2010/11/15

この写真は何だと思いますか?

 ~会場に向かう途中~
 10年ばかり前のことを思い出しました。
 それはこの光景(写真・上)です。道路から見渡す限りにこの農作業の処理風景が目に留まりました。運転していた娘婿に訊いて、その答えに驚きました。それは全く想像が付かなかったからです。百姓の倅だった小生には「脱穀が済んだ稲の束」を積み重ねている光景にしか見えなかったのですが、この処理方法の目的を知ってから考えると更に土ツボにはまってしまいました。農作業の行程を説明してもらって、半信半疑ながら頷いた日を思い出したのです。この光景はこの季節のホンの一時だと言うことです。
 全国の読者の皆さんには、この写真が何の光景であるかわかりますか?
 さて、こんな光景を腹一杯(笑)見詰めながら、講演会場である小学校に向かいました。今回は第2回目のフォーラムです。初回に引き続いての出講ですので会場の雰囲気もある程度の理解は出来ていました。
 しかし、講演というのは常に聴講者が変動します。
 昨年から連続して聴講している方もあれば、今回が初めてだという方も大勢いらっしゃいます。無駄な重複があると連続聴講者にとっては「時間の無駄」さえ感じてしまわれるようです。さりとて、話題が貧乏な講師にとっては「目玉トピックス」がそう簡単に出せる能力もありません。そんな憂鬱な気分で壇上に上がれば聴講者には直ぐに伝わるモノらしいですね。
 皮肉にもご自慢の声(笑)に変調が起きていました。
 起床後の掠れた声に落胆したのは当の本人でした。拙い!!と思ったときはもう後の祭り。そんな状況下での講演は最低そのものだったと自己評価をせざるを得ません。聴講者の皆さんに申し訳ない気持ちで会場を後にしました。昼食の会場でも悪声での対応に主催者の皆さんにも多大なご心配を掛けてしまいました。
 長女が嫁いでいる町。娘婿の出身小学校がフォーラムの会場です。義理の父親としては文字通りに「大役」でした。そして、そこで「家庭教育を話題にする」というプレッシャー。更に、声が出ないというこんなハプニングまで緊張感を後押ししてくれました。小生自身そのものは、そんなに神経の細い人生を歩いてきた記憶は無いのですが現状にはどうにもなりませんでした。
 育てたようにしか育っていない長女が嫁いでいる地。この「現実」を加味して、お得意の開き直り精神でぶつかったのですが、その割にはだらしない『結果』になってしまったとしか言い様がないのです。
 しかし、孫達は大喜び。
 講演の翌日まで泊まって、たっぷり戯れに興じて帰ってきました。声のでない祖父ちゃん等全く無縁なまでのはしゃぎぶりには、前日の体たらくすらすっかり忘れる程の楽しい時間にさせてくれました。
 講演とその設置条件。
 初対面の方々を相手にした方が楽かな?なんて、相変わらずの無責任極まりない思考が飛び出すほどに今朝は快復に向かっているようです(笑)。体調管理の重要さを、今更ながら感じた今回の講演の旅でした。レジュメを参考に小さく掲載しておきました。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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