2013/08/31

畏敬の念を抱く『モンスター』様から返信葉書が届きました!

 

 想定外!?

 この言葉が流行語になったのはいつ頃だったでしょうか?昨日、郵便受けから妻が葉書を取り出して持って来てくれました。差出人名に気付いて、内容を読んで小人物の小生の蚤の心臓が止まりそうになりました。まさに、想定外の出来事です。

 素晴らしい「8行詩」に脳も足も硬直してしまいました。

 「これからの教育を良くする・・・・・」の行を何度も読み返しました。そして、唾をグッと呑み込んでから、傍に座っていた妻に向かって音読しました。読み割った後に妻は言い返しました。「これからの家庭教育を良くする道は唯一つ、父性の復権ですかね」と8行詩を、妻なりに解読していました。

 6月19日に初対面、8月25日に主宰される研修会に初参加をさせていただいて直に指導を受けました。勝手なネーミングは非礼極まるモノですが、今までに出会ったことの無い、無比な『怪物』そのものでしたので、モンスターと叫んでしまったのです。それは帰路のマイカーの中の運転席での小生の絶叫でした。それからは、妻との対話に登場する人物名は「モンスター」の呼称で通じます。

 明日からは9月です。

 季節の節目にもなる月がやって来ます。『モンスター』様から届いた葉書に強運が「付いている」気分にもなりました。何せ、91歳の超高齢者です。しかしながら、バイクを颯爽と乗り回しながら会場まで来られ、弁舌さわやかに居並ぶ現役校長さん方に説かれる姿勢に御年の確認は畏れ多いとしり込みをしてしまいました。

 80年前の御記憶を淡々と語られる声量にも圧倒されました。「これからの教育をよくするために」己の全身全霊を傾けられるお姿には頭が下がりました。その情熱ある姿勢を、ホンの少しでも真似できるようにするためには何をすれば良いのか。この夏に戴いた超難問の課題となりました。

 短絡的な小市民としては簡単に結論を出しています。それは、「老け込むには20年早いぞ!」の自らへの叱咤です。課題が解ける約束は出来ませんが、20年後の目標が出来たことだけは確かな収穫の大きかった今夏であったことは事実です。
 
 
 
 
 
 

2013/08/30

すでに、学校は始業しているの??

 


 近況を知らせる葉書が多く届き始めた。

 書き出しは「学校には子どもの元気な声が似合います」とある。雪国だけが8月の後半から2学期が始まることは古い固定概念には確立していた。西の地方からも始業の挨拶があるのに驚いている。

 猛暑日とやらの連続発生で今夏は「夏だ!!」の季節感に圧倒された。「秋の大運動会」という我が国独特な学校風物詩もいつしか消滅してしまった。現職の頃からその兆候はあった。残暑の厳しさに「運動会の練習」が思うようにいかなくなったとの風潮は、ここにきて今夏の異常な暑さでは国民的思考変化もスンナリ認知されるであろう。

 朝の時間にも変化は現れている。

 4時の時点では玄関先もまだ真っ暗である。従って、正規の『早朝歩禅』の出立時刻も30分間遅らせることにした。出発前の朝と帰り着く頃の空の変動がこんなにも違う(写真・出発時と帰宅時)。

 明日で8月も終わる。

 台風もやって来るらしい。異常な暑さとゲリラ豪雨に人間様の非力を自らの実体験で味わった夏である。自然界の異常さは人間生活そのものの強欲な趣向(利便性の追求と贅沢なまでの物欲)で発生しているような気がしてならない。

 二学期(としかインプットされていない)が始まる子どもたちにとって、ホンモノの「実りの秋」が訪れることを願って止まない。今朝は、5人の孫がいる「お祖父ちゃん」の戯言でありました。
 
 
 
 
 

2013/08/29

久し振りにプロ野球の観戦に行きました!


 この観戦は何倍も疲れます。

 43歳で「教壇生活」から離れました。その後の「授業をする」生活は、要請か補欠のためのモノであって年間計画で実践するモノではありません。最近では、全国から「授業をして見せてください」の呼び声も多くなり、9月には広島市の小学校で連続して「道徳の授業」をすることになっています。摩訶不思議な現象に、当の本人が最も驚いています。

 「授業で人間性を育てる」と豪語した教員時代です。

42歳までの教員の下で「野球よりも中学生としての勉強」を優先させた指導を展開した教室にいた一人がこの新聞記事の主役です。久しぶりに東京・神宮球場まで応援に行きました。観戦と言うきれいごとではありません。この選手と同一環境(=球場=試合)に入ると走馬灯が急回転を始めて「あの日々」の師弟関係になってしまいます()

 ブルペンのすぐ傍の席だったので、試合前に金網越しに声を掛けました。

この選手がまだ若い頃には「見えないように・球場に来ていることがわからないように」するのが苦労でした。観戦して「勝った」ことが少なかった理由もわかっていました。球界の話題になる年齢まで達しているので、もう余計な気遣いは無用です。昨日は直ぐに「来ているぞ!視ているからな!」の発破を掛けるべくブルペン脇で仁王立ちにして声を掛けました。周囲の歓声に消されて呼びかけるこちらの声が届きません。やっと気づいたのでホッとしました。

 観客が驚かれたようです。

 小生の方に向かって「先生、有り難うございます」と最敬礼をしたからです。「頑張れよ!」と声を掛けて自席に戻りました。試合開始に備えてベンチに戻りながら、今度は座席に居る小生を探し出して、再度の最敬礼です。周囲の観客に異口同音に聞かれました、「どんな関係ですか?」と。中学校時代の教員と生徒の関係だと答えると、一人の男性は「珍しいですね」と言いながら、「多くのプロ野球人たちは高校野球の監督さんとの関係は口にしますが、中学校の野球部の指導者との関係は聞いたことが無いですよ」と話し続けて「羨ましいですね」と締めくくりました。

 同級生(=中学時代のチームメート)も来ていました。

グランドから客席に向かって挨拶している選手(友人)を確認して直ぐに、最敬礼の相手が誰かがわかったと自席まで来てくれました。試合が始まりました。中学生時代の投球テンポの癖は未だに抜けきっていないので、気が付けば「無口になって腕組みしている怖い先生の顔つき」になっていたようです。だから、疲れるのです。

 常磐電車の時間を気にしながら最終回まで観戦せずに地下鉄に乗りました。

 上野駅から特急電車に揺られ心地よい疲れでうとうとしていたら到着です。留守番をしている妻からコールです。到着時刻直前の目覚ましコールでした。降車駅からは歩いて5分の距離です。涼しくなった夜気が興奮を冷ましてくれるには短か過ぎる距離です。そんな贅沢な心境での帰宅でした。





2013/08/28

こんなに暑いのに自然界は「実りの秋」になっている!


