2011/05/31

不案内のドライバーが郊外のモールへ向かう

 ~3年が過ぎても・・・~
 次女夫が転居先まで運んで来てくれた愛車(湘南ナンバーの軽自動車)は、その時点で給油をして貰ったまま、まだ一度もガソリンスタンドにも立ち寄っていない。行きつけのポイントは宅配便の営業所である。最寄駅まで5分も掛からない場所に家があるので、ちょっとした買い物の「歩き」か「自転車」で殆どが済んでしまう。周辺の駅前商店街にはどこにどんな店があるのかを掌握できている。
 妻が、郊外の大きなショッピングセンターに行きたいと言い出した。
 請われれば応えなければなるまい。
 以前に長男から行先の道案内は受けていたので、その記憶を頼りに久しぶりの運転である。妻の記憶も頼りにしながらバイパス沿いのモールを目指して向かう。田んぼの風景が目の前に現れた。道案内を受けた時点では田んぼなど無かった。風景が一変したかのような錯覚も症状が起きた。
 しかし、ほぼ間違いなく目的地に向かっていることは確かである。
 しかし、やっぱり不案内である。途中から老夫婦の楽しいショッピングの会話も消えた。大体の方向性を頼りに運転するが、『方向音痴』という特性も誇る小生には自信など無い。妻の記憶に驚いた。ホントに奇跡とも思える記憶が蘇ったのだから大笑いになった。行く先を見失った夫に妻から貴重な記憶が届けられた。本気で驚いた。
 「その信号の右手が父の火葬をした斎場でしょ?」
 小生には義父とその火葬場との関連など皆無だったので、わが耳を疑いながら直進した。長男の道案内の時も、「ここがお祖父ちゃんの火葬をした所」という説明のくだりがあったことは確かだった。娘である妻にとって父親との最期の別れをした場所をその風景からも記憶していたのだ。
 あの日から3年の歳月が流れているのに。
 九州で生まれ育った父親を茅ヶ崎で介護して最期を看取って、深夜の霊柩車でこの地まで運んだ夜のことも浮かんできた。嫁の実家が寺院であることで葬儀はそのお寺で行うことにさせてもらったのである。そんな思い出のシーンを彷彿とさせた妻の記憶力には脱帽だった。
 その場所を通過したら目の前にご当地最大のショッピングモールが目の前に現れた。思わず、「着いたぞ」と偉そうに言葉は発したものの運転手とは運転しただけの技能吏員であった。
 買い物を済ませて帰路の愛車の中では「妻の記憶力への絶賛」で終始した。
 さて、妻の買い物の目的は何だったでしょうか?不案内のドライバーは依頼を達成できた満足感だけで、今日は良いとしよう。

2011/05/30

あれから、3か月が過ぎていた!


 ~大震災の1か月前~

 いけませんねぇ~、すっかり忘れてしまっていました。

 昨日、転送のメール便で新居に資料が届いた。発行先がわかるので記憶は自然にその時点に戻っていきます。しかし、今年の2月に参加したフォーラムの事業レポートを読み返しながらも、まさに忘却の彼方に消え去ったような自らの症状に啞然としています。

 未曾有の大震災が、このフォーラムの1か月後に起きています。この衝撃で心身ともに「何かが狂ってしまう」状態に陥ったことをこのレポートでも気づかされてしまいました。遠隔地に住む後輩教員を呼びつけて強制参加させるほど力んで参加した筈なのに、昨日の時点まで一度も思い出すことすらなかったのです。

 ところで、「記憶を弄る」きっかけとなったレポートの受領で、本格的な記憶が蘇ってきたのが不思議な心情です。基調講演の講師とは行政勤務時代からの交際があり、当時は助教授という肩書の時代からですから、相応の月日の接触もあります。大いに期待している教授でもあるのでその後の実践と研究を見極めたく参加したのです。講演も十分な満足を得るモノでありましたが、実践発表をされた学校・団体の内容が素晴らしく久しぶりに「感動と賞讃」を禁じ得ない貴重な時間となったことがはっきり脳裏に回復してきました。

 老脳が為せる禍。

 それは、容易に忘れてしまう業である。それを実感するから哀しいではないか。それが度重なると落ち込んでしまうから始末悪い。しかし、昨日は違った。すっかり忘れてしまったと嘆いた直後に、このレポートの実践記録が記憶を回復させてくれたのである。嬉しいではないか。

 やっぱり「記録する」ことは、それが些細なことでも「メモとして」でも殴り書きをしておくことの重要性を日常生活の中で実感すべきであると実感いたしました(笑)。

 ひょっとしたら、まだ老け込んではいないんじゃないの?!と歯を磨きながら鏡の自分に問いかけてみると、「そうだよ!」と応えが戻ってきました(笑)。

 こんな勝手な思い込みで今日の任務のために出向の準備に拍車がかかる能天気な小生の一日が始まりました。行って来ます!



  













2011/05/29

イチオシBOOKSはHPで!

