2011/04/30

明日から「皐月」ですね。

 ~少しずつ新天地リズムに・・~
 今日で4月が終わります。
 こんな表現は、読者の皆さんに声掛けしているのではありません。筆者自身が筆者自らに意識付けをしている表現ですからご了解願います。
 加齢して「引っ越す」ことは身ともに疲労困憊する、とは何度となく耳にはしていました。実体験をしてみると先輩諸兄の「恨み辛み」節が身に染みてくるのがよくわかりました。所帯を持って数年後に転居もしました。引っ越し荷物より助っ人の数が多かったという笑い話も残っています。
 今までの転居とは雲泥の差です。加齢がその主因でしょう。
 引っ越しの荷物づくりに時間が掛かること。40年近く住み慣れた「生活空間」の主たちと決別する判断力も鈍ってしまっているのです。思い出が詰まっている?と言えば耳触りは良いようですが、「捨てる」心に「思い出という未練」が覆い被さって来るのでしょうか。塵と埃に覆われた「逸品」(笑)の出土に巡り合うたびに作業効率も大きく鈍ってしまいました。
 転居先は茨城県。所謂「東京越え」の引っ越しです。距離は九州・熊本県と神奈川県とは比較になりませんが大移動になることは間違いありません。引っ越し業者の選定から葛藤が始まりました。娘たちが外野席から老妻に忠告を送ります。それが伝わってきます。そんな些細な出発点から気を病んでしまいそうになります。
 そんな葛藤で過ごした数か月。
 引っ越しに踏み切って契約をした引っ越しが、この4月でした。そんな思いから「明日から」月が替わるという意識がこみ上げてきたのです。
 写真は、今朝の朝陽が上がってくる前のリビングから見える風景です。転居して間もなく3週間ですが「茅ヶ崎のリズム」の復元に近づいてきました。今朝も4時前には起床できました。早朝の『腰湯』もできました。5時過ぎには朝食を摂りました。写真の景色を満喫しながらの朝食は美味しいものです。
 明日から5月です。大型連休明けには仕事も待っています。新居の片づけもずいぶん進みました。新しいパソコンにも慣れました。そろそろ、回転の始動です!!

 

2011/04/29

新・歩禅記(48)

 ~歩いて墓参~
 朝7時半に家を出る。
 駅の南側に新居がある。路地を抜けて常磐線の踏切を渡り、北側へ移ると、交通量の多い道路が常磐線沿いに東西に走っている。「つくば万博の頃は活気があったんだろうなぁ」、と空想しながら歩を進める。ひたすら歩くだけの風景ではあるが、「地元民」となったという意識からか景色が温かく感じる。(参考までに今朝は結構冷え込んでいる)。
 15分ばかり歩くと長男一家が住んでいたアパートが近くなってきた。
 ここまでは、以前にも数回JRの駅から歩いたこともある。旅の荷物を持っての移動だったので疲れしか記憶がない。アパートの近くに近隣では大きめのスーパーがある。孫を連れて駄菓子を買いに来たこともあるそのスーパーを横に見て通過すると、更に大きな通りに出る。これは土浦駅に向かう道路のようである。引っ越して来て数回ほど湘南ナンバーの愛車(軽自動車)で走ったので道路状況もわかる。その道路沿いに500メートルも歩けば義父母が眠る墓地に到達する。墓地の管理者は観音寺というお寺さんで嫁の実家である。
 2週間ばかり前に引っ越してきて挿した生花だが、まだ十分にお供えの用をなしている。ちょくちょく墓参できる幸せを妻は感じているらしい。額ずいている時間が長かった。1~2本の枯れた花だけ抜いて焼却場に置いて帰ってきた。
 帰路は探検歩禅である。
 この道を通ればどこに通じる?この趣向は小生の人生の趣味の一つとでも言える。近道を探すのではない。歩きやすい「道」を探すだけのことである。わがままばかりの夫の、この種の人生哲学に従順な妻はあきらめて(?)、いや呆れながら伴に歩いて来てしまったのかも知れない。帰路も「新しい道検索」をしながら、ほぼ予定通りの60分間で帰宅した。
 孫たちは今日は「イチゴ狩り」らしい。家族で出発したので通常の午前の静かさである。

