2011/02/28

近くて・・遠い?

 ~首都圏の中での移動~
 以前、東京学芸大学に出向するのに所要時間を見積もりながら驚いた。
 その前後の日程で福島県郡山市にも行く予定があったので、何気なく比較していてひょんな事に気付いたことがある。
 「首都圏」と総括的に表現されると、「至近距離」というイメージが先行する。
 福島県と聞くと東北地方という括りで考えるので「遠距離」と判断してしまう。実は所要時間だけを単純に見つめ直すと近くて遠いのが首都圏にある都市への移動時間なのである。
 一昨年辺りから、ご縁を頂いて名古屋圏に出向することが多くなっている。最寄りの東海道新幹線駅である「小田原駅」から名古屋駅までは所要時間は1時間10分ばかりである。参考までに、自宅から乗車する東海道線「茅ヶ崎駅」から「東京駅」までが1時間丁度ということを考えると今日の話題はご理解できるかも知れません。
 今日は、東京駅から上野駅、そして上野駅から浦和駅と乗り継いで移動する旅程である。それぞれの駅での待ち合わせ時間や上野駅構内の移動時間も軽視できないので「所要時間プラス」を加味しないと到着時刻にとんでもない誤差が生じるのである。東京学芸大学まで出向いた時の失敗はそこにあった。浦和駅に着く頃には、とっくに名古屋駅に着いていることにもなる。
 こんな話は大衆受けしませんね!(笑)
 ともあれ、今朝は久し振りの本降りの雨。自宅傍のバス停から茅ヶ崎駅までバスに乗車することになると更に(駅周辺の渋滞を考えれば)所要時間をプラスすることが余儀なくされる。近くて遠い首都圏への出向もそんな矛盾を孕みながら出発時間を設定するので御座います。アメニモマケズ・・・、待っていただく方達のご期待にお応えできるよう気力を充実させて出掛けることにいたしましょう。
 

2011/02/27

今日って、何したんだろう?

 ~「そんな日」ってありませんか?~
 10時に開店する大型スーパーを目指して運転。
 妻の購入品を車に積んで(ちょっとオーバーな表現)帰宅した。
 すぐに昼食の時間になった。
 早朝起床の本人にとって午睡は重要な時間なので、それを確保。
 土浦に住む長男からの電話で起こされたのが1時半。
 近所のお婆ちゃまが、美味しく煮えたという逸品料理を持参して訪問。
 また、横になって届いた「食の課外授業」という単行本を読みふけった。
 夕暮れになって、ふと明日は「仕事」だと気付いたが、夕食後に準備しようと続きを
読んだ。
 日曜日の午後5時半からは、大好きなTV番組を観て大笑いをするのが日課。


 食事を終えて書斎に戻り、「今日は何したっけ?」と何だか空しい反省となる。
 充実感と空虚感。それは交互にやってくるのが良いのかも知れません。いつもいつも、充実感を目指して「頑張る」だけではいつかはプッツンすることになると予測している(勝手に)からです。こんな日もあって良いんだよ、と己に言い聞かせている小生はやっぱり能天気ですなぁ~。
 気が付いてみたら、神経質なほど受信メールへの返信を欠かせない性分の小生が、今日は全くそのリズムから(またも、勝手に)解放されていました。これから、数通の受信メールに返信をすることにしましょう。
 それは、それとしても「明日の仕事は?」と、我に言い聞かせ真剣に準備・・?いいえ、数日前にとっくに準備は完了しております(笑)。ただ、明日の心配は講演地が「雨」だそうです。「晴れ男」の異名も明日は例外のようです。
 こんな日もあります!!小生のイメージが狂いますか?これも小生ですのでよろしくお願いします。

2011/02/26

今日は「何の日」?②

 ~『2・26事件』の日ですよ、ね~
 日本史の授業で、担当の先生が力説された光景だけは残っているのですが内容の深さまでは50年間の内に色褪せてしまったようです。2・26や5・15事件は学校で習得する知識としての領域では生きていたような気もします。歴史の諸事実が繋がって一つの時代を築いているとなると、「たかが・・・」とは言えない事件や事故も多いのかも知れません。
 ニュージーランド地震で被災された方の被災者にとっても「今日は何の日」として、被災のご一報を受けられた日は、決して記憶から抹消することが出来ない「日」になると思われます。消息不明の被災者で、身元が確認できない関係者の皆さんにとっては長い一日が続いておられることでしょう。一刻も早く確かな情報が手元に届くことを祈らざるを得ません。
 先日のブログで、早春の花として蝋梅・黄梅に触れ、茅ヶ崎の梅の花は満開です、と記しました。
 今朝のメールで、愛知県と長野県の読者から素敵な梅の写真が届きました。長野県の方から届いた梅の写真は東京・上野恩賜公園での早朝撮影だそうです。いずれにしても、梅の花から、季節は動いて桜の花の便りが待ち遠しい時期になってきているような気分になっています。
 関東では「河津桜」の観光案内は耳にしていますが、九州辺りりからはそろそろ早咲きの桜の便りが届く頃かも知れません。撮ることが出来ましたらお送り下さい。桜に限らず「花の便り」を待っています。
 昨日は暑いぐらいで、今朝は冷え込んで・・・・。読者の皆さんも健康管理には十分お気をつけいただいてお過ごし下さい。

2011/02/25

新・歩禅記(47)

 ~体調管理の重要性を痛感しつつ~
 3年前に他界した義父母の生活リズムに異変を感じたのが体温調節の異常だった。九州の夏は、関東で生まれ育った人たちの想像を絶する暑さである。そんな熱気の中でも「汗をかくこともなく」下着を数枚重ね着したままでも義父は平気だった。妻が、(自分の親なので)感情的な声を張り上げて脱がせようとするが父親は頑な迄に従おうとしなかった。母親は寝ている状態が多かったので比較的着替えは楽だった。昨日はストーブを使用したが、今日は午後の気温は18度を超えているという。自律神経が失調すると体温への感受性も疎くなると言うではないか。介護の日々を思い出しながら、昨今のように寒暖の差が激しいと介護者の苦労も大変だ。そんな思いを馳せる午後であった。
 3時頃から60分間の散歩(『歩禅』)。
 ホームセンターを往復すると歩数計は7000歩。ショッピングする目的を持って出発すると歩調も軽いようだ。妻が「布団圧縮袋」を買うという。押し入れを整理していた妻の呟きが聞こえていた。生活臭の無い夫には「布団を圧縮する」という言語の意味が現実的ではない。いや、布団のイメージから「圧縮された布団」の実態が想定できないのだ。ともあれ、それらしきモノ(笑)を購入した。安価なことにも驚きつつ妻のリュックに入った現物と共に歩禅の帰路を楽しんだ。
 小学校の近くの家庭にはミモザの花が咲いていた。
 昨年もこのブログに登場した花である。ミモザという花の名称の「音」が好きなのである。信州出身の後輩教員からその名前を教わった。信州ではこの花が咲くと春が近いのだそうだ。茅ヶ崎の庭ではもう満開になりそうなほどの花を愛でることが出来た。春はもう、そこ!
 帰宅して圧縮袋の機能に仰天。ふっくら布団が煎餅布団に早変わり。驚く夫と冷めた妻。布団圧縮袋が引き起こした「生活文化」の夫婦間の大きな温度差で御座いました!!
 