              ~「愛読書の月刊誌」に思う~
 昨日の「明日の教師」を目指す聴講生の前ではテキスト名代にしてホンの一部分を朗読しました。
 全国の講演会場でも、(アドリブで)世間話レベルで会場の皆さんに紹介するのが愛読する月刊誌です。学校教育界で生きてきた小生にとっては「学校教育に関する月刊誌」の中に数冊の愛読月刊誌はあります。しかし、単に「教育に関する」だけの専門誌には「愛読する」ほどの深いラブはありません。なぜならば、業界用語だけの羅列では「狭さと硬さ」に押しつぶされそうな窮屈感すら覚えてしまうからです。(いや、素晴らしいモノもあります!)
 小生には、退職後の生活が「全国を旅するバイオリズム 」が待っていました。そこには、新幹線や在来線・特急、機内で過ごす時間も待ち受けています。一人旅の醍醐味は「車窓の風景と対話する」ことです。しかし、6~7時間の旅ともなると対話だけでは持ちません。風景を夢心地で満喫するとしてもそんなに長い時間は無理です。そんな時、駅や空港の売店で立ち読みしながら拾い上げるのが「月刊誌」です。
 地方だけで購読できる月刊誌もかなりありますが、年間購読するほどのほれ込みは未だにありません。「その駅」だけで販売される月刊誌はその土地を訪れたら必ず購入することにしています。
 そんなことを加味しても、「愛読書」部類に入る月刊誌が10冊は超えています。東海道新幹線・グリーン車にてサービスされている月刊誌「ウエッジ」は目次を一読して、一つでも「気になる」か「気に入った」記事があったらサービスにお応えして「無料でいただいて」下車することにしています。経済界等の人材と触れる「小さな窓口」になっていることも事実です。そこから登場人物の著書にも食い指が動くことも少なくありません。
 「明日の教師」を目指している軍団へのアドバイスも「読書する」ことのススメで終始一貫しています。小生は教員採用試験の「論作文」の指導を担当しています。全国の都道府県(政令都市も含めて)教委が出題される論作文の課題を追究すると、「特色ある教育」を目指す都市像を色濃く受け止めることができます。しかし、根柢の思想は「我が国の教育向上」に関する事項であると断言しても構わないと思っています。
 昨日は「個性を生かす教育」という課題で受講生が論作文に挑みました。
 そこで、講師としての「見解」を述べました。「個性」をどう捉えるか?「個性を生かす」とはどういう状況や状態を言うのか?「個性を生かす教育」とは、具体的にはどんな教育を行政側は期待しているのか?長い教員生活で学んだ(苦労した)ノウハウを伝授しながら、小さな結論に達するのです。教育には実践しか太刀打ちできる話題は無い、と。実践を後押しするのは「専門教科領域の知識」だけではなく、人間性を裏打ちできる広い分野への「読書の栄養素」を求めておくことが最大援護力であると痛感するのです。
 この月刊誌(広げた部分)に、「日本人の個性」「他国には存在しない特性を有する日本」という、『個性論』が述べられているのです。「個性とは?」を、「授業や実験や部活動」という学校文化にしかない分野で分析しても薄っぺらいモノになってしまいますが、日本人の物づくり文化を「個性的」として捉えれば個性という言語のニュアンスもわかりやすくなるのではないかと、説きました。
 数百円で購入できるブックレット紛いの「旅の友」が、講義の重要な教材となります。
 話題としては触れることができなかった(講義の青写真には存在した)、★意外に洒脱?武士の素顔という段落には、講師としての夢物語の展開も考えられました。現職の「先生方」にも考えていただきたいほどの内容になっています。
 常磐線の1時間+京浜東北線の50分間の旅の途中で、講義のデザインをする楽しさは「病みつき」になりそうです。また、機会を見つけて他の愛読・月刊誌をご紹介しましょう。ホームページに搭載する「今月のイチオシBOOKS」は毎月1日に管理人よりアップされます。すでに管理人さんには原版を送信してあります。お楽しみください。
 

2011/05/28

『育成する』ことの意義に挑む

 ~双葉から育つ!~


 後輩教員からメールが届いた。
 「角田先輩の育成稼業に期待する」ような文章が続き、その中に何回も繰り返し書き込まれている「育成する」という単語が目から離れない。40年近くを稼業として挑んだ育成業こそが学校教育現場であったことは否定できない。23歳で教壇に立った青二才が「せんせい」と呼ばれた。照れくささを感じながらもいつの間にかその代名詞と一緒に生きてきてしまった。

 巣立って行った卒業生を立派に育成できたのだろうか?

 そんな反省心が無いわけでもない。今更反省してももう、後の祭り。時として実力以上に見せようと背伸びをして説諭した光景も蘇る。教員としての立場の正当化に苦慮した風景も浮かんでくる。また、自分だけの功績でもあるかのように他者に誇った恥ずかしい場面も妙に懐かしく思い出す。

 昨夜届いた後輩からのメールを読み返しながら、「育成する」ことの意義について、この歳になっても「挑む」ことを、改めて意識することを意識した。それは、大きな事件や事故との遭遇がない限り意識の変革はできないことを暗示していることに気が付いた。

 地上に目を出したばかりの葉っぱ(人間)が、何の施しもなく育つことはあり得ない。光や水やと肥料に類する「手だて」が必要であることぐらいは百も承知であるが、「人間の双葉時代」から成長を促すためには何が必要なのかと思案してしまう。

 期待される「育成稼業」に挑むともなると、この始発点の研究も必要とされるのかも知れない。

 朝からずいぶん難しく、しかも硬いお話になってしまった。それもそのはず、今日は来年度から正規の教員になるべく勉強している受験生諸君が集う講座に出講する日でもあるからだ。偶然ながら、後輩教員に期待される「角田先生流の育成手法」を、存分に披露して「明日の教師」を目指す諸君のために有益な時間を提供しなければならないのである。時として、こうして「力む」小生は異常な老輩なのかも知れませんね。

 双葉がいつの間にかその生態から花や草や樹木の種類が判別できるほどまでに成長すると、その種類に合わせた介護と看取りをしなければ大きな成長は期待できない。

 その人に合わせた忠告や叱咤が人間の成長に不可欠であることを自然界が教えてくれる。優しさだけでは育たない。風雨に晒され、雪に覆われながら春の日差しを待つことも育成には必要なのかもしれない。

 数日前に、大きな仕事が降りかかってくる予兆があった。それも「育成する」ジャンルに属するようだ。人が人を育成するのは、動植物の育成とは全く異質であるようにも思えるが「自然体」という技法の偉大さも決して侮れないことを意識し始めた雨の朝である。

 新居完成のお祝いに、と長女から「モミジの苗木」が届けられた。昨日の夕刻、枯れかかっている状況に気が付いて、慌てて水をかけた。そうしたら今朝から強い雨である。台風から流れる雨雲が関東にも相当な雨量をもたらすという。昨日、掛けた水は余分だった?!(笑)後悔は先に立ちません。

 育成することの難しさを実感しつつも怯むことなく「明日の教師」を目指す集団の待つ横浜市に出向くことにしましょう。



2011/05/27

40年以上の「生活の垢」

 ~車内アナウンスへの反応~
 昨日の帰路の新幹線車中の出来事ですが、笑っちゃいました(失笑)。
 上りの東海道新幹線では小田原駅を通過したら車内アナウンスが流れます。定時に通過したことと「あと10分で新横浜駅に到着します」と言う乗務員による生の声でお知らせが流れます。旅人生活の多い小生にはいつの間にか全身に染みついている「慣れた情報」なのです。車窓の景色で小田原駅周辺を通過していることもわかりますが、「定形による情報源」には全く抵抗感もなく大脳は全身に次の行為を伝達するようです。
 このアナウンスの終了と同時に小生の全身は、すごぶる自然体で大きなキャリーバッグの取っ手に手が動きました。手荷物代わりのリュックの紐にも手を掛けて持ち上げようとしているではありませんか。昭和39年に開業した東海道新幹線です。当初の頃は「高嶺の花」であって、乗車することだけでも夢の世界でしたが、その後の歴史はこの年代の人間に大きな変貌を供しました。それは、いつの間にか「アッシー君」の東海道新幹線と化しているという現象なのです。
 小生はこの4月に茨城県に転居しています。
 自他ともに確実に認知している事実でありながらも、40年以上の生活の垢は簡単には落ちていいなかったようです。身支度も心の準備も「新横浜駅で下車」する動きになっているのに気が付くまでにはホンの数分間だったでしょう。乗客の誰一人として小生が新横浜駅で下車することなど知る由もないのに気づいてしまった本人は全身から「恥ずかしい」症状が吐露されていました。苦笑?失笑?
 新横浜駅を新幹線が離れると身も心も終点・東京駅までの旅人の自然スタイルに変わってしまっていました。読者の皆さんにはこの種の経験はおありでしょうか?これからもまだまだこの新幹線の旅は続くのですが、何時ごろから新しいスタイルに変容するモノなのでしょうかね。くだらないお笑いを一席申し上げお付き合いをいただきました。感謝。

