どうやら、「表」が正統派で「裏」は紛い物のようなニュアンスで生活文化を熟してきたようだ。朧げな記憶が蘇った。社会科の学習用語で「表(裏)日本式気候」が使用されなくなった時期があった。恐らく教科書(=正式には「教科用図書」と言う)での表現規制が文科省からあったのだろう。人道的な配慮があったのだろうか?「配慮された」こと自体も妙に気障りな思いがした瞬間も蘇ってくる。

 確かに日本海側の都市への訪問の際に感じた。冬の気象状況は、まさに「裏側」の意識で納得したような気になったモノだった。しかし、高貴な判断と指導だったのではないかと、今では感心している。

 昨日は鍼診療日。

 常磐線の終着駅(上野駅)で降りて東京駅まで行く。そして、1~2番線の高架ホームの中央線に移動する。エスカレートを利用しないと登れないような急な階段の段数を機械が運んでくれる。

何十回も利用していると視点も変化するようだ。老妻が、「この煉瓦って、東京駅の屋根?」と突然聞いて来たのが1か月ほど前だった。中央線のホームに接している煉瓦造りの建物は、確かに「東京駅舎」の『裏側』である。いつも中央線のホームには電車が止まっていて、「東京駅舎の裏側」が視界に入ることが無いので老妻の着眼に感心して、確認する作業をしてデジカメで写真を撮った。【左】

 100年前の東京駅舎の面影を十分に残す修復工事が先日完了して観光客を呼ぶキャンペーンも行われた。東京駅・丸の内側出口は3か所とも乗降客の外に観光客でごった返していた。100%の人がカメラ持参だったのではないだろうか。

 東京駅フォトコンテストも実施され優秀作品【右・写真】も発表された。華やかな東京駅舎を映した優秀作品を鑑賞した。その裏側の一部分を老夫妻は凝視したのである。
 孫の質問ではないが、どちらかが『表』となったら、その反対側が『裏』と判断しても結論的には間違いあるまい。『裏』が表になることもあっても良いだろう。へそ曲がりの爺の結論は身勝手なモノであり参考にもなるまい。読者諸兄のお考えは如何かな?東京駅舎の2枚の写真は決して「表裏」決定の資料では御座いません(笑)。

2013/02/26

戦闘開始のゴング

 ~「請負業務」の日程を見て~

 3年前からの請負業務。

来年度の日程表を資料として打ち合わせが行われた。久しぶりに「品川駅」下車で会場まで行ったが、変容ぶりに定刻まで到着できるか不安になるほどの道程だった。やっぱり出席者の中で一番最後の到着となって少々面喰った。

 教員採用試験を受験する人を対象にして開講される業務である。

 お受けした真意は「教員の卵たち」への指導が出来る。これは恩返しの真似事にもなりそうだ、との心意もある。「なってからでは遅い」という教育哲学を発する小生にとっては、「実践する」チャンスであることが深意でもある。

 既に3回の「教員誕生」に携わったことになる。

 業者なので追跡調査は似合わない。第1回目の卒講生も、教育現場では二年次研修も終了する時期となり、いよいよ新年度から「ホンモノの教員」として始動することだろう。勤務校も知らないので仕方のないところであるが、どのくらい成長しているのか?知りたいのも人情であるが任務としてはいけない。

 割り切り方を変えて務めることも重要であると気付き始めた。

 送り込んだ後は現職の校長以下後輩諸兄に「お任せ」することである。当然至極な結論であるのに、3年もかかってしまったのは、浪花節人生を生きる小生の性格的欠点のようだ(笑)。教員稼業が長いと習癖的な思考回路が身についてしまっているのかも知れない、と考えるのは単なる言い訳でしかない。教育者であることをいつまでも前面にぶらさげていると、請負業務の業績が上がらないのかも知れないなぁ。

 それにしても、もう来年度の業務開始ゴングが鳴った。

 何だか加齢の証しは、「時間の経つのが速い」と感じるところにあるようだ。

2013/02/25

読書少年の『ゆめ』の中

 ~初めて借りて読んだ本~

 それが、下村湖人作『次郎物語 (上)(下)巻』であった。

 小学校入学は分校だった。本校まで4キロ以上ある僻地に生まれたようだ。誇りある分校第1回生であった。ピカピカの新校舎と言えば聞こえは良いが、2教室と小さな職員室だけの平屋であった。しかし、運動場はあった。子どもの頃は「運動が嫌い」だったので遊具での苦い思い出はあっても楽しかった遊びはない。

 3年生から本校に通った。

 本校は別世界だった。視る物すべてが初めて尽くし。中でも広い講堂(体育館はなかった)には恐怖感があった。雨天でも体育の授業ができるとは信じられなかった。しかし、何と言っても衝撃だったのは『図書館』だった。

 5年生になって学校図書館で初めての授業を受けた。本の借り方・返し方の指導もあった。担任の先生が「今日から本を借りて帰って良いぞ」と発せられ、恐る恐る書棚から「選んでいた」本を取り出してカウンターに移動した。

 借りた本が、小生を「本の虫」としての一生を決定づけた。

 11歳の少年の夢の実現は還暦を迎える時代まで送りやられてしまっていた。「著者ゆかりの地」を踏んでみたいとの夢を描いて上京したのだった。東京学芸大学(東京都小金井市)を公務で訪れた折に大願成就が出来た。初めて借りて読んだ本が執筆された(と言われていた)場所を訪問することができたのである。還暦に至る老脳にも「若き日の熱き炎」は、まだ燃えていたことが嬉しかった。

 その館(「空林荘』=写真)が全焼した。

 2月24日のネット記事でそれを知って愕然とした。もう一度、今度は孫達でも連れて訪れようと心ひそかに考えていただけに衝撃であった。孫が小学校5年生である。「お祖父ちゃんの小学生時代を語る」腹積もりも空しく、記事と一緒に焼失してしまった。

 「後で・・・」「これが済んだら・・・」と先送りは出来るだけ避けたい、と落胆した。「空林荘」の中も拝見できたのに、帰りの時間を気にしての先送りをしてしまったことが今となっては悔しい。人の「人生を変える」本を執筆されたという庵の中に入って見たかった!!

