2012/08/31

早朝歩禅の記(12)

 
歩禅の記録 04:15~05:05【6200歩】
 
~どんよりと暗い空~

 今朝は通常の出発時刻より15分早めに家を出ました。

 日の出の時刻が10分ほど遅くなり始めた時期に、15分早めの出発ですから当然ですが、晴天ではなさそうなので余計に暗く感じられたのでしょうかね?出発時間の変更を言いだしたのは妻でした。「早めに帰宅したい」との意向からです。

 今日から、母屋軍団(長男一家)がグアム島に出かけるのです。嫁の妹さんの結婚式に参列するためです。飛行機便の関係から早めの出発になるようなので、ゆっくりと「見送りしてあげたい」との老婆心(?)なのです。

 歩禅の老夫婦の話題は?

 実は、昨日になって一番下の孫息子(4歳)の体調に異変が生じたのです。明日の出発直前の発熱ともなると母親の心労は計り知れる(笑)ものです。我々夫婦が若かりし頃、九州の実家に一家で帰省した光景を思い出したのでしょう。妻が懐かしそうに切り出しました。夫(父親)との同伴旅行は帰省の時だけとなれば、三人の子どもたちが興奮するのも否めません。こんな時に限って必ず発熱や体調不良になる我が子がいたのです。「気を揉ませるのが子どもなんだ!」分かっていながらも「何で、今日になって?」と親も戸惑うのです。1週間の楽しかった里帰りを終えて帰って来る前日になると、また発熱を訴える子供もいました。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは、「置いて帰ったら?」と提唱しましたが妻(母親)は、医者に注射を打ってもらってでも連れて帰ると力んだモノでした。嫁の気持ちがよくわかるとの話になったのです。

 夫婦の感覚のズレはあったとしても、「何で、こんな時に?」「こんな日に限って、どうして?」と、親の思うように運ばないことを恨んだりしたことも頷けるような気がして、早朝の真っ暗な道路の話題に花が咲いてしまった(笑)のです。

 親の心子知らず。

元気になった孫が、「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも一緒に行こうよ」と言いに来ました。前夜に渡したお小遣いのお礼を言いに小学生の二人の孫もやって来ました。一か月前に妻がアメリカから帰国した際にドル硬貨を沢山持って来ていました。それを「空港で直ぐ使えるよ」と言って小学生の孫たちにあげたようなのです。7時過ぎに羽田空港に向かって出発して行きました。

わからない内に(僅か)3日間の時間は、あっという間に過ぎてしまうでしょうが、何事も体験は貴重です。土産話を楽しみにして留守番をいたしましょう。
 
帰り道でこんな花を見つけました。何と言う花なのかも知らないで撮りました。どなたかご存知でしたら教えてください。

2012/08/30

老脳への『刺激』

 ~先輩、感謝します!~

 加齢を感じるのは、「もう無理をしないで・・・・」「少し休んだら?・・・」等の労いの言葉を戴く時である。その瞬間には「そうだね、そろそろ引き際を考えなければいけないね」と自らに言い聞かせ自重を促し続けている。

 昨日、郵便が届いた。

 差出人を確認しながら胸が時めいた。急いで開けて3部の内容物を確認した。1つは氏の直筆署名入りの書簡(本文はワープロ印字であるがご自身の名前は直筆=常時)と2つの新聞記事であった。双方ともご自身の記事である。立ったまま読みだした小生に妻から、「座って読んでくださいよ」と声を掛けられ我に返った。記事の内容は、氏の専門領域である「学校教育」に関するものであり、旬な記事である。予測通りに「いじめ自殺事件」であった。氏の考え方には毎回のように傾倒することが多く、主宰する『響の会』(=平成8年発足の教員の自主研究会)にもご登壇をお願いして講演を拝聴している。

 氏の現職時代には教育実践を披露する機会を与えられ東京・国立市役所まで出向いた仲でもある。「教員出身ではない教育長」としての氏の経営手腕に惹かれ、大きな刺激を受けた。関係の深まりを助長した要因はその他にも沢山ある。

 転居もあり、ここ数年は氏との接触も無かった。そこに私信と資料を受け取ったのであるから、座る時間も忘れて「立ち読み」してしまう小生の微妙な心理状態をわかってもらえだろう。老脳は老脳なりに「刺激を受けることの快感」を欲しているのである(笑)。

快感となった『刺激』の一部分を転写して読者諸兄に紹介したい。全文の資料が欲しい方は当方のアドレス(chts415@jcom.home.ne.jp)に「資料請求」のメールを送信願いたい。資料化したワード版で送信しましょう。スキャナで撮った新聞記事のままの資料が欲しい方はその旨添えてください。 

資料 ・・・・(前略)いじめ問題が危険水域を超えるに至った背景には2つあると私は思う。1つは、学校における教師と子供の師弟関係が崩れ去り、友達関係に変わったことである。善悪を明確にして、ダメなものはダメと言い切る教師の気迫と権威が失われた。
 あと1つは、むき出しの暴力まで教育問題と捉えて学校で抱え込んだことである。その結果、校内の暴力行為が制御不能になり、いじめ自殺を防ぐことができなかったのだ。言うまでもなく学校は治外法権ではない。暴力を伴ういじめは犯罪とみなし、直ちに警察に通報すべきである。いじめ自殺の再発を防ぐために、社会のルールを学校にも適用すべきである。(後略)・・・・・・ 

 こんな良質の刺激を与えられる老輩に小生もなりたいものだ。先輩がこのように奮闘されている情報を得たことは、更に大きな刺激となって「まだまだ・・」の感が膨れ上がって来た。嬉しい刺激に感謝を申し上げたい。
 
早朝歩禅記録 04:35~05:25【6300歩】
出発の準備中(04:05頃と04:17頃)に、強い地震がありました。宮城県沖が震源地で宮城県や岩手県では震度5強・弱の地震だったそうですが、仙台、八戸や塩釜の皆さん大丈夫だったでしょうか?心配しています。

2012/08/29

早朝歩禅の記(11)

 
 
 
04:35~05:25【6300歩】
~ヒンヤリとした夜明け前~

 定刻より5分遅れの出発。玄関先に一歩踏み出して(今朝は同行する)、「うわぁ~、気持ちいい!」と控えめな妻の叫び声。1週間前より明らかに夜明けが遅い分だけ気温の下がり具合を感じる。足元がまだ暗い。

定時にコースを歩くと、決まって交錯する散歩人が4名になった。それぞれが個人での散歩の様であるが、お二人は兄妹であることは自己紹介(?)でわかった。高齢(確かめる必要もなく不明)の紳士と、後輩と思える女性の4人である。自転車で沼の周回コースの駐輪場まで来て歩く高齢者(男・女)の2名も常連者である。

 判で押したように散歩する人たちである。すれ違う地点で「今日は遅いですね」「今日は早いですね」との会話が成立するのがその証明である。妻が同行しない朝は、「奥様は?」「具合でも悪いんですか?」と声を掛けていただくのも嬉しい。

 今朝の妻は会う人ごとに、「お久しぶりです」と声を発していた。あまり社交的ではない妻にとって、40年も住んだ茅ヶ崎での友人との別れはその点からも辛いモノだったのかも知れないと案じることもある。しかし、当地では3人の孫たちとの同居生活が生き甲斐になっているようで茅ヶ崎に思いを馳せて恋しがる様子は少ないようだ。孫力とは偉大なパワーだと痛感している。

 今朝の歩禅の対話は、今夏のアメリカ旅行についてに終始する妻にとって「生涯における一大事件」になったようである。亡父が渡米できなかった分を代理ででも果たせたことに満足しているようである。聞いていても嬉しい。アメリカの生活のリズムや食生活様式から、「気づいた」ことも、「考えさせられた」ことも多くあったように思われる。

 季節が確かに秋に向かっていることに気付いた妻が、昨日(やっと設置した)のエアコン工事と「秋の訪れ」とのミスマッチが、「夫の人生哲学だ」と言葉少なに喋ったのが可笑しかった。妙に納得したからでもある。

 日の出の時刻が確かに遅くなっている。

 稲穂が「首を垂れる」まで成長している。畑の脇に「韮の花」が咲いていた。清楚な佇まいに韮の持つ妙味とのミスマッチを感じながら、妻の言葉を反芻しつつ帰宅した。

2012/08/28

神様の悪戯(笑)


 ~パソコンのネット機能が麻痺~

 一昨日(26日)の午後3時ごろには千葉の長女宅から帰宅した。

 当日のブログは休刊予告をしていたので気分はのんびりだった。メールチェックだけはしておかないと、とパソコンを開けてアウトルックを開いたが着信ゼロの状態だったので更に安心して転寝をしてしまった。

 当方は夕食後のパソコン操作は殆どしないが、虫の知らせか!(笑)メールの送受信機能の不具合に気づいた。つまり、珍しく夜の帳が降りてからのパソコン操作によって「どん底」に落とされてしまった。しかし、そこは生来の能天気屋さんは、そのまま眠ってしまった。

 しかし、目が覚めてしまうと能天気な性分を満喫してはおれない。車で15分のPC専門ショップ(機器はここで全て購入している=プレミアムカードの持ち主)に本体を運び込んで診察を受ける。8月18以降ウイルスチェックソフトに支障が発生したらしく業者でもその対応に忙しくなっているようだった。何と、当方のパソコンがその障害を被っているとの診断だった。修復作業を依頼して翌日(28日朝)受け取ることになった。開店(10:15)と同時に受け取り、帰宅して張り切ってインタネットに接続して、命綱(笑=大袈裟)のメール送受信機能の復活へと、電話を首にかけて電話の向こうの専門業者ヘルパーの指示で操作を仕掛けたら、パソコン本体の不具合が指摘されてしまって愕然としてしまった。(だから、機器は嫌いなんだよ~)

 再度、パソコンショップに戻って(笑)、指導を受けつつ「わかたような」説明に十分な納得もせずに帰宅した。そして、再度の挑戦でメール送受信の機器操作を、またしても電話の向こうの声に従いつつ、見事復活!!午後3時前の事でありました。「神様の悪戯」の深意は何だったのだろう?たまにはブログを休め!!って??

