2010/07/31

この夏の読書は進んでいますか?

  ~こんなに便利になってしまって~
 『本』と言えば、なぜか少年時代の思い出が浮かんでくる。
 それも、苦い思い出であるから思い出したくない筈なのにくっきりと背景の景色も出てくるが皮肉なモノである。西日の射す縁側。夕陽に赤く染まっている雲仙岳が美しい。4歳年上の兄(当時5年生)の国語の教科書を隠れて読んでいた。祖母が呼んでいる声が聞こえた。丁度面白いところだったので無視した。数分後に見つかってしまって叱られた。「聞こえていて聞こえないふりをしているとホントに聞こえなくなるぞ」と、いつもの叱咤だった。読んでいたのは「豊田佐吉物語」であった。
 5年生になって再びそのストーリーに触れて、再び感動。その時は縁側で隠れて読んだ懐かしさなどはなかったが、今となると懐古になる。祖母は「男の子が本を読む」ことを極端に嫌っていた。男の子は外でチャンバラ(=時代劇ごっこ)するモノだと決めつけていたから、それにそぐわない孫は天敵のように四六時中注視されていた。少年時代の小生は外で遊ぶより家の中で本を読んでいるか絵を描いているか。祖母が嫌ったのも頷ける。
 PTAや公民館主催の講演ではこのことに良く触れる。「子育て」というジャンルで講演依頼を受けると、自らの「子育ち」ぶりを公開することにしている。つまり「角田 明物語」を披露する事にしている。小生の現代版をご存じの方なら「うっそ-!」「ホントに?」と首を傾げること請け合いである。なぜなら、元気・明朗・闊達・・・(自分で言うか?!)と、この種の代名詞に代表されるような性格であり人生闊歩の現実をご存じだからである。幼少の「育ち」がそのまま延長することばかりではない。大勢の人と出会いながら刺激を貰い、考え、自らを成長させていくモノであることを説きたいのである。
 中学校を卒業すると有名進学高校に入学した。その学校の何が一番誇れたか?
 それは城址を見下ろす立派な図書館・閲覧室があったことだろうか。苦手でイヤな教員だった物理の授業は良くサボった。行き先は閲覧室。司書の女性の方は苦笑いしながらも一回も注意されないどころか担当教官への密告(笑)すら無かったのは幸運至極。その上にそこには溢れるほどの本と言う強い味方に囲まれていたので大船に乗った(笑)時間でもあった。教科書以外の本を買うことなど全く不可能な家庭に育った少年にとっては『天国の間』であったことは間違いない。ただ、本を借りて帰ったことは一回もない。
 そんな少年が働き始めて自分のお金で「本が買える」ことを知ったときの反動は凄かった(?)。大学生時代は、教科書を盗み読みされていた兄と同居だったが教壇に立った時点では独り住まいのアパートに移っていた。結婚して近くに住んでいた兄が時々訪れる度に言った台詞は「本に潰されて死ぬぞ」だった。4畳半一間の部屋は足の踏み場が無いほどに本だらけ。壁が見えないほどに積んでいた。
 教員時代は、市内の本屋さんに注文しておけば職員室に本を届けて貰えた。1ヶ月締めで請求書が届く。「えっ、これ全部本代?」と、隣席の女性教師が素っ頓狂な声を出したのは語りぐさ。払えない月は加算されてボーナス支給日に新たに請求書が机上に置かれた。
 結婚してもこの悪癖(笑)は続いたが、幸せなことに妻が一度たりと「本代の金額」に不平や不満の言葉を発してくれなかったことである。何と言ってもこの事は有難いことであった。
 そして、世の中は便利になった。便利すぎるほど便利になってしまった。
 パソコンで本を注文する。数日後には手元に届く。妻は相も変わらず本狂いの夫が注文した本が(妻には)前触れも無く「着払い」で届く連日でも決して不平を口にしない。夫はこれでも気遣いながら注文しているつもりだがこの病気には特効薬も効かないようだ(笑)。
 小生のHPには、管理人さんからの要望で「教員対象」を意識した本紹介コーナーが特設【イチオシBOOKS】され、毎月1日にアップされ続けている。
 長々と「本と私」ストーリーになりましたが、そのイチオシBOOKSには掲載しない類の本を同世代(範囲はご自分でご判断!)の、最近の2冊をブログ読者にご紹介しましょう。
 外山滋比古 著  「人生二毛作」のすすめ  飛鳥新社 
 大島龍穏  著   定年出家        小学館

2010/07/30

今朝は本降り!!

  ~雨が潤いの源~
 数日間、ある新聞記事に注目が行った。
 それは「秋葉原無差別殺傷事件」である。何が一番気になるのか?と問われれば「無差別」という文言である。相手は誰でも良い、という犯罪意識にはどうしても合点がいかない。人間関係がもつれ「恨み辛み」が特定の人物やグループに向かう精神状態は理解できる。理解するから犯罪に走ることを理解しているのではない。
 内面に鬱積した憤懣の履け場を「誰でも良い」として刃を向けられたらまともに生きていけないではないか。電車内で携帯電話を注意したら、小生が降車する駅までずっと後から着いてきて「うざいんだよ!」と言葉を吐き捨てて走り去った若い女性の言動を思い出した。小生の「無差別」論理からすれば、これは許せることになりそうだ。我ながら頭の中の思考回路が是非の論争で錯綜してしまう。
 実は、この秋葉原事件の起きた前日に小生は現場を訪れていた。
 一日ずれていたら?テレビ画面を見ながら身の毛が弥立つ思いだった。無差別という「無関係な人間」が尊い一命を落とすことの不条理には憤りを隠せない。どうして?なぜ?そんな結論に達するのか。どうしても解せない。こんな希薄な人間社会になってしまったのも一朝一夕に表出する結末ではあるまい。
 昨日からの雨は、今朝は本降り。日照りもあれば大雨もある。潤いをもたらす雨の存在が、ずっと暑かったこの時期にとっては慈雨である。人間の心の成長にも同じ事が言えるのではないか。犯罪者の心に降り注ぐ慈雨はないのだろうか。そんなやるせいない夏の雨の朝である。

2010/07/29

久し振りの降雨

 ~今日は鍼診療日~
 7月17日に講演の仕事をして以来、約2週間のフリータイムでした。
 ダラダラとゴロゴロとしていたので粗大ゴミと罵られても仕方ない生活態度で過ごしました。お陰様で休養タップリ!そんな感じのする夕暮れになりました。
今日は明日からの仕事に向けてグッドタイミングの定期『鍼診療日』でした。
 往復3時間の運転は決して楽ではありませんが「健康促進」のための通院は欠かせません。妻と一緒に診療を受けますので往復の車中で喋ることも多くなります。様々な話題に花が咲くこともありますが、全く無言状態での移動もあります。今日は「久し振りの雨」が話題になり故郷で経験した長い日照りの後の「大雨」と洪水の怖さにまで言及しました。幼い日の思い出として強烈に残るのは自然災害なんだと、お互いに妙に納得したことでした。
 鍼診療を終えて帰ると数時間は全身の気だるさとの闘いです。何となく気力まで抜かれてしまったようにも感じますが、その後は元気に復活ですから嬉しくなります。
 明日は市内の小学校で「教員研修会」として特設された英語研修会に出講します。
 小学校の先生方は大変です。来年度から正課の授業として「英語活動」が時間割に入り込んでくるのです。苦手な教科として英語を挙げざるを得ない先生にとっては地獄絵巻そのものに突き落とされる気分にもなるでしょう。しかしながら、自らが少しでも「英語を話す訓練」を自覚して研修会を特設するのですから頭が下がります。慣れない外国語を自分なりの工夫で授業に結びつけようと賢明です。講師として会場を訪れながら時として、「なぜ、そこまで小学校教育に過酷な負担を強いるのかな?」と同情したくもなります。
 先生方にとって明日の英語研修会が、収穫があるように講師として頑張って参りましょう。

2010/07/28

「吉兆」はホンモノだった(?)

