~ブログのタイトルに苦笑~
毎度の事ながら、ブログのタイトルを書いた瞬間の苦笑は否めない。
加齢症候群(小生の勝手なネーミング)の為せる業なんだろうな。今年が後2ヶ月?それがどうしたの?何かが待っているのかい?と畳み込まれそうな問いを妄想するからである。数年前から書き続けている「日記」の名称を「老脳鍛錬・昨日の記録」として、「昨日の記録」を翌日の起床後一番に記録している。昨日の事じゃないか!と後輩諸兄は失笑されるかも知れないが、実は、「たかが昨日の事」なのに、中々鮮明な記憶が蘇らない朝があるのだから哀しくなる。
確かな「加齢のエスカレーター」は順調に進んでいる(笑)。
話題に出したい人物の氏名がすっきり出て来ない。しかし、その辛さにも随分慣れてきて落ち込まないほどに成長(?)している。だれだってそうなんだ!との能天気な老脳が後ろ押ししてくれているからであろう。
今日から11月。
このように表現することで意識が、どこかの時点の「11月」に辿り着く。そして、記憶を明らかにする糸口が見つかるのである。老化は閑かに全身に入り込んでいるのでストップは出来ない。少なくとも、その速度が緩やかになるような意識で務めることは重要なのだと気づき始めた。それが「歩禅」である。「歩くこと」への強い意識は未だに衰えていないのは嬉しい限りである。ズボンに足を通したらベルトに「歩数計」を着装することを忘れないことにしている。忘れたら?笑って誤魔化す!!(笑)
新聞記事が、「最後は人間性に救われた」と記述している。
乙武氏の教員経験からの謹言ではあるが、教育界だけではないと考えても十分ではないか。最後は人間性の問題になると確信することは同感である。その人間性は、どうにもならない先祖からのDNAが邪魔したり、援護したりするものなのかも知れない。今年の4月に、「未だ見ぬ父」が戦死したという小さな沖縄の島を訪れた。死に場所はわからないので、慰霊塔に額づいて冥福を祈りながらそう思った。命の繋がりを認めざるを得ないのは、「死んだ親父さんに笑顔がそっくりになって来たな~」「おふくろさんは世話好きで姐御肌で・・・」と言う親戚や生家の周囲に済む長老の証言的発言があったからである。
親父の人間性?おふくろの人間性?努力することの尊さ以前に人間性も遺伝しているのかも知れない。乙武氏がご両親から繋いで貰っている人間性が、「人間性に救われた」という結論に達したのかも知れませんね。
皆さんは、ご自分の人間性をどのように分析していますか?
さぁ、あと2ヶ月で2011年がやって来るぞ。先祖から頂戴したこの「人間性」を益々若返らせて頑張らなくっちゃ!!(苦笑)
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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