≪昨日の出来事≫
 昼食をしている時、「角田さ~ん、栗、食べっか?」と栗畑から声が掛かった。「まだ、家でも食べてねぇ~んだけっと・・」と味の保証はないとの北関東弁で前置きをしながら入れ物を差し出すようにと言葉が続く。

 台所から小さなボールを取り出して妻が渡すとてんこ盛りの『栗の実』が返ってきた。妻が「わぁ~、こんなに良いんですか?」とお礼ともつかない言葉を発して受け取った。「甘味が着いているかわかりませんが茹でても皮を剥いて煮てでも食べてみて下さい。初物ですから」との言葉に何とも言えない人情を感じて心が温かくなった。早速、妻は仏壇に供えるべくお皿に移した。そして、ぽつりと「今日はお義母さんの祥月命日ですよね」と呟いた。お義母さんとは、小生の実母のことである。

平成7年8月27日。

ウッカリしていた(いつもの事ながら・・)が、確かにおふくろの祥月命日である。近所の農家から戴いた初物の栗をお供えしてもらって天国のおふくろも喜んでいる事だろう。

昨日消毒し終えたすもも(=李)の樹をサッパリする程に剪定した。未だ、害虫が動いている葉っぱもあり、整理するのに一汗も二汗もかいてしまった。ミニ書斎の窓の向こうが明るくなった。窓の向こうにはたわわに実って収穫を待っている緑の毬繰りが見事に見える。戴いた栗を眺めながら、「もう秋だ!」と独り言を。
 

久し振りに朝日を観たくなって1時間遅れの今朝の歩禅。散歩人も多い。中には「休んでいたんですか?」と声かける散歩人もいる。「いや、1時間早かったんですよ」と言いながらすれ違う。沼の東側から待望の日の出が見えた。 【05:05~05:55 6500歩】
 





2013/08/27

初めての「樹木の消毒」に悪戦苦闘!

 転居して来た時点では小さかった樹木も3年も経つと驚くほど背丈が伸びるモノですね。成長期の孫たちもこの勢いに負けない程に成長してはいるんでしょうが、日々の会話だけでは肉親には感じ取れません()


 数日前から、妻の「気持ち悪~い!」の連発発声を耳にしていました。決まって洗濯物を干す時間でした。毛虫でもいたのかな?ぐらいに考えて殆ど無視状態でしたが、昨日の朝だけは異常な程の叫び声なので庭先まで行ってみました。

 嫁が植えたらしい「すもも」の木の下で、妻が指さしてくれました。赤くなってしまっている葉っぱが見えました。葉っぱが枯れている枝もいくつか見えました。じっくり観察すると葉裏が黒く見えるので脚立を持って来て高い位置から見て、その黒さは害虫の塊であることがわかりました。小さな虫が塊になっていました。

 素人の我々は、枝を切り落とすだけしか対応策が浮かびません。

 偶然にも隣接する栗畑に下草刈りの為に働いている農家の若主人の姿が見えました。厚かましくも彼に声を掛けて樹木の下まで来てもらいました。彼は直ぐわかって、薬品を指名して購入場所も教えてくれました。果樹には付き物の害虫らしいのです。今年は5個の果実があり、嫁も喜んでいました。赤いすももの実を孫たちが喜んで見詰めていた光景を思い出しました。

 放置したら来年は枯れてしまいますよ。枝を切ってもダメです。先ずは害虫を落とすために消毒が必要です。若主人の助言でした。

 指定店に行きました。店員さんは小生を農家人と誤解していました。1本だけの樹木消毒とわかると携帯用にパックされている薬を購入して帰りました。夕暮れを待ってスプレー付きの器に入っている薬剤を害虫が塊になっている箇所に向けて撒きました。虫がボタボタと落ちます。複雑な心境で用務を終えました。

 途中で目を覚ますほどの降雨がありました。折角薬を撒いたのに雨で効能が薄まってしまったのでは?と素人判断しながら窓からすももの樹木を見詰めています。ひんやりとした朝の空気が爽やかですが、樹木の消毒の効果が気になる素人マンの朝です。
 
 
 
 
 
 

2013/08/26

「モンスターは実在していた!」と運転しながら叫びました。



 至福の時間。いや興奮の時間。いや・・・・・。

 いや、「真似などできない」時空のできごとが3時間に亘って目前で展開されました。去る6月19日に茨城県西生涯学習センターで初めてお会いした人物からの熱心なお誘いに応じて参加しました。初対面の折りに感じた第一印象は、当日の帰宅直後に老妻に「モンスターに遭遇した気分だ」と伝えたほどの重い衝撃を受けたほどの印象でした。

名刺交換をさせていただく時点では、まだ「モンスター」ではありませんでした。しかし、お話を聴けば聞くほどにアンビリーバブルな人物観を感じてしまいました。ご自分から「91歳になりました」と前置きしながら、パソコンを勉強し始めたのが78歳だと仰る辺りからは、驚嘆の世界に引き込まれてしまったのです。そして、手元に戴いている名刺にある自画像も「素人」の身で描かれたのだと説明を受け、改めて見直した瞬間立ち竦んでしまったのです。

研修会を終えてから、他の県外からの参加者(素晴らしい人材と確信した)と一緒にご自宅にご案内されました。研修会場は敷地内にあるご長男が経営される「造園業」の事務所の二階に特設されていました。(↑写真は研修会場から見える「みどり」の風景)

応接間に何枚もの油絵が飾ってありました。手元に持っている名刺に印刷された自画像が浮かんで来ました。参観者に海外の展覧会に出品され入賞された作品の説明を受け、「素人でも有能な指導者に手ほどきを受けるとここまで成長する」と力説されました。「教員よ、有能な指導者に成りたまえ」との自身の哲学が飛び込んでくる思いで語りかけられる声量に引き込まれてしまいました。