  ~22分の13~
 これは今朝のメールチェックで判明した数字である。
 小生の講座を受講した22名の中で13名が神奈川県教員採用試験第一次合格したという結果報告を受信した。喜ばしい成果なのか?初めての請負事業としては当事者には成否のグレードもわからない。小生を雇用した業者としては「もう少し」多くの合格者数を期待しての横浜会場の新規開設だったのではないだろうか。
 本講座への出講は(今夏の)初体験。
 受験対策と銘打っての講座であれば、そこは元・教員である。退職して6年が過ぎたとは言え、「昔取った杵柄」ではないか。しかし、サンデー毎日の年金生活者にとっては刺激にもなり、生きる力の糧にもなると勝手な判断でお請けしたが現実は甘くなかった。「進路指導」という名目での合格対策や受験指導は「やった」経験者ではあるものの公立学校での経験値は全く活かすことは出来なかった。全く違う尺度が必要である独特な雰囲気を初めて味わうことが出来た。
 26日の当ブログに「吉兆」と言う表現を使ったのは恥ずかしながら『神頼み』的発想からの表現である。26日が合格発表の当日だったからである。不合格になった受講生には捲土重来を期して、「教師の道」を目指して勉強して貰いたいと祈るばかりである。
 そこで、そんな期待を掛ける「教員の卵たち」に素敵な新聞記事を贈ることにしよう。
 30分前にメール便で届いた新聞である。友人が書いている連載記事を読んだ。「幸福とは社会生活から学ぶ」と締めくくりながら「人生は考え方次第」と身の回りで起きた出来事を範例にして書いている。じっくり読んでみて欲しい。

2010/07/26

高校野球の「監督冥利」

   ~表彰に価する人物~
 誠実な人物は目立たない。
 スタンドプレーは似合わない。凄さは「聞き上手」にある。常に「生徒のために」考えることを教師道としている。一旦引き受けたら最後まで面倒を看る。これは小生が知る山田先生。
 初めて会ったのは1978年(定かではないがこの時期)。勤務する中学校の卒業生の進路相談のために藤嶺学園藤沢高校を訪れたときではなかっただろうか。偶然にも教え子が教員として同校に勤務していたこともあり、相談内容から彼が窓口としての対応となったのである。まだ、教員になったばかりの初々しさは強い印象として残っている。しかし、その後も変わることはなかった。そのご縁から、以後は「中学校の野球部顧問」と高校野球の指導者としての付き合いが何年も続いた。ごり押しをする小生の強引さに優しい性格の彼は(きっと)困ったことが多かったかも知れない。しかし、一度もイヤな顔一つ見せずに対応して貰った。
 朝刊にこの記事を読んだ。
 思い出と記憶が走馬燈のように浮かんできた。そして、この好人材を「育成功労賞」として選んだ神奈川県高校野球連盟に大きな拍手を送りたくなった。連盟に向かって「良くぞ、選んだ」と心から敬意を表した。近日中に学校訪問をして直に「祝意」を示したい。
 自らの功績のように見せかけることに長けている表彰・不適格者を、意外と多く知っている。しかし、「彼は違う」と確信している。新聞記事を読みながら胸が熱くなった。目頭も感涙を押さえきれない。心から「おめでとうございます」との言葉をお贈りしたい。
 そして、そろそろ後進の指導者育成にもご尽力いただきたいと欲が出てきた。第一線を去った老輩としては「育成功労賞」受賞をきっかけにして本腰を入れて貰いたい。無理難題を吹っかけてしまうが許されたい。彼には可能である。
 何か良いことが起きそうな「吉兆」に思えて嬉しい朝である。

2010/07/25

しかし、暑いですね!

  ~「熱帯夜より暑い」夜は?~
 何というのでしょうかね。造語を考えるのも大変です!
 ところで、今日は何となくダラダラと時間を過ごしてしまいます。三日間連続して珍客に応対した爺と婆としては、生まれたての赤ん坊を預かる緊張感から解放された(笑)からなのでしょう。緊張感は、しばし「酷暑」をも忘れるモノですよ。今日はお向かいの部屋から時々泣き声を聞かせてくれます。その都度目を合わせる老夫婦も変わりモンなんでしょうかね。
 しかし、暑いです。
 埼玉県では既に今夏だけでも熱中症で10名以上の死者が出ているそうです。怖いことです。ラジオのニュースに耳を傾けると「エアコンを使用していない」「窓は閉め切っている」等と以前の夜のスタイルが通用しなくなってしまっているのが気になります。我が家もエアコンは設置はしていますが、殆どが来客時にその時間帯だけ使用しています。通常は全く使用していません。
 今夜も熱帯夜?そろそろエアコンのご厄介になるような手立てが必要なのでしょうか。
 横になって高校野球中継放送をテレビの画面で楽しめる時期になったのですが、画面を見ているだけで、妻は「倒れないかしら」と何回も口走るほどです。現役指導者時代を思い出します。あの時の気温とは雲泥の差。この暑さの中での激しい攻防を観戦しながら選手の健康管理も大変だろうと案じてしまいます。人工芝の上に立ってみた経験が想像を膨らませてしまいます。元気で事故のないようにだけを祈るばかりです。 暫く業務から解放されていましたが、今週からそろそろ仕事が入ります。たっぷり休養をさせていただいたので大丈夫です。

2010/07/24

嬉しい『珍客』(その3)


 ~二度あることは三度ある?~
 老夫婦の朝は超・早い。
 4時15分出発の早朝歩禅(60分間)を終えて帰宅したら『腰湯』(15分間)を済ませる。朝食を終えて一段落すると6時半だ。この暑さではラジオ体操は嗜好による選択は馴染まない(好き?嫌い?と問われれば「嫌い」と答える)。老脳鍛錬記(『昨日の記録』)を書くことからパソコンに向かう。これが個人的日課の始まり。この日記については説明を要する。「昨日の出来事を思い出す」ために特設している脳の老化現象を和らげるための無駄な努力とご理解いただきたい。時として「全く思い出せない昨日」と遭遇した時の衝撃は言外である。それが終わるとのんびりと朝刊に目を通すことにしている。依頼原稿の執筆等はこの後に続いて11時頃が午前日課の全てとなる。
 今朝は早朝電話が2本。一つは茨城に住む長男からであり、早起きの親父を知っているので驚くことはなかったが、もう一つが・・・。お向かいの若い母親(=『珍客』の)からであった。連日の御礼を丁寧に述べながら、今日の相談はご主人の腰痛に関することであった。整形外科の紹介依頼が用件であった。腰痛の辛さは誰よりもわかる爺は、様子を伺いながら隣町にある整形外科医を紹介した。当然ながら、ご主人を医院に運ぶには、昨日までの『珍客』様は、今日も拙宅にてご逗留なさることになる。直感通りに開院時刻前に『珍客』様は来訪することになった。
 今日の『珍客』様には随行がお一人。つまり6歳のお兄ちゃんも同伴での来訪であった。そこで、爺と婆は分業して二人の上客を丁寧に接待することに、(今日も)相成りました。『二度あることは三度ある』という諺を実践する時間となりました。
 三度あることは四度あるのか!(笑)しかし、「遠い親戚より近くの他人」と言う古い言葉が浮かんできた。九州に住んでいる親戚に頼ることは厳しい。近くにお住まいの他人様にご厄介になることが出来れば大助かりである。周囲の人たちと仲よくすることの重要性を母親に十分すぎるほどに聞かされて上京した日のことが思い出された。他人様のお孫さんもまた可愛いモノだとお茶を飲みながら談笑している爺婆で御座います。
我が家の孫たちも、居住地では周囲の皆さんに可愛がっていただいているようなので、「ご恩返し」になれば嬉しいですね。

2010/07/23

嬉しい「珍客」 その(2)

  ~珍客は約束通りに来訪・・・~
 このブログを書きながら、「そんなにキミは暇か?!」と自問する。
 ご指摘の通りに暇である。この茹だるような「酷暑」の下では、辟易とするほど時間の経つのが遅く感じる。つまり、暇であることの証明であろう。
 そんな時の一服の清涼剤が先方からお届けになる。こん嬉しいことはない。昨夕の妻と若い母親の約束は果たされた(笑)。怪我治療のための通院時間に、赤ん坊は丸腰の儘で昨夕に引き続き「珍客様」として拙宅にお越しになりました。可愛いけど緊張感が漂い、暫し、時間の経つのを忘れる。1時間も経たないうちに帰宅した若い母親が「受け取り」にやって来た。
妻が、「起きたら知らせるからそれまで寝かせておいて、食事を済ませなさいよ」とアドバイスをしたようだ。双方の玄関と玄関の距離は5㍍あるかないか。納得した若い母親は怪我をしたお兄ちゃんを連れて自宅に戻っていった。
 ところが目を覚まさない珍客。とうとう3時近くまで気持ちよくお休みになる(写真)。しびれを切らしたお兄ちゃんがママに強請ったのだろう。お引き取りにやって来た。珍客は来た時の丸腰の状態で眠ったまま自宅にご帰還された。
 何ごともなくお返しできたと安堵するのは妻の筈なのに、何一つしていない爺がホッとする。変でしょうが、平和で長閑な酷暑の午後のストーリーで御座いました。 「新しい命」(誕生して1ヶ月に満たない)の威力って凄いですね。ホンの数時間の珍客の滞在中であったが、流行りの「熱中症」という現代語も老夫婦の話題にも上りませんでした(笑)。

