
昨日のこと。
交差点で信号待ちをしていたら、「ごめん、そこは止めて・・」と大きな女性の声。年齢的には明らかに40歳は越えていただろう。ビックリして振り向いた妻が、「私じゃないのね」と呟いた。その直後、妻が「注意なんかしちゃ駄目よ」と夫に向かって語気が強かった。もし、指摘して注意するものなら「あんたに迷惑かけてないでしょ」と形相を変えて食ってかかる勢いになったのだろうか。夫の日常行動を熟知している妻の愛情あるアドバイスであった(笑)。
電車内のアナウンスも「周囲のご迷惑になりますので通話はご遠慮下さい」である。
迷惑にならない、より「迷惑を掛けない」倫理観を優先させなくてはならないのでは?いつもイライラしてしまうのは小生だけだろうか。数年前までは車内でも幾度となく注意(指摘)をしたモノだった。新聞等で「注意したためのトラブル」が原因で殺傷事件にまで発展したと報じられれば家人も心配するのは当然となってしまうようだ。
「規制をする」ことには異存はない。
しかし、規制が効かないレベルと認識されれば、さらにレベルアップの規制が生まれる。アップしてもアップしても規制が効かないとなる頃には人間生活も動物並みの体たらくになるのだろうか。賢いペット諸君に軽蔑されてしまうのかい?しかし、相変わらず拙宅の玄関先にも犬の糞尿の後が絶たない。どんな規制を必要とするのか。規制が無ければ生活が出来なくなると思うと哀しくなってしまう。
自転車事故の多さは凄まじいようだ。自転車を愛用する爺としては恐ろしくなる。全国より遅いらしい神奈川県でも自転車への様々な規制が誕生するらしい。へそ曲がりの爺にとっては、「そんなことで」危険から護られるのか信じられないのである。どうしてこんな社会になってしまったのか、と嘆くばかりである。
秋晴れの爽やかな茅ヶ崎の空。こんな朝に「つまらん」話題で失礼いたしました。
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