2011/02/24

安否は「祈る」だけ・・・?

 ~今度は外国で地震被災~
 昨日張り切って歩いたほどの陽気は、今日はどっかへ?
 そんな身勝手なことを言っている場合ではありませんでしたね。日本人だけでも多くの被災者が出ているというニュージーランド地震のニュースを見聞きしながら不謹慎な自分に気が付いています。ご家族の心中を察すると気が重くなってしまいます。無事を祈りながら・・も、地震発生時刻から何十時間も経っている事実と向き合うと心痛の深まりは計り知れなくなります。救出には無制限の時間は与えられていないからなのです。一刻を争う救出作業ですので、やはりイライラしてしまいますね。
 被災者の一人でも多くの無事救出を願うばかりです。
 今日の茅ヶ崎は一日中ハッキリせずに降るのか晴れるのか不安定な天候でした。そこまで春は来ているのだろうと思いつつ家の中で無駄な時間を過ごしてしまったような一日でした。

2011/02/23

新・歩禅記(46)

 ~蝋梅と黄梅って違うんだ!?~
 読者の皆さん、老夫婦のこんなくだらない歩禅対話を聞いて笑ってあげてくださいませ(笑)。
 蝋梅と黄梅の区別を知らなかったというのはホンとの話です。耳にする言葉に無頓着だった60年以上の歳月を振り返っても、知識獲得の経験すら引き寄せられなかったという証ですね。午後から気温も上がり、「外を歩いてごらんなさい」と誘いかけるような陽ざしに誘われて「空の買い物リュック」を背負った妻と一緒に久し振りの散歩に出掛けました。
 後泊の梅がもうこの世の終わりを告げるかのように立派なご邸宅の庭では満開です。
 「この花びらは梅だけどちょっと普通の梅と違いませんか?」と突然妻が声を掛けてきた。花とは無縁のような人生を送ってきた夫に問いかけるのは拷問そのものではないかい!そんな思いもあり気乗りのしない対応をしていると、庭先にいらっしゃった(見えなかった!)お婆ちゃまが、「これは黄梅と言いますのよ」と妻に語りかけていただきました。仰天する間もなく、蝋梅にまで話題は波及していきました。お婆ちゃま親切なご講義を受けて、御礼を申し上げてショッピングに向かいました。
 邸宅を離れてから暫くは沈黙の老夫婦でしたが、何だか爽やかな、そしてウキウキするような気分になったのは夫婦共通だったようです。「知らなかったわね・・」と、妻。「まったく意識すら無かった・・」と、夫。よ~く、わかりました!!得した余韻で歩調も軽くなりました。
 寒さが途切れ、温かさが戻ってくると、代はまさに「花粉の時代」となります。
 読者の皆さんの中にも花粉に悩まされる方がいらっしゃいますか?実は10年前の小生は、酷い症状の夜は呼吸困難で苦しさの余り飛び起きてしまう程の花粉症患者でした。これって、過去形?そうなんです、鍼治療の10年間で、今では「嘘みた~い」と豪語するほど殆ど症状を感じません。あれだけ予防薬から飲み続けていた薬も、今はゼロ。時々、目の周囲の痒さやクシャミはありますが、苦しさを経験している身体としては、全く気にならないほどの完治です。
 歩数計が壊れたままだったので今日の歩禅コースにドラッグストアも入れて、新・歩数計を購入することにしました。そろそろ本格始動できる歩禅の季節です。歩数計も出番です。「花粉症対策特別コーナー」が目に飛び込んできました。苦しかった日々を思い出しつつ、久し振りの歩禅を満喫して帰宅しました。

2011/02/22

懐かしかった(?)年金事務所

 ~経験値は確かに健在~
 加給年金受給者が年金受給者になる。
 読者の皆さん!この専門用語(笑)がわかりますか?専業主婦(って、まだ認知されているのかな?)を妻に持つ給料所得者にはこの時期が早晩やって来るようです。我が夫婦にもついに、双方が年金受給者に「出世して」しまいました。つまり、老妻もその年齢についに到達したと言うことです。満年齢での誕生日を過ぎた日から、「年金申請」が受け付けられ手続きが完了した時点で「年金証書」が発行され名実共に(笑)年金受給者となれる(?)のだそうです。
 その申請に藤沢年金事務所に当事者を伴って行ってまいりました。
 過去の経験は偉大でありました。実は、3年前に立て続けに義父母の死亡に伴い、10回位「訪問した」事務所です。死亡に伴う年金受給終了の手続きでした。何だか空気が懐かしく思えました(嘘)。そこでは頗る冷淡に添付書類の不備は差し戻しです。再び市役所に出向いて新たな資料の交付を受けて年金事務所へと繰り返した日々が大きな経験値となっていました。その移動も交通渋滞によって塞がれると気分までが滅入ってしまいました。そんな繰り返しをしたことがやっぱり生きていました。
 小生自身の「年金加入記録」に比べれば、流石に専業主婦であるので「国民年金」一つだけの加入であり、事前に届く確認情報も受け取っているので、経験者である小生が資料の準備等を全てやってみました。
 8時半に家を出て、市役所で必要書類の交付を受け年金事務所に到着したのが10時前でしたが、そこには以前と全く変わらぬ光景が待ち受けていました。待合室はほぼ満席状態でした。案内板に表示されている受付番号からは気が遠くなる距離感を受けました。しかし、持ち込んだ本を取り出して「読書をする」ことにしました。気が付いてみると、スムーズに番号札の推移があり、意外と短く感じた待ち時間でした。そして、事務書類の不備の指摘がハッキリしましたので気分的にも落ち込むことなく一旦市役所に戻れました。
 不備だった資料を封筒に入れて「完全資料」として、郵送指示(書留郵便)に従って自宅近くの郵便局から送ることが出来ました。予定では2日間は考えていましたが、スンナリと一日で完了したのを、喜んだのは、今回の当事者である我が老妻でありました。
 「役に立ったかい?」をわざとらしく恩着せがましい言葉を掛けてしまう老父は、決して素晴らしい人格者じゃぁ、ございませんなぁ~!!この反省は、「経験値」としていつ生かしましょうかね(笑)。