追記 座布団ベッドのカバーを妻が新調しました(笑)。接客のマナーですって。エアコンを使わない老夫婦が「除湿」にしてお迎えしたので御座います。

2010/07/22

夕暮れの嬉しい『珍客』


  ~産まれて1ヶ月未満~
 そんな『お客様』(写真)が我が家に飛び込んできたのが夕暮れの5時半。
 お向かいの若いご夫婦に先月末に誕生した第二子が『お客様』なのです。6歳になる息子さんが遊んでいる途中に頭部に裂傷を負ったとのこと。病院に電話をしたら受け付けていただいたので車で母親が連れて行くらしい。赤ん坊の泣き声を久しく聞いていない爺と婆は、鳴き声を聞く度に「生きている」感性を覚えている昨今でありました。その泣き声の主が突如、我が家に持ち込まれました(笑)。若い母親は出血する長男を病院に搬送することで精一杯。そこで、近隣で最も暇そうな我々夫婦が「一時緊急託児所」に選ばれたわけです。地域住民としては最大の名誉であると自負しました。おしめとミルクの指示をそこそこに母親と長男は病院へ直行。
 触ると壊れそうで爺には手が出せません。さずがに、婆は「昔取った杵柄」なる手さばきで居間の板張りの上に座布団を一枚出してお預かりした「抱っこ人形」を寝かせてしまった(写真)。泣くどころか気持ちよさそうに目を開けることは全くなかった。
 帰宅した母親に赤ん坊を「お返し」しながら、妻が明日はどうするの、と訊いていた。預かるから安心して病院に行ってらっしゃい、と妻。良いですか?有難うございます。お願いします、との若い母親。妻は若い母親からすれば「母親業・大先輩」です。その貫禄が漂っていました。いつの間にか忘れかけている爺の脳味噌に、重要な事実として再現させて教えてくれた『夕暮れの珍客』でありました。珍客様、明日もお越しをお待ち申し上げております。【爺】

日本列島の学校は「夏休み」

   ~教員には「夏休み」なんか無い! 
 教員になった理由は?「夏休みがあるからです」と答えた同期の教員が真っ青になった。その光景を見て尋常ではない雰囲気に触れて小生は真っ青になりました。23歳でした。その小生の姿が今、はっきり浮かんできました。
初めて教壇に立ったのが私立高校でした。新採用教員が理事長室という怖い部屋に集合させられました。理事長さんの優しい問いかけは「どうして、先生になったんですか」でした。トップバッターの同僚が本音(笑)で軽く答えたのだと思います。しかし、その瞬間に理事長室が凍りつくような状態になってしまったのです。幸か不幸か小生は4番目の席に座っていましたので、思考する時間の余裕もありましたので同質の答えはしなかったと思います。しかし、緊張していてどんな応えをしたのかが全く記憶にありません。
 「夏休み」という言語は教員には適用しない。
子供達専用の業界用語である、と言う説明を学校長から受けました。大学で「夏休み」を過ごしたばかりの「出来たてホヤホヤの教員」には意味がしっかり掴めなかったのが正直な感想でした。
 あれから43年。その間、我が子が愛した「夏休み」という言語は今では孫たちが愛用しています。「おじいちゃん、夏休みになったら茅ヶ崎に行っても良いですか?」と電話を受けたばかりです。「良いよ。夏休みはいつから?」と聞き返す祖父の姿は、43年間で人生観の変容と共にすっかり老け込んでしまいました(笑)。
 学校は夏休みになったようです。先生方には一般社会人と同様に「有限・夏季休暇」が特別に与えられます。上手に活用して休養を取っていただきたい。しかし、なかなか静養できるほどの精神的ゆとりはありません。緊急事態が発生すれば職場に飛んで戻るようになります。生き物である人間であれば当然であるとは言え、「起きて欲しくない時」に限って事件や事故は起きるモノです。そんな実体験も浮かんでくる朝です。
 日本列島、時は正しく(子供達の)「夏休み」。必ず思い出す言葉を、今朝も思い出しては苦笑いです。事故や事件に巻き込まれずに児童生徒全員が無事に「夏休み」を楽しんで学校に戻ってきてくれることを「蚊帳の外から」も祈っております。

追記: 今日は定期「鍼診療日」に付き、早朝歩禅は「夏休み」(笑)です。7時半には車で八王子まで行ってまいります。 

2010/07/21

今や、『※※※ 教育』の花盛り

  ~「食育」と言うけれど~
 早朝の空気がこんなにどんよりしているのは、熱帯夜の延長線でしょうね。
 風が無いので余計にそう思うのか。早朝の爽やかな涼味を求めて散歩しているのに「需要と供給のアンバランス」は世界経済の実情にそっくり(笑)。
 夫婦の話題は昨日の朝刊記事(掲載写真)である。
 夫が教員である(正確には「あった」)ので、「教育」という言語には拒否反応など無い(正確には「あるとは言えない」)素人の妻である。その妻が新聞を持って話しかけてきたのが昨日のこと。「どうした?」と珍しい光景に夫が尋ねると、「食育って、今始まった事じゃないわよね」と畳みかけてきた。
 今日の早朝歩禅はたっぷり1時間。
一気に1時間歩けることは健康状態が良好の証。本日の早朝歩禅のキーワードは「※※※教育」。妻が、専門的な手立てはプロに任せるとしても基本的には「食生活」の責任は家庭教育に包括されるのではないか、と話しかけてきた。同感。ありとあらゆる「教育」は家庭教育に包括されるべき内容であることに異論はない。
 インターハイというセミプロ段階で勝敗や優劣を競う大会を直前にしての新聞記事なので話題としてはタイムリーである。『スポーツ栄養士』という資格があることも初めて知った。大所高所的見地から理解するとしたら、「国家戦略」としての方向性を打ち出されても不思議ではないかも知れない。間違った栄養摂取情報が記事の中にも記されている。この位のことは「国家」として将来の自国を担う高校生にプレゼントすることは「票田」になるかも知れませんぞ。
 厭味や皮肉では埒空かない。
 どんな教育も「家庭教育がスタートライン」であることは周知の事実。しかし、現実は?家庭で担うべき任務を「外注する傾向」にあるのはなぜか?それは、成長期に肝心な教育をすることを学校も社会も避けてきて戦後60数年が流れてきてしまったからではないだろうか。戦争を知らない世代が、この世の「お祖父ちゃん・お祖母ちゃん」の主力になってしまった。どん底の生活も知らない世代である。だから大昔の『老人の知恵』などは持ち合わせていない。
 そんな時代の到来だから、各種の「プロ」の出現は産まれるべきして産まれてきたのではないだろうか。今日の話題は食育であるが、キャリア教育・金銭教育・環境教育等々「※※※教育」の花盛り。しかし、笑って見過ごせないから苦しい。決して学校教育への全権委託だけは考えてはいけない。それが4番目の「国民の義務」というモノ!(笑) 

2010/07/20

一枚の「往復葉書」

  ~あれから8年?~
 今日、一枚の葉書が届いた。往復葉書である。
 平成13(2001)年4月1日に新設開校した茅ヶ崎市立緑が浜小学校の「第1回卒業生の集い」の案内状である。6年生の1年間だけを共にした卒業生である。新設開校とは言え、小学校生活の残りの1年間だけを「転校の処遇」を受けたことになる。彼らはどんな心境で受け止めていたのだろうか。あの日々の落ち着かない学校生活の風景が脳裏を過ぎる。
 学級担任時代の卒業生との再会とは趣も違う。しかし、初代校長としても忘れることの出来ない学年集団である。どんなに立派になっているのだろうか。その成長ぶりと再会できることは「初代校長」冥利かも知れない。
 「出席」に◎をつけて投函しよう。
 メッセージの中に「20歳」との文言が目に飛び込んで来た。月日の流れは速いモノだとしみじみ感じるてしまう。8月1日が待ち遠しくなっている当時の校長先生である。