2011/04/28

18歳で「先生!」と呼ばれて・・・

 ~懐かしいお便り~
 写真は昨日届いた1枚の葉書です。
 神奈川県高座郡寒川町から届きました。この町は、高校を卒業して大学進学のために上京し、この町に先に住んでいた次兄と同居して学生生活を始めた記念すべき地でもあります。家庭教師という大それた業務を請け負って、当時中学3年生だったこの家の長男の高校進学のためのヘルパーを務めた町でもあります。名ばかりの家庭教師だった小生を、家族の一員として扱っていただいた忘れることのできない生涯忘れてはいけない恩人一家の奥様からの葉書なのです。
 「働いて得たお金」をいただいたこのご一家とのお付き合いは、下のお子さんの大学進学まで続きました。当時、ご健在だったこの家の御祖母様にも、孫同様に可愛がっていただいたことを、届いた葉書を読みながら懐かしく思い出しています。
 初めて「せんせい!」と呼ばれた緊張感で過ごした勤務時間(笑)も懐かしく蘇ってきました。大学を卒業して高校の「せんせい」となった人生の羅針盤はここに存在していたのだとも、今となると確信できます。これも感謝の二文字で表現されるのですから「恩人」なのです。
 突然の転居通知を送りつける「恩知らず」の行動は、今でも治っていないようです。
 18歳で初めて「先生」と呼ばれた人生の延長線は、今でも未だハッキリと続いているのも人生の妙なのでありましょうか?
 土浦の朝は曇天です。昨日は強風で常磐線もダイヤが狂いました。今日も雨模様でしょうか。そんな一日が明けました。

2011/04/27

所変われば品変わる!?

 ~「地震」も違うんですよ!!~
 10年ばかり以前に、当地に住み着いた長男から「茨城の地震はちょっと違うんだよ」と話したことを思い出した。当事者意識とはここまでズレがあるのだろうか。当時は、言っている意味も理解しようともしなかったからだろう。地震の本質には違いないだろう、ぐらいの意識であったことは間違いない。
 所変われば品変わる。
 18歳の青年が故郷を離れて神奈川県に住んだ時点で、同じ品物でも呼び名が違うし、同じ料理でも作り方や食べ方まで違った。言葉は意識していたが「生活そのもの」全般に、何かが少しずつズレていて、そのものが都会コンプレックスに繋がったような思い出が蘇った。
 昨夜、10時12分。
 ドーン(=最適の擬音語ではないかも知れない)と言う音と同時に大きな揺れが襲ってきた。「地震だ!」と布団から飛び起きた。茶箪笥も冷蔵庫も書棚も長男が防災具(留め金等)で留めてくれているので倒れる心配はないが、揺れが大きいと不安でもある。数十秒の揺れの後直ぐに鎮静して今朝まで何事も起きなかった。地鳴り?紛いの音が先行する地震にも、少々の慣れたようにも思えるが恐怖を煽るような音の先行には「地震の違い」らしさを感じざるを得ない。
 引っ越して2週間になるが、地震の成り立ち方から違うことを実感し始めた。
 昨夕、お風呂に入りにやってきた小学生の2人の孫息子たちが、3月11日の震災時点の恐怖を語ってくれた。「防災放送を真剣に聞いた」という長男孫は小学校の教室での被災時を思い出したようである。次男孫は保育園児だったので「泣き叫ぶ赤ちゃん達」の声を思い出したらしい。地震が収まってから帰宅したそうだが、指定避難先の小学校に家族で避難するところまで追い込まれたようである。
 孫たちが成長して、親元を離れて県外でも生活することになると、「地震の違い」も実感することだろう。ところで、全国の読者の皆さんは、「地震」の様相が違うことをお考えになったことがありますか?茅ヶ崎の地震と土浦の地震は様相が全く違うんですよ、ホントに。この歳になって良い体験をさせていただいております(笑)。

2011/04/26

身分を証明するモノ、って?

