広島の小学校長よりメールが届いた。詳細は「新ブログ・寸心紀行」(昨日付の登載)ご一読いただきたい。
この小学校の『今年の漢字』(=一文字)は、“変”だそうだ。
校長経験者だからその嬉しい「変」が分かり過ぎる程わかる。勤務開始時点との変わり様がこの言葉として表現されたのだろう。あくまでも表面上しか知らない「旅人」的な推測である。きっと、良い意味での「変化している」ことへの歓喜の表現であることは間違っていないだろう。
登校してくる児童生徒はどこの学校でも大同小異である。地域性や立地条件で他校とは明らかに差異が生じる(学校間格差)ことが無い訳ではない。しかし、そこに集う協働する教員集団の意識の変容によっては児童生徒の「学びの姿勢」(意欲)の変貌ぶりも想定外の域に達する。教頭職を経験した僅か1年間での実体験からも証明できる。
たった二度しか訪問していない小学校なので根拠の詳細は不明であるが、1月末の研究発表会に出講を要請されているので楽しみにしている。“変”の本質を見極めることが出来ると確信している。
尊敬する鍼診療師に、「60歳過ぎてからの転居は無謀としか表現できない」と言われた3年前を思い出す。自然環境に同化するパワーが無い、という意味らしい。温暖な地で60年間以上を過ごした身体を、当地の朝夕の温度差に馴染ませるのが酷なように思えたのは、転居した2011年の暮れのことだった。その時点から「二つ目の冬」を過ごしている。無駄な抵抗をしないで老身をこの地の自然環境に「馴らす」ことに意を注ぐことが肝心だと明確に気付いた1年であると言えようか。
小生の「今年の漢字」は『馴(らす)』となる。
史記の一文(=馬先馴而後求良)を広辞苑で発見した。馬は先ず馴らしてからでないと良い展開を求めてはいけない(?)と勝手な解釈をしている自己満足の朝である。
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