~午後3時頃からの散歩~
木曜日は定例の鍼診療日。
7時半に車で出発して、帰宅するのが午後1時半頃。頭から爪先までの全身に何十本の鍼が射されるのだろうか。数えたことは無いが相当数に上るだろう。受診した午後は帰宅直後にだるさを感じることが多く、2時間ばかりは休養するのが定番リズムである。
3時半頃から歩禅に出発。
この時間を選ぶのは、小学校の子供達が下校する時間であるからだ。歩禅区域には幾つもの小学校がある。今日は東側を選んだので「3つの小学校区」を歩くことになった。直ぐに目に付くのは、学校指定(?)のジャンパーのような上着を羽織ったお祖父ちゃんらしい人物である。JR相模線の踏切の向こうから下校してくる数名の児童に向かって、踏切の手前に立っていらっしゃる人物から「お帰り!」と声が掛かった。全員が「ただ今」と言葉を返しながら小走りで自宅の方に向かっている姿は何とも言えない。「平穏な」空気が感じられて嬉しくもなる。「ご苦労様です」と声を掛けると、驚いたような表情ながら笑顔で「ありがとうございます」と言葉が戻ってきた。
生活共同体の「関わり方が薄らいでいる」という現状を熟知している住民としては、このような光景と出会うに付け安堵するのは我々夫婦ばかりではあるまい。願わくば、自宅の玄関先ででも「お帰りなさい」と言ってあげられる人間関係を創出したいモノである。
千葉と茨城に住んでいる我が孫達も、このような「共同体」のお力を戴いて成長させていただいているのだろう。何の役にも立たない爺婆としては少々気が引けながら2校目、3校目と学区を巡視(笑)して帰ってきた。こんな散歩もお勧めである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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