 喩が適切ではないことは許されたい。
 少々未練がましく、去って行った恋人でも負うような気分になってしまった。久しぶりに「読書少年」に戻った瞬間だった。

2013/02/24

朝陽と人生観

 ~朝陽と夕陽はどっちが好きですか?~

 
 
   知人に言わせると「夕陽」に決まっていると言う。

 小生は夕陽が沈む不知火海に面した半農半漁の村で生まれて育っている。雲仙普賢岳の方向に夕陽が沈む光景はイヤと言うほど見ている。と言うより生活の一部であったことは否定できない。

 縁側で西日を浴びながら宿題をした日々の思い出に明るい思い出はない。次兄が就職試験に失敗して夕陽に向かって無言のままに何時間も独りで座っていた光景が、やけに暗いイメージを醸し出してくれる。夕陽には「暮れゆく哀しさ」が伴って脳裏に叩き込まれてしまったのかも知れない。

 だから、(比べてしまうからなのか)朝陽が、好きなのである。

 神奈川県茅ケ崎市に住んでいた(48年間)頃は、朝陽も夕陽も「生活」の中には存在しなかった。住宅の屋根やビルの間からしか「太陽光」は差し込んで来なかったからなのかも知れない。生活のリズム時計は、そのままに「置時計・掛け時計」の針でしかなかった。

 しかし、当地(茨城県土浦市)に転居して生活のリズムは転換した。

 日の出の時刻には何にも遮られない朝陽が部屋に差し込んで来るのだ。雨戸を開ける楽しさは堪らない。今こそ、7時前でないと雨戸は開けない。凍りついた雨戸が開かないのである。しかし、朝陽が射すとあっという間に溶けて開けることが容易になる。太陽光の威力に尊敬してしまう。

 そんな朝日の恩恵に感謝と敬意を感じる。

 夏場の朝の爽やかさは堪えられない。早起き爺は4時過ぎの「朝の明るさ」を体感できるのが至福の時間となる。元気が漲って来る。今日も一日頑張るか!!そんな思いを畳み込んで夏の早朝歩禅に飛び出すのである。

 やっぱり「朝陽」派なんだろうなぁ~。

 全国の愛読者の皆さんは「どっち派?」ですか。昨朝の『日の出』の写真を提供します。

2013/02/23

歩禅の記(11)

 ~寒波の中の50分間~

 尊敬する鍼診療師の言葉が浮かんだ。

 「健康のために歩く」のだから少々の無理があっても我慢して続ける!これを信じて自らを鍛えることは愚策である。「歩きたい」「歩きたくなったら歩く」の自然体を執拗に提唱される。独りで歩くことが「楽しい」のであれば一人で歩けば良いし、複数で歩きたければ友人知人を誘えば良い。しかし、基本は「歩くことは楽しい」という理念を歪めてしまうような連れ出すような実行は身体が喜ばないことを忘れないように!

 起床時には寒さを感じた。天気予報通りだった。

夫は、この時期は確定申告のための作業に振り回されている。妻は着ぶくれ状態で歩行への関心が遠のいている。こんな夫婦が、午前9時の時報と同時に異口同音に「歩いてみたい」と発したから変である。閉めた窓の外の栗の木の枝が微動しない。陽射しは窓ガラスを通して燦々と降り注ぎ熱い程であった。

「行ってみるか!?」の夫の提唱に妻も(珍しく)早めの外出準備を始めた。歩禅の出で立ち準備は、歩数計・デジカメ・(水)ペットボトル・タオルを小さなリュックに詰め込むだけでOK!

この時期の揃いでの歩禅は珍しいが、「歩きたい」気持ちを優先することが師の教えであれば護ることに抵抗は無い。

田園地帯も予想外に温かい。北風も射すような寒さがない。寧ろ「気持ち良いね」と言葉を発し合うほどである。当地に引っ越して必需品となったのがネックウォーマーという代物である。首の冷えを防いでくれるのを実感として受け止めている。30分も歩くと「汗が出る」夫と、全く「汗をかかない」妻の身体構造を、師は「内臓機能の優劣」と断言される。

汗が出る。咳が出る。痰が出る。鼻水が出る。熱が出る。涙が出る。

こんな「迷惑症状」を師は健康管理の重要な症状だと指導され、13年間も医者や薬の恩恵を受けずに生きて来た夫婦である。医療として「常識」とされる知識の多くを師に否定されながらも医療費ゼロ(妻の歯の治療費は除外)の異常な健康状態を確実に維持しているのだから不思議である。

鍼診療師の明言は書き尽くせない。

楽しい話題は歩調を整える。50分間6000歩を古希一歩手前の夫婦が軽やかに歩いて帰宅した。裏(と言っても100メートル以上離れている)に住んでおられる80歳になられるお爺さんが、隣接する栗林に見えていた。事情を話すと更に話が弾んだ。

『年寄り同士の話し合い』風景に見えるんだろうなぁ~、と苦笑する。

2013/02/22

『ネーミングの深意』を考える

 ~『B級ぐるめ』って何??~

 アルファベット26文字の「A」と「B」。

 確かに先頭を切って登場するのが「A」であることには誰も異存はない。しかし、二番目に登場する「B」が、価値観までが「二番目」に位置づけられる文化の浸透には強い遺憾を抱いている。

 去る2月8日は、広島市小学校教頭会からの要請で出講した。

 小生の講演は無責任な『放談スタイル』での時間となり、重みも無ければ「学びの誘い」も軽度のモノであり謝礼をいただくのに躊躇する。楽しみは、主催者のご厚意で時間を設けていただく懇親会である。今回の広島でも、印象に残る『珍味』を参加者の教頭先生から頂戴したことに端を発した。

 代表の教頭先生から懇親会終了後の記念撮影写真が添付ファイルで届けられ、当夜の楽しかったシーンを思い出した。隣席に座られた教頭先生から、「田舎のモノで申し訳ないのですが、もし良ければ食べてみて下さいませんか?」と差し出されて口に入れた。言葉では表現できないが美味であった。ビニール袋に入った残りを持参するよう勧められて「お土産」として帰宅した。

 老妻にも現状を伝えて食してもらった。

 その珍味の名称が浮かんでこない。全く想像に及ばない名称であり、ほぼ諦めかけた頃、当事者から講演へのお礼のメールが届いた。そして、「家人の感想はどうだったか」、との問い合わせの文章が続いていた。読んでいくと「●●●●●」との平仮名が登場して、かすかな記憶が蘇って苦笑した。

 ネットで調べる(高齢者にもこの手法が似あうようになっている)【写真参照】。

 そこには『B級ぐるめ』と称して紹介されていた。B級があれば、A級がある訳だ。ふとAクラスとかBクラスとかランク付けを表現するために使用される「優劣」の具材にアルファベットが用いられていることを思い出した。憤慨心を持ちつつ改めて思い出さざるを得ない現況に達したのである。

 その世界の専門家の意見は指導もあって、観点に応じてランク付けは在るのだろうが「優劣」が消費者に一方的な誤解で浸透するようでは製造者に対して非礼ではないだろうか。そんな思いが脳裏を掠めたが、広島地方にしかないという意味で地域の狭さからくる意味でB級と捉えつつ、レシピに見入った。

 読者諸兄は、この珍味を食したことはお有でしょうか?

