せめて、10年後の『私』を推測に願望を添えて語ってみるのも夢がありそうだ。
手元にお届けいただいた「創立10周年記念誌」の表題を目にして考えたくなった。2001年4月に新設開校した小学校に初代校長として着任した。「1からスタート・・」と力む校長の言葉が遮られた、「校長先生!ゼロからのスタートですよ」と。ゼロと1では意識がまったく違うことに気付いたあの瞬間が、つい数日前のように蘇るのは何故?
10年後の『私』は?
今の出来事を、「つい数日前」と蘇らせることが出来るのだろうか。推測に願望を添えて考えてみると「つい、昨日のようだ」と若々しく振り返って見たいモノである。不可能だろうと推測するので願いが追随するのかも知れない。
あれから10年。
老親の介護のために、1年早く退職して九州に帰って行ったのが2004年4月。3年間の介護も空しく母を亡くし、その3ヶ月後に父も逝ってしまい放心状態で時間は流れた。そんな時、現役時代のご縁からお声が掛かり要請の為すままに全国を飛び回る日程が展開し始めて今日に至る。そして、いつの間にか、大きな旅の荷物をキャリアバックに詰めて、引いて移動するどさ周りの旅芸人風の生活リズムも板に付いてしまった(笑)。現職校長時代の「生き甲斐」とは別世界である。明日の関わりを持たない旅芸人は「その日・その時」だけが真剣勝負とあれば、毎日が命懸け(?)の語り部にならなければならない。リピーターとしての再訪の依頼が届いた瞬間は心身共にシャキッと引き締まる。公務員稼業とは雲泥の差であることは確かである。そんな時間の繰り返しで、「その日暮らし」を満喫してきた。
これからの10年間。体力勝負だと実感する昨今。そろそろ「移動距離の制限」をしてみたらどうか、とも老脳に囁いてみるが、手元のスケジュールには、既に来年の2月2~3日の広島市での講演日程も入っているではないか。いや、自らの判断でお請けしているという方が失礼にはなるまい。今後のスケジュールメイクでの配慮事項とすべきことかも知れない。
体力維持も重要だと考えているが、気力が萎えることが寧ろ、心配である。
双方のパワーが両輪として顕在であり、且つ、脳力も衰えない限りは要請に応じることは可能かも知れない。
双方のパワーが両輪として顕在であり、且つ、脳力も衰えない限りは要請に応じることは可能かも知れない。
1冊の記念誌に目を通しながら、そんな「10年後」に、若くもない老脳で夢とロマンを描いているのは、やっぱり能天気な性分なんでしょうね。記念誌制作に関わられた方々に感謝の意を表し、併せて勤務校の更なる発展を、併せて祈りましょう。
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