 ~運転免許証さえあれば・・・~
 新居先に最も近い郵便局に行きました。
 妻に伴う事務書類に関する「住所変更届」の申請のために同伴しました。決まって乞われるのが、身分を証明するモノの提示です。妻には運転免許証がありません。そこで、新住所で申請して戴いた「国民健康保険証」を提示すると、顔写真付きでないと通用しないとの対応です。こんな時、皆さんはどうなさっているのでしょうか?郵便局発行の通帳を住所変更するのですから、窓口の担当者から「カード」の提示とその『暗証番号』の確認で完了しました。何とか住所変更ができた妻が、ポツリと言いました。運転免許証は「絶対権力」なのね、と。
 実は、今回の転居は不案内の都市なので運転は止めようかと妻に話したことがありました。市役所へ出向いても身分証明を要求されて「一つ」のモノでの提示で済むのが運転免許証でした。必要性が「最高級」の貴重品だと痛感しています。シルバーマークには、もう少し年数があります(笑)が、運転しなくても「運転免許証」だけは持っていたほうが便利??ちょっと変ではありませんか、ね。
 実生活でも「車社会」の時代ですから、まさに、車が全ての社会構造の証明ですよね。
 ふと、余計なことまで考えが進んで妻との語らいは進展しました。新居の設計段階で工務店からは「オール電化」が前提での説明でした。今回の計画停電に遭遇した「東京電力」傘下の住民は、「電力が全て」を実感したのです。老夫婦の住む隠居小屋(?)には、工務店も驚いておられましたが近隣では珍しいプロパンガスが入りました。
 「初めに・・・」車ありき!電力ありき!!
 経済大国として誇った我が国も、そろそろ原点に戻って「節約と辛抱」の国民性を活かす社会構造を見直してみたらどうでしょうか?福島原発の問題も、そんな先端にあるような気がしてなりません。
 運転免許証の無い老人には、身分を明かす代物が2点あるそうです。それは、「(国民)健康保険証」と「年金手帳」等だということを自学いたしました。そんな平凡な一日が戻ってきています。

2011/04/25

昨夜は「雷雨」!

 ~朝陽が上がって来ました~
 昨夕は遊んでいた孫のお友達に急きょの「帰宅指示」を下して30分もしない内に強い雷鳴が轟き始めた。もうとっくに自宅に到着していると孫から説明を聞いて安堵した。暫くは凄い勢いの雷雨であったが、いつものように早寝の老夫婦の時間設定に狂いはなかった。
 余震に怯える日々に、今夜は雷雨??
 自然の営みには抵抗はできないので、こんな時は「早く寝るに限る」との先祖の言葉を噛みしめつつ眠った。写真は、今朝(5時前)のリビングの窓から見える栗畑の風景である。この朝陽と一緒に朝食を摂る。何と幸せな時間だろう!そんな一日が始まりました。
 当面の「要務」は、引っ越し荷物の片づけである。中でも厄介な品種(笑)は、何十箱にも詰め込んだ「BOOKS」である。引っ越したら処分するから、との発想でそっくり運んでしまった軽率な判断が今日からの実働に稼働率の低さを導き出すことだろう。「いい加減」な性分が、その責めをどのように果たすかが見ものである。予定は未定?本の片づけの完了「予定」はGWが明けるまでとしているが・・・。実施状況は逐一、当ブログでご紹介しましょうか?要らない??そんな能天気さも復活してきたようだ。
 ラジオが6年前の「福知山線脱線事故」を伝えている。数年も経ったら「東日本大震災」のことも過去の出来事として報道されるだけなのだろうか。
 今日は郵便局まで出向いて、通帳の住所変更をしたり、第4~5の「転居の知らせ」も発信することによう。週が明けました。新年度の多忙さにも慣れる時期ですが、無理をせずに始動してください。