 取り敢えず、今日のブログは苦労話(笑)でご勘弁下さい。

 ブログ休刊の延期に小生の健康具合までご心配をいただき申し訳ありませんでした。自身は至って元気です。今日は午前中にエアコン設置工事も完了しました。人並みの「住環境」が整ったのかなあ?

2012/08/25

今頃になって?


 ~老体に「疲労と消耗」を実感して~

 「離れ」の我が家にも、ついにエアコンなる利器を設置することに踏み切った。息子も娘たちも老親の意固地に諦めたのか、最近では口にしなくなっている。しかし、終日を(毎日)自宅で過ごしていると「猛暑日」とやらの威力を真正面から受けてしまう老体には疲労と消耗を実感するようになった。取り分け、太陽の西日をもろに受ける和室の温度が32~33℃を記録すると流石の「堅牢者」(笑)も、身体の疲労消耗を和らげないと危険だと感じるようになった。

 エアコンの設置を、別に意固地になって突っぱねて生きて来たわけではない。

 節電の意識が高かったことと、冷房機能に対して異常な程敏感な体質になっていたからである。鍼診療師(当ブログにしばしば登場する)の診療を12年間受けていると、体質改善は確実に進んでいる。電車も弱冷房車ですらも首筋に冷えを感じる。お洒落に見えるらしいが首を防護するためのスカーフもどきを老妻が準備してくれる程である。診療師は身体の冷えは健康への黄信号と言う。真夏でも「身体は保温する」ことが健康管理で最重要であると説かれる。

 頭部以外は全て温める。

 その教えを遵守しているとクーラーは出来るならば使用しないで生活した方が良いということになってしまったのである。しかし、連続する体温並みの室温と湿度の高さの異常値には水分を十分に摂りながらも対応力に(加齢で)限界を感じ始めたのである。「せめて除湿でも」の多くのアドバイスを受けようと決心した。

 大型電気量販店に妻と一緒に出かけた。目移りしながら(笑)妻と店員さんのやり取りを聞きながら商品の的を絞った。注文が多いのか工事日が数日後との対話も聞き取った。現時点では不在予定日(公用)など無い。こうなれば「一日でも早い」方が良いと、生来のせっかち性分が蠢いて妻が苦笑した。

 購入して(工事日も決定して)帰宅した。夕食は二番目の孫の「誕生日」のお祝いだと言うので母屋で済ませることになっていた。昼間の電気店での様子を話しながら購入したことを報告した。長男夫妻もホッとしたようだった(笑)。熱中症注意報が市の広報設備から毎日のようにアナウンスが流れている。「こまめな水分補給と涼しい所で休養」とのフレーズが耳に着いてしまっているほどだ。

 若いつもり??

 最も危険な錯誤らしい。わかっているものの「未だ、そんな歳じゃない」との頑なさが危険らしい(笑)。重々承知しているつもりだったが家人がホッとしたような様子を見るにつけ我が人生の頑固さを反省している。

早朝歩禅記録 04:30~05:20【5900歩】
今日は千葉の長女宅に向かうので妻は準備もあり、独り歩禅。独り歩きはスピードもあり歩数も少なくなります。空の明るさが時間刻みで心地よく迎えてくれるのが嬉しい。朝焼けが鶴沼の湖面も真っ赤に染めて歓迎してくれました。7時半頃には下の孫を連れて千葉へ向かいます。今日は泊りますので明日の歩禅記は休刊(予定)します。行って来ます!

2012/08/24

この歳になっても嬉しい話


 ~「育てる」ことの根源~

 いつもより、(こんな時に限って)30分間の寝坊だった。

 4時半には早朝歩禅に出発するのでメールチェックの時間を考えると1時間前には起床したい。ところがこの頃は受信メールも極端に少なくなっているので30分ぐらい遅く起きても時間的には余裕がある。そんな油断?この歳になっても良くあることではある。

 愛知県の中学校の校長さんからメールを受信していた。

 活字を読みながら老脳の奥底から湧き出す「元気の泉」が、寝ぼけ眼球まで達するのに長い時間は要しなかった。内容と個人情報の関係からここでそのメールはご披露できないが、この歳になっても嬉しい話であった。

 この校長さんは「人を育てる」センスを持ち合わせている。長いお付き合いをさせてもらっているので、事あるごとに感じていた個人的な印象である。「豚もおだてりゃ・・・」ではないが、この歳になっても元気がでるような「嬉しい話」を送信してくることがそれを証明している。小生を知る後輩諸兄にはご理解いただけないだろうなぁ。(笑)わざとらしい「おだて」には決して乗らない性分だからである。

 「育てなければ育たない」とは、小生の教育哲学の一つである。

著名な書家・あいだみつを氏の書にあるように『育てたように子は育つ』(写真・左)の裏付けであると考えている。人を育てることはとても重要である。しかし、難しい。しかし、教員道を選んだ諸氏には、この本務を携えないでは教師としての威厳も築けなければ、教え子に尊敬されることもない。

青年時代に叔父に言われた言葉を思い出す。と、大学卒業の報告をした時に「おめでとう」代わりに突き付けられた言葉が「一人で大きくなった顔をするな」であった。戦死した父の一番下の叔父であり、育ての親でもある。

 一人では成長しない。今となれば良くわかる。

 誰かに、あるいは何かに触発されて「育つ」とすれば、今朝の受信メールは、こんな歳になっても「育つ」エネルギーが注入されたことに接触した、と言っても過言ではあるまい。

 哀しい話題では人は育たない。この歳になってもこんな嬉しい話が届けられるとは、やっぱり小生は「幸福男」である。(感謝)

早朝歩禅の記録 04:30~05:25【6300歩】
コースでは、いつもより『靄』が迎えてくれた。朝陽が射しこむ前の瞬時の風景である。帰路の民家の生垣には「最後の自らの世界」を生き抜いてている朝顔の群生に季節の移ろいを感じた。

2012/08/23

「家庭訪問」という教育活動

 ~「あっ、◎◎先生だ!」~

 まだ、孫にとっては夏休みは残っている。

 爺婆住む離れの和室は、母屋の玄関へのアプローチは正面である。来客が車を止めて降りて玄関に立つまでの一部始終が見える。夏休みの宿題を仕上げている5年生の孫が、「あっ、弟の担任の先生が来た」と大声をあげた。祖父ちゃんには担任の先生の顔と名前など一致などしない。母屋の二階にいる弟の名前を呼んで、老妻が玄関に回る。暫くすると、その弟が兄を呼びにやって来た。

 孫二人と老妻が離れに戻って来た。茨城県教委からの通知文の写しと学校長からの発信文書が届けに担任の先生は来られたようだ。在籍児童の全家庭を手分けして『家庭訪問』をしておられるとの状況を老妻から聞いた。

 今回の大津事件(いじめ・自殺)以降、やっと大人社会の「重い神輿」が上がり始めたようだ。衝撃だった愛知県西尾市で起きた同様な事件から何年経ったのだろうか?と、ふと考えた。その後も社会情勢は教育行政や学校教育関係者を責めるだけの状況は変わろうとはしなかった。当然ながら当事者意識(教育行政や教員集団)の高揚が立ち遅れているのも哀しい現状であった。そして、今回の哀しい事件が起きてしまって、貴重な「いのち」を消してしまった。

