~5年ぶりの生家へ~
月日の経つのはホントに速いですね。
妻の両親の介護という大役のために茅ヶ崎と九州との頻繁な往復で過ごしたあの日々から7年が過ぎています。その後、その両親とも相次いで他界して、もう5年になります。それからは、小生の実家を訪ねることもなく今日になってしまいました。父親が戦死したので母親は独りで6人の子供を育ててくれましたが平成8年に他界しました。父親代わりに君臨してくれた長兄は、更に早く昭和63年に他界してしまいました。義姉の心遣いで、母と兄の法要を計画してくれました。妻と一緒に墓参も兼ねて、茨城県への転居の報告に行ってまいります。
今年の3月(東日本大震災とほぼ同時)に、故郷・八代市にも新幹線が走るようになりました。初めて乗車します。新居の片づけは半分も済んでいませんが、今日から数日間は「里帰り」バージョンでリフレッシュして来ます。留守をする気分も今までとは全く違います。戸締りも火の始末も異常なほどまでに神経を遣っての外出がなくなりました。長男一家にお任せで外出できることです。
新居の周囲は栗畑です。
栗の木を縫って、今朝は朝陽が部屋に差し込んできました。昨夜も11時10分に大きな地震があり早寝の小生はびっくりして目が覚めたほどでした。そんなパニックも嘘のように朝陽が眩しい新鮮な朝です。
復活したばかりのブログも、また、数日間休刊してしまい恐縮です。帰宅しましたら「九州旅行記」でご報告します。ご了承ください。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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