2012/12/31

忙中閑あり

 ~大晦日に「読書」!?~

 ラジオ深夜便という番組で楽しみなモノがあります。

 その一つが「天野祐吉の隠居大学」なのです。月刊誌「ラジオ深夜便」は年間購読をしています。届くと番組の予告(=番組表)に注目して「聴きたい」時間帯に注目するのです。

 それが、今朝放送(4:00~)されました。ゲストがマジシャン・マギー司郎さんでした。手品師という古い表現が実にフィットする人物です。氏との対話がどんな展開になるのか、が一人の視聴者としての期待感でした。想定外の展開に声を出して笑いながらも、心底を揺るがすような氏の「人生哲学」に触れて全身の硬直感を覚えてしまいました。

『大晦日』という日本文化でも特異な一日は、小生にとっては皆さんの大晦日とは異次元の世界であることをご紹介しましょう。

 幼い頃、この日は朝から母や祖母、そして兄や姉たちも巻き込まれた慌ただしで一日が暮れたような思い出が残っています。少年は邪魔者にされ外出を乞われました。そんな少年たちがあちこちから集まって、田圃の中で凧揚げに興じたモノでした。それに飽きると陽だまりで本を読んで過ごしました。

 68歳になった今、大掃除の手伝いにも殆ど声も掛かりません。

少年の日々とは違った「邪魔者」なのが良くわかっています。手伝わせて怪我でもされちゃ!の思い遣りなんでしょうね。少年が手伝おうとすると優しく拒まれた光景に良く似た高齢者バージョンマニュアルでもあるんしょうか?老人の骨折は介護家族には致命傷だと聞いたことがありました(笑)。

 大晦日の今日、配達される本が2冊あります。本を読んでいると邪魔者にされません。勝手に動くと「敵の動線」とぶつかるようです。新居には広い縁側を作りました。そこがミニ書斎になっています。ガラス戸を締めきって「本を読む」ことが平和作戦に同調することになるという訳です。陽が照れば暖房機も要りません。

 余談が多過ぎました。

 従来、HP上に掲載していた『月刊・イチオシBOOKS』はこの12月号までアップしてもらっていました。管理人さんの手を煩わせてしまうので、ブログ(新設:『寸心紀行(=すんしんきこう)』)にて書籍のご紹介をしたいと考えました。「爺の気まぐれ」的紹介に切り替えます。書物によっては小生の「読後感」を添えるかも知れませんが、書評ではありませんし、読書の無理強いをするものでもありません。違った楽しみ方でお付き合いくださいませんか。

 待望の大晦日が明けました。読みたい本が配送されます。今から待ち遠しい「忙中閑・爺」でございます。来年も良い年であることをお祈りしてペンを置きます。

2012/12/30

歳末の『風物詩』

 ~小さな駅の乗降客にも忙しい言動~

 最寄りの駅は大規模ではないが、土浦市内にある駅なので乗降客は時刻によってはラッシュ状況になる。まして、日立建機KKという大きな会社への勤務者が利用する時は小さな出口に行列も出来る。

 当地で利用する公共交通機関はJR常磐線である。大混雑しか見ていないJR東海道線を利用していた2年前までの生活リズムとは雲泥の差である。東京駅まで行くのに「座れたら」幸運を感じたほどだったが、ここでは「いつでも座れる電車」と知人友人に冗談っぽく話せるほどである。

 小生の葉書投函日課は「歩いて駅前郵便局」に行くことである。たった一枚の葉書でも「歩いて投函」するためにも歩くことにしている。昨日はその日課を2回も果たした。郵便ポストの収集時刻も記憶脳に取り込んでいる。投函「歩き」はその時刻に合わせて出発する。JRの駅は自宅から郵便局に歩く途中にある。

 昨日の駅頭はいつもと、ちと違った。

 小さな駅前ロータリーに、所狭しと停車している乗用車が多い。軽トラックで送迎する農家の人らしい車を多く見るのも気に入っている。ほのぼのとさせられるのが大好きな理由である。

一家らしい4人が降りてきた。視線に迎えの車が無いようだった。道路にはみ出て待っている乗用車からお爺さんが出て、手を振っている。大きな荷物を持った父親らしい人物が最後に乗り込んで西の方角に走り去った。お正月の里帰りらしい。

 続いて慌ただしく駆け込む3人。実家に戻って行く帰省客らしい。送って来た人物が心配そうに改札口に注目している。この3人は水戸方面に帰って行くのだろう。改札口の目の前に常磐線「勝田駅」行きの電車が滑り込んで来るのとホームに出たのとまったく同一時刻だった。間に合った!常磐線は、1本の電車に乗り遅れると長いと30分以上待つことにもなる。3人の親子らしい集団を電車が運ぶのを見届けたのか、気が付いたら乗用車の姿はなかった。

 暇だねぇ~!!

 意地悪な言葉が飛んできそうだが、駅のいつもと違う師走の雑踏風景が好きなのである。暇人と言われようが10分間ばかりの立ち往生で「時節」を感じ取りたかったのである。

 東京駅まで出て、大きな荷物と3人の子どもを連れて行列を探して並んで15時間も掛けて「帰省した」あの日を思い出しながら寒い駅頭での「出迎えと見送り」を満喫した(笑)。

 帰宅すると、ラジオで中央高速道路のピーク混雑距離がわかった。電車ではない「自動車道」を使った帰省もある。テレビでは海外脱出(?)ラッシュを成田空港から実況していた。同時に、空路での帰省もあることを自らの体験を思い出しながら懐かしい思いでコーヒーを飲んだ。

 無事な帰省の往復を祈るばかりである。

2012/12/29

『お餅』と『干し柿』

 ~西日本と東日本の「食」の異文化~

 岡山県新見市の友人が手作りの『お餅』を今年も届けてくれた。

 お餅の中に入れる具材(各種豆類)も全て友人が穫り入れたモノだと解説の手紙が入っていた。昨年も頂いているのに孫軍団は覚えていないようだ。中身を見て歓声が上がった。それは丸い(球状)お餅である。30年ばかり前、我が子たちが今の孫と同年代の頃は、元気だった妻の両親(熊本県)がお餅をついて茅ヶ崎の自宅に送ってくれた。同じような歓声が毎年の暮れに響いた光景の再現である。

 届いたのは二日前。

 孫たちから「食べたい」との要望があり、ストーブの上にホイルを広げて餅を並べた。焼き番頭はお祖父ちゃんである。一緒に並べたお餅(長方形に薄く切った)に比べて、丸い餅は中々芯まで焼けないので時間を要する。ここは東日本。嫁はこの土地の生まれである。お餅文化は「長方形薄型」に準拠している。母親の文化が「家庭食文化の根幹」であるとすれば、3人の孫たちのお正月のお餅は当然ながら角餅であり、丸餅ではない。

 孫たちから見るお祖父ちゃんお祖母ちゃんは列記とした「西日本」のお餅文化で育った人種である。48年間の子育てをした土地(神奈川県)は東日本である。つまり、孫たちの両親は東日本の食文化で育っている。

 岡山の友人が丹精込めて作って送ってくれた西日本の食文化は、孫たちにとっては昨年とは違う「異文化接触」の時間になったようだ。悠長にお餅を焼くお祖父ちゃんの姿など見たことのない孫たちは「ストーブの上で焼けていく」西日本食文化(丸餅)に興味も関心も高く、さらに食欲もそそられるらしく、「お祖父ちゃん、まだ食べられないの?」との請求に変わった。

 老脳には、60年前の故郷の「いろり」端に座った家族の風景が蘇ってきた。

 大家族のお正月は、手作りのご馳走で食べ切れなかった。食材も今に比べると貧相なモノだっただろうが、なぜか楽しく食したモノだった。故郷ではお正月には干し柿を食べる食文化があったが、東日本には馴染がない。

九州に住む老妻の友人が手作り干し柿を送って貰っている。餅が焼けるのを待つ間に干し柿を出して見せた。「これって食べモノ?」と不思議な目線で見詰めていた。彼らはおやつにいただく、綺麗な仕上がりの立派な商品(=「干し柿」)しか知らないのである。口に入れた一人の孫が「硬ぁ~い!」と叫んだ。異文化を呑みこむのはアレルギー炎を引き起こしそうだ。

 やっと焼けた丸餅を、好みに合わせた調味料で美味しそうに頬張る笑顔に満足した爺は、岡山や熊本の友人たちに首を垂れるしかなかった。感謝である。

 長男夫婦の仕事納めは本日らしい。今日は孫3人と終日を過ごさなければならない。朝からお正月料理の準備に勤しむお祖母ちゃんは、「病気をしている暇がない」と嘯いている。老妻が拵える「お正月料理」を通して、次世代は食文化の違いを知る。千葉からお正月に里帰りして来る一家(孫は二人)も「お祖母ちゃんのお正月料理」を楽しみにしているようだ。