2011/02/21

『人寄せパンダ』の由来を思い出す

 ~子育て時代にタイムトラベル~
 今夜には上野動物園に「パンダ」が運ばれてくるらしい。
 NHKニュースに登場した話題が老夫婦の「朝食のおかず」になってしまった。(写真は今回の話題の主ではないのでお断りしておきましょう。)我が家の3人の子供達を引き連れて、上野動物園の正門を潜った日が浮かんできた。「先の見えない」行列の中に閉じ込められて延々と数時間を何とか凌いだ。やっとご対面の場所にたどり着いたらお疲れになったパンダ様は眠り込んでびくともしない。係員の方が「し~っ」と、小さな声を発しながら「静かに前へお進み下さい」と書いたプラカードを我々観客の方に向けて歩いてくる。公衆道徳を護らせようと妻も母親らしく口に指を当ててわが子を誘導していた。
 パンダとの思い出はこの程度。
 思い出のシーンには、二重、三重に並ぶ人の波だけ。圧倒されるほどの沢山の見物客の一角に子育て中の親(我が姿)としての姿は明確に残っている。むずがることもなく「お利口さん」を演じてくれた(笑)わが子達を褒めながら、どっかの安い食堂で何かを食べさせて帰って来た。帰りの電車の中は草臥れて眠りを貪る一家5人の姿が誰かの目に映っていたことだろう。
 やっぱり『人寄せパンダ』なのか。
 語源に親しみを感じながら苦笑する。それは、今度は、父親や母親になったわが子達が人寄せパンダの被害を受けることになるのかも知れない、と感じたからである。まさに我が家の家系でも「世代交代」の様子を呈している。時代遅れがないことを喜ぶべきかどうか??あの日から30年以上の歳月は流れてしまった。我が子育ての評価はこれからの彼らの親業に掛かっている。
 景気が悪い。不況だ。大学は卒業しても職がない。
 こんな暗い世相を吹き飛ばすための「景気対策」としてパンダ借用政策が講じられたのだろうか。上野動物園の周辺に人が集まれば、その一帯には経済効果が得られるのか。ふと、『人寄せパンダ』策戦(一時的な効果を狙っている対策)が、あらゆる分野で定着化してしまい「日本流」として世界に通用するようになるとすれば、哀し過ぎる話に思えてならないのは小生だけではないだろう。
 取り分け「教育する」分野では、モグラたたきゲーム式手法が珍重されてしまうことだけは避けたいと願っている。地道な実践が展開される学校教育現場で、日夜奮闘する後輩諸兄が「やる気」が出るような戦略を文科省に期待したいモノである。
 決してパンダ策戦を揶揄するものではない、ということを最後に添えておきましょう。

2011/02/20

『手応えのある教育実践』に勝る教育手段はない


 ~久し振りの「聴講者」として~

 この3月で学校教育現場を去って7年間が過ぎる。
 その間の「活動」らしき動きは、講師稼業である。こう表現するとちょっとキザ?いや、少々美称化してしまうようでくすぐったい。しかし、本業らしい顔をして招請に応じているから許していただきたい。「話し上手は聴き上手」と言うのかな?「聞き上手は話し上手」と言うのかな?どちらにしても、辻褄合わせは、この際問題ではない。ともあれ、昨日の半日を「聴く」サイドに身を置いたことは事実である。休憩を挟んで4時間、ずっと「聴く」態勢を堅持するのは並大抵の忍耐ではない(笑)。しみじみと反省した午後でもあった。

 しかし、手応えのある事例発表にはやはり引き込まれる。
 「地に足が着いている」実践の報告には、発表者の言葉にも血液が通っているようだ。加齢による涙腺の緩みは許されることとしても、教育者としての「子供達への愛情」を実践者自らの言葉で語りかけられると場所も考えずに目頭が熱くなる。コーディネーターの「熱き心」というメッセージの締めくくりに、凡庸な聴講者の心を射抜かれた感じもしてドキッとしてしまった。

 いただいた「熱き心」は、春には冷たすぎる東京駅前の風にも負けない歩調を促してくれた。
 基調講演の「演題」には、帰路の車中(東京~茅ヶ崎 60分間)を退屈させないモノがあった。とかく教育学者の造語に振り回されがちになる学校教育現場である。いや、これは小生だけの症状だったかも知れないが、彼らの「言葉遊び」には時として閉口する。今回の講師は、若き日々から親交があり大きな期待をしている大学教授でもあり、タイトルにも興味があり今回の聴講を決断したのである。仮説に近い段階での講師見解として十分に受け止めることは出来た。今後の実践に裏付けられた内容を期待したくなった。この講師なら大いに期待できるので、次回のご案内を楽しみにしたくなった。

 学校教育現場は凄まじいほどの「暴風雨・暴風雪・砂塵・爆発的噴火・・・e.t.c. 」の渦中にある。
 僅か7年前と比べても表現の仕様がないほど変貌している。しかし、今回の実践発表を垣間見ても『手応えのある教育実践』は確かに存在する。アドバルーンを揚げるだけの研究発表会にはもう飽きた。実践者そのものの教師群団にはそれがわかっている筈である。そんな教師集団にエールを送る事の出来る、このような素晴らしい実践発表を取り込んだフォーラムが欲しかった。

 満足度75㌫。
 残りの25㌫は不満足度ではない。第9回への期待度である。そして、登壇される講師陣への「多くの素晴らしい実践例を取り込んで」、全国から集う現場の教育実践者たちにエールを送ってあげて欲しい。そんな身勝手な要求度とも受け止めて欲しい。

 期待を掛けたくなるフォーラムであるからこそ、辛口に聞こえてしまうような表現になってしまう。ご理解いただきたい。関係者の創意工夫に拍手を送りたい。

2011/02/19

今日は『雨水』

 ~雪が溶けたら何になる?~

 雪国に住む子供達は「春になる」と応えたそうです。

 理科の授業シーンです。この問答を学校教育の醍醐味と捉えています。人間性を追究するための提唱とも考えています。雪は溶ければ「水」になることぐらいは学ばなくてもわかる体験的知識です。そんな答えを出した子供達に、教師はどんな対応をするのでしょうか?そこに指導者の人間性が滲み出るような気がしてならないのです。雪が溶け始めて水に変わると、雪国では農作業の準備が始まるのだそうです。雨が降らないと「農業立国」のわが国では、ご自慢の水田が作れないわけです。稲作にとって水との縁には生活が掛かっているということですよね。ラジオを聴きながら、今日が24節気の一つである雨水にあたると知り、カレンダーでも確認できました。

 昨日のブログでは、「雨」を敵にして記しました。霧島連山・新燃岳の火山灰堆積が土石流発生に繋がったら二次災害になると心配したからです。「勝手な発想」の責任所在の決定に悩んでしまっています。雨が降らないと困る。雨が降ると困る。都合の良いサイドに着いては勝手な発想に辿り着いてしまいます。

 そんな事に思いめぐらせている内に、そろそろ出掛ける準備をする時間になります。

 今日は東京で開催される教育フォーラムに出向します。演壇に上る任務はありません。一人の聴講者という立場で参加します。年間を通じて数回はこういう立場で参加することがあります。「ねらい」は単純です。日常的に、「話す立場」からしか見ていない会場を、たまには、会場の聴衆の目線から感じて観たいだけなのです。つまらなかったら「会場を出る」決断の稽古も兼ねます。つまり、「聴きに来てもらっている」立場に傲り心を持たせたくないのです。まして、小生が務める講演には「動員されて」座する人たちが結構多くいらっしゃる場合もあるからです。「来て良かった!」という感想を貰えるには、演壇の力量に付加する「会場設営」もあることを学んでみたいのです。つまり、主催者の当事者意識であると言及しても過言ではないでしょう。一流の講師を招請すれば「人は集まる」という、集客根性だけでの設営には疑問を持っているという素直ではない人間性の証なのでしょうか。

