2010/11/08

新・歩禅記(37)



 
~鳩たちも「秋」を満喫?~
 田んぼの中に数え切れない程の鳩の群れ。刈り取って、干されていた稲の束が脱穀されたのだろうか。その後には栄養源が沢山落ちていたのだろう。直ぐ側でカメラを向けても一羽たりとも飛び立たない。秋の収穫の「おこぼれ」に食らいついている光景を見ながら田園風景を満喫(隣町:寒川町)。
 茅ヶ崎中央公園(上段)の木々の紅葉も今が一番の見頃かな。
 これは数日前、出講の際、JR茅ヶ崎駅まで歩いて行った折、足を止めて撮影したもの。反対側の市民文化会館の木々も色合いが「秋の深まり」をそそる頃になっていた(写真掲載なし)。
 ところで、恥ずかしいお話しであるが、「ざる菊」(写真:下段)という花の名前は初めて知った。小出川沿いに植えられているのは地域住民の方々の郷土愛の表現と受け止めている。春は、この脇に地域の愛好家が長年掛けて植え続けておられる河津桜が立派に生育して素晴らしい「並木」になって、散歩人の目と心を癒してくれる。
 数日間の連続した仕事から解放され、初冬の温かい陽ざしを浴びながら午後の散歩は格別。
 「ちょっと遅いわよね」と、秋の訪れが例年より少々遅れているのでは、との思いを妻が発した。先般頂いた大好物の次郎柿も、生産者のお声では「いつもより熟するのが遅い」とのことだった。季節全体が、今夏の酷暑が示すとおりに変動が起きているようだ。そんな他愛のない対話をしながら小出川土手を歩いた。
 1時間半の穏やかな太陽光の中での「歩き」は、心身共に爽やかにしてくれる。ちょっと遅い「秋」を見届けながら、同時に「冬近し」を心に語りかけつつ帰宅した。9000歩





2010/11/07

日帰りは、やっぱり厳しい!

 ~疲労感を支える充足感~
 半年ぶりの浜松の空気。
 浜松市の先生達と出会ったのは2001年の1月であるからもう9年間通い詰めていることになる。写真は、恒例の懇親会場のエントランス。「昨年もそうだった」と会員の先生方が口々に発していたので老脳にも微かな記憶が蘇った。クリスマスシーズン到来の「点灯式」の当日の夕刻であった。1時間半ばかりの懇親会は毎度の事ながら楽しい一時でもある。
 午前10時に開講したのは日本公文教育研究会の蜆塚教室での第5回目の講座ある。
 事務局主管の講座には全国の会場に出向するが、単独の教室での講座はそんなに多くはない。しかし、この教室の指導者は、公立学校の先生達が勉強する浜松『響の会』の出席者としても常連であり、事務局も支援するのでお声が掛かればお断りすることもなく出向しているので5回目となったのである。今回も、真剣に聴講していただいた教室の保護者の皆さんの表情はいつもと変わらず、ついつい(笑)年甲斐もなく力んでしまっている自分に気付いたが、もう、後の祭り?
 昼食を挟んで、午後は第27回の浜松『響の会』秋季セミナー。
 2年間の共通テーマである「小学校英語教育」に関しての最終回の講義となった。そこで、小学校の先生達の明日の指導に直結するべく「音読の方法」をワークショップとして時間を共有した。いよいよ、全国の小学校の5~6年生が「英語を学ぶ」時間が来年からスタートである。危惧するほどの課題も山積している。「小学校の・・」ではなく、受け入れ側の「中学校英語教育」に携わる英語科教員の意識改革に焦点を当てたいのが本音の課題である。そんな思いを載せて、この時間も少々オーバーするほどヒートアップしてしまった(本日二度目の反省!)。
 ビア-レストランは恒例の懇親会場(写真)。疲れた喉を通りすぎるビールの味を満喫し、話しに花が咲くとあっと言う間の時間。爺の我が儘にお付き合いいただいた会員はさぞかしお疲れであっただろう。駅ビルで「ちょっとだけ、あったかい焼酎を呑んで・・」の我が儘が通ってしまうから申し訳ない。
 帰路の新幹線は横浜まで移動する公文の社員さんと快適な旅情を満喫。帰宅は10時過ぎていただろうか。迎えに出た玄関先での妻の「ナゴヤドームは延長戦ですよ」の一声に「我に返って」(笑)しまった。その後はテレビ画面に目が釘付けになってしまった。就床時間が深夜になってしまったのも仕方ないこと(本日三回目の反省)。
 しかし、やっぱり日帰りはきつい!
 そんな疲労感を噛み締めている朝であるが、充足感は血流に乗って心地よく全身を駆け巡っているようだ。関係各位に心から感謝している。有難うございました。