早朝歩禅記

  ~「少しでも歩かないと」・・・~
 早朝歩禅を復活させてから毎朝出会う老婆。
 「今朝はどうなさったのかしら?」と妻に声を掛けられてから、「そうだね、会わないね」と夫も毎朝出会う手押し車の老婆の姿を目で追った。老婆とはとても失礼な表現であるが敢えて固有名詞の代用として表現することを許されたい。
 昨朝のこと。手押し車の車輪の直径より大きい段差を越えようとされる場面に遭遇した。咄嗟に小生が先回りして引き上げようと引っ張ってあげた。「あぁ、ちょっと待ってください。自分のペースでやらないと転ぶんですよ」と大きな声。ハッと思って小生は手を引いて「ゴメンナサイね」と声を掛けた。「ご親切は有難いんですが、何せ足腰がこんな状態だから」と、反対に小生に気遣いをしていただいた。
 実はこの老婆は近所の親しい「お婆ちゃん」なのだ。しかし、こんな早朝に独りで外出されるとは・・・、と小生夫婦は認知症が始まったのかな?と敢えて関わることを控えていたのである。手押し車と一緒にコースを変更してゆっくりと歩き出しながら「角田さんの奥さん?」と妻の顔を覗き込みながら老婆から声が掛かったではないか。「さっきのご親切はご主人だったの?」と言葉が矢継ぎ早に飛び出した。小生の誤解だったのだと恥じ入ってしまった。心配なので妻が「世間話でもしながら一緒に歩いてくる」と申し出たので、二人から離れて小生一人で自宅に向かった。
 帰宅後の妻の話では、日中が暑すぎるので早朝の時間を選んでいるとのこと。そして、同居する長男一家に少しでも面倒を掛けないように「少しでも歩く」ことを心がけているとのこと。齢80歳を越えている人生の大先輩。自分で出来ることは自分でする。小生の親世代の人生そのものである。見習うべき哲学だ。早合点して「認知症では?」等と何と失礼なことを勝手に判断したモノかと反省しきり。今朝はホンのちょっと遠回りして老婆の家を見に行った。雨戸が開いていなかった。体調でも崩されていなければ良いが、とまた余計なお節介根性が頭を持ち上げて来たので夫婦で苦笑。何か大きな人生哲学を教わっている嬉しい気分になった朝であるが、お元気かどうかはやっぱり心配!

2010/07/19

喜びの「お裾分け」


7月17日(土) 講演を終えて、・・・びっくり
  ~もう10年ばかり前の約束?~
 開校したばかりの校長室から小生は「確かに電話をしました」。
『茅ヶ崎郷土いろはかるた』を普及されているグループの方を知った校長として、是非とも「自校の子供達にも」との思いで貸し出しのお願いを電話しました。しかしながら、先方のご予定との調整が合わずにいつの間にか断ち切れになってしまったようでした。お願いした当事者であった小生も、今ではもうすっかり忘れていました。
 公民館事業の講座を終えて部屋を出ました。
講座の会場にお越しになっていた老女から「角田先生、その節はお役に立てずにゴメンなさい」と、声をお掛けいただきました。そして、事情のご説明を受けました。朧気だった記憶が蘇りました。立ち消えになっていた「かるた」が老女の両手にあるのが見えました。手渡しを受けた瞬間、10年余りの長い時間がどっかへ吹っ飛んで行きました。「校長先生からの依頼にお応えできなかった」との丁寧なお詫びに胸がジーンとなりました。目頭も熱くなってしまいました。講演会場の地区にお住まいらしく、回覧板で小生の名前をご覧になったのだそうです。そして、その手作りの「かるた」をお渡しになるために、この講座をわざわざご聴講頂いたとの説明には、その誠意に恐縮しつつも感激の余り言葉に詰まってしまいました。
 「お詫びをお受けする」どころではありません。恐縮の思いで頭が下がりましたが、今となっては小生には校長室もありませんし、児童との接触もありません。しかし、大事に受け取りたい心境になりました。幸いにも、会場にはその当時、同じ小学校に勤務していた教員がいました。しかも、当時の教員は現在、この公民館に隣接する小学校の校長を務めているのです。偶然というのか、この「かるた」とのご縁というのでしょうか。老女の住んでおられる学区の小学校の校長室で「かるた」が生きることになりそうです。
 自宅に持ち帰って10年ぶりに「かるた」との再会を果たしましたので、近日中にその校長先生にお貸しすることにします。そのことも申し出てお許しを得ました。
 こんな感動と感激には、そう出会うモノではありません。小生より遙かに人生の先輩である方々の「全てが手作り」に成る正真正銘の地元版かるたです。
 あれから10年も経っているのに小生の名前をご記憶いただいていたこと。思わず背筋がシャンとした瞬間でした。

追記 読み札と絵札の一部を写真版にしました。ご覧下さい。茅ヶ崎の今日は、この「かるた」で言うならば「あ」の読み札になります。絵札もご一緒にご覧下さい。

海の日・・・茅ヶ崎では「早朝の祭典」



  ~いつもより車の量が多い早朝~
 4時20分に家を出た。いつもならバス通りを横切るのに信号機は要らない。なぜなら、こんな時間に走る車は殆ど無いからである。ところが今朝は多かった。地元の人なら誰でもわかること。今日は茅ヶ崎・浜降祭という、別称・『暁の祭典』とも言われ茅ヶ崎海岸に近隣の神社から御輿が繰り出し浜入りする勇壮なお祭りの当日なのである。4時半頃には第一陣の御輿が禊ぎのために海岸に入り込むという、まさに「早朝のお祭り」なのである。それをお目当ての観光客で国道134号線には大きな交通規制が敷かれるほどである。
 浜降祭の見物客の車であろうか。かなりの交通量だった。こんな時は無理をしないで信号機のある横断歩道を通ることが賢明である。
 掲載写真(中段・下段)は「日の出の瞬間」と、その日の出と同時に「周囲が明るくなった瞬間」を撮ったもの。上段は昨年の浜降祭の写真である。
 梅雨明け宣言と同時に昼間の陽ざしは凄い。出歩けないほどの暑さになったので、涼しい時間帯の散歩を愉しむ市民の皆さんで、定番コースの小出川堤防は賑わっていた。ここも今朝は特別なのかも知れない。この祭りが過ぎると茅ヶ崎海岸にも、どっと人の波が押し寄せるらしい。

2010/07/18

早起きは三文の得?


  ~早朝の空に「富士山」~
 単純と言えば単純。
 されどやっぱりそう思ってしまう。小学校5年生で別れた祖母の「人生訓」には大きな影響を受けているのだと、この歳になってしみじみ感じるのは感謝の思いからである。「早起きは三文の得」と祖母に言われた小学生には「三文」が分からなかったことと「得」という意義が理解できなかったので鵜呑み状態で過ごしていた。

  三文・・・1文銭3枚。極めて価の低い意味。~の値打ちもない 二束~ ~小説 ~絵
 
成長するにつれて「三文」が非常に価値の低い(タダ同然)意味を知った。その頃は、祖母はもうこの世にいなかった。母は多くを語る女性ではなかったが、祖母のこの言葉に疑問を持っていた高校生は同じ台詞を吐いた母に向かって「早起きしたって儲からんよ」と言った。三文という金銭価値が限りなく「ただ(=ゼロ)」に近い状態だからと講釈をした。母は反論することもなく、頗るさり気なくこう言った。「ただより高い物はない」と。深意を探ることもしなかった高校生が、なぜか神妙な心で受け止めてしまったのはなぜだったのだろう。
 そんな話をしながら妻との早朝歩禅は4時半出発。
 突然、妻が「わぁ~、すてきー!」と指さしながら歓声を上げた。その先にはこの時期には珍しい霊峰・富士山が梅雨明けの空にくっきりと見えるではないか。『早起きは三文の得』?と思わずの二重唱して苦笑い。
 富士山を見たから「儲かった」訳でもない。今頃熟睡して、昨日の疲れを取って元気に目覚めるのが得な場合もあり得る。損得を勘定に入れて人生を考えるほど厳しいことはない。早朝5時の空に浮かんで見えた霊峰も、今、歩禅記ブログを認めている西の空にはその姿はこんなにキレイには見えないだろう。あの瞬間のちっちゃな感動と感激は、やっぱり貨幣価値には換算できない「得」があったように感じる。
 昨日の講演後の感動を今朝一番のブログに掲載する予定だった。変更して早朝歩禅の「得」を話題提供にしたのは「損得勘定」での決定ではない。時間を創って昨日の「講演後の感動」をご報告しますのでお楽しみに!どちら様も素敵な日曜日をお過ごし下さい。

追記:早朝5時15分頃の撮影です。陰がこんなにはっきり出るほどに日の出の時刻から時間が経っているという証です。もう本格的な夏の陽ざしでした。

2010/07/17

新聞を読んで・・・(3)