西尾事件とは?  1994年(平成6年)11月27日、愛知県西尾市立東部中学校2年の男子生徒(当時13歳)が、自宅裏の柿の木で首を吊って死んでいるのを母親に発見された。葬儀後、自室の机から「いじめられてお金をとられた」という内容の遺書が見つかった。西尾市教育委員会による調査の結果、同級生11人がいじめに関わっていることが判明し、主犯格の4人が恐喝容疑で書類送検された。4人は、小学6年生の頃から自殺した生徒にたびたび暴行を加え、金を要求していたことを認めた。被害者から脅し取った金額は少なくとも110万円と報道されている。1995年(平成7年)4月、3人が初等少年院に、1人が教護院に送致された。その後生徒たちによりそのようなことが二度と起きないようにと「ハートコンタクト」と呼ばれる生徒による自主組織が作られた。活動としてはクラスの様子を見たりしている。11月の命日に近い日にいじめ集会を行い、意識を高めるようにしている。現在も活動を続けている。

 家庭訪問を終えて、孫たちに手を振りながら帰って行く先生を、離れの部屋から見送りながら、「ご苦労様でした」と心の中で呟いた。同業者の単純な同朋意識からではない。西尾事件から18年も過ぎてしまった今、「子どもの喧嘩なんだから」との高み見物では済まされない程深刻な問題となっている。大人社会の人間関係構造(抑圧社会)がそのまま子供社会に転写されていることに大人は責任感を持って接するべきだ、と考えているので、教員(学校)による夏休みの「家庭訪問」の行為(好意)にエールを送りたくもなったのである。

 月刊誌・中央公論9月号に、『いじめと原発と抑圧社会』という時評論文を読みながら、この思いを深くしている。

早朝歩禅記録 04:30~05:25【6400歩】
朝陽が昇ってくる時間には歩禅コースの帰路になります。行き交う散歩人が口々に「今日も暑くなりそうですね」と言葉を交わし合う。沼の湖面から上る蒸気で靄が発生している。

2012/08/22

鳥取県の人口


 ~オリンピック選手の凱旋パレード~

 考え方は状況や条件に因って違うでしょうが、「50万人が銀座通りに集結した」現状は、読者諸兄はどのように考えられますか?ロンドン・オリンピックで活躍した選手(=メダリスト)の凱旋パレードが東京・銀座で開催されたそうです。当日のテレビ報道は全てのチャンネルがこのニュースでしたね。史上最高の数のメダル獲得は喜ばしい知らせとして皆さんが受け止めていることは十分に頷けます。

 どこか、何かが感情表現にズレを感じているのはこの爺さんだけ?

 金銀銅のメダル獲得を目指して他者には言えない、言ってもわからないほどの選手の皆さんの「血が滲むほどの」努力精進の姿勢を非難する気持ちは毛頭ありません。小生も中高時代を通して現役の選手として(比較にはならない!=失言)自分なりの世界に嵌った経験を通して十分に理解できるんです。職業に就いてからは指導者として選手養成に、形振り構わぬ(制裁や暴言を振って=反省)人生をやり抜いて来た人種の端くれでありますので成果への表現も十分にわかっています。

 このような観点から、大小さまざまに評価の切り口が存在することは皆さんにもお分かりになる事でしょう。くれぐれも誤解の無いようにお願いしたいのは大活躍した選手の皆さんにケチを付ける気持ちなどではないことです。

 感動と勇気を与える活躍は素晴らしい。卓球もバレーボールもサッカーも、午前3時から応援した当事者としては、ご多分に漏れず肩が凝る程まで力んでしまいました。そして、感動で目頭が熱くなりました。

 結果を、どのように報道するか?

 ここが問題のような気がするのです。受け止め方は様々にあるでしょうが、他社には負けないだけの手段で取材して報道することへの疑問が小生の老脳のどこかに「素直に受け入れられない」感情が盛り上がってきているのかも知れません。全ての人に、その人なりの「旬」があるように、選手の皆さんにも「旬」があり結果(メダル獲得)が付いて回ることを考えてあげたくもなるんですよ。このオリンピックが1年後だったら?僅か1年間で『旬が過ぎて薹が立つ』状況下に追い込まれて出場さえ危ぶまれる人生を歩む人がいることを考えてしまうからなのです。

 「銀座凱旋パレード」の画面を、屈辱の思いに苛まれて自らの人生への愛着すら失する選手の数の方が、遥かに多いと言う事も念頭に置いて報道を受け止めるべきではないでしょうか?日本選手として出場した全選手がパレードに参加出来たら?不可能な設定なんでしょうかね!?

 障害のある人たちのオリンピック(=パラリンピック)もあるんですよね。苦境に立ち向かって涙ぐましい努力と周囲の温かい支えで、恵まれない環境下でメダルを獲得する(障害と闘う)選手の皆さんにも、今回同様に銀座をパレードが設定されるのでしょうか?メダル獲得数が史上最高でないて無理??

 鳥取県の総人口にほぼ匹敵する数の応援者が捧げた歓迎の気持ちが、正真正銘の『感動と感謝』を共有できるような『報道』を期待したいんです!!いかがでしょうか?末筆ながら活躍された選手に「感動を有り難う」と申し添えておきます。感想はメールでお願いします。

早朝歩禅記録 04:30~05:20【6300歩】
日の出の時刻より30分ぐらい前の東の空が、昨日と同じ様な模様でした。今朝は蒸し暑く「早朝の清々しさ」とは縁遠い空気でしたが、元気な散歩励行者と会うと元気になります。

2012/08/21

最近よく見る『夢』


 ~熱帯夜の冷や汗(笑)~

 新居に移って1年4か月が過ぎた。2回目の「真夏」との奮闘は激務だ。南北に長い長方形の新居は、朝日と夕日の「二重苦」に悩まされる。緑のカーテンも設計段階と現実とは「日光の角度」のズレが生じてしまって苦笑している。朝日は、何とかなるにしても強烈な夕日がもたらす「熱」は1部屋の和室を十分すぎるほどに熱してくれる(笑)。長男も二人の娘たちも「エアコンは設置だけでもしたら?」と厳しいアドバイスをする。名古屋の知人も「除湿機能」だけでも十分だと進言してくれる。

 頑なまで抵抗しているのではない。確固たる信念があるわけでもない。取り付けられないほどの財源難でも無い。買い物に付き合って大型スーパーやホームセンターに行くことが多い。取り分け食品売り場の冷房には閉口する。全身が凍りつくような痛みさえ感じる。外気の熱さに救われる様な老体であることを考えるとエアコンのクーラー機能を活かすことへの躊躇がある。

 理屈はどうでも良い。

 何とか工夫して「電力と機器機能」のお世話にならずに生活がしたいだけ。雨戸のシャッターを下ろしてしまわずに網戸にして寝ることにしている。それは妻がアメリカに行っている10日間の独身生活(笑)から生まれたアイディアである。熱帯夜でも夜気のパワーは軽視できない。ヒンヤリとした外気を受けながら熟睡した翌朝の目覚めが良かったからである。

 しかし、可笑しな話。

 ここ数日、良く夢を見る。それも同じような悪夢(?)である。そして気が付くと汗びっしょりである。小生の現職時代を知る読者諸兄は爆笑するだろう。現役時代の失敗談がストーリーになって夢が展開するのである。夜9時過ぎには寝るので悪夢に起され目が覚めると、まだ11時半である。深夜にメールを送信する全国の同輩諸兄にとっては、まだ寝てもいない時刻である。汗を拭いて夜気を戴いて、夢の復習をし始めると再度の睡眠時間となる(笑)。

 教員時代の失敗は数多い。どんな機能が働いて再現させるのだろうか。登場人物も当時のままである。冷や汗をかきながら窮地に達すると目を覚ますらしい。しかし、しかし、である。汗びっしょりになるほどイヤな夢とは言え小生は、再び横になると直ぐ眠ってしまうのだから良い性格でしょ??

早朝歩禅記録 04:30~05:20【6200歩】
面白い形をした雲(=妻の命名は「ライオン雲」)に迎えられて出発。朝陽が昇って来るらしく光線と空の力関係がこんなアートな空になりました。二枚目の写真には右上に「明けの明星」が未だ存在していました。クリックすると大きな画面になります。今日も暑くなりそうです。全国の皆さんも残暑に負けずにお過ごしください。

2012/08/20

早朝歩禅の記(10)


 ~対話歩禅は(無意識の)時短~
 04:30~05:25【6300歩】 
 
 昨朝から復活した妻同伴の早朝歩禅では、20日ばかりの空白があり50分間を歩けるかどうかの危惧があり対話も途切れがちだった。特段の支障は無いことはわかっていても、帰国後の「時差」と闘っている老妻の姿を見ると「こ1時間」を歩き通すことを強いるには躊躇もあった。

 昨日の歩調を観察しながらOKの判断をした。

 4時半の出発時刻に合わせての準備時間にも余裕を持たせた。水分を摂りたがらない日常生活にも改変を要求しながら体調管理を注視して来たので、起床後の「コップ1杯の水」も、今朝は美味しく飲めたからである。従って、復活OKの宣言後2日目は満を持しての出発となった。

