~ラジオを聴きながら・・~
・・・考え込んでしまいました。
「元気で歌える今こそが自己の幕を降ろす時期である」とは、歌手・二葉百合子氏の美学だそうである。早朝に流れる氏の歌声を聴きながら考え込みました。張りのある、伸びのある歌声、ラジオからはみ出しそうな声量は、聴衆の耳を通じて心まで踊らせる現役そのものの威力である。「今こそ・・」と意を決するための人生哲学が美学というモノだろうか。歌手という職業には定年は無い。本人の意志の有無に関係なく退職を余儀なくされる職業とは異なる職業観があるのだろうか。小生は後者に属しているので7年前に、同期の輩と一緒に一線を退いた。「幕を降ろす」時期だったかどうかは考えたこともなかった。定年退職であるから考える余地もないので仕方がない。
ラジオを聴きながら凡庸な老輩は、低次元のこんな発想を巡らせてしまいました。
外は今朝も雨。あったかくなったと喜んでいるとまた寒さのぶり返し。そんな日々を繰り返しながら暦は確実に貼るに向かってはいるようである。二葉百合子氏はそんな繰り返しの季節と共に77年間を歌手として過ごして来られたのである。昭和9年(=当時3歳)にこの世界での生活を始められたらしい。小生は今年で67年間の人生を驀進中(笑)であるので、小生の人生に更に10年間も多い歳月を「歌い通された」ことになる。それでも、あの声量である。声の若々しさは声帯の管理だけで維持出来るモノでもあるまい。人生そのものの生き方に「生き甲斐」を追究する姿勢が伴なわなければここまでの現役存続は難しいと考える。
人生の美学とは?
読者の皆さんも、それぞれにお持ちの美学をお聴かせいただけませんでしょうか?小生は、昨今知り得た日本語を噛みしめています。それは『恩送り』という言葉です。「恩返し」が出来るには少々力量が伴わないことを知ったからです。お世話になった方々へ恩返しをする力は足りなくても、次世代の人たちにその「恩返し」の精神で「恩を送って」あげることを人生の美学にしたいと考え始めています。ささやかな力ですが「恩送り」が出来るよう、まだまだ精進したいと心している昨今です。
ラジオ深夜便「明日への言葉」という番組を拝聴しながら今朝も爽やかな禊ぎを受けました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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