研修会の間に挟まれる「ひとこと」には重味ありました。単に長命と経験値が生み出しているとは思えないほどの適格さに、小生の凡庸な「脳味噌」は迷路に飛び込んだような困惑状態になってしまいました。

小生はこのブログの読者諸兄を後輩と決め込んで、(間違った謙遜心で)『老脳』と自らの衰え行く身体を表現して来ました。金輪際使用を禁ずることにします。何故ならば91歳の先輩が、ご自身のことに触れられても決して「老」域の言葉を発せられないことに気付いたからです。小生にも羞恥心と言う心理があるという事を証明したくなったのです。

  古希なんて 卒寿の前では ひよこ以前 (自作川柳)

研修会の報告は、後日、新ブログ『寸心紀行』に登載します。
 
 
 
 
 

2013/08/25

『お礼』の表現にも賞味期限がありますよね?!


 こんなメールが届きました。

 一昨日(23日)の横須賀市教育研究所の講座に同行した出版社の営業担当からのメールです。横須賀(神奈川県)の出向先から上野駅(東京都)まで、当方を車で送っていただいたご本人からの「お礼状」です。日付と時刻も入れてご紹介します。

0824/08:34受信
角田 明 先生
昨日は貴重なお時間をたくさんいただきまして、まことにありがとうございました。帰りの道中に関しましてもお気遣いをいただき恐縮しております。結果的に角田先生を長時間にわたって独占することができ、私といたしましてはとても嬉しいことだったのですが、お疲れのところ大変申し訳ございませんでした。 
次回は小和田公民館の会になりますでしょうか。また追ってご連絡をさせていただきます。いつも有り難うございます。今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。

  ●●●(株) 〇〇〇〇

 上野駅を発ったのは20:30の特急電車でした。自宅に着いたのは午後9時40分ごろでしょうか。疲れ切った老体は風呂を浴びての即・就床でした。通常は早起きの老体も目覚めは遅くなってしまいました。

 パソコンを開けるとこのメールが届いていました。

 「昨日のお礼」には賞味期限切れはありません。心遣いがお礼を表現させます。「気持ちがあればお礼の言葉なんて要らないさ!」と、格好の良い表現をされる方も多い時代ですので、強いる気持ちなどございません(笑)。しかし、1週間も10日間も経ってもその兆候すら感じない関係者が多いことに心が痛みます。

 お礼や挨拶は強制するものでは無いですよ。

 同感である小生には、言い分もあります。自らの人間性から「お礼」の言葉は工夫して伝えるべきだと考えているのです。要請や依頼には強引さもあります。しかし、その要請に応える側での誠意には、謝意を伝えるべきだと考えています。昭和10年代生まれの古い考えでしょうか?

 決して誤解の無いようにお願いしたい。

 お礼のご挨拶を要求しているのではありません。お世話になったりご苦労をお掛けしたりした先方には「有り難うございました」の、素敵な日本語をお伝えして欲しいのです。「賞味期限」「消費期限」に神経をすり減らすような現代社会であればある程、『お礼の気持ち』にも神経をすり減らすような気遣いを要求したいだけなのです。

 乳幼児期に「ありがとう」を発しないで子育てをしてしまったのではないかと危惧する場面が多すぎます。謝意にも賞味・消費期限があると声を大にして孫育てに躍起になっている祖父ちゃんの戯言です。

 戴いたお礼メールで、披露した老体も老脳に刺激が走りました。即刻の返信をしました。「長時間の運転手の方が、余計な神経と労力でお疲れ様でした。ご配慮のお蔭で予定した特急電車に乗れました。お疲れ様でした。有難うございました。」とメールを送信してホッとした昨日の朝の出来事です。
 
 
 
 
 

2013/08/24

さすがに「3時間」の立ち仕事は厳しい!?

 

 遅く起きた朝です。

 昨日の充実した(一方的な個人的内部評価)時間は、やっぱりわが身の老体を思い知らせてくれているようです。4時起床に体内時計は稼働する筈の今朝は2時間もズレていました。ラジオから流れる音楽に目を覚ました老脳には昨日の光景はハッキリと残っているのは事実です。起き上がろうとする動きに「腰の周囲」に錘がぶら下がっているような状態に気づいて「無理をしない」になっていました(笑)。

 13:30~16:30 教職5年経験者講座(横須賀市教育研究所 会場写真↓)
 通常の講座では担当時間はこの半分です。要請を受けてから担当の指導主事と打ち合わせは十分にしてあります。そして、このロングランの時間を講師のデザインで実践できることになりました。これは講師としては「意欲を掻き立てる」モノとして大変楽しみにしていました。【詳しくは、後日 新ブログ『寸心紀行』にてレポートする予定です。】

 帰路は、神奈川県横須賀市より東京・上野駅まで出版社の方に車で送って戴きました。高速道路から横浜や川崎、そして都内の夜景を眺めながら運転をしてくれる営業担当者と雑談に興じつつ移動できました。

3時間も話しかける方も大変なことだろうが、「聴く」方も容易なことではない。

これが車内での結論となりました(笑)。駐車する駅周辺は長時間の停車も許されませんので、お礼の言葉もそこそこに駅構内に急ぎ足で向かってしまいました。すっかり慣れてしまった常磐線・特急列車発着ホームに着くと何だか落ち着きます。特急列車の始発を待つ客の長蛇の列に並ぶのも馴れました。

横殴りの雨が特急列車の車窓を叩きました。しかし、全身を襲う興奮状態の体温を下げてくれるのに有効な音楽ともなったのでしょう。いつしか眠ってしまったようです。タイミングよく下車駅手前で目を覚まして、各駅停車に乗り換えて降車駅に着きました。大きな水たまりを避けながら小雨の歩道を歩き始めると、またまた、「このような企画」を戴いた幸運に感謝する気分になりました。

長い時間を聴講に付き合ってくれた教員諸兄に改めて恐縮しつつ一日が終わりました。
 
 
 
 
 
 

2013/08/23

「何事にも賛否両論」、これぞ世の常(?)