2011/05/22

「旅の荷造り」を終えて

 ~「芍薬と牡丹」の綺麗な季節~
 明日からの広島遠征(笑)に備えて準備すること。
 先ずはJRチケットの購入である。利用する駅は徒歩3分の距離にあるので非常に楽である。今日は休日であるので利用客も少ないのでゆったり気分で駅まで歩く。予想通りに「みどりの窓口」の利用者もなく明日からのチケットを容易に購入できた。
 一旦帰宅して次の準備。
 数日間に亘ると「着替え」の準備が必要となる。そろそろ「汗をかく」季節になると二日間も連続して下着の着用は不快感を募らせるばかりである。妻がこまめに「一日分」を一つの透明ビニール袋に入れて準備をしてくれる。
 ≪影の声① 『自分の旅支度もできない奴は旅をする資格無いぞ!』(愛娘たちの叱咤)≫
 宿泊数のビニール袋を小さな箱に詰めて、自宅から最短距離の宅配便営業所に持ち込むのが次の作業。ここでは自転車で行ける距離に営業所があるので、今日も「雨の降る前に」とばかりに自転車を走らせる。明日の夕刻までには広島の宿泊ホテルに配達されるとの返事をもらってホッとする。
 次の準備は「床屋さん」である。
 転居してまだ2か月が経っていないが、「1000円床屋さん」を発見している。
 ≪影の声② 『整えるほどの髪の毛の量もないでしょ!いっそのこと丸刈りに!!』(愛妻の忠告)≫
 当地で発見した床屋さんは所要時間20分間。髭剃りや洗髪がない。リクライニングの椅子ではないので「寛ぎ気分」は満喫できない。居眠りする時間もないのが、小生にはお気に入り。刈り取るほどの頭髪量も(確かに)減少しているのは百も承知であるが、まだまだ拘りたい気分である(笑)。
 すべての旅支度を済ませてハッと我に返る。
 肝心な講義や講演の所準備が完了していないことに気が付いた。毎度のことながら妻のつぶやきが今日も耳に入ってきた。「お得意の泥縄ですか?」との励ましの声である。
 準備で市内を東奔西走しながら、他人の花壇を覗く。牡丹なのか芍薬なのか、とてもきれいな花を満喫できる季節になったようだ。口をついて出たのが次のフレーズである。
 立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花。幼いころ、このフレーズの解釈を聴いたことがあるが未だに深い意味が理解できていない。何せ、牡丹と芍薬の花の見分け方すらわからないままにこの言葉を口ずさんでいるのであるから幸せモンと言うしかないのだろうか。旅支度とこの花々との関連は全くないが、そんな季節になりました!という所感であることを伝えたかっただけである。
 明日から暫く、当ブログは休刊いたします。再開は27日の予定です。

 

2011/05/21

旧友からの手紙

 ~「筑波山」を思い出に~
 教員時代に県外に出張、しかもほぼ1か月間もの時空を「研修身分」で過ごした時の仲間が全国にいる。その中で今でも(約30年前の出会い)交信できる人が存在することは至福である。その「旧友」から久しぶりに手紙が届いた。転居の知らせを受領したからであろう。

 ・・・(前略)・・・茅ヶ崎とはまた違った魅力ある地でしょうね。「筑波山」という音の響きが懐かしいですね。是非ともまた訪れたいものです。中国山地の山あいの村で生まれ育った小生にとって関東平野の広大さには度肝を抜かされました。時には富士山が見えると聞いて更に驚きました。(中略)貴兄のことですから新天地でまた色々と切り拓いていかれることでしょう。折々の情報をお届け願います。ところで、以前、話題にした飼っていた鶏のことですが、残念ながら死んでしまいました。(後略)・・・

 同封された「執筆原稿」(県内の機関紙からの依頼)を読む。
 癒しにも似たご夫婦の愛情を全身に受けて必死に「産卵して」喜ばせた鶏の話題になっている。広島での公務の帰路、岡山で立ち寄り30年余の旧交を温めた時の「老・爺」の話題は孫のことで話のネタが尽きた二人の他愛もない(と、言ったら氏に怒られる?)話題として、この原稿に登場する「二羽の鶏」さんたちがホットな心を運んできてくれたのである。
 こちらが注いだ愛情分だけは反応してくれるのだろうか。この問いかけに、人間だったら・・・、と午後の眠気を吹き飛ばしつつ考えてしまう。人間だったら「掛けた愛」以上の反応は期待してもいいのではないだろうか、というのが小生の結論紛いの結論である。しかし、それは「いつの時点」か?それが問題解決のキーポイントになるだろう。小生は思う。それは、ひょっとしたら墓石に向かって語り掛けた時点になることも「人間だったら」考えて置くべきだと言うこと。従って、急がず、欲張らず、信念を込めて「愛を注ぐ」ことが前提かも知れない。いかがだろうか?
 

2011/05/20

『旅』の振り返り(1)







5月14日 教育実践・浜松『響の会』 初夏セミナー



 やっぱり、こんなに大きな違いがあるんだ!