 ヒンヤリと秋の空気が肌に心地よい朝である。

 対話の最初の言葉は、「やっぱり茅ヶ崎より秋が早いのかもしれない」だった。半そで短パンの服装もそろそろ長袖・長ズボンにするようかな、と考えつつ歩き始める。今朝は多くの散歩人とすれ違う。

 「お帰りなさい、奥さん」と、声を掛けてくれたのは孫同士が友だちであるお祖父ちゃんなのだ。驚いた妻は答えに窮したようだった。20日間の歩禅の様子を話すことにした。「奥さんはどうしたの?」「病気ですか?」「この暑さに負けたのかな?」等々の会話があったことから情報として話をしながら歩いていると、その後も行き交う人たちから沢山の声掛けが続いた。

 いつも二人で歩いていたのが急に一人になって、しかも20日間もその状態が続けば聞きたくもなるモノだろうと解釈も加えた。そして、何人かの人には「アメリカに行ってるんです」から「帰国しましたが体調不良で」の対話が交わされている近況まで説明をした頃には、もうすれ違う散歩人はなかった。

 有難いことである。「散歩をする」という行動だけの繋がりでも、温もりのある声掛けが成立するではないか。消極的で、どちらかと言うと人との接触を避けたがる老妻も、当地の人たちの温かい心意気が通じたようだ。

 対照的な夫は、見ず知らずの他人でも平気で話しかける性格である。同行する妻によく聞かれることがある。「今の人、知ってる人?」と。解答はシンプルである。「いや、知らない人だよ」と。(笑)

 そんな早朝の貴重な時間を共有する歩禅は、足腰が耐えられる限り続行しようと話しながら帰宅した。太陽が東の空に顔を出す時間も遅くなっている。時計を見たら5時5分だった。どんどん遅くなると本格的な季節の移行である。

2012/08/19

習字と作文


 ~「孫の宿題」にアシスト~

 作文も習字も教科的評価は高くは無いが、長期休業中の宿題としては課しやすい。元・中学校教員とは言え、この課題とは全く無縁であった。この領域は『国語科』に属するモノであって当方が担当した教科には一見関係ないように思えるが大きな影響力のある指導内容である。

 双方とも「日本語を書く」という点から考えれば、当方が携わった『外国語(=英語)』の指導とも密接に連動する。「英作文」と表現されると中学校以上の学校教育を受けた日本人には苦手極まりない領域であったのでは?

 母屋の共働きの両親は、土日しか在宅しない。6週間ばかりの夏季休業も折り返し地点の様だ。母屋の雰囲気もお盆休暇が終わると一変する。子どもの「夏休みの宿題の点検」が始まる。ピーンと張りつめた「母屋」の雰囲気が伝わってきて、ホッとするのは「離れ」の爺婆である。

 保護者(長男夫婦)の方針で、「学習への積極的な干渉」はしないようになっている。祖父ちゃんとしてはこの方針は大助かりである。孫たちからの積極的なアプローチが無い限りこちらから手出しをしないで良いからである。母屋に発生したミニ低気圧はやがて台風似の威力になって離れに飛び火して来る。習字と作文を「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん」の手助けで近日中に仕上げるようにと指示が降りたようだ。二人の小学生たちが雁首を並べて「お願いします」と言いにやって来た。「いいよ」と祖父母の快諾(笑)を得て母屋に戻って行った。

 教育課程での「習字」の時間数と、社会に出てからのその効用のアンバランスが日本の学校教育では、今でも是正されない。『書道』という精神修養も期待されるほど貴重な寺子屋式「学び」を学校教育外の「書道教室(塾)」に月謝を払って通わせている。学校の宿題に対応するための塾通いであるとすれば経済的な保障が無い家庭では全く放置されてしまう。

 退職してからの要請業務で「教員採用試験」の受験要項にある「小論文」作成に関する講座に出講している。つまり「論・作文」の書き方を指導するのである。もう、3期を終えた。受講生には添削指導もする。小学生程度の作文しか書けない「先生の卵たち」が毎年数名は確実に存在する。二十歳を過ぎた列記としたオトナに作文指導をするのは厳しい。作文力の基本は読書である。さらにその基礎は小学生時代の国語の授業である。字も読めない幼児が兄や姉の教科書をすらすら読めた風景を思い出したい。教科書の音読指導を(暗記するほど)徹底して欲しい。教科書ほど精選された多種多様な文章が掲載されている教材は無いことを小学校の教師は再確認して欲しい。そして、日記を綴らせる習慣を学校教育でも再考すべきだと考えている。来週は孫のアシストに汗をかきましょうか(笑)。

早朝歩禅 04:30~05:25【6500歩】
約20日ぶりに妻の同伴。親しくなった散歩人たちからも「久しぶりですね」の声を掛けられる。すっかり地域人の仲間入りです。今日は良い天気になりそうな予感。我が家の緑のカーテンも沢山の朝顔が花を付けていました。隣接する栗林は昨日、草が刈り取られて朝陽を十分に受け入れています。

2012/08/18

早朝歩禅の記(9)


                                     ~地域に馴染める喜びを実感~

  当地に引っ越して1年4か月。日毎に『散歩人仲間』が増える。

 (アメリカ10日間の旅からの)帰国後の『時差ぼけ』とやらで、未だ本調子にならない妻を同伴しないで今朝も出発した。

 早朝歩禅のコースを限定してから、いつもすれ違う散歩人がいる。

 毎朝顔を合わせるので交わす言葉も少しずつ増えてくる。「お早うございます」だけではすれ違えなくなっているのも昔人らしい。相手の年齢を知る由もないが、上下の年齢差は大きくないことぐらいは先方もご承知だろう。「今日も暑くなりそうだね」から、「昨日、どこへ行ったの」と聞かれて、「えっ?」と聞き直すと、「奥さんと車で出かけただろう」と更に聞き返され、「どこで見たんですか?」と会話が弾んでお住まいが判明したりして苦笑する。昨日までの全くの他人関係がちょっぴり近くなったと感じたりする。地域人として認知されたようで嬉しくなる瞬間でもある。

 兄妹の散歩人もあり、今朝はそのお兄さんに声をかけられた。

話をすると孫たちが同じ小学校に通っていることと先方のお孫さんは我が家の目の前に住んでいて、時々我が家に遊びに来ていると言われ驚いた。そして、問うまでもなくご自分が脳梗塞で、妹さんが透析治療中で二人とも主治医に「1日1時間」を目途に「歩きなさい」との指導を受けていることも話してもらった。別れて数分後を歩いている妹さんと笑顔で挨拶を交わした。固い信念で歩いている人たちが多いようだ。

4時半に玄関を開けると、2週間前とは大きな違い。もう、真っ暗である。しかし、夏の夜気の温さが心地よい。歩き始めても街灯が必要な暗さであるが、15分も歩くと東の空が明るい兆候になる。今日は天気が悪そうだ。沼の湖面に映る風景もいつもより暗い今朝は、はっきりしない。朝日が昇る前に、東の空には早朝から入道雲が見えた。天気予報は「雨」のようだ。

帰路コースの田んぼには、もうすっかり稲の実りが目に飛び込んできた。こんな猛暑日が続いても、確かに収穫の「秋」に向かって自然界は回っているようだ。                                           今日の記録 04:30~05:20【5900歩】

2012/08/17

責任感と義務感の協奏


~丸投げの『宿題』に思う~

 「お祖父ちゃん、自由研究の事で聞きたいんだけど・・・・」と、5年生の孫が電話口で話し始めた。一通り聞いてしまった後で、応えた。

 教員時代でも考えていた。「自由に」「研究する」ことが、生徒にとってどれほどの難題であるかを課している教員サイドには理解できているのだろうか、と。「何でも良いから」との励ましの言葉が頭脳を混乱に陥れるのだと感じていた。社会科や理科を担当する教員集団も提出された研究品を評価するのも違った難題では無かっただろうか、とも。

 孫の小学校では、「自由研究」の他に選択領域があるようなので、追加説明を要求した。「自由作文(=学校からの指定テーマが3本ある)」と「読書感想文(=課題図書以外でも読んだ本なら何でも良い)」があるとのことが判明して、祖父ちゃんとしてもホッとした。

 作文の3つのテーマは、秋のコンクールに連動しているようだったので、孫にはこの領域が相応しいと判断して、アドバイスをすることが出来た。電話の向こうでは「自由研究」に拘りがあったようだった。パソコンで調べてプリントアウトすることが研究だと思い込んでしまうほど家庭にもパソコンが普及しているのだとしみじみ「時代遅れ」を感じてしまった。

 学校教育の傲慢さは、時代が変わっても変わっていない。宿題の意味と意義が追究されていない教員は、「何でもいいからやって来い」流儀で夏季休業中の「課題を」押し付ける。保護者まで振り回されるような課題では本来の「宿題(=学習者のための課題)」の意義がどこかへ行ってしまう。

 孫の通っている小学校には、課題に対する説明の「教師の義務感」を受け止めることが出来て安堵した。つまり、選択できる余地を説明する義務感が顕在していた。学習者も選択した課題を果たそうとする責任感が湧いてくるであろう、と確信できたのである。