自己満足度から評価してもトップランクに入る珍味として美味しく食べさせてもらった。改めてお心遣いにお礼を申し上げたい。

2013/02/21

我が家の『宴』の前後

 ~「お祖母ちゃん」の誕生日~

 保育園に出掛ける末孫(6歳)が朝から興奮状態の原因が判明した。

 「お祖母ちゃんのケーキ」が食べられる今夜が待ち遠しいからだった。小学生5年生の孫はランドセルを背負って玄関先を出るや否や、「お祖母ちゃん、誕生日おめでとう!」と言ってくれたそうだ。二年生の孫は、「今朝、言い忘れちゃった!お祖母ちゃんゴメンね。お誕生日おめでとうございます」と、本番直前の発声だった。

 同居して二度目の当日である。

 午前中から、東京に住む次女と千葉に住む長女から交互にお祝いの電話のベルが鳴っていた。午後4時前になって学校から帰って来たらしい孫たちからも電話でお祝いの言葉を掛けてくれたようだ。誕生日そのものへの感動や喜びは少ないにしても三人の我が子の、それぞれの「家族」からの気遣いが堪らなく嬉しいのは祖父ちゃんにも理解できる。

 同居する母屋軍団(5人)からの鉢植えの「5色の花」が手渡されてテーブルに置かれると「ちっちゃな花」が豪華に見えるから環境は素晴らしい。孫たちの大きな声の合唱がお祖母ちゃんの心には響いたのかも知れない。「離れ」の住まいのトイレに貼ってあるカレンダーには赤い丸印で囲んだ日付がある。利用する孫たちは既に知っているようだ。家人の誕生日である。その年の最初の赤い丸印の日付が2月20日の老妻の誕生日なのである。孫たちにとっては「最初のバースデーケーキ」を食する日となる。6歳の孫の興奮もわかるような気がする。

 そんな一日に、夫である小生は「墓参すること」を妻に勧め、生花を買った。

 亡き両親に、生きている日々には言えなかった感謝の言葉を花に託すことを初めて推してみた。昨年も当地に住んでいたが初めてのことで気づかなかったのである(笑)。転居して2年が過ぎようとしている。両親が眠る墓地も「歩禅コース」にある。寒い時期で歩けないので車で向かった。墓前で何を語りかけたかは確認することも無い。額づく後姿には感じるものがあったような気配だった。

2013/02/20

歩禅の記(10)

 ~届いた『一枚の葉書』~

 玄関先の郵便受けから老妻が一枚の葉書を持って来てくれた。

 丁度、『独り歩禅』に出掛けるべく玄関先で靴の紐を結んでいたので、立ち読みして書斎の机上に置いてくれるように頼んだ。今日の歩禅は折りたたみ傘を手にしての出発だった。朝から「いつ降り出してもおかしくない」空模様で歩禅の相手をしてくれるような自然現象ではない。

 ラジオでは「東京では大粒の雪が降り始めました。積もる心配はありませんが当分はこの状態が続きそうです」とのアナウンサーの声を聞きながらの出発だった。当方はウォークマン愛用型の散歩人ではない。周囲の音をキャッチできない危険な状態での歩禅は回避しているからである。

 歩き始めて「雨の心配はゼロ」と確信すると快調な歩調になった。

 ふと脳裏を掠めたのが出がけに手にして読んだ「一枚の葉書」である。大きい文字の「万年筆」の足跡文字が浮かんできた。正確な文章を記憶はしていなかったが、概要と送信者の心は掴んでいた。自筆の葉書を受け取る心境に思いが集中した。

 去る2月9日に実施した、主宰する教育実践『響の会』の広島市会場で恒例のセミナーで第一部の講師をお請け戴いた山口富久氏(前・広島市東区区長)から葉書の返事を頂戴した。やっぱり「手書き」だった!!この類(直筆)の葉書を受け取る度に「手書きの温もり感」に感激する小生であることは偽りではない。

 ところが多くの葉書をパソコンで作って投函しているのが現状である。

「ハガキ道」にて精進されている多くの方々とのお付き合いをさせて頂いているので、その度に「温もりのあるハガキ」に感動している。そして、自己改善の兆候を意識することも事実である。「有言不実行」の人種(部類)に纏められてしまっても仕方が無いほど実行に移していない。

歩きながら考える(=当方の『歩禅』設定の主旨)。

恥ずかしながら当ブログに二枚の葉書を登載して(左舌:当方が投函した礼状/右上:講師からの返信はがき)みることにした。読者諸兄のご示唆は「手書き=直筆」葉書に軍配が上がることぐらいは百も承知である。思案中である愚問(=「この葉書の返信はやっぱり手書きにすべきですよね」)を、歩く田圃道の西の方向に聳える筑波山に向かって問うてみたくなった。

答えと行為は自らの判断である。応えは後日のお楽しみ!!(笑)

2013/02/19

今年も『球春』の到来

 ~2月も、もう半ば~

 現役の中学校教員時代にはこの『球春』という熟語は、冬眠から覚める動物の喜びにも似て「待ちわびる言葉」であった。卒業生が春の選抜高校野球大会に出場すると言うので長男(当時は小学生)を連れて新幹線で甲子園球場まで足を運んだものだった。アルプススタンドからは卒業生を間近に見える訳がない。TV画面の方がはっきり見えるのだから自宅観戦が楽な筈である。しかし、臨場感を求めて会場入りした季節である。春は名のみの風の寒さや・・・・・の歌詞通りに寒さとの闘いでもあった。何回観戦に行っただろうか?

 そして、指導者から離れて26年間が過ぎている。

 それなのに『球春』という言葉が今年も小生に「ときめき」を運んで来てくれた。愛知県の先生から新聞記事をいただいた。プロ野球キャンプ(沖縄)だよりの記事であった。中日新聞の記事を切り抜いて届けてもらった。

 30年目 マサ入念   新フォーム 球に手応え

 こんな見出しの言葉を一瞥しながら、老妻と一緒に記事を読み切る。マサとは小生の卒業生の現役・プロ野球選手である。47歳になる現役選手である。この選手が中学校の選手時代の指導者であった小生は、今のマサより年齢は10歳も年少である。このあたりの年齢は、すべからく「人生の転機」の時期である。「現役」選手としての自らと涙の決別を告げる時期である。その時期より10年間も延長して活躍する卒業生の『踏ん張り』を、今年も『球春』が迎えに来てくれている。

 そんな卒業生の躍動への歓喜は言葉では表現できない。

 マサの新著書が手元に届いた。成長した卒業生の足跡を著書の中から探し出しながら「成長し続ける」愛弟子に大きな刺激を受ける喜びがある。これぞ教師冥利か!!

 現役続行を希望しても球団側の受け入れが無ければ涙の引退である。この厳しいプロの世界で、今年も「我が子と同年代の選手」(=マサが表現している)と張り合う姿には老師の背筋も伸びる思いである。

 無理せんでも良い!!怪我無く、1シーズン透して出場できたら良い!!

小生は、祈りにも似た「かすかな期待」に胸を奮わせる古希一歩手前の「マサの先生」である。今年も球場に何回か足を運ぶことができるのか?気が付いてみれば、同伴者は、息子の息子たちに代わっている!