情報: 『寒稽古』と自分に言い聞かせながら、元旦の「公開」を目指して頑張っています。何せ、何もすることのない粗大ごみの爺にとっては、格好の時間なんですよ(笑)。そろそろ「予告編」をお見せしないと、「もったいぶるなぁ~!」と礫が飛んできそうですので、新ブログのURLを下記に提示いたしましょう。時間がありましたら(年の瀬は暇人はキミだけだよ!と言わないで開けるかどうか確認してみてください。全てこの爺一人で挑んでいるので、その努力だけでも見てあげて下さいませ! URL http://sunshinki.exblog.jp/    と入力して検索いただくか、あるいは ブログ登録名称の『寸心紀行(すんしんきこう)』と入力しても検索は可能です。 右の欄に 新ブログ【寸心紀行】 の枠がありますので、そこをクリックして戴くとご覧になれるように準備できました(ふ~っ)。まだ「寒稽古中」です。読み辛いところは暫くご勘弁願います。 

2012/12/28

今日は『御用納め』

 ~「1年間の足跡」を確かめる日にして

 そして、新しい一歩を踏み出したい。

 新しい一歩は「過去の足跡」に支えられる。意欲的な一歩にも、躊躇いの一歩にも容易に変わり得る。過去の足跡には色々な思いが交錯する。小生の小中学生時代に下校前に「反省会」という時間があった。何の疑問も無くその時間を過ごした後輩諸兄が多いのではないだろうか。幼いころから「変わりモン」と呼ばれた小生は、「先生、無意味な時間だと思うんですが続けるんですか?」と中学校のある担任に生意気な苦言を呈した。見返りに殴られた。罵声は「ちっと、勉強が出来るからと言って生意気を言いやがって・・」だった。ハッキリと覚えている。

 そして教員になった。学年団での協議事項には無かったが、小生の学級でも自然発生的に「反省会」は起ちあがっていた。力のある生徒の横暴な意見に「正直な発言」が死んでしまう事だけは許さなかった。幼い頃の「無駄な時間」と思い込まされた現場感覚だったと確信している。学級と言う生活の場の「現場」で起きる事象は、現場監督である学級担任しか責任を取れないのは当然である。

 現場任せ!?

 まるでどこかの、何かが責任を放棄しているかのような新聞記事を読むことが多い。何かが違うぞ!いじめの問題の記事もそうだった。自らの学級や学年、あるいは学校でその独特な症状が発見されたら「現場感覚」的な発想さえ確立させておけば「我が事」(=当事者意識)として、総意で協議が展開出来る筈である。それは無駄な時間と誤解されることもあるかも知れないが、その無駄な協議の中の小さな意見が有効なキッカケを産み出すこともあり得るのである。

 「現場力の教科書」(光文社新書)という本を読んだ。現場力を軽視しては何も進展しない。今回の新聞記事でも『実施の判断は現場任せ』のトップ見出しである。利根川の支流・黒部川で起きた「高校生ボート18隻転覆」の記事が本末転倒の「批判論」だけで登載されている。

 先輩教員の視点から言える読後感がある。「この高校生ボート部の指導者に成り手いなくなるぞ」である。そして想定されるのは、「管轄行政から校長指導が厳しくなるぞ」である。部活動自体が教員のボランティアで成り立っている様相は今でも否めない。つまり、部活動と学校教育の重要な関連性が、この記事のように「責任の追及」だけで攻撃されれば(新聞社の主義主張の傾向で)、学校現場では、二の足を踏んでしまうことは明らかではないか。

批判をする。中傷する。つまり、放言である。これがオピニオンリーダーとなれば現場を担当する人間は「やってらんない」心情に陥ってしまうのは自然の理である。

 新しい年がそこまでやって来ている。

 現場叩きと批判だけしかない「民意・世論」に太刀打ちできる力の育成が急務ではないか。現場には、信条と信念を培うべく新年の一歩を力強く踏み出して欲しい。理不尽な要求を窓口に訴える市民や県民・国民を創ってしまった背景には「放言まがいの批判」を養成してきた学校教育文化にも責任があるような気がして反省してしまう。そんな老輩の「考え納め(=仕事納め)」の朝である。 

情報:新ブログ創設のための練習も捗っています。そろそろブログアドレスも開示しようかと考える程になりました。今日のブログも新ブログでは新聞記事を搭載して編集します。未だ、「出来上がりが読めない」状態ですが、公開する時点では『稽古の足跡』もそのままにしてアップしようかとも考えています。乞・ご期待!!

2012/12/27

我が『歳末の風物詩』

~(その2)パソコンの掃除~

掃除と言う表現が適しているかどうかは不明。

不要物を捨て必要なモノは(小生独自の簡単な)基準に合わせた表記で整理して保存するだけ。パソコンは便利である。使用した日時が詳細にそのファイルには付いて回るからである。その機能を戴くだけの整理術である。

友人や元同僚からも、「どのファイルに保存したか」で、やっぱり『モノ探し』人生がパソコン内でも起きるらしい。折角創った文書も見つからずに新たに再生したことを苦労話として聞かされたことがある。

小生の「パソコンお掃除」は簡単である。

だから、1年間1回だけの「大掃除」の時間特設で1年間の『パソコンの垢』は容易に拭い去ることが出来る。無駄な努力をしていないことも、違った要因であるかも知れない。何せ、無精な人間であることは天下一品ではなく、天下逸品なのだ。更に追求すれば天下逸品なる人物は「怠け者」なのだ。つまり、人生哲学には「何とかして楽をしたい」という願望が刷り込まれているから他言できない(笑)。

無駄な努力。それは無駄な整理整頓作業である。分類作業を無駄だと考えている。それは、整理整頓にも情があるからだ。その時の気分で分類の基準が決められるという「情」があるから厄介ではないか!人間関係も「情」さえ無ければ何とでもなるのに、妙な私情でも絡むと関係を「断つ」ことに躊躇が生じるらしい。

小生には生来、その気(「私情」)は殆ど無い。好みや相性はあるが、相手にその気が無ければいつでも人間関係を断つことは容易である。相手が好まないことに情を挟んで努力することほど無駄は無いと考えている。

そこで、読者諸兄に小生の「パソコン整理整頓術」(=それほどの事でもない!)を当ブログでご紹介しよう。そして、これを「御歳暮」とさせていただく。

ファイルに目安になるデート(日付)を入れて、そのまま放置する(笑)。

原点の作業はここだけである。放置している間にデータ管理はパソコンがやってくれる。例えば今日の作成資料を保存する時点では、デートを、121227(2012年12月27日)とファイルの頭に書き込んで放置するだけである。パソコンの機能はワンウェイである。頭出しのデートが、1227と月日だけで分類整理すると先の121227との整合性は無いので分別されてしまう。パソコン機能には愛情は存在しない。

つまり、データ処理の天才であるパソコンの機能を「素直に受け入れている」だけの話である。読者諸兄から、「よくそんなに早く文書や資料が作れますね」と驚かれる。特別の才能がある訳ではない。パソコンに整理されているデータ(年月日)から、参考になるデータは目の前に提示される。

皆さんも、新年から実践してみてください。老婆心ながら「余計な私情」をいれて細かな分類をしないことですよ!!以上、遅くなりましたが今年の『お歳暮』といたします

2012/12/26

重要な『再挑戦』の時代

 ~「この日々」の頑張りが将来を創る~

 突然の出来事は少なくない。

 寧ろ多いかも知れない。想定通りに日々を過ごすことの方が少ないと考えても不思議ではない。そんな実感がしっくりくるようになると人生も終末期かも知れない(笑)。少年時代に数えきれないほど聞かされた助言の言葉を思い出した。

 その一つに「やると決めたんだったらちゃんとやりなさい」、がある。 

 小学生時代に「計画・実行・反省」という日めくりカレンダーを教わった。そして、やる気を出して「計画書の作成」に挑んだ。それが3日と続けて実行できない。そうすると幼き日々の頭脳には「反省する」ことだけが充満していた。「自分だけが出来ない」との反省は這い上がれない辛さだった。

 夏休みはロングラン。1冊の「夏休み帳」を思い出す。最初のページの「計画欄」が、2学期の始業式前になると消してしまいたくなった。新しい学期の始まりに「再挑戦」という意思を発表できるほどの度胸も無く担任教師の「おせっきょう」を丸ごと受け入れた。捲土重来を「心の片隅」に小さな声で誓ったモノだった。

