~「地震」も違うんですよ!!~
10年ばかり以前に、当地に住み着いた長男から「茨城の地震はちょっと違うんだよ」と話したことを思い出した。当事者意識とはここまでズレがあるのだろうか。当時は、言っている意味も理解しようともしなかったからだろう。地震の本質には違いないだろう、ぐらいの意識であったことは間違いない。
所変われば品変わる。
18歳の青年が故郷を離れて神奈川県に住んだ時点で、同じ品物でも呼び名が違うし、同じ料理でも作り方や食べ方まで違った。言葉は意識していたが「生活そのもの」全般に、何かが少しずつズレていて、そのものが都会コンプレックスに繋がったような思い出が蘇った。
昨夜、10時12分。
ドーン(=最適の擬音語ではないかも知れない)と言う音と同時に大きな揺れが襲ってきた。「地震だ!」と布団から飛び起きた。茶箪笥も冷蔵庫も書棚も長男が防災具(留め金等)で留めてくれているので倒れる心配はないが、揺れが大きいと不安でもある。数十秒の揺れの後直ぐに鎮静して今朝まで何事も起きなかった。地鳴り?紛いの音が先行する地震にも、少々の慣れたようにも思えるが恐怖を煽るような音の先行には「地震の違い」らしさを感じざるを得ない。
引っ越して2週間になるが、地震の成り立ち方から違うことを実感し始めた。
昨夕、お風呂に入りにやってきた小学生の2人の孫息子たちが、3月11日の震災時点の恐怖を語ってくれた。「防災放送を真剣に聞いた」という長男孫は小学校の教室での被災時を思い出したようである。次男孫は保育園児だったので「泣き叫ぶ赤ちゃん達」の声を思い出したらしい。地震が収まってから帰宅したそうだが、指定避難先の小学校に家族で避難するところまで追い込まれたようである。
孫たちが成長して、親元を離れて県外でも生活することになると、「地震の違い」も実感することだろう。ところで、全国の読者の皆さんは、「地震」の様相が違うことをお考えになったことがありますか?茅ヶ崎の地震と土浦の地震は様相が全く違うんですよ、ホントに。この歳になって良い体験をさせていただいております(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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