  ~これって「相撲界」と同じ?~
 現役時代に良く耳にした言葉。
 それは「学校の常識は社会の非常識」と言われている、と。今でもその深意まで理解できない「教員バカ」であることは事実である。しかし、本業から少しだけ距離を置いて、そして時間的空間を経た今、一般社会が言おうとしている意味が朧気ながらわかるような気になっていることも事実である。学校教育現場での起こり得ない事件や事故が今でも後を絶たない。その処置や事後処理の仕方が他業界からは解せないような展開があるとも耳に入ってくる。
日本大相撲協会がここ数年、多くの事件や問題を一般社会から非難され続けている。ついに業界外部から指導者を移入した。この業界は「15歳」(中学校を卒業して)で入門して来る少年たちが主役である。少年期から「親方」を親と慕いながら「部屋」では兄弟子の厳しい叱咤を受けながら、将来を夢見て日夜が修業となっているようである。良くても悪くても「そこでしか」通じない理屈や常識が全身に染み付いてしまうのは避けられない。『一般社会では到底考えられない』との尺度でも独り歩きして十分であろう。一般社会の常識が全てに優先されることも全面是認はできないが、それを「常識」と言うのであれば、各種業界だけの常識は「非常識」となってしまっても仕方あるまい。
そんな考えを巡らせながら朝刊のこんな小さな新聞記事が目に飛び込んできた。
 学校教育界の事件である。つまり「学校の常識」が問われているような内容である。ここに登場する学校は、特殊条件の下で運営をされている実情は多くの国民が承知している学校である。相撲界とは異業種ではあるが「将来の一本立ち」のための訓練と修業を主として教育していると考えれば大同小異。そこにも、その教育の長い伝統があり、その伝統が産み出した文化と成果を誇りとしている卒業生も多いことだろう。
 事件の発端は「虚偽の告げ口」だった(この記事からは)。
小生の目はそこで止まってしまった。なぜ?小生にも苦い経験が脳裏を掠めたからである。同じ「万引き」という行為であり、虚偽の発言に信憑性を感じた小生は、その「嘘」を受け止めてしまい、誤解のまま指導を続けたのである。そして、その万引きはその嘘の発言者の発案で友人(犯人とされてしまった)を誘い、自らが演じた行為だったことが後日判明した。
 「育てる」作業には「相互信頼」は欠かせない。つまり「信じる」「信じてみる」ことは基礎基本と言われる。信じたら裏切られた。その繰り返しは今でも学校教育業界では続いていることだろう。しかし、当事者にとっては笑い事では済まない。人一人の人権が踏みにじられたことに対してどんな償いができるのだろうか。こうした事件と遭遇する度に、一人の生徒を苦悩のどん底に追いやった遠い昔の苦い経験が蘇ってくる。
 この記事の主人公の今後の人生が、このことを「糧に」立派に花開くことを願うばかり。これは、未熟だったあの頃の一人の教員の単なるエゴだろうが、祈らずにはおれない。

P.S. 今朝は4時半から早朝歩禅。1時間の早朝の空気で身も心も(笑)清々しい気分になりましたよ。日の出時刻の空気は、やっぱり美味しかったです!!・・・・以上報告終わり

2010/07/16

「早朝歩禅」の復活!?

  ~真夏のような朝陽~
 定刻より30分も早く目覚めてしまった朝は、少々早めの起床となる。
 未だ太陽も昇って来ていない。ほんのりと東の空が明るいだけ。しかし、明かりは要らない。ラジオを聴きながら『腰湯』に入る。20分間の湯禅は正しく沈思黙考。流れゆく雲のようにここ数日間の記憶が流れ去っていく。機能の記憶が覚束ない年齢になっているので流れゆく雲に乗っている記憶もホンモノかどうか不明(笑)。浴室には明かりは点けない。しかし、この20分間で自然界は窓を通して朝の訪れを告げてくれる。その時間に思考回路も年齢相応に正常化してくれているようだ。30分の早起きは時間の貴重さを痛感。
 夫がバタバタしている。妻も起きざるを得ない(笑)。可哀想な人生を強制されるようで申し訳ないが、起きてくれると助かる。美味しい朝一番のお茶が飲めるのである。妻がいれてくれたお茶を飲みながら「歩こうか」と意見が一致。
 5時15分。玄関先を出た老夫婦を待っていたのは強烈な夏の陽ざし。
 早朝の歩禅は久し振り。何となく(サボったわけではない!)時間特設をせずに朝は自分だけのゆったり感を選択してのんびりした時間となっていただけである。玄関に取って返した妻の手には「日傘」があった。それほどまでに強い陽ざしを直感。流石に「南国・九州の生まれ」の妻である。故郷では夏は昼間外出することは日射病やら日焼け(火傷)の被害を受けに出るようなモノで朝晩の涼しい時間帯を選ぶのが常識であるからだ。外出時には帽子か日傘は常備品であり習慣化されている。
 45分間の早朝歩禅は妻も快適だったようだ。そこで、今後は日程(当日のスケジュール)に無理がない限り、5時には歩禅に出向くことにした。空に浮かぶ入道雲に「梅雨明け近し」、と感じている朝である。

2010/07/15

被災地の方に遅い「お見舞い」を!

  ~「相手の目線で」は・・・難しい~
 わかっていたつもり。
 九州から中国にかけての広範囲で集中豪雨になっている。決してニュースをいい加減に観たり聞いたりしていたわけではありません。犠牲者が出たことも知っていました。こんな時、学校を預かる身の苦しさも分かっていました。
 そんな状態の私の目に、「広島県世羅町」という特定地名が目に飛び込んできました。犠牲者のお一人(行方不明)がその地の方だとわかり、我に返りました。広島市内の小学校現場と関わりはじめた頃のある小学校に勤務されていた教頭先生。そのご出身地であることに気が付いたのです。そこから山陽本線で広島まで通勤している、と聞いて知っておりました。
 大丈夫だろうか。
 恥ずかしながら遅まきの「お見舞いメール」を送信しました。そして、慌てて多くの校長先生方にも同様に携帯メールでお見舞いを申し上げました。相手の目線で、と、7月12日の当ブログでは偉そうに「政治家」の皆さんに向けて発しました。いつまで経っても拭い去れない教師言葉で「目線論」を発したことが何とも滑稽です。恥ずかしい限りです。
 北九州の知人にも、山口の校長先生にも慌ててお見舞いメールを発信しました。
 恥の上塗り?広島市内の校長先生方はじめ送信した方々全員から「ご心配いただいて有難うございました。」との丁寧な返信が届いたのです。やっぱりホンモノの能天気であることが、またまた(笑)再確認できました。有難うございました。
 今日は、恒例の鍼診療日。帰宅して午睡。目が醒めてパソコンにも携帯電話にも沢山の御礼のメールが着信していました。恐れ入ります!!しきりに今回も反省している爺でございます。

2010/07/14

原稿の執筆依頼に暫し悩む・・・午後。

  ~そんな時は「歩きながら」・・~
 午後3時。陽ざしが思ったほど強くない。午後の陽ざしがこの程度なら、と妻を誘って歩禅に向かう。1時間歩けば大体7000歩となる。その歩数を当て込んで「歩きながら」「喋りながら」考え事を深めようと出発した。
 午前中の郵送物の中に原稿の執筆依頼書が入っていた。
 多種多様な分野からの依頼がある。在庫の少ない原材料を原稿という「商品」に加工することは大変厳しいことである。商品化できそうなジャンルなら尻込みすることなど無いが、そうでもないとなると大脳が思うように動かない。ましてや老脳になっている。請け負う原稿のジャンルの語彙数も貧相になっていると「請ける」事への躊躇も先行する。
 そんな時は外気を吸うことが一番。
 とは言え、『無い袖は振れぬ』状態から簡単に脱却できるほど楽な問題ではない。しかし、妻との他愛のない話題からヒントを得ることは意外と多い。心密かに期待しながら曇り空で風もあり歩禅日和として意気揚々と出発した。
世の中はやっぱり甘くない。30分も歩かない内に日照りがもの凄くなるとは皮肉だ。強い陽ざしには日陰が味方なのであるが、太陽の位置はまだ高い。日没までの太陽光線は当分の時間は強そうだ。途中から話題も途絶えた。進路を変更して出来るだけ日陰のありそうな通路を選んで帰路にした。
 週末に講演することになっている公民館の前を通ることになった。余りの陽ざしの強さから避けるために公民館に「挨拶がてら」の訪問をすることにした。またまた予定を変更である。偶然の偶然は不思議なモノ。小生が担当する講座の打ち合わせをしていただいている時間に的中してしまった(苦笑)。担当者の方たちも館長も驚いてしまったようだった。実は、この館長は小生が23歳で教壇に立った時の「第1回生」の教え子なのである。この4月からここの館長として着任。週末には業務として小生の講座を担当する羽目になってしまったのだ。これも運命という巡り合わせである。
 打ち合わせのお邪魔を終えてから、再度、帰路に着いて自宅到着。
 外気に接して他者と会話すると大脳に確かな刺激を貰える。依頼原稿の方向性は朧気に涌いてきたような気がしてきた。原稿の締め切りはまだずっと先ではあるが、「先送り」が苦手な性分だ。せっかちとも人は言うらしい(笑)。構成を考えながら素案を練ることにしよう。

2010/07/13

『梅雨明け前』の豪雨?!