 その日めくりカレンダーは高齢者(=65歳以上)になっても確かに存在している(笑)。しかし、その心臓部の周囲に脂肪が付着して「感じない・動じない」症状として創生されている。「反省だけならサルだって出来る」というコマーシャルまで登場し、冷静に受け入れる力も装着できるまでになるモノである。

 誰しもが繰り返す「反省」作業への意識は、その繰り返しの中で「異なる条件」によって鍛えられ、『再挑戦する』人間性へと辿り着くのではないだろうか。昨晩受信したメールは、教員採用試験に失敗した若者からのモノだった。受信内容は公開できないが、読みながら自身の回顧をした。そして、以下の返信を送信した。

●●先生!!正式にこう呼ばれることを諦めてはいけません。社会人経験は採用されてからの「教員」としての活力になります。それが貴女のセールスポイントです。都内の私立高校であろうが、今度は「実体験」という実践が身に付きます。その二刀流で勝負しましょう。神奈川県での採用基準に「県下の高校での経験(非常勤講師等)」に絞った文言は謳ってはおりません。要らぬ心配です。私立高校での体験が出来ることは有利です。それを活かして、再挑戦すべきです。ただ、神奈川県教員採用試験の採用人数が現状課題です。「受験科目」での採用人数に関しての情報を取り寄せることが最重要ですね。高校は全てが専門領域での採用人員です。これは軽視できませんよ。採用ゼロの状態では受験も出来ませんからね。ともあれ、我々講師陣は貴女の「不合格」には衝撃を受けました。捲土重来??挑戦する情熱に期待しています。

 彼女は教員採用試験対策講座(民間主催)の受講者である。

小生は3年前から講師として登壇している。毎年40名ばかりの受講生を指導しているが「計画通りに」合格して教員の道を走り出す者もいれば3年間連続で受講する者もいて、講師としては複雑な気分になる稼業である。

再挑戦の時代を生きている「後輩世代」に、何某かの役に立つことをしたいと心底から考えている老輩である。西田幾太郎という哲学者が『寸心(=すんしん)』という用語を使って「小さな恩返し」を表現をしている。「寸心紀行」として、残りの人生の旅を、紀行文を意識した新たなエッセイを書き綴ろうと計画中である。そんな折りに、このような相談メールを受信すると「わ~い、仕事だ!仕事が来たぞ!!」とばかりに「人生の旅」の足取りにも加速の火が点くのである。

2012/12/25

「年賀状の投函準備」完了

 ~「住所録の整理」に時間が・・・~

 今年のお正月に届いた年賀状を参考にして投函すべき候補者氏名を「下書き」としてエクセルに打ち込みました。恩師(=お世話になった方々)、先輩・元上司、主宰する『響の会』各地の事務局担当者、親戚、知人・友人と分類します。この作業は「こちらから投函」すべき方々ですので、かなり固定化した人選になりますが、去年より増えました。ラインナップを見ながら老妻にも協力を呼び掛けます。双方に共通する親戚縁者の確認です。そして最後の段階は老妻自身の関係者のリストアップです。年々増加しているのが「生きている・活かして頂いている」証しなのでしょうね。

 投函枚数の3~4倍は年賀状として受領するのが通例でしたが、こちらは現職を去って日々が経つごとに現象の傾向があります。それは「卒業生」という軍団との接点が緩くなっている証しと判断しています。昨年(平成23)還暦を迎えた最初の卒業生を筆頭にして、最後の卒業生が38歳になったようです。結婚して親になって、我が子の成長ぶりを年賀状にして送ってくれた年代が去ったことも加味しながらも、届いた年賀状を見るのが楽しみになっています。そのように事情判断はしながらも、(義理を欠くことが罪悪感に繋がるのでしょうか)、卒業生からの年賀状も依然としてかなりの枚数に及んでいます。

 大騒ぎするほどの年賀状の制作内容ではありません。

手書きの方が良い!!この考えで押し潰されそうですが依然として使い慣れたパソコンとプリンターで器械文字の年賀状を投函することに今年も落ち着いてしまいました。  

年賀状は今朝一番の『歩禅』を兼ねて郵便局にて投函します。
 
情報:新ブログ(公表予定は正月・元旦)制作の自己訓練も順調(?)に進んでいます。このブログも当分は純然たる『歩禅記』としての目的に準じた用途で継続します。新ブログは趣向を変えて取り組みます。軌道に乗ったら(予定としては3月までに)、新ブログの方に『引っ越し作業』を始めたいと考えています。元日の「メール年賀状」は新ブログにて公開します。老輩の「脳鍛錬」意欲にだけには拍手を下さいませ(笑)。
 
 

2012/12/24

『育てる』と『育つ』

 ~異業界での企業努力に学びたい~

 「お風呂は沸いたのか?」「えっ、もうお風呂に入るの?」

 他愛のない老夫婦の昨夜の会話である。事前予告も無い妻にとっては寝耳に水の請求であり対応に窮したようだ。「タッチするだけでお風呂も沸く」時代だから自分で沸かせば良いじゃないの!一世代後輩の読者諸兄には違和感のある夫婦の会話なんだろうなぁ~、と思いつつブログを綴っている。入浴の時間と観戦したいスポーツ番組の兼ね合いで生じる微笑ましい老夫婦の対話である(?)。

 この対話が本論ではない。

 観戦途中で沸いた風呂に入ってお目当ての選手の演技開始には間に合った。一人のプレーヤーの演技のファンとまでは浸食されてはいないが、このスポーツ業界発展のキーパーソンの一人であることは事実である。

 小生の興味は、このスポーツでも「個人の素質と努力」がもたらす結果だけではない。この業界の「企業努力の経緯」に固執してみたいのである。なぜ、ここまでこの業界は成長した?それはいつから始まったのか?今でこそ、ある民放TV局が独占放送をするまでの成長産業にまで成長している。調べてみたこと全てを披露できないが、1906年にこのスポーツの「第一回世界選手権大会」が開催されているようだ。わが国では無縁のスポーツではなかっただろうか。80年も経た1989年(パリ開催)で日本人選手が初めて金メダルを獲得している。その後の活躍はご存知の通り目覚ましく、世界の頂点に上り詰めるほどの大成長である。

 華やかな成果や結果の裏には涙なしでは語れないストーリーが山ほどあるだろう。氷山の一角しか見ていない一般観衆が視聴率をも引き上げる。視聴率・命のTV業界を巻き込んだら独壇場となる。異様な体を為す我が国の気質や体質には異論もあるが、それを利用して伸びる業界があっても否定はできまい。

 業界の「育てる」体制づくりが、そこに集う選手層に「育つ」土壌を提供する。指導者の育成も同種の土壌があるかどうかは追求していないが関連は在るのかも知れない。スポーツ評論家ではないのでこれ以上の追究はない。

教員人生を歩んできた小生には「学校教育」という大きな業界にも、土壌づくりという「育つ」ための理念に基づく「100年計画」ぐらいは欲しいと切望している。そして「育てる」の理論を実践することに挑む企業努力を期待しているのである。

「育てたように育つ」と言われるならば「育てなければ育たない」とも言える訳である。後輩教員諸兄にはこの理念で「未来ある子どもたち」に向かい合ってほしいと願うばかりである。

伊藤みどりさんが「育った」愛知県と、荒川静香さんを「育てた」宮城県から、男女を問わず有能な後輩スケーターが続々と誕生しているのは、小生の自論(=「育てれば育つ」・「育てなければ学ばない」)という理念が、強ち嘘でも無さそうだと思っていただけるだろうか。

2012/12/23

今年の『年賀状』

 ~読み返しながら、確認しながら~

 来年の『年賀状』がほぼ完成しました。

 先日のブログで「今年の年賀状が見当たらない」と大騒ぎした(?)ので、読者より「見つかりましたか?」の心配のメールが届きました。「見つかりました!」との表明をしていなかったことを反省しつつ、今日のブログです。ご容赦願います。

 通常は、正月に届いた「年賀状」は、職業人時代はGWの休日の数時間を確保して「住所録」の整理を済ませていました。当然ながら、保管していた喪中葉書も一緒にして整理をしておくのが習慣だったのに、今年はどうしたのでしょうか。すっかりその事務処理を怠ってしまったようです。もっと悪い事には保管場所すら忘れてしまっていたことです。

 何でもない所にありました!(涙)

 GWの時間(=年賀状の整理整頓)の愉しさは、既に半年ばかり過ぎている時間ですので「褪せてしまった」内容もあったり、年賀状の宣誓文を「もう裏切っている」輩を確認できたりすることでしょうか。人生の縮図を垣間見るようで、自分だけの世界に浸る時間を占有できることもあるかも知れません。