2013/02/18

昨日の新聞記事


 ~公営住宅の遺品~

 引き取り先なく廃棄の自治体も多くなっている。
 独身生活者の親しい友人と話をする。当方が孫たちの話題に触れると「羨ましいよ」と前置きして、高齢者となった身の寂しさが言葉について出る。若い頃は兄弟姉妹の家族とも親交はあったが、高齢者になると甥も姪もそれぞれの道の人生を歩み始めて「可愛がった日々」は幻になってしまっている、との愚痴で話が止まる。

 我が子がいても新聞記事のように「遺品の引き取りを拒む」状態になるとすれば結末は大同小異の状態になってしまう。人間関係が血縁者間では以前は異なもので在った筈であるが、現代では、血縁の有無には無関係な人間関係になってしまっているようだ。友人の寂しさにも同意できる。遺品の管理が自治体の負担になっているとの関連記事を読んでいると背筋まで寒くなってしまった。

嫁の実父は僧侶である。多くの檀家を抱える寺院を営んでおられる。縁あって我が両親のお墓も寺院の霊園に作ることが出来た。ある時期に霊園の中に「慰霊塔」を建立された。遺骨をお寺に預けたまま引き取り手が現れない遺族が多くあるとの話を耳にして唖然としたことがある。僧侶的着想からなのだろうか、「納骨して慰霊をする」との意志で慰霊塔ができたのだそうだ。墓参の折りには時々、慰霊塔に手を合わせてから帰ることにしている。

 遺骨の引き取り手と遺品の引き取り先との正確な関連性はできない。

 いずれにしても「人間関係の薄弱さ」に思考が辿り着く。故郷を遠く離れている小生も、母親の17回忌で帰郷の墓参で感じたことがある。『先祖代々の墓』という意識が自らにも薄らいでいる事だった。結婚するとそれぞれの世帯を作る民法に法るとは言え一抹の寂しさを禁じ得なかったのは何故だろうか。

 朝刊のトップ記事を読みながら、ページをめくって関連記事まで読み終えた。何故だかわからないが「ふ~」っと息を吐いてしまった。

2013/02/17

お知らせ

写真版『歩禅記』を新ブログ『寸心紀行』に登載しました。右欄枠内をクリックして覗いてみてください。筑波山を望む長閑な田園風景の写真がご覧になれます。

第10回「博報教育フォーラム」に参加して

~興味の的は『サブタイトル』に~
2月16日(土)10:00~


 強風のために常磐線が途中駅で臨時停車。発車の見込みが立たないという車内アナウンスにドキッとさせられつつも東京駅での待ち合わせ時刻には何とか間に合ってホッとする。入場許可証の葉書に、9時45分前の入場制限が記されてあったので丸の内北口のエントランスで暫く立ち話をして時間を待った。
 =日本の教育、海外の教育。違いから本質へ=
 これが興味を引いた本フォーラムjのサブタイトルである。国際的学力テスト(興味が無いので正確な名称も意識していない)の2種類の結果で、「日本は学力が落ちた!!」と研究者(?)が言葉を発すると矢面に立たされるのが教育界の現場(学校)である。いい迷惑だ!!そんな思いは募るばかりではあるが、教育風土はその国によって大きく違うことを考えれば思考文化が左右する「テスト(=筆記試験)」では、結果に相違が生じて仕方あるまいと反応している小生であった。その点で、このサブタイトルへの興味は高かった。=違いから本質へ=の部分である。
 事例紹介をしていただいた3人の研究者には詳しい情報提供に感謝する内容だった。
 取り分け名古屋大学大学院教授・渡邉雅子氏の「ことばと思考の教育比較」には魅かれる表現が数多くあり、もう少し聞いてみたい気分で制限時間となった。他の二者の事例が拙かったことは無い。lこの事例発表だけをを聞いたら他の箇所に移動するために退席を予定していたが昼食休みを利用してその要務を済ませて、午後の部の『問題提起』まで参加することに計画を変更したほどだった。
 総合評価をしても、このフォーラム(現職時代にも参加している)の質の高さは回数を経るごとに上がっていくのは喜ばしい。会の設定も(今回は周年行事)変化があり、盛りだくさんの提案を受け止めることが出来るような設営の配慮に感心した。
遠路からの参加者も多いようだが、自らの学びのために経費を掛けても参加するに値するフォーラムであったことは今回も同じだった。『集い・語り・気づきあう』スローガンを噛みしめつつ昨日の学びを思い出している朝である。
 
 
 
 

2013/02/16

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載⑤≫

旅日記 2月 8日~10日(広島県広島市)

こんな強行日程になってしまった!!
 

1月30日から2月2日まで滞在した広島市に、再び8日から10日まで戻って来ると言う無理な設定になりました。1週間も経たない内に新幹線で再度の往復をしてしまうところに無理があるような気がします。旅人が古稀一歩手前の年齢である事を考えるからでしょう。一般常識から考えても異常な日程の編成です。しかし、こうなってしまいました(笑)。

 わが師(=鍼診療師)曰く、「やる前から限界だと臆病風を吹かせるようでは何も達成できない。無理だと思われることに挑んでみる気力が何よりの超越心になる」と。この師との会話は去る12日の鍼診療日の時点での再話です。

開口一番「やったみたら出来たでしょ?」と。「やり遂げなければ自信は着かない。無理のない程度で抑えれば成就感はない。成就感を得たくて頑張る姿にしか自信の神様は宿りませんぞ!」と立て続けの師の哲学(言葉)に頷く小生には「為し終えた」充足感に満足していました。出発前の我が老体への不安感から脱皮して、大きな自信が芽吹いていたのは事実でした。

 広島市小学校教頭会の自主研修会は、昨年の6月22日に予定してあったものです。当日、広島地方の集中豪雨で中止になりました。その再現としての要望がありこの日程の中に組み込むことになりました。それに連動して、恒例の広島『響の会』立春セミナー(既に当ブログにて報告済み)の開催が決定されたので日程の上積みになり強行日程になったわけです。

 会場は広島市教育センター。

 ここを会場としての講演は過去にも経験があり、違和感もなく講演そのものには特記するほどのこともありません。しかし、小生の「教員の人財育成」哲学に関して少々述べることがあるので論述することにしましょう。

 学校教育界の正規の管理職は校長と教頭だけである。たった二人の管理職とは言え、教頭職の決裁能力は校長の裁量範囲とは比べ物にならないほど小さいので、ややもすると、教頭職の存在感すら弱いモノになっているのです。しかし、教員の人材育成面では「見えないパワー」としての存在感が教頭職にはある、と言及し続けているのが小生なのです。『教頭の職員室運営』と題して多角的な切り込みで原稿も執筆した程です。これは、あくまでも体験から生み出した哲学です。

 職員室を立派に牛耳る教頭を持つ校長は安泰です。

 校長の理念を具現化出来る裁量は教頭にしかないのです。校長の「欲しがる人材を育てておく」技量が教頭職には求められていると原稿にも認(したた)めました。多くの同意を表する手紙やメールを頂戴しています。教頭職にある期間に人財育成技量を発揮していれば、校長職を拝しても教頭職の存在感も理解できて、学校経営に厚みと深みが生まれると確信しているのです。

