~海外勤務で苦労する「英語」~
後悔先に立たず?って言うらしいですね。
後悔って、「やってしまってから」しか成立しない行為であって、万人が数限りなく味わう苦渋でしかない。聖人君子(?)であっても「後悔する」行為は、必ず行うモノであると考えている。だから、後悔すること自体を責めることはしたことがない。後悔するぐらいだったらやらなきゃ良いジャン!!とは言え、誰しもが後悔が伴うモノになる苦しさが待っている、などとはその渦中では考える事が出来ない。だったら、結果を「後悔」で締めくくらないことが大事ではないだろうか。能天気者の能天気たる所以は、そこにあると考えている。
オーストラリアで「英語で」苦労しているという卒業生からメールが届いた。真面目な良い中学生だったし、野球部員としても着実に成長した選手でもあった。彼自身が、他者より少々遅めの成長を繰り返している生き方をしている生徒だと理解していた。いや、今もそうだと信じている。
その旨の要旨で返信を送った。
46歳になった一児の父親として、どんな心情で「恩師からのメール」を読んでくれただろうか。拙著で「あせらない あわてない あきらめない」(教育出版)がある。能天気人生のルーツを振り返りながら、出会った「人材」を取り上げて仕上げたのであるが、まさに、この卒業生にも贈りたい言葉である。
早期教育?促成栽培?短期集中合宿?等々、出来るだけ早く成果を上げる事への日本人の執着心はもの凄い。しかし、小生は、「早熟は早く老いるのではないか」と案じることがある。46歳から「英語の必要性」が生じたら、開き直って「生きた学び」をすれば、必ず立派な成果が出ると確信している。
毎年続いている正月4日の野球部OB会。
今年も大勢集まっていた。そこには中日ドラゴンズの投手・山本昌広も参加する。このメールの送信者は同学年チームの右翼手として活躍した人材である。あせることはない。じっくりと、本場の英語を身体に染み込ませて帰って来れば良い。何歳になっても生き生きと学び続ける人生であって欲しいと願いつつ、小生自身を奮い立たせてくれたメールでもある。
P.S. メール冒頭の「根知和」というのは、小生が指導した野球部での哲学を漢字3文字にしたモノ。それぞれの3文字の「ひとつ」ずつに、指導精神をたたき込んだモノです。「音」は「こんちわ」として、練習開始の挨拶として愛用しました。一種の「合い言葉」でもありました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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