 終了後の懇親会でも話題は尽きなかった。それは、民間教育産業(ここでは「日本公文教育研究会」と公立学校での「小学校英語教育」というジャンルでの指導手法の違いがあまりにも明白に表出した発表になったからである。「公文式英語」と公立小学校での「外国語活動」との間には、決して歩み寄ることのできない教育の目的の違いがあるのがわかった。小生は、双方に関わっているのでその大差は十分納得しているが、本会で初めて公文式英語の発表を聴いた公立学校の先生にとっては青天の霹靂であったかもしれない。


 教える・育てる。


 つまり「教育する」手法には「創設の理念と哲学」が不可欠である、と考えると本会の発表から生じる差異への衝撃は当然発生し得ることである。「個々の学び」を理念として築かれた一方の教育手法と、「集団の学び」の良さを追求して誕生した教育手法とでは、『根っこ』から違っているのである。「公文で学ぶ子供」は、わがままで利己的だと評価されるとすれば、公文の理念が学習者に十分に浸透されていると評価されることになり、創設の目的が達成されていることになるのかも知れない。一方の公立学校の教育手法も決して侮れない。長所も沢山備えている手法も編み出されているではないか。双方に優劣は付けられない。学びには目的がはっきりする場合が多い。「個で迫る」手法が得策と考えられる場合と、「集団の総力で迫る」手法が功を奏する場合との間には評価には優劣が付けられないということである。
 教える(指導する)立場の人たちには、双方の良さを十分に理解して臨機応変に駆使する能力が要求されるのではないだろうか。


 そんな学びを実感した聴講者が多かったような気がする。当然ながら会場には、公立学校の教員だけでなく公文式指導者、公文教育研究会の職員も一堂に会していた。参会者の脳裏を駆け巡った刺激の中に排他的発想はなかっただろうと推測している。


 教育には「官」も「民」もない。
 これが小生の教育理念の一つでもある。強引な融合や不合理な対立など教育には向かない。それは指導者サイドの理不尽な理屈だけが生じさせる結果である。学習者サイドで満足できる手法が駆使されることを祈る思いである。今回もそう感じながら、夜の新幹線で浜松から新横浜駅に向かった。


写真は、上から①「官」の発表、2「民」の発表、3聴講風景、4希望者参加・懇親会後の記念撮影









2011/05/19

連発する老語の「うっかり・・」(笑)

 ~日付も忘れ、言ったことも忘れ・・・~
 そんな日が多くなりました。そんな事が多くなりました。
 今朝、妻との最初の会話は、「今日は何日だっけ?」「19日でしょ?」でした。「えっ!?」と驚いたのはこのブログを開いた時点の一言だったのです。18日のブログは?と自問自答しながら、何で昨日は気にも留めずに過ごしたんだろうか?と重ねて問うが答えは「うっかり・・」でした。
 昨日のことを思い出しながら老脳を弄っています。
 木曽路の銘菓をいただきました。末っ子孫が水疱瘡に罹って保育園を休んでいました。宅配便を受け取って来た妻に、「お祖母ちゃん、これ何なの?」と訊いているのを聴きながら中身を覗きました。送り主はすぐにわかりました。
 妻に良く注意されます。「●●が好きなんです」って言うんでしょ?だから、先方が無理してでもお送りなさるんだから言っちゃダメですよ、と。そう言われれば、確かに所構わず自分の好物について発していますね。今回も、、、「うっかり・・」言ってしまいました。だから手元に銘菓が届けられてしまいました(笑)。
 「うっかり・・」が本当に多くなりました。
 ブログはうっかり書くのを忘れましたが、うっかり放言は先方に気遣いをさせてしまいました。しかし、珍味でした。有難うございました!と言えば催促しているのでしょうか?決してそんな気持ちで言っているのではありませんのでご理解願います。
 

2011/05/17

『子育て』という言語に思う




 ~その「エネルギー源」~

 福島第一原子力発電所の問題が現代生活への課題として悲しくて辛い話題を独占している。原子力というエネルギー源の威力は、水力・風力・火力とは比較にならないエネルギー源のようである。少年時代の遠足で故郷の川の上流まで行って「水力発電所」を見学した。電気を作り出すためのダム建設の説明もおぼろげながら記憶している。そして、大人社会の偉大さも学んだ。電気の大切さも知った。 どんな作業をするにも、それを支えるエネルギー源があることを再考したい。 今回の出講旅行でも責務として果たすべき演題として課された話材が「子育て」であった。現職時代にも考えることも多かったが、こんなに切実なまでの課題として取り上げられる実情には少々驚かざるを得ないが、納得する面も無い訳でもない。

 子育ては失敗だらけ。 「育てる」プロセスでは失敗という評価は軽視できない。「子供を育てる」ためにどんな犠牲や奉仕が必要と考えられているのだろうか。自らを振り返りながら、親の犠牲や奉仕がどの程度あったものかを考えても「子どもだった」本人には確固たる正答は浮かんでこない。貧乏という「犠牲と奉仕」が存在していたことだけは言える程度である。親たちが、その時代に生きながら「苦労して」子供を育てたという事実は、不思議なほどまで身体や大脳が記憶して「人間性」を完成させているようである。

 貧乏を憎み、きょうだいの数が多いことを憂いながらも、そんな要素が「子育ち」の要因になっていると考えるのは小生だけだろうか。贅沢なほどの「衣食住」の中で育った子供でも、それ以上の要求はあり、親や家族への不満は無かったとは言えまい。

 と、すれば「人を育てる」行為こそ、無理があったり背伸びがあったり、見栄が強かったり外観だけを前面に押し出してしまえば、「育たない」末路を歩かせるようになるのではないだろうか。子育てに限らず「育てる」行為には焦燥感と将来への不安が先行するものである。この点は覚悟を決めなくてはならないような気がしてならない。「思い通りに」育てようとする無理は、大きな障害物になるように思えて仕方がない。葛藤と葛藤のぶつかり合いを「家庭生活」から削除して子育てをするのは無謀である。きょうだい喧嘩も親子げんかも立派な「成長の栄養素」であると考えるならば、力むことなく自然体でぶつかり合うことが立派な「子育て」につながると確信できるのではないか。

 失敗だらけで反省だらけの「わが親業」は、振り返る余地すらない。 そんな反省に立って話題提供をするので聴講者には異様な講演に映ってしまうようだ。決して無責任な講釈を述べているのではない。自然体の行為を自然にふるまうことの難しさも認知しつつ、「自然」の威力を周知させたいのである。小生はその源泉を今回の東日本大震災で思い知ったのである。

 誤解をしてほしくないのは、「自然体」は何の努力も不要だということではないこと。自身ができることを自らの意志と情熱で内面に築き上げる努力は絶対に必要であることを述べておきたい。搭載した当日の講演感想集(写真版・A4版2枚)からも、力んで頑張っているお母さん方が多いことを推測していただきたい。そんな立派なお母さん方に講師として言いたいことはすべて言えました。お母さん方が「自分が」「立派な親になって」「素晴らしい子育てをして」と、決して独りよがりで突っ走らないことだけを祈るばかりである。また、自然な形での「世間話」をしますので、お声をおかけください。

 子育ては「勉強会」で学ぶ内容でありません!!