 差出人の家人に過不足が生じると住所録に加除修正をします。

 喪中の葉書もその役目を果たしてくれます。20年も前には「結婚しました!」の葉書のラッシュ時期がありました。その都度、住所録に追加書き込みをしたものです。現時点では追加書き込みより削除作業が多くなりました。その作業を怠けた今年は、「いざ、表書きの段階」になって、最も宛にならない『老脳の記憶』を辿らなければならないことでした。

 昨日は半日を費やして届いた葉書や手紙を保管場所から探し出してはパソコン住所録に打ち込みました。ともあれ、予定していた「宛名」への年賀状が完成しました。ホッとしています。今日から、「中身と宛名の整合性」を確認して、ショートコメントを書き添えます。妻の援助も必要となります。25日までには投函できる目途がたちました。ご心配をお掛けしました。

 『手書きの年賀状』への拘りが無い訳ではありません。

 しかし、200枚ともなるとどうしてもパソコン処理に頼ってしまうのが現状です。一言コメントも書き始めると「一言」で終わらずに時間が掛かってしまいます。何を言っても単なる言い訳でしかありませんが、お許しを乞うしかありませんね。

年賀状には、まだ事後処理の激務があります。それは、年年歳歳増えていく「新しい年賀状づきあい」をする人たちからの沢山の年賀状の「返事書き」の時間です。それは、正月2日の「書初め」に値する新年早々の嬉しい激務なのです。

 有り難き 年賀状の束に 返す言葉で 腕も萎え(自作)

2012/12/22

時代が変わる 学校も変わる

 ~そして、日本国も変わる~

 今朝のメールチェックで次のような内容のメールが届いていた。同様の「季節感のズレ(=冬休み)」を感じたのでご紹介しよう。 

午前に実家に行くとき、高校生が乗車してきた。今日は帰りが早いなあと思っていたら、停車駅で「新年また逢いましょう。」との会話が聞こえてきた。今日は21日なのに最近は冬休みが早くなったのかなと思った。明日から3連休なんて全く知らなかったための間違いに気が付いた。今まで22日から休みになるようなことはなかったと思うが、今年は、長い冬休みになりますね。先生のところの孫たちもきっとそうでしょ。先生、また忙しくなりますね! 

 昨夕の事。

 小学2年生の孫が、通知表を持って我が書斎に飛び込んできた。開口一番、「宿題をやって良い?」と切り込んできた。『冬休み課題一覧表』(?)なるモノを開きながら「国語と算数」が合版されている1冊を開いた。備え付け(移動用小テーブル)を引き出して始めた。

 あっという間に「こくご」を終了した。算数もやろうとするのでお祖父ちゃんは堪らなくなって「明日にしろよ」と水を差す言葉を投げかけた。お祖父ちゃんにも言い分があったのだ。丁度、夕食を摂り始める時刻だったので中座して様子を待ったからなのである。未練を残して母屋に帰って行く孫を見送りながらお祖母ちゃんは言う。「少しぐらい時間がズレても、やる気を尊重すべきだったんじゃないの?」と。

 22日から冬休み?

 メールの送信者もお祖父ちゃんとほぼ同世代に「冬休み」を過ごした人である。12月24日からだったかな、冬休みは?春休みが3月25日から??夏休みは?等々と固定概念に収まっている「長期休業」の開始時を思い出されたのだろう。今は、「秋休み」もあるんだって、知ってるかな??

 時代の変遷は連休法案で国民生活も様変わりした。改めてチェックするのは祖父ちゃんの視線からである。孫守りの日程として追加される可能性を踏まえての事前準備の一環である(笑)。次の通りの10回である。
 ①1月12~14日、②2月9~11日、③4月27~29日、④5月3~6日、⑤7月13~15、⑥9月14~16日、⑦9月21~23日、⑧10月12~14日、⑨11月2~4日、⑩12月21~23日

 小生は、学校勤務の職業人だったので、土曜日休業と連休増加と、そして「ゆとり教育」の教育課程編成での結果が「学力低下」となるのは当然至極である。学校教育を責めて、「ゆとり世代の大学生」との悪評価をレッテルにされては堪ったモンじゃない!!青年層には、決して責任は無い。

 教育は「国家体制」に心臓部である。人財育成は学校教育だけで完遂するものではない。社会教育全体の質の低下がどこにあるのか?捲土重来の意気込みで新政権を奪還した政党には、「反省を踏まえた」教育改革とやらに取り組んで欲しい。

これは『祖父ちゃん』としての切なる願いなのである。

2012/12/21

『片付け』は小さなキッカケから

 ~キッカケは「モノ探し」でした(笑)~

 そのまたキッカケは年賀状を書こうと思ったことに端を発しました。今年の年賀状をどっかに仕舞い込んでしまったようです。「年賀状を書かなくっちゃ」との意識が高まっていました。数日前に名古屋の友人のフライング投函年賀状の話題を、このブログに提供した辺りから意識の中に芽生えていました。頂戴した年賀状の整理が序盤戦です。「喪中のお知らせ」が届いている方のチェックをするのが習わしになっています。今年も沢山の喪中の葉書が届いていました。特別に保管をしているのでその葉書を取り出して投函者チェックをしなければ進みません。意中の場所を探し始めたのが「キッカケ」になりました。

 探し物のために、取り出したり引き出したりしている内に狭い書斎は足の踏み場が無くなっていました。僅か4畳間の広さでは無理もありますまい。老妻も自分のリズムを終えて首を突っ込んで来てくれました。

親しい友人が発した迷文句を思い出しました。「オレの人生の半分は探し物の時間だよ」の表情が浮かんで苦笑している老夫を見て老妻が怪訝な顔になりました。説明すると妙に感心して同意の反応を呈しました。

 取り出したモノが不要物であるのが判明して処理することにしました。驚いたことに処理物が紐で縛る程になってしまいました。そして空間が出来ると「移動措置」になります。書棚の本も「もう廃棄処分だね、この本も」と独り言を言いながら積み上げると、これまた束ねて片付けることを勧められ、励まされつつ(笑)、その気になって午後は殆ど初期始動とは全く別ルートの道のりを走っているような行為になってしまいました。

 午後三時のお茶を愉しんでいました。

 小学2年生の孫がお友達を連れて帰宅しました。おやつを食べながら「お祖父ちゃんちは、もう大掃除してんの?」と聞かれて、老夫妻は笑顔で答えました。「そうだよ」と。「どんどん動きも鈍くなり、力も落ちているから日数を掛けてゆっくり大掃除に取り掛かったんだよ」と嘘をついてしまいました(=嘘も方便?)。

 「暮れの大掃除」もひょんなことがキッカケになり進展しました。

新築2年の建築物ですから、「煤払い」は、まだ不要ですが、暮れの大掃除は必要でしょう。結局、年賀状は探し出せませんでしたが、狭い『離れ』の部屋の整理整頓が出来てしまいました(笑)。読者諸兄のご家庭では「暮れの大掃除」はどんな運びになるのでしょうか?

 ところで、今年届いた年賀状はどこに隠れているんでしょうね!?毎日サンデーの身分ですから焦らずに、また挑みます!!(笑)

最新情報: 新ブログの創作に着手いたしました。あと10日ばかり自己訓練を課して、(予定では)新年のご挨拶は新作ブログでもしたいと考えていますが、どうなりますか!?当ブログとは全く趣向の違うブロガーを選んでみました。この『歩禅記』は当分の間は続けますので、お時間のあるところでご訪問願います。準備ができ次第、このページで新ブログのアドレスを紹介いたします。

2012/12/20

我が「歳末の風物詩」

 ~紙上「歳末(=期末)テスト」にチャレンジ~

 新聞記事を読みながら自問自答をしてみた。

そして、この「創作作品」の原典・四字熟語は何だろうか、と考えてみた。通読して勘定して見れば「20個の創作・四字熟語」を書き込んだ見事な新聞記事であった。すかさずインターネットで原版を検索した。この作品募集事業も『第20回』という数字が目に飛び込んできた。20年間の歴代の作品にも目を通しながら「世相」の変遷ぶりを痛感した。

以下は、自問自答するために本文(=新聞記事)を加除修正した改訂版である。

ホンモノの新聞紙上には、次の①~⑳のナンバーリングは無い。しかしルビは振ってある。追求希望の読者諸兄をここで募る。この20個の創作品の原典はどんな四字熟語なのか?きちんと漢字で書けるか?自己研鑽の時間として満喫した。

『創作四字熟語(住友生命保険)』にてネット検索をすると、びっくりするような大量の創作品を見ることができる。時間は創るモノ。忙しいとの言い訳をせずに追求してみたらどうだろうか?

