2010/11/09

意識改革は「自意識の感度」次第

 ~そうだったのか!?~
 教え子の話題(プロ野球)に固執する爺さんで申し訳ない。
 現職時代は、溢れるほどの「ナマの話題」が多かったので「悩むことに事欠かない」状況であったが、本職から遠ざかると「僅かな情報」を生き甲斐としてしまう傾向になってしまうようだ。これが加齢症候群の特徴の一つかも知れない(笑)。許されたし!
 読者の皆さんにはご迷惑だろうなぁ~、と反省はしている。そこはご理解願いたい。
 そこで、昨日の新聞記事に注目してみた。大活躍した選手が、ややもすると次年度には、期待を大きく裏切ることが多い。この記事の主人公も例外ではなかったようだ。先輩諸兄の厳しい指摘やアドバイスを「頂戴した」経緯が思い出として記されている。持つべきは素晴らしい上司と厳しい同僚・仲間(先輩も含めて)であることをこの記事からもはっきり伺える。
 しかし、爺は想う。
 どんなに素晴らしい上司と遭遇しても、厳しい助言をしてくれる同僚や仲間に巡り会えてもこの主人公のように誰でもが成長できるという保障はない、と言うこと。つまり、自意識という「心臓部」への、自らの危機感を伝える能力が潜在していなければならないと思うからである。一流の一流たる所以は、「自らを良く知り」「自らに厳しい」言動が出来る人材でなくてはならないのかも知れない。
 二~三流人生を送って来たこの爺には、無縁の話のように「遠い花火」にしか見えない。
 昨日の電子ニュースで45歳のプロ野球選手である教え子が、「来季も現役続行の決断を下した」との情報を受け取った瞬間、一流の更に上級の一流を目指す自意識の高さに大いなる刺激を受けることになった。自らの意識が確立してこその一流人だと仮定すれば、この記事の主人公の来季は更なる大きな飛躍が期待できること請け合いである。教え子同様に大いに期待したいモノである。
 今日は爺の「妙なぼやき」で失礼仕り候!
  

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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