 そんな思いを熱く語り、哲学を押し付けて(笑)講演は終了しました。

夜の懇親会もその延長線で盛り上がりました。資料を提供すべく教頭先生たちのアドレスを知りたい旨の発言をして帰りました。教頭会長よりそのアドレスが一覧にして届きましたので、資料提供第一便は、現職校長として最後に執筆した原稿を添付ファイルにて送信できました。即刻の返信メールを読んで、「広島市の教育」の将来への足音を聞こえてきたような嬉しさが湧き起りました。

 教頭職には先があります。
だから健康管理はとても重要です。心身ともに健康で広島市の教育界の発展に寄与できる活躍を期待するばかりです。

 翌日の9日は教育実践・広島『響の会』立春セミナーに出講しました。退職された先輩校長先生方も懇親会にご参加いただきました。お元気で次のステージでご活躍の様子を聴きながら広島『響の会』の歴史を痛感し感無量となりました。

10日は午前8時・広島駅始発ののぞみ号で東京まで直帰して、上野駅で常磐線に乗り換えたら特急電車の揺れに、「無事に仕事を終えた充実感」が募って45分間が睡魔と共に過ごすことになりました。

 関係者に厚くお礼を申し上げて、今回の旅日記を閉じることにします。熱心に読んでいただいた皆さんに感謝します。
 
 ここ数日間に来年度のカレンダーに「書き込み」が多くなっています。次回の旅日記は??老体に似合わない日程に挑む姿を、次回の旅日記で一緒に楽しんでください。

2013/02/15

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載④≫

旅日記 2月 7日 (東京都東大和市)

「師弟の絆」を映し出す学校経営

 こんな表現は小生には似合いません(笑)が、敢えて添えたい表現が似合う時間を満喫できました。急な日程が翌日(8日)に広島市に入ったために落ち着かない行程になってしまい主催者の小学校には申し訳ない気持ちでの訪問でした。

 学校長とは前任の勤務先(=教頭職)での出会いでした。そこは立川市立新生小学校という「統合・新設開校の小学校」でした。この小学校を立川市教委が立ち上げる前、小生は茅ヶ崎市の現職校長でした。「新設開校小学校」の方向性を指導して欲しいとの招請で数回ほど研修会に出講していました。従って既に初代校長として内示を受けていた校長との出会いは開校以前にあったことになります。

 開校1年目より一般公開の研究発表に挑む小学校でした。その発表直前に教頭として(中途で)着任したのが、今日の訪問校の校長でした。新人教頭が、しかも新設した小学校の研究発表会の直前に着任となれば学校長の負担は計り知れません。一般教員を「授業研究を通して」人材育成されていたのが功を奏して、教頭を助けながら全教員の総意で発表を成功させた立派な校長が、本校校長の「御師匠さん」だったのです。

 そんな過程の中で鍛え上げられた教頭先生は、以後転勤を重ねながら、小生が主宰する教育実践『響の会』の立川市会場を切り盛りする事務局も担当してくれました。当然ながらこの会の代表はこの小学校の校長先生の「御師匠さん」です。お二人の校長先生と小生との関係も長くなりました。

 他市での校長昇任に師匠である退職校長は苦慮される案件があったようです。『授業づくりは学校づくり』。このフレーズは小生がある教育月刊誌の連載のために執筆した原稿のタイトルです。小生は、教師を育成するのも「授業づくり」を支柱にすることで出来ると言う理念を持っています。教員から「授業をする」時間を取り除けば「ただの人」(笑)となってしまうと冗談を飛ばします。その授業づくりで弟子の学校づくりを援助したいと考えられたようです。

 学級閉鎖や担任の発熱で修羅場の研究発表日だったようです。

 しかし、目を丸くするような授業展開を視ました。「コラムを書く」単元での授業づくりにはもう少し入り込んで観察したいと思うほどでした。またインフルエンザで授業が出来なかった同僚に替わって当日授業をした教員の「声質」の良さに朗読の鍛錬を勧めたくなりました。教員にとって授業の良さを左右する「声」は侮れないからです。その教員には再会までの課題を提示して帰りました。再会が楽しみです。

 「教育の日やまと」という行政の指導姿勢にも注目をしました。

教育委員長のご挨拶で「秋田県」の情報が提供されました。その視点に感心しました。授業づくりの観点への興味付けになりました。小生も講演でその観点を解釈させるべく、参考実践例を聴講者にプレゼントして講演を終えました。

 大先輩の校長先生が、走り出した新米の校長先生の「学校経営に加担して」寄り添う姿は正に「師弟の絆」そのものだと感じました。心仄々とする思いで懇親会に足を運ぶことが出来ました。御師匠さんの思いを受けて来年はどんな研究発表になるのかがとても楽しみになっています。頑張って欲しい!!
 

追記:
『授業づくりは学校づくり』という小生のオリジナルフレーズの中間に、この「御師匠さん」が『学級づくり』という言葉を挟んで教員の指導をされたようなので、講演で「まとめ」を述べました。会場にお越しになった市議会議員さんが、メモが出来なかったのでブログに登載して欲しいとのご要望でした。お約束ですから以下に附記します。

(1)授業づくりが目指すモノ =興味関心の高揚

  学びの意味を知る ②努力の尊さを知る ③他者との違いを知る

(2)学級づくりが目指すモノ =信頼関係の構築

   ①生き方のルールに気付く ②周囲の温もりと思いやりに気付く ③協力の大きさに気付く

(3)学校づくりが目指すモノ =有用な人間の育成

   ①実践力の養成 ②継続力の養成 ③選択力の養成

2013/02/14

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載③≫

 お早うございます。早朝起床してメールチェックをすると偶然にも下記の訪問校のHPに小生の講演録が公開されていました。校長先生からも「PTAの部屋}担当の保護者からもメールを受信していました。この原稿は昨夜仕上げていますので、今更訂正できませんのでご了解ください。こんな交信ができると高齢者でも早朝から「興奮状態」になっちゃいます!!(笑) 小牧市立小牧中学校のHPを開いてご覧ください。
 
 
旅日記 2月 4日~ 5日(愛知県小牧市)

 講演旅行日程の谷間だった「この日々」に、白羽の矢を射ったのは小牧市立小牧中学校長(玉置崇氏)でした。空いているんだから断る訳はあるまい!と心を詠まれての打診でした(笑)。加齢の身には少々難行であることには不安も無かったこともないのですが、氏の熱い学校経営は「一度は覗いてみたい」思いがあり承諾して前泊にての学校訪問となりました。

 校種間の温度差は教員にあり。

 小学校と中学校の温度差はあらゆる角度から分析しても「あって当然」です。その要因が教員にある事を小生は、小中学校勤務の経験を通して確かに判決していたのです。是々非々の結論であるので小学校教育と中学校教育の善悪の比較では無いことをお断りしておきましょう。

 名古屋駅頭に迎えに来ていただいた学校教育・外相の顔(=「教頭」)の言動で我が判決があっさりと肯定されました。高速道路を利して30分弱で訪問校に到着しました。車内の雰囲気作りの主流は外相の人間性です。敵が味方に早変わりすることが多い貴重な前哨戦とでも言えます。話題が豊富であることだけが「歓迎の意」を創るのではありません。事と次第では「敵と味方」が入れ替わる程の貴重な送迎の時間です。