 

 褒める人がいれば、貶す人がいる。大記録が出ても称賛を添えて認知する人がいると思えば、ケチをつけないと認知できない人もいる。これがオトナの言葉で表現すれば「世の常」なんでしょうかね。

 歩きながら老妻との対話を続けるには説明を要することが多い。

 日本人野球選手が野球の本拠地で大記録を達成した。しかし、この話題には野球音痴の老妻でもわかるようなので対話は弾んだ。この記録にでもケチをつける輩がいると知ったのはネット情報だった。大リーグのプライドもあるのだろうが、国民感情としては合点がいかない。数字が示す結果にはケチの付けようがないではないか!誰にも負けないほどのこの選手のファンではない小生でも憤慨するのだから、何事にも賛否両論があることをしみじみと実感している。

 同じ野球でももう一つの同一の話題は高校野球である。

この話題にはプレー上の選手の個人スキルが関わるので老妻の理解を得ることは不可能と判断した。今夏のTV観戦時間が異常に多かったのは何年振りだろうか。

ちょっと気になるチームもあったことは事実である。「勝つためには手段を選ばず」という哲学を実践しているとは思わなかったが、「そこまでやるか!?」と訝しい思いで画面に集中したこともあり、視聴時間も延びた原因の1つになったのだろう。しかし、「そこまでやれる」高校野球選手が育っているのも、一方では大きな関心になったことも事実である。

 この二つの話題がネットでは盛んに(勝手に)燃え上がっている。

 老脳にもなると、勝手に燃え上がらないところが心憎いではないか!(笑)そして、冷静に考えてみると論争の争点が違うことに気付くのである。また、ハッキリ言えることは「スポーツマンシップ」という篩いにかかっている現状であると認知すれば、やっぱり人情論・感情論になっていることがわかるのである。

 「禁止事項」であれば罰則は伴う。罰則の存在しない禁止事項などはない。それは申し合わせ事項である。そこには常識と良識というモラルが確立されることを期待するしかないだろう。個々の選手や指導者の人生哲学に寄与する領域である。敬愛してやまない詩人・坂村真民氏の「詩(うた)」を真似て作りました!
 

二度とない人生だから

小さな勝負に命を賭けることのないように生きたい

 あと1週間ばかりで9月を迎える。

 退職者人生にも、「請負業務」の再開が待っている。その前哨戦として今日は、神奈川県横須賀市教育研究所に出講である。鈍ってしまった老体の完全復活は無理であるが、それなりの復元を期して責任ある講座で任を果たしてまいります。この講座の詳細は、新・ブログ『寸心紀行』(右欄枠内)紙上で報告します。





2013/08/22

「お盆」に帰省した同郷の後輩から珍品が届きました!


  18歳まで生活した故郷・熊本県とは言え、「ふるさとを語る」程の知識は持っていません。いや、知らない地名や特産品が多過ぎると表現した方が妥当かと思える程「知らない」ことが多いのには驚くばかりです。

 熊本城を境界線として「城南・城北」とに分けて表現していたのでしょうか。小生は城南地方に生まれ育ったことになります。今回の故郷の土産は、城北地方出身者からのお土産でした。全く聞いたことも無い「特産品」です。老妻も小生と同じ城南地方出身ですが、学生時代を熊本市内で過ごした関係からかでしょうか城北出身者との接触もあって特産品の存在は知っていたようです。

 レシピも付いていたようで老妻が料理をしてくれました。
 夕食のテーブルには初めて視る逸品として登場しました。孫に説明をする老妻が、「食べてみてご覧!」と勧めました。頬張った孫は「油揚げじゃん!?」と言いながらも、「美味しい!!」の連発でした。

 送り主は「味噌汁の中の具」として、この油揚げが『おふくろの味』を創り出していると電話で説明してくれました。

 故郷を離れて50年間が過ぎた今、初めて「故郷の味」の一つを知ることになりました。また郷愁の念が深まるような嬉しいお土産でした。
 
 
 
 
 

2013/08/21

「これって、中毒症?」って思うほどの手持無沙汰・・・・(笑)

 

 15日に持ち込んで20日に受け取りに行く。

 愛するパソコン(笑)の定期検診となりました。きっかけは、タブレットを購入しようと決心したことです。カーナビの付いていない軽自動車では、茨城県内を走り抜けることは至難の業だとの実感を味わったからなのです。

 カー用品スーパーに行って取り付けよう、との話題が転じたのです。頻繁に使用するモノでもないので、他にも使用価値があるタブレットでカーナビの機能があるのを買えば、他の時間にはその機能を有効活用することが出来る。そんな勧めが耳に付いてパソコンショップに駆け込んだのが、去る15日の事でした。

 無線ランの装備の必要性も知りました。パソコン本体を購入した専門店なので「会員」証があります。店員さんにも丁寧に説明され、不明な点も多々ありながらも(笑)、一旦帰宅して本体のパソコンも専門店に持ち込むことになった次第です。

 メールの送受信がメインの我がパソコンです。

 当然ながら、趣味と無益(笑)の『ブログ制作』にも活躍してくれるパソコンです。はたまた、デジカメで撮った写真の活用も、葉書の印刷も、資料作成にも、と十分すぎるほどに活用させていただいているパソコンです。ミニ書斎の主でもありますので、孫たちはパソコンに向かっているお祖父ちゃんは「お仕事をしている」姿として焼き付いているようです。

 5日間ばかりの「本体の不在」状況に自覚症状を発見しました。

 中高生の「ネット中毒」症候群の話題をブログでも取り上げた自らにも似たり寄ったりの中毒症状が発見されたのであります(苦笑)。画面配信の無いパソコンデスクを掃除しながら心の中の「空洞症状」を実感しました。老妻に見透かされ軽蔑されそうなのを空気で感じ取りました。積んでおいた2冊の月刊誌(6~8月号)に目を投じました。この読書の時間が哀しい症状に「元気印」の喝を入れてくれました。6冊の雑誌を隈なく読みふけっていると枯渇していたような老脳に湧き出る新鮮な水の音が聞こえるような精神状態になりました。嬉しかった!!

