2011/04/29

新・歩禅記(48)

 ~歩いて墓参~
 朝7時半に家を出る。
 駅の南側に新居がある。路地を抜けて常磐線の踏切を渡り、北側へ移ると、交通量の多い道路が常磐線沿いに東西に走っている。「つくば万博の頃は活気があったんだろうなぁ」、と空想しながら歩を進める。ひたすら歩くだけの風景ではあるが、「地元民」となったという意識からか景色が温かく感じる。(参考までに今朝は結構冷え込んでいる)。
 15分ばかり歩くと長男一家が住んでいたアパートが近くなってきた。
 ここまでは、以前にも数回JRの駅から歩いたこともある。旅の荷物を持っての移動だったので疲れしか記憶がない。アパートの近くに近隣では大きめのスーパーがある。孫を連れて駄菓子を買いに来たこともあるそのスーパーを横に見て通過すると、更に大きな通りに出る。これは土浦駅に向かう道路のようである。引っ越して来て数回ほど湘南ナンバーの愛車(軽自動車)で走ったので道路状況もわかる。その道路沿いに500メートルも歩けば義父母が眠る墓地に到達する。墓地の管理者は観音寺というお寺さんで嫁の実家である。
 2週間ばかり前に引っ越してきて挿した生花だが、まだ十分にお供えの用をなしている。ちょくちょく墓参できる幸せを妻は感じているらしい。額ずいている時間が長かった。1~2本の枯れた花だけ抜いて焼却場に置いて帰ってきた。
 帰路は探検歩禅である。
 この道を通ればどこに通じる?この趣向は小生の人生の趣味の一つとでも言える。近道を探すのではない。歩きやすい「道」を探すだけのことである。わがままばかりの夫の、この種の人生哲学に従順な妻はあきらめて(?)、いや呆れながら伴に歩いて来てしまったのかも知れない。帰路も「新しい道検索」をしながら、ほぼ予定通りの60分間で帰宅した。
 孫たちは今日は「イチゴ狩り」らしい。家族で出発したので通常の午前の静かさである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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