訪問校の校長とは数年来の付き合いもありますが、教頭職との出会いは初めてです。「本校の校長・玉置崇の教育理念には脱帽している教頭です」との自己紹介の初発の言葉で、もう「合格印」を押してしまいました。自校の上司をフルネームでしかも呼び捨てに出来る教頭とは久しぶりの出会いで嬉しくなってしまいました。その証拠に、到着までの束の間でも饒舌になってしまったほどです(笑)。初体験の前哨戦で、打ちのめされた学校訪問が始まりました。

 勤務校以外の訪問校で「朝の職員打ち合わせ」に立ち会うことが請われたことも初めてでした。多少の事では動揺することは無いのですが、この要請には数日前から準備する時間が必要となりました(笑)。しかも、3分間の制限時間が軋轢になったことは事実です。内容は既にブログでご紹介してあるのでここでは省きます。

 授業参観??いや、小生は教員自身が公開された授業に臨むときは「参観」であってはならないと、訪問する学校(校種を問わず)で忠告しているのです。そこで、今日の公開された3つの授業を観察しました。

 理科と国語。専門外であれば教科的なスキルへの観察は出来ない。いや、門外漢の立場上の指摘は失礼であると考えています。しかし、『授業づくり』という観点からであれば老輩には苦言を呈するだけの経験値はあります。授業後の「個人指導」の時間(=と言っても特別設定時間がないので「給食時間」)には、人生経験を語りながら「中学校における授業」への期待観を述べました。 教科的な専門用語を使った指導は、全国のどこでも「教委の指導主事」に一任しています。

 ところが「英語」の授業となると、授業観察後の専門家の舌が疼きました。しかし、 公開された中1対象の英語授業は第5校時でしたので、「指導する時間」が小生の我儘な帰路の設定で時間設定が出来ませんでした。申し訳ない思いで帰路に着きました。

 中学生の「学び」の眼は、小学生の「キラキラ」から「ギラギラ」に変わらせる授業を展開するべきだと考えているのです。ギラギラした視線で教員(専門教科)の授業に喰らい付く中学生としての「学び」をデザインして欲しいのです。

 小牧中学校の「学習者の眼」がキラキラしているようでは学習の充足はありません。あの素直な眼は思春期の学習者には似合いません。貪欲なまでに「自らの学び」を追究する中学生こそが、有望な高校生になると確信しています。

 素直な眼のままで高校に送り込んで欲しくないと願いつつ、訪問したかった中学校を離れました。再訪を期待したい中学校である事は事実です。

 機会を得て、4月から入学する生徒の保護者と過ごした時間の、小牧中学校教育に寄せる「期待感」に応えてくれる「授業」が展開されることを信じています。

2013/02/13

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載②≫

旅日記 2月 1~ 2日(広島市)

 「講師の角田先生には7年連続してこの本校の研究会で講演をしていただいています」との教頭先生の講師紹介で研究発表会の「講演会」が始まりました。年数の公表に我が耳を疑っていました。ここは広島市佐伯区の石内小学校です。映画監督・新藤兼人氏(故人)の母校なのです。「花は散れども」という映画のロケ地になっている「蛍の飛ぶ」水のきれいな所です。

 学級閉鎖が生じる状況での研究発表会でした。3つの部会での授業研究協議と講演の二部制にして実施されたのですが、参会者の顔ぶれに顔なじみがある程に通っている学校であることを実感しました。しかし、もう「7年間」も訪問し続けている証しとも自覚した講演会でした。事前に「石内小でお目にかかることを楽しみにしています」のメールを数通受け取っていることも思い出しながら登壇しました。

教育界でも「人材の育成」に躍起になる程に人員構成がいびつになっているのです。つまり、50代と20代に構成員が偏り。40代の教員が少な過ぎることに将来への経営不安が集中しているのでしょう。訪問校も例外ではないようです。

 そこで、こんな「教員育て」の方法もありますぞ!と講演での実演を公開しました。こんな手法で接すると「人は変わります」という奥義を披露することにしました。つまり、講師にとっての「講演会」での授業をすることに決めたのです。会場に居合わせた外部からの聴講者には理解できなかったかも知れませんが、会場校の関係者には「何かが違う」手法ぐらいは感じ取ってもらえたと思っています。

残念ながらブログでは解説することは不可能ですのでご容赦願います。分かっているのは「当事者だけ」だとは確信しています。何せ、7年間も通っている小学校です。多くの教員が転勤してきた時点で、この講師が先着している訳です。人財育成の標的人材ぐらいは選択できる能力は持ち合わせている老輩です(笑)。

「講演・授業」の標的になった人材(=訪問校教員)は、多くの聴講者の面前で酷評されたり、朗読を強いられたりと散々だったことでしょう。教員としてのプライドを傷つけられた講師の言動に面喰った思いだったでしょう。

人が変わるには、『正』であろうが『負』であろうが大きな衝撃が必要であることを改めて思い知らなければなりません。ぬるま湯の衝撃では「変動」は期待できません。馴れ合いと傷の舐めあいで授業を研究していても授業は変わりません。そんな理念の下で、荒療治を施しました。その後の、この教員の成長を見守っていきたいと考えています。

 講演の内容より「人財育成」を主眼にした手法での講演となり、小生の講演を目当てに参加してくれた外部からの先生方には少々お詫びを申し上げなければなりません。

詳細は田中校長先生か國政教頭先生に直接問い合わせてください。(広島市立石内小学校 082-941-0217) 写真は授業観察中の教室風景です

 翌日の講演は、中学校区(石内小学校も入る)ふれあい活動で一昨年に続き2回目の登壇でした。明らかに前回より多くの参加者と、その視線に講演内容への期待感を強く感じました。中学1~2年生の吹奏楽部の演奏を聴きながら前回の光景を浮かべていました。確かに中学校が変わっている!!生徒指導にご苦労されている中学校である、と前回の控室で聞いたことが蘇ってきたからです。中学校教育に携わった一人としては「学校の荒れ」は他人事ではないからです。演奏を聴きながら中学生の表情から判断しましたが、間違っていないと確信しています。
  それは、地域の方々の聴講態度にも表出していたからです。温かさが増しています。学校は、大人社会の現象を映す鏡と考えれば容易なことです。教育は学校に委託するモノではなく、大人個々の「地域や子供を愛する」姿勢が子育ての支柱であると核心ています。地域の責任ある方向性が求められていることを実感できた会場でした。学校は、地域に感謝して全ての教員が授業づくりに全力を傾けたいものです。
充足感を胸いっぱいに戴いて、とんぼ返りで帰路に着きました。有難うございました。