 読後感や引用文は後日のブログにてご紹介しますが、そんな「空白」の5日間を経て、久しぶりのブログ制作に指が動いている朝です。

 

 昨夜の雨音には目を覚ますほどだった(と、老妻は語った)らしく、早朝の道路には水溜まりもありました。4:15~5005・6500歩の歩禅を終えて帰宅しました。やっぱりこのリズムがサイコーです(笑)。
 
 
 
 
 

2013/08/15

昭和20年8月15日 終戦記念の日



 毎年、広島・長崎の原爆投下の日がやって来ると、記憶にも無い『終戦』という文字が蘇るのはなぜだろうか?

 小生は昭和19年に誕生している。まだ満1歳にも達していない。

小学校5年生の時に、同居していた祖母(父方の)が77歳で他界した。「末期の水」が焼酎だったという女傑だった。生まれた時にはもう祖父はいなかったようだ。父が戦地に駆り出された我が家に男系は10歳年上の長兄が頭だった。祖母の死には会社勤めの兄は間に合わなかった。家に居たのは次兄と小生だった。田んぼから上がって来た母が、様子が変な姑に気付いて布団を敷いて横にならせた。

 近所に住む祖母の血縁者を呼びに行かされてほぼ顔が揃った頃、静かに息を引き取った。末息子(小生にとっては叔父)がコップに汲んできた末期の水は焼酎だったそうだ。「ゴクン!」という焼酎が咽喉を通った音は何故か覚えている。

 その祖母が、この終戦記念日には5人の孫を相手にして「戦死した我が息子」、つまり私たちの「父親」の自慢話を決まって聴かされた。飽きるほどに聞いた話なので良く記憶している。4歳上の次兄までは「父親と一緒の写真」が残っている。出征直前に写真館で撮ったらしい写真を指差して、必ず祖母は言った。小生だけが映っていない写真であるが、「ここにおる(=居る)!」と声高に言ったものだった。「ここに」と指さす場所は決まっていて写真はその部分が変色するほどだった。

 母の「お腹」を差しながら、いつも涙を流して喋った。

 最愛の息子を戦争で亡くした母親の心境が、今となれば良くわかる。祖母と母との仲は好ましい状態では無かったと記憶は残っている。小学校5年生の末っ子の孫息子に祖母は、取り分け厳しく諭したことがある。「父ちゃんの生まれ変わりのお前だから、父ちゃんの分も世の中の役に立つ人間にならんといかん!」と。

 戦争の惨さは直接体験はしていない。祖母の声は思い出さなくても、「父ちゃんの分も・・・」と小生に託した祖母の思いは今でもしっかり脳裏に焼き付いている。それが、小生にとっての「終戦記念日」の思い出でなのである。

 写真は、父が戦死したと言われている離島「伊江島」と、当時の新聞記事である。結婚40年の記念は、三人の子ども達にプレゼントしてもらった「沖縄・伊江島旅行」だった。祖母に向かって「行って来たよ」と墓前で報告を済ませている。


パソコン定期検査のために、8月20日までブログを休刊します。





2013/08/14

天国から降りてきた曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんもビックリ!!


 5歳の孫を自転車に乗せて、郵便局と銀行で用を済ませました。「迎え火」の備品を買って帰って来ながら、お祖父ちゃんである小生が「お盆にはご先祖様がお家に帰ってくるからね」と言いました。孫が暫く黙っているので、「暑いからすぐ帰って行きたいだろうね」と更に声を掛けると、「曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんもビックリするのかな?」と言い返しました。

 僅か5年間しか生きていないと決めてかかるのも拙いなぁ~、と独り言を言っているお祖父ちゃんに向かって、「毎日、テレビで暑い暑いって、言ってるじゃん」と、自らの発言のウラを採って切り返してきたのでしょう。驚いてしまいました。

 長男夫婦もいつもより少し早目の帰宅でしたので、全員でお墓まで行きました。5人の孫たちは「迎え提灯」に火を灯してお墓から家まで帰って来ました。
 長女夫妻は今日、迎えに来るとの一報です。次女夫妻は、婿の仕事が立て込んでいてお盆の時期にはお墓参りが出来ないらしいのです。それぞれが元気で頑張っていることが確認できているので、墓前に報告だけは済ませて帰って来ました。

 我が子を連れてお盆帰省をしていた時代が懐かしくなりました。今は里帰りするのを待つ身になりました!

 しかし、暑いですね。ネット記事でこんな情報を得てビックリしています。
 

 

熱中症17人死亡、今年最多…8月5日の週

 総務省消防庁は13日、熱中症で今月5~11日の1週間に救急搬送された人が全国で9815人、うち搬送時に死亡が確認されたのは17人(いずれも速報値)に上ったと発表した。
 搬送者は東北、北陸を除く各地で梅雨が明けた後の7月8~14日の週(1万1427人)に次いで多かった。死者は最多だった。
 7月15日以降の週単位の搬送者は2000人台~4000人台で推移していたが、猛烈な暑さが戻った8月7日以降に急増し、前週(7月29日~8月4日)の3・3倍に増えた。今年の統計開始(5月27日)後の搬送者は計3万9944人、死者は計52人となった。
 気象庁によると、8月7、8日には全国の観測地点100か所以上、9~11日には200か所以上で、最高気温が35度以上となる「猛暑日」を記録していた。   
    

 

※お知らせ 新ブログ【寸心紀行】には、教員向けの実践記を登載しました。時間がありましたら覗いて読んでみてください。このブログは「気紛れ」な登載になりますが、時々は覗いてください!!




2013/08/13

「生活のリズム」崩壊は高齢者の体調不良に!?



 それでも、これは『嬉しい誤算』と言えますかな?