2011/04/24

「茅ヶ崎」経由の郵便物が・・・。

 ~「ご挨拶状」を読みながら~
 母屋の郵便受けに届く郵便物を孫たちが運んでくる。
 たくさんの量に驚きつつ、「角田明先生」という宛名に小学生の長男孫も違和感が少々消えようとしているようである。「お祖父ちゃん」に「せんせい」の敬称が付けば、小学校の「先生方」と混同するのかも知れない。やむを得ない現状とは言え不思議な感情の揺れはあることだろう。わが子たちが、「絶対、学校の先生にはならない」と豪語して憚らなかった少年少女時代を思い出した。取り分け中学校に通うようになってからの「反撃」は強かった。しかし、今となれば懐かしい時空でもある。親業と教員業を上手に演じきれなかった(笑)、未熟な自らの生活ぶりも懐かしい。
 離任や退職のご挨拶の葉書も届いている。「え、もう退職?」と思わず年齢を数える自分がおかしい。自らの年齢を忘れている「痴呆」症状が愉快ではないか。時々、怪訝な顔に変容する葉書も届く。それは、非日常的な交信を見せつけるような「ご栄転の証」を送りつけてくる葉書である。ご栄転を批判する気持ちなど無いが、教師道への軌道修正を乞う心境になってしまうのだから読者の皆さんにはご理解いただけないかもしれない。
 偶然にも、『悠プラス』5月号(ぎょうせい)も茅ヶ崎経由で届いた。
 執筆原稿が掲載されているが、毎度のことながら読み返すと赤面する。もう少し美文にならないものか、と。ストレートな表現しかできない未成熟な作文能力を恥じ入るからである。しかしながら「反面教師」という人生哲学を成す生き方は未だに燦然と輝いていることは事実でもある。昇任・昇格を知らせる葉書と対面する度に、この反面教師という人生哲学が蘇ってくるのがその証である。
 引っ越し荷物の段ボールの山は、当分の間は片付きそうもない。GW明けからはお請けしている本務が再開する予定だが、段ボール達に見送られての出講になりそうである(笑)。
 

2011/04/23

やっぱり驚きましたか?



 ~3日間の九州への旅・・~

 25時間を掛けて上京した48年前と比べること自体が変ですね。 20日に東京駅を10時過ぎに新幹線に乗って出発。降車駅の「新八代駅」に到着が午後5時。博多駅での意図的な待ち時間を特設しなければ更に30分間は短縮できるのだから、九州も近くなったモンですばい!新装なった博多駅構内に目を見張る視線は、まさに「旅人」そのものになっていました(笑)。

 土浦の新居の後片付けもそこそこの帰省だったので、法要という要務を終えるととんぼ返りとなり昨(22日)には戻ってきました。妻の生家も放置状態ですが、周囲のれんげ畑は歓迎してくれました。しかし、今回の旅には郷愁に浸る時間もなかったのは妻には申し訳なかっような気もしています。 帰宅すると届いている郵便物を嫁が持って来てくれました。電話が何本も入ったとの報告も受けながら、旅の土産と物々交換でした。手紙を開いて読みながら「共通事項」に気づいて苦笑でした。「びっくりしました」「どうして茅ヶ崎を離れたのですか」等々の文言に50年近くも済み続けた地・『茅ヶ崎』とのつながりの深さを周囲に印象付けていることに今更のごとく、こちらがびっくりしてしまいます。

 土浦は雨の朝です。

 九州との温度差に老体も敏感です。輸送時間は大幅な短縮ですが、北関東と九州との距離は変動がありません。その分だけの温度差にも変更はないようですね。寒さを感じている朝です。これも徐々に慣れてくることでしょう。

 どこから情報を得られたのでしょうか、茨城県内の古河市から夏季休業中の「管理職研修会」への出講依頼が届いたのには驚いてしまいました。これもやっぱり驚きです。嬉しい驚きに代えて自己研鑽に励みたいと心している朝です。

 まだ「転居のお知らせ」を送っていない関係者が多いのですが、手元にある驚くほどの「返信」を眺めながら次の発信を準備したいと思っています。読者の皆さんの知人友人で、小生のことをご存知の方がいらっしゃるようでしたら、「転居」したことぐらいは話題にしていただければ有難いです。よろしくお願いします。






 

2011/04/20

これから九州へ出発です!

