~運転免許証さえあれば・・・~
新居先に最も近い郵便局に行きました。
妻に伴う事務書類に関する「住所変更届」の申請のために同伴しました。決まって乞われるのが、身分を証明するモノの提示です。妻には運転免許証がありません。そこで、新住所で申請して戴いた「国民健康保険証」を提示すると、顔写真付きでないと通用しないとの対応です。こんな時、皆さんはどうなさっているのでしょうか?郵便局発行の通帳を住所変更するのですから、窓口の担当者から「カード」の提示とその『暗証番号』の確認で完了しました。何とか住所変更ができた妻が、ポツリと言いました。運転免許証は「絶対権力」なのね、と。
実は、今回の転居は不案内の都市なので運転は止めようかと妻に話したことがありました。市役所へ出向いても身分証明を要求されて「一つ」のモノでの提示で済むのが運転免許証でした。必要性が「最高級」の貴重品だと痛感しています。シルバーマークには、もう少し年数があります(笑)が、運転しなくても「運転免許証」だけは持っていたほうが便利??ちょっと変ではありませんか、ね。
実生活でも「車社会」の時代ですから、まさに、車が全ての社会構造の証明ですよね。
ふと、余計なことまで考えが進んで妻との語らいは進展しました。新居の設計段階で工務店からは「オール電化」が前提での説明でした。今回の計画停電に遭遇した「東京電力」傘下の住民は、「電力が全て」を実感したのです。老夫婦の住む隠居小屋(?)には、工務店も驚いておられましたが近隣では珍しいプロパンガスが入りました。
「初めに・・・」車ありき!電力ありき!!
経済大国として誇った我が国も、そろそろ原点に戻って「節約と辛抱」の国民性を活かす社会構造を見直してみたらどうでしょうか?福島原発の問題も、そんな先端にあるような気がしてなりません。
運転免許証の無い老人には、身分を明かす代物が2点あるそうです。それは、「(国民)健康保険証」と「年金手帳」等だということを自学いたしました。そんな平凡な一日が戻ってきています。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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