9時に寝て4時に起きる。我が「典型的な日課」を口にすると、聞いた人は異口同音に驚いたように「ホントに!?」と言葉を発する。本心から疑っているわけではないようだが、反応表現はこうなるらしい。異常な日課と評価されていることが分かる。ずっとこのような日課で生きて来た訳ではない。現職があり、3人の子育て中にこんなリズムを維持すること等出来る筈も無い。

 このリズムが固定化したのはここ数年内である。顕著に意識するようになったのは転居してからである。敬愛する鍼診療師に「65歳を過ぎてからの遠隔地への転居は無謀である」と断言された。48年間住んでいた神奈川県茅ヶ崎市と、当地(茨城県土浦市)とでは、朝夕の温度が確かに違う。取り分け、夕方5時からの温度差は老体には厳しく感じることもある。雨戸の開閉も室内温度の調整には欠かせない。18歳から住んでいた温暖な湘南地方の気温が体内に染み込んでしまっていることは火を見るより明らかであった。

 生活リズムの再生の為に出来上がったのが冒頭の「9時と4時」リズムなのである。固執して排他的な着想がある訳ではない。取り分け、盆暮れの里帰りには不規則な時間が余儀なくされる。孫たちも幼い頃には早めの就寝で、早めの起床であるから爺婆リズムには好都合である。しかし、小学校も高学年になると早寝早起きが爺婆リズムとは真逆の体を為すようでリズムを合わせられるのは1~2日と言えるだろうか。孫たちが帰って行った後は、まさに蛻の殻になるのだから手当の仕様もない。

 そんなリズムの不具合はブログ登載時刻も狂ってしまう(笑)。早朝の歩禅記をご愛読していただいている皆さん、リズム崩壊は笑顔でお許し願います!お盆が過ぎれば通常リズムに戻ります。
 
 
 
 
 

2013/08/12

最近、頻繁に遭遇する「笑えない」お話です!!

 

 最終日の請負業務を果たすべく常磐線に乗りました。最寄りの駅は土浦駅に5分間で到着する程隣接しています。

 JR土浦駅で一旦下車して、『休日お出かけパス』というとくとく切符を購入するので立ったままで車窓を視ていました。レンコン生産日本一を証明する車窓には蓮の花が満開です。多くは真っ白な花ですが、時としてピンクの花も目に飛び込んでくるのを楽しんでいました。

 「どうぞ、掛けてください」と女子高生が席を立ちました。いつ頃からこんなご厚意を頂戴するようになったのかも記憶は定かではありません。しかし、最近はホントに多くなりました。「大丈夫です。次の駅で降りますから」と、丁寧にお断りしたのですが、女子高生も引き下がりません。「私も降りますから」と、親切に勧めてくれるのです。車内の雰囲気が、「座ってやれば良いじゃないか!」と感じ取れると気まずいムードになってしまいました。

 意固地になって拒んでいるのではないのです。僅か数分で到着する土浦駅で、ホントに降りるのですからご好意には感謝しつつも座らずに降車しました。『休日お出かけパス』と言うのは、東は土浦駅、西は小田原駅までの区間を何度乗降しても一日だけの限定で2600円なので、桜木町駅で降車する用務で、日曜日の出向には打って付けの「とくとく切符」なので恩恵を利用しています。

 最近、頓に多くなりました。

 乗り込んだ車内で、高校生や大学生風の若者たちが席を立って座るように勧めてくれます。隔週の八王子への鍼診療に出向く老夫婦にはこんなご好意に甘えてしまうことが多くなりました。一人の座席が空いているので老妻を掛けさせて小生がその前に立っていると老妻の隣席の若い方が、「どうぞ!」と立ち上がって他の車両に移動する人もいます。

 複雑な心境になります。

 小生は広島まで4時間の新幹線を頻繁に利用します。旅慣れしているので、少々の電車での立ったままでの移動は苦にもなりません。もっともっと辛そうな高齢者がおられるので、時として当方が席を立って譲ることもあるのです。

 こんな話を家人にすると、「そんな歳なんです!!」と異口同音の答えが戻って来ます。その度に苦笑しますが、「そんな歳」になってしまったようです。笑い話は、仕事を終えての帰路の電車でも続きました。最終回の業務が終了したので懇親会がありました。美味しい焼酎をいただいた帰路でしたので、「ご厚意」を受けて上野駅まで帰って来ました。まだまだ、笑い話は続きます。

 上野駅から常磐線に飛び乗ると大混雑の車中でしたので、立ったままで電車が発車しました。すると、会社員風の若い女性に「どうぞ!」と席を譲られてしまいました。「座りたぁ~い」という顔つきになっているんでしょうかね(笑)。

こんなネット記事があったことを、その都度思い出してしまいます。小生は暴言等は吐いていません!!(笑)

 

2011113 19:00

電車内での一番悪いマナーは「席を譲ってくれた人に対する暴言」だと思います

席を譲ろうとして断られると、若干気まずくなりますよね。

筆者は常日頃、電話勧誘や飛び込み営業や電車内でのマナーが気になってしまう性分です。「電車内でのマナー」に関しては電車内の公共広告で「携帯は電源OFFに」、「床に座らない」、「飲食禁止」、「大声で話をしない」……こうしたことなどが掲示されていますが、「席を譲った人に対する年配者の方の暴言の酷さ」ということに関しての公共広告を目にすることはありません。私は、この「席を譲った人に対する年配者の方の暴言の酷さ」が電車内での一番悪いマナーだと思います
例えばこのような

席を譲った人「...どうぞ」(席をそっと立つ)席を譲られた人「私はね、席を譲られるのが一番嫌いなんだ。そんなことしないでくれ」(怒り気味かつ大声で)
自分の乗っている路線だけかもしれませんが、有名な路線でも何度かこんな場面に遭遇したことがあります。譲られた人からすれば年寄り扱いをされるのが嫌だったのかもしれませんが、たとえそうであったとしても断り方というものがあると思います
 「次の駅ですから大丈夫ですよ…」など、嘘でもいいからこれくらいの発言で止めておけばいいものを、逆切れして「そんなことをしないでくれ」って酷すぎではないでしょうか。譲った側がこれじゃ悪者扱いだ...って傍らでこの風景を見るたびに思います。携帯使っているとか飲食しているとか床に座っているとか......これらももちろん公共の場所のマナーとして悪いものであります。しかしこういう暴言に関しての指摘はみかけません。 
 また、席を譲らない人間に対して「何で譲ってくれないの」な感じで見てくる年配者もいかがなものかと思います。こんな形で断られるのが嫌だから座ったままという人もいると思います。「若い者が譲って当たり前の姿勢」というのもどうなんでしょうか?
 最近、公共の場所での年配者のマナーの悪さが目に付くようになってきているような気がするのですが気のせいでしょうか?