2011/05/16

4日間の旅の後で・・・。

 ~転居して初めての県外遠征~
 茅ヶ崎からは小田原駅を基点にして殆どが新幹線で「西へ」移動した。
 転居後は、一旦東京駅へ出てから東西南北に移動することが基盤になるようだ。東京駅に着いてふと思うことがあった。流石に日本の中心地である。つまり、「始発と終着」駅を利用することになるのが電車の選択では楽なのである。名古屋までの旅も、「のぞみ号」「ひかり号」のどれに乗っても始発駅であるので指定券も不要となる。これは旅人には有難いことである。
 今回の旅は、対象が「市内全体の教職員」、そして「小学校の保護者」と続くスケジュールから始まった。三日目は主宰する教育実践『響の会』のセミナーを浜松市で定期開催に出講であった。ここでは日本公文教育研究会との合同の研修になるので通常の教育セミナーとは趣も異なる。今回は、今までには体験しないような時間となった。公文式指導と、公立学校の指導法がこんなにも違うのかと参会者はそれぞれの思いで感じてもらったような気がする。
 小生にとっての圧巻は、「飛び込み」招請の『ひと時』であった。
 県教委の教育事務所のスタッフ(=学校教育関係者)との特設懇親会である。核心に触れる質問の鋭さに、すっかり神経が昂ってしまったのか、問われた内容以外の領域まで言及してしまったのは反省の極みである。小生の答弁(笑)が長過ぎたので、参会者の一部だけの質問に応じただけで時間の浪費となってしまった。未熟な脳味噌はすぐに熱くなって沸騰してしまうらしい。味噌汁も熱すぎれば味もそっけもないことぐらい知っておりましたのに・・(猛省)。
 最終日の横浜市での講座は、2年目を迎えた請負事業である。来年度の教員採用試験受験者が受講生なので、今回も力んでいる老体を自らが一番理解していたのだから始末悪いことだ。
 横浜から30分で帰ることができた茅ヶ崎を振り向くこともしないで京浜東北線で上野駅まで直帰する。特急「スーパーフレッシュひたち号」を利用して下車駅までたどり着いたのが午後8時前であった。
 転居後の留守は、妻が長男一家と一緒に生活していることが安心材でもあり精神安定でもある。名古屋での知人友人との趣向の違う懇親会も小生の元気の源でもある。皆さんの精一杯の接待に深く感謝しながら、長旅を愉しく思い出して今日も終わりました。

2011/05/12

『仕事する』という責任

 ~退職後は悠々自適で・・~
 今朝のラジオで70歳を超えているご夫妻の談話を耳にして考えた。
 「退職後の生活がこんなに異常な展開になるとは想像だにしていませんでした」、と語る奥様の言葉を支えるようにご主人の言葉が感動的だった。教員として退職した妻が「退職後は欧州旅行でも楽しみましょう」と夢を語ってくれたことを思い出しながら、その欧州旅行のついでに訪れたアフリカの地で「孤児集団」の悲惨さに目を覆いながら歩いたあの時間が、今日の今日まで「仕事する」バージョンに変貌したことを、むしろ神様に感謝する思いでいるとの言葉であった。
 退職金を投げ出して孤児救済に立ち上がった妻の情熱に圧倒されつつ、わが身も退職後の全てをその支援に「仕事する」意識が募っていることに感動する日々であるとの言葉に改めて仕事をすることは、「責任を果たす」意味であることを痛感した。
 小生の生ぬるい退職後の生活と比較したら失礼になる。
 しかしながら、小さな責任にも派生している小さな仕事に向かい合う自身の「仕事する」意識を、観点を変えて考え直そうと心に誓う。
 今日から小さな仕事の「連続する」時間を展開する。今日は愛知県日進市、明日は春日井市、そして14日が静岡県浜松市で15日が神奈川県横浜市に予定される「ちっちゃな仕事」ではあるが、それなりの「責任感」は削減できない。それなりの意識を高揚させて「仕事する」責任を果たせるように務めてまいりましょう。ラジオから届いた先輩夫妻の奮闘に敬意を表しつつ、行ってまいります。
 ブログは暫し、休刊です。

2011/05/11

転居して「1ヶ月」が過ぎました。

 ~東日本大震災から2か月~
 3月11日に震災を受け、4月11日に(無謀と他者は言うが)、ここ土浦市に転居。そして、今日は5月11日である。
 1か月前のこと。引越センターの荷物が茅ヶ崎の旧宅を出る瞬間(およそ午後5時過ぎ)に、茅ヶ崎でも大きな揺れがあり行く手を塞がれるかのような不安感に襲われた。次女夫妻と一緒に恐る恐る出発した。案の定(?)東北道が柏駅周辺で「通行止め」のシグナルにストップを喰らってしまう。ナビを頼りに車は渋滞の柏市内の市道を右往左往してしまう。道が不案内な上に市街地の渋滞で車が動かないと焦燥感より不安感が先行してしまい、「土浦が遠い」地に思えてしまった。
 迂回している内に「ナビから」速度制限つきで東北道の開通に気づいてホッとする。高速道路は真っ暗でではあるが車の量も少なく順調すぎるほどに快調に走って、長男一家が首長くして待っている土浦の自宅に到着した。心身ともに疲労困憊ながら嫁が沸かしてくれていたお風呂に飛び込んだ。疲れが引いていく実感を満喫していた瞬間、余震から歓迎の揺れを見舞われて我に返った。
 そんなことを思い出している朝。
 昨日から10度も下がって肌寒い。しかも、午前2時あたりから余震の連発。大揺れはしないが、ラジオから頻繁に流れる「地震予知警報」のメロディが異様な目覚めを促してくれた。大震災から今日で2か月が経ったとラジオが何回も報道する。時が流れれば、こんな心労もいつかは風化してしまうのだろうが、渦中にいると、やはり恐怖心は拭い去れそうにない。
 しかし、この教訓は「きちんと受け止めて」伝えていかなければなるまい。
 そんな朝。長男孫は、県庁から大洗海岸への「社会見学」だと張り切って出かけて行った。隣で老妻が呟く、「こんな日にどうして遠足をやるの?」って・・・。わかるようなわからないような・・そんな夫は、数年前まで、そんな行事を計画した責任者として勤務していたのでありました(笑)。