  ~故郷・九州の被害が心配~
 「毎日が休日」だと曜日の感覚麻痺も悲しい?それ以上に哀しいことがある。それは長期に亘って勤務した「学校教育」の現場感覚が日に日に疎くなっていることである。あと1週間で夏休み?ホント?
 今日は朝から妻の要望で隣町にある大規模の農家直結野菜販売所に車で向かった。途中に高校と中学校がある。晴れ間の運動場は全校生徒で溢れていた。どうやら球技大会のようだ。長期休業の直前になると全校生徒が愉しめるレクリエーションが計画される。そんな現場感覚を呼び戻しながら、「もう、そんな時期か!」と麻痺した現場感覚に気付いて唖然とした。
 帰宅したら郵便物が届いた。
 国民健康保険料の納付決定通知書であった。封を切って中身を観てビックリ。目を疑うのが異常なのか?介護保険料も加算されているのは加齢の証としても・・・。納入しない等とは言っていない。しかし、年間に支払う保険料の額には愕然!市当局の趣意書(写真)を読みながら、こんな時代背景の中でこれから生きていくのか、と神妙な気持ちになってしまった。小生の所だけに届けられた書類ではない。どこの高齢者の家庭でも、やっぱりため息が出ているのだろうか。
 茅ヶ崎は雨量も少ないが、九州の豪雨被害が連日ニュースとなり大変心配だ。幼い頃、「こうして一暴れ(豪雨)が来ないと梅雨が明けない」と農家の人たちが話しているのを思い出しながらも、ただただ被害の小さいことを案じるばかりである。

2010/07/12

街頭遊説の熱意よ、冷めるな!

  ~ラジオも「選挙速報」一色~
 東京でも横浜でも、この間、マイクから発する掠れた声がスピーカーを通して街路樹の遮りに臆することもなく通行人の耳を劈いた。「うるせ~な」と嘯く若者達。立ち止まって耳を傾ける老人。タバコを吸いながら歩く男性が隣を歩く女性に向かって「本気はわかるが、選挙後もこの熱意を忘れるなよ、って言いて~よ、な」と話しかけて通過した。女性の応えは聞こえなかったが、心意に妙に頷く小生。これは、仕事のために出向いた大都会での光景。
 今朝も定刻に目を覚まして、いつものようにラジオのスイッチを入れた。
 選挙速報も大詰めになっていた。政治の態勢が変わるのだろうか?耳を傾けながら日課をこなす。いつもより朝刊配達が遅い。最新のニュースを載せるための遅延なのだろう。
 高校生時代に、恩師から「政治家になったら?」と言われた。意外な言葉に驚いたことを昨日のことのように思い出しながら苦笑する『腰湯』の時間。恩師は何を根拠にあのような発言をされたのだろう。解せないままにわが人生は峠から転がり落ちている日々になっている(笑)。
 国民の目線。キレイな語呂合いであるが、実践するのは難しい。
子どもの目線に立って授業を展開する。ここしか知らない業界でも良く耳にする表現である。難しいが「やるしかない」のが教員の責務であろう。教師軍団も政治家軍団の街頭遊説を耳にして「心に期すること」が多かったであろうと期待したい。
荒れた大相撲初日も熱かったサッカーワールドカップ決勝戦も・・・・。ニュース価値は「比較」観でこんなにまで温度差があるのか。しみじみ感じる朝である。

 ◆お断り 写真は今回の選挙戦ではありません。タイトルに符合させるために掲載したモノです。

2010/07/11

「選挙」の意義を意識して


  ~成人式を終えて数年間・・・~
 忘れた頃に選挙がありました。40年以上も前の話です。補欠選挙ややり直し選挙など殆ど無縁な時代のことです。学生服で成人式に出るという弟に4歳上の兄は「背広」を新調してくれました。天にも昇る気持ちでした。あの日の紺色のスーツ姿は「大人になった」意識を鼓舞してくれました。嬉しさや感謝の気持ちより大きな感激だったことを鮮明に記憶しています。大人になる事への憧れだったのでしょう。しかし、投票権を得ても実際には選挙の投票をしたことがなかったのです。成人式を終えて何年も経ってからの体験だったような記憶はありますが、緊張したことはハッキリ思い出すことが出来ます。
 あれから何十回の投票をしたのだろうか。
 補欠選挙を一回だけ(結果的には)棄権してしまいましたが、他は(当然のことながら)一度も棄権したり白紙で投票をしたりしたことはありません。
 今日も、間もなく投票所に向かいます。立派な政治を期待しつつ・・・・。清き1票を携えて!

2010/07/10

関東の雨は、もう去った?

  ~新幹線車中にこんな光景~ 
 昨夕には嘘のように元気復活した爺。
 やっぱり「刺激」が必要な身体なのか。大失態をしでかして先方にはご迷惑を掛けているというのに、「すっかり元気復活」なんて!ホントに能天気な性格なんだ、と今朝も自覚せざるを得ないところ。
 定時の4時に起床して日課をこなしてこの時間。
 ところで今日は少々愚弄な話題にお付き合いいただきたい。
 小生の退職後は「旅人の時間」を過ごすことが多い。中でも新幹線の車中生活は、一つの行程でも2~6時間が標準となるだろうか。疲れてグッタリとしている時間帯も多いが、目も頭もしゃっきりしている時間もある。
 今回の旅でビックリ(?いやガックリ)したことがある。
 名古屋から乗ったのぞみ号の車中。カチンカチンと頗る小さな金属音(らしき)が耳に付き始めた。「何の音だろう?」と、聞くとは無しにその音の方向に耳は向かう。1列前の3人掛けの窓側から聞こえていることがわかる。中年ぐらいの男性が一人だけすわっているので彼が発信源らしい。
 ゴミを捨てることを大義名分にして席を立った。
 直ぐに判明。彼は「爪を切って」いたのである。新聞紙かそれ用の受け皿があるでもなしに足下に「切られた爪くず」は落ちているのである。ゴミを捨てて自席に戻る頃までもまだその音は続いていた。さらに驚いたのは手から足へ移って居るではないか。20本の「指の爪」を切り続けていたのだ。この爺のような旅人ではない。これは服装と持ち物で一目瞭然。会社人としての出張の往路か復路だろう。しかし、車中で爪を切るか!?この紳士には年齢相応の常識はないのか、と苛立った爺。
 ずっと以前に「若い女性の車中でのお化粧」が世論にデビューした。是非論ではない。その時点でも論ずる以前の問題として話題にもしたくなかった。それでも数回は注意した経歴の持ち主でもある。しかし、その時の後味の悪さは思い出しても腹が立つほど。
 今回も起ち上がったついでに・・・、と思いつつも鉾先を納めてしまった。哀しい現状が多すぎて誇れるべき「人間」という種族の体たらく度に今回は落胆計がどん底まで下がった気分になってしまった。倫理観や道徳性はついに「日本人」から遊離してしまったのか。切り落とされた爪が椅子に残っているか、足下に散乱していると想像してみてくださいよ。快適な旅の保障は?
 皆さん、どう思います?

2010/07/09

仕事明けにも・・・仕事!

  ~ボーッとしていたら・・・~
 やっぱり大きなミスをしていたようです。
 やっぱりとはどういう事?そうです、やっぱりなのです。つまり「よくある」ことなのです。数日間のスケジュールを終えて自宅に戻った翌朝は、やっぱり低調です。決して怠けている訳ではありません。そう、やっぱりでした。元気なつもりは帰宅した直後まで?
 ぼんやりとメールチェックをしたのでしょうか。同一人物から数通のメールが届いているにも関わらずボーッとしていたのです。午後4時頃に、我に返り・・・・?徐にメールの内容を吟味しました。受信した資料の不備が指摘されていました。主催者に送信した講義レジュメを開き直して、やっと「目が醒める」という顛末。来週末から3回連続して出講する予定の講座レジュメに大きな不備が見つかったのです。主催者からは数通のメールで遠慮がちにご指摘があっているにも関わらず、能天気爺は気付かなかったのです。「七夕の逢瀬」とか何とか身勝手な意識づけをして6日から3日間。張り切って飛び跳ねて帰った天罰でした。
 やっと4時半に仕上げて送信できました。有頂天で過ごしてきた数日間の岡惚れ旅行のツケが回って参りました。恐れ入りました(笑)。今回の旅行の帰着は昨日の午後4時半。それから丁度24時間で目が醒めた老脳は元気復活です。強烈な刺激に感謝する爺でありました。楽しかった「七夕の旅」は、でも、ホントに楽しかったです!! 