 「忙中閑有」の心境で挑戦してみて欲しい。制限時間は20分でどうだろうか。当ブログ創作者(出題者)からの「正当贈呈」は辞退することをお断りする(笑)。 

投票用紙を前にしても迷った ①「紙前党多」の衆院選。結果が ②「自公治得」「維新前進」だけに ④「翁政復古」が気にかかる。年末恒例、創作四字熟語の締め切りが11月と知り、続きを小欄で補ってみた。以下、住友生命が募った本物で一年を振り返る▼辺境の孤島をめぐり隣国と続く ⑤「島々発止」。尖閣には中国の公船がわが物顔で出没し、防人たちは ⑥「船船境航」の中で体を張る。内憂は消費増税に頼る財政。復興予算の流用がバレて ⑦「税途多難」だ▼レバ刺し好きを励ます言葉もない ⑧「肝臓断念」。ウナギは稚魚がとれずに高騰し、かば焼きを飽食する夢も ⑨「無理鰻代」に。上がる味あれば下がる足あり、 ⑩「安価航路」格安航空が相次ぎ離陸した▼メダルに沸いたロンドン五輪。「(北島)康介さんを手ぶらで帰せない」とチームが結束した ⑪「共存競泳」、アーチェリー女子団体はほんわかと ⑫「三矢一体」の銅。レスリングの吉田沙穂里選手は ⑬「史嬢最強」を証明し、国民栄誉賞に輝く▼ノーベル賞の山中教授を世界が称えて ⑭「伸弥万称」。上方落語では ⑮「三枝襲名」で六代桂文枝が誕生し、芸人スギちゃんはワイルドな ⑯「野性自慢」で流行語大賞だぜぇ▼観測グッズが売り切れた ⑰「衆金環視」の金環日食、 ⑱「威風堂塔」の東京スカイツリーは空二題。読書ならぬ ⑲「独唱三昧」の1人カラオケが若者に人気を呼び、NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」も ⑳「観梅御礼」の 好評だった。続く桜の季節に、一陽来復の望みを託したい。   【出典 2012/12/19 天声人語 】  

2012/12/19

氾濫する『器械音』

 ~場内・構内や車内案内の『声』に現代を診る~

 これも「文明」の変化?

 同意には否定しないが、聴いている耳が乾燥してしまいそうで空しい文明の利器としか思えないのは小生だけ??録音(=これも「死語」になるのか?)された案内には「臨機応変」の機能は期待できない。生きて、動いている社会では死語による案内より臨場感のあるアナウンスが求められている筈である。その発信元もその意識はあると思われるが蔑にされているのだろう。利益には直結しないからだろう。小生という「独りの旅人」は全国のどこでも同類のパターンで流れて来る器械音にウンザリしながら今年も全国を回った。

 たった一度だけ「死んでいない」アナウンスを耳にした。

 ある日乗車していた電車が突然停止した。乗客の誰もが「どうしたのか??」と不安に思う。緊急事態のアナウンスには「常体の訓練」では対応できない。その時、車内アナウンスが流れた。「急停車して申し訳ありません。情報が届き次第お知らせしますので暫くお待ちください」との声に車内に落ち着きが戻ったのを確認した。数分後に、またアナウンスが車内に流れた。

「●●駅構内で、前を走っている電車のドアに不具合が生じ、点検をしているとの情報が入りました。少々の停車が必要のようです。お急ぎのところ申し訳ございませんが当駅でこのまま停車いたします。新しい情報が入り次第お知らせいたしますのでご協力をおねがいします」。

これはマニュアルには条件サンプルしか載っていまい。その電車に勤務した車掌の機転である。乗客の多くが、このアナウンスにどれほどの「温もり」を感じたかは計り知れない。確かな情報を得て、(まるで決裁を得たかのように)落ち着いた感情の籠らないアナウンスが流れるのに馴らされている乗客にはホッとする声であった。怒号などが起こる要因が細やかな気遣いで治まるという好例であった。

このことは、何事にも通じる実例ではある。しかし、『臨場意識』というキーワードの再認識を声高に叫びたいのである。先日の衆議院選挙の場外広報アナウンスも、朝も昼も夕方も全く同様の内容が流れる「器械音」に、戯れている幼児だって「同じことをまた言っているよ」と呟くほどであった。

学校教育界でも、機器を使っての学習が浸透している。結構である。ただ、素晴らしい成果のみの追求で使用することを優先させる前に「人間が持つ温もり」の存在価値も考えて取り上げて欲しいモノである。爺の独り言をお許しあれ!!

2012/12/18

銀行からの電話

 ~なぜ?何があったんだろう!~

 「お電話をいただいた者ですが」との前置きで最も近い場所のカウンターで業務をしている女性銀行員に声を掛けた。その場にならないと気付かないことがあるのは常識であるが、銀行には「受付窓口」がないことに気が付いた。自分の要件がわかって銀行には行くので、「業務別受付機」のそれぞれの項目のボタンを押して順番を示すナンバーカードを受け取って待機することになっている。最近は、多くが行内の入り口にあるATMで用を済ませているのでカウンターでの対応をして貰ったことが無く、少々面喰った。

 仕方が無いので業務中の行員に声を掛けざるを得なかった。

 とても親切な応対に感謝しながら動きの見える行員の行動を無意識の中で視線は追っていた。動きが止まった先で若い女性が自席を離れてカウンターまで歩み寄り、「角田さん、いらっしゃいますか」との声が掛かった。

 案件は数分で終わった。

 世相を実感した数分間ではあったが、「世の中の乱れ」「倫理観の喪失」「不毛の道徳性」を今更ながら痛感した。自身の口座から自身が引き出して活用する財源にまで銀行に神経を遣わせる世の中になっている。どんな時代なんだ!一方では、個人の『プライバシーの侵害』への過剰な気遣いぶりではないか。強烈な矛盾を感じてしまった。

 先週末に老妻の要求に従って大金を引き下ろした。一回の金額と一日一回との制約を聞き入れて実行した。老妻の要求する金額は一日一回の作業では入手できないので二日間連続して銀行に通った。そして、それを郵便局の口座に移したのである。その行為が「振り込め詐欺」に罹った利用者、として危惧されたようだ。確かに小生は高齢者である(笑)。ご心配いただいて迷惑とは思わない。そこまで気遣いをして貰っていることに感謝もしたい。しかし、・・・・・。

 銀行員はとても丁寧だった。説明も十分に納得した。「当銀行でも被害(詐欺)が発見されていますので、確認をさせていただきたくお電話をいたしまた。ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」、との言葉で銀行を送り出された。

 銀行という金融機関の責任か?詐欺被害が出たことは取扱銀行の責任範疇にあるのか?では、なぜ銀行は被害が出ることに恐怖感を持っているのか?詐欺行為が成立した場所としての銀行名が出ることを恐れているのだろうか?

 老人の独り言は、帰宅するまで歩きながらぶつぶつと続く。

しかし、追跡調査をされたようで気分は決して良いモノではなかった。複雑な心境で昨日は終日を過ごしてしまった。読者諸兄の中にも同世代の方々も多いようだ。こんな時代になっている事だけでもお伝えしたくてブログ登載とした次第であります(笑)。

2012/12/17

結果の分析

 ~驚いてばかりは居られぬ・・~

 テストを受ける。

 テストの前には受験勉強という下準備に熱が入る。それは「結果によって」次のステージが変わるからである。自らに都合が良いように結果がでることを期待して「頑張る」のが受験勉強である。前政府は受験勉強に集中できなかったのかな?だから選挙という「テスト」に良い結果を出せなかったようだ。

 人生は常にテストを受けるが如し。

 試されて評価されるのが結果である。それを人生だと言うならば、人生は結果の連鎖であると言っても過言ではない。異論を唱える気持ちは無いが表出した『結果』だけの断面で判断するだけの評価には合点がいかない。

 学校教育では評価の中に「プロセス」を重視する傾向が強い。これは捨て難い。しかし、プロセスを評価しても喜べない現状がある。どれだけ努力(=プロセス)しても結果が伴わないと人生の選択コースを読み誤ることに直結すると考えるからだろう。外見や表面上だけで評価されることが多いと臆病にもなってしまうのかも知れない。これを「世渡り下手」と言うらしい。

 昨日の選挙の結果を世論はどう分析してどのように評価するのだろうか。

 小生の評価は、ある政党への強烈な期待と支持があったと思えないと分析した。3年3か月の落ち着かない党内の不安定さに辟易したのではないか。良かろうが悪かろうが、それ以前の方が落ち着いていた。そして「元に戻れば世に過ぎなし」の古い諺に準拠したのではないかと判断した。内部の不和は「出来ることも出来ない」症状に至る。震災の後始末にボランティアでは先は見えない。政府を担う政党が一致団結して取り組んでくれたら昨日のあれほどの『結果』は出なかったと思うからである。プロセスが見えないのも不安な材料であったことは否めない。政治という業務は「成果を求めて取り組む姿」を納税者にわからせるのもプロセスであることを忘れてはいけない。わからない状態では納税者は落ち着かない

 元の鞘に戻って安堵する政党ではあるまい。3年3か月間は、「前政府」とは異次元で「元政府」も国民の「テストを受けていた」と再認識すべきであろう。3年3か月の受験勉強を十分に活かして、ステージの違った「テスト受験」に取り組んでほしい。急がないと国の内外が危機に瀕している。

 戦後68年間の教育のツケが国情を創ってしまったことを真剣に考えて、我が国らしさを取り戻せる「教育改革」にも期待したいのであるが・・・・。

2012/12/16

「有権者の質」は劣化した!?