 研究する醍醐味を理解させるための指導は難しい。だから研究者が育っていない。研究する行為が「変人扱い」される文化は、幼い日々の「学び方を学ぶ」体制作りが成熟していないからである。自由研究と言う課題を与えただけでは研究することへの嫌悪感は育つだろうが、旺盛な研究心は育たないということではないだろうか。元教員の自省の弁であるとご理解いただきたい。

早朝歩禅 04::30~05:20【6000歩】
お盆も明けて散歩人の復活。
すれ違いざまの会話は「今日も暑くなりそうですね」であった。
帰路に上がってきた「お天道様」の写真です。
ホントに今日も暑くなりそうです(笑)。

2012/08/16

終戦記念日(あれから67年)


 ~68歳になります~

 『遺児』という言葉にも違和感はありませんでした。

 小学校6年生の時、九州から「靖国神社参拝遺児団」として東京まで来ました。何の意味も解らないままに「自らの人生」の歴史の1ページに刻まれています。戦死した父の思い出等はありません。しかし、「東京まで行ける」という機会は、友人の羨望の矛先にありました(笑)。

 昭和19年(1944)生まれの「母子家庭」育ちの男児には、進学にも就職にも大きなバリアーがあったことは事実です。

 8月15日。この日を意識し始めたのは高校生だったでしょうか?我武者羅に各種のバリアーを強引に超えて次兄の住む神奈川県に飛び込んだのが高校卒業の18歳の春でした。大学生活を終えて教員になって、初めて帰省しました。独身の息子のお盆の帰省のお土産は親孝行の真似事でした。母親を泣かせてみたかったのです。持参したのは初めて戴いた「賞与(=ボーナス)」の袋でした。当時は袋に現金が入っていました。苦労した母への「恩返しの真似事」として、封を切らずに持って帰ったのです。喜ぶ母の顔を見たい、只一心でした。23歳の夏の出来事でした。以降の展開は既にご存知の方も多いのでここでは省略しましょう。

 終戦直前に誕生した「赤ん坊」も68歳になります。武道館の全国戦没者慰霊祭をテレビで観る度に「記憶のない」思い出を弄ることの辛さを感じるのです。終戦記念日に向かって、韓国や中国の動きも真意がわからない世代です。積み残し問題として次世代に慰留されたのだろうか。

 「お祖父ちゃん」と呼ばれる身になって、歴史の「ホンモノ」を知らずに生きて来た日本人としてとても心細いと感じるばかりです。江戸時代までの歴史に関しての学習から「日本史」「世界史」と深まるべき歴史学習が、『戦争』という事件の障害物で授業も殆ど記憶に残らないつまらない授業になったことを記憶しているだけなのです。教科書論争を期待しているのではありません。ホンモノの歴史的事実を後世には伝える義務感が欲しいモノです。個の「語り部」で戦争を語ることで済むモノでもないでしょう。

 同輩諸兄の感想をお伺いしたい終戦記念日の翌日の早朝です。

早朝歩禅記 04:30~05:20【5900歩】
湖面を飛び交う鴨の姿が見えますか?クリックされると大きく見えます。夜明けの時刻が随分遅くなっています。家を出るときはまだ真っ暗でした。秋の虫の鳴き声が・・・・いつの間にか!

2012/08/15

後退する学校教育


 ~校外行事の事故報道が過熱して??~

 学校教育の一環として実施される校外行司が「事件化」される度に、怯んでしまう学校教育に心が痛む。今回の大阪の中学校の「学校行事(=山岳での部活動)」でマスコミが当日夜から騒ぎ始めた。幸運にも一つの命も落とすことなく全員が無事に発見され安堵した。関係当事者の神経摩耗も分かりすぎる程わかるので、次回への実施を逡巡する気持ちも十分に理解でき。

 この種の事故が(学校現場で)起きる度に、関係者には目に見えない軋轢が加わってしまう。それは肝腎な「命令権者」の怯え腰から来るのである。責任追及への矛先を逸らすためだけの措置が降りてくる。中高生の時期に「心身を鍛える」ことは必須である。現代社会の「地域」にはその能力は期待できない。学校教育しかその対応は出来ない現状であることは誰もが承知している筈である。しかし、今回のような校外学習での事故が起きると、「二度とこんな騒ぎを起こされては・・・・・」と、行政からも自粛を促す指導が入るだろう。そんな事件や事故が起きるたびに指導が加わり、自粛指導が「中止を決定してしまう」文化にここまで変容して来たのである。

 中高時代に「危険と隣り合わせ」の生活を通して危険を察知する能力を養うかどうかで、将来は大きく変わるのである。皮肉にも自然災害が猛威を振っている時代になっている。何も知らずに父親や母親になったら、「真の危険」を我が子に語り継げる能力など存在しない。親から基本的なことを教わっていない子どもたちが学校に入学してくる。同様の時代で生きてきた教員も中高時代の体験が無ければ誰が指導(経験)できるのか?

 学校が準備したバスに乗り込んだ今回の中学生の一人がインタビューに対して「自然の厳しさと怖さがわかりました」と応えていた。この生徒は父親になってわが子にもこの事実を伝えることが出来る。この連鎖が「教育である」と断言したい。一つ間違えは「いのち」を落とすことになる修羅場を通り抜けたこの経験は、次世代にも好影響を与えられることを考えると希少価値である。

 来年度から中・高等学校の夏季休業中の行事から「山岳訓練(=仮称)」なる課程が消えるのだろうなぁ。遠足や登山等々、年年歳歳学校行事から消えているようだ。車社会の弊害が、将来の青年たちの逞しさを軽減してくれている(笑)のであれば、せめて、『歩く』『走る』『登る』だけでも鍛錬する教育課程を創ってくれないと次世代の発展は覚束ない。

 家庭教育の所為に等出来ない時代の到来だ。
 最早、家庭には教育力が期待できない程崩壊状態である。我が子の躾けも、ろくに出来ない親が自己主張だけのために「校長室に怒鳴り込む」現状だそうだ。その相手に四苦八苦する管理職の気力が萎えてしまっているとは本末転倒ではないか。真面目に「学校教育の謀反」が必要ではないか、と考えてしまうのは無責任すぎるのかな~?。積極的な生徒指導は保護者指導であると考えれば考えるほど、教員には生き辛い世の中になってしまったモノである。

2012/08/14

『お盆』と我が人生


              ~小さな年輪に刻む提灯の灯り~

 お盆がやって来ると何を思い出しますか、皆さんは?

 それぞれの人生に「お盆」の記憶を辿ると年輪の中に大小様々な思い出というチップスが埋め込まれていそうな気がしています。

 小生の少年時代の「お盆」の思い出は、村の盆踊りに口説き(唄)を櫓に乗って歌わされていた(笑)ことですかね。小学4年生頃までだったような記憶です。祖母も母も盆踊りの歌を舞台で歌っていたのですから世襲だったのでしょうかね。子ども唄声は村の盆踊りには欠かせないモノだったらしく重宝されました(笑)。

 中学生になると少年時代には無かった感情に揺れましたね。何故でしょうか?高校生時代は「盆踊り」の灯りの下に、中学校を卒業して大阪や名古屋に就職して行ったばかりの同級生が「里帰り」して来るのです。ホンの数か月過ごしたばかりなのに流暢な(?)大阪弁を聞きながら小さなオトナの世界を覗いた感じでした。

 故郷を離れての大学生生活。文化の違いで盆踊りに臨む気分も無く過ごしました。社会人になって、家庭を持って、第一子を抱っこして里帰りしました。「我が子を抱っこして」故郷の盆踊りに臨みました。嬉しそうに孫を抱っこした我が親の顔が裸電球の明かりと一緒に浮かんできます。

 時は流れて、昨年から生活拠点を茨城県土浦市に移しました。

 地元の盆踊りは、「孫に引かれて」の参加です。踊りの輪に浮かぶ孫たちの浴衣姿に「我が子育て」時代には無い郷愁が漂います。

 年年歳歳。年少の孫も5歳になりました。年長さんは小学5年生になっています。嫁いだ娘たちが孫を連れてのお盆の里帰りです。お盆模様も様帰りです。お墓参りを済ませて一堂に会すると豪勢な顔ぶれになりました。亡き義父母も喜んでいることでしょう。

早朝歩禅 04:35~05:25【6000歩】
お盆でしょうかね?散歩人の数が少なかったのは。常連の散歩人とも会えずに帰宅。
帰り際に南西の空にこんな虹を発見しました。

2012/08/13

「◎年ぶり」と言う日本語


 ~オリンピック放送で拾った表現~
彼に会うのは5年ぶりだった
  It had been five years since I saw him last.
これは7年ぶりの豊作だ。
  This is the biggest harvest we have had in seven years.