2011/05/10

恥ずかしい「お話」ですが・・。

 ~こんな所にもあったのか!~
 HP管理人の先生と一緒に訪れた御前崎の風景をテレビ画面で見ながら考えた、
 現地踏査のイメージでは、「風力発電」の光景が強く印象付けられた地でもあった。灯台に上るのに一苦労したのは飛んでしまいそうな帽子を押さえることだった。眼下の海岸には白い波頭が際立って綺麗に見えたのは強風の所為だったのかも知れない。運転をしながら彼から原子力発電所の説明も聞いた。全く関心を示さなかった小生だったことを思い出している。
 原子力発電の威力と安全性は、それほどまでに無意識の意識として国民全体に浸透しているようにも思える。時々、福井や新潟の原発で起きた放射能漏れもいつの間にか「安全性」に包み込まれ意識の蚊帳の外になってしまったのが経緯である。
 福島第一原子力発電所。
 ここでは、今回の震災の直撃を受けたことで機能が壊れた。壊れれば後遺症は発生する。最も危険な後遺症が広範囲の住民の生活まで脅かしている。住民の皆さんの憤りをどのようにして諌めるのか。天災とか人災とかの「言葉遊び」の域ではない。
 昨今は、「オール電化」をセールスポイントで住宅を供給する。望むと望まざるとにかかわらず「現代生活環境」には電力消費が前提であるとしか思えない。確かに便利ではある。消費電力は無意識の中で実行されている。ここ数日間の話題は浜岡原発の稼働停止が決まったことである。「えっ?やっていけるの?」と素朴なつぶやきが聞こえてきそうだ。電力会社としては運営の見通しは出来ているからだろうか。詳細は、お恥ずかしい話であるが理解出来ていない。お恥ずかしい話の上積みをすれば、全国に設置されている原子力発電所を「知らない・聞いたことのない地名」として認知している自身の無学であることである。
 「広島・長崎の悲劇」も風化されつつあったのか?シャキッと背筋が伸びるような気がする。
 広島・長崎=被爆 という等式は学校教育で学んだ。現地も修学旅行で訪れた。被爆体験者の「語り」も耳にして涙を流した。しかし、人は「時間が経てば」その感度も鈍ってしまうようだ。今回の原発事故による「放射能」という「言霊」が、鈍な小生の脳味噌にも大きな刺激を与えてくれたようだ。
 お恥ずかしい話ばかりで恐縮する。今月末には仕事で広島市を訪問する。もう一度、新たな気持ちで原爆ドームを訪れてみようと細やかな反省の心境である。
 原子力の平和的利用?恩恵を意識しつつ日常的な「節電」意識の高揚を学校教育でも真剣に取り上げなくてはなるまい。家庭教育での意識づけは、当然ながら不可欠である。

2011/05/09

昨日は「母の日」だったんですよね!

 ~実在の「母親」がいなくなると・・~
 母の日も忘れてしまうのかな?
 昨夜の帰宅は夜9時半ごろ。通常ではもう「眠り」についている時間である。上野駅でJR常磐線特急電車「スーパーひたち号」に乗り込んだ時、赤いカーネーションが目に入ったことは記憶していたが、疲労度が常識度を倒壊していたのだろうか。関知しないままに帰宅した。
 帰宅後は風呂に入ってすぐに就寝。
 朝の目覚めの妻の一言。「いただいたカーネーションは仏壇に上げましたからね」にも、感性の鈍さは昨夜の延長線上にあった。この地に転居して間もなく1か月が経つ。その間、小生独りで遠くへ出かけたのは昨日が最初であったことにも気づいていなかった。長男一家は、祖父ちゃんが仕事に出かけて祖母ちゃんが一人で夕食を摂ることになるので母屋に呼んだようだ。孫たちと一緒に「母の日」のお祝いにケーキを食べたそうだ。1輪のカーネーションを嫁からもらったらしい。母屋には仏間がある。九州で使い込んだ立派な仏壇は運ばれて、ここの仏間の主としても君臨している。娘である妻は、嫁にもらったカーネーションを仏壇の母に捧げたということを伝えたかったようだ。
 午前中は亡羊のごとく、数か月ぶりの仕事の後遺症と過ごしてしまった。
 「母の日」だったことを鮮明に思い出すまでにかなりの時間を掛けてしまい、少々恥ずかしいやら気まずい思いが完全な目覚めの大脳内を駆け巡っている。男勝りの実母が生きていたら、何と言う表現で不孝な息子を詰っただろうか?
 深い反省をしながら、遅まきながら母屋の仏間を覗いた。

2011/05/08

なぜ、教師になったんですか?

 ~ある恩師との「出会い」から・・~
 昨年から舞い込んできた業務がある。
 それは、ある教育産業会社からの依頼で、「教員採用試験受験対策講座」の講師である。実は、「降って湧いた」業務でありながらも、現職校長時代から「取り組んでみたい」業務内容でもあったので飛びついたのが去年の話。
 「教員になってからでは間に合わない」という口癖が現職校長の全身に染みついたことが引き受ける決心の引き金となったのである。校長として「採用されてきた教員」と初対面で対話をするのが校長室である。開口一番で品定めができる。それは「言語運用能力」である。つまり、「お話ができる」教員かどうかを見極めるのが校長としての職能でもあると自らに言い聞かせたことが多かった。
 言語を運用する、と言えばとても硬く受け止められそうであるがそうでもない。
 てっとり早く表現すれば「対話を楽しむ」素養があるかどうかである。もっと追究して表現をすれば使用している「言葉」に彩と艶を添える表情ができるかどうかであると言及できる。表情、即ち身体表現の有無であるとも言える。明るい表情には誤解は生じえない。明るい表情には敵意はない。明るい表情を支えるのが使用言語である。なかんずく日本語の表現力が豊かであること。それは敬語と謙譲語がきちんと使いこなしているかどうか、ということにもなるだろう。
 これから「せんせい」になろうと言う若者たちに、この重要性を説いてみたい。
 それが現職時代の「叶わぬ夢」でもあった。それが、多くの諸先輩との出会いが巡り巡って「教員になる前の人種」への指導機会を与えてもらうことになったのである。
 昨年度の受講生から、今年度の受講生へのメールをもらっている。新採用教員としてこの4月から高校に勤務になった「せんせい」からのメールである。読みながら「講師」冥利の感動を禁じざるを得ない。そんな受講生との出会い、もまた人生の出会いである。出会いだらけの人生が、今日、また新しいステージの幕が開けられる。楽しみである。「先生になりたい」と考えるようになった少年の日の「あの出会い」の再現を期待している。
 本日の第1回目の講座では、届けられた「新米せんせい」の受講生体験記メールを読もう。
 そして、来年度の教壇に多くの新しい「せんせい」を送り込めるよう講義を展開しよう。そんな昂ぶる心を抑えながら今日の旅が始まる。常磐線で上野駅~東京駅~横浜駅と乗り換えて会場までまいりましょう。今年の勤務状況は後日のブログで紹介することを約束して出発です。