 ~5年ぶりの生家へ~
 月日の経つのはホントに速いですね。
 妻の両親の介護という大役のために茅ヶ崎と九州との頻繁な往復で過ごしたあの日々から7年が過ぎています。その後、その両親とも相次いで他界して、もう5年になります。それからは、小生の実家を訪ねることもなく今日になってしまいました。父親が戦死したので母親は独りで6人の子供を育ててくれましたが平成8年に他界しました。父親代わりに君臨してくれた長兄は、更に早く昭和63年に他界してしまいました。義姉の心遣いで、母と兄の法要を計画してくれました。妻と一緒に墓参も兼ねて、茨城県への転居の報告に行ってまいります。
 今年の3月(東日本大震災とほぼ同時)に、故郷・八代市にも新幹線が走るようになりました。初めて乗車します。新居の片づけは半分も済んでいませんが、今日から数日間は「里帰り」バージョンでリフレッシュして来ます。留守をする気分も今までとは全く違います。戸締りも火の始末も異常なほどまでに神経を遣っての外出がなくなりました。長男一家にお任せで外出できることです。
 新居の周囲は栗畑です。
 栗の木を縫って、今朝は朝陽が部屋に差し込んできました。昨夜も11時10分に大きな地震があり早寝の小生はびっくりして目が覚めたほどでした。そんなパニックも嘘のように朝陽が眩しい新鮮な朝です。
 復活したばかりのブログも、また、数日間休刊してしまい恐縮です。帰宅しましたら「九州旅行記」でご報告します。ご了承ください。

2011/04/19

長らくのご無沙汰をお許しください。

 ~所変われば・・・・~
 去る4月11日に、ここ茨城県土浦市に転居いたしました。
 長男一家の長年の念願を叶える現実となりました。本来なら4年前には「引っ越し」の好機が訪れていたのですが、踏ん切りの悪い(笑)父親は、わが身の現状を優先させてしまい全国行脚の道を選んでしまったのです。そして、昨年、業を煮やした長男の説得に「今はこれまで・・・」と決意の方向に意識改革を自らに迫りました。
 昨年秋に新居の建築に着工してこの3月に完成。
ところが、引っ越しを直前にして東日本大震災と直面してしまいました。出鼻を挫かれつつ時間と勝負しながら孫たちの新学年・新学期との兼ね合いで、丁度震災後1か月を限界と判断して、大きな余震に歓迎されながら40数年住み慣れた茅ヶ崎市より「新天地」に引っ越してまいりました。転居のお知らせ葉書も枚数の関係上(?)、読者の皆さんにはお届けできませんでした。あしからずご了承願います。
 小生のHPに、新アドレスも管理人さんより提示していただきました。メールにて交信していただければ返信をいたしますので、ご面倒ですがよろしくお願いいたします。
し荷物の谷間から、外出用衣類を探し出すのも一苦労です。明日から数日間、九州の生家に帰ってまいります。亡き母と兄の「法要」の案内を受けていますので、墓参も含め近況の報告をしてまいります。
 ところで、70歳を前にして「新天地を開拓する」このスピリットをいかがお考えになりますか?
 無謀でしょうか??無謀という評価を下される諸兄は、まだ小生にご期待いただいているということですね。しかしながら、当人は「無謀」とは無縁の人生展開を考えています。次世代の新しい息吹を感じとりながら、この情熱の炎も大切にして、悔いのない人生を展開しようと考えています。
 要請がある限り、ここ新天地より全国にはせ参じるエネルギーはまだ消滅しておりません。この1か月は、今後の人生展開を考える最後の大転回時となりました。
 5月の連休明けから、お請けしている業務を再開します。
 名古屋~浜松~横浜と転戦するハードな日程が待っていてくれます。また、皆さんのご当地で元気に再会したいと心滾る思いになってきました。余震は収まることを知らずに、この闖入者を脅かしてくれますが、元気な孫たちの言動に励まされつつ、再開の準備に入ることにいたしましょう。
読者の皆さんより、ほぼ1か月遅れの新年度になりますが、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。感想も含めて、新アドレスへのメール送信をお待ちしております。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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