~『民意』という言葉に甘やかされ続けたら・・・~ 

 餌を目の前にぶら下げて調教されるのは単なる動物である!

 「~ができたらゲームをしても良い」「成績が上がったら~を買ってあげる」等の交換条件付きの育児法には限界がある。同様に政界に対する依存度も末期的症状ではないだろうか。「子ども手当を一人当たり月〇万円を供する」に靡いた意識は正当な有権者意識(民意?)だったとは思えない。政局を得るためだけに、「条件付き公約」を羞恥心も無く提示する手法がなぜ成立したのだろうか。小手先の手法で「(国家の)政治を司る」とは由々しき事態である。自立心の欠如がもたらした症状としか思えず寂しささえ感じてしまう。

3年3か月前に政府の担い手が替わった。

長かった政局に新風が吹きこまれることに細やかな期待感を抱いたのは小生独りではあるまい。期待された政局がわずか3年ばかりの間に「首相(=最高責任者)」の顔ぶれが何人替わったのだろうか?政治力は一朝一夕に発揮できるモノではないと確信している。民意は完璧に裏切られてしまった。皮肉なことに、地震と大津波と原子力発電所の大事故に遭遇してしまった。「国家の舵取り」への期待は弥が上にも急上昇した。

東日本大震災と放射能問題(原発事故)まで引き込んだ未曾有の大事件になったことは政局の担い手としても想定外であったろう。その部分だけには十分に同情するに値する。民意にもその点の理解は十分にあったはずである。だからこそ、素晴らしいリーダーシップを発揮して(政府の総意を結して)、「震災後の一日も早い」復興対策に取り組んでほしいと願ったのが民意であった筈である。福島県にお住いの方々の不運の涙は直視できなかった。風評なる民意も哀しい国民性を吐露した。傷口が膿んでしまったら、切開してその膿みを出すことは初歩的な手法である。そして、傷口を洗浄して新たな治療法を提供する医学は常套手段である。国内の不安定さを外国も虎視眈々と見詰めているようだ。まさに、今日の選挙は「国の行方を占う」最大事となるだろう。

 大事故となった原発の存在を論点に挿げ替えてしまった選挙に思える。

原子力発電に前置する言葉に「脱」も「卒」も無い。原子力という今までの「電力」の供給に寄与した組織に対しても、恩恵を受けて「電力に頼る」国民生活を創り上げて来た「政治力」を正面から分析しながら判断すれば良いだけのことである。

 原子力発電所が設置されている全国各地の行政管内では「脱」も「卒」もあるまい。自らの今後の生活への連鎖問題だからである。「政権を掴む」道具として言葉遊びをしている遊説カーの声が空しく響いたのは小生だけではあるまい。

 今日は、神奈川県から茨城県に転居して2年足らずの選挙民として投票に向かう日である。配布された「選挙公報」をじっくり読み切った。立候補者の違いは理解した。しかし、いつの間にか老脳には、「言葉遊び」をする政治家と言う思い込みが刷り込まれてしまった。どの候補者の公約も訝しく思えて仕方が無い哀しくなる投票日の朝である。

2012/12/15

かなり早い『仕事納め』

 ~充実感で終了できましたが・・・~

 後輩教員が校長を務める小学校への出講が「本年最後の仕事」でした。

 勇んで出発した意気込みの「鼻をへし折られ」ての到着となりました。開演時刻の5分前に学校に到着するという滅多にない訪問日でした。常磐線が途中の駅で臨時停車して上野駅で乗り換えようとした京浜東北線が満員で『積み残され』てしまいました。到着した山手線もぎゅうぎゅう詰めで背負って乗ってしまったリュックが他の乗客に迷惑をかけてしまったようです。身動きの取れないまま乗客との間に挟まったコートを引き動かしたりして立つ位置の確保に苦労しました。その際でしょうが、コートのポケットに入れていた買ったばかりの革製の手袋(片手)を車内に落としてしまったようです。帰路で気づいたのです。二つ目の駅・秋葉原で山手線も停車したまま動かない。有楽町駅で事故が起きたらしい。弱り目に祟り目!泣きっ面に蜂!!お先真っ暗!!!

 予定した東京駅始発の東海道線が30分遅れの電車になってしまいました。

 こんなことは良くある事ですよ。開き直りの天才(自画自賛)には影響はありません。しかし、講演の終了時刻は定刻だったのは何故でしょうか(笑)。

 講演の様子は主催者代表から届いたメール(以下)のご紹介で代替えしましょう。 

角田 明先生
 電車の事故にも関わらず、「定刻」を目指される角田先生の後ろ姿をあわてて追いかけるしかなかった私でした。本日は誠にありがとうございました。 PTAから持たされている会長専用携帯が、今までになく活躍した一日でした。すぐ対応できず申し訳ございません。混雑する電車の中、随分長い時間やきもきされたことと思います。今回の講演では、電車遅延のおかげで特に時間についての考え方が印象に残りました。「時間にゆとりがあると見るものが見える」「時間を上手に使うと人間が変わる」「定刻に来た人を大事に」この言葉を思い出し、普段の生活やPTAの会議に臨みたいと思います。子育てに関しては「子育ては失敗だらけ」で心が幾分軽くなり「怒ると叱るは同じ」「子どもが親になった時に親の教育を評価する」で激しく同感、「その子に合わせていける力量を親が蓄えておく」「気にはしながら咀嚼していく」にはそうなのか、と考えさせられました。片時もボーっとすることなく、この様に先生の言葉をメモ出来た自分にも驚きましたが、伏線を張られる話術には舌を巻きました。全神経を傾けて聞くとはこのことかと実感した次第です。【後略】・・・・ 

ともあれ、今年の請負事業は全部完了しました。

高齢者になってきたので、体調の不良等の突発性事情は予測できる。主宰者にご迷惑をお掛けする事だけが気がかりであることは本音である。お陰様で今年も「一度のドタキャン」もなく任を果たすことが出来たことだけでも満足しています。内容やレベルの問題は、「今日の時点」では触れないままでご勘弁願います。

来年の「出講依頼」が3通も今朝のメールチェックで判明しました。やっと終わって安堵したのは昨夜で終わりました(笑)。

2012/12/14

また、訃報が届いた

 ~「1つの時代」が消えて逝く~

 18歳になった春。

 高校を卒業して故郷を離れる青年の両手を持って「達者で頑張らんといかんぞ」と声を掛けてくれた叔父。その訃報が届いた。父の顔も写真でしか知らない甥っ子の旅立ちに、誰にもわからないようにポケットに「餞別」と書かれた封筒を突っ込んでくれた叔父が逝ってしまった。

 中学生になっても本当の叔父だと信じ切っていた。高校を卒業したら上京するという小生に、ある時、母が事実を教えてくれた。実家の直近に叔父の家はあった。従弟妹が二人いて幼友達だった。「いとこ」ではないことも衝撃として知った。

 祖母の妹さんが妊娠したが結婚が出来ない事情で産んだ、のだと聞いた。つまり、父親と従兄弟関係になることを知った。祖母が引き取って末息子として戸籍に入れたのだと「オトナの情報」も受け止めてから上京した。小生も兄姉も「叔父ちゃん」として慕って成長したことは確かな事実である。

 戦死した父の事をアニキと言って明るく楽しくアニキとの思い出話をしてくれた。歌も上手で、当時の青年団の舞踊でも活躍していた姿が浮かんできた。得意は「田端義男」という歌手の歌とその踊りだった。大利根月夜唄(?)の、「♪♪あれをごらんと指さす方に・・・・・♪♪」の節回しの歌いぶりが浮かんできた。