2010/07/08

7月7日は『七夕祭り』




★~短冊に「願い」を託した日~
 西日本の上空だけで「織姫と彦星」が会えたの?それってどういう事?
雨が降らないように祈った幼い頃の七夕祭りだった。いつの間にかそんな悠長なドリームは消えかかってしまっている。夢を託した幼き日々が懐かしい。コマーシャリズム(商業主義)が優先され「経済の活性化」が人々の生活を潤わせるモノだとの意識が浸透している。「七夕祭り」も、近くでは「湘南・平塚七夕祭り」、遠くでは「仙台・七夕祭り」という風に「商売渦」の中で観客数の多少で煽ってしまっている。肝心な「7月7日=七夕祭り」という当日意識も薄らいでしまっているのではないだろうか。そんな嘆き節を唸るのは、やっぱり加齢症候群と言われる所以か(笑)。ともあれ正真正銘の七夕祭りの日であることは事実。
◆~舞鶴での講演~
 舞鶴は妻が引き揚げ船で帰ってきた港。
 満州に居た妻の一家は終戦と同時に一家で引き上げてきたらしい。戦争の爪痕を懐古するのを嫌った義父。思い出したくもない光景だったんだろう。ただ一言。義父が義理の息子に語ったことは「舞鶴の港で娘は助かった」と。聞き出すのに苦労をした。晩年、お風呂に入れるのを義理の息子が分担した。背中を流しながら聞き出したのが、たったそれだけ。今回は仕事で訪れたので次回は妻同伴で訪問したい。郷里・熊本と「細川つながり」を感じたのは早朝散歩で訪問した舞鶴城址であった。
 講演は対象が日本公文教育研究会舞鶴事務局下の指導者の皆さん。 全国展開で実施している講演会ではあるが、「そのご当地カラー」があり、準備して行っても講演の展開が全くズレる時がある。当然ながら「良い方向でのズレ」ではあるが、今回も展開は全く予期せぬ方向へとずれ込んでしまった。聴講者はどんなご感想だったのだろうか。

2010/07/06

『湯禅記』~全盲落語家のお話~

  ~今日は京都・舞鶴まで~
 いつも通りに4時に起床して『腰湯』を満喫しながらラジオ深夜便を聞く。
 出演者は「桂福点」という初めて耳にした落語家の名前だった。話題の展開にどっぷりと填っていく自分に気づきながらも心引かれる時間となった。全盲の落語家であると言う。中学生の時点で全盲の状態になられたというご自身の話を聴きながら、ご苦労や辛さを乗り越えて「新しい学び」への連続した挑戦意欲に感動してしまった。凡庸な自らと我が儘と自己中心的な人生を恥じる思いに行き着いてしまった。
 「目は口ほどにものを言う」と言いまんねんけどな、耳も口ほどにモノ言いまっせ!
 視力がゼロの世界に生きている人たちの「耳への思い」を、今更の如く恥じ入って聞いた。今まで見えていた「可愛い女の子」の姿が見えなくなった時は、真剣に自殺を考えた。思春期の苦労話を「笑い」を添えての明るい語りには涙がこぼれた。そして、耳を最優先に考えた「音楽療法」を取り込んだ落語に取り組んでいると言及された。音楽療法士の資格も取得されたとのこと。聞こえた「声」で、怒っているか喜んでいるか「すぐわかる」との説明には、目が見えていながら「教室の子供達」の表情を読み取れなかった教員時代の我が身を思い起こせば耳が痛い話であった。
 亡き母が幼い頃、良く話してくれた塙保己一という江戸時代の盲人国文学者の話を思い出した。「目開き(めあき)は不自由じゃのう」とお弟子さん達に向かって言う台詞を本人に真似るかのように発してくれた母の顔が浴室の窓に映った。
 遠隔地への出講の朝。
 素敵なラジオ番組とまた、出会った。全盲の方のご苦労に比べれば小生の苦労など大したことはない。出来ることを出来るだけの力を発揮して、心してお務めを果たしてまいりましょう。福点さん、良いお話しを有難うございました。

2010/07/05

新・歩禅記(30)

  ~久し振りの「一気に1万歩」~
 意気込んで出発したのは午前9時半。妻には二件の用務があった。途中の郵便局で現金封筒を送ってから大手大型スーパーの本屋さんまで行く行程を計画したようだ。夫は明日からの京都行きのためのチケットを購入しなければならない。雨も降ってきそうだったので午前中には用務を済ませたかった。
 皮肉なモノ。郵便局からスーパーまでは何とか傘の必要性も感じなかったが、駅への移動の時点からパラパラと降り出した。用意周到な妻はリュックに二本の傘を入れていてくれた。傘を差すほどの雨脚の中を茅ヶ崎駅・みどりの窓口へ向かった。
 茅ヶ崎駅~(京都)西舞鶴駅の往復乗車券と、新幹線と在来線の特急券を購入した。自動券売機では(複雑な作業が必要で)操作ができないので窓口購入となってしまう。
 購入して駅から出ても雨脚は弱まっていない。路線バスの発車時刻までには15分もある。
 「よし、歩こう」と夫婦の目線が一致した。歩き出した途端に(気のせいか)強く降り出したようだった。引き返して「やっぱりバスにしようか」と声を掛ける夫に、妻はさらりと「家に帰るんだから濡れても良いんじゃない?」とさっきより歩調を上げて歩き出している。
 負けてはなるまい、と夫も追いつく。傘を差して雨の中の歩禅を楽しみながら(?)帰宅した。直線に歩けば8000歩程度の距離。用務を済ませるために回り道になったので、久し振りの「一気の1万歩」の歩禅となった。11時半の帰宅直前に雨も止んでしまった(笑)。

◆この写真は6月半ばに撮影したモノです。本日の撮影ではありませんので悪しからず!今日はこんな良い天気では御座いませんでした。なお、この駅舎は「南口」で、「サザン通り」や「加山雄三通り」「茅ヶ崎海岸」への通用口です。

私の健康・そのバロメーター

  ~美味しい!と呑めること~
 鍼診療を続けること10年間。診療を受けながら「医療と薬」の範疇でお話しを聞くと、驚くような、疑ってしまうような、そんな「ことば」を沢山聞くことができた。健康管理の王道に言及されると我が耳を疑うことが多かった。
 全身を「冷やさない」というアドバイスは大きかった。我が家のエアコンは、夏は除湿だけしか稼働しない。ホテルでの宿泊の多い小生にはエアコンは不可欠の機器であるが、室内温度を26度から下回る設定はしない。そしてオフにして眠る。朝一番の『腰湯』は、「全身を温めてから出動する」準備態勢となる。朝晩の「入浴」後に検温を忘れない。起床後の体温と就寝前の体温の「健康的な変化」も学んだ。驚いたのは37度の体温がウィルスに対して最も強いとの示唆だった。微熱の基準にしていた温度(37度)も、今では最高の健康状態であることの証として歓迎しているのだから不思議だ。
 夏はビール!!気心の知れた友と呑む。こんな楽しい時間は無い。ジョッキーで乾杯したら「焼酎のお湯割り」を即刻注文。大好きな一瞬ではあるが胃袋を冷やさないことの重要性を師に執拗なまでに聞いているからである。室内の温度も急冷で体内にもギンギンに冷えた飲み物を入れられたら体力の消耗は凄いモノらしい。知れば知るほど「間違っていた健康管理」に驚いてしまう。
 小生は電車内の冷房も敏感に応える身体になっていることにも気付いた。旅行カバンにはタオルを一枚入れてある。肩から首筋を冷やさないための予防である。平均で4~6時間は車中に居る場合が多い。首筋の冷えが内臓の機能低下になるという師の言葉も大事に受け止めて実行しているのである。
 「晩酌を・・・」を拒むような不調な時もある。その時はアルコールを受け付けないほどの体調不良らしい。年間に何日間もあるわけではない。しかし、これが私の健康を管理するためのバロメーターなのである。「呑みたくない」ほどの状態にならないためにも、全身を「温める」(=冷やさない)ための努力をすることぐらい朝飯前! 千葉産のとうもろこしと一緒に送っていただいた枝豆。噛み応えがあるほどに立派に熟した実がビールを誘ってくれた昨夕。産地直送の枝豆とビール。妻にお世辞を言うわけではないが茹で方も上手だ。冷たいビール1杯を呑んで枝豆をいただいて、焼酎を2杯呑んだ夕べはいつもより若干多めの晩酌(笑)でありました。しかし、今朝も元気に4時には起床しました。

2010/07/04

『至福の時間』のお裾分け?