 声を掛けたので、仕方なく会場に向かう仲間がいます。
 その聴講者が「来て良かったです」と御礼を述べて帰ることを期待しつつ準備に取り掛かりましょう。

2011/02/18

凄い『雨音』に起こされる

 ~被災地の二次災害を案じながら・・~
 このブログを書き始めようとデスクに向かったのが4時半前。
 目覚まし時計は殆ど不要なほどに我が体内時計は確立している。目が覚めるのが3時半前後である。習慣とは恐ろしい?根拠は他愛もないこと(とは、失言だろうが・・)。仏教詩人と言われる坂村真民翁がそんな時間を起床時刻になさって晩年を過ごされたという文字に心を(勝手に)動かしただけである。そんな生活リズムを意識し始めてから早や20年以上が過ぎてしまった。
 目が覚めた布団の中で、雨戸と屋根を叩く雨脚の強さに心が痛んできた。
 霧島連山・新燃岳の火山灰が堆積して雨量によっては土石流になって生活地帯に流れ込むという二次災害を気象予報官が語っていたことを思いだし眠れなくなってしまったのである。真民翁の「自然界の夜明け」が2時頃だとの自説を読んだことも同時に思い出した。「雨は西から東へ」とは祖母が教えてくれた少年時代も浮かんできた。祖母の言葉の真意も分からずに成長したが、今では良くわかる。茅ヶ崎の今朝の雨・・・。霧島連山は昨日がこんな風な降雨だったとすれば、避難された方達はまんじりも出来ずに一夜を過ごされたのではないだろうか。案じてもどうにもならないとは思いつつも案じてしまう。
 新潟・中越地震の被災もそうだった。これから降雪の季節に向かう時期だった。着のみ着のままに被災された皆さんが寒さに向かう時期だったと記憶をまさぐる。自然界の恐ろしさを感じたモノだった。九州は雲仙・普賢岳の溶岩流で酷い目に遭っている。その経験値が、今回の土石流警報に繋がっているようである。長崎から支援部隊も到着しているらしい。いずれにしても、自然界の猛威には、素晴らしい科学の進歩も太刀打ちできないモノらしい。スイッチオンで何でも出来るような便利な世の中を創り上げている「立派な人間社会」も、自然界への畏敬の念を無視してしまったらとんでも無いことになるのかも知れない。
 霧島連山の雨量を案じつつ、久し振りの「早朝ブログ」を認めている。

2011/02/17

「ことば」を食べる?

 ~久し振りに、貪り読んで・・~
 言語学・文化人類学という著者の肩書きは放送で知っていた。
 日課としているラジオ番組で拾った人材情報である。浴室での朝の25分間は「耳の保養」にはもってこいの時間である。と言うより『聴く』楽しみで時間が潰せる時間と表現した方が妥当だろう。体調管理のために毎朝行っている『腰湯』(=一般的には「半身浴」と言う)の、「お伴」はラジオである。ラジオを聴きながら、その内容に没頭する時は一種の「至福の時間」にもなっている。
 去る2月11日の早朝のラジオ番組では耳がダンボになった。
 「人は文化を食べる生き物である」と語りかけられたからである。言語学者であり文化人類学者との出演者紹介に妙に納得して、直ぐに著書を調べて注文した。最近の便利さには度肝を抜かれることが多い。その時点で注文して、数日後には手元にその書物が届くからである。著書を2冊注文した。その内の1冊が届いたが、ここ数日書斎の片付けに追われていて本を開く時間が取れなかった。
 今日は鍼診療定期日であった。
 鍼診療の後は全身に気だるさもあり帰宅しても何となくダラダラとすることが多い。そこで今日は横になって休養することにして、やっと開いたのが届いたまま開いていなかった本。数時間の時の流れは鍼診療後の気だるさも吹き飛ばしてしまった。あっと言う間に夕暮れになっていた。
 食文化の推移と人類の行動変遷を読み切って、唸ってしまった。
 久し振りに痺れた老脳には、良い刺激が走った。これから夕食のテーブルに着くが「食する」前に、誇らしげに、妻に能書きを垂れることにしようかな(笑)。
 言葉を食べる食文化という現代生活を、知ったかぶりで話してみたくなったからである。やっぱり「良い本」は出会いの感動を演出してくれるモノだ。

2011/02/16

「年金決定通知書」が届きました。

 ~えっ、これって何?~
 何せ、自慢じゃ御座いませんが事務処理能力に疎い小生は、公務員という「お抱えの」学校事務職員さんに負んぶに抱っこだった癖は除去できていない症状がこうした呟きとなって口を衝いて出るので御座います。
 通知書の事由説明欄を読むと、「加給年金額対象者等の変動による改定」とあるでは御座いませんか。これって・・・!そうか、老妻が年金受給者になったという証明であったのです。基本額の横の欄にあった「加給年金額」のところに記入されていた些少な金額が削除されているのです。その額が老妻の年金として支給されるとの説明に「そうなんだ!」と・・・、納得するまでに少々回り道をしながら理解したら夕暮れ時になっておりました。
 まさに、高齢者というカテゴリーに夫婦揃って突入したことになります。
 生活状態に急変が生じるわけではないのですが、何となくメランコリックになってしまうのは何故で御座いましょうか。
 久し振りの快晴の一日で御座いましたが、配達された郵便物1通でこんな気分になっていまうのは想定外でも御座いますが、能天気な性分ですから晩酌の一口で・・・・(恐らく、いいえ、きっと)・・・どっかへ飛んでいってしまうことでしょう(笑)。
 小生より若い世代の多くの愛読者の皆さんにも必ずこんな「時」がやって来ますので、こうして心情を吐露しておくことにしたので御座います。ご参考まで・・・。お許し下され!!

2011/02/15

今日も終日の「片付け」作業

 ~昨夜の雪は午後には消えて・・~
 講演を終えて主催者である校長先生と教頭先生に誘われて雪が舞う中を移動した。これは昨日の出来事。
 行き先は小生の哲学「書」が飾ってある行き付けの小料理屋さん。
 マスターに確認したところ平成4年の開業だと言う。開業の翌年に教委に復帰したので同僚と事業が終われば「反省会」とやらの名目で入り浸った(笑)お店でもある。最近では昨年の11月に訪れた。その後は不義理をしている。そのお店のカウンターで3人で呑むことになった。
 主催者のお二人は来年度の校内人事の話に話題が集中する。
 そんな時空が何とも懐かしい。そんな日もありました!ああでもない~こうでもない・・・と口角泡を飛ばしつつ、当時の小生も「人事を肴」に酒を呑んだなぁ、とカウンターで横に座っている二人の横顔を眺めながらと遠い昔話を思い出すかのような思いで独りで呑んでいる数分間。映る光景は何故かセピア色。そんな時間を設けてくれた主催者に感謝しながら美酒に酔った。その後、車で自宅まで送り届けていただくと言う。小料理屋さんから有料駐車場までの距離は徒歩2分ばかり。ぼた雪が激しく落ちていた。この分では明朝の積雪が凄いぞ、と運転手の校長先生が明日の学校運営を心配する。フリーターの小生は、寒いはずの気温も、温かいお持てなしと、懐かしい時空へのタイムトラベルで身も心もぽっかぽか!明日の事などお構いなし!気遣って差し掛けてくれる傘の存在感もわすれたかのような歩調で駐車場に向かった。自宅までは車で10分かからない。
 定刻の4時に起床。
 雨戸の向こうは雨の音。積もったらしい屋根の雪を溶かして落ちる音は通常の雨音の何十倍にも強い音。雪の塊が溶けて落ちる音を聴きながら一日の始まり。書斎の後片付けは昨日に引き続いて今日の予定であった。30年間以上放置された書籍に積もる埃はハンパじゃない。ハタキで飛んで行ってくれないほどの重みにもなってしまっている。積もっている垢ほどの重みはないが、手にする書籍によっては思い出が現職時代の教壇生活まで引き摺ってくれるではないか。
 時々、作業が止まる夫に向かって妻が咳払いをする。すると、作業が再開する。
 今日も終日のお仕事は、埃と垢の中だった。たった6畳間のちっぽけな書斎にある書籍の整理にこんなに時間が掛かるのはタイムトラベルに忙しいからであろう。
 小生の評価は「随分片付いたなぁ~」であるが、妻の評価は「この分ではいつ終わるのかしら?」とその格差に大きな隔たりがある。やっぱり、我が老夫婦もご多分に漏れず「格差社会に生きる」生身でありました(笑)。
 明日は休もうかな?慣れない作業には無駄な力が入るらしく夕暮れになってきたら肩凝りも感じるようになってしまった。これも加齢症?
 