 ラジオ深夜便の午前3時からの1時間は「歌番組」である。

 叔父(と今でも心底から慕っている)の訃報を昨日受けたばかりの今朝、3時台に流れる「日本の歌」が、何と田端義男特集の放送ではないか。この時間は、目は覚めているが未だ布団の中に居て暖房が出来るまで寝ながら聞いているのが毎日である。そこに叔父を彷彿とさせるようなメロディーが次から次へと流される。涙が枕を濡らす。一緒に冥福を祈ろう、と言わんばかりの放送であり、有難い。叔父がそっと持たせてくれた「御餞別」を思い出すと涙までが温かい。こぼれる涙を止めることが出来ないので布団の上に座り込んでしまった。

 あ~、また「一つの時代」が消えてしまった。

 数年前に帰郷した折には、もう叔父は自宅には居なかった。老人ホームに入所していると聞いて面会もせずに戻って来たことを悔いる。そんな朝である。所詮、『別れ』とはこんなモンか!叔父の冥福を祈りつつ今日の行動開始である。

今日は、今年の「仕事納め」の出講である。そろそろ準備でもしましょうか。

2012/12/13

ネットショッピングの後始末

 ~利器のミス処理は、利器で~

 通信機器の威力には「着いていけない」と諦めていましたが、やってみると「案外に大丈夫だぞ」との思いに辿り着けたような気分になりました。ところが「やっぱり、厳しいなぁ」の心境に不時着状況になった事実を笑顔で報告します。

 ネットショップに指定されたとおりに「銀行からの払い込み」に行きました。

ここにもATMという利器が何台も取り付けてあります。順番を待つ行列を見て躊躇する心境が「高齢者の証」なのだそうですが小生は挑むことに意を決しました。順番が来たので気を取り直して「振り込み」の文字をタッチしました。キーボードの画面から振込先銀行名を入力します。順調に進んでいた筈の処理状況が「ハタと」止まります。間違いに気付いたからです。「戻る」というタッチパネルを拒んでしまうのです。「遅くなって、待っている人に迷惑を掛けてしまう」との罪悪感を感じる優しさが(?)が妨害するのです。しかし、それは前回までのことです。今回は数回「戻る」パネルを押しつつ最後の段階まで来ました。

 「依頼者名」を入力します。プリントアウトした先方の業者(担当者氏名)が目について「支払いを依頼している人物と勘違いしました。払い込みの依頼者は「わたし」でした。勘違いで先方の名前を打ち込みました。「戻る」をせずに上書きしてしまいました。しかし、通帳から引き落としの一連の作業も終わり通帳には確かに「引き落とし」された金額が印刷されていたのでホッとして帰宅しました。いや、「やったぁ~」の充足感で家に帰りました。夕方になってパソコンで振込完了のメールを期待して画面を見てガックリとしてしまいました。振り込まれていないとの返信だったからでした。

 埒が明かないので、昭和の利器(電話)の出番です。

先方に電話をして事情を話をしました。依頼者の勘違いを伝えると「良くあることですよ」との優しい対応で先方でコンピュータ処理をしていただくとの応答でした。程なくメール画面に「入金の確認が出来まし」、との文字を読んで全身から力が抜け落ちました(笑)。

 平成の利器の不始末は、昭和の利器がやってくれました(笑)。

 一苦労をしましたので「次回は大丈夫!」と挑む心を持つ怖いもの知らず、が小生の特徴、いや特長なのでしょうか?能天気な性格の裏付け証拠をここに提出いたしまして今朝の報告といたします(笑)。

2012/12/12

投函した『年賀状』の回想

 ~♪♪あわてん坊のサンタさん??~

 老脳にも「そろそろ年賀状を書かなければ・・」との焦りも湧き起って来ているところでした。下記の受信メールを読んで懐かしい「ある光景」が蘇りました。
 
2012-12-11-22:52発信

年賀状の作成の時期になり早々と友人から作成が終わったという情報が入ってきていました。「我も早速取り掛からなければ」と思い先週から取組んで月曜日に完了しました。間違いがないことを確かめ投函するため郵便局に向かいました。今年はポストに年賀状専用の張り紙がしてないなあと思い、枚数もまあまああるので窓口に行き「お願いします」というと、局員が「どうされるんです?」と聞きました。「出すんです。」(なに阿呆なことを言うんや!出すに決まってるだろ!との思いで)というと、「受け付けは、15日からです。」と言われてしまいました。阿呆なのは自分だったことが恥ずかしくなりました。たまに早くやると、このようなおっちょこちょいなことですね。 

他人事では御座いません!(苦笑)

それは、ずっとずっと昔のお話です。何がどこで間違ったのか、年賀状が早く仕上がった時がありました。そのことをごく親しい友人に誇らしく電話をしました。先方は、ただ「凄いなぁ!」と感嘆の返事をくれました。時間にゆとりがあったので、県別に仕分けして輪ゴムで束ねました。それを1つにまとめて、バカ丁寧に差出人まで明記しました。事務処理満点とばかりに意気揚々と近くのポストまで行きました。

例年になく年賀状が投函できた優越感(?)、いや充足感で満ち足りた生活をしていた所に、投函した翌日、郵便物の配達に来た局員が、どこかで見たような白い用紙で束ねた物体を持って玄関先に立っていました。

「まだ、受付をしていませんので、失礼とは思いましたがお持ちしました」と、丁寧な言葉で「投函した年賀状」がそっくり手元に戻されてしまいました。商売用語とは言え、丁寧な言葉だっただけに勇んでいた矛先をへし折られたような気持になってしまいました。その時、「慌ててやるもんじゃないよぉ~!」と肝に銘じました。そして、普段は「余計なひと言」の多い自らが悔やんだのでした。友人に「これから投函するんだぞ」と余計なひと言でも自慢していたら、一人ぐらいは「まだ、受付は始まってねぇよ!」とアドバイスして(笑)くれただろうに、と。

友人からのメールを読んで、早朝の静かな書斎で、独りで苦笑いになりました。そして友人への親近感が益々深くなってしまいました。ちなみに、今年もまだ、全く手つかずの年賀状が目の前に鎮座していらっしゃいます。全国の読者諸兄の「年賀状作成」の進捗状況はいかがでしょうか?

2012/12/11

第11回 新春教育講演会

 ~会場が「東京・浅草」に変更になりました~

 本年(平成24・2012年)より、従来の静岡県熱海市で実施していた「お正月の集い」が会場変更になりました。創設当時の会場設定は、小生が神奈川県茅ヶ崎市に住んでいた事と発起人(5人)の一人が静岡県浜松市に住んでいたことから、合流できる地点として選択されました。

 行政職の長かった小生が、退職までの勤務校が最後になるであろうとの予測から2001年の正月に有志の指導主事が立ち上げた会がこの新春教育講演会です。とうとう11回(途中1回だけ中止)になりました。昨年の4月(3・11東日本大震災より1か月後)に現地に転居した関係から、小生の加齢を加味して会場変更の様です。

 本音を言いますと、「これでお終いにしよう」と昨年は請けました(笑)。

ところが、そんな思いで登壇した会場には高知県や鳥取県、愛知県、茨城県それに東京都からの参加者で会場も満席になる程の盛況になってしまいました。また、出版会社や教育産業界、更に一般市民の方の参加者もありました。「想定外」の展開になり「止める」とは言いだせずに今回を迎えます。

当ブログでは詳細の案内は出来ませんが、今年は『響の会』繋がりの立川『響の会』の代表である松野登氏に、第Ⅰ部の講師としてご登壇いただいて二部制にして貰いました。小生は第2部の時間で、“「機能しない組織」の下では、元気は出ない”の演題で講演をすることにしました。

「校内研究会(研修会)」という軽視されがちな小さな組織も、「教育現場」を活性化するために頗る重要な組織でありながら、形骸化されてしまう現状に「組織」の壊死状況を感じてしまいます。現場の教師が多忙になればなるほど「校内での学び合い」の場を重要視しなければなりますまい!!「組織の活性化」に挑んでいる現場をその実例として示しながら言及したいと考えています。

後輩諸兄の計らいのお蔭で、今年の初詣が浅草寺でできました。好発進の出来た1年も間もなく終わります。新年の誓いと祈願を開始時刻より早めに到着して『初詣』もご計画されることをお勧めしておきましょう。

当日の概要は以下の通りです。詳しい案内版をご希望の方はメールにてお申し出ください。添付ファイルにて送信致します。

日時 平成25年1月19日(土)14:00~17:00
会場 TKPスター会議室・浅草 東京都台東区浅草1-3-2井門浅草ビル5F
★詳細についての問い合わせは、
茅ヶ崎『響の会』事務局高田実(090-4522-8754)まで。 但し17:0以降にお願いします。

