~歩いて墓参~
朝7時半に家を出る。
駅の南側に新居がある。路地を抜けて常磐線の踏切を渡り、北側へ移ると、交通量の多い道路が常磐線沿いに東西に走っている。「つくば万博の頃は活気があったんだろうなぁ」、と空想しながら歩を進める。ひたすら歩くだけの風景ではあるが、「地元民」となったという意識からか景色が温かく感じる。(参考までに今朝は結構冷え込んでいる)。
15分ばかり歩くと長男一家が住んでいたアパートが近くなってきた。
ここまでは、以前にも数回JRの駅から歩いたこともある。旅の荷物を持っての移動だったので疲れしか記憶がない。アパートの近くに近隣では大きめのスーパーがある。孫を連れて駄菓子を買いに来たこともあるそのスーパーを横に見て通過すると、更に大きな通りに出る。これは土浦駅に向かう道路のようである。引っ越して来て数回ほど湘南ナンバーの愛車(軽自動車)で走ったので道路状況もわかる。その道路沿いに500メートルも歩けば義父母が眠る墓地に到達する。墓地の管理者は観音寺というお寺さんで嫁の実家である。
2週間ばかり前に引っ越してきて挿した生花だが、まだ十分にお供えの用をなしている。ちょくちょく墓参できる幸せを妻は感じているらしい。額ずいている時間が長かった。1~2本の枯れた花だけ抜いて焼却場に置いて帰ってきた。
帰路は探検歩禅である。
この道を通ればどこに通じる?この趣向は小生の人生の趣味の一つとでも言える。近道を探すのではない。歩きやすい「道」を探すだけのことである。わがままばかりの夫の、この種の人生哲学に従順な妻はあきらめて(?)、いや呆れながら伴に歩いて来てしまったのかも知れない。帰路も「新しい道検索」をしながら、ほぼ予定通りの60分間で帰宅した。
孫たちは今日は「イチゴ狩り」らしい。家族で出発したので通常の午前の静かさである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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