 競技種目名と「4の倍数」年数を大きな声で実況担当アナウンサーが叫ぶ。昭和39年開催の東京オリンピックの記録(結果)から、だとすれば48年間が過ぎている。「48年ぶりの快挙」となる訳だ。競技種目によってはオリンピックが最大の競技会となればそうなることは理屈として理解できる。

 今、閉会式の放送を聞きながらブログを認(したた)めている。

 この華やかなスポーツの祭典が4年後の大会まで開催されない。スポーツ選手ほど幸運と不運の落差が激しいモノは無い。記録勝負の世界では来年なら世界記録に挑戦する勢いがあっても4年後には??これが人生なのか?

 ともあれ時差をものともせず(笑)、ロンドンからの情報に一喜一憂して、嬉しくも哀しくも涙する国民感情が、日常生活の立て直しにも役立つことを期待したい。大勢の日本人が競技会場に「日の丸」(国旗)持参で応援に出かけている様子が画面からも良くわかった。要らぬ世話だろうが、「どこからこの旅費を工面してるんだろうなぁ」と思わず呟いてしまうのは小生の貧乏性なのだろう。

 東京オリンピックから急成長して、我が国は世界経済のトップの座に君臨したそうだ。その陰りに追い打ちを掛けるかのように東日本大震災に見舞われた。経済優先の国家戦略体制には大きな落とし穴が出来ていたようだ。綺麗なキャッチフレーズを掲げて震災後の復興に向かっている筈であるが、国会の体たらくを見るにつけ、国民の危機意識など全く受け止めていないと腹立たしく思うのはこの爺だけ?

 4年ぶりのオリンピックという祭典の功罪は認知しつつ、国内の生活や経済危機の立て直しに真剣に取り組まないと、島根県沖や沖縄県沖に「佇む孤島」にまで外国の政治力が忍び寄っている。この小さな不穏な状態が大事件の引き金にならなければ良いが、と心配をするのも貧乏性だろうか。

 被災地の人たちの苦悩が、該当しない地域にはいつとはなしに「無関係」を装う風潮になってしまうのは日本国民感情の歴史になっては不味い。1945年8月6日、9日そして15日。あれから何年経った?忘れさせないぞ、その警鐘が2011年3月11日に大きく打ち鳴らされたのだ。まだ1年少々しか経っていないのに「無関係」は無いだろう。せめて、自分の出来る範囲での意識ある「関係作り」の灯りは消したくない。   
 ◎年ぶりに再会する被災者と、正面から対応できるためにも・・・。

2012/08/12

今年の夏の「こんな本」


                         ~肩の凝らない本も良いモンです~

 職業柄から専門書(=教育に関する)を多く手にする。そして、肩が凝る程(笑)力んで読破するのが常であった。少しは冊数に減少の症状が出ているようだ。請求書の額が目減りがその証でもある。

 一昨日、帰国する妻を迎えるために千葉まで行った。成田空港には婿が迎えに行ってくれると言うので、小生は佐倉市に住んでいる長女一家の住む家で待機することになった。誰もいない家に入り込むのは気が進まない。近くにあるモール街の駐車場に車を止めて、空港からの第一報を待つことにした。新装開業したホームセンターもあり、時間を潰すには十分な施設である。

 目に入ったのは本屋さんであった。

 初めて入る本屋さんは、なぜか胸がときめく。本屋さんによっては置いてある本に若干の違いがあるので「珍品」との遭遇が期待できるからである。結論的にはじっくり探索する前に、新聞広告で中身を開いて読みたいと思っていた月刊誌が目に留まったので買ってしまった。直ぐに読みたくなったので駐車場に戻って読み始めた。時の経つのを忘れて読みふけっている所に、「あと10分ぐらいで家に到着する」との一報を受け、長女宅に向かった。

 政治家は「塾」で育つのか?

 茅ヶ崎市に設立された松下政経塾では、政治家の卵たちの指導も請け負った経験から、この特集記事には興味があった。最後に勤務した小学校の学区に松下政経塾があったことと、初代塾頭と懇意になれた関係から塾生の指導にも熱が入った。懐かしい思い出でもあるが、塾生の将来の事も気にならないこともない。小生は「教育分野」しか指導が出来ないが、著名(になった)塾生は、誰一人として「教育問題」を主題にしての学びを深めていなかったことが最も気になる点でもある。街頭演説では「教育問題」が選挙民の注意を引くために取り上げてはいても、当選の暁には「国家百年の計」には手を付けてはもらえないのが塾生のみならず現代政治家の傾向の様である。

 戦後70年ばかりの教育が、『現状に達している』ことを、せめて政治家(=職業)になる人材には十分に認識して、専門領域での活躍を期待したいモノである。ふと、こんな単行本(『涙があふれる昭和のことば・50選』~小生も数か所で涙を拭いた~)を、政治家の皆さんに読んでもらいたいと考えてしまった(苦笑)。

2012/08/11

「日本人文化(魂)」を再認識


 ~アメリカで金婚式を終えている従姉たち~

 10日間のバカンス(笑)から帰国した妻を迎えた。

 開口一番、「姉(従姉)からのお土産が・・・」と呟きながら大きな旅行バッグをひっくり返した。小さなビニール袋に入っていたモノを探し出して、「税関をパス」と笑顔で開いてくれた。中身は??

 読者の皆さんには絶対に想像が付かないだろう。

 小生にも、「これ、何?」と発するほどの品であった。熊本産の高菜(野菜)の漬物である。口にして香りも正に九州の香りである。「アメリカでも売ってるんだ!?」と呟く小生に向かって、従姉の手作りだと説明が追ってきた。

 ロスアンジェルスとサンジェゴに住んでいる二人の(妻の)従姉さん達。

 結婚のために渡米して長姉の方は55年にもなるそうだ。次姉は昨年50年になったらしい。金婚式という日本文化を大事にして生活している様子が「お土産話」の主流だった。共に日系二世の夫との生活であるので日本語に不自由はないらしい。小生は30年前に、海外研修(当時の文部省主催)で渡米した折りに、オプションの時間を利用して二人の家は訪問した。

 一人の家は野菜や果樹が(日本産の種で栽培した)広い庭を狭しとばかりに育っていた。もう一人の家は日本庭園に凝って新潟県小千谷市特産の錦鯉が見事に泳いでいた。庭の中央に築山があり「富士山」を忘れないようにしているとの説明もしてもらった。 「味噌」も「粉」も全て手作りで調理をしているとの妻の話に耳を傾けながら感じ入った。

 祖国や母国という死語に再会した気分だと妻の話が続く。

 金婚式のお祝いに京都の知人のお口添えで安価で「京人形」を購入出来て従姉に送った。現代日本の家屋から消え始めた『床の間』にそれが飾ってあったそうだ。消えゆく「日本文化(魂)」の将来を案じながら、母国への思いが遊離してしまいそうで怖くなったようだ。

 オリンピックで演奏される国歌に対する姿勢も、国際大会に出場する選手としての「母国」愛が(恥じらいでもあるかのように)表現しているのが、時として寂しくなる。小生の年齢の所為だろうか。

 観光地も多く案内をして貰ったようであるが、妻の口から出るのは「ロスで」「サンジェゴで」、従姉たちが継承している日本文化に感激した言葉ばかりだった。

2012/08/10

早朝歩禅記(8)


                                           ~脳裏を掠める「被害届」~

 前半戦で1点を失った女子サッカーの決勝戦を耳に押えて4時35分に早朝歩禅に出発した。昨朝は出講のために歩禅は避けたが、一昨日の朝は途中でUターンするほど気温が低かったので外気を予測して長袖長ズボン姿で外に出た。曇天なのか思った以上に暗い。目的地の鶴沼までの林の茂みからは秋の虫たちの合唱が大きく飛び込んできた。いつの間にか、やっぱり秋は確かに近づいている。

 沼の散歩周回コースに人影も少ない。やっぱりロンドンオリンピックの観戦なんだろう、と勝手な予想を巡らせながら歩く。湖面に映る街灯の灯りが周囲の暗さを証明している。蓮田には満開の「蓮の花」が見える。遠くに見える筑波山の姿も霞んで見える。一周を終えて沼を離れる瞬間に東の空が赤くなった。湖面にその光が映っている。早朝歩禅の季節も残り少なくなってきたようだ。続けるとすれば5時出発位に時間差が必要だと感じながら、行った道を帰って来る。

 歩禅の脳回路には、昨日の出来事も出没するが「気になる」事象がその往来を激しくする。そして、前を見据えながら足元に気を配りつつ思考回路に登場する案件を考えながら歩くのである。

 「堰を切って流れ出した水」の如く、「いじめの被害者」から警察に提出される『被害届』のことが、今、最も気になる事象である。この問題現象は根が深い。後日、改めて触れることを約束しておこう。

