2010/11/17

やっぱり「気負う」凡人!

 ~「徒歩10分」の会場~
 退職する前からのことですから、どれほどの「講演」をお請けしてきたのでしょうか?回数は正確には記憶していないほどです。行き先を問われれば答えに窮するどころか、溢れるほどの地名も出てくるほどに全国の各地を訪問させていただいてきました。
 従って、宿泊ホテルでの送迎にも慣れています。新幹線の改札口でお迎えいただいた関係者の車で移動したり、到着駅で指定されたタクシーに乗って講演会場まで行ったことは山ほどあります。「緊張を知らない」と評されたほどに講演することを苦にしないで、昨日まで生きてきました(笑)。
 昨日は、そんな気遣いや気忙しい「送迎」も無く、自宅から徒歩10分で到着できる講演会場でした。  今までの「講演人生」の中で最短距離にある会場ですからベストな講演が出来て当然?ところが、玄関先を出て数歩しか無いお家からの「聴講者」が会場にいることを見届けてしまったら、いかなる老脳でも刺激が大きすぎると思いませんか。この地に住んで30年以上が過ぎています。その間は、正真正銘の「子育て」期間でした。そんな未熟な親業を熟知している方の姿が講演会場で目に入れば動顛するでしょう?冷静に子育て論を発することは尋常の沙汰では無い状態でした。
 そんな動揺も、運良く(笑)、声帯異常で声が上手く出なかったことがカムフラージュになってくれました。そんな不幸も幸運にしてしまう天性は今日も生きていました。
 ともあれ、そんな立地条件に恵まれている講演会場と、同時に「わが子3人」が学んだ小学校であることを併せて考えると、精神的条件は決してベストではなかったと言っても過言ではありませんでした。昨日のブログでは「講師の語り」の部分まで内部告発するような気分で自信満々に思える表現でしたが、現実的には重圧に潰されたことで「楽しいご報告」など御座いません。ゴメンなさい。
 会場から沢山の感想を頂戴しました。
 受け止めていただいた聴講者に感謝です。次回の講演に活かしたいを心している24時間後の夕べです。
 

2010/11/16

『心ぽかぽか』ニュース(10)

 ~同一新聞に同一記事が~
 こんなことってあるんだ!新聞を読みながら不思議に思えた。
 主人公は同一の犬。書いた記者が違うと視点がこんなにズレて書けるのか。観点も大きく違うのは主観がそこにはあるからだろうか。主観はどこから生まれてくるのだろうか。起因には職業観も否めないが、その人の「生き方」に付随するモノではないか、とこの2つの記事を読みながら考えた。
 暗い事件や事故の話題ばかりを目が追ってしまう。
 そして、いつの間にか事件に対しての是非善悪の程度判断が麻痺しているような生活に気付く。同じような事件に思えるモノでも根底には全く異質の条件が流れているのだろうが、「また?」と片付けてしまう日常生活が恐ろしくもなる。
 そんな折り、11月12日の朝刊紙のページは全く別の紙面ではあるが、こんな『心ぽかぽか』するニュース記事に触れて、イヤな事件も暫し吹っ飛んだ。経験値の異なる記者の目が、それぞれの視点と観点から動物を語りながら、わが人生の「今」にふれているようでホッとする。主人公の犬への感動より、小生は記者たちの「心の温もり感」に安堵している。やっぱり、我が輩は変わりモン爺様かな(笑)。
 今日は、我が3人の子供達が卒業した小学校での講演である。
 その冒頭の「講師の語り」でこの新聞記事を使う予定である。先週末の講演は、義理の息子(長女・婿)の出身小学校での講演だった。何となく子育て時代の「足下を見透かされる」思いも無い訳でも無い。しかし、お請けしたからには主催者の本意に添えるよう今日も頑張ってまいります。自宅から徒歩で「出勤」です。今日の仕事日記(=失敗談)は後日のお楽しみに!

2010/11/15

この写真は何だと思いますか?

