~『放射能雨』の思い出~
少年の日の思い出が苦く思い出される朝である。
詳細の記憶は無いが小学生だったと思う。雨と一緒に放射能が降ってくるので、必ず傘を差しなさいと強く指示された。科学的な裏付けなど知らない子どもにとって、この雨に濡れると死ぬかも知れない等々の噂も耳にした。いわゆる「流言飛語」である。子供心にも怖かったことだけは記憶している。
茨城産のほうれん草が話題になっている。それぞれの専門語には難しい単位があるようだ。それを駆使されて報道されてもピンと来ないが、「~基準よりも100倍以上とか1000倍に近い値で」との例示があると途端に恐怖心に誘われてしまう。福島第一原発周辺の問題でもそうだった。考えてみれば、ほうれん草問題の情報はそこに端を発しているのである。阪神淡路大震災の1000倍の威力だった地震だそうだ。正に想定外の自然災害であるから、原子力発電所の設計時点でも想定にないほどの大災害である。関係者も自然災害の被害者の一部であることは当然認めなければ、命懸けで復旧作業に携わっている人たちには立つ瀬が無い。自衛隊や警察関係者のご尽力は多大なモノがあるようだ。感謝しなければなるまい。
それにしても、農業県である茨城県としてはとんでも無い二次災害ではないか。偶然ではあるが長男一家が住んでいる場所でもあり他人事には思えない。単なる我欲なのだろうか。一方では、被災後9日間経て助かった「お祖母ちゃんとお孫さん」の朗報も知った。悲喜こもごもの事象を見聞きしながら、大規模災害の被災地が一日も早く修復できることを祈るばかりである。
雨音を聴きながら、遠い少年の日を思い出している朝である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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