 帰宅してラジオを付けると、女子サッカーの決勝戦はロスタイムになっていた。アナウンサーの悲壮な叫びぶりからも敗戦濃厚を感じ取った。勝負には文字通り「勝者」と「敗者」が創出される。受け止め方は当事者の感性に委ねるべきである。多くを感情的に語る場合ではない。要らぬ同情や華美なる称賛は、時として「伸びる芽」を摘んでしまわないとも限らない。なぜならば、本当の「実態や実情」がマスコミを通じて届けられる主観的なモノだからである。ともあれ、ホンモノの勝者は「勝って驕らず、負けて恥じず、自らを戒めて次のステージで自分を活かすことができる」者であると信じて止まないからである。

2012/08/09

愛読する月刊誌(2)


       ~校長時代の愛読(?)から始まって~
 『MOKU』(黙)という月刊誌は一般的にはメジャーではなさそうだ。校長時代に電話での勧誘があり、「全国の多くの校長先生方が購読なさっていますよ」とのセールス台詞に負けて(笑)年間購読をしたのがそもそものキッカケである。数か月の配本にも「読む気になれぬ」雑誌の部類になってしまった。1年間の支払いは済んでいるので仕方が無いか、との開き直りで「積んどく」状態で包装されたままの状態で書斎のゴミと化してしまっていた。

 期限近くになると追加購読の勧誘が続いた。中身の関心度を訊かれ、現職(=校長)のプライドを擽って来た。「今後の当誌編集の参考までに一番興味があった記事を2点ほど教えて欲しい」と迫られた。配本を開くことが一度も無かったとは立場上(見栄?)格好がつかないと追い込まれ、数日後の返事を約束して慌ててページをめくった。この雑誌には「教育関係の記事」は全く無いと言っても過言ではない程に掲載されていない。「学校」という二文字が見当たらない雑誌であった。

 断る理由の決め手は決まった。所属する業界では活用できる雑誌では無い事を電話で述べると、・・・・・。「具体的にどんな内容の記事があったら良いでしょうか」、と突っ込んでこられて答えに窮してしまった。

 結局次の年間購読も強いられる始末であった。

 不思議なモノで業界用語以外の月刊誌には「見たことも無い」人物が「これでもか!」と連続して掲載される。周知の会社の社長さんの写真を見ながら記事を垣間見る。そこには松下幸之助なる人物の「人となり(=生き方」がイヤと言うほどまでに記述されていた。決して偉人伝ではない。インタビューの回答者は大学の教授ではないか。読み込みながら没頭していく自分に気が付いた。
 今回の書斎の引っ越し(=転居)で、本棚の整理のためにも「処分して」しまうつもりでいた。ところが、2000年5月号の当月刊誌(写真2枚)を棚で見つけると決断が緩んだ。それは、当月刊誌に記事登載のために小生が取材を受けることになってしまった。「我が人生の転換期」となる大事件の物証が本棚に在るではないか。

 あの当時のセールスウーマンは「嘘をついた」のではなかった。取材を受けた内容を記事にされて「月刊誌」として全国に発売されると凡庸な小生の人生が一変してしまった。全国からの問い合わせも電話や手紙で届いた。その反響の高さでこの月刊誌には以後、教育に関する記事が定期的に掲載され始めたのである。

 主宰する教育実践『響の会』の広島(支部)の発足の引き金は、この月刊誌を読まれた広島市立井口明神小学校の当時の校長先生からの熱心な訪問要請だった。あれから十年余、広島県には百回を超えるほどの訪問が続いている。

 2年間の連載記事も書かせていただいた。教師が教育関係雑誌だけでなく異種業界との接触が必要だとの『学び』を得た月刊誌でもある。そして、この月刊誌MOKUはいつの間にか『献本』として配送して頂いている愛読月刊誌である。

 今日は7時には自家用車で県内(古河市)の会場に出講する予定である。従って貴重な「早朝歩禅」はお休みである。ラジオからは「君が代」が流れている。女子レスリングの選手(=小原日登美)が金メダルを獲得したようだ。興奮して放送するアナウンサーの声が早朝の時間であることを忘れさせている。

2012/08/08

『旅』の荷物・あれこれ①


 ~「2泊以上の旅」の必需品~

 多い月では3~4回は2泊以上の旅になる。

 退職して自由に時間が取れるようになった所為だろうか。主催者サイドでも遠距離からの招請になるので往復に要する時間も加味すれば3~4日の滞在での企画になるのも頷ける。退職直後には、「旅をする」愉しさを求める我儘で5泊6日というケースも受諾した。更に4泊の企画が一旦帰宅して翌日から続くという、今考えればかなり無謀な『旅』もあった。生身の(老)体は正直だった。身体に異常な反応が現れて1週間以上も伏せてしまうこともあった。夫の業務に横槍を入れるタイプではない妻が、初めて苦言を呈した程であった。

 退職して自由な時間が取れる。

 表現には額面上の偽りは無いが、「退職して」を付け加えれば「60歳を過ぎて」となる。これは確かな事実であり、体力や筋力にも陰りが目立つ年齢になるのだ。なぜか意欲と気力は萎えてないのが元凶を引き起こしたようだ。そこに「自由時間とは名ばかりの」「観光旅行とは無縁の」過酷な業務が時間刻みで待ち伏せているのだ。そして、この旅人の性分(性格)が体調不良を招いたのであろう。

 上限で3泊の企画なら受ける。但し、隔週とする。

 勝手に自分で決めて対応するようになってから「年齢相応」の『旅』になってしまった(笑)ようだ。そこで、「旅の必需品」が誕生する。三種の神器は以下である。①携帯ラジオ(=ウォークマンタイプではない)②足載せ椅子(=折り畳み式)③携帯健康機器(=鍼診療師の発明機器)。

 精神の健康のために必要なラジオである。自宅でもラジオは欠かせない。新幹線車中では手持ちのラジオでFMが堪能できる。ホテルの部屋でもテレビを視ることは殆ど無い。最近のホテルには備え付けのラジオも無いので携帯するのだ。

 東京~広島間は新幹線の乗車時間は4時間ちょっと。次女が買ってくれた折り畳み式の椅子は足元に置いて(短)足を載せて疲れを取る。バッグの横に入るコンパクトなモノなので重宝している。時々、購入先を乗客に聞かれる逸品である。

 この歳になると健康維持に関する常備薬があるらしいが、当方には薬の携帯は無い。縦8センチ・横6センチの長方形で「健康水」が作れる代物である。また、就寝時には枕の下に置いて使用すると熟睡できる。(第三者には)理解できない貴重品である(妻も同じものを愛用)。

 詳しくは折りに触れてご紹介することにしよう。「異常な元気」老人を支えている三種の神器をお伴にして、もう少しは全国行脚の『旅』は続けることにしましょうかね。皆さんがご迷惑でなければ・・・のお話ですが。
早朝歩禅 04:30~05:10【4000歩】
半袖短パンには寒すぎたので途中でUターンしました。部屋に戻って室温が25度と知って余計に寒さを感じる程の朝です。稲穂がすっかり大きくなっていました。ロンドンからのニュースに日本列島は熱くなっているのでしょうに、この爺は寒いなんて、ね。熱いお茶に梅干を入れて飲んでからラジオ体操の態勢に入りましょうかね。

2012/08/07

電車の『乗り越し』事件


 ~下車駅を電車が動き出した瞬間気づく??~

 もう、何年前だったか?記憶にも薄いが思い出してみたくなった。

 現役バリバリの若い頃、横浜で大学時代の友人と呑んで湘南電車で帰路に着いた。気が付いたら熱海駅だった。熱海駅は下車駅から1時間も要する距離にあるのだが熟睡(笑)のために気づかなかったようだ。終点だ、と車掌さんに起されて(=起こしていただいて)、折り返しになる電車で再度の帰路に着いた。平塚駅で目が覚めてホッとしてまた眠ったらしく、今度は藤沢駅まで「乗り越して」来てしまった。反対側に到着した電車に飛び乗ってやっと「目的地」の駅で下車した。すっかり酔いが覚めたらしく、美酒の酔いが自己嫌悪の「悪酔い」に変わっていた。更に相模線に乗り換えて無事(笑)に、何事も無かったような顔で自宅へのご帰還を果たした。暫くはこの話題には触れることも出来なかった。行政勤務の折り、宴会の盛り上がりの中で後輩諸氏から後日談としての失敗談が面白おかしく披露され、閉じ込めていた醜態を公言した。受けに受けた!≪苦笑≫

 そして昨日のこと。

 何十年ぶりの「乗り越し事件」を起こしてしまった。経験者にはご理解できるだろうが、不思議と「下車駅」を電車が発車した瞬間に目が覚めるのだ。飛んでいく景色を車窓から見詰めながら慌てるのである。昨日は「若かりし日」の再現だった。乗り越した隣駅に降り立った。何とも言えない自己嫌悪と恥じらいが同居してホームのベンチに座り込んでしまった。都会の駅と違い、ホームには小生の他に1人しか居ない。痛いほどの猛暑の陽射しが心にも痛い。運よく(笑)、10分間も待たない時間で上りの上野駅行きが入線した。飛び乗る必要もないのに慌てて乗り込む老体が、我ながら可笑しい。記憶が薄くなってしまった光景とは雲泥の差があった。それは、小生を知る人はこの駅には誰もいないことだった(笑)。

 帰宅した家には誰もいない。孫たちは近くの友人宅に行っていたようだ。程なく帰宅して「お祖父ちゃんお帰りなさい」と近寄って来て、悪夢(?)は現実の幸福社会に引き戻された。夕食の時間にその話題を展開する祖父ちゃんの姿がその証である。嫁が大笑いしながら「お義父さんでも、そんな事があるんですか?」と言葉を発した。何年も封印した同一事件の経験を、高齢者ともなると即時公開するところが人生感度の鈍さも証明しているのだろうか(笑)。

 やっぱり疲れておられたんですよ、お爺さん!