2013/08/11

長男夫婦が勤務する『施設』の盆踊りに行って来ました。


 理解はしていたつもりだったが、実態と遭遇して声が詰まった。


 奉仕グループの太鼓や笛の演奏に合わせて、ひょっとこ・おか目の面を被った踊り手が舞台に上がると歓声がどよめきに変わった。天狗の面を被った男性は櫓の踊り場に載らずに櫓の周囲を踊って周回である。興奮状態の利用者さん(障碍者施設の)も、思わず天狗の面の踊り手に近づこうとしている。

 その人の手を引っ張って集団の外に連れ出した職員(らしき人)がいた。何やらポケットから取り出した。封を切っている。利用者さんも職員の仕草には慣れているのだろう。全身は太鼓や笛の音に合わせるかのような動きでありながら、いつの間にか口を開いて待っている。職員が口に運んだ袋は「くすり」だったようだ。飲み終わったら踊りの輪に戻って行く。1組に注目していたので気づかなかったが、注視するとそのような光景があちこちに見受けられた。

 投薬は障碍に応じての対応であり、職員の業務の一つではあろうが大変な役目である。障碍者施設に勤務する長男夫婦である。施設には、重度の障害を持つ利用者さんから軽度で宿泊施設に入居して外部への勤務に出向く人も居るという。成人者向けの施設である。高齢者も多くなっていると聞いたこともある。

 障碍者の高齢化にはその親自身が要・介護の年齢者が頓に増えたそうだ。平均寿命が延びる現象はご多分に漏れず施設にもその波は押し寄せているとの情報も得ている。レジャーや余興を楽しむ時間でも、施設の職員は「その人に応じた」時間と薬の睨めっこのようだ。その事実を盆踊りの会場に居た2時間で幾つも見届けて帰って来た。

 盆踊り会場の出店の品物は無料である。孫たちは列に並んで順番が来たら貰って戻って来ては無心に食べている。1時間近くは櫓に注目する孫はいなかった(笑)。
 
 
 障碍者の人たちも浴衣姿が目立った。華やいだ姿にも「高齢者」の波は確かに押し寄せているように感じた。親御さんの気持ちになれる小生は、目に映る光景に、我が子の行く末を案じる親業の辛さに思いを馳せた。圧死しそうになる親心を偲べば心が痛んだ。
 
 
 そのような環境を「仕事場」にしている長男夫婦が、安心して仕事に打ち込むことが出来るように、「留守を守ってやらねば」、と強く感じたひと時だった。
 
 
 

 
 
 
 
 

2013/08/10

全国行脚をすると『知人』も自然増加する??




 「先生の事を師匠と呼ばせてください」

 そんな器ではないが、悪い気はしない。だからそんな器ではないのか!(笑) 同業者との接触でこんな笑い話が生まれることが多くなった。確かな加齢の証明でしかない。敬愛されることは人間とは言え、動物的感情から診断しても快感であることは事実である。しかし、責任重大なポジションであることを意識すれば請けることは難しい!!

 ある県の後輩教員から、「校長任用試験」を受けるよう上司から指示があった、と知らされた。退職までの期間を問うと、3年間だと言う。最後のチャンスだと察知した小生は、当事者意識を探ってみた。小生の聴診器は意外と高性能である。相手が答える音質と使用言語で判断できる聴診器が体内に身についているのである。

 診断は簡単に結論が出た。

 この人材との出会いには他には前例がない。講師稼業の旅芸人にはその場の雰囲気で俄ファンに囲まれることもある。この人材は類別するとその類に入るだろうが、この人材が小生を視る目線と教育観が他者とはちょっと違った。ここではその点については触れる必要性を感じないので触れないが、出会った瞬間からもう6年間は歳月が流れているだろうか?

 年齢は確かに積み上げられ、退職まで3年間を残す年齢になったと事が今回の件で判明した。結論から「校長になったら面白い」との我が聴診器の判断である。確固たるデータはない。しかし、「校長職をやらせてみたい」との動物的第六感(?)なのである。これも人材観であると変人・元校長は自己流の哲学にしてしまう。

 自らの足元で協働した仲間ではないので、実際の「働きぶり」は見ていない。無神経且つ無責任な診断であるが、期待したいのである。そんな人材も、講師稼業ならではの「出会いとキッカケ」から発掘できる。上司から推薦を受けていることで十分であろうが、流れ者の旅芸人にも推薦書を書きたい心情にさせること自体が好人材ではないだろうか!

 帰省ラッシュの開始らしい。我が家にも孫たちだけの先陣が夕暮れにはやって来るようだ。転居したことで近くになったので孫達だけで在来線の電車で来ることができるらしい。いつの間にか孫たちも成長しているんだ!
 

昨夜の室内温度は何度だったんだろうか。鈍な爺さんが数回も起きてしまったんだから・・・・(笑)。全国の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
 
 
 
 
 
 

2013/08/09

今日の『早朝歩禅』はお墓の掃除にしました!



 お盆前のお墓の掃除。

 三男坊で生まれた小生は、自家の仕事(=農業の手伝いや葬祭事への関わり)は一切免除されて育ちました。兄二人・姉二人の末っ子の小生は長兄とは10歳も違っていましたので、「全く充てにされていなかった」存在であったようです。長兄も次兄も真面目な働き者でした。姉たちも炊事一般は母親に任されていたようでした。家の中では存在感の無い末っ子は、その分だけ外交官(笑)の役目でもあるかのように帰り着く頃には真っ暗になるような距離まで「交友関係」を大事にした超・遊び人だったのです。今でも友人の多い生活はこんな環境下で育まれたのです(笑)。

 結婚した相手は「一人っ子」です。

 自家の仕事は娘である妻の全身に負わされる身です。親戚の冠婚葬祭も一手に引き受けざるを得ない人生です。父親が次男であったために本家の墓石には建立者として名を刻んで納骨が出来るような準備まではしていましたが、義母と妻は真剣に墓地を探していました。人生の巡り合わせは異なものです。

