2011/03/07

強行軍に耐えた老体!?

 ~「孫力」には勝てません~
 鬼の◇◇、と異名をいただいた現役時代の小生でした。
 狭い地域ではありましたが所属した業界では、ちょっとばかり有名でした、ね「怖い先生」として・・(笑)。卒業式で涙を流した小生を発見した在校生が「鬼の目にも涙」と言ったとか言わぬとか。そんな時代から月日は流れて、正真正銘の「お爺ちゃん」になってしまった小生です。昨日はホンモノのお祖父ちゃんとして、孫が通う保育園の「遊戯発表会」を参観しました。赤ん坊だった孫が卒園です。3人目の孫の卒園ですから、卒園そのものへの感激が伴うモノではありません。しかし、自席からカメラを向けてシャッターチャンスを狙うお祖父ちゃんの目は何故か涙目になっているではありませんか。こんなにまで成長したのか!と赤ん坊時代の孫が浮かんできたからでしょう。離れて育っているので、大きな機会が無い限り日常的な接点はありません。盆暮れの里帰りでは会えますが、年間を通して何十時間の接触があったのでしょうか。そんな孫も共働きの両親の元では、よちよち歩きから保育園でお世話になっています。面倒を看ていない爺婆にすると「美味しい所取り」の稼業で今日まで辿り着いているのです。保育園での育児と指導の賜と感謝の気持ちがグッと目頭に伝わったのかも知れません。

 「大きな栗の木の下で」「おへそ」「たきび」「かえるの歌」「メリーさんの羊」「くつがなる」「おもちゃのチャチャチャ」「桃太郎」「金太郎」「うさぎとかめ」「七つの子」「富士山」「あらどこだ」「おぼろ月夜」「小さな秋みつけた」「ゆき」「子鹿のバンビ」 等々

 こんな演奏曲を聴きながら涙が出てきてしまいました。
 爺の頭の中で回り出した走馬燈には、保育園に通う孫の父親、つまり小生の愚息が今の園児である孫と同じぐらいの日々が映し出されるのです。病弱だった愚息が高熱を連発して中々寝付かない夜は、夫婦で交替しながら子守歌を沢山歌いました。上記の歌は殆ど唄いました。
 幼児教育という領域では、現代に生きる子供達に「受ける」歌を選ぶことが指導しやすいことは十分理解できます。上記のような演奏曲を教え込むのは大変な苦労だと推察できます。しかし、見事に歌いこなすどころか、楽器を使って演奏も出来るのです。主人公になる「卒園児」達の合奏には感動しました。番組の「トリ」になったオペレッタでの「長い台詞」には目を見張ってしまいました。
 こんな幼児が「ここまでやれる」のだったら、小学校1年生ではもっと出来る!
 「赤ちゃん返り」させることなく「育成の連結」に手抜きをしては、「子供達」に対して失礼ではないか。そんな思いが小学校での校長業の反省にも達してしまいました。
 成長しきれないままオトナにしてしまう教育の現状を正視しないと、アダルトチルドレンの大量生産に歯止めが掛からないかも知れません。アダルトチルドレンの延長線上にモンスターペアレントが存在するとなれば、保育から教育への橋渡しの時点で既に、その助長に加担しているのかも知れません。
 感激と感謝。そんな思いが駆け巡るハードスケジュールの行程にも耐えられた祖父ちゃん祖母ちゃんでした。「孫力」の威力だと通過した一日でありました。 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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