2013/02/12

睦月から如月の『講演旅行記』≪連載①≫

旅日記 1月29日~31日
 
睦月の暮れから公私混同の旅が始まった。

 事の発端は、平成19(2007)年に逝った義父の遺産の処理に目途が立ったことにある。熊本県八代市(国道3号線沿い)にある自宅と畑地に買主が出現したことでその公的な手続きのために妻の帰省時期を考えていた。

 正月早々では先方にもご迷惑なので暮れにすることになった。先方とも折り合いがついて出発の準備に取り掛かった。その頃から土浦の自宅には異変が起き始める。健康自慢の小2の孫が40度の発熱でインフルエンザと判明した。俄かに母屋は殺気立つ。両親である長男夫婦は障碍者施設の職員である。日常からインフルエンザの時期になると「我が家からの発症」だけには気を付けていたからである。施設の入所者への配慮の様子は同居して直ぐに感じ取っていたことだった。

 しかし、こればかりは親の思うようにはいかない。感染力は確かだった。次々と家庭内感染である。保育園児~母親~小5が発熱と病院への搬送が続く。止めは老妻であった。九州への切符を購入する日に38度9分まで熱が上がる。高齢者の部類に入ったと苦笑していた老妻もインフルエンザには叶わない。

 30日に講演のために広島入りを予定した夫のスケジュールに合わせて妻も九州へ向かう予定を作っていた。夫の出番が早まった。ピンチヒッターとして29日には九州へ到着することに日程を組み直して出かけた。それから広島に戻って公務を果たすことになった。代理人での手続きが可能であるとの司法書士の指示があったので「公的手続」ができた。

 インフルエンザの保菌者(?)であるかも知れないと心配な老体は、旅先での発症を案じつつの出立だった。

 31日は広島市立飯室小学校の訪問である。単学級6学年の小規模の小学校であった。午前中に予定されている「保護者対象の講演会」に登壇した(状況は以下の「校長先生通信」を参照)。午後のスケジュールは他校と同様に授業研究会での指導助言であったが、給食前の時間に1年生の教室に案内された。「お祖父ちゃんはどっから来たの?」の声に歓迎され、「えいご」の授業をやってしまった(笑)。

 翌日届いた教頭先生からのメールで、帰宅後の1年生の家庭での様子を知って心がほのぼのとした。インフルエンザには「勝った!」と思える瞬間だった。(つづく) 

0207受信

角田 明先生

 先ほどから添付ファイルとともに送信していますが、どうもうまくいきません。(写真があるからだと思います。)本文だけを貼り付けて送信いたします。度々申し訳ございません。

【 角田(つのだ) 明(あきら) 先生 】

去る1月31日(木)の午前中に行われた保護者向け講演会に参加してくださった保護者の皆様、お忙しい中お越しくださり、ありがとうございました。 保護者の方、地域の方を合わせて17名の参加がありました。

 講演会のテーマは「子育ては生きがい」でしたが、角田先生のご家族の話から、今ニュースで話題になっている体罰の問題、教育者の心得や子育てまで、幅広いお話を聞くことができました。

 その中でもっとも印象に残ったのは、「命のつながり」というお話でした。角田先生ご自身も、義理のお父さんの介護のために校長の職を1年早く退かれましたが、ご長男もそのために退職をされた話は、聞いていて涙が出てきました。

 今の世の中は便利になりすぎて、「死」が身近に感じられないことにより、日本は病んでしまったと言われました。その1つとして、「恋ちゃん はじめての看取り」という絵本を紹介され、「家でおじいちゃんやおばあちゃんを看取ることにより、孫である子どもは『命』に向き合い、自分の生き方を見つめ直すことができるのではないか。」と言われました。

 私も、今のテレビの中では毎日たくさんの人が死んでいる(架空のことも含め)ことや、テレビゲームで次々人を殺してしまうような遊びもあること、それが「リセットボタン」1つで、簡単にやり直せること、そして本当に大切な人の「死」が、遠ざかってしまっているということにより、現代人は、大事なものを失っているような気がしてなりません。

 また、角田先生は、「子育ては、失敗の連続だ」と話されました。いくら頑張っても思い通りにはならないけれど、一生懸命向き合うことが大切だということを話してくださいました。だから、親が自分を責めることはないが、子どもと一緒に悩みながら一生懸命生きることで、子どもは大切なものを学んでいくということや子どもは理屈で育つのではなく、周りの大人の生き様を見て育つというお話は身に染みました。これは教員にとっても同じであるということも納得できました。

 これからの時代を憂い、今からどんな子どもに育てていかなくてはならないのかという答えについて、角田先生は、「健やかな精神と健やかな体を持つこども」だと言われました。「勉強は今できなくてもよい、いくつになっても学んでいこうとする子どもを育てていきなさい。」ということも言われました。今現在も日本や世界にはたくさんの問題がありますが、今後も必ずいろいろな問題が起きてきます。そのときに、自分考え、切り抜けていこうとする気持ちや、人と助け

合って頑張る気持ちがあれば、たいていのことは切り抜けていけることでしょう。

 子どもたちに何の困難もないようにしたいのが親の気持ちですが、多少の困難を経験し、人の痛みを感じとり、頑張ってやりぬく力をつけておくことも必要だと思います。この度の講演会でたくさんの大切なことに気づくことができました。保護者の方や地域の方とともに、感動を共有することができたことを大変嬉しく思います。今回は、午前中に設定したために残念ながら参加していただけなかった保護者の方も多かったと思います。また来年度も、このような機会を持つことができればと考えております。

飯室の子どもたちが、健やかに育っていきますように、今後とも、家庭と地域と学校が手を結んでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 

以上です。   飯室小学校  安永千代美

2013/02/11

広島『響の会』立春セミナー

このブログでは写真添付ができません。
右欄外にある『寸心紀行』をクリックして覗いてください。広島『響の会』立春セミナーの報告を登載しました

帰路の常磐線車内で拾ったお話

 特急電車は混んでいました。後部席は親子連れの乗客だとわかります。親子の会話がストレートに聞こえてくるからです。聞こえてくる会話に聞くとは無しに聞いているとどうやら大学を卒業して4月から社会人になるらしい息子さんとその母親のようである。親子で入社説明会に行った帰りだとわかりました。周囲に憚ることない母親の声には苦笑する内容が発せられていました。

 当方が感じたのは内容の問題ではない。
 現代社会の幼児化の原因を垣間見たような気分になったことである。入社説明会に「保護者同伴」が義務付けられているような現状である(=確認をしていないので憶測)。教育界でも同様な珍事が起き始めた頃退職はしたものの憂える時代の到来ではないだろうか。4月1日辞令をもらった新人教員は勤務先の学校に移動する。そこで一日の勤務が始まる。担当としての業務内容も説明される。本務の開始である。翌日に新人教員の母親から校長に電話が入った。最初の日からの激務に「教員生活に自信を無くしたので辞めたい」との伝言であったそうだ。自らの電話であったとしても大人気ないが、「保護者」の代弁では開いた口が塞がらない。

 後部座席の母子の会話が、この新人教員の母子の対話と切り離せなかった。しかし、入社説明会に保護者同伴(たまたまこの母親が付いて行ったのか?)が社会常識となると想定してみるとゾッとする。「親とはなんだ!」と、幼児化を促進する要因は何だろうと考え込んでしまった。

 常磐線の特急電車は梅園で有名な水戸への観光客らしいミニ団体で混んでいた。ほぼ満席の状態だった。そんな場面ででも、所構わず会社の方針や経営の先行きを心配するらしい母親の言動に愕然としてしまった。不思議だったのは肝心な「子息らしい」声が聞こえなかったことである。

 皆さんの周囲でもこの種の「幼児化する大人社会」の現象がありませんか? 
 