2011/02/14

変わるモノもあれば変わらないモノもある!

 ~身体は老化の一途・・~
 つまり外見は言わずもがな、中身もどんどん老化していることを実感する日々。
 それは仕方のないことで諦めも日々確立してきています(笑)。早速、30代の小生の写真をご覧になった感想をいただきました。えっ?驚いた?当然でしょ!そうですねぇ~、「変わった」自意識の最たるモノは頭髪でしょうか、ね。孫に頭を撫でられながら「ピカピカしているよ」、と何度も言われる内に頭内を司る脳神経もすっかり麻痺しております(笑)。
 浜松の先生が管理していただいている小生の、このHPに長い間掲載されていた「似顔絵」も、講演でお目に掛かった全国の皆様方から「実物とは随分違った・・」との酷評(?)を得ましたので管理人さんと相談して「新・似顔絵」を登載していただきました。以前の似顔絵を描いていただいた中学校の美術の先生にお願いして描き直してもらったのです。そんな経緯も物語っているように「変わるモノもあるんです」と、敢えて伝えておきましょう。
 この歳になっても変わらないモノ?
 それは、加齢症(小生の勝手なネーミング)を実証するモノ。ぼやきと嘆き節でしょうか。主たるモノは日本文化に根付いた素晴らしい伝統が廃れ、根も葉もない「文化」が蔓延ってしまった世相に対しての憤怒をぶつけたい嘆き節かも知れませんね。
 今日の「出来事?」もその一つ。
 これをぼやき始めたのは、まだわが子達も小中学生の頃だったように記憶しています。学校にチョコレートを持って来て良いか、との議論が職員間で涌いた頃でしたね。「なんで?」という問いかけは、何で持ってきて良いかを議論する職員集団か?との疑念だったのです。商業主義に振り回される日本民族の「根無し草」的な発想に苛立ちを感じたからでした。キミは頭が硬い!と先輩から口封じをされました。担任していた学級で、ある男子生徒が「生活の記録」(学校全体で取り組んでいた「日記」)のこの日ページに書いていたフレーズは今でも忘れられない。「僕は今日なんか無くなれば良いと思う」と認め、理由に「母が、いくつチョコレート貰った?と聞くからである」と綴っていた。その後の同窓会でも何回となく顔を合わせるが問い直す気になれない。いつ頃からこんな行事的存在になったのかは研究する気もないが、何を根拠にして蔓延ったのかも全く関知していない。コマーシャリズムの悪影響?
 先般のこのページでもご紹介しましたが、小学校英語という授業での連想ゲームの話題を再燃させましょう。『冬』から連想するモノとして、現代っ子は 第1位がクリスマス 第2位がウインタースポーツ 第3位がお正月(お年玉)・・・・と、こうして分析するに「大人たちが蒔いた種」が長い歴史を辿って確かに芽を出していました。どこに日本の文化風土が「冬のイメージ」に連なっているのかが全く見えなくなっています。そんな教室に男児達がが描いた冬のイメージに「湯たんぽ」と「炬燵の上にあるミカン」 の絵がありました。それを取り上げた指導者に大きな拍手を送りました。 Christmas snow ski skate e.t.c. と、英語の授業ですから、誰が考えてもこんな単語に飛びついた方が子供達も「乗ってくる」授業が展開できるでしょう。しかし、英語教育のプロとして自認する小生にとって、自国の文化を知らない人間が外国語を学んでも「自国を語れない」という哲学があるのです。そんな日本人では国際外交など出来るわけがないのです。昨日のブログでも記しましたが、通訳として視察もしてきた経験の中で、日本人でありながら日本文化を説明することが出来ない惨めさをイヤと言うほど味わい背中から滝のような汗が流れ落ちる苦しさを体験したからなのです。
 一昨年、愛知県下の小学校で「英語教育」に触れる機会を頂戴しました。
 ソング・ゲームばかりで楽しめるのは低学年だけです。無意識の内に日本人としての成長を続ける高学年の児童になるとそんな授業から逃げ出したくなるのが当たり前なのです。あの時、この「湯たんぽ」や「こたつ」、(それに「紅白歌合戦」というモノも登場しましたが)、それらを愛知県の教室でも使えたらもっと楽しい英語の授業を提供できたのに、と反省するほどです。
 素敵な国・日本に生まれた幸せを保障するのは日本語の確かな維持促進です。
 その裏面には日本語を育んでいる「日本文化」を改めて検証しつつ、決して滅びることのないような教育をすべきだと感じているところです。
 今日のこの日を愉しみにしておられた方々には少々失言になりましたが、ご容赦願います!
 

2011/02/13

こんな写真が出てきました!

