2011/03/05

たかが1枚の葉書、されど1枚の葉書!!

 ~この「1枚」で、広島詣が始まる~
 「どうして、広島にこんなに何回も行くんですか?」と、(質問の主旨は理解できませんが)良く質問を受けます。その全員が広島県外の先生達ですから面白いですね。「そんなに多いかなぁ?」と自問しながら2010年1年間の広島滞在日数を調べてみました。移動日を含めると21日間でした。「365分の21」となると、多いんでしょうか?
 結論的な理由を述べれば、「広島から要請があるから」ということになるでしょう。
 ここで、1枚の葉書をご紹介します。差出人の許可は得ておりませんが、このブログの読者のお一人ですのでこの画面を介して事後承諾としてお願いしましょう(笑)。この1枚の葉書。たかが1枚の葉書ですが、この投函日付が運命の悪戯ドラマの開演日となったことは歴史上の事実です。この後、葉書でお約束の「初・学校訪問」をしたのが、現代「広島詣」版が始発したことになります。義父母の介護で故郷(熊本県八代市)に帰った年(2004年)のことですので、宛先が茅ヶ崎市となっていません。ちっちゃな歴史すら感じます。
 実は、この葉書の前哨戦もあります。それは電話での出講依頼でした。更に、その電話の前哨戦もあります。この投函者である校長先生の前任校長先生との出会いです。その校長先生との出会いを創出された校長先生がいらっしゃることも前哨戦の一つです。こうして、遡っていけば「広島とのご縁」は、「この葉書」以前の2000年に辿り着くんですから不思議でしょう?具体的には、03年(平成15年)3月から水面下で動きがあったことになります。まだ、現職の校長室に広島から3名の校長先生の訪問を受けたのです。どの動きを外しても満足な回答になりません。
 新年度の出講依頼が届き始めました。
 また、どこで、どんな「ご縁」の展開になるのかと考えるだけでも、未来への楽しみが倍増します。年度が終わろうとする3月ですが、「時は止まることがない」のですから新しい生命の誕生の息吹を感じる時期であるとも言えそうですね。
 「たかが1枚の葉書」から、広島への出講は、も「来年度」も多くなりそうです。
 ちっぽけな出来事も粗末には出来ません。「たかが、こんな出会いぐらい」なんて見過ごすことが自らの人生を粗末にするモノだと己に言い聞かせています。ちっぽけな出来事が、必ず素敵な未来を誘う「きっかけ」となることだろうと思わざるを得ないからです。この葉書との出会いに謝意を添えつつ今日も、来年度の仕事の打ち合わせに横浜まで行くことにしましょう。
 








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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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