 そんな温かい「天の声」が聞こえてきた気がして9時前には寝てしまった。2時半ごろに「ラジオの喧騒」で目が覚めた。ロンドンオリンピックで女子サッカーが勝利をしたようだ。「歴史は変わりました!」との絶叫を聞きながら天井を眺めて、「そうだね、確かに我が人生の歴史も変わりましたね」と失笑して飛び起きた。
                   早朝歩禅 04:30~05:25【6080歩】
朝陽が出る前の蓮田。たくさんの蓮の花が咲き始めている。お気に入りスポットから筑波山が見えると上機嫌になる。帰宅した我が家の庭先の光景が日の出の時刻が遅くなった証明書。

2012/08/06

8月4日 第17回夏季特別セミナー(茅ヶ崎市)


                          ~実践・実績・実体験の強み~


 最近は主宰する教育実践『響の会』の講師として登壇する講師陣が「わが子より若い」世代になっていることに気が付いている。今回も驚くほどに若い講師の話を聞く機会を得た。

 講師としての話術はどうでも良い。

 しみじみと感じるのが、試行錯誤のドロドロした実践に伴う実績と、実体験からにじみ出る「生きている匂い・泥臭さ」の強さが、聞く人の心を如何に容易に心を動かせるか、である。経験値から出る「生きて来た証し」はそれなりに次世代に何かを訴えるモノであるが、経験が経験値として意識しないような「あがきともがき」が見え隠れする談話内容に、老脳はすっかり傾いてしまる。

 発達障害。最近多く耳にする症状名称である。講師の実体験が耳に大量に飛び込んでくる。そして驚きに変わり、気づくことの無かった反省にも発展した。彼の著書の中に「自然治癒」の大切さの下りがある。障害と言う病名が付くと処方箋を基に薬が調合されるらしい。薬や注射に頼ることなく「自然治癒」する心意気が大事だと若い青年講師が講釈した。それは小生からの質問に対しての回答の部分であった。

 浜之郷小学校の15年間絶えることなく続けられている授業研究協議会の秘話も初代の校長や歴代の校長と懇意にしている関係からも立派な実績を積んでいることに大きな喜びを感じた。

 今宿小学校の「英語活動の実践」報告はハナマルである。全国の小学校でも十分に参考になる実践活動である。「小学校で英語嫌い」を作らないで!と中学校が言うらしい。何を言うか!!そこで受けて立つのが英語教師と言うプロフェッショナルではないか。小学校の現場では素人に近い教員が死にもの狂いで対応しているのを温かい目で見つめながら大きな懐で受け入れて「中学校の英語」を充実させてくれないと教育の「小中連携」は断絶である。立派な活動にエールを送った。

 帰宅したら当日の感想メールが届いているのでご紹介しよう。教員ではない聴講者からの感想である。ご参考になるのではないかと思われるものである。

角田 明先生

土曜日の、「響の会」では、大変お世話になりました。いつも本当にありがとうございます。

先生方とは違った立場にはおりますが、いつも大きな刺激を頂いており、この会に参加することが、仕事への大きなモチベーションにつながっています。

角田先生のご講演。びっくりするぐらいあっという間に時が過ぎてしまいました。『人間は一生選び続ける』 ということ。様々な場面で、よりよい決定をすることが、非常に大事なことと再確認致しました。色々なことが頭をよぎった瞬間でした。

髙橋先生のご発表の中の、浜之郷小「学校教育目標」のキーワード『人生最高の6年間』 私は、鳥肌が立ちました。何て素敵なフレーズなんだろう、感動しました。私も、違う関わり方になりますが、教科書という媒体で、それを子供たちに、提供できるのか分かりませんが、その『人生最高の6年間』を支えるサポートがしたいです。

帰りは、1人で、茅ヶ崎の海岸で、花火を見てきました。これからの私にとって、本当に大切な一日となりました。ありがとうございました。今後も、ご指導を賜りますよう何卒宜しく御願い致します。

 帰宅したら「緑のカーテン」に、沢山の朝顔も花が咲いていた。一輪咲いだけで心配していたが見事に咲き始めたのでホッとした。10日帰国する妻がびっくりするだろう。この花のタネを戴いた友人にもこの写真を送りました。(謝)

2012/08/04

「東京オリンピック」直前の人間関係


 ~「おじちゃん、僕です」~

 突然の電話では声で相手を判断は難しい。

 数日前のことです。愛知県岡崎市に住む3人の子持ちの「お父さん」からの電話でした。下の男の子が野球少年らしく、その支援のために上京しているとの内容でした。試合に勝ったので今夜まで東京で宿泊するとのことになったので電話をしたと言うのです。翌日は神宮球場で決勝戦だと案内をしてくれました。

 結局は神宮球場にも行けず、宿泊ホテルでの面会も出来ないままに今回も再会を果たしていません。「おじちゃん」と呼ばれても縁者ではありません。おじちゃんと呼ばれても年齢の差はさほどありません。小生が高校生の頃、確か、七五三のお祝いをして貰っていた、近所の幼児だったのです。なぜか、妙に懐いていて大学入学のために故郷を離れる時に挨拶に行って泣かれてしまいました。

 時は流れて、幼児も成長して高校野球選手として活躍したようです。生前の母から情報は届いていました。高校卒業後、トヨタ自動車KKに就職して愛知県(岡崎市)に定住したようです。都市対抗野球(東京ドーム)への応援案内を貰った時、妻と一緒に観戦したのが僅かに(再会は)1度だけなのです。その後も会うことなく何十年も過ぎているのに、事あるごとに(忘れたころに)電話をくれるのです。

 小さな関係と言えば、幼児(当時の)のホンモノの叔父が姉と同級生でした。小生とも幼友達だったと言うことでしょうか。大学を卒業して帰省してお土産を持って訪問した時、びっくりするほど背の高い高校野球選手になっていました。帰京する折りに、「就職して上京したら会おうか」と言って別れました。その言葉を今でも記憶してくれているとは嬉しいことです。

 今回も本当に電話だけで終わってしまいましたが、その内に機会があったら再会したいモノです。


 ※今日から茅ヶ崎に出講します。旅先からのブログ発信はありません。ご了承願います。

2012/08/03

早朝歩禅記(7)


                                          ~ウッカリの1時間寝坊~

 少々の珍事件。普通に目覚めて通常通りに動きながら何気なく見た時計の針。目を凝らして再度確認してびっくり。1時間の時差があった。

 早朝歩禅出発の時刻には間に合ったが、出発前に予定している用務が吹っ飛んだ。身支度をして玄関のドアを開けた。西の空に「満月」が今にも雲に隠れそうだ。昨夜、雨戸を閉める時点で見上げたきれいな満月がここまで移動?いや地球が回転しているのか、と思いつつ独りで歩き始めた。

 今日は散歩人が多い。全ての人と「おはようございま」と声を掛け合うのが至福の時間である。常連の老女に初めて声を掛けられて急なことで答えがしどろもどろ(笑)。「奥さんはどうされたんですか?」と問われ、話したことも無いので、どこから話して良いか窮した。「外出しています」と応えてすれ違いながら「変な答えだったな!」と苦笑した。

 いつもと違って沼の散歩コースを逆に回った。

 視野がこんなに違うのか。そんな新しい発見が歩調に活気を与えるのかピッチが上がった。曇り空の向こうに、当地の名山「筑波山」がうっすらと見える。孫たちが通う小学校も見える。

 帰路で足を止めたのは、生育途中の田んぼの稲に朝露がきれいに光って見えたからである。秋の稲穂が黄金色になって散歩人にも「収穫の嬉しさ」を伝えてくれることが楽しみになったからでもある。        04:35~05:25【6000歩】

 通常の早朝歩禅から帰宅。ロンドンからの「日本では初めての快挙!」とラジオでアナウンサーの叫び声が聞こえる。素晴らしい収穫を得て、帰国して「収穫を披露」出来るような活躍をして欲しい。オリンピックと言うひのき舞台に立った証拠を次世代の子どもたちに見せて欲しいのである。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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