 ~本棚の「埃」の中に・・・~
 確定申告書の記入が完成するとこの時期は安堵バージョン。
 障子の外に「早春のような陽ざし」を感じると何だか気分までもが労働意欲を掻き立てるのです。妻に書斎の本棚を整理整頓するように長年言われ続けていることを思い出しました。転勤の時も現任先から荷物を書斎に運び込むだけで押し入れの主にしてしまっています。退職した時点でも全く同様で、幾代目の押し入れの主を創ってしまったのでしょうか。わが子達の成長で使える部屋が多くなった(笑)ことを良いことに、埃を被った主は今でも放置状態でした。
 最上段の本棚を整理する決心をしました(笑)。
 整理整頓の上手な皆さんにはご理解できないでしょうが、「お片付け」の苦手な小生の所以は変なクセがあるからなのです。それは、本であろうとノートであろうと、研究冊子であろうと手に取ったモノは必ず中身へのご執心が働くのです。つまり、開いたページに過去の匂いを嗅ぎだしては(片付けるどころか)座り込んで読み込んでしまうのです。今日も同じパターンの誘惑でした。
 登載した写真が、本日の整理整頓を妨害した犯人です。
 写真の下段の「苗字」で、更に思い出のページに呼び戻されてしまいました。小生は39歳でした。これは、文部省(当時の)海外教員派遣団の事前研修として招集された時点での班別記念撮影です。当時は、下段の苗字記入に違和感を持っていました。しかし、30年ばかり経た今となると記入の意義をしっくりと受け止めることが出来るのが不思議です。ブルガリア~イタリア~フランス~イギリス~アメリカ合衆国と共に視察をして1ヶ月を過ごした「仲間」の皆さんのお名前とお顔が一致するのです。全員が、小生より先輩でした。渉外担当という小生の任は「通訳」でした。背中を滝のように流れ落ちる汗は忘れられません。ブルガリアでの悪戦苦闘は今でも詳細を記憶しているほどです。しかし、帰国後の英語教授法に大きな変化をもたらしたことは偽らない事実でした。
 そんな思い出に浸っている内でも時間だけは待っていてくれません。
 予定した本棚の整理は・・・・。足下が歩けない状況になりました。妻の苦言は想定内のことでしたが、昼食前になり、俄然速度を上げることが出来ました。それもこの写真のお陰でした。あの頃の情熱と夢が彷彿としてきたからです。「1ヶ月の慣れない海外生活の難業・苦行を思えば、昼飯前のできごとではないか!」と、今でも交際の続いている団員の一人の先輩から檄が飛んできたのです。
 単純な小生は、その気になると何でもやれちゃう(笑)性分です。妻も驚くほどの馬力で予定していた本棚を整理し終えて、捨てるゴミも沢山出来ました。しかし、今日の仕事量は全体の10分の1に当たるかどうかの微量です。
 本格的な春がやって来る前にスッキリした書斎に戻したいと心新たにしている昼下がりのひと時です。奮闘を応援してください。

2011/02/12

『心ぽかぽか』ニュース(12)

 ~「教え」ないと「学ば」ない~
 先ほど親戚が帰って行くのに駐車場まで見送った妻が戻ってきた瞬間、「さむ~いっ!」と一声。積もるこそしないが朝から雪が舞っているのだから気温は大凡の察しはつく。南国生まれ、育ちの小生には雪の積もった生活環境は全く想像が出来ない。だからこの新聞記事を読んでしみじみと実体験の無さが力にならないことが良くわかる。
 戦後のわが国の教育では、「自主性を尊ぶ」主義の理念が蔓延ったような気がしてならない。その結果、が皮肉にも「指示待ち人間」を大量生産したとの非難に結びついている。なぜだろうか?
 学校教育現場では、国の方針に従順に、「自ら」「進んで」「自主的に」というまくら言葉を用いたキャッチフレーズやスローガンを多掲げて日夜苦労しているのが今の立場からは冷静によく見える。『自ら課題を見つけ、自ら解決する力』という途轍もない大きな目標が文科省から掲げられると、どの学校でも「自ら」という表現が使用され、学校教育目標にも取り上げられて子供達と保護者に広報されている。
 どのような理解を土台にして、その力を付けてやれるのだろか?
 義務教育期間に該当する7歳から15歳までの「子ども達」が、自主的にその力を身に付けられるとはとても思えない。そのためには、学ぼうとして眼を爛々と輝かせる子供達の目の前に立つ教師という「オトナ」への課題として捉えれば国家の方針も理解し易くなるのではないか。つまり、教師に「教える力」が無い限り、子供達は学べない、ということに到達できないだろうか。子どもは未熟なままでもオトナ(年齢的に)になっていく。義務教育期間では達成できない自主性も、その後の体験や経験で年齢なりの成長は期待しても良いのではないだろうか。この新聞記事がそれを証明している。
 部員の中には南国・石垣島出身者が4人。・・・・
 大学生というオトナ集団への評価は「恩返し」という文章表現でまとめてあるが、体験(実習)という手段で「教えられて」、大学生になって初めて雪国の生活の苦労を「学ぶ」ことが出来たのではないか。『学び』が教科学習の成果としてだけ「自主性を伸ばす」ための力点になったことは否めない。しかし、手立ての一つであったことは事実である。
 教えるオトナ集団の力量が不足している。
 大人社会の幼児性は目を覆うばかりである。ただ、誤解を招きそうであるので付記しておくが、「教える」とは、手取り足取りで指示を連続させて「教え込む」事ばかりではない。教える方法は、学ぼうとする相手の特長を読み込んで手立てを考えなければ成果は期待できない。それが「大人の条件」であることも追加しておこう。「背中で教える」手法は、「日本モノづくり文化」の伝承手段として存在しているではないか。「教える」ことを工夫するのも「学べる」大人なのである。ここまで執拗に述べておきたい。
 『心ぽかぽか』ニュースとして取り上げた新聞記事にしては少々きつい要求になってしまったと、反省しつつも・・・・ 「教えないと学ばない」教育理念には変わりはない。
 

2011/02/11

気が付いてみれば・・・。

 ~玄関のドアを開けていない~
 それも老夫婦揃ってなんだから、珍現象でしょ?
 妻が玄関から一歩も外に出ない?それは、ひょっとしたら「お正月・元日」ぐらい??そんな一日が過ぎた。午後4時頃になって、階下で使用している石油ストーブに給油が必要だと妻が発言した。その任を果たそうと玄関先に佇んで気が付いた。まだ、チェーンも外れていないではないか。給油を済ませてセットして、「今日は一歩も外に出なかったのかい?」と念を押した。当然ながら否定はない。それほどの寒波である?イヤ、夫の迫力に圧倒された??後はご想像に委ねることにしよう。
 今日は、小生にとっては「恒例の私的事業日」でもある。
 それは『確定申告書』の作成最終日なのである。ここが今年度の最後の業務として仕上げて一段落の日としたいのである。しかし、毎年その予定通りに順調に進んだことは殆ど無い(笑)。今日は早朝から夫がその気になっていたので妻も遮る気力も無く(笑)、お手伝いバージョンになってしまったようである。パソコンに取り込んであるデータをプリントアウトし直して、届いている書類や領収書を再検討しながら早い時間から取り組んだ。
 昼食前に一段落させ、先が見えてホッとする。
 休憩を済ませて、最終ラウンドに入りピッチも上がって3時半頃にはほぼ完成した。再々度の見直しをして提出するばかりになった。年度末の大イベントである。来年辺りから e-tax  とやらに挑んでみようか??この意欲だけは是非ともお認めいただきたい。
 そんな終日の業務(笑)のお陰で、夫婦共々「玄関を開ける」作業すらできなかったということ。
 外はこのまま雪が舞っていれば、明朝は銀世界だろうか。昨夏の酷暑が懐かしい(?)雰囲気も、この冬の厳寒には口を衝いて出すわけにもいかない。私的業務も一段落。明日の銀世界を想定して今夜も早く眠ることにしよう。 

2011/02/10

元気『復活』!!