2012/12/10

時流の「通信販売」

 ~「求める製品」を探して店内を歩き回って~

 足が棒になる。

 そんな日本語を思い出して苦笑したのは帰宅してからの事である。時代の流れが急速に変化している、ことぐらいは十分意識している筈であった。しかし、現実として認知する事件に遭遇しないと分からないものである。

 「箪笥を動かして位置を換えたい」と、老妻が夏の終わり頃に言いだした。多忙な日程に振り回されている小生は対応に遅れてしまった。そして昨日の事。市内にある大きなホームセンターに行きたいと言うので5歳の孫も連れて出かけた。広い店内は行く度に驚くのだが、「求めたい製品」を探し出すのが大変である。先ず、店員さんを探す。そして、求めている製品について説明をする。店員さんは仕分けしてある「通路番号」で応えてくれる。横軸と縦軸の交差する場所にその類の製品が置いてある。その手順には老夫婦も馴れてはきているが、昨日は店員さんの説明も覚束なかった。そして、当店には「在庫が無い」という結論に至った。

 孫は広い店内を満喫して走り回っていた。「おばあちゃんの探している品物が無いんだって」と、孫を説得するおじいちゃんは、既に「足が棒」の状態だった。未練が残る孫を連れて帰宅した。

 やおら・・・・、おじいさんはパソコンに向かった。

 娘たちが事ある毎に「ネットで見てみれば?」の答えぶりを思い出したからである。老脳にはパソコンに打ち込む時点で「製品の名称も不明」がバリアになってしまう。当然ながら会社名もわからないのでパソコンの前で立ち往生するのが、これまでの現状である。利器が利器にならないまま生きて来た。

 そこで、八方破れ(笑)の心情で「箪笥の移動」と打ち込んでみた。

 驚き!驚き!驚き!呼応する回答商品が山ほどの数で、しかも実物写真付きで画面上に示されているではないか。「お~い、ちょっと来てくれ!」とおじいさんはおばあさんを呼んだ。画面を覗きこんだおばあさんは、「これ、これ、これですよ」と興奮状態である。

 そこで、今度は『かごに入れる』という作業である。「会員になりますか?」の文字に立ち往生をしつつ、無事に「注文が完了しました」の文字面に到達した。数日後には配達されるようである。「足を棒」にした大型ホームセンターの足労は何だったんだよ~!叫びたい気持ちを抑えられたのは「利便性」を実感したからである。

 読者諸兄はこのブログを読んで失笑していることだろう?

歩かなくても求めるモノが運ばれてくる時代に生きる。更に利便性の追究は進む事だろう。良いようで、良くないと考えてしまう「昭和時代の思考回路」で迷子になりそうだ(笑)。

2012/12/09

遠距離とは言え3件の掛け持ち

 ~歯科医・研究会・同窓会~

 片道2時間半の旅程を必要とする神奈川県茅ケ崎市への移動時間。

それぞれの日程がバラバラに設定されると3日間も続けて通うことになる。行って帰って、行って帰っての3回はいかなる健康体にも厳しいモノがある。

 そこで、昨日は10時に茅ヶ崎市の歯科医を予約して、午後2時から主宰する『響の会』の特別講座(その後の懇親会もある)に出向して、午後7時には隣市の藤沢へ移動。54歳になる卒業生との懇親会(=定例ミニ同窓会)に出席する日程を創り上げてしまった(笑)。トリプルの案件を成就して茨城県土浦市の自宅への帰着が午後11時過ぎとなった。

 老体は嘘をつかない(涙)。

 布団から出たのが6時過ぎになってしまったのが実態を証明してくれた。早朝起床には義務感は伴わないが、体内時計が目覚まし不要な程に機能しているから起床が「早朝」になるだけの事である。従って、遅く起きても罪悪感等皆無である。

 幸か不幸か土日のメール受信は少ない。1通の着信メールに目を通しながら後程ゆっくり返信しようと考え、ブログ創作に向かっている。 

 目が覚めて老妻からの報告に、また愕然とした。

 同居する嫁の弟さんは昨年結婚されたばかりである。その奥様の実母が他界されたとの一報であった。またしても50代の死去である。昨日の当ブログでも取り上げたが、身近な方の「早い人生の終幕」の知らせに接すると恐怖心も募る。更に、昨夜の同窓会の主人公たちと同年代であることを考えると戦慄すら走る。元気な顔で出席してくれる卒業生たちも、「息子や娘の結婚式」の話題をしていた。孫の話をする卒業生もいる。余りの早い別れには言葉を継げない。

 『響の会』冬季特別講座では、地元茅ヶ崎の酒蔵・湘南ビールの製造元の社長の経営談義を聴講できた。140年の伝統を継承する若き社長は42歳だとの自己紹介だった。学校経営の視点とは、当然ながら違うに決まってはいるが『学ぶべきこと』は山ほどある。主宰する『響の会』では、年に1回は「民間人の経営者」を招請して学ぶことにして10年が経っている。今回も充実感を抱かせる素敵な講話であった。 

 開業時刻の10時に予約をとった歯科医院は、長年住み慣れた茅ヶ崎市の住居から徒歩5分の距離にあり、「歯の清掃」だけでの通院である。「虫歯はありません」と言われ管理面の指導を受けて完了した。蛇足にはなるが、この13年間で小生の国民健康保険証は半年に1回のこの歯科医にて使用するだけである。

 温暖な湘南から2時間半かけて移動して、降車駅に降り立つと「気温の低さ」に驚かされる。身の引き締まる思いがする。我が老体への健康管理意識が深まると考えると至福の瞬間でもある。

2012/12/08

一枚の(喪中)葉書

 ~新米校長の日々を思い出しながら~

 年の暮れの風物詩、というには無神経でしょうか?

 今年も喪中の葉書が届き始めました。一枚一枚丁寧に目を通します。そして関わりの深かった方のご逝去を知ると、その当時を映す走馬灯が回転します。知人友人のご両親だったりご兄弟だったりと対象の違いはありますが、同様に寂しくなられた関係者の心境が伝わって来ます。

 帰宅すると机上に置いてある郵便物を整理します。ホンの数日間だけでも家を空けると、この時期は各種の情報がたくさん届いています。今回は、高知から帰って、いつものように届いている葉書や封書を手にして確認をしました。数枚の喪中を知らせる葉書の中に一枚に目が釘付けになってしまいました。

 妻 ●●が2月17日に55歳で永眠しました。

 差出人は当然ながら旧知の仲です。むしろこの奥様を通じて知人となった差出人ですのでお名前と享年の文字に16年前の「出会い」が走馬灯に浮かんできました。新米の校長として着任した茅ヶ崎市内の小学校でした。当時のPTA役員をしておられたのが奥様でした。ご長女が5年生でした。校長在職は2年間だけでしたのでご長女の卒業と同時に小生も現職を去って市教委に異動しました。

 市教委の卓上の電話がなりました。差出人からの講師依頼の電話でした。日本公文教育研究会(=通称「くもん」)の役職としての講師招請の内容を電話で請けました。差出人とは校長在職中には会っていません。

 中学生になっているご長女の推薦があったらしく、この前夜、小生の自宅に電話を掛けられたのが奥様でした。公文研究会で公立学校の校長先生を講師としてお招きして「学校教育の現状について(仮題)」として、指導要領の大幅な改定についての『学習会』設定しているという現況を聴きました。「日程さえ合えば」、とお請けして、実現しました。

 業界関係の難しい事はここでは省きましょう。

 単身赴任している父親が、赴任先から、PTA役員をしていたご自分の奥様の尽力を求めた電話がきっかけだったようです。ご長女が「角田校長先生なら大丈夫!」と太鼓判を押して電話の向こうの父親に推奨したと言う前夜の動きがあったようでした。そして、その伝道者(仲介人)が奥様だったという訳です。

 こうして老脳でも記憶を明確に弄ることが出来る程、強い絆のあるご家庭でした。お請けした講師が縁となって2006年から5年間日本公文教育研究会でお仕事をご主人と一緒にさせていただきました。教員とは異質な公文指導者との関わりも出来ました。5年間の実働の中で、素晴らしい指導者の方々と多くの人間関係を結ぶことが出来たのです。

 ふと、「ちょっとした出会い」の大きさに思いを馳せてしまいました。

900人もいた小学生の中の一人の女児が差し出した縁の紐を、母親から父親に伝えられて、そして、きっちりと結んでもらったご家族です。

 老妻も記憶していました。
 お若い人生の終わりを二人で惜しみました。そして、あの女児も大学を卒業して社会人として活躍していることは、父親から「その後の情報」として得ていました。何歳になっても親との生別は辛いモノだろうと推察しているところです。心よりご冥福をお祈りします。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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