 ~会場に向かう途中~
 10年ばかり前のことを思い出しました。
 それはこの光景(写真・上)です。道路から見渡す限りにこの農作業の処理風景が目に留まりました。運転していた娘婿に訊いて、その答えに驚きました。それは全く想像が付かなかったからです。百姓の倅だった小生には「脱穀が済んだ稲の束」を積み重ねている光景にしか見えなかったのですが、この処理方法の目的を知ってから考えると更に土ツボにはまってしまいました。農作業の行程を説明してもらって、半信半疑ながら頷いた日を思い出したのです。この光景はこの季節のホンの一時だと言うことです。
 全国の読者の皆さんには、この写真が何の光景であるかわかりますか?
 さて、こんな光景を腹一杯(笑)見詰めながら、講演会場である小学校に向かいました。今回は第2回目のフォーラムです。初回に引き続いての出講ですので会場の雰囲気もある程度の理解は出来ていました。
 しかし、講演というのは常に聴講者が変動します。
 昨年から連続して聴講している方もあれば、今回が初めてだという方も大勢いらっしゃいます。無駄な重複があると連続聴講者にとっては「時間の無駄」さえ感じてしまわれるようです。さりとて、話題が貧乏な講師にとっては「目玉トピックス」がそう簡単に出せる能力もありません。そんな憂鬱な気分で壇上に上がれば聴講者には直ぐに伝わるモノらしいですね。
 皮肉にもご自慢の声(笑)に変調が起きていました。
 起床後の掠れた声に落胆したのは当の本人でした。拙い!!と思ったときはもう後の祭り。そんな状況下での講演は最低そのものだったと自己評価をせざるを得ません。聴講者の皆さんに申し訳ない気持ちで会場を後にしました。昼食の会場でも悪声での対応に主催者の皆さんにも多大なご心配を掛けてしまいました。
 長女が嫁いでいる町。娘婿の出身小学校がフォーラムの会場です。義理の父親としては文字通りに「大役」でした。そして、そこで「家庭教育を話題にする」というプレッシャー。更に、声が出ないというこんなハプニングまで緊張感を後押ししてくれました。小生自身そのものは、そんなに神経の細い人生を歩いてきた記憶は無いのですが現状にはどうにもなりませんでした。
 育てたようにしか育っていない長女が嫁いでいる地。この「現実」を加味して、お得意の開き直り精神でぶつかったのですが、その割にはだらしない『結果』になってしまったとしか言い様がないのです。
 しかし、孫達は大喜び。
 講演の翌日まで泊まって、たっぷり戯れに興じて帰ってきました。声のでない祖父ちゃん等全く無縁なまでのはしゃぎぶりには、前日の体たらくすらすっかり忘れる程の楽しい時間にさせてくれました。
 講演とその設置条件。
 初対面の方々を相手にした方が楽かな?なんて、相変わらずの無責任極まりない思考が飛び出すほどに今朝は快復に向かっているようです(笑)。体調管理の重要さを、今更ながら感じた今回の講演の旅でした。レジュメを参考に小さく掲載しておきました。

2010/11/14

ただ今、帰宅。

 ~講演する場所が違えば・・・~
 全国の各地を巡業(笑)している流しの「講師」として、何が最も気になるかと言えば聴講される方々との関係である。今回は千葉県八街市。長女が嫁いで10年以上。その実家のご両親に勿体ないほど大事にされている。その地域で開催されるの福祉フォーラムへの出講であった。温かい人間関係を育んでいただいている土地柄である。講師と聴講者との直接の接点は無いとは言え、講師の素性はどこからでも判明することは容易いことでは無いだろうか。気にならない、と言ったら嘘になる!
 余計なことを言ったり、格好良いことを述べたりすれば「嫁を見れば・・・」との反応に屈しなければならない。これは「火を見るよりも明らか」である。従って余計な緊張もする。ご理解いただきたい。
 そんな大役(笑)を果たして(?)帰宅した。
 どっと疲れを感じている、そんな時間帯である。旅日記は後日にして、取り敢えず「空白のブログ」の穴埋めのためにパソコンに向かったところである。
 

2010/11/11

新・歩禅記(38)

 ~午後3時頃からの散歩~
 木曜日は定例の鍼診療日。
 7時半に車で出発して、帰宅するのが午後1時半頃。頭から爪先までの全身に何十本の鍼が射されるのだろうか。数えたことは無いが相当数に上るだろう。受診した午後は帰宅直後にだるさを感じることが多く、2時間ばかりは休養するのが定番リズムである。
 3時半頃から歩禅に出発。
 この時間を選ぶのは、小学校の子供達が下校する時間であるからだ。歩禅区域には幾つもの小学校がある。今日は東側を選んだので「3つの小学校区」を歩くことになった。直ぐに目に付くのは、学校指定(?)のジャンパーのような上着を羽織ったお祖父ちゃんらしい人物である。JR相模線の踏切の向こうから下校してくる数名の児童に向かって、踏切の手前に立っていらっしゃる人物から「お帰り!」と声が掛かった。全員が「ただ今」と言葉を返しながら小走りで自宅の方に向かっている姿は何とも言えない。「平穏な」空気が感じられて嬉しくもなる。「ご苦労様です」と声を掛けると、驚いたような表情ながら笑顔で「ありがとうございます」と言葉が戻ってきた。
 生活共同体の「関わり方が薄らいでいる」という現状を熟知している住民としては、このような光景と出会うに付け安堵するのは我々夫婦ばかりではあるまい。願わくば、自宅の玄関先ででも「お帰りなさい」と言ってあげられる人間関係を創出したいモノである。
 千葉と茨城に住んでいる我が孫達も、このような「共同体」のお力を戴いて成長させていただいているのだろう。何の役にも立たない爺婆としては少々気が引けながら2校目、3校目と学区を巡視(笑)して帰ってきた。こんな散歩もお勧めである。

2010/11/10

TV番組 : 先生たちへ 繰り返されるいじめにどんな対策を?


