~懐かしいお便り~
写真は昨日届いた1枚の葉書です。
神奈川県高座郡寒川町から届きました。この町は、高校を卒業して大学進学のために上京し、この町に先に住んでいた次兄と同居して学生生活を始めた記念すべき地でもあります。家庭教師という大それた業務を請け負って、当時中学3年生だったこの家の長男の高校進学のためのヘルパーを務めた町でもあります。名ばかりの家庭教師だった小生を、家族の一員として扱っていただいた忘れることのできない生涯忘れてはいけない恩人一家の奥様からの葉書なのです。
「働いて得たお金」をいただいたこのご一家とのお付き合いは、下のお子さんの大学進学まで続きました。当時、ご健在だったこの家の御祖母様にも、孫同様に可愛がっていただいたことを、届いた葉書を読みながら懐かしく思い出しています。
初めて「せんせい!」と呼ばれた緊張感で過ごした勤務時間(笑)も懐かしく蘇ってきました。大学を卒業して高校の「せんせい」となった人生の羅針盤はここに存在していたのだとも、今となると確信できます。これも感謝の二文字で表現されるのですから「恩人」なのです。
突然の転居通知を送りつける「恩知らず」の行動は、今でも治っていないようです。
18歳で初めて「先生」と呼ばれた人生の延長線は、今でも未だハッキリと続いているのも人生の妙なのでありましょうか?
土浦の朝は曇天です。昨日は強風で常磐線もダイヤが狂いました。今日も雨模様でしょうか。そんな一日が明けました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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