2010/11/06

日帰りの「浜松・出講」

 ~新幹線という飛び道具~
 2001年から通い始めた浜松市。
 現職時代からであるから、もう9年間も「年に数回」の訪問を続けていることになるのか。当時は、「遠い」場所に思えて、前日から泊まりがけの仰々しい「旅モード」であったと述懐している。その後、広島市や鳥取市、それに高知市と「更に遠い」場所への出講が増えてくると、旅モードの感覚まで麻痺して来たのだろうか。遠いと感じていた浜松市が俄然、隣接感で捉えるようになっている。今日は、これから、茅ヶ崎駅まで自転車で行って、東海道線で小田原駅まで。そこで「飛び道具」紛いの東海道新幹線「こだま号(7:32)」に乗ると、目的地の浜松駅着が8:52である。10時に開講する講座には十分間に合うことになる。
 感覚麻痺。その源は「比較」だろうか。
 浜松より「ちょっとだけ遠い」名古屋に向かうことも多くなった。小田原駅に停車する「ひかり号」に乗車すると名古屋までの所要時間が、浜松駅到着より10分間も速い。今日の講演先は浜松。浜松より10分間短縮される飛び道具を使用すれば、名古屋へも「日帰り出講」となってしまうことになる。
 便利な時代になったことは喜ばしいが、「旅感覚」が麻痺してしまいそうで寂しい気もする。ともあれ、半年ぶりの浜松には10年来の親しい大勢の仲間が待っていてくれる。彼らと楽しく夕食を一緒に済ませても今日中には帰って来ることが可能である。日帰り出講と、旧交を温める再会が出来ることを楽しんでまいりましょう。行ってまいります!!

2010/11/05

これから始まる「小学校英語」教育

~「テスト」は単なる指標~
 他人の加齢状況は直ぐわかる?
 今よりずっと若かった時代の講師を良く知っている。セミナーのご案内を受けて興味関心は講演者の「その後」にあった。若かりし頃の弁舌爽やかさに、研究者の風格が漂う大きな成長を目の当たりに確認できた喜びは言葉では表現できない。当代を代表する英語教育学者氏に向かって、老輩がもの申すことは不謹慎であろうが、敢えて「成長する学者」の片鱗を見た歓喜の余りの表現であることをご容赦願いたい。同時に、初々しさと熱気が失せていない語気に大きな元気も戴けた二重の喜びであることも添えておきたい。願わくば、後輩の英語科教員にじっくり聴いて貰いたかったことも重ねて触れておく。
 海外留学に必要とされる語学に関する試験(英検も含めて) が幾つかある。海外留学志望者にとっては高得点への挑戦は今でも続いていることは確かである。氏の言葉の中に「テストは単なる指標」ではあって、点数で個人の「生きた実力」は計りきれない、と言う表現があった。研究者の人間味を感じながら聴き入った。「されど、テストである」と言う研究者の追究も伝わってきた。各種のテストでの国別平均点を画面で見詰めながら日本の現状を改めて認識も出来た。問題点は何だろう?と。
 質疑応答の時間になって訊きたいことがあったので質問をした。
 質問の主旨は「小学校英語教育と小中学校の連携」である。氏も、講演の冒頭で明言した内容であったので、具体的な先進例や現状を紹介して貰いたかったからである。氏ほどの実践研究者でも先進地域や先進的研究を進めている小中学校の実名は得ることはできなかった。それほど、この問題は難題であることが証明されたような気がする。
 来年度から、小学校で「英語を学ぶ」という歴史が日本の学校教育制度で始まる。
 氏のデータでは4分の3の子供達が「小学校の英語は楽しい」と応えていると言う。中学校1年生の後半には「英語は嫌い」の生徒が、また4分の3は現存するとなると手をこまねいている場合ではあるまい。中学校英語教員は「他人事ではない」意識が無ければなるまい。「小学校で余計な事をしてきて・・」等と嘯いているようでは、生徒達に申し訳が立つまい。
 20数年前の「中学校英語教員」としては、その現状と未来を考えれば考えるほど「小中学校の教育連携」の重要性を痛感するばかりである。
 研修レポートの筈が、老輩の愚痴になってしまったかな(笑)?
 しかし、久し振りに「専門教科領域」に関する研究者の、切れ味鮮やかな「言語」を聴くことが出来たことは至福の時間であった。これも本音。ご招待いただいた関係各位に心から感謝申し上げたい。
 小生は、この講義の内容と同調できる講師の考え方を出来るだけ多くの後輩英語教員に伝えることが主催者と講師への恩返しと考えている。今日も明日も、そんな土俵が作られている。情報提供できる環境での「役目を果たすこと」を約束しておこう。

