2013/12/29

『お正月の準備』風景も日本文化を伝える風物詩??


 子どもの頃は、家族みんなでそれぞれに分担が宛がわれて1年の垢を落とすことに懸命に励んだモノだった。祖母と一緒に「障子張り」をしたことを思い出している。この日だけは古くなった障子を思いっきり破いて良い、となると何だか腕に力が入らなかったことが幼心にも不思議な感覚だった。
 障子の骨組みを洗うのが難儀だった。去年の糊付けの跡が剥げなくて大変だった。近所の川に浸けて容易に作業をしていた兄たちの工夫も学んだ。川の水が冷たくて大掃除の分担が障子張りになることを敬遠したくなったことも今となれば懐かしい。

 暮れの大掃除。

これも文化の伝承にもなるのだろうか。「障子の張り替え」も、日本の家屋に常備されている「障子」という生活様式に不可欠な家具を大事に使うことへの配慮と言える。今の家屋に「障子」はあるのだろうか。無ければ「張り替え」の文化の伝承も無い。利便性の追求の裏側で消滅して行く日本文化が愛おしくも思える。

 2011(平成23)年に当地に引っ越して来た。

 建物の設計の段階で和室を固執した。たった一間の6畳の和室ではあるが「障子のある部屋」への愛着があったからである。現代の和室に取り付けられた障子に貼られている紙も大昔のモノとは段違い。数年は破れないほど立派な紙を使用しているとの事。幸いにも障子の張り替えと言う「歳末の風物詩」に手を付けることは今年も無い。

 家事の手伝いをしない現代の子ども達。

手伝いをしない??手伝いをしなくて済む様な生活文化が確立されて来たからである。日常的な「お手伝い」も、文明の利器が日進月歩に開発が進んでいる状況下では手伝いも不要になってしまったのだろう。

 子どもは大人文化の下で成長する。

 我が家の孫たちも、我が家の子ども達の時代に比べたら「家事への参入」度合いは驚くほど減少している。年の暮れも大詰めである。ラジオでも「今年もあと3日で・・・」との言葉を朝から聴き始めている朝である。皆さんの「歳末の風物詩」は如何であろうか!?
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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