 
 




2013/02/10

ともあれ、全日程を消化しました!

 ~内容よりも責任の遂行が優先~

 広島『響の会』立春セミナーを昨日の午後に終えてホテルに帰着したのは遅い時間となりました。美酒と歓迎に酔いました。こんなにまでして「待っていて」頂いている方々が多いことに今更ながら驚きました。「全日程を無事に終了出来て」ホッとしています。

 夕暮れを知らせる非常時専用のスピーカーから5時のメロディが鳴りはじめました。まだ、こんなに明るいのね、と言いながら老妻は持ち帰った洗濯物を洗い終えて干し始めました。

関係者各位にメールでのお礼を送信し終えて『響の会』のスナップ写真を整理していたら、もうこんな時間になっています。

 パソコンはたくさんのメールを受信しています。

 返信は少々お待ち願います。気を張ってドタキャンの無いように心がけた「張りつめた糸」が少々弛んで来ている感じが全身に漂い始めています。

 今回は、『寸心紀行』にて写真入りで広島『響の会』のセミナー報告をいたします。暫くお待ち願います。無事帰宅の報告まで。

2013/02/07

どうしたの、日本!?

~大雪情報が先行して・・・~

 4日間の旅の準備を始めていました。

 朝からいつもと様子が違います。全ての要因がTVという情報源です。首都圏への「大雪情報の先取り合戦」が始まっていたのです。昨日の朝から既に首都圏の電車の間引き運転情報が飛び込んで来ました。そして、夕刻からの積雪で翌朝の危険状態までアナウンスしていました。先だっての首都圏豪雪(この表現もマスコミの使用語)の顛末を再現されないようにとご配慮の様でした。

 気象庁の大雪予報が情報機関を動かした結果としてTV画面が該当地の視聴者を混乱させてくれました。「積雪しない前に」と、老妻に急かされてJRの駅まで翌日からの乗車券を購入するために車で出向きました。広島駅までの往復乗車券を求めながら、「明日の状況」を聴いてみて驚いた。各種の情報で知り得た現状は利用する常磐線も50%の間引き運転中の時間であった筈なのに、駅職員からの回答は全く異次元のモノでした。

 「現時点でも通常運転ですから、明日は大丈夫だと思いますよ」と聞いて唖然としてしまうばかりでした。小生はたまたま、必要に迫られて足を運んだ駅頭でこの確答を入手したのですが、帰宅しての各種情報で再確認しても「翌日の天気」に関しての鉄道の運転状況は高率の間引き運転の情報だけだったのです。

 文明の利器で「速く・確かな」情報を提供しようとする企業努力には時としてその恩恵に感動するのですが、このような「先がち」情報の線香ぶりに振り回されることもあることを受け止める力も必要だと痛感しました。

 このブログをしたためつつ、ラジオから流れる情報は昨朝のモノとは全く違うではないか!!ソロモン諸島での地震被災には心を痛める。現場の情報を知らせること以前に日本列島・太平洋岸に辿り着く「つなみ」情報で夕刻のTV画面が占領されていた。その報道に、大雪情報は意図的に掻き消してしまったのだろう。

 情報収集能力とは何だろう。これでもか!!と言うほどの溢れ出る「不安を煽る情報」に浸り続けると臆病になってしまうのかも知れない。首都圏の積雪情報をTV画面で視ている豪雪地帯の人々はどんな思いなのだろうか。結局は気象庁の予報が間違っていたとの事です。自然界の動きを先取りする能力は、いかなる現代文明利器でも太刀打ちできないことを改めて感じ入っている朝です。

2013/02/06

久しぶりの爽やかな緊張感

 ~タイムマシンに乗って20年前に~

 中学校の職員室。「朝の職員打ち合わせ」から登場する校長のデザインで訪問日程が始まる。この光景は??僅か1年間しか勤務しなかった中学校における教頭職時代の「朝の空気」である。規模は訪問校の方が若干大きいが形式は相似している。走馬灯には20年前の教頭職時代の苦悩が巡っていた。

 訪問校の校長からは朝の打ち合わせの時間で「3分かスピーチ」を要求されていた。駄弁をすると時間が不安定になるので、本校では初公開になる資料として持参した書物の一部を朗読して任を果たすことにした。
 

 たとえば、あなたがラブレターを書くとき、「あなたのことが好きで好きでたまらない」というように自分の思いを感情にまかせて綴った手紙を送ったとします。このような手紙をもらって喜んでくれるのは、最初からこちらのことを好きだと思ってくれている相手だけでしょう。好きでも嫌いでもない人からこのような手紙をもらったら、たいていの人はむしろ「やたらと押しつけがましくてかなわない」といった悪い印象を持つのではないでしょうか。

 もしもこのとき、相手が自分でも一番好ましいと思っている部分やいいと思っているところを評価し、その上で「あなたのそういうところが好きです」というふうに書いたとします。もちろん、それだけで相手もあなたのことを好きになってくれるとはかぎりません。しかし、自分の良いところを見てくれていることがわかれば、少なくとも相手はそのラブレターの文面は好意的に受け入れてくれるでしょう。少なくとも前者の例よりも、うまくいく可能性ははるかに高いでしょう。

 もちろん私はここで、ラブレターの書き方を教えましょうというつもりはありません(そんな柄でもありませんし)。いまの話を通じて言いたかったのは、技術を伝えるときにせよ、自分の意思や感情を相手に伝えるときにせよ、大切なことはまったく同じだということです。つまり、相手が受け取ってくれない形のままで伝えることをいくらやってもダメで、どんな場合、自分の伝えようとする中身を相手が受け取ってくれる形に再構築しないことには絶対に伝わらないのです。

 そして、そのためには、「相手の立場になって考える」「相手から見える景色を想像する」ということが大切なのです。

 繰り返しになりますが、私が本書で示した考え方や方法論は、技術の伝達だけでなくいろいろな伝達の場面で使うことができます。

 何かを伝えることで、相手と豊かなもの、温かいものを共有することができればそれは素晴らしいことだと思います。本書に示したエッセンスが、そのささやかな助けになれば筆者として非常にうれしいことです。    2006年12月『技術の伝え方』著者 畑村洋太郎

  この本文を朗読している写真が、訪問校(愛知県小牧市立小牧中学校)のホームページに掲載されているのでご参照いただきたい。


 今後、機会を選んで今回(2月10日まで)の講演・旅日記としてアップすることを考えているのでご期待ください。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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