~たかがTV番組
  されど・・・・~
 昨日の夕刊記事(左)がとても気になっていたところに、タイトルに示した番組が放映されることが合致した。小生は殆ど昼間のテレビ視聴は無い生活者である。だから、午後の言動に妻が驚きながら付き合って画面を見てくれた。
 番組構成とかコメンテーター(?)の顔ぶれ等は番組選択基準には無い。タイトルが「先生たちへ」との呼びかけ表現と、「繰り返されるいじめ」というフレーズに「覗いてみよう」という心境になった。
 やはり、所詮は「元・先生」である。
 担任教員時代のあの頃も「いじめ」は存在していた。いじめという表現も「理解の歴史」は長い。小生が小学生時代にもいじめは存在していた。拙著にも自身の苦しかったいじめられた体験談を記述した。あの頃は「いじめられる側」に全ての非難が集中していた。「いじめられたらいじめ返せ」、と家人は大声を上げて叱咤激励したモノだった。弱虫というレッテルを貼られた哀しい時代であった。「男らしい」という伝家の宝刀は、時としてそれらしい振る舞いが出来ない「男の子」にとっては人生の落人であったような思いであったが、今は、違うぞ。それは、育んでいただいた「先生たち」や立派な大人の皆さんのお陰なのである。
 時代はあれから50年(半世紀)以上も経っている。
 それでも「繰り返される」いじめが顕在しているようだ。現実問題として、小学校6年生の女児が一つの命を自らが絶ってしまったではないか。要因を「いじめではない」との方向性を出す・出さない、と言うことが問題ではない。一つの命が何らかの状況下でこの世から消えてしまったことを、他人事にして欲しくないのである。それが世論の中心になるべきだ。
 そんな思いで見ていた画面に「尖閣諸島のビデオ流出事件の該当人物が・・・」とテロップで流れた。大人社会の違った側面をまた見せつけられる。切ない瞬間でもある。
 いじめであろうが、このような「あってはならない事件」であろうが、「何でもあり」の社会事象が多すぎる。「社会生活での是非善悪の判断力」を麻痺させてしまいそうな世相が怖くなってしまう。
 長閑な爺と婆二人だけの昼下がり。
 午前中の強い風もいつしか止んで、窓から差し込む西からの陽ざしに熱いと感じるほどの時間。しかし、心の中を吹き抜ける「多すぎるほど」の事件や事故に心が底から冷え込んでしまう思いになった。同時に、「孫世代」が生きるこれからのわが国に不安を感じてしまい暗い気持ちになってしまった。
 「学校の先生たちへ・・・」 
 先輩として、心からお願いしたい。弱いからこそ「先生たち」の助けを求めている子ども達がいることを決して軽視しないで欲しい。先生も辛いことだろう。しかし、「せんせい」と呼ばれる職業の意識を、改めて自己認識に置き換えて欲しいのである。大人に期待している子供達に、安心と安全を確保してあげて下さい。お願いします。
 教育者のみならず、この世代を生きる「全ての大人」が真剣に考えないととんでも無い時代を残してしまうことになるのではないか。「大人の責任」を考えてしまった午後である。
 

2010/11/09

意識改革は「自意識の感度」次第

 ~そうだったのか!?~
 教え子の話題(プロ野球)に固執する爺さんで申し訳ない。
 現職時代は、溢れるほどの「ナマの話題」が多かったので「悩むことに事欠かない」状況であったが、本職から遠ざかると「僅かな情報」を生き甲斐としてしまう傾向になってしまうようだ。これが加齢症候群の特徴の一つかも知れない(笑)。許されたし!
 読者の皆さんにはご迷惑だろうなぁ~、と反省はしている。そこはご理解願いたい。
 そこで、昨日の新聞記事に注目してみた。大活躍した選手が、ややもすると次年度には、期待を大きく裏切ることが多い。この記事の主人公も例外ではなかったようだ。先輩諸兄の厳しい指摘やアドバイスを「頂戴した」経緯が思い出として記されている。持つべきは素晴らしい上司と厳しい同僚・仲間(先輩も含めて)であることをこの記事からもはっきり伺える。
 しかし、爺は想う。
 どんなに素晴らしい上司と遭遇しても、厳しい助言をしてくれる同僚や仲間に巡り会えてもこの主人公のように誰でもが成長できるという保障はない、と言うこと。つまり、自意識という「心臓部」への、自らの危機感を伝える能力が潜在していなければならないと思うからである。一流の一流たる所以は、「自らを良く知り」「自らに厳しい」言動が出来る人材でなくてはならないのかも知れない。
 二~三流人生を送って来たこの爺には、無縁の話のように「遠い花火」にしか見えない。
 昨日の電子ニュースで45歳のプロ野球選手である教え子が、「来季も現役続行の決断を下した」との情報を受け取った瞬間、一流の更に上級の一流を目指す自意識の高さに大いなる刺激を受けることになった。自らの意識が確立してこその一流人だと仮定すれば、この記事の主人公の来季は更なる大きな飛躍が期待できること請け合いである。教え子同様に大いに期待したいモノである。
 今日は爺の「妙なぼやき」で失礼仕り候!
  

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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