2011/05/07

あっという間に今日も一日が終わり・・・

 ~大型連休も明日で「完」~
 ずっと以前の、このブログでも触れました。
 毎日が日曜日の生活リズムになると、「今日は何曜日だっけ?」と妻に聞くのが異常にならないのが異常なリズムの渦中にいる証なんでしょうか、と。世論は「大型連休」と称していました。小生は、それ以上のスケールで大型連休を熟しているのですからびくともしません(笑)。しかし、街中に出て行ったりちょっと遠出をしようと幹線道路を運転すると「異常」さをすぐに実感してしまいます。人混みや道路混雑状況が通常とは雲泥の差があるからです。
 小生のような大型連休三昧の生活者にとっては「曜日への配慮」が不要です。
 明日までの大型連休を満喫された通常生活者にとっては、「今日の帰路設定」が今後の生活への配慮事項なのでしょうね。明日は休養して、9日からまた職場で情熱的な勤務生活に戻れるためでしょうか。遠距離地にいらっしゃる老両親のお見舞いや介護にお出かけの皆さんにはそんなゆとりはないのでしょうか?10年ばかり前の自身の生活ぶりを思い出しています。
 今日もたくさんの葉書が届きました。
 茅ヶ崎の自宅に一旦配送された郵便物が転送されるので時差が生じています。ご返事は極力迅速に投函するよう心がけていますが、極親しい後輩諸兄には「電子メール」にて代用させていただきます。ご容赦願います。
 明日から、小生は今年度の「仕事」が始まります。懐かしい(?)横浜市で仕事開きです。準備万端整いました。本務を忠実に執行できるよう心新たにしている夕べです。

2011/05/06

菖蒲の香りと『腰湯』

 ~「菖蒲湯」に癒される早朝~
 夕食前に、母屋から「菖蒲」が届いた。
 嫁が「お父さんやお母さんは菖蒲湯は嫌いではないですか?」と声を掛けてくれた。毎年欠かしたことのないことを思い出した。今年は転居騒動でその雰囲気もなかったことを告げながら、老妻は喜んで湯船に漬けていた。
 小生の日課は早朝湯禅(=半身浴)から始まる。
 愛読者の皆さんには耳なじみの表現であるが、半身浴のことを健康管理のアドバイザーでもある鍼診療師のネーミングでは『腰湯』となっている。それは「ぎっくり腰」常習犯であった小生への意識改革を鼓舞する命名なのである。意識し過ぎるほど意識している名称でもある。現役教員時代の同伴者とで言っても過言ではないほどに、腰痛は持病であった。この腰湯日課で嘘のように腰痛から解放されている。
 そこに、今朝の『腰湯』には嫁からもらった「菖蒲」が浮いている。
 何という至福の時間だろうか。新居の浴室にはラジオも常備できた。NHK「ラジオ深夜」という番組を聴きながら「考えさせられる」時間として20分間だけの「心の禅」を組むことにしている。今朝は、table for two という表現を耳にして考えさせられた。アフリカ大陸の「子供たちを支援する」NPOの話題に聞き入ってしまった。東日本大震災の「震災孤児」のことに思いを馳せながら、世界中には大人社会のエゴから生み出される「子ども難民」が減らない現状に心が痛む。そして朝食を終えた。
 母屋から孫たちの元気な声が聞こえ始め、今日も一日が始まった。

2011/05/05

『こどもの日』に考える


 ~「被災地孤児」に対して出来ることは?~

 東日本大震災で親を亡くした多くの子供たちがいると言う。

 これまでにも、多くの自然災害で不運にも親を亡くした人たちがいることは承知している。少年時代に大型台風の襲来で大洪水となりクラスメートのお父さんが亡くなられたこともを思い出した。故郷の九州では「台風と共に生きる」生活様式が主流であり、被災家族への村落共同体の思い遣りも尋常ではなかった。友人も逞しく人生を送ってくれたと信じている。それは、安易な同情だけでは無かったようなおぼろげな記憶も残っている。

 しかし、今回のように「未曾有」という形容詞が頭につくような想定外の大震災で、一瞬の間に多くの親と逸れそして孤児となってしまった多くの「子供たち」の存在は、これまでとは大きな違いがあるのでは、と思えてならない。それは、孤児となった近隣の子供たちを救える共同体(=村落)すら破壊されてしまっているからである。救えるのはただ一つ。国家体制でしか救いようがないということである。各種報道で「災害ボランティア」の皆さんが被災地で奮闘されていることを知るにつけ、善意と奉仕には限界があることを痛感するのは小生だけではあるまい。心温まる光景やニュースに小生の瞼が何度も熱くなり涙すらこぼれるほどである。しかし、村ごと、町ぐるみが被災して「どうにもならない」現状を考えるとお先真っ暗ではないか。無力で先見予知性も乏しい孤児たちには、村も町も無力で非力過ぎるのではないだろうか。「がんばろう日本」というキャッチフレーズは大所高所から「100年後の日本」を想定して、国家意識として国政を担うリーダー集団からの心底からの語り掛けであってほしい。と、小生は祈りたい気持である。

 今日は『こどもの日』。

 転居したばかりの新県民としては、同一県内にも大きな被災地があるという知識しかないがどこでも今日は『こどもの日』である。小生は、庭先の小さなこいのぼりの横に国旗を掲げることにした(写真)。我が家の孫たちに向ける祖父母の愛情というより、全国の「子供たち」に向けてエールを送るつもりからである。

 自分一人ではどうにもならないことにも遭遇するだろう。そんな時は、周囲の大人に相談をしてアドバイスを受けながら生き抜いて欲しい。一人だけでは生きていけないと言われる人生ならば、友人や仲間と助け合い励ましあって切磋琢磨して生きて行って欲しい。人を蹴落として自分だけが幸せを享受するような人生だけは避けてほしい。そして、立派な日本人として世界に羽ばたいてほしい。

 こんな思いを綴れば綴るほどに「大人力」の乏しさを感じてしまう。子供たちに尊敬され慕われる大人集団が壊滅状態になってしまったのではないかと悔しささえ浮かび上がってくる。当然ながら小生自身への非難も含め、自戒ていることをご理解願いたい。

 『こどもの日』。それは、子供たちに誇れる国づくりをしなければならない「おとなの日」である。と、小生は肝に銘じたい。大人の意識改革の日である、と敢えて最後に申し添えておきたい。

2011/05/04

今日は、筍掘りに行きます!