 ~先生、体調は大丈夫?~
 このブログに目を通さない限り、この「言葉掛け」はない。
 市内の小学校から、「お借りしていた英語の本」をお返ししにご自宅に伺いたいとの電話を一昨日に頂戴している。貸した本人は冊数も本の名前も覚えてはいない。しかし、借りた側ではそうはいかないようだ。丁寧な申し込みに、今夕を指定した。
 貸した本の他に、「プラス」が届けられた。
 書斎の「積ん読」状態の書籍を動かして上の写真が撮れた。iichiko の焼酎ラベルが読者の皆さんの目に止まりましたか?その下にあるのが「お菓子」です。これは妻への配慮のようです。「無駄なお礼」もあり恐縮しているのが偽らない現状である。
 関わった2年間の「教育指導」は、(本音で言えば)焦燥感との闘いだった。
 しかし、小学校教育の現状と将来を考えると、目の前で頑張る「彼らなりの姿」を認知するのが優先されないと将来への展望は無いだろうと心に決めた。教員一人一人の意識高揚が最優先である。大きな方向性を掴んで貰えたのかな、と感じた終幕であった。2年間の任を果たしたことにしている(笑)。
 昨日は、風邪かな?
 老化現象を自ら感じ取るようなブログを書いてしまった。書いたことへの後悔は無い。しかし、今夕の再会で元気が復活してしまった。数分間の立ち話をしながら元気になる自分が嬉しくなった。ありがとう!お疲れの勤務終了後の時間にご足労いただいたその「こころ」という薬が効きましたなぁ。また、お役に立ちたくなりました!!
 やっぱり、小生は単なる能天気な爺でありました、ですね。

2011/02/09

「身」も「心」も正直です。

 ~仕事に一段落が着いて~
 来週の月曜日からは3週連続で「月曜日だけの勤務」になります。そして、今年度最後の3月は下旬に県外での仕事で3日間自宅を離れるだけの数えるほどの仕事日になりました。昨日は市内の中学校での講演を終えました。終了後、親交を温め美酒をいただいて帰りました。帰り道で何となく気分がホッとする雰囲気を感じ取りました。
 案の定、今朝は大寝坊でした。
 「えっ、6時?」と、声を掛けた妻に声だけは反応したモノの飛び起きる現象は起きませんでした。更に30分ばかり目は開いたままの状態で布団の中でした。別にどこかが不調らしい兆候などありません。しかし、全身がいつもの朝のように軽やかには動こうとしてくれませんでした。
 『腰湯』を終えたのは、何と午前8時を回っていました。
 こんな日が年間に数回はあるような、あったような気もします。大仕事をこなしていた現役時代にはこんな朝の体感はあまりありませんでした。これも加齢による老化現象の証なんでしょうかね。朝食を抜いて早いお昼を食べたのが11時。さっき起きたばかり??なのに横になりたい衝動に駆られて一眠りしたら、「喉が痛いなぁ~」と呟いてしまいました。老妻の地獄耳(笑)に届いてしまいました。「大丈夫ですか」?の労りらしい声を掛けてくれた後、「疲れが出たんじゃないですか。歳ですからね」と畳み込まれ、返答に窮してしまい、苦笑いをしながら自前の常備・うがい薬(黒酢に生姜を漬け込んだ液)でうがいをして「黒糖飴」を口に放り込みました。
 身も心も健在の証拠です。
 妻の仰せの通り(笑)の症状のようでありますが、寝込むほどでもありません。新年度へ向けて、「新しい風」を巻き起こして活動できるように、これからは少しの期間ゆっくり過ごさせて貰いましょう。

2011/02/08

立春セミナーを終えて

 ~広島で「春」を迎える・・~
 主宰する教育実践『響の会』は、発起した神奈川県茅ヶ崎市の他に、静岡県浜松市、広島県広島市、そして東京都立川市で、そこに集う教員仲間の「教育情熱に思いを寄せて」活動を行っています。茅ヶ崎市では平成8年の起ち上げから早くも15年の歴史を刻むことになりました。浜松『響の会』も開設10年となりました。その後の広島市も立川市も独自の運営で着実な成果を刻んでいます。
 『響の会』には本部も支部もありません。活動方法にも強制や義務もありません。出来ることをできる人達が出来る範囲で「寄り添いながら」集うところで、とにかく発進すること。主宰者としてはその事だけを願っています。いわゆる「自主的な研修・研究グループ」とでも表現して良いのだろうと判断しています。躊躇わずに、先ず「一歩を踏み出す」ことを理念としています。
 今回の、当地での立春セミナーもすっかり定着したようです。
 写真の上段は、(1)会社経営から学ぶ の目的で毎回実施している光景です。段ボール製作を通して社会貢献をされている会社の社長さんの講演は圧巻でした。「経営」の本質を衝く話題提供に、受講者の一人としてメモを取る忙しさに充実感を満喫しました。
 写真中段は、(2)教育の実践から学ぶ の目的で、今回は同業者とも言える教育産業界で個人指導教授に情熱を燃やす日本公文教育研究会の教室経営者に発表をお願いされたようです。通称「くもん」式学習者としては、どの学校にも多くの子供達が存在するほどの教育産業部門です。子どもの実情とそれを伸ばすための企業努力ぶりを拝聴しながら、「理念への執着と熱意」が感じられました。
 写真後段は、今回の参加者全体の集合写真です。広島『響の会』では、長い間、代表としてご活躍いただいた校長先生がご勇退され、事務局の交替となりました。第二代目の代表としての献身的なご尽力には心より感謝するばかりです。新スタッフでの更なる牽引を期待して止みません。
 広島『響の会』立春セミナーは、会場が日本公文教育研究会・広島事務局の講習室です。
 会場使用料も取らず、ご提供いただいている局長のご配慮に感謝するばかりです。教育には「官」も「民」も無いという小生の理念の具現化の第一歩を共有していただいています。何よりも心強く、且つ嬉しいことです。
 このセミナーが終わると、今年度周期も第4コーナーに掛かります。
 参会者の教師達が自校に戻って年間のまとめに精を出してくれることを期待しつつ広島を後にしました。関係者各位の熱意に改めて感謝申し上げます。


2011/02/07

教育現場の醍醐味は?



 ~やっぱり「授業」!!~
 
 子どもの目力に勝るモノは無い。その力を養成できるのが学校教育である。学校教育現場の醍醐味は、だから「授業」なのである。授業を追究せずして学校教育を語ってはいけない。これが小生の持論である。
 
 ここは季節になると蛍が乱舞するという「石内尋常高等小学校」(旧)。
 そこを「ふるさと」として育つ子供達の生活拠点。6年越しの定期的に訪問する小学校である。初めての一歩を踏み込んだ時点での授業風景には、教師にも児童にも活気と意欲が感じられなかった。授業を「振り返る」経験値が少なかったのかも知れない。その後、校長のリーダーシップにより多くの助言者が招請され、授業法についての研鑽を積み重ねられたようである。その「蛍雪の功」で、ここまで成長してしまう(笑)教師群団。そんな光景を目の当たりに見せつけられ、長年の「石内小通い」も感動の時間となってしまった。授業を観察する、この「鬼の目」の涙腺が少々緩んでしまった。

 成長する教師の下でしか「子どもの目力」は育めない。
 辛口指導(と周囲は、小生を評価するが)も、子どもの視線には太刀打ちが出来ない。その視線を肥やすのは授業者である。授業者の熱意が子どもの学習意欲を鼓舞する。その授業者を叱咤激励するのが学校管理職である。通い始めた時点からずっと本校の校長はこの小学校に勤務である。校長としての勤務年数も長い。しかし、その間に学校を取り巻く周囲の環境も急変している。様々な苦労があっただろうが、授業研究に対する学校長の熱意は尋常ではなかった。不測の事態には自らが教室に赴いて子どもを相手に授業をする校長の姿は、教員の心を擽らない訳がない。