2010/11/04

寒さと感激で震えました。



 ~「ありがとう」と言いましょう~
 昨夜は千葉マリンスタジアムまで行ってまいりました。
 東京湾から吹き付ける風がとても冷たく、周囲の観客も完璧なまでの「防寒」スタイルでした。こちらも大きめのリュックに防寒用の衣類を詰めて行きましたので完全防備でした。それでも震えました。
 震えは決して寒さだけの所為ではありませんでした。45歳になる教え子の「最後の晴れ舞台」であるとの意識が強かったからだと思います。これまでには随分多くのゲームに招待してもらいました。オールスターゲームでオリックス在籍時のイチロー選手と対決した感動のシーンや、200勝達成ゲームのナゴヤドームでの感動の場面を思い出すだけでも胸が熱くなります。こんな凡庸な教員の足下から「こんな立派な選手が巣立ったのか」と、考えるだけでも感慨無量となります。
 ロッテファンには恐縮ですが、何とか「名古屋に戻れる目処」を付けられる投球をしてくれることだけを念じつつ、全身を奮わせながら応援してまいりました。帰る電車の関係から勝利の瞬間は見届けることは出来なかったのですが、「ご苦労様。良かったね、名古屋でゲームが出来るようになって・・・」と夫婦で心の中で「お祝い」を言いながら帰宅しました。帰路の車中では両耳に聞こえる「携帯ラジオの情報」が頼りだったのですから滑稽な光景だったでしょうね(笑)。
 翌朝の今の時点でも、起床時刻が未だ後だと思われるので本人とは連絡を取っていません。長い選手生活の活躍で、「先生を喜ばせてくれてありがとう」と、後ほど伝えたいと考えています。未だシーズンも終わっていませんし、来シーズンへの本人の意向も不明ですが、「お疲れ様でした」と言ってあげたい心境の朝です。
写真は上段から「試合開始前の外野でのキャッチボール」、中段は「試合開始第1球目の投球」、下段は「当日のチケット」です。