 義父母にとっては孫に当たる小生の長男が当地に居を構えて12年になります。長男嫁の実父は僧侶です。大きなお寺の御住職です。寺内に墓地があります。介護が必要になった義父母には相談が出来ません。長男と相談して墓地を求めました。九州で生まれ育った義父母ですが、「可愛い孫」が墓守をするというのですから、当地に葬っても大丈夫だと小生も決断をしました。

 義父より4か月先に逝った義母の納骨には間に合いませんでしたが後を追うように直ぐに逝った義父の四十九日法要までには、立派な墓石が間に合いました。嫁の実家に立ち寄った時には、(義父母にとっては)曾孫たちもお墓に花を供えてくれるそうです。幸せな曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんだと、妻は喜んでいます。

 何もしない小生。

出来るのは、お盆とお正月、そして春と秋のお彼岸の前の「墓掃除」だけです。今朝は5時に家を出てお墓掃除の任を果たして帰って来ました。これで嫁いだ娘たちの里帰りの墓参に間に合いました。昨日までの出講の疲れも何となく消え去ったような爽やかな朝です。
 
 
 
 

2013/08/08

11年ぶりに『絵本』と再会しました!


 

 私立学校も公立学校も教員という職業自体には差異は無い。

 しかし、公立学校の校長経験者が私立学校の「教員研修会」に出講要請が掛かることはあまり聞いたことが無い。小生だけの情報狭窄が理由になれば、それはそれで善しとすれば良いことである。が、研修会の雰囲気は、やっぱり異文化の匂いがしないでも無かった。

 言い訳ではないが、聴講席が妙に遠く感じたのを老体が全身で感知していた。

 夜になると咽喉(声帯)に違和感があった。必要以上に声帯に力が入って発生した後の声のかすれを症状として呈していたのである。そんな状態での講演では、聴講生の方が耳触りの悪い声を受け止めなければならないので「講演の成果」を追究するどころではない。自らの結論は容易にだせるほどの講座となってしまった。貴重な時間を無駄にしてしまった反省だけが脳裏を駆け巡っている。

教師力の本質は「選ぶ力を持った子どもたちを育てあげられるかどうかに係る」と断言して演題に応えて講座は終えた。後味の悪い「貧相な講義」の責任には穴埋めの仕様がない。

追い打ちを掛けられたような光景が浮かんで来た。当事者には全くそんな意思表示は無いことは明らかである。

講演を終えた小生の所に一人の女性教員が近付いて来た。

 「これは2002年8月6日、前任校での研修会場で角田先生から紹介された本です」と言いながら手に持っている絵本を差し出した。先生が「長期休業が始まる前日(=終業式)に校長先生として読み続けられた実践から学びました」。それからは、同様に終業式の後の「学級の時間」には決まって読み続けています」と話してくれたのである。驚いた!!そして、感動した!!

 沢山の学校(=絵本は小学校だけに使用される専売特許ではない)で、絵本を読むので、この教師の前任校であったとは確かな記憶はないが、小生の「実践の目的」をここまでしっかり記憶してくれているとは感無量であった。

 講演終了直後の自己嫌悪感にも似た症状には、この11年ぶりの「絵本」ストーリーは特効薬の如き効き目を感じてしまった。11年前に小生を広島市に招請された原田備子校長先生の「私は種を蒔きしたよ。後は頼みます。」と後輩の西川雅子校長先生に託された言葉を反芻してしまった。

 なぎさ学園小学校に出講しなければ、「種が蒔かれて芽が出て・・・」の経過を知ることも無かっただろう。拙い講義をした割には「蒔いた種から芽が出ている」ご褒美の実践を頂戴したのは、何とも皮肉なことではないかい?(笑)

 心して将来の成長を見守りたい。好機に出会えたことに感謝である。

                   ※お知らせ:
 今回の(広島市)なぎさ学園小学校での教員研修に関してのレポートは出来上がり次第、新ブログ『寸心紀行』(右欄内の該当事項をクリックして)にて、近日中にご紹介いたします。覗いてみてください。




 
 
 
 

2013/08/06

「知識」と『学び』の温度差に驚愕したあの日

  2002(平成14)年8月6日。

 駅頭にお迎え戴いた原田備子校長先生(広島市立井口明神小学校・当時の校長)が歓迎のご挨拶をされてから仰った言葉に何の反動も出来なかった無知な己に恥じ入りました。

「本来でしたら、広島駅まで車で迎えに出ることが常識なのでしょうが、今日の広島には一市民の常識が通じないんです。申し訳ございませんが在来線でご案内させていただきます。電車も混んでいますので立ったままでの移動になりますがお許しください」 

 1945(昭和20)年8月6日。

 社会科の学習で暗記できるほど深く刻み込んだ(筈の)、その日に、その現地に足を踏み込んだにも関わらず、校長先生の御丁寧なご挨拶の行りだとしか受け止めず、訪問先の小学校に到着しました。確かに電車は混んでいました。校長先生の予想通りに立ったまま12分間の電車での移動でした。未だこの時点でも、校長先生の真意を理解していませんでした(恥)。

 研修会が始まりました。教頭先生から本日の研修会不参加者の理由が説明されました。出講した会場で欠席者の理由説明を聞かされるのも初めてでした。

 両親に代わって育ててくれた叔母が昨年の暮れに亡くなられ、被爆者としての弔いの献花の席に参加させていただいております。今日は、それを抑えて研修会に出席することを強制することは出来ません。欠席者はその1名です。お許しください。

 今日は特別な日。

鈍感なわが身にも理解の血液が流れました。同時に戦慄が走りました。決して無学ではない。知識も教養もある(と思われている)職業に就いている。自らに冷たい水を頭からかけられた思いがしました。机上での学習は済んでいました。そして、テスト用紙にも日付と歴史上の出来事は繋ぐことは出来ていました。しかし、被爆地の当地の人たちにとっては決して忘れ得ない『特別な日』なのです。同時に、広島市の学校訪問が始まった我が講演活動人生の『特別な日』になりました。

この日から14年が過ぎた今日。

数えきれない程に訪問している広島市の学校からの要請です。正式には明日の研修会への出講ですが、今日前日入りの為に「特別な日」の広島市に足を踏み入れます。心新たにして広島市の小学校の先生方に真心を込めて接したいと考えながら出立の準備をしています。14年前の写真を探し出しました。ご覧ください。





自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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