 ~雨後の竹の子・・~
 昨夜、土浦は雨でした。
 「お父さん、明日は筍掘りに行きませんか」と、昨日の嫁の言葉に「いいねぇ」と快諾した。嫁の実家の裏山は竹林で、この時期になると孫たちが掘ってくれた筍を届けてくれていたことを寝ながら思い出していた。数年前、ちょうどこの時期に、ここ土浦を訪問したことがあり、誘われるまま帰り支度をして竹林に出向いたことも思い出した。革靴で林に入り込んだので泥が着いて電車の中で少々恥ずかしかったことも懐かしく浮かんできた。
 今朝は通常通りに4時には起床。定番の『腰湯』(=半身浴)も済ませ、5時には朝食も終えている。外が明るいので「灯り」不要の日課が始まったばかりである。今日は好天の兆しである。夕べの雨で地面も柔らかいことだろう。筍ものびのびと頭を出して「竹になる」準備を始める格好の朝だろう。これから母屋軍団の目覚めと朝食の完了を待って出かけることにしよう。
 祖父ちゃんにとっては、まさに「満を持して」の筍掘りになる。雨後の竹の子との勝負じぁ~!!


写真は収穫して、知人友人に送った後の「我が家」に残った筍です】

2011/05/03

筑波山に登るぞ、と!!

 ~母屋から元気な声が・・~
 肌寒さを感じる土浦の朝。
 一昨日から来ている横浜に住む次女夫妻が、土浦の孫たちを連れて「筑波山登山」に行くらしい。今朝は母屋から活気が伝わってくる。ダイニングでは老妻がおにぎりを沢山作っているが、副食には豪勢さは無い。カラフルな遠足モードの準備ではないようだ。連れて行こうという次女(孫たちから見れば伯母)の発案だそうだ。「塩おむすび」で十分。「お腹が空いたら贅沢は言わないわよ」と、孫に甘い祖母さんを窘めたようである。「お祖父ちゃんも行こうよ」と誘ってくれないのでホッとしている。引っ越し疲れの延長線上にある老夫婦には、もう少しゆっくりしてからケーブルカーでも利用して登ることにしよう、と今日は控えめにしている(笑)。
 昨日もたくさんの郵便物が届いた。
 異動のお知らせに交じって、こちらから送った転居通知の葉書への返信もあった。受け取られた相手には「青天の霹靂」との文言が何通もあり自意識と他者意識のズレを痛感した。決して、第二の故郷を「捨てた」訳ではないことだけは、更に返事を書くことが義務付けられているようだ。
 また、連休の谷間の昨日は広島市、高知市や鳥取市の小学校から立て続けの出講要請の電話やメールがあった。現職の皆さんには遅れてはいるが、新年度が始まったとの自意識も高めざるを得ない状況になった。有難いことだと自らに言い聞かせつつ本日も始まった。
  

2011/05/02

昨夜のサプライズ!

 ~孫の手作りケーキに・・~
 遥か彼方の時空に確かな現実として存在した日。
 連休の合間を利用して設定した結婚式。高校の教員になって3年。確かに給料がいただけることがわかって踏み切った第二の人生だった。その日が5月2日である。
 昨年はわが子たちの演出で「沖縄旅行」に行かせられた(笑)。戦死で散った実父の最後の地(=伊江島)を踏ませてもらった。頑なまでに拒んだ沖縄への旅行も、いざ現地が舳先の向こうに島が見えた時は感涙で霞んで見えなくなった。拒んだ無神経さを恥じつつも感動の旅であった。
 あれから1年が過ぎてしまったようだ。今年は、震災と引っ越し騒ぎですっかり頓挫してしまっていた。長男宅の「離れ」の隠居小屋(?)は、娘や孫たちでにぎやかな夕べになってしまった。引っ越し後の初めての来客であるので計らい等、意に関せずに母屋のダイニングに移動して、びっくり!
 孫たちの手作りのケーキ(写真)に迎えられ、「今日は何の日?」の謎が解けた。少々照れくさい。幾つになってもやっぱり照れくさい。長男が、徐に口を開いた。「明日の当日は、勤務で帰宅が遅くなるので一日早い設定となりました」と。そうか、そうだったのか!!長女一家は嫁ぎ先の業務の関係で当日の参加はできないとのメールが長男には届いていたのだろうか。後半の連休には駆けつけるらしい。
 甘味を好まない小生に配慮して当分控えめだと説明もあったが、昨夜は食する気になれず焼酎だけで満足して眠った。
 今朝の食卓には、夕べの手作りケーキが届けられた。少しだけ口に運んで、思わず「美味い!」と発した自らが驚いてしまった。老妻の「孫たちの愛情ですからね」との、冷ややかな言葉が引き金となって残っている部分も食している自分に再び驚いてしまった。
 そんな幸せな一日が今朝もやって来てくれました。エンジン再開に弾みがかかることでしょう。

2011/05/01

遅まきながら新年度始発のエンジンが・・・。

 ~偶然とは言え「驚き」ました!~
 茨城県は全くの不案内者です
 水戸市とかつくば市ぐらいは以前の訪問もあり都市名だけは「知っている」程度です。余震があるとラジオで都市名や地方名で震度が報道されますが、その地が土浦から見て東西南北のどの位置にあるのか見当もつかない状況です。
 そんな小生に、地名と学校名を名乗って講師の小生電話がまた掛かってきました。
 最初が古河市でした。今回は筑西市と仰いましたがどこにあるのか分からないままに先方のご意向を正確に受け止めるだけで精一杯でした。電話が切れてから、交通手段のご説明を記録したノートを参考にして地図を広げました。JR取手駅で私鉄に乗り換えて到着できることがぼんやりと掴めました。
 決して迷惑がっているのではありません。
 茨城県民になったこととの「偶然とは言え」驚きを隠せません。その証拠に依頼があったのは茨城県内からだけなのです。びっくりしていることがお分かりになりますよね。能天気な小生は、茨城県民になって「招かざる客人」でも無さそうだ!と、自らを鼓舞しているところが滑稽でしょ??
 そんな小生も、5月になった今日から遅まきながら新年度のエンジンを掛けることにします。
 8日の横浜市で初講が待っています。その週末には愛知・静岡と強行スケジュールが待ち受けているのですから心身ともに「新年度バージョン」にギアチェンジする必要があるからです。えっ??今はオートマでギアチェンジは不要、ですって?いいえ、育ちには急には変えることのできない身についた言語文化ってモンがあるんですよ!!(笑)
 今日は雨の予報です。新居の片づけも遅々として進んでいませんが、焦らないことにします!

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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