  ~朝食に「2本」~
 笑われそうですが、ホントです。
 今朝は昨夕届いた千葉産のとうもろこしを妻が茹でてくれましたので、朝の食事代わりに2本いただきました。後は何も食べていません。これで十分です。
 昨日は千葉に住む長女の家を訪問しました。孫との約束を果たすためでした。嫁ぎ先の実家から「とうもろこしを送ったそうよ」と長女が報告してくれたので大好き人間としては気もそぞろに用務を済ませて帰宅することを考えてしまったほどです。「お祖父ちゃんはね、とうもろこしがあるとご飯が要らないのよ」と妻が孫達に話しかけました。彼らは半信半疑の眼差しでしたが、実はこれもホントです。
 千葉駅で娘一家と別れて、電車に乗りました。
 老夫妻の車中での話題は「とうもろこし」でした。これもホントです。ところが帰宅しても届いていませんでした。ガックリする夫に妻は「明日は確実に届きますよ」と窘めました。暫くすると玄関のチャイムが鳴って「宅急便で~す」との声。普段は妻任せの応対を夫が受け取りに出ました。「千葉産・とうもろこし」という大きな段ボールを受け取りました。早朝からの千葉行きで疲れているらしい妻の動きは鈍い。どうやら夕餉の食卓には出ない、と夫は判断。老妻の疲労度を察したからです。
 そして、今朝。少々の寝坊の老夫妻でしたが、妻は手際よく一緒に送っていただいた枝豆も食べるばかりに準備してくれました。夫が日課の『腰湯』を終えて浴室から出ると美味しい匂いがキッチンを充満させていました。
 朝の「至福の時間」をお裾分けいたしました。(ご迷惑ですよね!こんな押しつけは・・・)

2010/07/03

『笑顔』は、やっぱり一番!!

  ~心を打つ「笑顔」は作ったモノではない~
 一人の笑顔も良い。しかし、多いほど素晴らしい。全員でしかも同時なら最高。
 チームとして、激しい戦いに挑んだ後にこそ真の笑顔がある。しかし、勝敗決着後に敗者の涙を流した後に、自然体の笑顔になることは至難の業である。
 新聞記事の「笑顔」の写真版に釘付けになった。
 そして、「粗を探す」かのように穴が空く程までに何回も見回す。そんな仕草が我ながら滑稽。どんなにして見ても、誰一人「笑顔でない」顔は無い。読者の皆さんも、しっかり覗いてみてください。
 あの厳しい「世界レベル」に挑んだ男達だからこそのこの笑顔?そんなことはない。集団プレーの醍醐味は「チームワーク」づくりと言われる。チームワークは個人技術の水位が高いほど大きな絆が出来ると言われる。一人のスタープレーヤーを中心にして他が脇役を務めさせられたチームワークはホンモノではない。しかし、高度な個人技術を持つプレーヤーは一人でも多いほど強くなる。そんな難題と、口さがないファン気質との摩擦に耐えながらチームワークのレベルを上げることは並みのリーダーでは出来ることではない。
 この「全員の笑顔」が、その苦労に耐えて挑んだリーダーへのチームからの「ご褒美」。つまり「チームワーク賞」という業界での最高栄誉のトロフィーに匹敵する。このようなスポーツ評論をしてしまったのは何十年ぶりだろうか。それほどに素晴らしい写真である。
 この爽やかな「全員の笑顔」が、明日への期待を高めてくれたことは確かである。ご苦労様。そして、素敵な「全員笑顔」を、ありがとう。

◎早起きの爺婆は、今日は久し振りに千葉県の孫達に会いに出掛けます。ここだけの話。いつも驚くのは、毎回、山のようなお土産を背負っていける老妻の体力。爺は手ぶら。しかも、爺は、「背中の荷物は何だろうか?」「重いだろうなぁ、」と思うだけ(笑)。しかし、数ヶ月会わないうちにドンドン成長する孫との再会が生き甲斐の爺でございます。  ね、普通の祖父ちゃんでしょ?

2010/07/02

『半夏生』、って?

  ~農家育ちの息子は「田植え」を思い出す~
 素敵な音色(読み方)をする言語として意識し始めてからそんなに長い歳月は流れていない。
 こういう植物の存在も知らなかったので当然ながら名称も知らなかった。早朝のNHKテレビ番組「おはよう日本」の中に「撮りたてマイビデオ」(5時半頃)という短いコーナーがある。今朝の画面に半夏生(写真掲載)が映し出され、一緒に観ていた妻が、「これが半夏生?」と呟いた。確かな記憶は無かったが「そうなんだね」と曖昧な相槌を打った夫は、二階の書斎に飛び込んで調べてみた。
 こんな時、毎度の事ながら痛感する。知らないことの多いこと!「半夏生って、そうなんだ」と、調べたばかりの内容を報告するレポーターの夫の顔を珍しそうに覗き込みながら聴き入ってくれたのが妻。
 ともあれ、そんな「時期」なんです、今日は。農業との深い関わりを知り、自国の「生活文化」の素晴らしさを感じている。何となく故郷の田園風景が浮かんできて胸がぽかぽかしてきている朝です。

◎今日も横須賀市の小学校を訪問します。一度しか会っていない児童と、授業の延長線上での再会が出来るかが楽しみです。これを「授業が創るドラマ」と言わせて貰っています。授業は、延々と続く人生ドラマの「原点」であって欲しいと願いながら、そんなネーミングをしています。

2010/07/01

『これだけ変わるということは、また変わるということ』

 ~何もすることがないと・・・~
 テレビを観る。毎日がサンデーになってしまうと余程しっかりした生活基盤が無いと、思考回路に電流が流れる状態にはならない。つまり、無目的に時間を費やしてしまうことになる。趣味や生き甲斐があると良い、とはこのことか。無趣味なこのオールドマンにはサンデー状態が幾日も続くことは無能さを軽蔑されているように思えて堪らない。
 何もすることがない日本人の大人にとって大きな玩具は、やっぱりTV?
 今日は何もすることのない。外は梅雨の中休みなのかわからないが出歩く気分にも慣れそうにない程の強い陽ざし。天気予報では午後は30度を超える(真夏日)と言うではないか。とても外出する意欲などない。そんな時ソファに座って目の前のTVに見入る。このオールドマンが驚くのは夥しい番組の数々。番組選びの焦点が定まらない。しかしながら、退屈で仕方がないのだから手元のリモコンで「観たい」番組を懸命に探す。ワールドカップの活躍の話題と大相撲協会の不祥事の話題で満載である。
朝刊で「う~ん」と頷いた記事(掲載)を思い出した。その記事の中に日本人文化をえぐるような表現があった。資料化するためにタイトルを考える。『これだけ変わるということは、また変わるということ』にした。
 テレビ番組の構成がその土壌を創り、勢いを煽り、「国民の声」とばかりに声高に叫ぶ。批判や非難は誰にでも出来る。「評論家」育成のためにテレビなどのメディアあるのではない。今回のように大健闘したサッカー日本代表選手を「褒める」ことが、決してその場凌ぎであってはならない。そして、彼らのその大きな頑張りを「最高の贈り物」として次世代に残すことが国民の共通認識でなければなるまい。

 何もすることのない一日がやっと終わる。夕食も終わった「ぼやき」の爺は『薄暮の散歩』に行ってまいります。

今日は富士山の山開き

~意識と自覚が「人間性」を創る?~
 優しい長兄としっかり者の次兄の下で誕生した小生は、三男坊の「甘えん坊」。他にも二人の姉がいますが、だらしない三男坊は姉たちにも良く面倒を看てもらいました。小生には身勝手な性格形成論があります。それは「性格・後天性論」です。同じ親から誕生しても「産まれたポジション」(順番と環境)によって若干のズレが生じて「ホンとのきょうだい?」と聞き直されるほどに違う性格のきょうだい(=兄弟・姉妹)になってしまう。この世に生を受けて出てくる順番も、大袈裟に言えばその人の「運命」なのでしょうか。
 お向かいの若夫婦に待望の第二子が昨日誕生したそうだ。
 奥様のお母上がお手伝いに見えているので判明したと妻の話。第一子が来年4月には小学校に入学するという。一人っ子で育った我が妻は、その若い母親に「第二子を早く・・」と余計な忠告を良くしたと言う。「きょうだい」のいない寂しかった自分の人生を思い出して語ったのでしょう。6年間を「一人っ子」で育ったお兄ちゃんの将来を案じるようになっていた若い両親に待望の第二子誕生。予定日の出産だったそうだ。
 夕方遅くまで遊んでいる子ども集団の中に一際大きな声を出して遊び回っている第一子の声と動きに「赤ちゃん誕生」の歓びが全身に漲っていたそうだ。「お兄ちゃん」になった興奮が無意識の意識として新たな性格形成の産声を自らあげたのでしょう。嬉しい話です。
 産まれて初めて過ごすお祖母ちゃんと父親だけとの数日間。母親ベッタリだった第一子が「母親離れ」する絶好の機会ではないだろうか。近所の住民として温かく見守ってあげたいと、考えてしまうお節介なお老夫婦の朝の風景でした。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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