 この写真提供者は、その学校長である。

 日頃から授業者をじっくり観察している校長の「学校経営者」的視線が、届けられた写真何十枚の随所に感じられる。カメラは嘘をつかないが、カメラを向ける教育的視線の意識にしかホンモノの光景は映らない。撮影技術ではない。子供達に対する愛情である。
 教員が育つ。そして師として仰がれる教師に成長して、子どもと一緒に更に成長していく。その栄養素はやっぱり授業でしかあり得ない。そんな教員養成の総合的な学習の時間が「授業研究」に行き着くのではないだろうか。
 写真右は、反省会の席上で2名の「代表授業者」との記念撮影である。授業者の満足感を、全員の教員が集って共有できる光景は、教室で真剣に取り組んでいるエネルギーの「夜のオトナバージョン」である。伸び伸びと学校長に対しても冗談を言い合える「オトナの時間」も、昼間の授業観察の感動と殆ど変わらない。
 この雰囲気の延長線上には、来年の代表者もそろそろ決定するのではないだろうか。また、来年も「蛍の故郷」を訪問したくなっている。そんな辛口助言者がここにいる。

2011/02/06

大仕事(?)を終えて・・。

 ~3日間で4本の講演~
 もっともっと過密なスケジュールもありました。
 しかし、それは過去の出来事で、今の小生も「より若い」日の出来事でございました(笑)。久し振りの「強行スケジュール」でしたので、全てを終えた昨夜はホテルに戻っても妙な興奮で珍しく眠れませんでした。バタンキューの人生を満喫している人生には珍しいことでした。それは、こんな老脳でも考えることがあるからです。傍若無人な人生を闊歩している老輩に見えるようですが、実は・・・・。
 ところが一晩が明けると昨夜の不眠の要因などどこ吹く風??
 いつものように早朝に起床して爽やかな一日を始めるのですから、やっぱ、「不思議な世界」の住人なのでしょうかね。本人がそう思うんですからご理解いただけるでしょう。
 新幹線旅人も、車中からこんな写真が撮れるようになりました。
 写真を取り終えました瞬間から、親しい友人に会いたくて、「名古屋で降りようか」と脳裏に「我が儘」が動き出したのです。しかし、今回は、「加齢の神様」が自動制御のボタンをお押しになりました。(笑)。神様のお声は、「明日からの講演を手抜きしてはいけません」でありました。そんな我が儘を抑えながら帰宅しました。
 4日ぶりの妻の夕食の手料理(殆どが手抜き・・・・【秘】)に舌鼓を打っている能天気な夫の存在。またまた、別世界の住人として今夕も健在でありました。
 今回の広島『響の会』ツアーに関してのブログは、明日からのお楽しみに。
 充実した4日間に感謝!関係各位に心から御礼申し上げます。

2011/02/02

「この本」どうしたのかな?

 ~時々、著者のご好意で「献本」が届く~
 有難く開きながら夢中になって読んでいる自分に気が付くことがある。また、注文したことを忘れて献本との思い込みで「この本、読みたかったんだよなぁ。」と没頭して読みふける能天気ぶりに時として自らに驚いてしまうこともある。後で「代引き」領収書が机の上に置いてある。「注文していたんだ」と気付くのだから妻も呆れて物が言えないらしい。
 一昨日、「献本」という朱印が押されている1冊の本が届いた。
 誰の著書だろう?例によってとぼけた老眼で覗いてみる。「編集」小島宏という尊敬する先輩のお名前を発見して、「相変わらず頑張っておられるんだなぁ~」と感心しながらページをめくる。その時点でも記憶は正常に回転していない。パラパラとめくり終えて閉じた。A4版1枚の半折りの紙がひらひらと落ちた。何だろう?拾い上げて活字を拾い読みをする。「執筆の御礼と・・・」の表現された編集部担当者の私信だと判明して、遠い記憶(笑)が蘇る。
 半年前に原稿執筆依頼に応えて書いた原稿が本となって届いた。
 すっかり忘れていた。改めて執筆部分を読み直してみる。依頼状況と発行予定時期の予告が鮮明に浮かび上がって来た。読み終えて背中に汗をかいたような不快感が襲ってきた。つまり、記憶の忘却が、そろそろホンモノに近づいていることに愕然としてしまったのである。
 お茶を飲みながら妻にその話をした。
 殆ど感情の移入もない声音で応えた妻の言葉に再度愕然。「以前にも何度かあったわよね」の言葉が数時間は脳裏に住み着いてしまった(笑)。ところが一夜開けるとそんな光景も「ほのぼのとした記憶」に生まれ変わって登場する。やっぱり能天気な性分なんでしょうね。
 ふと思い付いた。その後にも数本の執筆を済ませて出版社に送っている。ところで、発行日はいつだったっけ?珍しく取り越し苦労をしている自分にも苦笑してしまう朝である。
 2月も2日目。厳冬に圧倒されている間に、あっと言う間に12分の1の「月」が過ぎている。インフルエンザの流行と花粉症の季節が到来しているそうだ。どちら様もお気をつけてお過ごし下さい。
 

2011/02/01

『心ぽかぽか』ニュース(11)

 ~立派な関取にはこんな支えがあった!~
 相撲って国技?そりゃぁそうだよ。だって「国技館」と言うからさ・・・。
 他愛のない庶民的な対話の正偽はここでは問題にしません。国技という国民感情が優勢勢力であった証拠に日本大相撲協会の不祥事が次々と国民の前に吐露され、ファンが意気消沈してしまった訳です。モンゴルを中心として外国籍出身の力士が多くなっている現状を、国民感情はどのように受け止めたのでしょうか?日本人がだらしない?それだけでは片付かないのが日本人独特の感情でしょう。外国人力士の異様な言動に排他的な感情を露わにしたのも現実でした。一方、横綱・白鵬関の真摯な姿勢には「日本人顔負け」の日本人らしい生き方を彷彿とさせられ、反論すら出来ないのも日本人らしいファン気質のような気がしませんか?
 そんな状況下で、館内での異様な歓声を集めるのが大関・魁皇という関取です。
 どうして?2年前に他界した義父も、最期に近い日々でも大相撲のテレビ観戦には力が入っていました。偶然ですが「九州出身」というご当所意識からかも知れませんが、魁皇関には特別に大きな声援をしていました。新聞記事(上掲)を読んで何となく納得する愚息です。早速、仏壇にも報告しました。
 18年間も応援し続ける。こういう姿勢も「日本人のファン文化」なのでしょうね。
 スポーツ選手が脚光を浴びて活躍すること自体が夢を売ることに繋がり頼もしい限りですが、その頑張りを支える『こころぽかぽか』するようなニュースを知るとホントに嬉しくなります。注目を浴びているサッカーの選手諸君にもこうした支援者が大勢存在することを忘れずに、日本人としての誇りを忘れずに、鍛え上げた実力で、世界で羽ばたいて欲しいモノですね。
 寒い朝ですので、ここに『心ぽかぽか』ニュースをお届けしました。風邪など引かぬようお気をつけてお過ごし下さい。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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