2011/03/10

今の『私』 10年後の『私』

 ~永劫の「未来」は語れない・・~
 せめて、10年後の『私』を推測に願望を添えて語ってみるのも夢がありそうだ。
 手元にお届けいただいた「創立10周年記念誌」の表題を目にして考えたくなった。2001年4月に新設開校した小学校に初代校長として着任した。「1からスタート・・」と力む校長の言葉が遮られた、「校長先生!ゼロからのスタートですよ」と。ゼロと1では意識がまったく違うことに気付いたあの瞬間が、つい数日前のように蘇るのは何故?
 10年後の『私』は?
 今の出来事を、「つい数日前」と蘇らせることが出来るのだろうか。推測に願望を添えて考えてみると「つい、昨日のようだ」と若々しく振り返って見たいモノである。不可能だろうと推測するので願いが追随するのかも知れない。
 あれから10年。
 老親の介護のために、1年早く退職して九州に帰って行ったのが2004年4月。3年間の介護も空しく母を亡くし、その3ヶ月後に父も逝ってしまい放心状態で時間は流れた。そんな時、現役時代のご縁からお声が掛かり要請の為すままに全国を飛び回る日程が展開し始めて今日に至る。そして、いつの間にか、大きな旅の荷物をキャリアバックに詰めて、引いて移動するどさ周りの旅芸人風の生活リズムも板に付いてしまった(笑)。現職校長時代の「生き甲斐」とは別世界である。明日の関わりを持たない旅芸人は「その日・その時」だけが真剣勝負とあれば、毎日が命懸け(?)の語り部にならなければならない。リピーターとしての再訪の依頼が届いた瞬間は心身共にシャキッと引き締まる。公務員稼業とは雲泥の差であることは確かである。そんな時間の繰り返しで、「その日暮らし」を満喫してきた。
 これからの10年間。体力勝負だと実感する昨今。そろそろ「移動距離の制限」をしてみたらどうか、とも老脳に囁いてみるが、手元のスケジュールには、既に来年の2月2~3日の広島市での講演日程も入っているではないか。いや、自らの判断でお請けしているという方が失礼にはなるまい。今後のスケジュールメイクでの配慮事項とすべきことかも知れない。
 体力維持も重要だと考えているが、気力が萎えることが寧ろ、心配である。
 双方のパワーが両輪として顕在であり、且つ、脳力も衰えない限りは要請に応じることは可能かも知れない。
 1冊の記念誌に目を通しながら、そんな「10年後」に、若くもない老脳で夢とロマンを描いているのは、やっぱり能天気な性分なんでしょうね。記念誌制作に関わられた方々に感謝の意を表し、併せて勤務校の更なる発展を、併せて祈りましょう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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