2010/11/03

「雪だるま」式に・・・・

 ~規制して、また規制して・・・~
 昨日のこと。
 交差点で信号待ちをしていたら、「ごめん、そこは止めて・・」と大きな女性の声。年齢的には明らかに40歳は越えていただろう。ビックリして振り向いた妻が、「私じゃないのね」と呟いた。その直後、妻が「注意なんかしちゃ駄目よ」と夫に向かって語気が強かった。もし、指摘して注意するものなら「あんたに迷惑かけてないでしょ」と形相を変えて食ってかかる勢いになったのだろうか。夫の日常行動を熟知している妻の愛情あるアドバイスであった(笑)。
 電車内のアナウンスも「周囲のご迷惑になりますので通話はご遠慮下さい」である。
 迷惑にならない、より「迷惑を掛けない」倫理観を優先させなくてはならないのでは?いつもイライラしてしまうのは小生だけだろうか。数年前までは車内でも幾度となく注意(指摘)をしたモノだった。新聞等で「注意したためのトラブル」が原因で殺傷事件にまで発展したと報じられれば家人も心配するのは当然となってしまうようだ。
 「規制をする」ことには異存はない。
 しかし、規制が効かないレベルと認識されれば、さらにレベルアップの規制が生まれる。アップしてもアップしても規制が効かないとなる頃には人間生活も動物並みの体たらくになるのだろうか。賢いペット諸君に軽蔑されてしまうのかい?しかし、相変わらず拙宅の玄関先にも犬の糞尿の後が絶たない。どんな規制を必要とするのか。規制が無ければ生活が出来なくなると思うと哀しくなってしまう。
 自転車事故の多さは凄まじいようだ。自転車を愛用する爺としては恐ろしくなる。全国より遅いらしい神奈川県でも自転車への様々な規制が誕生するらしい。へそ曲がりの爺にとっては、「そんなことで」危険から護られるのか信じられないのである。どうしてこんな社会になってしまったのか、と嘆くばかりである。
 秋晴れの爽やかな茅ヶ崎の空。こんな朝に「つまらん」話題で失礼いたしました。

2010/11/01

今年も「あと、2ヶ月」ですよ!

~ブログのタイトルに苦笑~
 毎度の事ながら、ブログのタイトルを書いた瞬間の苦笑は否めない。
 加齢症候群(小生の勝手なネーミング)の為せる業なんだろうな。今年が後2ヶ月?それがどうしたの?何かが待っているのかい?と畳み込まれそうな問いを妄想するからである。数年前から書き続けている「日記」の名称を「老脳鍛錬・昨日の記録」として、「昨日の記録」を翌日の起床後一番に記録している。昨日の事じゃないか!と後輩諸兄は失笑されるかも知れないが、実は、「たかが昨日の事」なのに、中々鮮明な記憶が蘇らない朝があるのだから哀しくなる。
 確かな「加齢のエスカレーター」は順調に進んでいる(笑)。
 話題に出したい人物の氏名がすっきり出て来ない。しかし、その辛さにも随分慣れてきて落ち込まないほどに成長(?)している。だれだってそうなんだ!との能天気な老脳が後ろ押ししてくれているからであろう。
 今日から11月。
 このように表現することで意識が、どこかの時点の「11月」に辿り着く。そして、記憶を明らかにする糸口が見つかるのである。老化は閑かに全身に入り込んでいるのでストップは出来ない。少なくとも、その速度が緩やかになるような意識で務めることは重要なのだと気づき始めた。それが「歩禅」である。「歩くこと」への強い意識は未だに衰えていないのは嬉しい限りである。ズボンに足を通したらベルトに「歩数計」を着装することを忘れないことにしている。忘れたら?笑って誤魔化す!!(笑)
 新聞記事が、「最後は人間性に救われた」と記述している。
 乙武氏の教員経験からの謹言ではあるが、教育界だけではないと考えても十分ではないか。最後は人間性の問題になると確信することは同感である。その人間性は、どうにもならない先祖からのDNAが邪魔したり、援護したりするものなのかも知れない。今年の4月に、「未だ見ぬ父」が戦死したという小さな沖縄の島を訪れた。死に場所はわからないので、慰霊塔に額づいて冥福を祈りながらそう思った。命の繋がりを認めざるを得ないのは、「死んだ親父さんに笑顔がそっくりになって来たな~」「おふくろさんは世話好きで姐御肌で・・・」と言う親戚や生家の周囲に済む長老の証言的発言があったからである。
 親父の人間性?おふくろの人間性?努力することの尊さ以前に人間性も遺伝しているのかも知れない。乙武氏がご両親から繋いで貰っている人間性が、「人間性に救われた」という結論に達したのかも知れませんね。
 皆さんは、ご自分の人間性をどのように分析していますか?
 さぁ、あと2ヶ月で2011年がやって来るぞ。先祖から頂戴したこの「人間性」を益々若返らせて頑張らなくっちゃ!!(苦笑)

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー